第4話 火葬(改)
今回の僕たちの物語は、ホラーにすべきかコメディにすべきか、まったく判断がつかない。
それは、僕が25歳になった時の話だ。
まず、25歳という年齢について触れておこう。
タイの人々には、タイの男性が25歳になると「ベンチャペット」と呼ばれる年齢になるという信仰がある。
その年は、その男性に重大で危険な出来事が起こるとされ、
最悪の場合、命を落とすことさえあるという。
だから、25歳のタイ人男性はたいてい仏教の僧侶となって出家する。
ベンチャペットの危険を軽減したり、避けたりするためだ。
僕自身も同じだった。
僕はタイの山の上にあるあるお寺で出家した。
そこは瞑想や修行を行うための場所だった。
さて、僕たちの話に入ろう。
タイのお寺は日本の寺院とはずいぶん違うというのは、よく知られていることだ。
なぜなら、タイのお寺はたいてい亡くなった人のために功徳を積む場所であり、
また火葬を行う場所でもあるからだ。
さらに、タイのお寺の敷地内の壁は、亡くなった親族の遺骨を預けておく場所にもなっている。
だから、タイのお寺は霊がたくさんいる場所だと言える。
タイのお寺で幽霊に出会う話は、どこでも聞ける定番の怪談だ。
しかし、出家している間、僕は何もおかしなことは経験しなかった。
夜中に何かが茂みを引きずるような音が聞こえることはあったが、
あれはただの野生動物の音だった。というのも、僕が出家したお寺は山の上にあり、周囲は深い森の中だったからだ。
あるいは、木がきしむ音がすることもある。僕が寝ている小屋の近くには大きな木があったから。
むしろ、嵐の日にその大きな木が倒れてこないかの方が心配だったくらいだ。
出家している間、亡くなった人のために功徳を積むための棺が運ばれてくることはあったが、
それでも何も異常は起こらなかった。夜中に何度もお堂の近くを歩くことがあってもだ。
そうして、とうとう火葬の日が来た。
僕は、タイの過去に少し遡って話すことをお許し願いたい。
現代のようなガス式の火葬炉ができる前、タイの人々は野外で火葬を行っていた。
棺を『チェーンタゴーン』と呼ばれる台の上に置いて行うのだ。
火葬の際は、棺の蓋を開けたままにしなければならない。
そのため、粗い糸で手足をしっかり縛り、大きな薪で遺体を押さえつける必要があった。
焼いている最中に遺体がむくりと起き上がって座ってしまうのを防ぐためだ。筋が縮むからである。
僕が出家したお寺には、新しい火葬炉がなかった。山の上にあるからだ。
だから、まだ先ほど話した昔ながらの方法で火葬を行わなければならなかった。
火葬の前、新米の僧侶たちは皆、『チェーンタゴーン』と呼ばれる台の上に上がって、
腐って臭う遺体の顔を見なければならない。
これを『プロンサンカーン』と呼ぶ。
これは常に心に留めておくためだ。
「死はいつか必ず訪れる。だから、決して油断してはならない」と。
僕も上がって見た。
七日間安置されていた遺体は、顔が腫れ上がり、ひどい臭いを放っていた。
だが、いつか自分もこうなるのだと、素直に受け止めなければならなかった。
火葬の儀式の間、古株も新米も僧侶たちは皆、一緒にお経を唱えた。
その日、僕たちは遺体の足の方向に向かって座っていた。
すべてが、油断のせいで台無しになった。
葬儀屋は作業中に酒に酔っていた。
彼は大きな薪を遺体の上に置くのを忘れていたのだ。
突然の熱で遺体は筋が激しく縮み、びくりと跳ねた。
遺体は棺から飛び出し、くるくると宙返りしながら回転し、
僧侶たちの目の前に勢いよく落ちて、綺麗に顔から着地した。
腐って溶けた肉片があちこちに飛び散った。
亡くなった人の遺族は驚いて逃げ出し、
新米の僧侶たちも驚いて逃げ出した。
葬儀屋も一緒に逃げてしまった。
何人かは転んで怪我をした。
残ったのは、僕と老僧二人だけが顔を見合わせていた。
勇敢だったからではない。ただ、驚きのあまり立ち上がれなかっただけだ。
結局のところ、僕たちは遺体の残骸を素手で拾い集めなければならなかった。
そして、もう一度火葬の儀式を始め直した。
この出来事を通じて、僕は強く実感した。
仕事中の集中力――つまり「正念」――がどれほど重要かを。
なぜなら、それはとても危険なことだからだ。だからこそ、常に心を落ち着かせ、決して油断してはいけない。
集中力を欠くと、必ずミスが生まれる。
そして時には、大きなトラブルを引き起こすことになる。
あの葬儀屋のように、作業中に酒を飲んでしまった場合がそうだ。
考えてみてほしい。あの遺体がもう少し遠くに飛んでいたら、きっと人々にぶつかって、誰かが怪我をしていたに違いない。
***「チェーンタゴーン」はタイ語で「 เชิงตะกอน」 と書きます。その情報をGoogleで検索してみてください。
****「プロンサンカーン」はタイ語で「ปลงสังขาร」 と書きます。
****「プロンサンカーン」 は、新米の僧侶が腐敗した遺体を間近で見て、「いつか必ず自分にも死が訪れる。ゆえに、人生を油断して過ごすな」 と心に刻むための儀式です。




