マザーレスチャイルド
剣を構え、その切っ先の向こうに敵の姿を見る。
杖を、腰から俺の首元めがけて真っ直ぐ向けた、緑の皮膚の男。
幾人もの剣士を殺し、その肉を貪り食った悪名高い人食い鬼。
筋骨隆々の人間の男と何ら変わらないその外見を見て、彼がゴブリンであると、誰が信じるだろう。
……むしろ。オーガであると言われた方が信じられる。
ゴブリン……その名を聞くと、俺は初めてガーブ地方に辿り着いた日を思い出す。
疾走する犬ゾリの上で、雪原に転がる死体を見た時から、俺のガーブウルズでの思い出の多くは、このゴブリンと言う種族に彩られた。
ジリと出会ったのも、ゴブリン狩りに参加したかったからだし。
そして初めての実戦も、その流れからゴブリンを相手に行ったものだった。
……あの日ゴブリンを斬り殺した感覚は、今だに忘れる事が出来ない。
続く狩りのシーズン、ゴブリンとオークを相手に死闘を繰り返した俺は、自分の剣に自信を深めた。
そしてその日々が、何故戦いの術を学ぶのか?……そんな自問自答に回答を与える。
それは笑っちゃうほど単純な答えで、戦いに勝つ為だという真実だった。
当たり前の事だが耳で聞いたものと、実際に敵を切り殺しながら理解できたモノは違う。
戦いを念頭に置いた日々は、足捌きや、構えの理由を、深い所で俺に知らしめていく。
これまでは、ただ教わった通りにやっていただけの剣術。
だがコレ以降、剣術とは敵に対して優位に立つための工夫であり、戦いの真理だと知る。
打ち続くゴブリン狩りの日々が、学ぶという意味を、明日も参加する戦いに勝利するための準備へと変えた。
その結果、ますます進化した俺の剣……
こうして実戦を通じて身に付いた筈の、自信が、ある日粉々に壊れた。
目の前のゴブリンと交戦をしたからだ。
……悪魔の谷の怪物“母無し子”。
あの日から、ずっとこいつの残像は俺の脳裏にこびりついて離れなかった。
忘れられない経験、忘れられない敵……
狡知に長け、他のゴブリンをすべて過去にする程の戦いのセンス……
その荒削りの野獣の一撃で、俺の頬に今でも残る、長くて深い、縦一本の大きな傷。
その時流れた血のむせるような臭いを、俺はいまだに忘れる事が出来ない。
……奴がつけた一生残る傷跡。
俺の体に刻まれた“母無し子”の痕跡。
これがうずく度、敵の顔が“母無し子”に見える。
その度に引き下がってたまるかと、俺の心を奮起させた。
……そう、奴の残像は俺を逃がさないように常に追い詰める。
……そして続く厳しい訓練。
いつしか、この頬の傷の仇を取るのは俺の宿願になった。
……そしてコイツの顔がちらついた時。
命がけで、ボグマスから奥義を学ぶことを望んでしまった、身の程知らずな俺。
気絶し、意識を失うほど叩きのめされても、喰らいついて学んだ奥義。
痛みに苦しんだ医務室のベッドの上。
俺はさらなる剣の高みへと、近付けただけで満足だった。
何の為か?
それは今度こそ“母無し子”との戦いにケリをつけ、コイツの首を取る為である。
そして今日を迎えた……
「お前、強い、若いのに……」
クオータースタッフと呼ばれる長さの杖の向こうで、奴はそう話しかけた。
思わず「……それは光栄だ“母無し子”」と答える。
すると奴は首を傾げて言った。
「“母無し子”とは何だ?」
「お前の事だ、俺達はお前をそう呼んでいる」
そう言うと俺の言葉は、ゴブリンの興味を強く引いたようで、奴は好奇心に目を輝かせながら俺に尋ねた。
「“母無し子”が俺の事か、俺の名前なんだな。
名前の意味は分かるか?
母とはママぁの事だな?
お前、俺のママぁを知っているのか?」
「イライナと言うらしいな、お前のママは。
ママを愛していたんだろ?」
「おかしいか?」
奴が自分を“おかしい”と、言った事に、今度は俺が首を傾げる。
とりあえず困惑しながら答えた。
「いや、ママを愛さない奴は居ない。
俺も、俺のママが好きだ……時々(ときどき)過激だが」
「……本当か?
俺がおかしい、じゃないか?」
「おかしい?何故おかしい……自然な事だ」
すると“母無し子”は敵意を曇らせて言った。
「俺達“自然の民”はそう考えない。
苗床は財産だ……」
「自然の民とはいったい……ああゴブリンの事か。
そうか……お前は違ったんだな」
ゴブリンは自分達を“自然の民”と呼ぶという事を初めて知る。
そりゃあそうだ昔の言葉で“卑しくて醜い小人”を意味する“ゴブリン”だなんて名前を、自分達につけるはずがない。
この名乗られた種族名に納得した俺。
ついでに言うと、呪われた名前を授けるのは、我々人間のエゴと言う事なのだろうと、妙な事を考えた。
……どうでも良い話だ。
そんな俺の目の前で、人食い鬼は感情的な
眼差しを虚空に投げて言った。
「ママぁは……ママぁの事を考えると。
何時も温かくて、悲しい……」
ママの話を始めた彼に、俺はなぜか鉛の様な唾を飲み込んだ。
消えかかる俺の交戦意欲。
俺自身も、あの優しいママの顔を思い出し、そして動揺した。
これは奴の策なんだろうか?
俺は「それは愛だろ?」と、言って後ずさる。
不意に奴が、攻撃をするかもしれないと警戒した。
戦うという決意が揺らぎそうになる。
それを見て“母無し子”も又、躊躇いを見せた。
そして奴は首を振ると、敵意が薄くなった声で語り掛ける。
「お前もそうなのか?
人間はそう考えているのか?
だとしたら、どうして俺の兄弟は誰もママぁを愛さないんだ?
愛は俺だけを苦しめたのか?」
どこか必死な声音の“母無し子”。
その声は妙に俺の心を捉えた。
だからだろうか?兄弟……と言う言葉に心がざわめく。
そしその単語を聞くと、俺は奴についての話を思い出す。
奴は自らの手で、同じ悪魔の谷のゴブリンを皆殺しにしたのだ。
「…………」
彼は自分の兄弟を本当に、手に掛けたのだろうか?と思った。
噂話が不意に信じられなくなった。
今彼が尋ねた問いと言うのは、ずっと彼自身が知りたいと願った事なのだろう……
……色々な疑問が泉のように湧きだす。
彼の内面を覗き込もうとする俺の視線の先に、ゴブリンらしからぬ知性と理性で、自らの胸の内へと目を向ける“母無し子”。
……俺は彼自身に、初めて純粋な興味を覚えた。
そんな俺の目の前で“母無し子”は沈黙し、そして目線を地面に落とす。
自分のこれまでの歩みを覗く様に。
……その様子を見て思った。
こんな奴が仲間を殺すのか?と……
高い理性を備えたこのゴブリンから感じる、妙な人間性。
俺は目の前のこの男が、そういう奴だと思えなくなる。
俺は真相が知りたいと思った。
それで……憚る様にそれとなく聞いてみた。
「仲間に感じなくて、ママに感じたモノがあるならば。
仲間がママに感じなくて、仲間に感じていたモノがある」
「…………」
「お前は仲間を仲間と思わず、そして母を財産だと思わなかった
愛って、そういうモノじゃないのか?」
俺がそう無い知恵を捻って回答をすると、奴は「お前の言う事は良く分からない……」と呟いた。
そして「俺の問いに、お前は答えていない……」とも言った。
……もっともだ。
“何故兄弟は母を愛さなかったのか?“と言う問いに対して“愛はこうだ”と言っても論点のすり替えでしかない。
本当に聞きたかったのは『お前は仲間を殺したのか?』と言う問いなのだ。
それを言うのを、妙な意識で憚った結果がこれである。
……俺は、人間として浅い人間だった。
そして、恥をかくことを恐れ、卑怯にも黙る。
そんな俺に“母無し子”は言った。
「昔ママぁを、守りたかった。
だから俺は父を殺した……」
その一言に思わず俺は「……罪深い」と漏らす。
そして、俺は奴がやはり……悪行を重ねた奴であると知った。
……残念だった。
そんな俺に、彼は独白を続ける。
「父親は、俺を咎めなかった、ただ“どうして?”と聞きたそうだった。
お前の話でどうしてアイツがそんな表情だったのか、分かった気がする。
なるほど、そういう事か……」
パパを殺した……そう聞いた瞬間、無意識に沸き立つ嫌悪感、そして怒り。
奴はそんな俺の目の色を、不愉快そうに見ながら言った。
「もし逃げたいなら逃がしてやる、お前は良い事を(自分に)教えた」
奴はその言葉で、慈悲を俺に投げ与えたつもりなのだろう。
だが俺は奴に憤りを覚えた。
仲間を殺し、父親を殺し、剣士達を殺し、そして尊大にも俺に逃がしてやってもよいと言ったこのゴブリン。
こんな奴に目こぼしされるくらいなら死んだ方がマシだと思った……
俺は、嫌悪感も露に告げる。
「親殺しに情を掛けてもらうほど、俺は落ちぶれちゃいない。
悪いがお前の首を取らせてもらう……」
ゴブリンは「そうか……」と呟いた後、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべこう言った。
「(お前に)仲間は今日、居ないぞ?」
俺は奴の目を睨みながら、鼻でその言葉を笑い飛ばした。
「……だから出てきたんだろ?
お前は臆病だからな」
次の瞬間、奴は言葉の代わりに狂気に満ちた眼差しを俺に投げ、そして杖を握り込んだ。
膨れ上がる憎悪、心躍る程の殺意。
隆起した筋肉に、血管が浮かび上がる。
「ギャァァァァァァァァァッ!」
次の瞬間、甲高く、そして太い咆哮が奴の口から放たれた。
“母無し子”が遠くから一瞬でこちらに踏み込む!
「!」
杖の鋭い突き、それを剣で弾き、斜めに下がる。
次の瞬間弾かれた所から、杖が俺を追いかけてきた。
カーンッ
金属音が上がり、剣の根っこでその杖を抑える。
次に俺は、反射的にその杖を上に跳ね飛ばし、そして今度はこっちが踏み込む。
剣は、杖を上に跳ね飛ばす動きをした事で柄が頭の横にある。
そこで時間の損失を無くすべく“屋根”に構えた!
ここから振り下ろして強撃を狙う俺。
ところがそんな俺の考えを先に読んでいたかのように、奴の杖が上に跳ね飛ばされながら、それをあえて受け入れるように回転を始める。
杖の先は奴の頭上を越えて背後に落ち、そして強撃を狙って近づいた俺の胸元目掛けて杖の逆の先端……剣で言う所の柄頭が迫る!
思わず後ろに体を倒した俺。
そんな俺の胸元を、杖の柄頭がしたたかに強打した。
鎖帷子の上から強烈な衝撃が襲う!
(クッソ!)
俺は勢いに逆らう事無く、逆に後ろに一回転して、すかさず立ち上がる。
そんな俺を見て“母無し子”は目を丸くした。
次に面白そうにゲラゲラ笑うと、ニンマリ笑ってこう言った。
「今のは面白い、そんな動きをした奴は初めて見た。
倒れなかったのは良いと思う」
「げほ、げほっ……」
いつもの様に悪態もつけず、その痛みにむせ返る俺。
悪い事に肋骨も痛くなった……
(野郎……)
クオータースタッフの実力に、俺は目を見開いた。
突くも、斬るも、持ち手を変えて柄頭で打つも剣と同様に可能、そして何より長い。
それを自由自在に扱う“母無し子”。
使いこなせるようになるまで、一体どれだけの修練を積んだことか……
そんな日々を垣間見せた“母無し子”に敬意を抱く。
そんな奴の前で再び剣を構える。
“突きの構え”。
そんな俺に再び襲いかかる奴の杖。
そして再び斜めに下がりながら、突きを躱す、それを杖が追いかける。
(同じ手を食らうか!)
剣を片手持ちに変え、避けると同時に、空いた手で杖を掴む。
「ギャァァァァァァァァァッ!」
次の瞬間、奴は雄叫びを上げ、杖を掴んだ俺を恫喝する。
掴まれたことを嫌って横に振り回すゴブリン……
信じられない馬鹿力で俺ごと引き摺ろうとする!
「ぐぎぃぃぃ……」
ヒビの入った肋骨が悲鳴を上げる、痛みで気が散っていく。
俺はこのままだと踏ん張れないと思って、杖から手を放した。
次の瞬間凄い勢いで宙に跳ね上がる奴の杖、杖を持ったまま上に泳ぐ奴の上半身。
そのどてっ腹に俺は片手で剣を突き立てた。
ザスッ!とした手応えが手元に残る。
獲った!と思った。
次の瞬間、奴の手が俺の剣刃を掴む。
……思わず奴の顔を見た。
アイツは“捉えたぞ!”と言わんばかりの笑みを見せ、もう片方の手で握りしめた杖を振り下ろす。
クワァァァァン……
兜が轟音を上げて、俺の頭を揺さぶる。
俺は奴の掌を切り裂きながら、剣を強引に引き戻す。
そして足を必死に動かして、歪む視界の中、奴が放つ2撃、3撃をほぼ勘だけを頼りに避ける。
『下手くそめ!俺と変われっ』
誰かが遠くで俺に声を掛ける。
ワーンワーンと耳鳴りが鳴り響く中で、なぜかその声だけがクリアに聞こえる。
コッチはそれどころではない。
痛む肋骨と頭が、俺の足をすくませようとした。
そして近くでは“母無し子”が、ひるんだ俺に止めを刺そうと、勢いに乗って3撃、4撃と放つ。
一度引けた腰を立て直そうにも、勢いづいた奴の一発を恐れて、下がりながら躱すことしかできない。
『聞いているのか!いいから変われっ!』
俺は隙を見て、奴の杖の下に剣を潜らせ、そこから剣を摺り上げる。
アイツは柔らかい体を生かしてそれを避けた。
「ハァハァ、うぐっ……」
まだまだ視界は歪んでいる、だけど今の一撃は良かった。
アイツは俺を警戒し、距離を空けたからだ。
見ると奴の脇腹から、ドクドクと勢いよく血が流れている。
それを見て苦しいのは自分だけではないと、俺は当たり前の事に気が付く。
……それを忘れるほどの先程の猛攻。
深手を負っている筈なのに、どうしてあんなに動けるのか。
俺なんか鎧を着ていなかったら、二回は死んでいたのに……
そして、前回とは違い、自分の感覚がシャープにならない事に焦る。
奴とつまらないおしゃべりをし過ぎたせいなのか?
その罰を受けているのか?
もっと真面目にやれれば……
『違う、お前が弱いのだ』
俺を間近で侮辱する声がはっきり聞こえた。
そこで俺はついつい、戦闘中なのに苛立ちながら右横を見た。
「…………」
……言葉を失った。
そこに青白い顔をした、ソードマスターワースモンが居る。
ゾッとした俺に、奴は血に飢えた狼の様な目で言った。
『お前を勝たせてやろう』
そう言うと奴は俺に歩み寄り、そして重なってきた。
次の瞬間、生まれて初めて、俺の身を金縛りが襲う。
戦闘中に動かなくなる俺の肉体。
(寄りにもよってなぜこんな時にっ!)
そしてそんな俺を尻目に、体が意思から外れ、好き勝手に動き出す。
その様子は目の前の“母無し子”にも異様なものに見えたようで、奴は怪訝な表情を浮かべた。
それを見ながら俺は、嬉しくて笑った。
嬉しくも無いのにだ。
……そして俺の口が動き始める。
『なんだ、体が軽いじゃないか。
やはりジジイはダメだな、そう思うだろソコのゴブリン』
……俺の声じゃない、俺の声じゃない!
『ラリー、俺はこの日を待っていた。
俺と言う男が……10年に一人の天才とまで呼ばれた俺が、最後にゴブリンに殺されるなどあってはならない。
雪辱は何としてでもこの手で晴らして見せると誓ったのだ。
他の奴はダメだ、アイツらは全く使えない。
だけどお前なら、お前の体なら俺の全てを表現できるはずだと思った。
どうやら見込み通りだったな……』
(離れろ!離れろっ!)
俺は動かない体の中で、自分が自分ではない感覚に恐れ慄きながら心で念じた。
コイツは俺じゃない、こいつは俺じゃないんだ……
『生き残ったお前にずっと憑りついていた。
どんな人間なのかも知りたかったしな。
合格だ、ラリー。
ゴッシュマも中々の男だが、より強い俺の剣を教えてやろう。
お前は資格を得た、感謝せよ……』
背筋をゾゾッとした寒気が走り抜ける。
そして俺のフリをしたワースモンが“母無し子”目掛けて歩き始める。
『ラリー、お前はあまりにも出来が悪い。
熱意だけで未熟な技術を補っている。
それだけではゴッシュマの様に、マスターになるのにジジイまで修業しなければならない。
それが若い連中の敬意を集めるとしても、下らん事だ。
……強くないと言う事だからな』
(テメェッ!テメェに何が分かるっ!)
『良ーく分かるさ、可愛い坊や……
それはつまりセンスが無いと言う事だ』
(!)
『お前はまっすぐ突く事も、まっすぐ斬る事も出来ない。
だからこんなゴブリンに手こずるのだ……』
ワースモンがそう言うと“母無し子”が、怒り狂った目で言った。
「ゴブリンではない……」
『あん?』
ワースモンが何を言っているんだ?と感情を込めて呟くと“母無し子”は「自然の民だ」と、返した。
俺を乗っ取ったワースモンはそれを聞くと、シニカルな笑いを一つ浮かべる。
そして実に下らない話を聞いたとばかりに、挑発的になってこう答えた。
『下らない話だ、お前達は害獣にすぎん。
お前等自身が、お前等をどう呼ぼうが、俺には興味が無い。
ソレよりも掛かって来るのか?
それともコッチが行けばいいのか?』
貫くようなワースモンの言葉。
それに煽られ“母無し子”が叫び、そして杖を突きだす。
『体で覚えろ小僧。
斬るとはこういう事だ……』
ワースモンは俺の体を使って、剣の握りを調整した。
ただ力強く握るのではなく、右手、左手のグリップを調整し、そして目にも止まらぬ速さで剣を横薙ぐ。
軽い手応えが掌に残った。
そして“母無し子”の杖の先端が切り落とされる。
それを見た“母無し子”は驚いて退く。
それを眺めながらワースモンが呟いた。
『筋肉は右と左でつき方が違う。
同じように唯強く握っても、それでは唯一つの効果しか生まれない。
だがわかるか?同じ力が均等に柄に掛かる事で素早く剣が振れた。
何より剣先にブレが無い、だから真っ直ぐ振れる。
これが“理”だよ、小僧……
真っ直ぐ剣を杖に当てたから、あれほど軽い手応えで杖を切り落とせたと言う事だ。
……そう言った意味じゃあ、薪割が得意な婆の方が、お前よりも真っ直ぐ振る事を理解している』
(…………)
『剣を握る力が強ければ剣は固く、そして威力が出る。
だが威力がある剣が物を斬れるとは限らない、それは斧を見れば分かる事だ。
大事なのは、斬る事に“最もふさわしい”と言う事なのだよ……
握る、ただそれだけにも深い“理”を見出すのだ、小僧』
そう言うとワースモンは、次に俺の体を使って“母無し子”に向けて歩き始めた。
剣を片手で意味も無く、ヒラヒラと挑発するように振りながら、得意げに歩く。
『どうだ“ゴブリン”いや、害獣“様”よ。
それともみじめでひ弱な“自然の民”とお呼びしましょうかねぇ?
自慢の杖もいい形になったじゃないか。
お前がクオータースタッフを構えるなんて10年早い……
ダナバンドで暴れた時に、未熟なひよっこが使ったのを見て、さっそく使ってみたってところかな?
こう言うのをな……俺達は小賢しいと言うんだよ』
それを聞いた“母無し子”は再び怒りのあまり叫んだ。
そして短くなった杖を振り上げ打ち下ろす。
それを躱し、腰だめの“犂”に構えたワースモン。
すかさず電光石火の突きを放ち、狙い誤らずゴブリンの左手首を貫く。
そして流れるように、引き下がる杖の手元部分を切断した。
「グワ、グギャァァァァァッ!」
手首を襲った痛みに、“母無し子”は苦悶の呻きを上げる。
そしてもはや杖と呼ぶには短すぎる木の棒になった、奴の武器。
苦も無く素早くも滑らかな一連の動きで、あの“母無し子”を無力化したワースモン。
そして勝負を決めようとワースモンが動いた。
『な、なんだ……』
しかし膝がガクンと抜けた。
そしていきなり全身を脱力感が襲う。
……思わず止まってしまった足。
止めを刺す筈が、身動きが取れなくなる。
この為余裕を得たゴブリンは、手にした杖を投げ捨てると、湿地帯目指して走り出した。
『クソ、頭を打たれた衝撃が今来たか』
ワースモンはそう言うと、次に頭を横に振るってこう呟いた。
『いや、もう時間切れか。
長く持った方と言うべきか……
ラリー、後はお前がやれ、俺はもうここまでだ……』
そう言うと俺の中に入り込んでいたワースモンが消え失せた。
徐々(じょじょ)に感覚が甦り、体と俺の魂とが繋がり始める。
それに伴って再び痛み出す俺の肋骨。
(この痛みの中で、平然とあれだけの剣を振るっていたのかよ……)
肋骨は息をするのも躊躇われるほどの痛みを、俺に加えた。
……先程よりも痛みが悪化している。
その激しい痛みの中でも、そんな事をおくびにも出さないワースモンの精神力に敬意を抱く。
俺は彼の精神力を見習い、歯を食いしばった。
そして“母無し子”の追跡を開始する。
(逃がしてたまるか。
脇腹の傷は深い、俺の痛みの比では無い筈だ!)
先程の神秘体験よりも、俺を脅かした敵との交戦を優先する俺。
ワースモンなんかどうでもよかった。
ソレよりも“母無し子”の事だ。
俺をあわや敗北へと追い込みかけた、あの不遜なゴブリンをぶっ殺してやらねば気が済まない!“
俺は地面に残る奴の血痕と足跡を頼りに、奴を追いかけた。
道沿いに続く血の跡。
……そして俺はレナ川の源流に辿り着く。
「ハァハァ……クソ」
痛みで俺の体は、いつもよりも息が上がるのが早い。
激痛の中、息切れを抑えるように、膝に手を当て、周囲を見渡す。
そんな俺の目の前で、動物の影も無く、清らかな風情の湿地帯が、日差しの中で彩りも鮮やかに煌めいた。
今が交戦中だという事を忘れるかのような風景……
ゴブリンの血も、足跡も、そのゆるやかに流れる川のような、湿地の水面で途切れる。
それを見て奴は潜っているのだろうか?と思った。
それとも……。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
周囲を見回す、茂みの奥、華を掲げるヤゴリアス草の陰。
木や岩の暗がり……
整ってくる、自分の呼吸音。
「どこだ、奴は何処に行った?」
途切れた奴の痕跡の近くで俺は耳を澄ます、そして首を振って奴の姿を探した。
何処にも音がしない。
その時だった、俺の背後に空から大岩が落ちて、水面に巨大な水柱が立った。
その衝撃に追われる様に“母無し子”が、水面から飛び出す。
「げぇーっ!げぇげげげげ(気を付けろ!
アイツは奇襲しようとしていたぞ)」
空に緑色の光を放つ相棒が居た。
彼が人食い鬼の策を打ち破る!
「あの鳥、やはり……」
そう呻きながら“母無し子”はいつの間にやら、手にした棍棒をもって陸地に上がる。
「ウチのペッカーを知っているのか?」
俺がそう聞くと奴は、苦々(にがにが)しげな顔で「苗床集めの上手いゴブリンは、皆ひどい目に合っている」と……
ああ、お前はそんな病気を持っていた鳥だったな。
成程、それで居なくなるまで出て来なかったのね。
……それならアイツがヤバイ奴だと言う事知っているよね。
こんな事で秘密兵器が使えないとは思わなかった……
そう思っていると“母無し子”が俺の顔をじっと見って言った。
「お前、さっきの奴じゃないな……」
「分かるか?」
「さっきの奴は冷たかった、お前、目の色が違う」
そう言うと、奴は濡れた体を光らせながら、右手一本で棍棒を身構える。
脇腹から、左手首から、とめどなく血が流れるゴブリン。
奴は足元を大量の血で汚しながら、俺の目を見た。
それに誘われるように俺は打ち込む!
先程教えて貰った感覚を辿る様に、剣を握り真っ直ぐ斬り、真っ直ぐ突く俺。
鍔の無い棍棒を振るって、その剣を払う“母無し子”。
前回の様に容易に指を傷つけさせない、進化した奴の棍棒捌き。
剣を振る下に、上に……
構えを変える、屋根に鉄門に、犂に牡牛に……
カーン、コーン……
何十回もそこから俺達は打ち合いを続けた。
その度に棍棒と衝突する剣が金属音を立てる。
身を守る為にあえて相手の一撃を受けた、その都度、鉄の脛当てや手甲が重々(おもおも)しく鳴る。
「クソッたれぇっ!」
振りかぶった貴婦人より放たれた一撃が奴の肩を切り裂こうとする。
全身を地面すれすれに仰け反らせ、人食い鬼はその必殺の一撃を避ける。
次の瞬間、俺の頬を抉ったあの一撃を思い出した俺は首をよじった。
すかさず顔の横を飛び去る奴の棍棒。
思わず距離を取る俺。
「おのれぇぇっ!」
その一撃に俺はブチ切れる。倒した背中を戻そうとしたアイツに、そのこめかみ目掛けて剣を横薙ぎに叩き込む。
“はたき斬り”
すると奴はクルンと、全身で飛び上がり、後ろに一回転する事で俺の剣を避けた。
驚く俺に奴は、ニンマリ笑って「お前の真似」と挑発した……
「ふざけやがってぇっ!」
アイツの挑発に我を忘れる。
肋骨の痛みも関係ない、あの野郎に必ずこの鋼鉄をぶち込んでくれる!
遂に荒れだした俺の剣。
突っかかる俺の一撃をいなす“母無し子”。
奴はすかさず俺の剣を横に払った。
(!)
俺の剣が手から離れて飛んだ。
得意げな奴の顔、右に流れた棍棒。
(これが狙いか……)
俺の短気な性格を熟知していた、奴の作戦に上手く嵌められたのを知った。
そして……俺の目の前には、こん棒を右に流したことでがら空きになった胴体が、そびえ立った。
それを見て、俺は何事かを思い出す。
何度もこんな目に合った気がしたのだ。
一体何だったか……
『首が離れるまで、戦え!
勝つまで諦めるなっ!』
すると不意にゴッシュマの声が耳に届いた。
その声で甦る、これまでの修業風景。
そして、その日々の中で何度も反復練習した、このシチュエーション。
俺は腰のダガーを瞬時に抜くと、奴の左太腿に突き立てるッ!
「!」
更に退くことなく、前に進む。
愕然とした表情の“母無し子”の膝裏を掴む、次にそれを持ちあげ、肩で押すように“九の字”に歪んだ奴の体を持ち上げる。
レスリング技“タックル”
「ぐわぁっ!」
予想もしていなかった奇襲効果を生み、地面に背中から倒れた“母無し子”。
俺はその間に飛んで行った剣を拾う。
立ち上がった“母無し子”は、痙攣する太腿に苦しみながら俺に向けて棍棒を構えた。
こうして更に深手を負い、劣勢に落ちた“母無し子”。
脇腹、左手首、そして左足の太腿から血が噴き出る。
太腿にはいまだに俺のダガーが深々(ふかぶか)と突き刺さり、痙攣した足では走る事もままならない。
だがその状況下でも“母無し子”は諦めていない様子だった。
“母無し子”の目は泳ぎ、そして水面に目を向ける。
飛び込んで逃げるつもりだと感づいた俺は突っ込む。
屋根に構えて肉薄する俺、手にした剣を振り下ろそうとした……。
それに合わせるように“母無し子”の棍棒が動く。
俺の攻撃線を避けるために……
俺の剣が、奴の棍棒を動かしていく。
まるで糸で繋がったかのように。
さらに踏み込む俺、糸が……撓む。
肉薄する俺に振り下ろされる奴の棍棒。それを兜の縁に掠らせながら肉薄する俺。
何千回も行った練習の様に、滑かに持ち手を変えて、剣の柄を回転させる。
そして奴の手首を剣の裏刃で切り落とした!
奥義“撓め斬り!”
ザクリとした手応えが伝わり、肉が、そして骨が切断されていく。
「…………」
棍棒を握りしめながら、地面に飛んでいく、奴の右手首。
「……ああ」
俺の傍らで、母無し子が動きを止めて、落ちていく自分の右手を見ていた。
そして俺は下に降りた剣を、まっすぐ摺り上げる。
“車輪斬り”
剣は逞しい奴の体を下から切り裂き、そして腹と胸を引き裂いた。
再び骨を切断した手応えが、両手に宿る。
「…………」
切断された筋肉が引っ張られ、目の前で逞しいゴブリンの胸元が左右に裂ける。
その様子に“母無し子”は無言で観念したような表情を見せた。
……そして、静かに倒れる。
「うぐ、げぼぉ……」
手応えがあった、奴の臓腑を切り裂いた。
口から血を吹く人食い鬼の姿が、それを物語る。
「はぁ、はぁ……うぐ、げぼぉ」
“母無し子”は再び血を吹き、そして俺を見た。
荒々しく幾度も発せられる奴の咳。
その度吹き上がる血。
やがて“母無し子”は藻掻くのを辞め、そして大の字に寝転がる。
「…………」
沈黙し、その様子を見守る俺。
奴は寝転がったまま幾度も肩を上下させると、血塗れの口に手をやり、そして自分が血を吐いたことをその目で確認する。
次に、驚くほど澄んだ声音でこう尋ねた。
「人間、名前は?」
その様子に、俺は素直に答えた。
「ゲラルド、ゲラルド・ヴィープゲスケ」
「……ママぁは居るのか?」
死を間際にゴブリンは、憎しみも、怒りも失せた声音で、俺に何事かを尋ねる。
俺は「ママは居る、故郷で元気だ」と答えた。
すると“母無し子”は、静かに微笑み慈しむ様な目で、水辺の赤い花を見るとこう言った。
「ママぁが居るなら、今のウチに花を贈ると良い。
俺のママぁは花が好きだった。
あの花だ、そこに咲いている赤い花だ。
毎年ママぁに贈らないといけない。
ママぁが喜んでくれる……ゲホゲホっ!」
息もするのも苦しいはずだった。
しかし“母無し子”は血を吐きながらむせび、そして喋るのを辞めようとはしない。
喋らないで静かに逝けば良いのにと思った。
ママの話は卑怯だ……
俺は、奴の死に際が悲しくなる。
この目に涙が溢れてくる。
「何故泣く?にん……ゲラルド」
「うぐ、ヒック……
分からない……ヒック、ママを思い出した」
「生きているなら、会いに行けばいい」
「遠くにいるから、ママにしばらく会ってない……」
ゴブリンは微かに何度か頷くと「分かる……」と言って、目を閉じた。
そして閉じた目から涙をこぼして言った。
「俺、ママぁに会いに行く。
ママぁ、花は持って来れないんだ、許してママぁ。
俺、一人で頑張ったんだよ。
ママぁ、ママぁ、ま……」
それが、ガーブを震撼させた悪名高いゴブリンが残した最後の言葉だった。
俺はしばらくここで慟哭した。
何故悲しいのかは分からない。
「ううっ、ひっぐ。畜生、畜生……」
何故罵るのか、奴の思いに共感してしまった俺自身が許せないのか。
それともこれが尼さんになりたがった女が触れた“本当の感情”と言う奴なのか……
理屈では分からない何かが俺を締め付けた。
そんな俺の傍らにペッカーが舞い降りる。
彼は俺に声を掛けるでもなく、俺と“母無し子”を交互に見やると、静かに頷いて俺を見守る。
◇◇◇◇
こうして足掛け4年にも渡って、ガーブウルズを震撼させた“母無し子”と呼ばれたゴブリンは死んだ。
この日の夕方、武装したままガーブウルズに辿り着いた俺は、ハンターギルドにこの顛末を告げる。
それを聞くバームス親分は笑顔で「よくやった!」と言い、俺を男だと讃えた。
そして、しばらくして兄貴のバーダムに家に連行された……
彼はその後、二度と俺を褒める事が無かった。
この一件で俺の名前は、ガーブウルズの街を超えて、全国に轟いた。
剣士達の仇を取った無謀な少年剣士、次期聖騎士流剣術の後継者の最有力候補。
王国を陰で操ると噂の、大魔導士グラニール・ヴィープゲスケの息子は、将軍の血が濃いらしいと……
そんな噂だ。
◇◇◇◇
―そしてその約一カ月後の事
剣士達の仇を取ったと言う事で、非常に名前が挙がったと、ソードマスターになって帰ってきたゴッシュマが誇らしげに俺を讃えてくれた。
俺の手柄が嬉しいらしい。
……ただし、バームスはボコボコにされた。
俺を危険な目に合わせた……と言うか止められなかった事が、親子の約束を破ったことになったようだ。
ごめんね、親分……
それはさておき、そんな俺に対し、ゴッシュマは贈り物をしてくれるという。
なんでも立派な鎧覆い(ホバーク)を作ってくれるそうだ。
……しかしエンジェルの絵柄は断った。
背中の羽にこだわられても困る。
こうして気が付けば、この街を後にし、王都、すなわちセルティナの街に帰る日が近付いた。
別れを惜しんだ人の歓送会を控え、俺はワナウ、そしてガストンやジリ、そしてラーナちゃんと言った親しい人を集めてささやかな夕食会を開く。
他の人は三日後の歓送会で別れを告げる。
「御曹司、おめでとう!」
ガストンがそう言って俺を祝った。
俺も嬉しくなって「ありがとう、やっと俺もシャバに戻れるよ!」と答える。
2年間はあっという間とも、永遠に続くのではないかとも思うほど長かった……
そんな風に思って、過酷なガーブでの日々を振り返ると、ラーナちゃんが可愛い声で言った。
「まぁでも、此処もそんなに悪くなかったんじゃない?」
にっこり笑うラーナちゃんが可愛い。
俺も微笑みながら「確かに此処は良い所だったけど、やっぱり実家が良いよ」と答えた。
「ラリーのおうちって広いの?」
「すっごい広いよ、この離れの家で……
僕の部屋くらい?」
それを聞いたワナウも「ああそうですね、そんなもんかもしれませんね」と相槌を打った。
するとジリが「そんなに広い部屋をもって何をするんだよ?」と言う。
「なんだろ、広いだけで素敵かなぁ?
ペッカーがご機嫌に部屋の中を飛び回るよ」
「ポンテスもか?」
「いや、アイツはママの部屋に住んでる。
男は嫌いニャぁ……とか言って」
「へぇ……」
「今度ウチに来いよ、王都のヴィープゲスケ男爵邸と言えば、みんな知っているから迷わないと思うぞ。
ジリはパパもママも面識もあるし多分泊まれるよ」
俺がそう誘うと「お前が坊ちゃんだとは誰も思わないだろうなぁ」と一言……
ニャンでだよ!
「あははは、ですが坊ちゃんは正真正銘の貴族のお子様です。
お越しくださればきっと旦那様もご歓待してくださいますよ」
そう言ってワナウがフォローを入れる。
「そう言えばワナウは、王都に帰ったら給料が下がるかもしれないけど大丈夫?」
ラーナちゃんがどこで仕入れたのか、いらぬことを聞く。
「ど、何所で知ったのですか?
まぁ秘密にはしていませんでしたが……」
ワナウが噴き出しながらそう言うと「エウレリア様から教えて頂いたの」と……
どういう繋がり?
思わずラーナちゃんをガン見する俺を尻目に、ワナウが胸を張ってラーナちゃんに答えた。
「ええ、実は今度乗合馬車の会社を立ち上げようと思いましてね。
ここではお金を貰っても使う宛ては無かったですし、それで溜め込んだお金で事業をしようと思うのです」
それを聞いた俺は感心した。
「へぇ、ワナウ凄いじゃん。
何処の路線を走るつもりなの?」
それを聞くとワナウは「いや、そこまでは……」と答えた。
それを聞いた俺は“ピン!”ときた。
絶対に儲かる路線を思いついたのだ。
そこでワナウにこんな提案をしてみた。
「それじゃあさ。大学用の送迎にしたらどうかな?」
「どういう事です?」
訝しげな表情で俺を見るワナウ。
そこで俺は面白くなってこんな提案をしてみた。
「パパに頼んで遠見の術式の入った水晶を貰ってくるからさ。
大学と、ワナウの会社の事務室に設置して、連絡が来たら送迎用の馬車を走らせるんだよ」
「え、そんなことできるんですか?」
「俺も出資しようか?
そうしたら想定していたのよりも良い馬車を使えるでしょう。
……ウチのアホ姉貴達見ていたらさ、やけに遅くまで研究しているから、たぶんニーズはあると思う。
それとは別にだけど……
家賃が安い大学生が住んでいる所と、大学を路線で結んで、授業が始まる前に到着できるように、定期便を走らせれば、パパも喜ぶと思う」
俺がそう言うとワナウは目を輝かせて「出資してくれるとは思いませんでした。坊ちゃま、私の坊ちゃま……」と言って手を握り……
なんだろ、どこかで見た芸風なんだけど。
……まぁいいや。
この後しばらく王都でやる運送会社と、そこに出資するお金の事で話し合った俺達。
一通りお話を終えると、この話に妙に興味津々(きょうみしんしん)と言った感じで、ガストンが聞き耳を立てているのに気が付いた。
そう言えば、お金と言えば、彼もこの一年で結構お金を貯めていた筈である。
そこで俺はガストンに尋ねた。
「ガストンはどうするの?」
すると彼は「これからかい?」と聞いた。
俺が頷くとガストンが言った。
「俺は、実はマスターワースモンのお嬢様と交際していてな……
それで、彼女に相応しい人間になって、彼女を助けたいと思っていたんだ。
……でも、結局マスターワースモンの仇は取れなかった。
俺の剣の腕が悪かったからだ。
そこでこれを機に、俺は武者修行に出る事にした」
あ、交際していた事いよいよ言っちゃう?
そう思いながら俺は今聞き捨てならないことを聞いたので、思わず尋ねた。
「武者修行?」
俺がそう尋ねると、ガストンは真剣な眼差しで頷き、そしてこう答えた。
「この一年、ラリーやマスターゴッシュマの姿を見て決意したんだ。
もう一度剣を見直してみよう、と。
家を再興させるのは、自分に実力をつけてからにしようって。
だから、明日……俺は旅立つことにした」
急な話にびっくりした俺。
目の前のガストンは迷いのない目で俺を見返す。
俺は「そうなんだ……羨ましい」と言ってその目線に答えた。
これから自由の旅に出るガストン……
剣技の向上を目指す彼は、初めて会った時よりも眩しく見える。
そんな彼に羨ましいと言ったのは、自分でも思いがけ無い一言だった。
意図して言った訳じゃない。
だけど俺自身“武者修行の旅”と言う言葉の響きで、何もかもを捨てて剣技向上の為に旅に出たらきっと楽しい事が待っているだろうなと、当てもない期待を抱いた。
……そう考えると、やはり俺は彼が羨ましいのだと気が付く。
だけどそれはさて置こう。
この話の流れで俺は、せっかくだから何か贈り物をしようと提案する。
すると彼は、俺のダガーが欲しいと言った。
自分も決戦に行く前に、腰に下げる一本のダガーが欲しいそうだ。
(俺のダガーを狙っていたな)
そんなおねだりに思わず苦笑いが浮かぶ。
そこで俺は、腰のダガーホルダーもセットにして“母無し子”との戦いで使った、あのダガーを贈った。
これがガストンと俺との別れになる。
そして、あの日俺を守ったこのダガーが、今度は必ず彼を守る筈だと信じた……ぜひとも彼の立身の役に立てて欲しい。
ガストンは始めビックリして、次に喜んで受け取った。
「年下のラリーから貰うのは気が引けるが、次期当主様からの頂き物だ。
家宝にするよ……」
「アハハ、いいよしなくて、それに次期当主になれるかどうか分からないから。
ソレよりもこのダガーで自分の身を守り切って欲しい。
それがゴッシュマ流の教えだからね」
それを聞くガストンは、ニッと笑うと「ああ」と言って腰にダガーホルダーを巻いた。
……とても良く似合っていた。
さて他の人のこれからもお話ししようか。
ジリも来年から、ゴッシュマの門下生に正式になるのが決まった。
そしてバルザック家に弓兵として雇われる事も同時に決まる。
この仕事で名前を挙げて、家を再興させてみせると意気込むジリ。
こうして俺達は、それぞれの進路を胸に話し合う。
やがてワナウとガストンは酒瓶をもって別室に向かい、二人だけで酒盛りを始めた。
残されたお子様達である俺とジリ、そしてラーナちゃんは、最後の別れを惜しみ、そして思い出話に花を咲かせる。
その席で俺はジリに“ある”お願いをした。
「なぁ、ジリ……一つ頼まれてくれないか?」
「なんだ?珍しいな……」
そう言って訝しがる彼に、俺は3枚の金貨を渡す。
ジリは手の中で、受け取った金貨をチャラチャラと玩びながら首を傾げる。
……俺は彼に言った。
「墓をこのお金で作ってくれないか?」
「誰の?」
「あの“母無し子”の墓だ」
「な……」
その言葉にジリは驚き、そして頭を抱える。
その彼を口説くべく俺は言葉を連ねた。
「母親の墓の隣に作ってほしい」
「遺体は無いのにか?」
「実は髪を一部切り取ったんだ。
それを遺体の代わりにして欲しい」
「どうしてそこまでアイツの為にするんだ?」
そう尋ねたジリ、俺はあの日“母無し子”との戦いで何を聞き、何を体験したのかその全てを話した。
それを黙って聞き、時折相槌を打つジリ。
彼はその間、手の中の金貨に目を向け続ける。
会話の最後、俺はこう彼に告げた。
「上手く言えないけど……
ママを愛していると言われると、どうもやりきれない。
せめて墓だけでも、アイツをママと一緒にしてやりたいんだ」
俺が断られることを恐れながら、そう懇願すると、ジリは「はぁ……」と溜息を吐き。
そして俺に微笑むと言った。
「しょうがねぇな、お人好しのお前には敵わねぇよ」
俺は承諾してくれた彼に、無言で手を差し出し、ジリはその手を握り返す。
「感謝するよ、ジリ……」
「ああ、俺もお前は忘れない。
またガーブウルズに帰ってきたら、皆で会おう……」
彼はそう言って笑った。
楽しい夜、そして別れの夜はこうして過ぎていく。
そして翌日ガストンは最後に俺の朝練に付き合った後、旅支度をしてこの家を出て行った。
また会えることを誓い合って……
◇◇◇◇
―その日の夕方
二年の月日を過ごすと、思ったよりも荷物が増える。
お手製の服やら小物入やら、俺の趣味と化した様々な革製品を箱にしまっていると、ジリが飛び込んできた。
「大変だラリー!」
「ど、どうしたんだよ、昨日お別れの挨拶を……」
「ワースモン一味が俺の家に押しかけてきた」
「な、なんだって?」
「あいつら、とにかくガストンとラリーを出せと言ってる!」
「な、ええ?分かった、とにかく行こう」
こうして俺は、ジリの家に向かった。
ジリの家は、相も変わらず丸太小屋で、そこの客間に険しい顔のハゲ親父と、悲しそうな表情を浮かべた、目のパッチリした女が座っている。
事情が分からない俺は、兎にも角にも話をせねばと思い声を掛けた。
「えッと、こんにちは。
ゲラルド・ヴィープゲスケと申します」
俺がそう声を掛けると、禿げたおっさんは目を怒りで尖らせながらも「初めましてサチモス・コルファレンです」と答えた。
隣の女は俯いたままだ。
……何?このシチュエーション。
「えッと、ジリから私をお呼びと伺いましたが……」
「すみません、単刀直入に聞きますが……
ガストン・カルバンをご存知ですか?」
「ええ、今朝も一緒に居ましたが……」
「仲が良かったのですか?」
「……悪くは無いと思いますが、如何いたしました?」
「ええ、あの野郎がどこに言ったのかご存じないかな?
と、思いまして……」
「それは分かりませんが、彼なら武者修行に出かけましたよ……」
俺がそう言うと禿げたおっさんは「あの野郎!」と吐き捨て、そして隣の女は「うわぁぁぁっ」と泣き叫び……
どんな修羅場だよ……
「な、何かあったのですか?」
「いえ、あの野郎ウチの姪と結婚の約束をしていたんですがね。
今日、居なくなっちまったんです。
自分はまだ未熟だからとか何とか書いた手紙をよこして……
あの野郎ぶっ殺してやる!」
ああ、ガストン。お前って奴は……
次の瞬間彼は深々と俺に頭を下げると、隣にいて泣いていた女を連れてこの家を出て言った。
彼等が消えて静かになった家でジリは言った。
「あいつ……結婚詐欺師だったんだ」
「…………」
ガストン、きっと君の事も忘れる事は無いだろう。
◇◇◇◇
と、思っていた二日後。
「やぁラリー、今度結婚する事になったよ」
今度は顔に3っつ青たんやら赤たんをこさえたガストンが、武者修行から帰ってきた、
隣にはニコニコ顔の娘さんや、凄い形相でガストンを睨むサチモス・コルファレンを従えて。
……なぜ、こんなに早いご帰還なのかは聞けなかった。
て、いうか理由は分かるしね……
「おめでとう、ガストン……」
俺がそう言うと、ガストンがどこかくたびれた顔で「そうだね、人生は分からないね……」と言った。
最後の最後、お前って奴は……どんな別れ方で一生の思い出を作ってくれたんだよ。
そして、サチモスが口を開く。
「まぁ見ての通りです、ふざけたことを二度としないと言うのでね。
ウチの姪の婿殿です、御曹司もよろしくお願いいたします」
「あ、うん……こちらこそ」
え、元々俺の知り合いはガストン……
まぁ、いいか。このままだとガストン、もっと顔、ボコボコにされそうだし。
そう思って引き攣った笑みを浮かべていると、ガストンが申し訳なさそうな笑みを浮かべて言った。
「あの、それでラリーお願いがあるんだけど」
「なんですか?」
悪い予感を覚えながら尋ねるオイラ。
ガストンは躊躇いながら、こうお願いをした。
「あの、俺の結婚式に……名代の者を送ってくれないかな?」
「へ?ああ、じゃあジリにお願いするよ」
俺がそう言うと、隣の彼女がピョンと飛び跳ねて言った。
「嬉しい!時期流派ご当主様から祝って貰えるなんて我が家の名誉だわ」
え、そうなの?
て、言うかこのお願い、お前の嫁さんのお頼みだったりする?
……まぁ別にいいけド。
「バルザック家の方や、ヴィープゲスケ家に連なる方とお知り合いになれて、こんなに名誉な事はございませんわっ!」
いや、別に俺なんか……
彼女は嬉しそうにガストンの腕を取って、俺に頭を下げた。
実情を知らない人から見ると、俺がそんな大層な奴に見えるのだろうか?
とにかく困惑する俺に、さらにガストンは言った。
「後、もう一つお願いがあって……」
「え、なに?」
「傭兵として雇ってくれる所を、紹介してくれないかな?」
そいつは全く心当たりがない。
そう思っていると、ふと心当たりがあるのを思い出した。
「行くと一年で帰って来れない所なら、バームス親分が紹介してくれるみたいだよ?」
たしかあの男は、ゴッシュマの家でそう言っていた。
サチモスはその話を聞くとしばらく考え事をした後に「バームスと話をしてみたい、連絡を取ってもらえないか?」と聞いた。
そこで俺はバームス親分の元に彼等を連れて行った。
こうしてワースモン一家は、バームス親分に紹介されて、シルト大公領に向かい、そこから南のショウガが取れる島に向かい、そこで征服、開拓事業に乗り出すことになった。
頑張れ、ガストン。
愛と夢の南の島で、ぜひとも家名を上げて欲しい……
◇◇◇◇
ガストン達が俺の家に押し掛けた次の日。
歓送会を受けた後、俺とワナウはセルティナの街へと向かう事になった。
「それでは行ってきます、マスター」
俺がそうゴッシュマに挨拶すると、マスターと呼ばれたのが嬉しいのか、ゴッシュマは顔を赤くして俺の肩を抱き、そして声を掛けた。
「行ってくるんだラリー。
お前ならできる、ただし用心しろよ。
殿下の剣、アレは想像以上に鋭いモノだった。
流石は“合理のボグマス”の弟子と言うべきか。
だが、お前の剣は、お前が愚かにも命を懸けて作った剣。
最後、そうした経験が自信を生み、そして最後までお前を支える。
苦しいときは過去お前が乗り越えた強敵の顔でも思い出すと良い。
それを乗り越えたお前ならきっと、その剣で敵を倒す事が出来るだろう。」
「分かりました」
「うん、よーし……」
ゴッシュマはそう言うと俺から離れ、そしてバーダムから布で包まれた荷物を受け取ると、ソレを持って俺の元に近付いてきた。
「ラリー、これを大会では身に着けてくれ」
そう言って渡された大きな荷物。
中身は見た目よりもずっと軽かった。
この贈り物に怪訝な表情をしていると、ゴッシュマは言った。
「何とか間に合った、鎧覆い(ホバーク)だ」
「うわ、ありがとう!」
たった三日で作ったの?
すげぇ、ちょっと感動したんだけど。
「大会の当日身に着けると良い、俺の弟子が駆けつけて楽しみにしている」
「…………」
そう言われた瞬間、嫌な予感がして感動が吹き飛ぶ。
ゴッシュマのセンスが光る鎧覆い(ホバーク)……
え、絶対つけないと駄目なパターン?
「ああ、ありがとう……」
エンジェルはやめろ、エンジェルはやめろ……
「心配するな、ちゃんと若者好みにしたから!」
「そう、それなら安心だね……」
若者って、お幾つでしょうか?と、聞きたくても聞けなかった俺。
いつかこの事を後悔しないように願う……
こうして別れのあいさつを終えた俺は、馬車に乗って旅立った。
俺はそれを後に大変後悔する事になるのだが。この時は分からなかった。
…鎧覆いの事だよ。
間もなくガーブは雪で閉ざされる。
遠くの雪雲に追われるように、隙間風が吹く馬車に揺られる俺達。
遠くなるガーブウルズ……
次この街を見る頃は、俺は今よりも強くなると固く信じた。
◇◇◇◇
―おまけ
アルバルヴェ王国、北方にある辺境の荒れ地、過酷なガーブ地方。
その中心都市ガーブウルズ郊外に“悪魔の谷”と呼ばれる場所がある。
未だ地中深くで脅威が渦巻く、活火山の大地で、常に硫黄の臭いが漂う。
その谷の中に”イライナの呪い”と呼ばれる、死が渦巻く呪われた窪地がある。
そしてその中央にある猫の額程の台地の上は、窪地に漂う死の臭いから免れる事が出来る場所で、しかも温泉が湧いている。
この温泉は飲む事も出来、その存在のおかげで、この台地の上は人が住む事が出来た。
実際にハンターギルドが作った山小屋がこの温泉の傍に在り、現在は湯治も出来る場所になっている。
そしてその台地の片隅に、二つの墓が存在する。
ガーブでただ一つ存在する、墓碑銘のあるゴブリン“母無し子”の墓。
そしてその隣には、その“母無し子”が母親のイライナ為に作ったという墓がある。
“母無し子”の墓石に刻まれた墓碑銘は語る。
―この墓に眠るのは聖竜暦1206年から1210年秋まで、ガーブを騒がせたゴブリン“母無し子”の墓である。
その隣にあるのは“母無し子”が生前母親の為に作った墓である。
“母無し子”が打ち取った剣士の数、延べ46名。
1210年秋10歳の聖騎士流剣士、ゲラルド・ヴィープゲスケとの決闘に於いて破れて死ぬ。
“母無し子”は棍棒、そしてクオータースタッフを巧みにしたゴブリンである。
決闘の経緯だが、この“母無し子”が死んだ母親を供養するために、ヤゴリアス草の花を求めて、レナ川の源流に赴いた際に、ゲラルドと邂逅した事がきっかけである。
墓碑は、ゲラルド・ヴィープゲスケと、彼の友人ネザラス・ジスプラストが、母親思いだった人食い鬼の為に1210年11月に贈る。
そして墓碑の右側面にはこう刻まれている。
―この墓碑を見る奴は用心しろよ。
弱きゴブリンだからと言っても、何時までも弱い訳じゃない。
弱い者は何時までも弱くあろうとした奴だけだ。
望めばどんな奴でも強くなる事が出来る。この“母無し子”の様に……
お前さんもまた、今に満足していないなら、腕前の向上に努めるべきだろう。
バームス・グラガンゾ
これ以降ガーブ地方でゴブリンを見る事は無くなった。
それはボスを“母無し子”に殺された、ワースモン一味の徹底的な復讐と、虐殺が原因であるともいう。
それが本当だとしたら“母無し子”がやった事はどれだけ同族に対し罪深いかが分かる。
ただ“母無し子”は仲間のゴブリンを嫌い、虐殺したとも伝わるから、もしかしたら復讐を果たしたのかもしれない。
いずれにせよ、その真相は永遠に闇の中に落ちた……
本編更新に時間がかかり申し訳ございません。
第3章終わりまでもう少しと言う所に来ました。
先週本編の内容を自分でも把握するために、敵役の”母無し子”誕生秘話を綴った外伝を上梓しております。
完全シリアスで悲劇の作品です、残念ですが肉野菜炒めから肉が抜けた作品かもしれません。
あくまでも本編をより理解していただく為のお話しとして割り切ってごらんいただければと思います。
URLはこちらからです→https://ncode.syosetu.com/n0704fq/
いつもご覧いただきありがとうございます。
亀更新で申し訳ございません。
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何卒これからもよろしくお願いいたします。




