狂った犬と呼ばれて 3/4
俺は館長が居なくなった後、薄い微笑みを浮かべながら、貧民窟を見つめるヴィーゾンの横顔を見た。
その目線に気が付いたヴィーゾンが、俺に何時もの斜に構えた笑みを向けた。
「ようラリーちゃん。
昼間からご苦労さんだな」
「ああヴィーゾン、すごいですね。
あんな感じで館長に進言できるなんて、相当ですよ。
どうしたらあんな事が言えるんですか?」
「うん、まぁ……長く生きていればな。
死にきれなければその分知恵もつく。
いつかはラリーも出来るようになるだろう」
「ヴィーゾン“いつか”って時が来たときの為に、教えを請いたいのですが宜しいですか?」
「おッ、ラリーちゃん、今日は殊勝じゃないか。
良いぜ、答えてやるよ」
「貴方から見て、俺にはどんな勉強が必要でしょう?
自分が良い騎士になる為に、何から手を付けたら宜しいですか?」
俺がそう言うと、ヴィーゾンは“ふっ”と鼻で軽く笑いながら俺に言った。
「全てさ、ラリーちゃん。
焦る必要はない、剣に馬、仲間との語らいに攻城兵器の作成、陣地の重要性、領地の運営、作戦やらなんやら全部だ。
またすべてに秀でる必要も無いしな。
俺はヨルダンよりも剣が下手だ。
ラリーちゃんも自分と言う騎士を見つめた時、いつか自分の“売り”が見つかる時が来る。
そうしたらそれをボスに売り込んでいくと良い。
……もっとも、ボスが残っているかどうかは分からないがね。
主が居なくなったら、騎士道は全てが終わりだ……」
ヴィーゾンはそう言うと、シニカルな笑みを浮かべてどこかへと向かった。
……枯れている、どこか悲しいヴィーゾンの背中にグッとくる。
俺が何か胸に火を宿していると、それを見たヨルダンが微笑みながら俺に声をかけた。
「いいなラリー、エルワンダルの男なら、あのヴィーゾンと親しくしていたというだけで、皆から嫉妬されるぞ」
「そうなんですか?……光栄に思います」
未だに俺はヴィーゾンの正体を知らない。
だけど彼は本物の男だと最近では感じている。
自分の正体を隠す謎の男ヴィーゾン。
何故かその姿をみてニヤけてきた。
ヨルダンはそんな俺の様子が面白いらしく、顔を綻ばせながら言った。
「ああ、エルワンダルのヴィーゾンは名の知られた勇士だ。
お前は彼の本質を見ていた。
これからも彼と仲良くすると良い、俺よりも良い師だと言えるだろう」
この言葉を聞いて俺はピンときた。
そこで「マスターヨルダン、出来れば俺に一手剣筋をご教授いただけないでしょうか?」とおねだりしてみる。
今なら色よい返事が聞けるかも!
ヨルダンは俺の言葉に驚いたようで、目を大きく見開くとニヤニヤ笑いながら言った。
「俺から一手学びたいとは、怖いもの知らずだなゲラルド・ヴィープゲスケ。
マスターボグマス、マスターゴッシュマ、そしてマスターヨルダン……
贅沢な経歴だ、師は全てソードマスターと言うのだから」
おお、これは“OK”かな?
ドキドキしながら彼の言葉を待つと、ヨルダンは「お前にはまだ早い、ヴィーゾンからもっと学べ」と……
がっかりした……まだダメかぁ。
「ヴィーゾンが許したら教えてやる。
あと数年以内にな……今の剣筋のまま修業を怠らないなら、18歳までに剣士免状も夢じゃない。
ラリー、がっかりしないでいいぞ。
わっはっはっはっ」
ヨルダンはそう言うとヴィーゾンの後を追うように、この場を立ち去った。
(18歳で、剣士……)
あの二人が居なくなったバリケード前。
俺は最後にヨルダンが言った言葉に、思わず妄想を膨らませ始めた。
俺の遠くない未来の姿に、思わず胸がときめく。
剣士ラリーと名乗って、敵と戦う自分の姿が目に浮かんだ。
良い響きだ、格好もいいし、何より祖国に帰ったら自慢が出来る。
剣士免状は、いっちょ前に聖騎士流の剣士として名乗りを上げる事が許された、剣士に授けられる免状である。
これがあれば剣術道場を開くことだってできるし、正式に剣士として宗家当主である叔父のガルボルム・バルザックに、教えを乞う事が出来た。
つまり強者の証なのである。
それに傭兵稼業をしても、そしてもちろん騎士としても箔が付く。
ゴッシュマも長く剣士免状持ちだった事を考えても、これがあれば大変な敬意を払われるのは間違いない。
(俺も伝説を作ったら“小麦街道の勇者”とか呼ばれるのだろうか?)
あのガーブでは、ゴッシュマ又は愛称のゴーシュと言う名前は非常に通りが良い。
誰もが知っている名前である。
剣士となるならあんな風になりたいものだ。
俺の目の奥で、ソードマスターになるためにセルティナに向かった彼を、ガーブウルズ中の人間が見送った映像が蘇る。
俺はそれを思い出すと居ても立ってもいられなくなった。
腰から剣を抜いて、剣筋を確かめるように剣を振るい始める。
「ラリー、そんな風に無駄に動くと疲れるぞ」
同僚がそう言うが俺は「俺、剣士免状を持つんだ……」と嬉しそうに答える。
すると彼は半笑いを浮かべながら「ああ、頑張ってね」と答えた。
こうして俺は他の騎士に見つからないように、すなわち見張りをさぼっていると思われないようにトレーニングに励む。
やがて剣を持つとバレると思った俺は、剣をしまって剣を持つ振りをし、虚空に腕を振るう。
気が付くと同僚も一緒に、トレーニングを始めた。
こうして二人で小さな路地裏のバリケードを守っていると、日が暮れる。
……時間が静かに流れて行く。
◇◇◇◇
あれからさらに数時間が経過した。
……町が夜の闇に沈み、バリケードの向こうも随分と大人しくなる。
ところが事件が起きるというのは、こういう気持ちが抜けそうな時だ。
今日もちょうどこの時間に、近場で事件が起きる。
あまりよく見えなかったのだが、遠くの路地の方角で、貧民窟から『わぁーっ!』っという歓声が上がった。
当然そこのバリケードでも、ちょっとした諍いが発生した様に此処からは見える。
だが何が起きたのかは分からない。
俺は分からないなりに(あそこの担当はアルバルヴェ騎士館だったな……)と、ぼんやり考えていた。
やがて夜のバリケード傍に、焚火が設置される。
冷える夜の闇に白い煙が立ち上り、辺りに充満する燃えカスの匂いに、俺達は捲かれていった。
……そんな時だった。
後方から、聞きなれた足音を響かせて二人の騎士が現れる。
やって来たのは騎士ヨルダンと、叔父のドイド・バルザック。
見た瞬間チビリそうなぐらい恐ろしげな顔を、俺に向けた二人。
(俺、何かしたっけ?)
因みに心当たりは……ある。
ダナバンド騎士館の従士と揉めたり、道行くチンピラに絡まれて返り討ちにしたり……
とにかくタチが悪い思い出を頭で再生しながら、(アレがバレたか?それともコレがバレたか?)と考えた俺。
とにかくおっかなびっくり二人が来るのを待っていると、やってきたヨルダンが早速声を掛けた。
「ラリー、ちょっと手伝え。
お前の友達がとんでもない事をした」
……誰の事でしょうか?
俺はとりあえず「分かりました」と答える。
それを聞くやすぐに踵を返した、ヨルダンと叔父さん。
二人について行くと、ヨルダンが語りだした。
「ラリー、ヴィタースはどんな奴なんだ?」
「ヴィタースは俺の幼馴染の弟です。
性格は素直で嘘がつけない奴です」
「フーン……仲が良いのか?」
「ええ、仲が良いです」
「……ならお前が助けてやれ」
どういう事?
とにかく、ヴィタース、つまりビトに何か起きたらしいと思った俺は、もう一人の男、つまり叔父のドイド・バルザックの顔を見る。
……人を殺しそうな目をしていた。
『…………』
ザッザッザッ……と響く足音。
重々しい沈黙……そして明らかに激怒している叔父貴。
このいたたまれない空気の中、俺はヴィタース達がたむろう場所にやってきた。
「ラリー、来てくれたんだ!」
俺の顔を見て、笑顔を浮かべるビト達。
そんなビトに叔父が「まだ何も解決してないだろうが……」と、腹の底から出たような太く重い声で呟いた。
叔父貴の全身から、重く、恐ろし気な威厳が全身から滲み出る。
……その声音に思わず恐怖する、俺やビト達。
そんな俺に叔父貴が言った。
「ヴィタースの隊はな、そこのバリケードに、聖騎士の紋章が刻まれた鎧覆い(ホバーク)を掛けていたそうだ。
そしてそれを夕方、あの貧民窟のクズどもに一枚盗まれた。
……本当のクズはここに居る、ヴィタース達だがな。
貧民窟の連中は、鎧覆いを木の枝にぶら下げて、我々に見せつけた。
そして“グズ”だの“のろま”など散々にコケにされた。
これほどの屈辱を与えられるなぞ、騎士になってから聞いた事も無いわッ!
だからこいつらには、自分の鎧覆いを取り戻させる事にした」
ここまで話を聞いたらさすがに分かる、その手伝いをしろと言う事だろう。
俺は叔父さんに目を見ながら質問した。
「俺に命じたら、たぶん手荒にやりますけど良いですか?」
叔父は凄い形相で「フン!」と鼻息を吐き散らすとこういった。
「生意気だなラリー。
思う存分暴れてこい、おそらく交渉が妥結され、被保護権が間もなく停止される。
今行ったところで問題はあるまい」
俺はそれを聞くと、ヨルダンと叔父貴に「では行って来ます」と答えて、ビトの元に向かった。
……こういう時、叔父貴もヨルダンも他人を待つことができない。
せっかちだと言えば判りやすいだろうか?
とにかくすぐさま結果を出すか、少なくとも取り組まないと確実に俺がぶん殴られてしまう。
そこで俺は早速ビトに話しかけた。
「ビト、今すぐ行くことになった。
たぶん他の隊の奴に鎧覆いが回収されたら、たぶんお前らは皆許されない事になる」
『…………』
「装備は何がある?
剣と槍、あとはダガーはあるのか?」
「ああ、あるよ。
後聖甲銀の銀粉も持ってる」
「盾は?」
「3枚あるから前衛に持たせようか?」
「そうしよう。
それから俺がダガーを抜いたら、盾持ち以外は全員でダガーを抜け。
抜剣と言ったら抜剣だ、そして躊躇う事無く切れ。
ただし足とか手を狙え、命を奪うのは最後だ。
ただし歯向かったらそれはしょうがない。
騎士団を舐めた報いだ……」
俺がそう言うと全員が覚悟を決めた様だった。
俺はその眼を見返しながら「行くぞ」と呟き、バリケードの外へ皆を導く。
そして盾持ちを先頭にして、俺達は貧民窟へと向かった。
貧民窟に近づくと、饐えた臭いが鼻につく。
貧民窟もまた路上のあちらこちらに、明かりが灯っていた。
貧民達が焚火を燃やして暖を取り、その明かりで暗がりを照らしていたからだ。
そしてそんな焚火の光に照らされ、従士の鎧覆いが、恥の象徴として木の枝に翻る。
「何来てるんだよ!
お前達は神様が怖くないのかよ!」
「聖騎士だが何だか知らないが、お前らごときによぉ」
そう言ってなじるアイツら。
やがて投石が始まり盾や兜に石が当たる。
そして距離が近くなったころ、俺はついにダガーを抜き払って絶叫した。
「掛かれぇぇぇぇぇっ!」
15歳14歳の命知らずの若者は、これまで胸に秘めていた恐怖から免れるように、一瞬で狂気を心に宿し、ダガーを抜き払う。
ギラギラと煌めく黒鉄の光、人を刺すことに対する無意識の恐怖。
様々な思いを抱え、それを振り払うように雄叫びを上げて切りかかる。
そしてついに人を刺し、そして切りつけた……
少年達は全員で駆け出し、躊躇う事無く連中の足や手をダガーで切る。
次回の投稿は21日、7:00から8:00の間です。
よろしくお願いいたします。