俺は、声無き悲鳴を上げたんだ……(後)
思わず面食らった俺に、兄は押しつぶすような鋭い目で言った。
「聞こえなかったか?
殿下に勝利を譲れと言っているんだ……」
俺は動揺した、口が勝手にワナワナと震えだす。
「どういう事ですか?
俺は優勝を目指して2年間も修行を……」
「それは知ってる。
大変な努力を重ねたそうだな、練習のし過ぎで疲労骨折までしたと聞いた。
だけども、今回王家はフィラン王子の優勝を望んでいる。
実際殿下はセルティナで、10歳以下では一番の剣士だ。
……王も優勝を楽しみにしている。
王家から“白銀の騎士”を輩出すれば、建国以来初めての事になるしな」
だから何だ……と言いたかった。
だけども他の人には食ってかかれても、流石に兄にソレは出来ない。
俺は黙って彼と俺の間に横たわる、テーブルに目を落とした。
俯く俺に、兄は言葉をかける。
「ラリー我々貴族は王家の家臣なのだ。
特に我が家は王家から、特別に目を掛けて頂いている。
そんなヴィープゲスケ家から、王子の体に傷をつける様な人間を出す訳にはいかない。
聖甲銀の鎧なら、別の機会でお前に用意してやる、だからお前は負けろ」
「……もし断ったら、この国に居られないんですか?」
「……そうだ、もう一つの道を選ぶことになる。
お前の叔父にドイド・バルザックと言う男が居る。
聖地の聖騎士を務めている男だ。
……昔会った事があるんだが、覚えているか?」
俺は昔、ホークランと一緒にやってきた叔父さんの顔を思い出しながら「覚えてます」と兄に答えた。
兄はそれを聞くと頷き、そしてこう言った。
「そうなったら小姓の引受先はドイド様にお願いするしかない。
つまり聖地で修業と言う事になる。
将官になるには、まずどこかで小姓になって、腕を磨く必要があるからな……
騎士になるにも、そこからだ。
王子の栄光に立ち塞がるような事があれば、流石に王党派貴族もお前を抱え込む事は出来ない。
ましてや合議派の大貴族にお前を渡すなんて、私は決して許さない……
分かるな?ただ試合に出て全力で戦えばよいと言うモノではないのだ。
殿下はお前と本気で戦う事を希望している。
だが、殿下はまだ若い、世の中の仕組みが分かっていないのだ……」
どうして?そう思って俯き続ける俺。
兄の目を見ずに、その言葉を聞いていた。
胸の内で修行の痛み、そして“母無し子”との戦いで覚えた様々な葛藤。
……その思い出が反芻する。
自分の2年間は一体何だったんだろう?
ただガムシャラに剣を振れば良いと思っていた。
勝つために努力も苦労も厭わなかった。
その為に払われた、これまでの努力と苦労が今、無駄なものとなろうとしている。
……この大会に出る為に“狼の家”の同世代の少年剣士を倒してきた。
俺の大会への参加状は、そんな同世代の剣士達が流した、敗北の涙で贖われて手に入れた切符である。
彼等もこの大会に出たかった筈だ。
俺が兄の言葉を受け入れたら、そんな彼らが流した涙も、無駄になる。
頭が真っ白になる、何も考えられなかった。
兄とそれからどういう話をしたのか全く分からない、ただ「はい……はい……」と相槌を繰り返しただけだったと思う。
覚えているのは“結論は後日聞く”と言う事だけだった。
「ここにお坊ちゃまの荷物があります」
気が付いたら俺は、ウチに仕えて長い、執事のハラルドに案内されて、一つの部屋の前に居た。
部屋には見覚えがある。昔は使われていなかった物置だ……
ハラルドの手でその部屋の扉の鍵が開けられ、そしてそのカギを俺は受け取る。
「ありがとう、ハラルド……」
「気を落とされませんように。
男爵様も、こんな残酷な話をしたいとは思っていないのです。
ゲラルド様の立身の為です、目先の栄光よりも、大事な事があるモノですよ」
そう言うと親切なハラルドは微笑み、そして俺を残して立ち去った。
俺は彼を見送ると、物置の中に入った。
整理されてはいるが、物置は俺の私物で溢れ返っている。
狭い物置に押し込まれた、十分豪華と呼べる、男爵家の子供の調度品たち。
庶民街でまず見る事が無いであろう、リッチな俺の私物……
ここで俺のポケットからペッカーが顔を出し、そして調度品の一つに飛び乗ると俺に声を掛けた。
「げぇーげー、ぐわぁぐわぁぁぁ(どうするんだよ、随分と重たい話になってるが)」
「分からないよ、今聞いたばかりの話だもの……」
俺はそう呻くと紐で結束され、床に立っている本の束に腰かけた。
そして、顔を手で覆ったまま、独り言を呟いた。
「最悪だ……
この日の為に俺はあんなに辛くて痛い思いをしてきたのか……」
「げぇ―げー(良くある話だ)」
そう言ってペッカーが俺を慰める。
俺は心が空っぽだった、まさかこんな事が待っているなんて、夢にも思わなかった。
誰かがこの部屋に運び込んだ、俺の子供用の木剣を見て、涙がこぼれる。
チクショウ……チクショウ……チクショウ……
カリカリ……
この時扉を誰かが爪で引っ掻いた。
この音はポンテスだ。
俺は急ぎ扉を開けると、そこには丸々と太った猫が……
コイツ、出会った瞬間、俺に衝撃を与えやがった。
「ようネコ、お前幸せ太りか?」
「ニャ?お前出会った瞬間どうしたニャ」
俺はとにかく抱き上げて彼を撫で回す。
「会いたかったぞ兄弟、でも重くなったなぁ」
「あれ、やっぱりニャーは太ったかニャ?」
ネコは俺にしがみつくとそう言って「ワハハハ」と笑った。
一しきり猫と再会を喜ぶと、ペッカーもポンテスと遊び、俺達は久しぶりの再会を喜び合う。
やがて事情を知るペッカーから話を聞いたポンテスが、静かに俺に言った。
「どうするニャ?」
俺は首を振ってこたえた。
「分からない、正直どうしたいんだろうね?
自分でも自分の事が分からないよ……
ただ、どうしても色々と納得が出来ないんだよ。
それだけだ……」
俺がそう言うとポンテスは口を開いて何かを言おうとした。
その時だ……
「びやぁぁぁぁぁ、うわぁぁぁぁぁ!」
小さな子供の鳴き声が響き渡る。
その声を聴きポンテスが慌てだす。
「小僧!それよりもここの扉を開けてくれっ」
ポンテスを部屋に入れた際、俺は無意識のうちに扉を閉じたらしい。
ポンテスがそれを開けろと俺に要求する。
急ぎ扉を開けた俺。
すると、ネコは凄い勢いで飛び出した。
俺とペッカーは、そのままポンテスと一緒に部屋から出て、二階に向い階段を駆けるポンテスを追う。
やがてポンテスは、扉が開いている昔の俺の部屋に入った。
俺も中に入ると中には新しい貴公子が、格子付きのベビーベッドの上で泣き叫んでいた。
……ああ、この部屋も彼の物なのか。
そこに居るのは俺の弟のローゼス君だった。
泣き叫ぶローゼスの傍で、オロオロするお守り役の少女。
ポンテスはそんな少女を横目にウチの弟に近寄ると、前足でむにゅっとその柔らかい頬を押し込み……
え、何やってるのアイツ?
ところがこの様に世間を舐めたこのクソ猫のプッシュで、何故かうちの弟は大喜びで笑いだす。
……赤ちゃんって、謎だ。
このあとウチのクソ猫は弟が泣くと、額をプッシュし、また泣き出すと頬をプッシュしと、意味不明なやり方であやしていた。
それで大喜びのローゼス。
……アイツ、仕事ができるな。
仕事の仕方さえ気にしなければ……
奴はただ茫然と見ている俺の前でニヤリと笑うと「ニャーに掛かれば朝飯前ニャ!」とドヤ顔で勝ち誇る。
……なんだろ、なんか悔しい。
俺はネコに負けじと弟を抱き上げあやそうと……
「びぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
いきなり響いた発砲音、思わずオロオロとすると、タッタッタッと足音を響かせて、フィリアちゃんが飛び込んできた。
「あれフィリアちゃん、ウチに居たの?」
フィリアちゃんは叔父さんの、ガルボルム・バルザックの娘で俺の従妹だ。
フィリアちゃんは「ラリーお兄ちゃん久しぶり」と言って微笑むと、手を伸ばして俺から弟を奪った。
フィリアちゃんに抱っこされ、これまでの不機嫌を治した、俺の弟ローゼス君。
「ジェス……良い子、良い子」
フィリアちゃんはそう言うとウチの弟に頬ずりする。
それを見てホッとする俺。
「あらラリー、帰っていたのね」
だらしなく泣く子に振り回されていた俺を、背後で誰かが呼んだ。
振り返るとフィリアちゃんのママ、つまり叔母さんのマルキアナさんが立っていた。
「ああ叔母様お久しぶりです」
「久しぶりね、元気だったかしら?
聞いたわよラリー、大変ねあなた……」
……何を聞いたのだろうか?
この叔母さんとの会話はよく話が飛ぶので、注意して話す必要がある。
俺は「ええ……」と言って、どっちつかずのスタンスで叔母さんの言葉を待つ。
すると叔母さんはド直球でこう話を切り出した。
「ラリー、ドイド様の所で小姓になりなさいな。
アルローザン様も縛り付けるモノがお嫌いだったのよ、あなたがこの国の他の諸侯で小姓になる必要なんてないと思うわ」
あ、随分お詳しいんですね。
それなら相談しても良いか……
「でも、思うがままに殿下と戦ったら、パパや兄に迷惑じゃないでしょうか?」
俺がそう相談すると、叔母さんはそれが大した事が無い事だと言わんばかりの、身振りで語る。
「大丈夫、その時はこんな狭い国に居る必要はないわ。
世界はもっと広い。
世界の地図を見たら、この国はちっぽけな物よ。
アルバルヴェに身の置き場を無くしても、世界から身の置き場がなくなった訳じゃ無いじゃない」
「…………」
「ラリー、剣士は剣に誇りを賭けるモノよ。
きっと剣鬼アルローザン様なら……
あなたのお爺様なら、必ず戦いに逃げ出すような無様な真似は考えもしない。
御曹司と呼ばれるアナタはガーブの誇りとして、戦って……
それに、親戚を頼るのも必要よ、それともバルザック家は頼りにならないかしら?」
「そんな事は……」
「ラリー、もしもあなたが聖騎士流の宗家を継いでくれるなら。
私やルバーヌ(ガルボルムの愛称)にとってこれ程嬉しい事は無い。
他の誰よりもあなたに最強の名を引き継いで欲しいの……
他のどのバルザック家の人間よりも、私達に親切だったあなたこそ“狼の家”の継承者にふさわしいと思うわ。」
「自分に出来るのでしょうか?」
「ラリー不安は口にしないで。
クレオンテアルテ(創始者クリオン・バルザックの技術の全てと言う意味)の継承者は最強を常に名乗ってきた。
常に強気でいなさい、接待で負けを希望されても、他の剣士ならいざ知らずあなたはそれを決して選んではダメ。
……堂々と戦って欲しい」
「…………」
「後この事はグラニールに内緒ね、バレたら怒られちゃうから」
喋るだけ喋って狡い大人だと、思った。
焚き付けるだけ、焚き付けておいてさ……
「分かりました、でも考えさせてください」
「今返事は出来ない?」
「自分の将来ですから、もう少し……」
「……わかった、いつでも相談に乗るわよラリー」
叔母さんはそう言ってうちの弟とフィリアちゃんを連れてこの部屋を出た。
遠くでママが「あら、いらっしゃーい」と言って、叔母さんを歓迎する声が響く。
それを聞きながら俺は頭を抱えた。
叔母さんはバルザック家の人間だから、俺に“狼の家”を引き継いで欲しいと思っている。
叔母さんや叔父さんは他のバルザック家の親類を、イマイチ信用していない所があり、それに比べて俺の事を高く買ってくれているのだ。
だから俺を手元に置いておきたいのだろう。
……信用できる親戚が欲しい二人。
若年にして、この様に頼りにされるのは嬉しい。
嬉しい事だが正直重みが大きかった。
そして兄は、兄が引いたレールの上を、俺が歩く事を正しいと思っている。
彼の言葉は善意に溢れる、だけども俺に誇りを捨てる様強制する。
そうする事は、宮廷人としては正解なのかもしれない。
またそうする事で俺は、将来身を立てる時の布石を置く事にもなる。
ただしそれは、誇りを売って手に入れた、王党派の人間としての地位である……
そんなあざとい俺を、俺は嫌いになりそうだった。
その先にある自分の姿に、敬意を払える自信が持てない。
自分自身を蔑んで生きなくてはならないとしたら、俺は俺でなくなってしまう。
……大人になるとはそういう事だが、それなら勤務先が100円ショップと、何も変わらない。
何のために生まれ変わったのだろうと思った。
何のために生まれ変わったのだ、この俺は……
俺は結局答えも出せずに、自分の荷物が置かれている物置に戻った。
ポンテスとペッカーは、難しい顔をして何も言わず、俺はまた結束された本の上に座った。
……まるでこの家に、此処しか居場所が無い様に。
「ポンテス、自分の部屋が無いと言うのは結構つらいな」
「ニャ、でも離れは今誰も足を踏み入れないニャ。
パパニャンも“不気味だ”と言ってあそこには行かニャイからあそこは聖域ニャ。
でも、ベガニャー達にボコボコにされてもいいなら行けるニャ」
「それは嫌だなぁ……」
あのアホ姉妹に出会ったら散々いびられてしまう。
アノ時よりも強くなったとはいえ、後頭部にまたスタンガンみたいな電撃を食らったらひとたまりもない。
俺は首を振って離れにある、自分の元の部屋を取り戻すことを諦めた。
そんな俺にポンテスは言った。
「小僧、こんな事言うのもあれなんニャけど……」
「うん?」
「パパニャンがね、『彼から剣を取ったら何も残らないから、聖地に行ったほうが良いんじゃニャイか?』って、言っていたニャ」
「……そう」
「おにいニャン(現男爵のお兄様)は、大反対していたけど、ニャーもパパニャンが言うのがもっともだと思うニャ」
「…………」
「剣を折る事が出来ニャイなら、聖地に行くしかニャイと思うニャ。
お前はそんなに器用じゃニャイな。
手先は器用ニャ、でも取り組み方は結構アホだったニャ。
……それともこの街で、心残りがあるニャか?」
アホ……随分と言いずらい事を遠慮なく言う。
だけど確かに彼の言う通りだと思う。
俺はこの街の心残りを探した。
焦がれるほどに帰りたかったこの街だけど、この街に自分の全てを賭ける物があるだろうか?
俺は勉強が嫌いだったから、ほぼ幼少期に学んだお兄様の特訓だけである。
魔導士の名門に生まれながらも、魔力は無く自分の道は剣の道と思い定めてここまで来た。
……もし俺から剣を取り上げたら何が残るのだろう?
何も残らない気がした……
「はは、言われて初めて気が付いたけど、俺って薄っぺらい人間なんだな」
「……今から勉強するニャか?」
そう言われた俺は、ガーブでは感じた事が無い不安を胸に抱いた。
……物置部屋を見回す。
すると部屋の上の方に昔ルーシーの為に描いた、あざといほど可愛いポンテスのスケッチの蝋板が目に入った。
俺はそれを見ながら、この時ルーシーならどう俺に言ってくれるのか?と思った。
昨年帰った時に会えると思っていたけど、結局会えずじまいだったルーシー。
今見たら、見ていられない位ひどい絵だけど、スケッチはあの日の可愛い少女を思い出させる。
……ルーシーに会いたい。
そう思うと居ても立っても居られない。
彼女の顔が見たかったし、彼女の声が聴きたかった。
それを想像するだけで胸に喜びが湧く、そして彼女にこの事を相談したかった。
大人の上から目線の助言は、もう聞きたくも無い……
俺はそう思うとポンテスに「ありがとう!」と言って本から腰を上げ、ハラルドの元へと向かった。
ルーシーに俺の帰還を伝えて、面会を申し込もうと思ったからだ。
貴族社会のルールとして、その為にまずはキンボワス伯爵家に、それをお願いする手紙を出さないといけない。
伯爵から了承を得て、始めて会いに行けるのである。
なので俺はハラルドに、それをお願いする事にした。
ところがその日の夕方……キンボワス家からは丁重なお断りの手紙が返ってきた。
それを見て愕然とする俺。
まさか“帰還したので、宜しくお願い致します、つきましては会ってこれまでをご報告したい”と言うだけの願いを断られるとは思わなかった。
それを見てポンテスが嫌な笑みを浮かべて言った。
「2年も女を待たせたのニャ、振られたんじゃニャイの?」
「うるさい!でも俺達まだ10ッ歳だぞ?」
「と・し・は・関係ニャイのよ」
ぐぬぬぬ……
「だったら行って直接本人に聞けばいいだろ!」
「どうやるニャ?」
「壁ぐらい簡単によじ登ってやるさ!
ルーシーの部屋だって知っているんだ、どうにかしてやる」
「お前、それは見つかったら……」
「ペッカー手伝え!今夜忍び込むぞッ」
思い立ったら即行動。
俺は物置から子供の頃から愛用していた、松脂袋を取り出し、そして昔よく着ていた目立たない服を……
全部サイズが合わないやんけ!
ちっさ、昔の俺小さっ!
まぁいい、最悪ガーブで着ていたお手製の服を着ればいい。
かなり貧相だけど、この際身元がバレないと思えばいい。
それとロープロープ、と……
◇◇◇◇
その日の夜……
こうして泥棒にでも行くのか?と言われそうな服装を着こなした俺はネコとキツツキを従えて、シルト大公の手下が集団で済む街区にやってきた。
ルーシーことルシェル・キンボワスの家は、直接アルバルヴェに仕える家ではなく、シルト大公に仕える伯爵家だ。
シルト大公はこの国で半ば独立した勢力を持っており、この街区も余所者がおいそれと足を踏み入れる場所ではない。
特に門構えがある訳でもないので侵入はたやすいが、海をモチーフにした絵や、彫刻が多く、明らかに別世界の感じがして入りづらいのだ。
俺はその街区を人に見つからないように、コソコソと歩く。
そして目的であるキンボワス邸を見つけた俺は、近くの橋のたもとで時間を潰した。
すると猫が足元で声を掛けた。
「行かニャイのか?」
「行きたいのはやまやまなんだけど、二階の右から3番目の部屋、あそこの部屋に明かりが灯って無いと言う事はルーシーが居ないと言う事なんだ」
「ふーん、一回行っただけで覚えるなんて無駄に器用ニャ。
……ストーカの鑑ニャ」
「うるさい!つべこべ言わんとお前は見張を眠らせろ!」
ペッカーだと夜は光って目立つ。
なので今回は、最悪の事態以外は出番無しの予定だ。
彼の今回のミッションは見張である。
……こういう時はポンテスだ。
眠り魔法が得意なこいつは、こういう時に本当に役に立つ。
こうして結構な時間を寒空の中で待ち、キツツキと猫を外套の中で隠した俺はようやくルーシーの部屋に明かりが灯ったのを確認した。
「よし、ポンテス行けっ!」
俺がそう言うと、ネコは嫌々とばかりに、寒そうに毛を立てて見張の元に近付く。
そして「ウニャァァァア、ウニャァァァァッ!」と長く、深い声で泣き叫んだ。
次の瞬間心地のよい、暗い空気が彼の周りから広がり、そして広がる。
ここで気を抜くと、巻き添えを食らって俺も寝てしまうので、俺は目に力を込めてそれを耐える。
やがて伯爵邸の周りをうろつく見張は、壁に寄り掛かったまま眠りにつき、そして地面に座り込む。
それを確認し、無言で俺の方に尻尾を振るポンテス。
……早く来いと言う意味だ。
橋の下から飛び出し、急ぎルーシーの部屋の傍の壁に取り付いた俺は、ポンテスを背負って壁をよじ登る。
空から壁の向こうを見てくれるペッカーがゴーサインを出し、俺は遂にキンボワス邸に侵入した。
スタッと庭に降り立つ、そして一気呵成に彼女の部屋の下に生えている木の下に走った。
そしてそのままその木に取り付くと、二階目掛けて登る。
こうして目指す部屋のすぐ傍まで侵入した俺は、そこからルーシーの部屋を覗き込んだ。
部屋の明かりの下。
昔よりもずっと大人びて、綺麗になったルーシーが居た。
見た瞬間心臓が跳ね上がる。
最後に出会った時、キスした彼女の顔をまざまざと思いだす。
「…………」
思わず黙って彼女の顔に見とれる俺。
「時間が無いんニャよ……」
固まった俺に背中のネコが声を掛けた。
俺は思わず「ひっ」と叫んだ。
「どうした?何時もおかしいニャが、今はもっとおかしいニャ」
「うるさいなぁ、急かすなよ」
俺は木の小枝を一本取るとそれをルーシーの部屋の窓に投げた。
小枝が当たり、バシッと音をたてるガラスの窓。
そしてその音にビックリしたルーシーが、部屋の中から窓の外を見る。
「…………」
無言で眉を狭め、暗がりに居る俺の顔を見るルーシー。
やがて彼女は窓の傍まで歩き、そして俺の顔を見て驚く。
そして開かれた窓。
開かれた窓と、ルーシーの姿を見て、俺は嬉しくて手を振った。
それを見てルーシーもまた、嬉しそうに言った。
「ラリー、ラリーなの?」
「ルーシー久しぶり、元気だった?」
彼女は小声で「アハハ」笑うと俺を指さして言った。
「やっぱり相変わらず馬鹿だよね」
「そんなぁ、久しぶりに会ってそれは無いよ」
良かった、嫌われてないようだ……
俺は彼女の笑顔に安心した。
「ねぇ、中に入れてよ」
俺がそうお願いすると、ルーシーの表情が固まった。
やがて彼女は先程の笑みを立ちどころに曇らせ、そしてキッと唇を強く横に結ぶとこう言った。
「ダメだよラリー、もう遅いの……」
「何が?」
「私ね、婚約したんだ……」
「…………」
耳に、静寂が届いた……
キーンと、鼓膜が震える。
「へ?どういう事……」
「ラリー、もう会えないの。
2年も何をやっていたの?
手紙も出さないでさぁ……
遅いよラリー、遅すぎだよ。
4馬鹿は相変わらず、馬鹿だよね……」
「…………」
黙る俺の前で、俺の事を睨む彼女の姿。
俺が悪いと更に言いたげな、強い目線……
……俺が怒ると思って、先手を打ったのだろうか?
俺は“怒ってないから、話を聞いて”と言おうと思って口を開いた。
「……あ、あ」
口が震える……
そして涙が溢れた、ポタポタと頬を伝って流れ落ちていく。
首を振った、彼女に言葉を掛けようとした。
……言葉が出ない。意思に反して言葉が出い。
それを見てルーシーは、俺を非難するように結んだ口を解き、そして俺の涙を見てまた彼女も涙を流した。
「す、好き……好きなんだ」
やっと擦れた声で俺が、心を伝えるとルーシーは「ごめんなさい……」と言って窓を閉め、そしてカーテンで視界を遮った。
『…………』
俺と、ポンテスは黙ったまま木にしがみつき、カーテンを見つめていた。
◇◇◇◇
「大丈夫かニャ?」
「なにが?」
俺はその後、不思議とサバサバした気持ちでシルト大公の住む街区を後にして歩いていた。
「さっきまであんなに泣いていたのに、今全然泣いて無いニャ」
「悲しくないから泣いてないだけだよ。
あーあ。身分違いの恋もこれで終わりかなぁ」
「…………」
「女は薄情な生き物だ、それが分かっただけでも……」
次の瞬間前を見てるのに見ていなかった俺は、腰の高さの低い鉄柵に激突し、そのまま一回転して地面に倒れ込む。
「いってぇ、クッソぉ……馬鹿にしやがって」
痛みで悪態をつく俺を、ネコとその背中に止まるキツツキは悲しげな顔で見ていた。
「…………」
俺は黙って立ち上がり、そして服の汚れを払うと何も言わずに歩いた。
俺の兄弟はそんな俺に言葉もかけず、ただ心配そうについてくる。
夜はどんどんと更けて行く。
◇◇◇◇
実家にいつ頃戻ったのか、実は記憶が無い。
ただ気が付けば実家に戻り、そしてただ気が付けば客間に通され、今日はここで寝るようにと、誰かに言われた事だけ覚えている。
こうして俺はペッカーも猫も無く、ただ一人でゲスト用のベッドに寝ころんだ。
「俺はゲストかよ……」
そう悪態をついた俺は、そのまま明かりを消して目を閉じた。
……失恋なんて、どうってことないと思いながら。
真夜中、不意に目が覚めた。
カーテンを閉め忘れた窓の外には、真ん丸の月が光る。
そこに昔のルーシーの顔が、思い浮かんだ……
「…………」
涙が溢れた、とめどなく涙が溢れた。
「うっ、ううっ……ひぐっ、ひっぐ」
鼻から鼻水が流れ落ち、そして心が叫びたい程の痛みを上げる。
(ルーシー……ルーシー……)
頭の中で彼女の名を呼ぶ“どこにも行かないで”と心が叫ぶ。
彼女が他の人に抱かれる姿を想像した……
「…………」
声なき悲鳴を上げた。
体は震え、口の端が裂ける程に口を開いた。
「あ……ああ……」
口からは悲鳴の代わりに、くぐもった音がこぼれる。
俺の痛みを知られまいと、家族の眠りを妨げまいと、抑えた悲鳴が部屋に響く。
客間の豪華な天井画が涙で歪み、そして俺は心臓を両手で掴んだ。
「…………」
無様に叫びをあげる事は出来ない、自分の本当の痛みを悟られる訳にはいかない。
(ルーシー、行かないでっ!)
自分が鼻をすすり上げる音が響いた。
泣き声を上げずに空に、月に、叶わぬ願いを未練たらしく、心の声を発し続ける。
名前も顔も知らない相手が憎い。
ルーシーの婚約者が、憎くて憎くてたまらない!
「…………」
俺はやがて力尽き、いつの間にやら床に寝そべった。
涙は未だ枯れる様子も無く、床のカーペットが濡れていく。
時間の流れも分からず、ただぼんやりと、そこで寝ていたかった。
やがて朝になる、鳥が最初に鳴き始め、そして鶏が人々に朝を伝える。
時が流れる……神殿の鐘が鳴り響き、使用人が出勤してくる。
それを耳で聞く、何も考えられない。
俺は何もかもを失ったのだと、思った。
……心残りはもう何もない。
その日の夕方俺に訪問者があった。
そこで居間に通すと、そこにはリジェスがいた。
「久しぶりラリー!」
「あれ?どうしたんだよ、敵がこんなところに来るなよ……」
そうは言っても誰かに会えた嬉しさで思わず笑顔になる俺。
リジェスは相変わらず人懐っこい笑みを浮かべていた。
そして次に真剣な顔でこんな事を話し始める。
「戻ってきたって聞いたからさ」
「そうなんだ……ありがと、お前だけだよ会いに来てくれたのは」
「まぁ、しょうがないよね……
殿下も今回本気で優勝狙っているんだ、ラリーはライバル視されているしさ」
「へぇ、それはそれは……」
「それよりも、ラリー実は言いにくいんだけどさ。
ルシェル様は、まだ好きなのかな?」
ルーシーの名前が出た時、不意に心臓が跳ね上がる。
俺は動揺を悟られまいと、何事も無い風を装って、こう尋ね返した。
「え、どうして?」
「実はルシェル様は、その……婚約したんだ」
「知ってるよ」
「え、そうなの?」
俺が心を隠してそう答えると、リジェスはびっくりした様子を浮かべる。
そして「なんで知ってるの?」と言った。
どうせ彼女の口からバレる話である。
……なので俺は正直に答えた。
「ルーシーから聞いた」
俺がそう言うと、リジェスは安心した様だった。
……嫌な役を引き受けなくて済んだと思ったのかもしれない。
彼はやがて、微笑んでこう言った。
「そうなんだ……実はシルト大公がね、キンボワス家はシルトの要だから、シルトの貴族の中でめぼしい若者と姻戚関係を結んで欲しいと言ったんだ。
最近アルバルヴェの貴族と仲の良い子が多くなってきたから、次世代に不安があるそうなんだよ。
……良く分からないけど、バランスを取ると言っていた」
リジェスがそう言うと、俺は強がりを覆い隠すようにスマートな物言いで答えた。
「……仕方がない、貴族の家の子なら政略結婚は当たり前だ」
俺がそう言うとリジェスが「お前それでいいの?」と尋ねた。
俺は「良いも悪いも無いよ……」とだけ答える。
……心を隠すことに精いっぱいだった。
俺の言葉を聞いたリジェスは「安心したよラリー、それを聞いておかしくならないか心配だっただけなんだ」と言って、立ち上がった。
「もう帰るのか?」
「ああ、ラリー……お前、そういう奴だったっけ?」
リジェスはそう言うと、そのまま俺の前から姿を消した。
残された俺は見送る事も忘れ、このままイスに深く座り、動かなかった。
頭の中でリジェスの言葉が反芻する。
……お前、そういう奴だったっけ?
リジェスは俺を薄情と言いたかったのだろうか、耐えてるとも考えずに……
◇◇◇◇
次の日、俺はお兄様に面会を申し込んだ。
お兄様は俺が何を言うのか察していたようで、前回同様執務室のソファーで俺と向かい合って座った。
「ラリー決めたのか?」
「ハイお兄様、誇りを賭けて……殿下と正々堂々戦いたく思います」
……俺はもう限界だった、わずかな日々で心は擦り切れ、どうなっても良いとすら思った。
……傷つき、ささくれに覆われた俺の心。
今、誇りまでも砕きたくない。
どうせ何もかもを失うなら、前のめりに、潰れるように失いたい……
そんな俺に、険しい目つきの兄が言った。
「勝っても負けてもこの国には居られなくなる、それでも良いのか?」
「はい構いません。
剣を捨てたら、自分には何も無くなってしまいますから」
「……そうか」
「申し訳ございません」
俺がそう言うと、お兄様はさっぱりした顔で頷き言った。
「これから、バルザック家に行って、お前の決断を伝えてくる」
「ありがとうございます……」
「大会が終わったら、お前はこの家にも入れない。
そのまま馬車に乗って港に走れ。
いいな?王太后様はきっとお前を許さないだろうから……」
「そうなんですか?」
俺がそう言うと兄は頷き、そして立ち上がった。
何処かに立ち去ろうとする彼に、俺は慌ててお願いをした。
「お兄様、お願いがあります」
「どうした?」
「ワナウが今度ここを辞めて会社を立ち上げるのですが、その彼に遠見の水晶を貸して貰えませんか?」
「なんに使うんだ?」
「大学の職員が馬車を必要とした時に、彼が代金を貰えれば馬車の都合をつけるそうです。
その時に互いの事務所に設置して、馬車の手配を依頼してくれればと思うんです」
「ふーん、どうしてそんな事に興味がある?」
「実は、ワナウに出資しているんです」
「お前が?ああ、なるほどね……分かった」
「それと……」
「うん?」
「自分の私物を全部売り払ってもいいでしょうか?」
「……好きにしろ」
「ありがとうございます……」
兄はそう言うと外套を着て、部屋の外に出た。
「馬車の用意をしろ、バルザック邸に向かう……」
兄はそう使用人に命じると、外に出て行った。
◇◇◇◇
その日の夜、俺は一人でワナウの家に向かった。
出迎えたワナウは驚いた様子で俺を頭から足元まで見た。
俺が旅装だったからだ。
「どうしたんですか、お坊ちゃま!」
「やぁ、出資金を増やそうと思ってさ」
ワナウは「とにかく中へ」と言って俺に入室を促し、そして尋ねた。
「何があったんですか?」
「色々だ、今は言えない……」
そう言うと不安そうな顔で俺を見る。
俺は彼を心配させまいと笑って言った。
「しばらくここに泊めてくれないかな?」
「どうしてです?あんなに立派な家があるじゃないですか!」
「立派過ぎて落ち着かないんだよ、ガーブで貧乏性が染みついたのさ」
「ですが……」
「ママには言ってあるから心配ないよ。
それよりも泊めてくれるなら良いものあげるよ」
「坊ちゃま……」
「じゃーん金貨で130枚もある。
泊めてくれたらこれも併せて出資しよう」
「こんなにたくさんどうしたんですか?」
「私物をあらかた売ってきた、これで俺が小姓になった時に、配当金を送って欲しい」
俺がそう言うとワナウが強い口調で「坊ちゃま!」と叫んだ。
誰かに何かを言われるのはもうたくさんだと思った俺は、感情的になって叫ぶ。
「公正証書は勝手に作って後で送れば良いだろ!
柔軟にやれよっ」
俺が怒鳴り声をあげると、ワナウは黙って悲しげな眼で俺を見た。
その目が俺を正気に戻し、そしてこう心に呟かせる。
……こんな筈じゃなかったのに、と。
俺は「すまない……」と告げると、顔を覆って言った。
「何も言わず、俺を泊めてくれワナウ。
お前は俺に良くしてくれたが、俺もお前に良くしただろ?
頼む、この通りだ……」
ワナウは静かに「分かりました、坊ちゃま」と言って二階の客間に俺を通した。
狭くオンボロな、ガーブで住んだ家にも似た武骨な部屋。
「あまりおもてなしは出来ませんよ」
「いや、助かるよ……」
俺がそう言うと、ワナウはゆっくりと下の階に降りていく。
俺はベッドに腰かけると、ゴワゴワとしたカバーを撫でた。
王都に帰ると、いつも散々な目に合う。
それを思って溜息を吐く、そして俺はこのベッドに寝ころんだ。
疲れた……と思って。
◇◇◇◇
それから日にちが流れ大会当日。
武装する鎧やら兜やらを確認した俺は、ついにあの、ゴッシュマから貰った鎧覆い(ホバーク)を見た。
そこに居たのは、毛を一本一本手でご丁寧に描いた、リアルな狼である。
「…………」
え、これ着るの?
むしろ着ないとダメなの?
俺は隣でガーブの旗を片手に、俺についてくる気満々のオーモンとハルダンを見た。
オーモンは目をキラキラさせながら叫んだ。
「マジでカッコいいっす!
やべぇ、マジでこれはヤベェ!」
ウソだろ?
「手が込んでるじゃないですか!
これ着て戦場出たら、手柄上げる度にみんなが御曹司の名前を覚えますよ!」
ハルダン!お前正気かっ?。
ちなみワナウは……青ざめた顔で首を振った。
そして無言の内に“ダメ、ダメ……”と口パクで伝える。
これを見た俺は、もうどうにでもなれと思って、この鎧覆い(ホバーク)に袖を通した。
ガーブの連中が喜ぶならそれも良い。
俺の友達は連中だけだ……
そして、ここ最近破れかぶれの俺はやけくそなのだ。
今の俺はどうせ、この街で居場所を無くした田舎者に過ぎない。
この目立つ鎧覆いで周りを散々に煽り倒して、悪役でも務めてくるのさ。
俺は荷物を肩に背負い、そして心配そうな顔で俺を見ているワナウに言った。
「世話になったね、勝っても負けてもココでお別れだ。
後は聖地で手紙を書くよ」
「気を付けて……坊ちゃま」
「うん、行ってきます……」
そう言って扉を開けて外に出た俺。
家の前にはヴィープゲスケ家の馬車と、パパとママが立っていた。
「パパ、帰って来てたんだ!」
久しぶりに見た、王様に従って各地の視察旅行に随行中だった筈のパパの姿。
再会の喜びで、思わず声が上がる。
そしてついつい嬉しくなって駆けよった。
パパは一瞬険しい目をした後、ニッと笑った。
「ラリー、言葉遣い……まぁいいか。
迎えに来たぞ」
「ありがとうございます……」
俺はそう言うとパパに抱き着き、再会を喜ぶ。
そして次にママに抱き着くと、耳元で「迷惑ばかりでゴメン、ママ……」と告げた。
するとママは、少し涙を交えた声でこう言った。
「いいのよラリー、それにしても随分と男らしい鎧覆いね」
「ゴッシュマから貰ったんだ」
「本当?あら、あの爺さんセンスが良いわねぇ」
……え、今なんとおっしゃいましたか?
思わずパパの顔を見ると、パパも青ざめた顔で俺の目を見た。
ああ、これが普通の反応だよね。
とにかくこうして俺は馬車に乗り込み、両親と一緒に“白銀の騎士”が行われる練兵場へと向かった。
俺が少年と呼ばれる日々を、この日終える為に。
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