ラリーお前の剣は、誰にも奪えないのだから……
―親愛なるラリーへ
手紙受け取りました、君が元気そうで何よりです。
ルシェル・キンボワースの件はこちらでも分かりません。
クラリアーナに聞いても、教えてはくれないので、大公家ではこの事に関して緘口令が敷かれているみたいです。
いわば秘密です。
力になれず申し訳ないね。
ラリー、僕らには友情があると今でも信じたいけど、殿下は未だに君を敵だと言ってるよ。
昔の様に一緒に……と、考えるのは難しいね、今の感じだとね。
僕らは今、君達“狼の家”の剣士を敵視して、そしてその中でも君は最大の裏切り者として半ば憎まれているんだ。
君はそう言う人間ではないと僕は思っているけど、殿下は君が悪いかどうかは関係無い、アイツを倒してみせると言っています。
今コッチは激しい練習をしているよ、何をしているかは言えないけどね。僕も最近の殿下が怖いんだ。
秘密をばらしたとなったら、彼は僕を許さないだろう……わかってほしい。
殿下が君に向ける憎しみの理由は何だろうね?正直分からないよ、それは僕がアルバルヴェの人間ではないからなのかもしれないけど。
ラリー、結びにこんな事を言うのは恐縮だけど、もう僕らは手紙のやり取りはしないほうが良いと思う。
少なくとも“白銀の騎士”が誰なのかが分かるまでは。
ただ気を付けてもらいたいのは、殿下は君が思っている以上に強い剣士になっている。
昔のままだと思うと、たぶん君でも勝てないと思う。
ボグマスも10年に一人の逸材だと言っている。
それではラリー……体には気を付けて。
―イリアシド・ネリアース
「…………」
手紙を読み終えた俺は、前屈みに椅子に腰かけ、黙って佇んだ。
貰った手紙の内容に衝撃を受け、俺は溜息を吐いた後、どう思って良いのかも分からない。
やがて俺は、受け取った手紙を机の上に投げ出した。
(チクショウ……俺が何をしたって言うんだ?)
……この理不尽な仕打ち。
王族だからと言って許せるものか……
そう思う俺の心に憎しみが際限なく湧く。
俺は裏切った覚えなんか無かった。
……その事を知らせてくれたシドからの手紙は、再会してからこれで5通目になる。
俺はそのやり取りの中で、再会したあの日、殿下が俺に対して怒りを覚えたことを知った。
……当日は考えもしなかった。
そして、一通、また一通と返事の手紙がやってくる度に、殿下の感情は日に日にエスカレートし、今となってはもう取り返しがつかない程悪化している事を知る。
シドはその間、俺と殿下の仲を取り持とうとしてくれたみたいだ、だが全てが空振りに終わった。
もちろん俺はシドだけではなく、イリアンにも殿下にも手紙を出した。
また王都で一緒に剣を学びたい、以前の様に仲良くして欲しい、そう書き送った。
だが、イリアンも殿下も手紙の返事は《白銀の騎士にて決着をつけるので、今後のやり取りはお断りさせて頂きます》と言う、家臣が代筆したと思われる硬いモノだけが返って来た。
……それを初めて見た時、こんなものを送って寄越す彼等が信じられなかった。
そして、今……ただ一人やり取りが出来ていたシドが、これからは手紙のやり取りは出来ないと伝えた。
……ショックだった。
舌の根っこが痺れ、内臓が寒い。
そして足元が不気味に揺れる。
せまる幻覚と幻痛……
彼等の振舞いが俺を追い詰める。
悲しみと、怒りと恐怖がないまぜになり、座っているだけで眩暈に襲われる。
激しく俺を責め立てる精神の苦痛……
遂に俺は感情の高ぶりに耐えきれなくなった。
机の上の手紙をぐしゃぐしゃに潰しながら、俺は涙を流し、心で叫ぶ!
(どうしてこうなった?
仕方がなかったじゃないか!
俺が選んでこうなった訳じゃない!
ママに連れていかれてこうなったんだ!)
……ママを恨んだ、生まれて初めて。
そして怒りのままに、シドの手紙を破り捨てた!
(裏切ったのはお前等だ……
フィランっ、お前が俺を裏切ったんだ!)
幼馴染に敵対する事を強要したフィラン!
理不尽に俺を敵視したフィラン!
理由すら弁解する機会を与えなかったフィラン!
「許さん、アイツ絶対にッ!……」
自分の私室で俺は、誰にも聞こえないように、王族に向けて憎悪の言葉を発する。
パパが聞いたらビンタどころでは済まないだろう。
俺は一人家族から取り残された荒れ地で、フィラン王子への憎しみで、気も狂わんばかりに怒り狂う。
外では吹雪が吹き荒れ、風雪がガタガタと激しい音を立てながら窓枠を叩く。
夜の闇が外を包み、窓枠の下、でっぱりに雪が溜まる。
王都でヌクヌクと暮らしている奴らには分からないであろう、苛烈極まりない辺境の風景。
窓に溜まる雪を見ながら俺は胸の内で叫んだ!
(あんな奴らに……あんなボンボンに!
綺麗な風景も、美しい街並みも、ショウガの利いた美味しい料理も、着飾る楽しみも無い田舎で、俺がどんな思いでいたのか分かるかよ!
ここがどんな所か分かるかよっ!
俺がどんなに帰りたかったのか……
快適な場所でヌクヌクと暮らすアイツらなんか……
アイツらなんかに……生きる為の戦いをした俺を、あんな遊び半分な連中なんかに分かられてたまるかよ!
何が10年に一度の逸材だ……
何が昔のままなら勝てないだ!
アイツは俺から友人を取り去った挙句、遂には剣まで取り上げようと言うのか!
上等だフィラン!お前が俺に何をしたのか必ず剣で教えてやる!)
……負けられない理由を知った。
白銀の騎士で待つと言うなら、必ず行って、望み通り決着をつけてやると、心に決める。
怒りに心は塗りつぶされ、気が付いたら舌の根の痺れは止まり、幻覚も収まる。
そして平静を取り戻しつつある中、俺は不意に部屋の中を見渡した。
……暖炉の明かり。
揺れる光に照らされ、床に散乱する、今捨てたばかりのシドからの手紙が見える。
そして俺は何故か、バラバラになった手紙を拾い集め始めた。
自分でも、自分がどうしてこうしているのか分からない……
ただ、全てのパーツを拾い集めた後(後で台紙に張って保管しなくちゃ……)と思い始めた。
ふいに暖炉の方を見た、明かりが弱い。
……いつの間にやら、相当時間が経ったらしい。
弱気な時は、体は動かないのに、時間だけが飛ぶように過ぎ去る……
「……火が小さいな」
俺は部屋の片隅に転がる、自分で練習に使い、結果割れてしまった木剣を、暖炉の中に幾つか放り込む。
一つ、二つ、三つ、四つ……
自分でも短期間にこれだけ木剣を割ったことに驚いた。
それだけ練習したんだな。
……放り込まれた、暖炉の中の木剣の、表面のワックスが青く燃える。
……綺麗だ、と思った
それを見ながら、俺は呟く。
「これだけ練習したんだ、フィラン。
お前だけが努力したわけじゃねぇぞ……」
目の前で、自分好みに彫った柄頭の細工が黒く炭化していく。
それを見ながら(もっと剣が割れる程練習しよう)と、俺は思った。
◇◇◇◇
朝、日課の夜明け前のランニングをする。
冬は夜が長いので、睡眠時間も十分とれる。
……この男を除いては。
「ゼェ、ハァ、ゼァ、んぐっ!
ハァハァ、はぁはっ……」
練習相手として雇ったガストンは、武装免状持ちなのに持久力がない。
ランニングを終えたばかりの彼は、もうもうと白い息を吐きながらうずくまる。
雪を踏み固めながらのランニングなので辛いのは分かるが、その分距離は短くしているので勘弁してほしい。
「ラリー、ちょっと休もう」
「うん、まぁいいけど……
息が整ったら次は“撓め斬り”の相手をしてもらうからね」
「ああ……なぁラリー」
「なに?」
「ハァハァ……週2回の休みじゃなくて、報酬を減らしてもいいから週三回の休みにならないか?」
ならねぇよ……
「いや、本当ならこれ毎日やる筈だから。
かわいそうだから休日設けたけど、俺はこれ毎日欠かさずやっているから……」
「ハァハァ……
俺は二度とソードマスターを目指さねぇよ」
あ、そう。だから何?……
今にも死のそうなこの男は、次に慈悲を請うような目を俺に向けた後こう尋ねた。
「後、夜の練習……アレも必ずやるのか?」
……当たり前だろ。
「やるよ、その為にウチにガストンを住まわせたんだから。
そしてワナウが作る、美味しい食事が用意されているんだから大丈夫だよ」
それを聞くと、ガストンは「そうかぁ、美味い話には裏があるんだなぁ」と呟いた。
気が付いたら10歳は老けた、ガストン・カルバン22歳。
青冷めた顔を見ると、もっと鍛えてやりたくなる。
やがて彼は「ジリ、アイツ俺に押し付けたな……」と呟いた。
……まぁ、ありうる話である。
彼は意外と勘が良く、そして目先の美味しい話に最近は全く乗らない。
……出会った頃に戻ってほしい。
だけどガストン、お前には関係が無いと俺は言いたい。
そして、永遠に練習できるようにお前を雇ったんだぞと言いたい。
……言わないけどね。
この様にして入隊3日目、早くもガストンがラリー・ザ・ブートキャンプにクレームを申し入れる。
当然却下した俺と、お金がないので逃げられ無いガストン。
俺は息も整いだしたガストンに言った。
「それじゃあ武装して、一本試合しよう」
「…………」
ガストンは“明鏡止水”の表情で、俺を見上げる。
この様に週休二日の休みと言うのは、個人的には凄く不満だった。
だがしかし、俺にも事情があって、これを呑む。
実は自分の身長が今恐ろしい勢いで伸びている。
そこで毎日練習着やら、下着やらを新調……もとい作成しなければならなくなっていたのだ。
なのでガストンを週休二日制にすることで、俺の練習時間も減り、その為の裁縫の時間が取れる。
実際昨日なんかは、紐でキュッと縛るトランクスを複数枚、同じ型紙を使って作成した。
とは言え本来この時間は、練習に当てられる時間だ。
なのでこれは無駄な時間だと思った俺は、この事を練習終了後に、ゴッシュマに尋ねてみようと思った。
……その日の夕方、狼の家での練習が終わり、俺は帰宅しようとするゴッシュマに声を掛け、服の事を相談した。
「これお前が作ったのか?」
するとゴッシュマが驚いた顔で、俺の服に触って尋ねた。
俺は「はい」と答える。
「材料はこちらで用意するので、安く作れる針子さんに心当たりは居ないかな?と思いまして……」
その話を聞いたゴッシュマは、呆れるやら感心するやら、何とも言えない表情を浮かべた後、思っていたのと違う答えを返した。
「そうか……これだけ作れたら小姓になった時、主から重宝されるな」
え、俺の質問の返事それ?
「え、どういう事です?」
そう言って軌道修正しようと思ったが、ゴッシュマは俺の思いをよそに、自分が話したい事を話し始める。
「小姓は仕えた主の雑務全般をやる。
そんな仕事の中に鎧の砕けた鎖の補修やら、破れた鎧覆いの修繕とかがある。
攻城兵器の組み立てなんかもやるんだぜ。
木材と紐で大概のものを作る。
……意外と器用な人間は重宝されるんだ」
いや、そういう事を質問した覚えは無いよ……
出来る小姓の条件……今そう言う話はしていない。
「まぁでも、今回は関係ないな……」
「…………」
「針子か……わかった。
ウチの嫁が針仕事を得意にしている。
ラリー時間があるか?」
今のは前置きだったんだろうか?
そう思いながら俺は「これからですか?大丈夫ですが……」と答えて、彼の様子を伺う。
ゴッシュマは俺の様子に気を掛けることなく、俺の服を触りながらこう言った。
「体の採寸を取る必要があるから、一度ウチに来い。
練習で疲れているのに針仕事をしているなんて大変だろう?
お前はこれから“白銀の騎士”を目指すんだ、こんな事に時間を費やすな」
「ああ、ありがとうございます」
「よしじゃあ、今日行くぞ」
(えっ、今日?)
想像以上にせっかちなゴッシュマにびっくりする俺。
行動が早くて助かると言えば助かるが……
「それでは今日伺わせてもらいます」
こうして俺は彼の好意に甘える事にした。
道場内の年下の少年剣士に使いをお願いし、ガストンに今日の夜は練習が無い事を告げる。
そして今晩、初めてゴッシュマ邸にお邪魔する事が決まった。
「で、でっかぁ……」
練習終了後ゴッシュマ連れられて辿り着いた家は、想像以上に大きな家だった。
「ふん、意外だったか?ラリー」
「まぁ……どうして門番なんかやっていたんですか?」
「怪しい奴がいないかどうかを見る為だ。
それに騎士爵は息子に譲ったんでな、こずかい稼ぎにはちょうどいい。
酒代ぐらいは自分で稼がんとな」
そう言うと彼は出迎えを待つことなく家の中に入った。
中は武具まみれで、彼の外見にぴったりの武骨な内装である。
「びっくりしたか?
こんなしがない騎士家でも、一度戦争が始まれば20人の兵士を領地から連れてきて、武装させる必要がある。
そいつらの代えの武器もココで取り揃えると、このスペースでも足りんのだ」
通常武器は各人の自前で用意させるのが、他の領地の通例なのを知っている俺は、驚いて尋ねた。
「自分で用意させないの?」
「ああ、出来る奴は稼ぎを全部飲み代に使っちまう。
アイツらに自前の武器防具なんて持たせていたら錆びさせるのがオチだ。
戦士って言うのは不思議とロクデナシの方が、戦争で使える。
なまじ頭が良いと、考え過ぎて手も、足も動かさねぇ。口先ばかり達者な奴ばかりになる。
おしゃべりは嫌いだ……
敵が目の前にいて“自分達の方が少なかったら戦いません”とかいう馬鹿も居たしな……
そんな軟弱なカス野郎と居たら勝てる戦争も勝てなくなる。
そんなこんなで、ウチに居るチンピラの方がいざと言う時使えるが、とは言えあいつらは馬鹿だから武器の管理なんて出来やしない。
だからウチで纏めているんだ。
騎士なんかになるんじゃなかったぜ、まったく……儲かりもしない」
そう言うと彼は家の奥にドンドンと進み「おい、帰ったぞっ!」と叫びながら、俺を連れて歩いていく。
辿り着いたのは台所で、そこに30代ぐらいのおばさんが立っていた。
彼女はゴッシュマの顔と、俺の顔を見ると首をかしげながら微笑み言った。
「お父様、お帰りなさい」
「おお、エミナか。
丁度いい、俺の弟子を紹介しよう。
お嬢様の息子でゲラルドだ」
「こんばんは、ゲラルドです」
「あれまぁ、お父様が今一番目にかけている子ですか?」
え、そうなの?
俺は褒められたのがうれしくてニッコリ微笑む。
それを見ていたゴッシュマが「何を言ってやがる、こいつは今一番生意気なガキさ」と一言……
……もっと褒めても良いと思うよ?
「アハハハ、この子は面白い子ね」
「気に入ったようだな。
エミナ一つ頼みがあってな、実はこのラリーだが、どうやら成長期らしく、服がすぐに小さくなってしまうんだ」
「まぁ、14歳ぐらいだと仕方がないですね」
「いや、こう見えてまだ9歳だ」
「えっ?」
エミナさんはゴッシュマにそう言われると、驚いてしげしげと俺の顔を見た。
「確かに可愛い顔をしているけど……
本当に9歳?」
俺は「そうですが……」と答えた。
エミナさんが「まぁ」と言って驚く横で、ゴッシュマが言った。
「アルローザン様の孫だから驚く事じゃない、こいつも190(センチメートル)以上に大きくなるんだろ」
「それじゃあ、お嬢様も大変ですね」
「あ、いえ。服は全部自分で作ったので……」
俺がそう言うとエミナさんはますます驚く。
それを見てゴッシュマが「剣の修業の差しさわりになる、服を見繕ってやってくれ」と言った。
「分かりました……知り合いの子のお下がりも混ざるけどいい?
全部を作るのはちょっとできなくて……」
「大丈夫です、むしろありがとうございます!」
これで針仕事から解放される目処が立った。
思いがけない展開に俺は喜ぶ。
古着はむしろ歓迎したいところだ。
「じゃあ、下着だけは作りましょう、かわいそうだしね」
エミナさんがそう言うとゴッシュマは「じゃあ頼む、それと今晩ラリーも夕飯を共にするから」と言って、廊下の方に出て行った。
それを見送る俺にエミナさんが「じゃあゲラルド……様?」と言って首をかしげる。
呼び方に迷いがあるらしい。
「ラリーと呼んでください」
「そう?じゃあラリー、ここで待ってて。
縄尺を持ってくるから、ここで採寸しましょう」
そう言うと彼女はここから出て行った。
その後姿を見送りながら、俺は(こういう感じで誰かの世話になるのは、今度の人生では初めてだな……)と思った。
しばらくして食堂に通された俺。
ゴッシュマの家の夕食には、意外な人物がそこにいて、俺が現れるなりニヤリと性格の悪そうな笑みを浮かべる。
そして、さっそくからかってきた。
「なんだ、お前は遂にここまで侵略してきたか……」
……バームスだ。
そう言えばゴッシュマの息子だっけと思いながら俺は、ニヤニヤしつつも彼に抗議する。
「親分、それはあんまりだ……」
「わっはははは、まぁお前は良く食いそうだからな。
でかい図体しやがって、ゼッテエ食費を請求してやる」
からかう事で円滑なコミュニケーションを図るのは彼の癖である。
それを熟知している俺は、彼をからかうように「うわぁ、ケチな男だ、見損なったよ」と言って笑う。
バームスはそれを聞いてフフッと笑うと、ふんぞり返りながらこう言った。
「あアン?あったりまえだろ、世間は厳しいんだからよ。
イッヒッヒッヒッ……」
さて、そんなバームスの隣に、全く似ていない、謹厳な印象の30代の男が居た。
彼は「バームス、親しき中にも礼儀ありだぞ」と言って、バームスをたしなめた。
するとバームスが「関係ねぇよ。俺とコイツの仲だぜ?」と反論する。
聞いた隣の男はギロッとバームスを睨むと「お前、俺の命令に逆らうのか?」と言った。
「……フン!」
バームスはそれには何も答えずそっぽを向く。
そんなバームスを尻目に、先程バームスを威圧した男が、俺に礼儀正しく微笑みながら話しかける。
「ゲラルド様ですね?」
「あ、いえ。
俺の事はラリーと呼んでください。
バームス親分もそう呼んでますし……」
俺がそう言うと、バームスはそっぽを向いたまま、俺に視線を投げ、次に満足そうな笑みを浮かべた。
そんなバームスの様子に隣の男は、苦笑いを浮かべながら愉快そうに笑う。
「アハハ、弟と仲良くしていただいている様でありがとうございます。
初めまして、私はコイツの兄のバーダムと言います。
一応グラガンゾ家の当主です。
先程あなた様の採寸を取った、エミナは私の妻で。
以後弟共々よろしくお願いいたします」
素敵な笑みを浮かべてそう俺に自己紹介をしたお兄様。
正直あの“ど”チンピラのバームスの兄とは思えないスマートな振舞いだ。
久々(ひさびさ)に丁寧な挨拶された……
良く悪くもガーブ人は雑な連中ばかりなので、彼の反応は新鮮だ。
そしてそれに応えるべく、俺は貴族らしい挨拶を思い出しながら、彼に返礼をする。
「こちらこそ。
ゲラルド・ヴィープゲスケです。
母はバルザック家のエウレリアです」
俺がそう自己紹介をし、握手を求めると、彼は俺の手を握り返しながら、バームスによく似た笑みを浮かべてこう言った。
「ええ知ってます。
聞いてますよ“北の子狼”は剣で男爵になるらしいとね」
「な、なんですかそれ?」
「あれ、あなたが言った訳じゃないんですか?」
オラ、そんな事言った事も無いだよ?
そう思っていると、俺の隣でゴッシュマが言った。
「ラリー覚えてないのか?
お前がライオ・フレル・ダブリャンに向かって吐き捨てた言葉だ。
この言葉は今やガーブでは知らない者は無い。
“恩着せがましいあんたに一言言ってやる。
このゲラルド・ヴィープゲスケ。
男爵になる時は叔父の不幸ではなく、自分の剣でなってやる……“ってな」
お、おう……
あのそれ男爵になる時であって、別に男爵になるとは一言も……
「ラリー、随分カッコいい事言うじゃねぇか。
男爵になったら俺を雇えよ」
バームスがニヤニヤ笑いながら俺に声を掛ける。
それを聞いた兄のバーダムが「お前は剣の修業からやり直せ」と、半目で弟を睨みながら言った。
「……フン」
それを聞くバームスが再びそっぽを向く。
「武装免状だけで充分飯が食えるっての……」
バームスのその言葉を聞き、ゴッシュマと兄のバーダムは悲しげな表情を浮かべた。
そして、溜息を吐いたバーダムが、ゴッシュマに諭すように「お前には才能があったのに……」と告げた。
兄の言葉に「知らねぇよ……」と、心を閉ざすような呟きで返す弟。
その言葉で、食卓の上に重たい沈黙が供せられる。
……その空気を破ったのは女性達だった。
やがて彼女達は、賑やかにドンドンと食卓に食事を並べる。
食材はバームスが持ってきたのだろう、新鮮なジビエ(鹿肉)を中心に食卓を彩った。
やがて食事が進むうちに兄のバーダムが、バームス親分に尋ねた。
「そう言えば今年は良い傭兵の仕事は無かったのか?」
するとバームスが答えた。
「ワースモン一味のせいで仕事がねぇ。
アイツらゴブリン狩りに精を出し過ぎて、他家の領地にまで勝手に入って狩りをしたんだ。
おかげで今ガーブの男と言うだけで、近隣の諸侯は雇ってもくれない。
俺達を侵略者だと思ってやがる……
おかげでこっちは散々(さんざん)だ、遠くの場所なら仕事はあるが、それじゃあ一年で帰って来れないしな」
「ああ、その件ではこっちも散々だ。
至る所からクレームが来てるよ。
全くライオ・フレル・ダブリャンも面倒な仕事を残した……」
「ああ、そう言えばライオ・フレルはどうなった?
魔導士をガルボルム様の病床から遠ざけたんだろ?」
「ああ、その事なら法律に違反したわけではないからな。
だがご当主様は、カンカンだ。
(ライオ・フレルの所領は)カルバン領とダブリャン領の入れ替えをするともっぱらの噂だな。
多分領地も、縮小されるだろう。
王都近くの領地はバルザック家の直轄地になるんじゃないか?」
ああ、彼は権力闘争に敗れ、先祖伝来の土地を失うのか……
傍で聞いた俺は、事の顛末を聞いて、神妙な気持ちに襲われた。
聞いていたゴッシュマも「当然の結果だ」と呟く。
兄のバーダムはそれと同時に、大きな溜息を一つ吐いた。
やがて彼は、空気を変えたかったのか、バームスに別な話題を差し向ける。
「それはそうと“母無し子”はどうなった?」
その単語が出てきたことで、俺は目を覚ます。
目を見開く俺の前でバームスは言った。
「全員で探しているけど、見つからねぇよ。
ワースモン一味は狩りのセンスがねぇから、鹿も猪も皆逃がしてしまう。
ゴブリンも動物も他家の領地に逃げてしまったから、それに紛れたんだろ。
……本当に迷惑な連中だ。
他家の情報は全く入らねぇから分からねぇけど、春になったらわかるんじゃない?
……アイツは普通のゴブリンじゃない。
戦うために生まれたゴブリンだ。
あんな奴と普通のゴブリンの違いも分からないって言うんだから、ワースモン一味も目が腐ってやがる……」
バームスがそう言うのを聞いた時、俺はついに我慢が出来なくて尋ねた。
「親分“母無し子”の事は詳しいの?」
俺がそう尋ねるとバームスは面白そうにニヤリと笑い「なんだ、興味あるのか?」と尋ねた。
俺は無言で頷く。
それを見たバームスは嬉しそうだった。
「まぁアイツと交戦して生きて帰ったのは、お前も含めて片手で数えるほどしかいないからな。
何なら詳しい話を聞きに行くか?」
バームスのその言葉に、兄のバーダムが「バームス!」と叱りつけた。
それに反発してバームスも、負けじと叫び返す。
「なんだよ!
コイツにだって知る権利がある!
それにこいつはそこら辺の剣士なんかよりずっと気合が入ってるぞっ。なぁ?」
バームスがそう言って俺に同意を求めるので俺は「もちろん!」と言って答えた。
その言葉を聞いて頭を抱えるゴッシュマ、そして胸を張るバームス。
「クリオン・バルザックの末裔であるこいつは、クリオン・バルザックの様に気合が入っているんだ。
男爵様の息子だからと言って、宝箱の中でぬくぬく育てるだけが能じゃねぇだろ?
狼は狼らしく育てねぇと」
すると兄のバーダムがワナワナと震えながら「だったらお前も武装免状で止まらず、剣士免状を取れよ」と言った。
「俺の事は関係ないだろ!」
この言葉にカチンときたのか噛みつくバームス。
その言葉に兄のバーダムもカチンときたのか。
「表に出やがるか?アン……」
と、これまでの謹厳な振舞いをかなぐり捨て……
ああ、これは兄弟ですわ……
「黙れ貴様ら!
客人の前で恥ずかしくねぇのか!」
それを見てゴッシュマが激怒して叫ぶ。
バームスはそれを見て「チッ」っと舌打ちすると面白くなさそうに席を立つ。
「どこへ行く!」
ゴッシュマが言うとバームスが「面白くねぇ、ラリー、今度ギルドに来い」とだけ言ってここから出て行った。
「…………」
この修羅場に思わず黙り込んだ俺。
そんな俺に兄のバーダムが「心配しないでくれ、アイツは来週になったらまた飯を食いに来る」と言って、不機嫌そうに食事を続けた。
……この後、飯の味は分からなかった。
◇◇◇◇
翌日“狼の家”での練習が終わった俺は、急遽夕方の自主練を辞めにしてハンターギルドに向かう事に決めた。
この俺の決断に、ガストンは大喜びだ。
それを見た俺は仕事もしないで高い給料を貰う予定のコイツに、一言言ってやりたくなる。
……言わないけどね。
ただ少し気になったので「ガストン、休日は何をして過ごすんだい?」と尋ねた。
すると彼は「いや、少し心残りが一つあってな、それをどうにかしようと思うんだよ」と、何やら含みがありそうに言った。
そこで「彼女?」と聞くと。
彼は「だと良いけど、俺は文無しだからな……」と、顔を赤くしながら答えた。
ハイ、女決定……
どうでもよくなった俺は、彼を解放して“狼の家”で傷ついた肩や足首に湿布を貼る。
……やがてガストンは、大喜びでどこかに向かった。
やがて日暮れ時、俺は一人で正門から堂々(どうどう)と出て、雪に埋もれたガーブの街を歩く。
通いなれた武器屋街の道。
そしてその傍にある、懐かしのハンターギルド。
中に入ると、職員や顔見知りのハンターが『ラリー坊ちゃん!』と呼んで歓待した。
「あ、坊ちゃんはいらないから。
それよりバームス親分は居る?」
俺がそう言うと奥からバームスが、片手をあげて俺を呼んだ。
「ようラリー、昨日はすまねぇな」
俺は彼の元に近寄りながら「いえ、それよりも(いわれた通り)来ましたよ」と答えた。
バームスは「まぁ座れよ」と言って、俺に隣の席を勧める。
「早速で申し訳ないんだが。
実はな、最近知り合いの女の友人が出家をして菩提を弔いたいとか言い出した」
「はぁ……」
何の話を言い出すんだ?
「誰の菩提だと思う?」
「わからない」
「だよな、実は“母無し子”とその母親の菩提なんだ」
「は、どうして……アイツ(母無し子)死んだの?」
「いや死んだ訳じゃない、いつか死ぬから今のウチにと言う事らしい。
あのゴブリンは自分の母親の墓を作った。
そして母親の墓を作る為に、犬ぞりの運搬人を務める女を攫い作らせた。
お前この話を知っていたか?」
「もちろん……」
「実は知人の女の友人が、この墓を作った女なんだ」
「え!」
まさかの話にびっくりである、だがガーブウルズ近郊の悪魔の谷に墓はある。
となればガーブウルズまたはその近郊の人が、イライナの墓を作ったとしてもおかしくはない。
興味を掻き立てる話に、思わず身を乗り出すとバームスが「興味あるよな?」と聞いてきた。
俺は「もちろん……」と答えて得意げなバームスの目を覗き込む。
バームスは普段のちゃらけた雰囲気とは打って変わった真剣なまなざしで、こう言った。
「ラリー、昨年は色々な事があった。
ワースモンが死んだ事で、こちらも色々なスケジュールが狂っちまったが、俺は“母無し子”を倒すことを諦めちゃいない。
アイツが殺した狩人の幾人かは俺の友人だ。
……俺は連中の仇を討ちたい。
それをあの傍若無人で傲慢なワースモン一味に先を越されたくないんだ。
だがな、良い話が一つある。
“母無し子”は必ず秋の終わりごろ悪魔の谷に帰って来ると、その知り合いの女が言うんだ」
「!」
俺が思わず目を見開くと、バームスがニヤッと笑って言った。
「一緒に会いに行こうぜ、その女に。
話を聞いてみたいだろ?
お前とジリは、悪魔の谷に俺が派遣した斥候の中で一番優秀だった。
地図も書いてあの辺の地理も明るいし、奴がどこに居るのか正確に把握できていた。
戦うのは俺に任せておけ、お前はまた斥候をしてくれればいい。なっ」
ペッカーのおかげで相手を空から把握できていた俺は、いつの間にか優秀な斥候だと思われていたらしい。
俺が戦う訳じゃないと聞かされたが、俺としては当然戦うつもりだった。
ただしそれを馬鹿正直に言えば、この男は俺をその“母無し子”の事をよく知る女に会わせてはくれないだろう。
そこで俺は「分かりました、頑張ります」と言葉少なめに承諾した。
俺のこの返事を聞いて、バームスは満足げな笑みを浮かべこう言った。
「じゃあ早速行こうか」
「どこへ?」
「その女の元さ、夜が更けると吹雪になりそうだしな。
……寒いのは嫌いだ」
バームスはそう言うと外套を羽織り、俺を伴ってギルドの外へと出た。
ついて行きながら(せっかちな所がゴッシュマそっくり……)と、血筋の不思議さを思う。
こうして並んで飛び出た外は、夕日を隠す厚い雲に覆われ、暗かった。
いつもより息が真っ白になって立ち上るのにそれほど寒くない夕方、俺はバームスに連れられてガーブウルズの町中を歩く。
温泉があちらこちらで沸くガーブウルズは、壁の中なら外よりも温かい。
そうして空に幾筋もの、温泉の煙が立ち上る。
……その中を歩く俺達。
やがてそんな目抜き通りのレストランの一角で、バームスが足を止め、そして俺にレストランの窓を指さして見せた。
「ラリー、あれ……」
見てみるとガストンと、禿げたおっさん、そして若い女性が一緒に会食している。
ガストンは熱心に女性と禿げたおっさんに語り掛け、女性は静かに頷いている。
「彼女かな?」
俺が思わずそう言うとバームスが“フン”と鼻で息を吐き散らしながら言った。
「さぁな、だが面白い組み合わせなのは確かだ」
「知ってるの?」
「あの禿げた男は、マスターワースモンの弟で、剣士免状持ちのナンバー2だった、サチモス・コルファレン。
そして女の方はワースモンの娘だな」
「え?」
「ラリー、絶対に今日聞く事はガストンの野郎に話すなよ。
最近仲が良いみたいだから釘を刺しておくわ……」
「分かりました」
「……信じてるからな」
バームスはそう言うと足を動かし、道の先に進む、俺はそれを追いかけた。
旧市街でも温泉の湧水坑に近い場所は地面の温度が高く、雪はグシャグシャとした汚いシャーベットの様だった。
そんな歩きづらい路地を歩くと、やがて俺達は一軒の倉庫にやってきた。
馬車も入れそうな大きな扉は締まっており、外から見るとまるで人気は無いように見える。
「ここが知人の働いている場所だ、中に運搬人がたむろしている。
入り口は横の小さな扉だ」
バームスはそう言うと勝手知ったると言った感じで、この扉を開ける。
俺もその後に続いて中に入った。
中は幾らか荷物が積まれていて、下は石畳で床が葺かれている。
そんな倉庫の一角に、鉄製の囲いがあって、その中で焚火が燃やされていた。
「悪い、急に来ちまった」
バームスがそんな焚火に声を掛けると、荷物の陰から女性が顔を覗かせた。
「ああ、バームスさんか……」
女性はそう言うと首をひっこめた。
すると別の人の声が上がり「バームス、もう少し立ったら帰る所よ」と声を上げる。
「ならちょうど良かった、実はうちの優秀な斥候を連れてきた。
この前話してくれた内容をまた話してもらえないか?」
「斥候……その子の事?」
「ああ、ラリーって言うんだ」
バームスの言葉にかぶせるように、俺も「ラリーです、よろしくお願いします」と声を掛ける。
「へぇ、バームスの下に居るのにしっかりした子じゃん」
俺の返事に気をよくしたのか、女性がそう言って笑う。
バームスは俺を伴って焚火に近付き「どういう意味だよ……」と言って苦笑いを浮かべた。
こうして近付いた焚火の周りには、荷物の陰に隠れて分からなかったが、3人の女性が居た。
皆20代後半ぐらいだろうか?
積み上がった木材に腰かけ、時間を潰している雰囲気が漂う。
俺とバームスはそんな彼女達に勧められ、付近の木材に腰を掛ける。
やがて彼女達にバームスが声を掛けた。
「なぁ、まだ尼さんになりたいって言ってるのか?」
するとそのうちの一人が、思いつめた表情でこう勢い込んでバームスに言った。
「あたしが弔ってやらないと、誰もあの親子を幸せにできない気がするんだ」
俺はそれを聞き、彼女があの“母無し子”の母親である、イライナの墓を作った人らしいと知った。
そしてそんな彼女の言葉を聞き、別の人が咎めるように言う。
「あんた何を言っているの?
ゴブリンだよ、ゴブリン!
あんな連中を弔うなんて言ったら、世間中の笑いものだよ。考え直しなよ!」
「でも……」
説得する周りの声、それが彼女の耳に届かないのが見て判った。
……何が彼女の心をかたくなにするのか?と、疑問を持つ俺。
ソレを尻目に話を続ける女性達。
やがて俺は彼女たちの会話に入る様に声を掛けた。
「すみません、少し聞いてもいいでしょうか?」
俺がそう声を掛けると、3人は警戒したような表情を浮かべる。
「なに?」
ゴブリンを弔いたいと言った人が、そんな雰囲気から浮かぶ様に俺に尋ねる。
俺は真実を知りたくて、前のめりになって質問した。
「ゴブリンはたくさんいます、でも弔いたいのは“母無し子”だけですか?」
「……後その母親だね」
それを聞けた俺は、訝しげな皆の前でこう尋ねた。
「どうしてこの二人だけ特別なんですか?」
「ああ。私は“母無し子”の母親であるイライナの墓を作ったんだ」
冷静に質問を重ねようとすると、俺を遮るように耐えきれなくなった女の一人が叫ぶ!
「どうしてたったそれだけで!」
ヒステリックなその声に、静寂が後に続いて引き出される。
そして流される重たい沈黙。
この中で明らかになる、他者に理解されがたい彼女の理由……
俺は「まぁまぁ、もう少し質問させてください」と言って、ヒステリックに叫んだ女性を宥めた。
そして質問を重ねた。
「どうして彼等が可哀そうに思えたんですか?」
すると彼女が言った。
「泣いていたのよ、あのゴブリン。
目が人間の目をしていた……
そして言ったのよ『ママ、愛してる』って」
それを聞き(ああ、やはりアイツは人間の言葉が分かるんだな……)と、思った。
ママ……そうか、やはりイライナはママだったのか。
……疑っていたんだけどな。
「だからって……」
「あの場所に居なければ分からない。
私も口が上手くないからなんて言えばいいのか分からない。
とにかくあのゴブリンは可哀想。
母親の顔は半分食べれていて……
小さな口で齧られていたから、たぶん子供のゴブリンに襲われたんでしょうね。
そして彼の棍棒は血塗れだった……
ゴブリンは彼以外に誰も見なかった。
墓を作り終えた後、彼は私に頭を下げて『ありがとう』と言ったの。
私はとにかく可哀想で可哀想で……」
そう言うと彼女は感極まって涙を見せた。
他人には理解しがたい、本物の感情。
それが滴となって頬を伝い、床に落ちる。
……その水滴で、重たい沈黙が倉庫内に満ちた。
俺はそんな静けさの中で。
もしママがバルザック家に居る、騎士とか使用人に殺されたら……と考えた。
きっと、俺も皆殺しにしようとするだろう。
……初めて“母無し子”の気持ちが分かる。
群れを拒否し、そして孤独に耐え、女も子供も襲わない、悪魔の谷の人食い鬼……
その胸の内を思って、言葉が消える。
そんな俺達を抱いて倉庫は、寒さを強めた。
焚火の煙の匂いが充満し、そしてパチパチと人の声の代わりに、燃える薪が音を立てる。
続く静けさを破ったのは、泣き濡れた頬の、尼になりたい女性だった。
「……短い秋の終わりごろ。
あの子(母無し子)はいつも母の墓前に、赤い花を置くの。
きっと命日なんでしょうね。
毎年その頃母親の墓の前に私も見に行くけど、昨年も、そして今年もあった。
風で飛ばされないように、石が重しになって花の上に置かれているの。
なんて母親思いなんだと思うと、さらに……
ウッウッ、泣けて来て……」
そう言うと彼女は再び静かに泣き始めた。
周りはそんな彼女を慰め「あなたは優しすぎる……」と言いながら励ます。
「あの子は女も子供も襲わない。
だけどもう終わりね、ワースモン一味に狙われて、バームスさんにも狙われてる。
あの子は罪深い事をした、その運命は変わらない。
だけど、せめて死後は幸せになってほしい」
それを聞き、周りは「だからってあなたが僧になるなんておかしい」とか、「周りの人が悲しむから思い直して、ね?」と言って引き留める。
俺はそれを見ながら、何とも言えない悲しい気持ちに襲われていた。
ママを殺されたら……と、再び考えた俺。
そして死ぬ、と言う事に初めて恐怖を覚える。
バームスはそんな俺の横顔をチラチラと見ていた。
倉庫から退出したのはそれから間もなくだ。
辺りはすっかり闇に覆われている。
そんな中、バームスが真剣な目で俺を見ながらこう言った。
「ラリーもうちょっと付き合え」
「え、ドコに?」
「実家で見せたい物がある……」
そう言うとバームスは、俺の返事も待たずに、昨日喧嘩して出て行った、ゴッシュマの家に向かった。
街に立ち並ぶ家の、僅かな明かりに照らされ、雪を纏った道が白く、うねって続く。
その道を歩きながら、バームスは昔を懐かしむように、俺に語りかけた。
「俺は昔“狼の家”で修業をしていた。
こう見えて筋が良かったんで、俺は親父に大きく期待されたんだ。
ところが、俺は驕り高ぶり、遊ぶのに夢中になってダメになった。
そして俺より下手だった奴にコテンパンにやられた後、俺は修行を辞めたのさ……
俺には向いて無かったんだろうな、性格的に」
俺は殊勝な事を言うバームスを初めて見た。
いつも自分を大きく見せようとする彼が見せたそんな姿に、違和感を覚える。
……言葉少なく、相槌を返した俺。
やがて俺達は、昨日もやってきたゴッシュマの家に辿り着いた。
バームスもまた、ゴッシュマ同様に迎えの人間も待たずに家の扉を開ける。
「ただいま、親父は中に居る?」
入ってくるなりバームスがそう言うと、昨日喧嘩したばかりの兄のバーダムが玄関の所で武具を磨いていて「ああ、いつもの所で練習しているよ」と言って、家の中を顎で示した。
昨日の事なんてまるで無かったかのような雰囲気に、当惑する俺
「ラリー、ちょっと来い」
バームスはそう言うなり、戸惑う俺を連れて奥へと進む。
きっと二人の間では、良くある諍いとその後の対応なのだろう。
……廊下を歩く俺とバームス。
武具があちらこちらに散乱しているこの道を抜け、奥の方に行くと中庭があった。
そしてそこに鎧兜を身に着け、木人相手に剣を叩きこむゴッシュマが居た。
バームスと俺はそれを物陰から見る。
「ええいっ!」
ゴッシュマは気迫の籠った叫びをあげながら、剣で俺よりもはるかに重たい一撃を木人に打ち込む。
早く、正確に、そして滑らかに……
その一撃一撃に、練習と言うよりも、まるで戦っているかのような気迫が伴う。
その練習風景に思わず目を奪われた。
そんな俺にバームスが語りかける。
「お前を教えるようになってから、親父はいつもあんな感じだ。
もう戦争が無くなって久しく。
俺の家も名誉に輝いて久しいのにな……
お前の事を褒めていたぜ、遂に俺を超える逸材が現れたって……
だから教える事を増やそうと、今練習に励んでいる。
カッコ悪いから“狼の家”ではやらないんだとさ。
アイツ意地っ張りで、ええかっこしいだから……
もう52歳なんだぜ、雪の日に汗をかいたら風邪ひくから止めろって言うのに、今剣を学ぶのが楽しいんだとさ。
ジジイが良くやるぜ……」
「…………」
「でも、カッコいいだろ?俺の親父……
俺は剣の修業を途中でやめちまった。
親父はまた剣の修業を始めた、お前が来年ガーブを出てどこかの小姓になり、そしてまたガーブウルズに帰ってきたら、剣の奥義でも教えるつもりなんだよ。
……親父、お前に触発されてソードマスターになるつもりなんだ。
今でも首は太く、腕は逞しい。
これが最後のチャンスなんだってさ……」
……俺は、年を感じさせないゴッシュマの剣を見つめ、そして知らず知らずに涙が目から溢れてくるのを感じた。
その猛々(たけだけ)しさは美しく、そして寒さの中で背中から立ち上る煙が彼の熱を物語る。
バームスは鼻をすすりながら言った。
「俺も修行を再開しようかな?
だらしねぇとか兄貴に言われるのが嫌で、逃げてきたけど……
親父見てるとやっぱり剣が心残りだわ」
「ええ……。
何度でも練習しましょう。
俺も、帰ったら練習したい……」
いつも言葉が足らず、教わる弟子を当惑させるゴッシュマ。
だが彼と言う存在は俺に、説明のできない感動を胸に呼び込む。
言葉以外で雄弁に、剣士の心を、俺に諭す剣士ゴッシュマ。
嘘の言葉では伝わらない、たった一つの真実を、その身で証した老剣士は美しく見える。
その姿を眺めていると(ママが死んだら……)とか、どうでも良い雑念が消えて行った。
ママは生きている、そしてそれが今の真実なのだ。
そう思って心持が変わる。
そんな俺に、バームスが言った。
「ラリー、お前剣士だろ?
“母無し子”なんかに負けるなよ……
アイツはどんなに恐れられても、剣では素人なんだ」
「…………」
黙って頷く俺。
バームスの言葉が続く。
「思うんだ、皆どうして“母無し子”にどうして心が乱れるんだろうか?って。
多分アイツは俺がこれまで見てきたゴブリンの中で、最も人間に近い。
ゴブリンが持つ残虐さと、人間が持つ残虐さ、そして理性を備えるただ一匹……いや、ただ一人のゴブリン。
だからこそ俺はあれが脅威に思える。
アレを人間に思えばあれは立派な大量殺人者だろ?
ゴブリンだから皆混乱して、さっき見た女みたいな変な事を言うと思ってる。
ラリー、誰にだって理由がある。
理由があるから犯罪を犯していいわけじゃない。
まぁ。顔役の俺が言うのもおかしな話だがな……
ラリー、俺から見れば“母無し子”は庇うべきところが何もない犯罪者だ。
母親の敵討ちなのか何なのか知らないが、だからと言って同胞を殺して良い訳じゃない。
そして人間に近いからと言って、アイツは人間世界の中に入れる訳でもない。
そもそもアイツは好んで人間の男を食うしな。
奴は自分の流儀を守り、そして世界から孤立した、見た事が無いほどの狂人だ。
理性を高く持ったゴブリンであるが故に、イカレちまったんだ。
お前仲間殺しをした奴、好きになれるか?」
「……無理です」
「俺もだ、だから何としてでも俺達は“母無し子”の首を取る。
仲間の敵討ちだ、お前がまだ会った事も無いギルドのメンバーの何人かは、アイツに殺されてお前と親しく話すことも出来なかった連中なんだ。
……俺に言わせると、な」
そう言う考え方もあるか……
そう思った俺は感心して頷いた。
「お前、今日あの女の話を聞いて悩みを持っていたみたいだったから連れてきた。
少しは吹っ切れたか?」
「……気付いてたんだ」
「はは、顔役を何年もやっていると勘が良くなるんでな。
どうだよ、ラリー……」
「ええ、少しは……」
「ならばよかった。
親父も喜ぶ、聖騎士流の正統を親父は未来に残したいって言っていたしな。
……身内からそんな剣士が出れば、俺も嬉しい」
「俺なんか……」
「ラリー」
「?」
「生意気で良いんだ、迷いのない剣を振れよ。
謙遜なんからしくも無い。
最初にあった日を覚えているか?
お前はいっちょ前に『俺が殿を務める』とか言っていたよな。
ああ、なんて生意気で面白いガキが現れたと思ったんだぜ。
そして今や、お前が“狼の家”を色々な話題で一杯にした。
それに触発されてジジイがソードマスターを目指した。
お前はきっと未来にソードマスターになる。
オッと、否定するなよ?
親父はソードマスターの師匠が、剣士免状ではカッコが悪いって思って、あの年齢でヒーヒー言っているんだ。
ソードマスターの師匠は、ソードマスターであるべきだと言ってな。
だからラリー、へんな変わり方はするな。
お前さんは良い変化をもたらした。
生意気で良いんだ、お前はそれでも十分良い奴なんだから。
謙遜なんてらしくない。
お前さんはガムシャラに剣を振れよ、それでいい、それこそラリー・チリだ」
「…………」
励まされた俺は言葉を失い、そして黙り込む。
目頭が熱くなり、そんな俺の肩をバームスが抱いた。
手は大きく、彼の体に熱気が籠る。
それに触れながら俺は思った。
(そうだ、俺にはこの人達が居るじゃないか、王都の友人は消えてなくなっても、俺は決して一人なんかじゃない。
俺はまだ、心の支えと言うべき人が居る。
そして俺には“剣”がある……
ソードマスターを目指すのに、悩んだりする時間はないだろ?ラリー……)
雪の降る寒い日に老剣士の気合が木霊する。
振るわれる木剣は風を斬り、動く足元は雪を踏みしめる。
そしてその一部始終が、迷い始めた少年の心までも斬り伏せる。
いつもご覧になっていただきありがとうございます。
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