俺は、声無き悲鳴を上げたんだ……(前)
―時を遡って“白銀の騎士”の大会一か月前
セルティナへの旅が始まった。
前回とは違い、今回は空を飛ぶ事が無いので、全行程3週間の旅である。
旅立ったその日の夜、俺達は渡し船でレナ川を越えて、向こう岸の宿に泊まることになった。
訳有って6人位を泊める事が出来る、大部屋の客になった俺と同行者のワナウは、早速小刀と木剣を取り出し、色々と細工を始める。
「……理論上はこれで良い筈なんだけどな」
俺は新しい剣技を身に着けるべく、蝋板に色々と書いたメモを見ながら、自分の木剣をまじまじと見つめていた。
その傍ではワナウが何も言わずに、俺の指示で木剣を磨いている。
さて唐突だが、剣の形状について説明しよう。
剣には、剣の鍔と刃の根元に、刃を柄に固定させる為の金具が差し込まれている。
この金具の部位、又はその辺りの刃の無い所を刃根元と言う。
さて、刃根元だが、これは刃の形状によって様々な形が存在する。
全長180センチにもなるツーハンドソードと呼ばれる大剣。
その中でも特殊な物なら、この刃根元をあえて広く取って掴めるようにしている。
こうする事で剣を掴んで相手を打倒する技、ハーフソードをしやすくする事が出来るからだ。
斬撃においても、手元の“剛い”部分を、掴む箇所を切っ先に近づける事で変化させる事も出来るし、面白い工夫だと思う。
因みに木剣には特にそう言ったものは入れられていない。
俺は何本か用意した頑丈な木剣から2本を選び、刃の根元部分を削りだしていた。
やがて二本の木剣から、指二本分の刃が削り落とされる。
こうして出来上がったツルリとした手触りの刃根元。
それを見て、俺は「よし!」と大きく頷いた。
やがて俺は細工したばかりの剣を持ち、そこら辺に射たクマの人形相手に剣を構える。
剣を相手の足首めがけて切っ先を下ろす“鉄門”の構え。
下から次々と車輪斬りを繰り出し、そして剣を相手に意識させたところで、剣を振り子のように振って見せる……
.
「ああっ。クソッ、理屈じゃ上手く行く筈なのに!」
夕方、俺は上手くいかない新しい技に悩まされ、苛立ちにそそのかされるままに頭を掻きむしる。
「まぁまぁお坊ちゃん、お坊ちゃんは天才だからできますよ。
ソレよりも夕食が運ばれてきましたから、食べましょう」
俺の隣では、元御者のワナウがそう言って、俺に夕飯を勧めた。
「そうですよ御曹司!
悩んでたってしょうがない、飯食って落ち着きましょうぜ」
「ですよねぇ」
そう言ってワナウの隣で、20代前半位の二人の男が調子よく、俺に話しかける。
「……ああ」
因みにこの二人、話したのは今日が初めてである、たぶん……
人といきなり距離を縮めて、愛嬌たっぷりに昔からの友人の様に話しかけてくるこいつら。
驚くほど馴れ馴れしい……
さてこの二人の男だが、ゴッシュマの手下のオーモンとハルダンと言う。
バームス親分とも親しかった彼等は、俺にとっても決して知らない間柄ではない。
……とは言え仲良くした覚えも無い。
じゃあなんでこいつらと一緒に居るのか、その経緯を説明しよう。
◇◇◇◇
―今から3時間ほど前の事。
ゴッシュマと別離の挨拶をすました俺とワナウは、二人で馬車に乗り込み、レナ川の渡し場に辿り着いた。
ガーウルズからレナ川までの旅だが、犬ゾリでは二日かかったが、馬車なら半日で終わる。
理由は、高低差の激しい道を馬車は行くが、犬ゾリの場合、出来るだけ平坦な道を使い、荷物を曳く犬の負担を減らす、遠回りのルートを利用するからだ。
こうしてその日、約10時間の旅を終え、レナ川に辿り着いた俺達。
間もなく夕方に差し掛かると言う頃、俺とワナウは渡し場で船の切符を買うために並んでいた。
すると遠くから「あっ、オーモンの兄貴居ましたぜ!」と言う声が響く。
思わず声の主に目を向けると、バームス親分に可愛がられ、ゴッシュマに馬鹿者呼ばわりされる、グラガンゾ家に仕える兵士のハルダンがそこに居た。
「御曹司!御曹司!」
ハルダンはすっごく嬉しそうに手を振り、何故か俺は嫌な予感で背中がブルッと震える。
やがて別の場所から「でかした!」と言う声と共に、バームス親分から睨まれ、ゴッシュマに胡散臭いが仕事は出来ると評されたオーモンと言う、これまたグラガンゾ家に仕える兵士が現れる。
……何の組み合わせだろ?
二人はズンズンと俺の傍に近寄り、そしてニコニコと微笑みながら俺に頭を下げた。
「え……何?」
「え!いやだなぁ、御曹司……
俺ですよ、オーモンですよ!」
「あ、うん。知ってるんだけど……
何か用?」
俺が引き攣りながら用向きを尋ねると、オーモンは「逢いたかった!御曹司……」と言って俺に抱き着く。
「ちょっと、近いから!
離れろ、いい加減に離れろ!」
「へ?ああ……すみません御曹司。
ついつい嬉しくなっちゃいましてね。
エヘヘヘヘヘ」
「あ、ああ。そうなんだ……」
「御曹司!オーモンとハルダン。
只今より御曹司の旅の護衛を務めさせていただきます!」
……はい?
全く話を聞いていなかった俺は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、満面の笑みを浮かべる二人の顔をしげしげと見つめる。
するとオーモンが、目の前で手をヒラヒラと感情豊かに動かしながら、俺に説明をしてくれた。
「御曹司、男爵の息子ともあろう者が、たった一人の家臣を連れて旅をするなんて、人目を気にしないにも程がありますぜ」
「え、ああ……」
これは本当である。
男爵の息子が、これだけの少人数で動き回るというのは、ガーブでだけ見られる光景である。
……あ、ソースは俺ね。
通常は爵位がある家の子供の旅行なら、もう少し随行する人間が多い。
とは言え俺に家臣なんて居ないし、そもそも別に箱入り息子と言う訳でもないので気にも留めない。
そんな俺にオーモンは、殊更嘆いて見せて言った。
「そんなじゃ困りますよ、御曹司!
御曹司はガーブでは大事な跡取りなんですから、もう少し随行員をそれらしく揃えないと、ガーブの面子が丸潰れじゃないですか!」
「ちょ、ちょっと待てよ!
俺はガーブを継ぐわけじゃないぞ!」
「へ?ああ……継ぐのは“狼の家”の方でしたね。
まぁでも別に大した違いはありませんです、とにかくアンタは名誉ある男だという事です!」
あ、うん……そうなんだ。
でも、まぁ。男爵と田舎の道場の責任者だと相当に違うと思うんだけど……
「とにかく御曹司!
俺はバーダム様から御曹司の身辺を警護し、きちんと王都に送り出すよう言われてきたんですわ。
……いやぁ、急に出発するんだもん、会えなかったらどうしようかと思いましたよ。
肝が冷えたぜ、まったく……
主命を果たせなかった家臣は、鬼より怖いバーダム様にボッコボコにされちまうんです」
「あ。そうなんだ……へぇ」
「あれ、御曹司ご存じないんですか?バーダム様がどれだけ恐ろしいか。
ゴッシュマ様よりもインテリみたいな顔してますが、ゴッシュマ様より手が早いんですよ!
……いやぁ、思い出しただけでもブルっちまうぜ、全く」
コイツよく喋るなぁ……
妙な所で感心した俺は、気が付けばコイツの口車に乗せられ「あ、じゃあよろしくね……」と答えてしまっていた。
すると奴は「立派な船に乗った気持ちで、安心してお任せください!」と言って胸を叩く。
……なんだろ、不安を掻き立てられる。
その船、泥で出来たりしないよね?
そう思っていると、喋り続けるオーモンの隣にいたハルダンが「ああっ!」と、驚愕した表情で叫び出す。
すると慌てたオーモンが言った。
「なんだ!いきなり大声を出しやがって。
御曹司に恥をかかせるつもりか!」
すると次の瞬間、悲し気に顔をクシャクシャにしたハルダンがオーモンに土下座して言った。
「兄貴済まねぇ、路銀(旅行費)を置いてきちまった」
「なんだと!
あのお金はバーダム様から預かったお金だぞ!
それを無くしたというのかっ」
「済まねぇ、兄貴っ!」
「済まねぇじゃねぇ、これがバーダム様にバレたら俺達は皆殺しにされるんだぞ!
ああ、どうしよう……渡し賃のお金も、これからの宿の代金も全てがパァだ。
これで俺達はバーダム様に殺される、ああ……」
二人はそう言うと抱き合ってオイオイと泣き始める。
『…………』
何が何だか分からないが、目の前の超展開に思わず動揺する俺とワナウ。
やがて泣き腫らした顔に決意を漲らせ、オーモンが腰のダガーを抜いた。
『…………』
思わず俺も腰のダガーに手を添える。
襲ってくるなら、こいつを返り討ちに……
「御曹司、このダガーで俺達をこの場で殺してください……」
「はい?」
オーモンはそう言うと俺に頭を下げ、自分のダガーの刃を持って、俺に柄を差し出した。
隣でハルダンが「兄貴!死んじゃ嫌だっ」と言って、オーモンの肩に頭を乗せる。
「ハルダン、これしかねぇんだ。
バーダム様の命令を果たせなかった。
もしこのままガーブウルズに戻ったら、俺達はむごたらしい目に合って惨殺されてしまう。
俺もアイツらみたいにむごたらしく嬲られて殺されるのはごめんだ。
だったらせめて……
優しい御曹司の手に掛かり、一思いにブッスリと刺された方がまだマシってモンだ……」
「兄貴ぃ……」
ざわざわとざわめく俺の周囲、誰かが「可哀想に……」とか「助けてやらねぇのかよ……」と囁き声で話し合う。
あれ、今や俺が薄情者みたくなってない?
やがてオーモンは真っ赤に泣き腫らした目を俺に真っ直ぐ向けると、ダガー差し出したアノ姿勢のまま言った。
「御曹司……心臓は左にあります」
いや、刺さないよ。むしろ刺せないだろ?
俺は途方に暮れてワナウの方を見た。
するとワナウは「はぁ……」と溜息を吐いた。
辺りを見回すと、船に乗り込もうとする客も、脱走する子供達を捕まえる役の教育者も、全員が俺の方を見つめている。
客の一人の見知らぬおばちゃんに至っては「かわいそうよ、可哀想よ……」と、路銀も差し出さずに聖人みたいな顔で呟く。
……まぁ、良いけどさぁ。
とにかく大量のギャラリーに囲まれ、ワナウは渋い顔をしてこう言った。
「旅費は何とか持つと思います。
連れていかれますか?」
俺の事を御曹司と呼び“狼の家”を引き継ぐと、デカい声で言ったのだ、周りの人間も俺がゲラルド・ヴィープゲスケだと気が付いている。
そんな訳もあり、こいつらを追い返してバーダムに殺されたら俺の評判が地の底に落ちそうだと思った。
……なので仕方なくこう呟く。
「うん、そうしようか……」
これ以上見世物にされるのは嫌だった……
それを聞いて息を吹き返したのが目の前の男である。
「御曹司、本当ですか?」
先程までまるで悲劇のヒロインのようだったオーモンが身を乗り出す。
「え、良いんですか?」
「ダメって、言えないでしょ?」
俺が改めてそう言うと、彼は先程とは打って変わり、キラキラとした目で俺を見つめる。
急ぎ俺は注意を授けようと口を開く。
「あ、うん。でも……」
「やったぜハルダン、ゲラルド・ヴィープゲスケは若くして大人物の風(格)がある!
流石俺達の御曹司様だぜぇ!」
『…………』
勢いに飲まれ、王都に着いたら、お金返してね……と言いだせなかった弱い俺。
こうして俺達は4人組になった。
だからいきなり、先程オーモンとハルダンが居たのである。
と、言う理由もあり。
本来俺はワナウとそれぞれ個室にしようと計画していたのだが、大部屋を用意する羽目になった。
……単純に旅費が足りなくなるからである。
全くなんて奴らだと、俺とワナウは憤慨した。
ところがそれを知ってか知らないでか、この二人は妙に調子が良い。
愛嬌もあって、剣士なのに物腰も優しい彼等は瞬く間にワナウの機嫌を良くし、出会って1時間後にはワナウが親し気に肩まで叩いていた。
……この二人、なんて高いコミュニケーション能力なんだろう?
タフに世の中渡っていくのに、必要な技術の持ち主なのかもしれない。
とは言えだ……
前の人生向含め、過去出会った奴の中で最も胡散臭いのがこいつらだと思った俺は。
警戒してそれとなく距離を置く。
ところがこいつらは、そんなのお構いなしでズカズカと踏み込んできた。
◇◇◇◇
……先程の話に戻る。
「ちなみに御曹司、さっきから何を悩んでいたんですか?」
俺が剣技のモーションをスケッチした蝋板を前に唸っていると、オーモンがそう言って話しかけてきた。
「この技はきっとある筈って、思っている技があるんだ。
だけどどの教則本に無いし、どうしたもんだろうか?」
彼等はなんやかんやあっても、同じゴッシュマを師として剣を習う剣士の一人である。
二人とも確か武装免状を持っていた筈だと思った俺は、剣について意見を求めた。
するとオーモンは、キリッとした目をして大きく頷き、剣士らしい表情を浮かべ、こう言った。
「だったら答えは簡単です」
「ほう?」
「そんな技は無いんです。
だから別の技を学びましょう!」
……コイツ、ドヤ顔でクソな発言しやがった。
脳みそが無いんじゃなくて、プリンで出来てやがる……
すると隣でハルダンが、何度も頭を縦に振ってこう口をはさんだ。
「御曹司、悩んだら素振りしましょう、素振り!
ゴッシュマ様はいつも『テメェらは馬鹿なんだから、考えて無ぇで野生のままに剣を振れ!』って言ってくれます。
幾つかの型を教えてくれたぶっ通しで、3日3晩体が覚えるまで素振りやるんですぜ。
アレなら俺でも覚えられるんだなぁ」
おぅふ、兄弟子ハルダン。
凄いけど要らない……ソレ。
「まぁまぁ、坊ちゃま。
彼等の言う事も一理あります。
頭が煮詰まってしまったなら、素振りをしたり、別の事でも考えましょう。
それが思いのほかいい結果を生むことだってありますから」
ワナウがそう言って、俺に夕飯を勧めた。
なので俺も考える事を辞めて、目の前の食事に専念する事にした。
レナ川を渡って食べた最初の食事は、スープに微かなショウガの匂いが漂った。
……文明の香りだ。
オーモンとハルダンは別のテーブルで食事をとり始め、そしてワナウと俺は同じテーブルで夕飯を食べる。
やがてワナウが言った。
「坊ちゃん今回本当に70000サルトも出資してくれるのですか?」
「いきなり何……
今度のワナウが作る会社の話?」
「ええ」
「もちろんだよ、市内を走る短距離の乗合馬車は良いアイデアだと思うよ。
有名な商会の会計役を3年務めている、弟さんが経営者になるんだっけ。
で、ワナウが御者として馬車を走らせるんだよね。
一度弟さんに会ってみないと分からないけど、面白いアイデアだと思うよ。
庶民街から魔導大学までのルートなら、一律3サルト。
ただし100サルトを納めた人は、一か月期限の、無制限乗車券を手に出来るって凄いよね」
これがワナウの作る、新しい乗合馬車のサービスである。
初めて聞いた時、市内バスかよ!と思ったが、でも確かにこれならニーズがある気がする。
これまでこういうサービスはこの国には無かった。
更に面白いのが、今回バス停までもきちんとある事である。
なんと弟さんが、集まりが悪い下宿屋や商店主を口説き落とし、その店の前にバス停を置いたのだ。
こうする事で、下宿生へのいいアピールになると口説いたらしい。
……ちなみに正式名称はバス停ではなく、停留所である。
だから次からは停留所と呼ばせて貰う。
「馬の委託飼育先も旦那様にお願いできましたし、あとは馬の水飲み場の設置です。
まだまだ仕事は山積みですが、お金を弟に届けたら、後はトントン拍子に進む筈です」
「凄いね、弟さん……
営業も会計も出来るなんて、相当優秀じゃん」
「アハハハっ。
そうなんですよ、私に似ないで本当に優秀ですよ。
ただしこのアイデアは元々、別の人のアイデアだったそうで、弟はそれを拝借したみたいですね。
……今回弟も務めていた商会を抜けて独立する訳ですが、相当揉めたそうです。
ただこれまでその商会が扱っていた銀商品に一切手を出さないことを条件に、退職できました。
ここからです、勝負は……」
そう言ってワナウは、張り詰めながらも希望に目を輝かせて微笑んだ。
……いい顔しているなぁ。
「俺もパパやお兄様に頼んで、支援してもらえるように頑張るよ。
大学の敷地に、馬車の停留所を作れるかどうか尋ねてみるね」
俺はそう言ってワナウに微笑んだ。
こんないい顔している彼を応援したくなる。
それに俺も出資者になるのだ。
今回ワナウがガーブで2年間雪かきをしながら、貯めたお金は70000サルトになる。
金貨に直すと70枚だ、2年間彼が貰ったお金が、金貨で合計120枚だから彼は爪に火を点す思いで貯金をしていた事になる。
今回俺はそれと同じ金額出資する事にした。
実は俺の懐は豊かだ、毎月パパからお金は貰っていたし、それとは別にバームス親分から仕事も貰っている。
加えて嫌いなライオ・フレルから貰った“母無し子”討伐の懸賞金もあった。
色々散財もしたが、基本遊ぶお金があっても遊び場が無いガーブウルズで、無駄遣いなんて出来るはずも無く。
俺はこうして出来た蓄財を惜しげも無く、今回ワナウに渡すことにした。
それにワナウがヴィープゲスケ家から辞去するにはいいタイミングだと思う。
これは俺の勘だけど、パパはワナウとママとの関係を疑った後、ワナウに対しては難しい感情を持っている気がする。
……パパの事だからきっと表には出さない。
だけども俺は家族だから、パパがそう思っていると、何となく確信している。
だからワナウが男爵家の仕事をしなくなる事に、多分否は無い。
放って置いても冷遇される未来が待っているだろう彼の為にも、独立は決して悪いモノでは無い筈なんだ。
……たぶんワナウは、パパからそう思われているなんて知りもしないだろうけどね。
何とかワナウにとっていい結果になってほしい。
そう思ってテーブルの上に目線を落としていると、ワナウが不意に声を上げた。
「あ、そう言えば坊ちゃん。
お願いしていた絵はどううなりました?」
「うん?
ああ、あの絵ならもう描き上げたよ。持ってくるね」
俺はそう言うと席を立ち、自分のカバンの中から、一枚の羊皮紙を取りだした。
受け取ると、無言のまま広げたワナウ。
広げた羊皮紙には、デフォルメ化されたペッカーが横線を引きながら高速で飛び、その横線上にW・COの文字が書いてあるマークが書いてある。
「これを馬車の幌に描くんだよね?」
「そうです!
因みにW・COと言うのはどういう意味ですか?」
「ワナウ商会って意味だよ、外国語の略字なんだ。
ワナウは社長じゃないけどオーナーになるんだ、この社名できっと罰は当たらないよ。
嫌だったらここの文字は変えても良いよ?」
「へぇ、外国語ですか!
坊ちゃんは博識ですね……
坊ちゃんの絵って、妙に面白いんですよね。
なんと言うか見た事が無い様な、有る様な絵で」
「まぁ、俺の絵は漫画だからね」
「まんが?」
「ううん、なんでもない。
個性的で下手な絵って事さ」
そう言いながら自分の絵の評価が気になる。
すると俺の絵を見るワナウは満足そうに微笑んだ。
俺も“ほっ”と一安心、正直剣の試合をするよりも緊張する。
そんな俺に、ワナウが絵を見ながら言った。
「私は上手い下手は分からないのですが、可愛らしくて躍動感がある、良い絵だと思います」
「そう?ソレは良かった……」
ワナウは俺の絵を褒めてくれた、それが嘘でも嬉しい。
やがて俺のポケットからひょっこりとペッカーも顔を覗かせ、絵を見る。
コッチは「げぇ―げげ(似て無いじゃねぇか)」と呟いて、再びポケットの中に隠れた。
……そっくりだと思うんだがなぁ。
◇◇◇◇
―3週間後
特に道中これと言った騒動も無く、楽しい旅の仲間と共に、俺達は乗合馬車を乗り継いで、王都に帰ってきた。
この街は門の外で乗り合いの客は降りるのが法で定められており、門番で入市のチェックを受けてから門の中に入る。
因みに今回は門番が俺の顔を覚えていたので、前回の様なトラブルも無くフリーパスだ。
徒歩で門をくぐると、ワナウが早速俺に声を掛けた。
「坊ちゃま、貴族街に行く前に庶民街の実家に行ってもいいですかね?」
「うん、良いけどどうしたの?」
「実は物件を抑えている業者に、お金を支払うのを待たせてまして。
出来るだけ急いでお金を弟に渡してやりたいと……」
成程、待ちたくないんだね……
別に俺の実家に帰ってからでも良いだろ!
……と、言う事も出来たが、俺自身も今度出資する、ワナウの弟と言う男に興味がある。
と、言うかどんな人間なのかも確認しないで出資する事に、今更不安を覚えてきたのだ。
何度“早まった!”と思ったか分からない。
勢いって恐ろしい……
そこで「じゃあ、俺も行くから案内してよ」と答えた。
ワナウも俺が同行する事を歓迎し、そしてあのふざけた連中も含めて、皆でまずワナウの家に行く事が決まった。
……こうして歩く王都の庶民街。
通りには様々なアクセサリーや、小物類。
おしゃれな文房具や、本などを販売しているお店が立ち並ぶ。
楽しいお店がいっぱいで、久しぶりに見た俺も、流石王都はガーブウルズとは違うと、はしゃいでしまった。
そしてその振舞いが、隣に居るあの“例の二人”の野生を解放してしまう。
「ぬうぉぉぉ、すっげぇー」
「ハルダン見ろ!まるで絵画の中から抜け出た様な別嬪さんだぞっ」
俺の隣で、オーモンとハルダンが、タダの通行人を見ては大騒ぎする。
……はしゃいでから言うのもアレだけど、なんて迷惑極まりない連中だろう。
「恥ずかしいから止めろよお前ら!」
流石にワナウが、実家の傍で騒がれるのを嫌って叱りつける。
しかしここでめげないのが、こいつ等だ……
奴らは目をキラキラ光らせながら、ワナウにこう尋ねた。
「ナーさん(ワナウの愛称)、こんなところで育ったんですか?」
……他人の話を聞いて無いな、こいつ等。
ワナウは少し不機嫌そうに「ああ、そうだ……」と答えた。
それを聞いてこいつらが早速ヨイショする。
「うはぁ、こんな素晴らしい町がこの世にあったなんて……
ナーさんが羨ましいよホント」
「まったくだぜ、だからナーさんはいつも素敵なナイスガイなんだな!」
なんだろ、素敵な笑顔だ。
不思議とこいつ等の笑顔を見ると、怒りが消えていく。
ナーさんことワナウも俺と同じらしく、先程の怒りも忘れて、楽しそうにこう言った。
「なんだ、この街に住みたいのか?」
そう言うとオーモンが残念そうに呟いた。
「仕事があったらなぁ……」
「だったら俺の所で働くか?
馬車の操縦が出来ればいいぞ」
ワナウはよせばいいのに、そう言ってこいつらを勧誘する。
聞いた瞬間オーモンは「マジですか!」と言って嬉しそうに飛び跳ね。
横で聞いていたハルダンも目を輝かせてワナウに「俺も雇って!」と言ってその手を取る。
ワナウは鷹揚に頷いて彼等を迎えると約束した。
それを聞いて焦ったのは俺だ、俺は急ぎワナウに声を掛けた。
「ちょ、ちょっとワナウ!
彼等はグラガンゾ家に仕える兵士だよ?
ゴッシュマの許しも無くそんな事したら……」
俺がそう言うと、オーモンがバッと俺に頭を下げ、次に片膝をついて俺を見上げてこう言った。
「御曹司、私を許してください……」
え、何?どういう事……
「オーモン、なんで最敬礼してるの?」
すると次の瞬間オーモンが両目から大粒の涙を流しながら言った。
「私は、私は罪を犯しました……」
「警察沙汰?」
3週間一緒に居た事で、コイツが最高のクソ野郎だと分かってきた俺は、努めて冷静な声でそう尋ねた。
……俺は、奴にどんな地雷があっても驚かない。
すると彼はことさら悲しそうな顔でこう言った。
「いえ、警察沙汰ではありませんが、もっと恐ろしい事をしました。
それは、ガーブの未来を指し示す、御曹司を欺いたという罪です……」
背筋にゾワッとした寒気が走る。
笑わせに来たのか、それともいつもの様に口八丁で奇跡を興しに来たのか……
たぶん奇跡の方だろうな。
俺はワナウの顔を見た。
奴は……悲しそうな顔で大きく頷く。
……それは何だ?
「御曹司!わたしの告白を聞いて下さいっ」
ワナウへの視線を切る様に、オーモンが大きな声で言葉を掛けた。
段々と通行人の視線が集まる。
俺は周囲のその様子に耐えかねて、オーモンに慌てながら言った。
「ま、待って。ここじゃなくてもっと静かな所で……」
「優しい御曹司、私はもう大切なあなたに嘘をつくのが耐えられない!」
「だ、だから静かなところ……」
「許してくれますか?」
「許すとか許さないじゃなくて!」
「私はあなたに嫌われたら死ぬしかありません」
「ええっ?」
「御曹司、心臓は左です」
「知ってるよ!とにかくこっちに来いっ」
そう言って俺はこのはた迷惑な連中を連れてワナウを急かしての実家へと向かう。
「ワナウ急ごう!」
「わ、分かりましたコッチですっ!」
早歩きで見物人から逃げ出す俺達、急ぎ路地の向こう側へと足を踏み入れる。
こうしてしばらく歩くと、お店は絶え、代わりに馬の姿をよく見るようになってきた。
「オーモン、話はワナウの家で聞くから今は黙っててくれないか?」
イライラした俺がそう言うと、オーモンは殊勝な表情で「はい」と言って黙った。
以後オーモンとハルダンは大人しく、俺とワナウに従って歩く。
こうして言葉少なめに目的地に向かって歩いて行く俺達。
ワナウの実家は騎士街近くの、馬丁達が住む場所だった。
その町は、馬の匂いがプンと立ち込める。
道の途中では、馬が使う水飲み場が設置されており、可愛い馬が耳をピクピクさせながらこっちを見ていた。
「実はうちの父は、坊ちゃまのお爺様にお仕えしていたんです。
男爵様は昔騎士家の方だったので、昔まだ騎士だった頃ですね」
ワナウが道すがらそう言って自分の家のルーツを説明してくれた。
俺もワナウが語るヴィープゲスケ家のルーツが面白く、ついつい聞き惚れる。
これまでも我が家が騎士家だったと言うのは何度か聞かされたことがある。
ところが俺が生まれた頃には、すでに男爵家だった。
なので、これまでそれがかつて騎士家だったと聞かされても、それがどういう感じなのか分からないままだった。
でも馬丁が集まる庶民街を歩くと、不思議とそんな昔が妙にリアルに感じられた。
……不意に、目の前で小姓を連れた騎士が、肩で風を切って、目の前の道を通り過ぎて行く。
それを見ていると、かつて騎士だったと言うパパや祖父の姿が、空想の中で再現されるのだった。
そんな俺の目の前に広がる、華やかさから遠い馬丁の町、そしてそこから見上げる騎士街の壁。
騎士街はこの先にある屋敷とまではいかないが、立派な家の立ち並ぶ区域でここからもよく見える。
少し高低差があるところなら、此処からでも家の詳しい装飾までも見えた。
騎士街を見上げる俺にワナウが静かに語りかける。
「男爵様が駆け落ちした時に、父は出仕を辞めてしまったそうです。
あの時ヴィープゲスケ家は、ほぼ断絶状態にありましたし。
父もマウーレル伯爵の家来に散々嫌がらせを受けたと聞いてます。
後にシリウス様のおかげで和解でき、その補償として仕事を貰えたそうですが。
私が子供の頃は貧しかったなぁ……」
そう言って懐かしそうにワナウもまた、騎士街を見上げる。
そうこうしている内に、立ち並ぶ一軒の家の前にワナウは立ち、そして俺とオーモン、ハルダンに向かって「ここが私の家です」と言って中に入った。
「さぁ皆さん、どうぞ」
こうして中に入った俺達。
中は馬の鞍や、鐙、蹄鉄、それを治すハンマーなどが転がっている。
中に入るなり、俺達は早速それらを興味深げに触れたり、持ったりしていた。
「兄さんおかえり」
やがて、奥からワナウとは似ても似つかない、まるでドーベルマンみたいな男が現れる。
……逢った瞬間狡そうで、お金が好きそうな男だと思った。
「兄さん、お金は?」
「ああ、ここにあるよ」
「そうか、助かるよ!
これで事務所が借りられる。
それはそうと、隣の人達は?」
弟さんがそう言うと、ワナウが俺達を紹介した。
「こちらがヴィープゲスケ家のゲラルド様」
紹介を受けた俺は「よろしく」と言って手を差し出した。
「なんと男爵様の御身内の方でしたか。
初めまして、ベダン・ラスクと申します」
そう言うと弟さんは恭しく俺の手を取り、手の甲に口をつける。
それ見たハルダンが「御曹司カッコいいっ、うっひゅうー」っと……
お前、遂に俺に礼儀を払わないままココに来たな。
まぁ、ガーブの連中にそれを期待した事は無いが……
「そして隣に居るのがガーブから一緒に旅をした、剣士のオーモンとハルダンだ」
ワナウはそう言って、残る雑草二人の紹介をした。
するとオーモンがキリッとした目で言った。
「まだ年齢は若いですが、境界争いには何回も参戦してます。
人も3人ばかりは始末したんで、舐めた奴が居たら言ってください。
必ず敬意を払わせてやりますよ!」
無意識のうちに俺は奴の頭をスパーンと叩いて「どんな自己紹介だ!」と叱った。
すると横で聞いていたハルダンが「だったら俺は二人……」とのたまいかけるので、こいつも頭を叩く。
するとオーモンが悲しそうな顔で「御曹司、調子が出ないのでやめてくれませんか」とハッキリ……
お前、大物かっ!
「アハハハ、これは面白い!
兄さん、この人達も会社で働いてくれないかな?」
すると待ってましたとばかりに、オーモンが言った。
「ぜひとも雇って下さい!
俺達はその為にここまで来たんですから」
聞いた俺はビックリである。
思わずワナウとオーモンの顔を見ると、ワナウは全てを分かっていたようで、静かに頷く。
そしてオーモンは俺の手を取ると何度も手の甲に口をつけて言った。
「すべてを告白します!お慈悲を……」
俺は急いで手をひっこめると、それをハンカチで拭きながら「分かったから早く教えてくれ、どういう事だ?」と尋ねた。
するとオーモンは「話は長くなるのですが……」と言って、話し始めた。
本当に話が長くなったので短くして説明すると。
生まれてこの方ガーブしか知らない二人は、元々旅人から聞く、王都の華やかな暮らしに憧れを抱いていた。
やがて狼の家の若造である俺が、領主であるバルザック家の親類であり、狼の家の後継者の最有力候補だと知る。
しかも王都出身、そこで仲良くなって俺に王都の事を教えて貰おうと思った。
彼等は、同じゴッシュマ門下なので近付こうとするが、ゴッシュマやバーダムに叱られて近くに行けない。
そこでバームスに相談。
……出たよ、バームス親分。
アイツ碌な事に首を突っ込まないのな。
この日にレナ川を渡る筈だから、そこで捕まえて連れて行ってもらえばいいんじゃない?と要らぬアドバイス……
死ね!バームス、死ねぇ!
ところが普段から酒と女にお金を使うこいつ等は、貯金が無く、路銀も無い。
ならばどうするのか……
そこで俺にお金を出してもらえるよう一芝居を打って……
犯罪者共めぇっ!
「……あ、そうですか」
もうここまで連れてきてしまった俺は、そう言ってがっくりとうなだれてしまった。
田舎者に騙されると言う、知人には決して言えない体験をしてしまった……
もしこいつらを訴えたら、俺は貴族世界で重ねて恥をかくだけだろう。
そんな俺の苦悩を知ってか知らないでか、オーモンは自信満々に言った。
「ですが俺達もゴッシュマ門下、剣士として本当に武装免状も貰った剣士です!
まぁ、マスターゴッシュマに出会うまでは、色々な師匠に追い出されましたがね」
「あ、黙ってくれない?
その情報はいらない……」
……なんてことをサックリ伝えるんだコイツ等。
なるほど、グラガンゾ家はそのままガーブでも指折りの野良猫軍団だったのね。
他で使えなかった連中を預かって、戦える集団を作っていたらしい。
……ゴッシュマめ、お前は100円ショップの店長か!
フリーペーパーを見て集まった、数々の強者たちを思い出し、懐かしさと眩暈に襲われるわっ。
……前の人生で、何度人事を握る、部長の決断を恨んだか。
まぁいい、とにかくゴッシュマと連絡を取って……
「ですが御曹司、ご安心ください。
もし御曹司が連れて行ってくれるなら、バーダム様も付いて行って良いと言ったので」
ハルダンが、こっそり二人を引き取ってもらおうと考えた、俺の心を揺する様な事を言い放つ。
俺は思わず素っ頓狂な声で「え、なんで?」と尋ねた。
するとオーモンが自信に満ちた声で言った。
「たぶん御曹司がダメだと言うと、バーダム様は思っていたんじゃないですかねぇ?」
ブゥワァァァァダァァァム!
バーダム・グラガンゾぉォぉっ!
まともな顔してトチ狂った事ぬかしてんじゃねぇぇぇっ!
俺に投げるなぁあぁぁあぁぁぁっ!
何故かこの時、ありありとバーダムとこいつらのやり取りが、脳裏で映像となって思い浮かんだ。
都合が悪くなると平気で嘘をつくわ、妙に自信満々、ついでに厚かましくて、朗らかで憎めないこいつらは、究極的にはアルバルヴェ語が通じて無いという欠陥があり、それにくたびれ果てたバーダムが、たぶん投げ槍にそう言ったのだ。
……もちろん想像ではだけど、多分これが正解な気がする。
「だから俺達、此処で働くしかないんです!」
「へ?なんで……」
「だって路銀だけで50000サルト(金貨50枚)もかかったじゃないですか。
俺等貧乏なんで無理です!」
うーん、そう来たかぁ……
でもね、それ4人分の旅費だからね。
一人当たり金貨で10枚ぐらいで行けるのよ?
野宿すればもっと安く行けるのよ?
と、言いたかったけど黙りこくった……
正確に言うと精神攻撃を食らいすぎて何も言いたくない。
俺は「そうなんだ……」とだけ言うと。
ワナウにポケットの中にあった金貨70枚を渡して「ワナウ、またここに来てもいい?俺今日は家に早く帰りたい……」と告げた。
もう、こいつらの顔を見たくない。
ワナウはそのお金を弟に渡すと急いで俺に駆け寄りこう言った。
「分かりました、後で公正証書を作りましょう。
それと今度からみだりに人を信用してお金を渡したらダメです、必ず証文なり、証書を取ってから渡してください」
あ、そう言えばそうだな……
そう思ったが、次の瞬間俺は首を振って答えた。
「大丈夫だよ、もしワナウが詐欺師だったら、ヴィープゲスケか、聖騎士流の剣士に頼んで始末するからさ……」
言った後で(あ、そうじゃない)と気が付いた俺は急いで訂正してこう言い直した。
「大丈夫、ワナウを信じているから……」
するとワナウは難しい笑みを一つ浮かべてこう言った。
「坊ちゃま、誠に言いにくいのですが……」
「なに?」
「本音と建て前は、逆の方がよろしいかと……」
……あ、ああ。
「ああ、うん……」
『…………』
こうして黙って俺を見つめるワナウ兄弟。
何を言っても信じてもらえなさそうである。
俺はこうしてこのヘリウムで出来た重しの様な、アホ剣士二人と別れ実家に向かう事になった。
アホ剣士はそのまま浮かれ上がって、そのままお空のお星様になってくれないだろうか?
そう、願った……神に。
実家は貴族街にある大邸宅である。
かつては当たり前のように見ていたが、庶民街を見た後だと、パパの力の凄さに改めて気づかされる。
広い庭を歩くと、庭師やたくさんの使用人が俺に「おかえりなさいませ!」と声を掛ける。
俺も「ただいまっ」と返事を返して中に入る。
やっぱり家は良いなぁ……ガーブとは違うふんわり柔らかな気配が心地いいよ。
この様に温かい歓迎の中で家に入った俺を、玄関ではママが使用人を従えて待っていてくれた。
俺は早速出迎えてくれたママに抱き着き「ただいま帰りました」と言って帰宅を告げた。
……ヤバイ、涙がこぼれる。
そしてこの時。
何故か“母無し子”の、死ぬ間際の顔を思い出した。
そんな俺を抱きしめながらママは「大きくなって、グスッ……」と鼻をすすった。
やがてママは俺を離し、そして俺を見ると涙で瞳を光らせながら微笑み言った。
「無茶な事ばかりして……背丈も私と変わらないじゃない。
傍に居なくてごめんなさいね……」
「そんな事無いですお母様、ガーブで修行を終えてきただけですから」
俺はそう言ってママに微笑んだ。
ママは俺を連れてどこかに向かって歩き始めた、そして申し訳なさそうな顔でこう言った。
「ラリー、お父様は今、陛下が視察旅行に出かけて、その随行員を務めているからいらっしゃらないからね。
一応“白銀の騎士”までには帰って来るはずだから、挨拶はその時にしましょうね。
それと、言いにくいのだけど、離れに在った貴方の部屋はもう無いの。
だから荷物はこっちの本館の方にあるわ」
「知ってる、姉さん達のせいでしょ?
別に良いよ、また僕の部屋を作ってくれるんでしょ?」
「ええ、それは……男爵様に聞いて下さいな」
ママは歯切れも悪くそう言うと、パパの執務室に俺を案内した。
ママはその部屋の前で俺に言った。
「ラリー、この部屋の中で何を言われてもあなたの兄を恨んではいけませんよ。
いいですね?」
「え、どういう事です?」
俺がそう尋ねると、ママはそれには何も答えず部屋の扉を開けた。
執務室にはお兄様が立っていて、俺にやや緊張感がある笑みを浮かべていた。
俺はその笑顔に促されるまま、静かに入室した。
そしてお兄様と抱き合い、再会の挨拶を行うと、早速応接用のソファーに腰かけるよう促される。
俺が座るとお兄様はその眼前に座ってこう切り出した。
「随分と大きくなったな、ラリー」
「はい、お兄様も男爵様らしい風格をお備えになりました」
「私が?アハハハ、それは嬉しいな。
話は聞いているよ、随分と活躍しているみたいじゃないか。
ちなみに私が教えた勉強は、ちゃんとやっているかな?」
うげっ、してないとは言えないぞっ!
「もちろんですよ、嫌だなぁお兄様……」
どこまで知っていらっしゃいますか?
勉強、完全にさぼっておりますが……
俺が必死になってお兄様の目を覗きこんでいると、彼は“全て知っているんだぞ”と言いたげに「ウフフフフ」と笑う。
「まぁでも、お前は勉強よりも体を動かす方が好きだからな。
ソッチで身を立てたら良かろう。
ヴィープゲスケ家は元々勉強を得意としていた家だが、そうでない子が出てもおかしくは無いしな。
子供の頃からお前はヤンチャだったしなぁ」
「いやぁ、お兄様には隠し事は出来ないですねぇ」
俺がそう言って下手に出ると、彼は面白そうに笑って俺の頭を撫でた。
……兄は本当に風格のある男に育ったものだ。
振舞いの一部始終に、親しみと洗練、そして威厳を感じさせる。
彼はそのまま微笑みながらこう言った。
「ラリー、お前は“男爵に、剣でなる!”と言ったらしいじゃないか」
「え?いやそれは誤解です。
僕はなるとしたら、剣でなると……」
俺がそう言うと、彼は微笑を消して「言い訳を言うなラリー」と静かに言った。
思わず黙る俺。そんな俺に彼は言った。
「ラリー、政治状況が混沌とし始めた。
もしかしたら戦争が始まるかもしれない、そうなればお前が望んだように、剣で男爵になる事も夢ではないんだぞ」
「え、どういう事です?」
「この国から北のエルドマルク王国に船で渡り、そこから東に行くと低地地方に出る。
此処がエルワンダル地方なのだが、ここがダナバンド王国に併合された。
だが税収面でもヴァンツェル・オストフィリア国に貢献した、フィロリアでも特に豊かな地域だ。
皇帝も諦めるとは思えん。
それにだダナバンド王国は長らく、我が国に干渉をしてきた敵国でもある。
そこで今回外交革命が起きようとしているんだ……」
「どんな?」
「まず我が国にヴァンツェル・オストフィリアから姫が輿入れする事が決まった。
次の王妃は皇女様だ。
そしてマルティ―ル同盟盟主のエルドマルクより王女がヴァンツェルに輿入れする。
実はエルドマルクの王妃は、王太后様の妹なのだ。
そして将来的には、王太子様にお子様が生まれ、その方が女性でかつ成人されたら、今度我が国からエルドマルクの時期王位継承者に嫁ぐことになっている。
……つまり、なりふり構わず、対ダナバンド同盟が結成されようとしているのだ」
事のデカさに、思わず黙る俺。
そんな俺に兄は言った。
「ラリーこの事は誰にも言うな。
今ここで秘密を誓え」
「分かりました、今この場で聞いた事を誰にも言わないことを誓います。
女神フィリアは誓約を見守り下さい……」
フィロリアの地では女神フィーリアに誓いを立てると言うのは非常に重い事である。
もしそれを破ればたちどころに天罰が下ると、恐れられていた。
だから兄は俺がフィーリアに誓いを立てると、満足げに頷いてこう言葉を続ける。
「よし……それで、我が国としては時が来たらこれまでの怨恨を忘れ、ヴァンツェル・オストフィリアと協力する事になった。
で、だ。お前のこれからなのだが……
お前には二つの道がある。
戦争がはじまるとなれば、やはり軍属への道を開くのが良いからな。
どっちの道も、軍人への道だ。
だがその前に一つ聞かなければならない。
ラリーこのまま、この国に居続けたいか?」
そう言うと兄は俺の目を覗きこむ。
意味が分からず、答えに窮した俺は「どういう意味ですか?」と尋ねた。
……兄は言った。
「もしこの国に居続けたいなら、今度の“白銀の騎士”は、優勝を諦めろ」
「え?」
明日も深夜12時から1時の間に次話をアップロードいたしますので宜しくお願い致します。
誤字報告ありがとうございます。システムにて適用し修正しました。
あらためて感謝を述べさせていただきます。
ここ最近2週間に2本のペースで更新となり申し訳ございません。
新章になったら一週間に一本ペースにしたいと思いますので宜しくお願い致します。




