全ては赤い花が招いたこと……
“母無し子”との戦いで死んだソードマスター、ワースモン・コルファレンの娘の名はシワルネと言う。
父が残した立派な邸宅の女主人となった彼女は、同時に傭兵集団のオーナーとなった。
とは言え彼女に荒事を得意とする、荒くれ者を纏める才能は無く。
彼女自身もその事は熟知している。
なので彼女はそれに相応しい者が居たら、この傭兵団は譲るつもりだった。
ところが、その事が彼女を現在、大変追い詰めていく。
「伯父様、私はどうしたらよろしいと思いますか?」
彼女は目の前に積まれた手紙の山を見ながら、伯父のサチモス・コルファレンに、相談を持ち掛けた。
彼女を悩ませた手紙の内容は、大きく分けると三つだ。
一つ目はゴブリン狩りを熱心にやり過ぎた結果、収入不足に陥った配下の傭兵から届けられた、救済を願う手紙。
二つ目は他家の領地で起きた、いざこざに関する、釈明と損害に対しての補償を求める手紙。
三つ目は様々(さまざま)な支払いや、それ以外の私信である。
禿げた頭が特徴的な伯父のサチモスは、苦虫を噛み潰した表情を見せながら言った。
「救済を求める手紙には”知らん!”と言う他無いだろうな、そこまで金を払ったら金が幾らあっても足りなくなる。
それに今回の件は、命令として出した訳じゃない、あくまでも連中が勝手にやった事だ。
お前も私も兄貴の仇を取った者に、傭兵団を譲ると言っただけだ。
……(譲ると言った事が)まさかこういう事態を引き起こすとは、私にも想像がつかなかった。
それよりも問題は他家からクレームだな。
手紙の宛名を見ると、傭兵の雇用主の名前がちらほらある。
これを踏み倒すと、もうどこも雇ってはくれないだろうな……」
「ではお支払いしますか?」
「いや……話はそう単純ではない」
そう言うとサチモスは、禿げあがった頭を撫でながら言った。
「逃げ出したゴブリンや野生動物が、他家で問題を起こしたのでその補償を、と言われても、おいそれと払えん。
まぁ、その理由を説明するとだな……
ゴブリンも動物も、まだ相手の領地に居たままだからだ。
何年も居座るケースもあるだろうし、それまで補償を求められたらさすがに金が持たない。
かと言って今現在の被害額だけを、補償して向こうが許すかと言われれば、そうはなるまい。
そもそも原因はソチラにあると言いだす。
……このケースだと、他家に逃げたゴブリンが、毎日被害をまき散らしているだろう。
将来に渡って、損害の負担をするよう求められる可能性が大きい。
更に油断も出来ない領主ならば……
恐らくガーブから逃げたゴブリンだけではなく、これ幸いとばかりに、自領に元々(もともと)居るゴブリンの被害の補償も要求するだろう。
……どのゴブリンがやった犯行なのか、判る筈も無いしな。
シワルネ……世の中は汚い奴で一杯だ。
言われた通りお金を払う訳にもいかんのだ」
それを聞いたシワルネは、悲しそうな表情を浮かべ「ならどうします?」と尋ねた。
サチモスは「はぁ……」と重たい溜息を吐くと「分からん」と呟いた。
「兄貴が生きていたらどうするだろうな。
踏み倒して平然とするかもな。
……だがソードマスター亡き傭兵団に、どんな価値を伯爵達は見出す?
先ほど言ったように踏み倒せば、この先連中が我々を相手にする事はあるまい。
それにこれまで付き合いが深かった、ライオ・フレル・ダブリャンは、失墜してしまった。
これからの事が見出せん。
連中と揉めた後を考えると、だ……
新しい雇い主が見つからなければ、我々はじり貧だろう」
「(傭兵隊は)解散ですか?」
「傷が浅い内に、それも……な」
シワルネはそれを聞くと、沈鬱な表情を浮かべ「父を支えた彼等はどうなるのです?」と、傭兵団の構成員を思って言った。
サチモスは「それも問題だな……」と呟いた。
コンコン……
彼等が籠る部屋の扉を誰かが叩く、二人がそちらに目を向けると、使用人の声で「すみません、ガストン・カルバン様と言う方が来られましたが如何しますか?」と、扉の向こうで尋ねた。
「ガストン様?ではお通しして」
ガストン・カルバンはマスターワースモンが死んだ“悪魔の谷”から帰還できた3人の一人だ。
シワルネも名前だけは聞き及んでいる。
一体何の用だろう?
そう思って招き入れると、育ちの良さそうな一人の青年がこの部屋に入ってきた。
初めて出会ったガストンに、シワルネは胸がトン……と高鳴る。
「初めまして、ガストン・カルバンと申します」
「え、ええ……今日は如何いたしました?」
シワルネはトクトクと胸が鳴る中、平静を保ちながら、威厳をもって用向きを尋ねる。
ガストンは、頭を深々(ふかぶか)と下げると「実はお父様の形見の品をお返ししたいと思いましたので、伺わせていただきました」と言った。
「父の形見ですか?」
「ええ、これを……」
ガストンはそう言うと“母無し子”と交戦したあの日、ワースモンの腰から取り上げた、腰の剣を差し出した。
それを見たシワルネの目が大きく見開かれる。
「間違い無く、父の剣です……
今まで持っていたのですか?」
「すみません、お返しする機会を待っていたのですが、なかなかガーブウルズに帰って来ることが叶わなくて……」
ワースモンの死から半年程が経っている。
遅い返還だ……
サチモスは鋭い目をガストンに向けると「何故今頃になって返した?」と聞く。
ガストンは、塊のような重たい唾を飲みながら答えた。
「身を立てるために、ゴブリン狩りに精を出しました。
それでこの街に帰って来るのに時間がかかり……」
「……順序が逆だろう」
サチモスは不愉快な思いも露に、吐き捨てるように言葉を発す。
その気迫に恐怖し思わずたじろぐガストン。
「伯父様、この方はこうして剣を返してくれました。
そのまま自分の物にする方も多いのに、随分と誠実な方です……」
「まぁ、そうだな……」
シワルネの言葉にサチモスの表情も柔らかくなる。
シワルネはそのままキラキラと輝く目で、ガストンに尋ねた。
「不愉快な思いをさせて申し訳ございません、ガストン様、伯父も悪気は無いのです。
ただ世の中は信じられない人も多いですから……ご理解ください」
「ええ、それは分かっておりますので」
「ありがとうございます。
では、ありがたく剣は受け取りたいと思います」
ガストンはホッとした思いを抱きながら、剣を彼女が受け取るのを見つめた。
シワルネはそんなガストンの様子を見ながら、言葉を探すように尋ねた。
「ガストン様は、今何をされているのですか?」
「え?ええ……知り合いの子供の面倒を見ておりまして」
「お知り合いですか?
カルバン家の方なら、ダブリャンとかワーマロウの子ですか?」
シワルネは仕事につながる話があるかも?と思いながら食いつくように尋ねた。
するとガストンは、目を泳がせながら言った。
「いや、ヴィープゲスケの……」
『え?』
シワルネと、サチモスは同時に声を上げて身を乗り出す。
「男爵とお知り合いなのですか?」
食いつく二人の様子に思わずたじろぐ、ガストン。
彼はしどもどろになってこう言った。
「いや……実はラリーと個人的に親しくて」
「ラリーって?」
更に身を乗り出すシワルネ。
近すぎて体を遠ざけようと、背を反らしてカルバンは言った。
「ゲラルド・ヴィープゲスケ。
男爵の息子の、ゲラルドの事です」
シワルネは姿勢を戻すと、驚いた眼で伯父と目を合わせた。
「どういう繋がりが?
ゲラルド・ヴィープゲスケと言えば、ソードマスターになったら聖騎士流の流派総帥になる御曹司ですよね?」
「え、そうなんですか?」
「ご存じないんですか?」
「ええ、アイツそんな事は一言も……」
ガストンの言葉を聞き、二人は目配せをしてこう尋ねた。
「本当にゲラルド様ですか?
失礼ですがかなりの大物と知り合いだと思うのですが」
「大物?アイツはただの剣術小僧ですよ。
永遠に練習し続ける剣狂いで、むしろ親しみが持てるタイプ……」
ガストンがそう言うと、シワルネはガストンの手を握って言った。
「もっと詳しい話を聞かせて下さい」
「は、はい……それは構いませんが。
夜は自分も仕事があり、もう帰らなくては……」
「いつなら時間が取れますか?」
「それは……雇い主が決めるので」
きな臭さを感じたガストンは、全てを正直にいう事を躊躇い、明言を避ける。
するとシワルネはガストンの手を離しながら「ごめんなさい、私ったら……」と言った。
ガストンはその様子に女性らしさを感じ、胸を高鳴らせながら「いえ、お気になさらず」と答える。
サチモスはそんな二人の様子を見ながら静かに言った。
「まぁ、ガストン殿……
我々と仲良くしてください、私も言葉足らずでした」
ガストンは「ええ、それは別に構いませんが……」と答える。
「では休みの日があればご連絡ください。
お詫びに食事を奢らせていただきますよ、何ならうちのお嬢様と二人きりでね」
「伯父様!」
サチモスの言葉に、顔を真っ赤にしたシワルネが抗議する。
それを見てガストンも呆気にとられた様な、それでいて笑みをこぼすような表情を浮かべ、シワルネの顔色を伺う。
ガストンは二人に、連絡する事を約束し、まんざらでもない顔でこの部屋を出て行った。
ガストンが消えた後、サチモスは「あんな男が良いのか?」とシワルネに聞いた。
「誠実そうじゃないです?」
シワルネがそう返すとサチモスはフッと笑うと「そうかもな……」と答えた。
そしてこう言葉をつづける。
「もし上手くいけば、王党派貴族の仕事が取れるかもしれない。
何せ相手は聖騎士流の御曹司で、陰の権力者と言われるヴィープゲスケ前男爵の息子の知り合いだ。
これまでなかったパイプを持つのは悪い事じゃない」
「分かってます!だから……」
「ああ、お前は分かっている。
だけど相手がどんな男なのかを知るのはこれからだ」
「…………」
「そんな顔をするな、俺はお前を応援する。
それにガストン・カルバンに関する悪い噂は殆ど無い。
ふふ、お前がなぁ……アイツ優男じゃないか?」
「少し興味が湧いただけです」
「まぁ、まぁ……兄貴もお前を応援するさ。
こうして剣は帰ってきたし、悪い気はしないだろう」
そう言ってサチモスは笑い、姪の恋をほほえましく見守ることにした。
これが、ラリーが初めてゴッシュマの家に行った日、別の場所で行われていた事なのである。
そして二人は翌日ガストンの連絡を受けて、一緒にレストランで食事をとった。
若い男女は楽し気に会話を楽しみ、サチモスはその様子を見ながら、二人の暮らしが立つようにしなければならないかも?と考えた。
それをラリーと、バームスが見たのである。
ラリーが知らない所で、そんなささやかな話が盛り上がっていた。
こうしてガストンとシワルネはひそかに交際を始めた。
バームスが懸念したような関係ではなく、もっと単純に男女の交際をしていたのである。
彼等を尻目にラリーの剣術修行はさらに熱を上げて行く、月日は流れそして秋になった。
◇◇◇◇
―10カ月後……ラリー視点。
“撓める”と言う言葉がある……
曲げている物を伸ばしたり、あるいは真っ直ぐな物を曲げると言う意味だ。
他にも故意に曲げる、偽ると言うのも含まれる。
ボグマスに叩きのめされたあの日から、俺がずっと磨き上げた技の名も、 “撓め斬り”と、言う……。
夜、庭で剣を構える。
練習中に痛めた肋骨がズキズキと痺れるように痛んだ。
そして目の前には10カ月で随分と精悍になった、ガストン・カルバン。
互いに奇声を上げ、剣を振り上げては叩きつけ、下から切り上げては抉っていく。
一歩踏み出すたびに攻撃線を斜めに切り、後ろに下がって遠ざかる。
そしてハーフソードで抑え込むなり、相手の剣を取り込もうとし、相手の構えを鋭い突きで突き崩した。
押し付けた剣を動かしては、相手の肉を刻撃に持ち込むガストン……
こうして続く終わる事無い、技と殺意の応酬。
決め手を欠いた互いの手の内……
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
息が荒く上がり、月夜に吐く息とともに唾が飛び散る。
その中で俺は剣を背の後ろに振りかぶった。
“貴婦人の構え”
ガストンもそれに対抗するように剣を背の後ろに振りかぶり、構えを俺と同じにする。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」
負けてたまるかと言う気迫が、誇り高き貴婦人の如く、ガストンの体から立ち上る。
「…………」
俺は構えを解き頭の横に剣を構え、切っ先をガストンに向ける。
“牡牛の構え”、相手が動かなければ、突き崩す……
これを見て動くガストン、斜めに足を動かしながら剣を振り下ろすタイミングを計る。
ここで俺は、未来振るわれるであろう、ガストンの振り下ろす剣の軌道が虚空に見えた……
咄嗟に俺は彼の一歩に会わせるように歩き、剣を天に向けて立てる。
傲慢なる“屋根の構え”……
相手の気組みを、揺する様なタイミングでの構えの変更。
わずかに躊躇うガストンの剣。
すかさず俺は強撃のモーションに入る。
それに合わせる様にガストンの剣が攻撃線をけん制するように動きだした。
彼の剣もまた、けん制できる位置から俺に向けて振り下ろす!
まるで俺の剣と糸が繋がったかのように動くガストンの剣、その糸をダラリと俺は“撓める”。
一歩前に踏み出し、ガストンの攻撃を紙一重で躱したのだ。
刹那に俺は柄を持つ持ち手を、僅かに変える。
目を見開くガストン、伸び切った彼の腕。
手元の動きで半回転する俺の剣。
ガストンの腕に落ちて行く、俺の剣の裏刃。
ガシャーン……
手甲が剣の衝撃で音を上げた。
次の瞬間ガストンは手を抑えてうずくまり、痛みに顔をしかめながら俺に言った。
「御曹司、見事……」
「はぁ、はぁ……出来た」
今自分の剣が、相手の剣を動かしたようだった……
初めて味わう相手を操縦したかのような感覚……
張り詰めた緊張、相手の剣を、自分の剣から伸びた、見えない糸が引っ張ったような手応え。
それを文字通り“撓ませた”のだ。
誰も想像もしていなかった闇に吸い込まれるように動いた足、そして手の動き、何よりも俺の木剣……
やっとわかった、やっと……
俺は今の感覚を忘れまいと、さっきの動きを一心不乱に繰り返す。
緊張させ、引っ張っては、緩ませる。
足も腕も、手元の動きも精緻を要求する特殊な剣。
初めて使えたこの日、俺は何故この技に心奪われたのかが分かった。
他の技では味わった事が無い充足感が胸を満たす。
俺は“真実”を手に入れたという確信で頭がいっぱいになり、喜びが全身を貫く。
この感情を上手くは説明できない……
ガストンはそんな俺を茫然と見つめる。
嬉しそうに何度も“撓め斬り”を繰り返す俺に驚く彼。
そんないつもと変わらぬ月夜の下で、秋風が遠くに咲いた鄙びた花の匂いを俺達に届けた。
◇◇◇◇
―それから二日後……
俺のガーブウルズでの修行の日々(ひび)が終わろうとしていた。
今日ゴッシュマから、修行の中断を言い渡されたのだ。
剣の修業は一生続くが、この時点ではまず一度終わりと言う意味らしい。
その命を聞くと感慨深い思いが胸に沸く。
長過ぎたとも、あっという間だったとも思えた2年近くの歳月。
脳裏をよぎる、あらゆる娯楽から遠ざかった荒れ地での、剣術修行に明け暮れた日々。
その結果、俺はもはや同年代の剣士の誰にも負けない程強くなった。
俺の正体が知れ渡り、この地で俺を侮る者も、もういない。
ただそれ故なのか、かつての様にゴブリン狩りに精を出したり、危険な事をすると止められるようになった。
ガーブの連中は俺を“子狼”と呼んで、その剣の腕前の向上を喜ぶが、同時に俺を強い男に育てようとはしないのだ。
何かと言うと俺を尊重し……
それはありがたいのだが。自分の心に野生が宿るのを避ける節が、ひどく目につく。
“坊ちゃん”とか“御曹司”とか呼んで、乱暴な言葉遣いをすると、パパみたくたしなめたがるココの連中。
俺を貴族らしい貴族に育てたいのだろうか?
野獣のような連中だからこそ、貴族はこういうモノ、と言う固定概念に縛られているんじゃないか?
そんな連中のいらない気づかいが、最近では特に、俺を甘やかす方向に向かわせている。
ウザい……できればゴメンこうむりたい。
俺は驕り高ぶる事が無い様に自分を律し、そして剣の高みを望み続けたいのだ。
最近ではそんな連中に、俺は不満を募らせている。
さて、話は変わるが。
そんな俺の背丈はさらに伸び、大体大人と変わらない程の高さになった。
……自分でも、どこまで大きくなる?と不安に駆られるほどだ。
ゴッシュマはそんな俺を見て「安心しろ、アルローザン様の残した甲冑がある!」と、相変わらず見当違いなアドバイスを残した。
……別に特注にするからいりませんよ、じいちゃんの鎧は。
「きっと似合う……」
デザインがこんなに古いのが良く似合うのはちょっと。
せめて背中の羽飾りは、取ってもらいたいかなぁ……
「エンジェルナイトと言うんだ……」
昔は流行っていたって言われてもねぇ。
イテェよ、そのデザインは痛々(いたいた)しいよ……
そんなゴッシュマが、俺に修行の中断を告げた日。
ゴッシュマは旅装に身を包みながら、俺の練習を見届け、全てを終えると静かにこう言った。
「ラリー、教えたい事はまだたくさんある。
だが後は新しい事を覚えるのではなく、これまで教わった事を完成しろ。
難しいが出来るな?」
「もちろんですゴッシュマ、ですが練習はやめません」
「そうだな、お前は練習のし過ぎだから、さぼらんだろ。
お前はもう武装免状持ちと、実力的にはさほど変わらん、この歳でここまでくれば言う事は無い。
これからはむしろ疲労骨折に気をつけろ。
……体は痛むか?」
「はは、むしろ痛みを感じない日がありませんよ。
俺は修行中の身ですから……」
ゴッシュマはそんな俺の答えを聞くと「愚問だったか……」と言って溜息を吐いた。
実はこの前大きく深呼吸したら、肋骨にひびを入れてしまったのだ。
……理由は疲労骨折である。
こんな事で折れるのかよ……と思ったが、練習のし過ぎで、足やらナニやらを折る人は結構いるそうだ。
……流石に深呼吸で、ヒビを入れた奴は初めてだそうだが。
さてそんな俺を尻目に、ゴッシュマは練習生に馬を連れて来させると、それにまたがり馬上で言った。
「これから王都に行ってくる。
ストリアムとボグマスに一本を取り、二人から推薦状を書いて貰った後に、ガルボルム様に剣技を見てもらう。
……帰って来る時はマスターと呼ばれるようになっている筈だ」
「気を付けて、勇者ゴッシュマ」
「うむ、行ってくる……」
「ゴッシュマ、最後に一つだけ教えて下さい!」
「うん?」
「これから決戦に行く時、必ず用意しなければならないものがあるとしたら、何を用意するべきでしょうか?」
ゴッシュマは俺の目をじっと見ると、フッと笑ってこう言った。
「されば若者、戦場に赴く時には、腰に一本のダガーを携えよ。
剣も弓矢も失いし時、最後に信頼できるダガーを持っているかどうかで、生きるか死ぬかの分かれ道となる時がある。
……弟子よ、首が離れるその瞬間まで、勝利を決してあきらめるな。
生きる為には必要な事だ……」
ゴッシュマはそう言うと、馬首を返してバルザック邸の門をくぐってガーブウルズの道に出た。
街路にはたくさんの人が溢れ、馬上のゴッシュマに「塩街道の勇者!頑張れよっ」とか。
「いよいよ宿願を果たす時だ!」等のヤジが飛び交う。
老剣士ゴッシュマが本拠地ガーブウルズでどれだけ愛され、そしてみんなに良く知られているかが分かる。
いよいよ迎えた晴れの日に、惜しみない声援を送る、ガサツだが温かいガーブウルズの住人達。
その声に背中を押されるように進むゴッシュマの姿。
どこか眩しいその姿に、老いても尚、気迫漲る彼なら宿願を果たすのではないか、と言う期待を俺は抱く。
老人になるなら……むしろ男ならこういう男にならなければ。
そんな気持ちで胸が満たされた。
そしてきっと俺なら成れると言う、得体のしれない自信が沸く。
羨ましいほど輝く老剣士ゴッシュマ。
俺も人波の中で埋もれることなく、皆の耳目を集める男になりたい。
俺は木剣を腰に下げながら、見えなくなるまで、通りを行く老剣士を見つめていた。
練習はこの日から控えめになった。
先程のゴッシュマとのやり取りでも推測できるかもしれないが……
実は練習のし過ぎで、体はボロボロになり、肋骨にヒビを入れても、我慢して剣を振るっていたことがバレたのだ。
それでついさっき、練習の中断が出た。
……ゴッシュマは、俺の修業がいったん仕上がったと判断し、俺から離れる事で「練習のペースを落とす」と言った。
あくまでも本番は“白銀の騎士”なので、それまで体調を万全にしたいからだそうだ。
叔父さんにも手紙のやり取りで頻繁に、俺の練習しすぎを心配していたらしく、それで今の時期に体を治すことを、最優先させるべきと俺に命じる。
この時期に追い込み以外をするのは心配だが、ゴッシュマは俺の剣技を見て心配はないと俺に説明した。
俺は“狼の家”以外の少年剣士がどれほどの腕なのかを知らないので不安で仕方がない。
……だけど今は、ゴッシュマを信じるしかなかった。
だからと言って、練習が出来ない内に王都に行くなよと俺は思ったがね……
いやまぁ、居ても練習できないから別に関係ないと言えば関係無いけどさぁ……
本当にあのジジイはせっかちで困る。
マスター……凄く成りたかったんだろうなぁ。
だって今日の今日俺の負傷が判明して、そして家族に告げずに旅支度をして、出て行ったんだぜ。
次の瞬間弟子が露払いの様に街に出て行って、ゴッシュマが王都に言ってマスターの試験を受けると触れ回るし……
そうしたらあっという間に街の様子があんな感じですわ。
……ガーブの風習は本当におかしい。
でも、俺もマスターになる時はアレをして貰いたい……
さて家族から離れてガーブに残った俺だが、一緒にガーブに残ってくれたのがもう一匹いる。
むしろ一羽か……
「げぇーげぇーげげげ(今年の冬はもうここにはいないんだな?)」
バックス・ペッカー先生である。
ペッカーは俺の肩にとまり、一緒に“悪魔の谷”を行きながら俺にそう尋ねた。
「ああ、やっと帰れるよ。
ポンテスは元気にしてるかな?」
薄情にも俺をこんな荒れ地に残して、一足先に王都に帰ったポンテス。
チビだった頃からの付き合いだから、彼とこんなに離れた事は無い。
俺はポンテスとの再会を楽しみにしながら「帰ったらアイツをからかって楽しもうぜ」と、ペッカーに提案した。
ペッカーはその提案を大笑いしながら賛同する。
そんな俺の隣には、人並み程度に身長が伸びたジリが居て、彼が俺を見上げてこう尋ねた。
「なぁ、前々から思ったんだけどさ」
「なに?」
「動物が言った事が分かるのはおかしいと思うぞ?」
「いまさら何を言っているんだ?
ペッカーとポンテスは子供の頃からの付き合いだから、自然と分かるようになったんだぞ」
「いや、ポンテスは分かるんだけど……」
ジリがそう言うと、俺の肩でペッカーが言った。
「げぇ―ゲゲゲ、ぐうぅわっぐわ(昔は俺も人の言葉が喋れた、今は喋れないがな)」
「え?そうなの?」
俺がそう言うとジリが興味深げな目で俺を見たので「ああ、ペッカー実は、昔は人間の言葉が喋れたんだってさ」と、告げる。
ジリはそれを聞くなり目をクワッと見開いて「マジか!」と驚く。
「なんで喋れなくなったんだ?」
と、質問をさっそくぶつけるジリ。
ペッカーは、俺の肩の上で揺れながら言った。
「げーげぇ、ぐわぁーぁぐがぁ、ぎゅわぎゅわぁーげ(今から100年以上前にな、聖地に身分違いの恋に悩む男が居た、そいつは自分の命と引き換えにその女の命を救った)」
ペッカーはそう言うと昔を思い出そうとしているのか、語り掛けた口を閉ざして空を見上げる。
俺はもっとその話が聞きたかったので「100年も前の話なのか?」と尋ねた。
ペッカーは「ふふ……」と笑うと言った。
「げぇー、げぐわっぐわっわーあぁっ(ああそうだ、あの女神《フィーリア》が命欲しさに聖地を攻める前のお話だ)」
「ふーん、その男とはどんな関係だったの?」
「ぐわ?(俺の事?)」
「ああ」
「ぐわぁぁぁあ、げぇげっ、げぇーぐわ(聖剣士の友人だったそいつを監視していた、当時キナ臭くてな、女神フィリアを殺せるそいつを見張っていたんだ)」
「ふーん、その人の名前は?」
「げぇ―ぐわ(王剣士アキュラ)」
「!」
聞いた事がある名前に思わず息が止まる。
「げぇーげ、ぐわぁぁーぐ、ぐぃっぐぃげぇー(主神サリワルディーヌは、人間達に恩恵を施し、絶えず自らを敬うように命じた)」
「うん……」
「げぇーぐわ、がーがぅぐわぐぅぅわっ、ぎゅ、わぁーわ(だが人間は欲にまみれ、失望したサリワルディーヌは人間の世話を二柱の神に命じた、その結果、東は豊穣神ラドバルムス、西は戦の女神フィーリアが統治する事になった)」
「あれ、ラドバルムスって砂漠の神じゃないの?」
「げぇ―ぎゅわ、ぐわぁぁぁぁ(昔は違うのさ、訳在って罰として砂漠へと追いやられた)」
「ふーん」
「ぐわぁー(手短に話すとだな)
ぐわぁわー、ぎゅぅぅわ。ふわぁぁあ(ラドバルムスが、サリワルディーヌに反旗を翻した。奴は本当の救済を目指しはじめたんだ……)
ぎゅわぁぐ、ぐわぐわっぐぁーふ。(ところが用心深いサリワルディーヌはその日の為に、秘密の剣を二振り拵えていた)
ぎゅうわぁぁぁぐ(それがラドバルムスを殺す事が出来る聖剣ルシーラ)
ぎゅぐわぁがーぎゅ(そしてもう一振りが女神フィリアを殺せる王剣グイジャールだ)
ぎゅわぁー、げぇげーぎぎゅうぐうぇわ(ひどい話だが、サリワルディーヌは二柱を信じていなかったのさ)
げ―げぐわぁー、ぐわっぐわっぐわっ(王剣士アキュラは、その王剣に選ばれた剣士だ)」
「そ、そうなんだ。
凄いねそんな事に絡んでるなんて……」
「ぐわぁー、ぐわっぐわ(実はポンテスも当事者だぜ、当時はアルタームって名前だったが)」
「え、あのアホ猫が?」
思わず我が家のクソ猫をディスった俺。
ペッカーは「げぇーっへっへっ」と大笑いする。
「くわぁーあ、げぇーげっげげげぎゅうぅーわ(あいつ、ああ見えて闇魔法においては相当な達人なんだぜ)」
「へぇ……」
「くうわぁーげぎゅうわー、ぐわっぎゅぎゅうわぐわぁぁぁ(話を戻すとアキュラと俺は親しくなり、そしてアイツは自ら護衛をする若き姫を心から慕った)
きゅう、ぎゅわげーげーぎゅ(そしてアイツは何が起きるのかを知っていた、なぜ知っていたのかはしらないが)」
「何が起きたの?」
「ぎゅわぁあぁげーげげっげ、ぐわぐぅうわぁげげっげぇ(人間どもは王剣から力を奪う事を決めたんだ、その為に生贄が必要だった、そこで姫を剣と結婚させようとした)」
「剣と結婚?
そんなことできるの?」
「ぐわぁげぇ、げぇーげっぐわぁぁぁ、ぐっげぇー(大神官の詭弁さ、姫は神の血をひいていたからな、王剣を汚してただの鉄の剣に変えようとしたのさ)
げぇーげぐわぁ、げぇーがっぐわ(神殺しを成し遂げる事で、王剣は罪に汚れると言う事だ)
ぐわぁ……(分からないよな……)」
俺は正直に頷く。
それを見たペッカーは言葉を続けた。
「げーがっぐわぁぁ、ぐわっぐわっ、ぐぅぅわぁぁ(その秘儀を知っていたアキュラは姫を隠したんだ、そして自らは口を封じるために王剣で自殺し、剣をいずこかへ隠した)
げぇ……ぐわぁーぐわぁーぐわぁー(それが不憫でな……俺はサリワルディーヌへアキュラの魂の救済を申し入れた)
ぐわぁーぐぅーわ……(サリワルディーヌはお前の大事しているものを代償にしろと言った……)
ぐわっぐぅぅわぁぐわぁぎゅぅうわぐぅーわぅーぐ(だから俺は自分の声を差し出したんだ)」
俺はペッカーの顔を見た。
いつも男らしくも尊大な彼が過去に思いをはせて、悲しげな表情をして空を見る。
秋口の“悪魔の谷”は、寒さを招くような声で、相変わらず風が泣き叫んでいた。
そしてその中でペッカーが言った。
「ぎゅわぁぎゅわぁ……(後悔が無いと言えばウソだ……)
ぐわぁぐわっ、ぎゅわぁぁあぁ(それでも俺は俺を嫌いにならずにいる、きっと必要な事をしたんだと思っている)」
「…………」
俺は黙ってペッカーの頭を撫でる。
くすぐったそうに眼を細める彼。
それを見ていると不意に俺の目に涙が浮かぶ。
そして彼に「俺と喋れるじゃん」と言った。
ペッカーは嬉しそうに笑うと「げぇーぐわぁ、ぐわっぐわぁ(だから最初はこんなに誰かと喋るのは、100年以上ぶりだと思った)」と言った。
「ぐぇ―ぐわぁぐわっぐわっ(だからお前と居ると楽しい)」
そう俺に告げるペッカー。
聞く俺の目には涙が浮く。
……人に歴史ありとはよく言ったものだ。
そしてふと気が付くと、横にいるはずのジリが、どんどんと前を進んでいくのが見えた。
明らかに不機嫌そうな背中、それを見て急いで近寄る俺。
ジリは近寄ってきた俺を睨み「なぁ、俺、要る?」と聞いた。
ついついペッカーと夢中になって二人に世界に入って居た事に対し、怒らせてしまったらしい。
俺は申し訳ないと思いながら必死に彼に釈明をする。
「いや悪い、ついつい興味深い話を聞いたもので」
「…………」
「いやまぁ、聞いてよ。
ペッカーの昔話が結構感動的なんだよ」
「へぇ……」
黙って俺を見る彼の視線が痛い、俺は焦りながらいましがた聞いたばかりのペッカーの昔話をジリに話した。
この話を聞くジリは、俺とペッカーを詐欺師でも見るような目で見返し……なんでや!
「お前そんな小説みたいな話信じているの?」
「……アレ?」
え、そう言う反応?
そう言うのは意外だったかなぁ……
俺の肩の上で憮然とした表情のペッカー。
そして俺は何とも言えなくなり、黙ってジリについて行く。
もう既に垂らされている縄を登り、歩き慣れた険しい道を行く。
昼を過ぎた頃、俺達は目的地に辿り着いた。
……ワースモン達が死んだ、イライナの墓前。
風が相変わらずむせるような臭いを巻き上げ、そして鳥の死骸がカラカラと転がり回る。
そこから見える坂の上には、たくさんの男達が建材をもってウロウロしていた。
「あれがバームスの言っていたヤツか……」
ジリがそう言って坂の上を見上げる。
バームスは今年中に何が何でも“母無し子”の首を取るつもりでいる
その為に彼が建てた作戦は非常にシンプルで、山小屋を立てて、そこからイライナの墓を見張ると言うモノである。
その為彼はお金に糸目もつけず、草木もまともに育たないこの地に、大量の木材を運び入れてこの山小屋を建築中なのだ。
俺達はそんなバームスの依頼で、様々な金具や工具をここまで運びに来た。
俺とジリは背負う背嚢の中を揺らしながら、最後の坂道を上る。
……この道を上ると、どうしてもあの日の光景が頭をよぎる。
次々と苦しみ喘ぎながら倒れて行った、歴戦の勇士達。
甲高い叫び声を遠くからでも上げて、俺に敵意を向け続ける人食い鬼。
夕日の中で死ぬことを覚悟した俺は、命を懸けて戦いに臨んだ……
自分が“無”になって全力で戦った初めての日、教わった事の全てが一つに繋がり、剣技を滑らかに表現出来た。
……あれほど思うがままに、鉄の剣を振るえた事は無い。
あの日だけだ……
果たしてあの日の自分は、本当に自分自身だったのだろうか?
俺はあの日の自分を確かめたくて“母無し子”との再会を望んでいる。
少なくともそれが理由の一つだった……
「大丈夫か?」
気が付くとジリが心配そうな顔で俺を見ていた。
俺は「ああ、あの日を思い出した……」と言って、止めてしまった足を再び動かす。
気が付くと“あの日”が俺の肩を掴みそうだった。
足元だけを見て登る坂道。
死が、死闘が、悲劇が道に転がる岩々に映し出される。
のたうち回るワースモン、人食い鬼の生々(なまなま)しい吐息の匂い……
……これを俺は重荷にして一生、生きるのだろうか?
振り返れば下の窪地に、ワースモン達が今でも苦悶の呻きを上げて、のたうち回るのが見えるかもしれないと思えた。
死の匂いが風に抱かれて俺の元に舞い降りる、この場所を去れなかった魂が、俺の手を引きたそうにしている気がする。
……お前も来いと、お前だけが逃げるのは許さないと。
「おいっ、ラリーッ!」
俺はジリの叫びで目を覚ました。
気が付くと足が止まって、立ちすくんでいた。
心配した顔のジリが言う。
「大丈夫か、俺が分かるか?」
「ああ、分かる、大丈夫……」
「大丈夫じゃねぇよ、どうしたんだよ、何かに憑りつかれたようだったぞ……」
……お前も心当たりがあるだろ?
「思い出しただけだよ、行こうぜ……」
そしてこれから向かう道を見上げると、ワースモンが立っていた。
「!」
目を凝らした、しかしそこにはもう誰も居ない……
「どうしたんだよ!」
「ワースモンが居た……」
「何を言ってるんだ、誰も居ねぇよ!」
「ああ、そうだよな、今は居ないんだ」
ジリは気味が悪くなったようで「行こうぜ」と言ったきり、黙々と前だけを見て歩き始める。
それについて行く俺は、先程見たワースモンを思い出す。
俺とアイツの関係は決して良好ではなかった。
俺とアイツで交わす言葉なんて何も無い。
恨みは無いが、好きでも無いワースモン。
アイツが俺に伝えたい事なんかあるモノか、と思った。
そして辿り着く坂の上。
温泉の傍に作りかけの山小屋がある。
「ジリ、ラリー!」
坂の上につくなり、さっそくバームスが俺達を目ざとく見つけて呼びかける。
俺達は呼ばれるままに彼の傍に近寄り、そして重たい背嚢を下ろした。
「持ってきたか?
よしじゃあ確認するからな」
バームスはそう言うと俺達の荷物を確認する。
「親分、どこまで出来たんだい?」
今でも大工がウロウロするこの場所で、ジリがバームスに尋ねる。
「あと二日位かかる。
蝶番とかも来たし、これで扉とか足りない部分を作れば完成だな」
「山小屋には誰が籠るんだい?」
「ギルドの若い奴さ。
そして実家からも強い奴を借りてきた……
兄貴にしごかれたチンピラだから強ぇーぞ」
そう言ってバームスは得意げに笑った。
「…………」
俺は不意に目を逸らした。
俺は彼の中で頭数に入ってないんだと、改めて知る。
彼もまた、狼を狼らしく育てるつもりは無いようだ……
ジリはそんなバームスに、気負いも無く質問した。
「所で“母無し子”の行方は分かったの?」
思わず聞き耳を立てる俺。
バームスはジリに言った。
「驚くなよ、アイツはどうやらダナバンドに王国逃げたらしいぞ……」
『え?』
思わず俺とジリは声をハモらせてバームスの言葉にリアクションを取る。
バームスはそんな俺達の様子に大笑いし、そしてこう言った。
「あいつはダナバンドで神聖流の剣士を何人も襲い、そして喰らったそうだ」
神聖流……それは俺達聖騎士流と並んでこの世界では代表的な剣術の流派である。
攻撃を重んじる俺達聖騎士流とは考え方が違い、防御を重視した剣を使う。
バームスは更に詳しく話す。
「あの“母無し子”はダナバンドでも恐れられているそうだ。
死んだ剣士が毎月二人は居ると聞いている。
信じられるか?毎月二人だぞ……
コッチに居た時よりも、死者の数の上がり方がハイペースだ。
恐らく悪い事に、奴の腕は上がっていると考えるべきだろう……」
そう言って目を伏せるバームス。
俺はジリと目を合わせた、彼は俺の目の奥を一瞬伺うと、すぐに目線を切ってバームスに目を向けた。
バームスはやがて「ラリー、お前は見た目がもう子供らしくない、今度から“悪魔の谷”に来るときは護衛をつけて来いよ」と言った。
威厳をもって俺を見つめたバームス。
逆らう事を許さない目力を俺に差し向ける……
「もちろんですよバームス親分」
俺はにっこり笑って答える。
その様子に安心したバームスは笑いながら「もう帰って良いぞ、ありがとうな」と言って持ってきた荷物を抱えてどこかへと向かった。
俺とジリはその背中を見送る。
「ああよかった、今度は“母無し(イ)子”とやり合わなくて済みそうだな」
帰り道、坂を下るジリが安堵したようにそう言った。
俺は「ああ、そうだね……」と答え、頭では(どうしたら“母無し子”に出会う事が出来るのか)を考える。
そんなジリはそんな俺の様子に、気付く事無く言った。
「この時期に咲く赤い花って、ヤゴリアス草の花だよな?
女が好きそうな花だとアレしかないし……」
花?
「ヤゴリアス草ってそんなにきれいな花なのか?」
ジリにそう尋ねると彼は「お前見た事無いの?」と言った後、笑った。
「水が綺麗な川の近くで咲くんだ。
だからヤゴリアス草のある場所は、動物も集まる。
冬の狩りの時にアレを目印にして(ゴブリンを)追いかけたじゃないか」
「ああ、そうだったね。
あの時は森の中だった……
荒れ地の悪魔の谷だと、どこにも咲いてないだろうな」
俺はふと何気なく言いながら、ジリの回答に耳をそばだたせた。
ジリは得意げな声でこう答える
「ヤゴリアス草は温泉の匂いは嫌うからな。
でも谷の西に流れているレナ川の源流の傍は、水が綺麗だから咲いているんじゃないかな?
あそこは悪魔の谷とは思えない程、緑も多い……」
レナ川の源流……
俺の心はその言葉で胸が高鳴った。
いまやバームスはそれとなく俺を“母無し子”から遠ざけようとしている。
ゴッシュマか、それとも兄のバーダムからの要望があったのだろう。
最近のバームスの様子を見ると、そんな背後関係をそれとなく俺に悟らせる。
現に彼はイライナの墓に、俺を滞在させようとはしない。
……赤いヤゴリアスの花の情報は、そんな俺に飛び込んだ朗報に思えた。
悪魔の谷で唯一ヤゴリアス草の花が咲きそうな場所……
“母無し子”が墓前に手向ける花を摘むとしたら、そこしか無い。
俺はイライナの墓以外で“母無し子”と遭遇できる場所は無いと思っていた。
だけど花の群生地とは盲点だった。
墓の前に行けないなら、墓に行くために花を摘みに行く場所を襲えばあるいは……
俺が男爵の息子と知った後、面倒臭さから手を引きたがる大人達。
弱い御曹司を育てたがるそんな連中を欺かないと、俺は望みを叶える事が出来ない。
俺は覚悟を決めて「そんなに綺麗なら一度見てみたいな……」と呟いた。
ジリは何も答えなかった。
谷から出てジリは用事があるらしく、すぐに俺と別れた。
まだ陽も高い頃……
俺は肩にとまるペッカーに言った。
「ペッカー、頼みがあるんだ……」
「げぇー?(なんだ?)」
「暇があったら悪魔の谷の西の、レナ川の源流沿いを見てきてくれないか?」
ペッカーはこの俺の言葉で全てを理解したようで、目を細めると険しい顔で言った。
「げぇーげげげ?ぐぅぅわぁぐわ(考え直さないのか?お前が戦わなくても良いと思うぞ)」
俺は頭を横に振った。
「あいつの残像が、俺に亡霊の様に憑りついているんだ。
決着をつけたい、出来るならこの手で……
この一年の修業はその為にやってきたんだ。
頼む、ペッカー……」
ペッカーは「はぁ……」と溜息を吐いて言った。
「げぇ―げー。ぐわぁげ、ぎゅわ―(分かった。ただし俺も連れて行け、それが条件だ)」
「ありがとう、ペッカー」
俺はこうしてバームス達を出し抜くために、ヤゴリアス草の花に賭ける事にした。
……この日から、その為に準備に取り掛かる。
◇◇◇◇
その日の夜、俺はヒビの入った肋骨を労う様に、剣を持たずに構えを取り、そして丹念に型をなぞった。
ガストンは今日休みだ、たぶんあのワースモンの娘の所に行ったのだろう。
もうね、彼は恋に夢中よ。
正直羨ましく、そして腹が立つ。
ハァ、俺にもルーシーと言う可愛い恋人がいるのに、今あの子は何処で何をしているのやら……
因みにガストンには、来月で契約終了だと言ってある。
“白銀の騎士”が終了後は、俺はガーブウルズにはいないからだ。
別の所で小姓になると聞いている。
ガストンに申し訳ないなと思っていたら「やっと俺も出所かよ!」と言って嬉しそうに笑い……
クッ、あの野郎ココを収容所扱いしやがった!
まぁいい、ガストンのおかげで修業がはかどったのは間違いない。
年上で、免状を持っている彼が居なかったら、ここまで修業は上手くいかなかっただろう。
俺はそう思うと、雑念を払うように心からガストンの存在を消した。
……そして、手で剣を掴むように軽く空気を握り込む。
目の前の虚空に敵の陰が浮かび上がる。
虚空に見えた“母無し子”の姿。
構えられる奴の棍棒。
俺は、昨年よりも巧みになった足捌きで、その驚異の一撃を次々とかわし、そして剣で抑えて突き崩す。
(……ダメだ)
手ごたえが違う。
当たり前だが、あの日俺に向かって振るわれたアイツの棍棒には、生き残る意思が籠っていた。
生きた一撃の重み、そしてその生々しさ。
あの日、その一振りごとに背筋を恐怖が駆け抜けた。
アイツの挙動は、相手を凌駕する為の賢明さが輝く、生きた動き。
だのに俺の目の前にいる影はあの日のまま……
これでは過去奴が俺の目の前でやった事を、再現しているだけである。
(違う、ダナバンドで神聖流の剣士を倒したアイツの剣は、きっと違う筈なんだ。
アイツは頭が良い、進化してない筈が無い。
……明日ガストンに相談してみるか)
そう言えば神聖流を知らないと思った俺は、早速明日ガストンに相談してみる事にした。
翌日の朝練の最後、ガストンは木剣を構えて俺に神聖流を教えてくれる事になった。
ガストンは「俺もこの流派の事を詳しく知るわけじゃないが……」と前置きしてこう言った。
「神聖流は防御を重んじる、頭上に柄を掲げ、切っ先を左脇から後方に向けて流す“飾り旗”と言う構えを取る。
むしろ奴らが言う所の“保護者”と言う名前の方が、他国では知られている構えだ。
聖騎士流は攻撃こそ最良の防御と言う考えだが。
神聖流は最良の防御から、最良の攻撃が発せられると考える」
ガストンはそう言うなり、近くに合った木剣を拾って、その“保護者”の構えを見せた。
真っ直ぐに立ち、剣を右上から左下へ、剣を体に寄せて後方に切っ先を向ける独特の構え。
片手一本で剣を釣り上げた格好に、思わず疑問が生まれ、ガストンに尋ねた。
「……これどうやって攻撃に入るの?」
切っ先が後ろを向いているので、どうしても刺突は出来ないし、斬撃だって相手との距離が開き過ぎて時間がかかる。
この構えから発せられる一撃では、最短最速で相手の体へ到達する、攻撃線が分からない。
するとガストンも困った顔で「俺も分からない」と答えた。
……まぁ、そうだよな。他流の構えだしな。
「ただ敵はこういう解決策を持っていた」
ガストンはそう言うと頭上に吊り上げた剣を胸の位置まで下げ、そして左手でダガーを構えた。
「右の剣でこちらの斬撃を徹底的に防ぎ、左のダガーで俺の足を刺しに来たんだ」
「……なるほど、剣にこだわらないならコレはアリだよね」
剣士は剣で戦うと言う固定概念が、俺の想像を邪魔していたことに気付かされる。
なるほど、教えて貰わなければこういう工夫は思いつかなかった。
戦いは自由なのだからこれはアリだ!
……俺はまだまだ経験が浅い。
自分の経験の無さを恥じ入る。
ガストンはそんな俺にこう言った。
「とにかく連中は防御が上手い。
この構えに斬撃を放っても、こっちの攻撃は後方にドンドンと流される。
刺突だって防がれる。
焦れて近付いたらハーフソードで剣取りに持って行かれるし、自由な左手が次々と“悪さ”をするんだ。
しかもこの構えはショートソードでも、片刃の馬上刀でも使える」
こうして話を聞くと、剣術の考え方にも色々な工夫があって面白い。
絶え間なく合理に基づく攻撃で相手を圧倒する、俺達聖騎士流とは根本的な思想が違う。
そして、彼らの剣に対する考え方も、十分理にかなっているように思える。
でも考えてみると、剣をこの様に盾代わりにするなら、盾を持てば良い気が……
盾でも相手は殴れるし、それに接近して相手を押す事だってできる。
さらに言うと、盾の重みで相手を潰し、行動の自由を奪う事だってできるのである。
なのに“飾り旗”に構える意味は何だ?
俺はだんだんと思考の深みにズブズブとはまり始める。
なのでその事をガストンに質問すると、ガストンは「いや、俺もお前と同じ聖騎士流だから……」と言って彼も首を捻る。
こうして俺達は。
「盾を持たなくても済む為じゃないか?」
「剣一本で済むから、荷物が減るのだろうか?」
多分神聖流の剣士が聞いたら、怒りだしそうなことを冗談めかして話し合う。
だがまぁ、やっぱりと言うかなんと言うか、結局のところ求める答えが得られなくなった俺達。
こういうやり取りをしていると、もっと武者修業の為に、世界を巡りたいと、二人で話し合う事になった。
……しいて言えば、これが二人の出した結論と言う事になるのだろうか?
剣はところ変われば思想が変わり、思想が変わったが故に生まれる合理が変わる。
それが戦い方の違いを生むと言う事が、このやり取りの中で、二人の胸に刻まれる。
俺達は、もっと剣を知りたいと話し合った……
さてそんな朝練の後の事だ。
俺は、痛めた肋骨を労わる様に、練習もせずにガーブウルズの工房街に向かった。
今日も勉強は無しだ。
やってきたのは、以前ジリと来たあの若い鍛冶職人が居る工房。
潰れかけだったあの店は、何とか持ちこたえてまだあの場所に店を構えている。
「こんにちは」
中に入るなり俺が声を掛けると、奥から店の主が「いらっしゃい」と言って出てきた。
「お坊ちゃん……」
出てくるなり早速驚いた表情を浮かべる店主。
堅苦しい挨拶が苦手な俺は気楽にしてもらえるように、笑いながら言った。
「アハハ、お坊ちゃんと呼ばないで良いよ。
ソレよりもだいぶお店の中が変わったね」
俺がそう言うと、店の主は恐縮した様だ。
もうすっかり俺の正体は、この街の人たちに知られたのだろうか?
無条件で払われる敬意に、居心地を悪く感じる……
「私はガルボルム様から引き立てて頂いてますから、その甥っ子様に対して……」
「俺は叔父さんじゃないから、気にしないで欲しい……
なんかムズムズするんだよね」
「そうですか、じゃあこれまで通りで」
「そうだね」
「今日はどうしたん……だい?」
「アハハ、その口調で。
今日は長剣と、ダガーを買いに来た」
「長剣とダガー……何を斬るのですか?」
彼もまた、俺を脅威から遠ざけようとした表情で質問をする。
俺は(コイツもか……)と思いながら言った。
「プレゼントだよ。
実は兄弟子の一人が、今度水利権争いに参加するって言うんでね。
騎士ゴッシュマの弟子は腰にダガーを差すから、それで必要なんだ」
あの“母無し子”を殺す為さ……と心でうそぶきながら、澱みなく嘘を吐く。
俺の言葉に、彼は納得し、安心した表情で幾つかの剣とダガーを持ってきた。
それを手に取りながら俺は、それとなく尋ねた。
「ハンターギルドのバームス親分が、今度“母無し子”を倒すために、イライナの墓前に山小屋を立てているんだ。
俺は王都の剣術大会に出るから行かないんだけど、親分どうやってアイツを倒そうか悩んでるよ。
最近“母無し子”の話って聞いた事無い?」
すると彼は「ああ……」と呻いた後、思い出すようにこう言った。
「あのゴブリンは、先月ダナバンドで目撃された。
そしてそこで幾人もの剣士を殺したそうだけど。
どうやらもう棍棒を使っていないと言う話だね」
「えっ?」
「バームスさんに伝えて欲しいんだけど。
ダナバンドの剣士達は全身酷い痣だらけになっていたそうだ。
なんでも棒か何かで突かれたみたいで、そう言う痣が食いかけの死体に残っていたそうだよ」
次の瞬間俺の脳裏に、長い杖を持つ奴の姿が浮かんだ。
「ダナバンドの神聖流は“杖”の技の研鑽が盛んだ。
アイツもそれを会得したかもしれないんだ。
多分戦い方を実戦の中で、見よう見真似で習得したんだろう。
敵ながら頭の良い奴だ……
バームスさんに気を付けるように言ってくれ」
「ああ、うん。
今度会ったら伝えておくよ……」
俺はそう言うと、剣とダガーの代金を払って、そそくさとこの店を後にした。
帰りの道で俺は考える(杖をどうすればいいのか……)と。
ゴブリンと言えば棍棒である。
原始的だが、甲冑の上からでも攻撃できる強力な武器である。
まさかそれを捨てるゴブリンが居るとは思わなかった……
だが相手があの賢い“母無し子”なら納得である。
奴は他のゴブリンと違って工夫する。
侮った者はことごとく奴に殺された、たとえが相応しいかどうか悩むが、あのワースモンがその例だ。
俺は奴に敬意を払う、アイツを超える為に。
ただし敬意を払い過ぎるつもりは無い。
必ず奴の首を、あげて見せる!
……俺は道を歩きながら奴が使う武器の事を考えていた。
杖は剣よりも長い。
これまで俺は。ゴブリン相手には、相手の棍棒よりもリーチが長い長剣で戦ってきた。
ところが今回は、向こうの方がリーチは長い。
その代わり一撃の威力は棍棒の方が重い。
武器の重さ、太さが違う……
甲冑の上からでも効果的なのは、それが理由だ。
ただし、威力は杖も十分ある。一撃で相手の意識を刈り取る事も可能なのだ。
「武装するしかないか……」
鎧や兜、そして手甲や脛当てで防ぐしか、無さそうだ。
(だとしたら谷のどこかに、防具一式を隠すのはどうだろう?)
ここから悪魔の谷の端まで武装したまま行くのは、体力が消耗してしまう。
だとしたら悪魔の谷のどこかに隠したほうが良い。
俺はこのアイデアを真剣に検討し始めた。
花を墓前に手向けると言う奴の行動から考えて、ヤゴリアス草の群生地から、イライナの墓前までの“道のどこか”で戦う事になる。
実はあの辺りの地理は、まだ探索をすませていない。
防具の隠し場所は、実際に現地を見てから決めた方が良さそうだと思った。
もし上手くいかなかった場合の事も考えた……
もし先に奴が墓前に辿り着けば、バームスが用意した剣士が襲い掛かるだろう。
あるいは多勢に無勢、不利を悟って奴は逃げ出すかもしれない。
そしてもしこの機会を逃せば、賢い奴の事だからまた行方をくらませるだろう。
そこまで頭を巡らせると、複数人で行くと今度は逃げられる可能性がある事に気が付いた。
一月に二人剣士を殺すとなると、集団に対して戦いを挑んだとは考えづらいからだ。
なので“母無し子”は、一人だけでやってくる剣士を狙ったのだと予想する。
そこで俺は一人で挑むと決めた……
それならきっと奴は、俺に戦いを挑む筈だ。
俺はエサだ、俺はエサだ……
俺は自分にそう言い聞かせながら手にした長剣とダガーを握りしめる。
長剣とダガーを組み合わせるアイデアを求め、俺はその後色々と試した。
敵の為に計画を温める……
ダガーは刺す事に特化していると思いきや、実はそれだけでは無い。
手と一体化して鉤爪のように使い、相手を関節技で引き倒したり、はてまた足を取って投げ飛ばしたりもできる。
本当にレスリングの技を使う技術なのだ。
レスリングを基本の格闘技として、みっちり仕込まれた俺は、このダガーも上達している。
だから片手を空けた時に奇襲の様に、ダガーを使えればと思ったのだ
ところが装着して分かったのだが、俺は腕が長く、腰だと上手く取れない。
そこで俺は、ダガーを太腿に紐で固定してみる事にした。
剣を構えた時、軽く足を開き、重心が低くなる。
これは貴婦人を除くどの構えでも一緒で、その時一番取りやすい位置がココなのだ。
戦闘中の優位を少しでも高めたい俺は、それ用の道具の制作に取り掛かる。
余った革で、いつもの様にハンドメイドのダガーの鞘を作った俺。
ただどうしてもしっくりしない。
そこで二本の紐で太腿に巻き着けるのではなく、前の人生で見たピストルのホルダーを思い出し、腰から長く伸びた、筒状の皮に鞘を合体させることにした。
しかもこのダガーホルダー、鋲で飛び出さないように固定もできる。
着けてみると、まるで西部劇みたいだ。
「良い、これは傑作だ……」
自分で言うのもあれだが、俺は天才だと思う。
マジでカッコいい……
「…………」
俺は腰に巻いた新しいダガーホルダーにダガーをつけ、作業場と化した部材の転がる居間でカッコつける。
「OKガンファイトだ……」
ガン、無いけどね……
俺はマンに成りきったつもりで、腰のダガーホルダーの鋲を開き、そしてすかさずシュタッとダガーを構えた!
「あ、お坊ちゃま夕食の支度が……」
次の瞬間、部屋にワナウが入った。
彼は俺の中二病丸出しの姿を見て、目を白黒させる。
見られた俺は口をアワアワと動かした。
そんな様子をじっと見つめるワナウ。
彼は無表情になって俺の恥ずかしい姿に理解を示そうとした後。
全てを受け入れ、慈愛に満ちた表情で「坊ちゃんも、お年頃なんですね」と一言……
お前、とどめを刺しに来たの?
「分かってます、まだ10歳ですからね……」
「そうじゃなくてね……」
「大丈夫ですよお坊ちゃま。
……墓場まで持って行きますから」
いや、墓場案件にしなくていいけど。
うん、まぁ。あのクソ馬鹿三姉妹に知られなければそれでいいや。
その後食卓に並んだ3人分の夕食。
夕食は、豚肉で作ったシチューだった。
美味しかったけど、ワナウの顔は見れなかった。
喋るなよ、お前……
◇◇◇◇
次の日もさっそく練習を無しにした俺は、ペッカーを肩に乗せ、そして防具を背嚢に詰め込んで“悪魔の谷”の西に流れると言うレナ川を目指した。
気付くと俺もゴッシュマの様に随分とせっかちな性格になったものである。
……アレ?前からだっけ。
まぁいいや、道のりは長い……
レナ川の源流沿いは、まだ地図が出来ておらず、俺自身ここに何があるのか全く分からない。
そしてそんな俺は、不謹慎だけど初めて行く場所と言う事もあって非常にワクワクしていた。
どんな景色が広がっているんだろう?
仕事と剣術に2年間の全てを捧げたと言っても過言ではない俺は、こういうピクニックめいたものは久しぶりだった。
そんなふわふわとした空気の中、ペッカーを肩に乗せて悪魔の谷を抜けて行く。
空からの偵察を終えたペッカーが、ゴーサインを出してから、どこまでも続く岩場の道を歩く。
こうして目指すレナ川の源流。
夜明けと同時に歩き始めた俺達が、やっと辿り着いたのは昼頃だった。
「はぁ、はぁ……これは綺麗な所だ」
レナ川の源流は、巨大な湿地帯だった。
乾いた道の横をキラキラと輝く透明度の高い水が流れている。
その傍を、辺り一面真っ赤で大きな花が揺れていた。
あれがヤゴリアス草の花なのだろう。
高い場所から見下ろしていると、すぐ湿地に降りて確認したくなってくる。
「げぇっ!(待てっ!)」
ペッカーがそんな俺を足止めした。
「どうしたんだよ?」
「げーぐわ、ぐぁーぐぅわーわ(何か様子が変だ、動物が少ない)」
「え?」
「ぐわぁーわ、げぇーげがーぐわぁぐ、ぐわぁぁぁげぇげげぁ(この時期冬ごもりする動物は、こういう豊かな植物の群生地に集まる、それが見当たらないのはおかしい)」
そう言われてみれば妙に静かだ。
経験の浅い俺は、大人しく忠告に従う事にした。
「だったらここで昼食を取ろう。
そしてここで武装しよう……」
「げー(それが良いかもな)」
俺はここで昼食をとることにした。
目の前の景色は美しく、どこにも異常は見られない。
ただ絵画でしか見た事が無い様な風景が、目の前で果てなく続くだけである。
ただペッカーが言うのだから異常な光景なのだろう。
俺はもってきたリンゴを彼に食べさせながら、持ってきたパンと、炙った豚の塩漬け肉とリンゴを一緒に食べる。
食べ終わった俺は早速武装を整えた。
上から羽織った鎧覆い(ホバーク)を、腰の辺りで縛った時、ペッカーが「げぇ―ぐわぁ(湿地を見てくる)」と言って飛び立った。
腰に剣とダガーを下げ、頭をタオルで包んだ俺はそれを見送る。
……その時だ。
風の向きが変わり風上から、饐えた臭いが漂った。
一瞬“悪魔の谷”に常に漂う硫黄の臭いかと思ったが、そんなはずはないと頭を横に振るう。
臭いは今しがた俺が歩いてきた道から漂ってくる。
まさか……と、思って振り返った。
「…………」
遠くから、自分の身長よりも長い杖……
あの長さだとクォーターと呼ばれる長さの“杖”を携え、緑色の皮膚をした大柄のゴブリンが歩いてくるのが見える。
以前よりも筋肉が隆起した逞しい体つき。
あれを見て一目でゴブリンだと分かる者はいまい……
あれこそ“人食い鬼”だ……
奴は俺を見るとギラギラとした目に喜びを浮かべ、そして俺を睨み続ける。
それを見て俺は独り言を呟いた。
「なんだ、お前……ずっと俺達を付け回していたのか」
思わず苦笑いが浮かぶ。
見つけるつもりが見つかっていたのだ。
ペッカーは失敗った、猿も木から落ちるとはこの事だ……
向こうから探し求めた“母無し子”が歩いてくる。
きっと奴はどこかのタイミングでペッカーがただのキツツキではなく、優秀な斥候であり、特別な能力を持った何かだと気づいたのだ。
それで俺と離れる時をじっと待っていたのだろう。
俺は急ぎ兜を被り、そして面頬を下ろして顔を金具で覆い隠す。
そして腰の剣を抜き払った。
近寄る“母無し子”。
……奴は俺に声を掛けた。
「前見た時、小さかった。
キラキラした物も体につけていなかった」
「……俺の事を覚えてたのかよ」
奴が俺の事を覚えていると言う事に、背筋がゾクリとする。
全身の肌が一瞬で粟立った。
立ちどころに不愉快な思いに囚われ、怒りの念が胸で渦を巻く。
苛立つ心が“ペッ!”と唾を俺に吐かせた。
“母無し子”はそんな俺の挑発に応え、ぺろりと舌で唇を舐める。
……食ってやると言う事らしい。
俺は後悔させてやると念じ、その目を睨み返した。
今俺の全身を鎖帷子が覆っている。
その上に手甲に脛当てもつけてある。
たしかにコイツの為にキラキラしたものでめかし込んできた俺。
「お前も着飾ったじゃないか。
棍棒は捨てたのか?」
そう挑発気味に言うと、ゴブリンはそれに応えてニヤリと笑った。
「長いと、便利。それだけ……」
そう言うと奴は俺に杖の切っ先を向ける。
降ろした手に自然に杖を持たせる“中段の構え”と呼ばれるものだ。
俺も奴のリーチの長さに対抗するために“突きの構え”を取る。
戦いは予想もしていなかったタイミングで起きた。
更新が遅れて申し訳ございません。
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