とある家族の物語(前)
今回は前編、後編でお伝えします。
後編は明日またアップロードします、よろしくお願いいたします。
―4日後、アルバルヴェ王国、王都セルティナ
頬に縦一筋の大きなかさぶたをつけ、貴族ではまずいない、真っ黒に日焼けした顔の俺は、遂に生まれ故郷に帰ってきた。
威容を誇る大きな街門、それを取り囲む高い外壁。
そしてその奥に見える王の巨大な宮殿がそびえている。
「ついた……やっと着いた」
ガーブウルズを出てから約一週間。
東京から名古屋までの距離と、同じ長さを踏破し、遂に目的地である王都のセルティナに辿り着いた。
空を飛ぶことで、険しい山も、巨大な大河も、数々の領主の関所までもやり過ごし、常識破りの短期間で旅を終えた俺達。
「げぇー(やっとか)」
ペッカーもこの街を見た時、俺の肩の上で疲れたように呟いた。
今回の殊勲賞は彼である「ありがとな」と呟いて、俺はペッカーの背中を撫でた。
……そして無言の内に、目の前の街を望む。
「…………」
故郷に辿り着いたら、何を心に思うのか?と思っていたが。
ホーツリッツの街を見た時のような感動は、もう感じなかった。
実にあっさりしたものである。
そんな感情の中で、まず真っ先に考えたのは、家族に会うと言う事だった。
そしてルーシーや殿下達にまた会いたい。
今は感傷に浸ると言いうよりも、心に思い浮かべた楽しい計画を早く実行したかった。
……逸る気持ちが足を急かす。
「さぁ、これで最後だ……行こう」
俺は肩にとまった相棒にそう声を掛けると、街道を歩く。
これで苦労は終わると信じて……
「ダメだダメだ!
お前はこの身分証をどこで盗んできたんだ!」
「だから盗んでない!
俺はヴィープゲスケ男爵の息子だ!」
俺は王都の街門に辿り着いた瞬間、俺は早速門番とトラブルを引き起こす。
どうしてこうなるんだ?
「ああうるさいガキだ!
いいか、ヴィープゲスケ男爵と言えば普通の男爵ではなく、この国の魔導士の頂点にある方で、王の信頼の厚い方だ。
その方の名前を名乗って、貴様ただでは済まないぞ!」
「だったら調べろ!
いや、むしろ屋敷に行ってハラルド(執事)を連れて来ればいいだろ!」
「……ああ、そうする。
こんな小汚い小僧が貴族を名乗るだなんて、まったくふざけやがって」
聞こえる用にブツブツ言い放って立ち去る街門の門番。
彼が消えた後、別の門番が代わりに通行人の荷物やら証書の確認をする。
その様子を門の外の日陰で待つ俺。
「小汚いからお前は貴族の子供じゃないって、どういう事なんだよ……」
俺がそう呟くと肩でペッカーが「げぇ―ぐわ、ぐぅぅぅわー(どこの世界も同じさ、見た目がその人の価値を他人に悟らせる)」と呟いた。
そこで俺は「聖地でもか?」と尋ねた。
「ぐわ、ぐわぁげぇー(そういう事、むしろこの国より露骨かな?)」
俺は“聖地”と言う単語から、聖フォーザック王国にあるその町は、清らかな人が住む場所だと思い込んでいたのでビックリである。
俺の頭の中でその町は、神の教えがきちんと説かれ、そしてその通りに生きる人達が住む、模範的な都市なのだと思っていた。
思っていたのとどうやら違う……
「へぇ、聖地と言うから心が綺麗な人ばかりかと思った」
それを聞いたペッカーは豪快に笑ってこう言った。
「げっげっげっ、ぐわぐわぐぅわ―(アッハッハッ、ラドバルムスの信者はそうだろうな)」
俺はラドバルムスの信者は善人と聞いて、ますますビックリする。
女神フィーリアに敵対する、悪人共だと思っていたからだ。
「ラドバルムスの信者は良い人なの?」
「げぇ、げぇぇぐわぁぐわわわ、げぇげげげ(まぁそう言う見方もある、善意に溢れ高潔で、そしてろくでもない連中さ)」
「フィーリア信徒よりも?」
「げぇげ、ぐわぐわぐぅーわぁ、ぐわぁぐー(さぁどうだろうな、結局みんな自分の事で忙しい、自分の流儀通りに生きるのに必死なんだろ)」
「ふーん、ペッカーから見てフィーリアってどうなの?」
「げぇぐ、ぐぁっぐあっぐぅあっ、がーがーげぇ(ラリーには悪いがあまり好きじゃない、何より自分を守ることが大事な女だ、だけどラドバルムスと違って世界を変えようとはしない)」
「そうなんだ、じゃあラドバルムスは?」
「げぇげがー、ぐわっぐうわっぐぅ……(キレイな奴だよ、心がな。だからこそ奴は恐ろし……)」
丁度この時だった、俺達の会話に割り込むように誰かが声を掛ける。
「坊ちゃま?」
俺を呼ぶ声がして振り向く。
するとそこにはメイドの……マリー?
「マリー?」
「坊ちゃま!」
マリーが現れた事にびっくりした俺は、思わず彼女の顔をしげしげと見る。
マリーが俺を迎えに来るなんて、予想もしていなかったからだ。
マリーは聖地帰りのお金持ちである、ホークランと言う叔父さんの従者と、結婚した。
彼女は結婚して、ウチで働くのを辞めていたと思っていた。
……悪い予感がする。
……俺は彼女に尋ねた。
「なんで?
結婚は?あの野郎遂に約束を反故に……」
「坊ちゃま、結婚はこの前しました。
まだお屋敷でお世話になっているだけです」
「(旦那は)ホークラン?」
「もちろんです……」
ああ、そうか。まぁそうだよね……
待たせるだけ待たせてトンズラこいたら、あの野郎に追っ手を差し向けるところだったぜ。
結婚してもウチで働いていただけか……
マリーはそれよりも俺の姿の方にびっくりしたようで、そして周りを見渡してこう尋ねた。
「それよりもなんでここまで……
お供の人は……そして奥様はどちらに?」
「いないよ、俺だけで帰ってきた」
「え?」
鳩が豆鉄砲を食らった顔と言うのがあったら、文字通りこんな顔なのだろう。
忘れかけていた“貴族の常識”とやらを思い出し、色々と俺が型破りに生きてきた事を思い出す。
……で、これ以上質問されるのはめんどくさいと思い始めた。
サッサとここから立ち去ろう……
「時間がないんだ、後で話すから家に案内してよ」
俺はそう言ってマリーを急かし、俺が正真正銘貴族の子だと知って、顔を青くする門番を睨みながら街の中に入る。
……勝利感が、半端ない。
多少ふんぞり返って偉そうに門を潜り抜けると、門の入り口には、見慣れたウチの馬車が止まっていた。
見た瞬間、俺は思った。
(ああ、そうだ。本来馬車ってこういうしっかりした物だったよね。
隙間が開いているスケルトン仕様では無かったよね。
これまで乗ってきた乗り物、アレは一体何だったんだろう?)
俺は馬車に乗る前、ウチの光沢がきれいな馬車を撫で回しながら、色々(いろいろ)と考える。
「あの坊ちゃま?坊ちゃま!」
気が付くとマリーが、俺の顔を覗き込み、心配そうな顔で俺に呼び掛けていた。
「何?」
「何じゃありません、なんで泣いて馬車を撫でているんですか?」
「え、泣いてないよ……あっホントだ」
気が付くとうっすら涙が一粒零れている。
自分でもびっくりだ。
マリーはそんな俺を急いで馬車に押し込めると、そのまま馬車を走らせ、懐かしの自宅に馬を走らせた。
「凄い、マリー。座席が柔らかいよ……」
「お。お坊ちゃま……あまり喋らないほうが良いですよ。
きっとお疲れでしょうし……」
「え、ああ。分かった……」
なんでやねん、なんで俺喋ったらいかんの?
そうは思ったが俺は確かに疲れている。
実際に眠いのだ、そこで俺は言葉に甘え、そのまま目を閉じる事にした。
「つきましたよ!」
マリーがそう言って俺を起こしたのはそれから間もなくである。
完全に寝落ちした俺は、かつて感じたことも無い安息の中で目を覚ました。
なんて快適なのか、貴族の馬車は……
嗅ぎ慣れた実家の匂いが籠る馬車は、俺に幸福感をもたらした。
目覚めた時に幸せだったのは、そのせいだろう。
馬車を降りると遠くから、次々(つぎつぎ)と家で働く古い使用人がやってきた。
『坊ちゃん!』
「ガルーナ、ハラルド、ヘーゼル爺さん!」
俺は皆の元に近寄り、そしてそれぞれに抱き着いて再会を喜び合った。
「おかえりなさい」
「ただいまガルーナ。
お父様は?お兄様は?お姉様はどこ?」
俺が再会の喜びの中で興奮して家族の事を尋ねるとガルーナは「あ、ええと……」と口ごもり、そして困り果てたように執事のハラルドの顔を見た。
ハラルドはガルーナを見て一つ頷くと「ここじゃあ何ですから……」と言って俺を家の中に入れた。
俺は客間に通され、そしてそこでハラルドと二人っきりになる。
そしてそこで彼と差し向かいで座った。
「ゲラルド様、お帰りなさい」
彼はニコニコと親しみの籠った笑顔で俺を迎え、そして俺に果実水を差し出した。
それを飲んでノドの渇きを潤す俺。
果実水なんて久しぶりに飲んだ、その美味しさに一瞬我を忘れる。
「ははは、一瞬で飲み干されましたね。
もう一杯ご用意いたしましょう」
「ああ、ありがとう」
「それよりお坊ちゃま、ガーブウルズにおられると聞いたんですが、一体どうしてセルティナに?」
「ああ、そうだ。お父様にお願いしたいことがあるんだ。
実は今バルザック家が大変な事になっていて……
それで助けてほしいんだ!」
「なるほど……まずは私が話を聞いてもよろしいでしょうか?
ご当主様には私の方から取り次ぎますので」
「すぐには会えないの?」
「ええ、グラニール様も、シリウス様も仕事中です」
「そうなんだ、分かった実は……」
◇◇◇◇
「と、いう事なんだ」
叔父が昏睡状態で時止めの魔法が止まりそうな事、それが原因でバルザック家内部に、きな臭い揉め事が起こりつつある事。
それらを説明し、俺は彼に助けを求める。
話を聞いたハラルドは「なるほど、それは大変でしたね……」と、相槌を打ってしばらく考え事を始めた。
しかし彼の表情が浮かない、何か言いたくても言えないモノを抱えている様な感じが、その表情から透けて見える。
話し終えた俺が、ハラルドの表情から感じ取ったのは“距離を置きたい……”と言う感情だった。
思っていたものと余りにも違う彼の反応に、戸惑う俺。
直ぐに同情して、助けてくれると思っていたのに……
ハラルドは「それではお坊ちゃま、このままお屋敷でお待ちください」と言って、そそくさと立ち去る。
……その様子に疎外感を覚えた。
もうこの家の子ではなくなったかのような、そんな雰囲気が、見慣れた部屋や、人々から感じられる。
『…………』
俺とペッカーは、その様子を見て言葉を失った。
……まるで壊れ物を扱うような、この微妙な空気。
俺達の間に広がる沈黙。
……俺は、何かを口にするのが怖くなった。
そしてそれ感じ取ったのか、ペッカーも、俺の肩の上で黙り続ける。
「エリクサーを取りに行こうか……」
沈黙にも、今見た風景の話にも耐えられなくなった俺がそう呟く。
俺の寂しい声に、ペッカーは言葉も無く首を振ってそれに賛同した。
こうして客間を出る俺達。
広い屋敷の、明るくて広大な庭を行く。
以前からこの屋敷に勤める、見慣れた庭師達は、俺とハラルドの話が漏れ伝わったのか、俺の所に近寄ろうともしない。
……目を合わせる事すらも恐れる彼等。
(俺が言った事の、何がいけなかったのだろうか?)
俺はそう思ってますます疎外感を強く持つ。
彼らの反応を見ると、俺の言葉に問題がありそうであるが、俺にはその理由が分からなかった。
俺は彼等と接する事、そのものが怖くなり、黙って納屋に入り込んだ。
ポンテスが言うには、ここにエリクサーがあるらしい。
「げぇげぇ―(あの柱にある筈だぞ)」
ペッカーは場所を知っていて、俺にその場所を翼で指さした。
場所はポンテスが言うように、入って右奥の柱の下である。
俺は柱の根元をほじくり返す。
そして、赤い小袋を見つけた。
「ペッカー、これか?」
「げぇ(そうだ)」
俺はそれを聞くと小袋を開けて確かめる。
中にはパラフィン紙に包まれた、コメ粒ほどの大きさの真っ青な丸薬が3粒あった。
「液体だと思った……」
思わずそう呟くと、ペッカーが「げぇ―(液体もあるぜ)」と答える。
「げぇーげぇーげ、ぐわっがーぐわぁ(用途によって違うんだ、傷口に振りかける時はこれを聖水に溶かして使うんだぜ)」
「へぇ……」
流石ペッカー先生、物知りである。
俺は無くさない様にこれをしまうと、納屋を後にした。
納屋の外は様々(さまざま)な使用人の人目があった。
遠慮しがちで、好奇に満ちたその目が、俺の心のかさぶたをさらう。
視線に過敏なだけかもしれないが、人目が俺に居心地の悪さをもたらす。
……もっと静かな所に行きたかった。
俺は居場所を求めて、自分の部屋を見に行こうと思った。
兄貴が結婚して、男爵位を引き継いだ時。
パパやママ、そして姉貴に俺……悲しい事にあのアホな3姉妹もだが。新築の離れに引っ越しをしたのだ。
俺は離れの2階にある自分の部屋がどうなっているのか確かめたくて、離れに向かう事にした。
こうして辿り着いた離れの外観に、さしたる変化はない。
俺が最後に見たのと同じ姿だ。
(……新築の離れが、そう簡単に変わる訳も無いか)
そう思った俺は、離れの扉に鍵がかかって無い事を確かめて、静かにドアノブを回す。
開け慣れた離れの扉を開け、中に入ると。
……なんじゃこりゃ?
不気味なインテリアに侵食され、人面大根の干からびたのが、首つり死体の様に、屋根から何体もぷらぁーん、とぶら下がるのが目に飛び込む。
それだけではないが、とにかく魔導系の怪しくて異様な物体が、壁やら床やら所狭しと並んでいる。
一言で言うと呪われそうな風景。
その光景は、あのベガ、ウィーリア、アイネと言うロクデナシな俺のシスターズが勝手に占拠して使っていた魔導大学の、研究所で見たものと全く同じなのである。
前はもっと品の良い、貴族的なおウチだったのに一体どうして……
「嘘だろまさか……まさかまさかあの女共。
いや、それよりも俺の部屋だ……」
急ぎ二階に上がろうとする俺、ところが階段は所狭しとガラクタに侵食され、足や腰が色々(いろいろ)なものに引っかかる。
この様子に悪い予感しかしない。
……なんだこの汚部屋、むしろ汚屋敷。
まさか、俺の部屋、まさか……
小走りに部屋に向かった俺。
がばっと自分の部屋の扉を開けた……
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
偽ポンテスがうじゃうじゃいるぅぅぅ!」
犯人?あのバカ姉妹しかいないだろ?
6体の偽ポンテスが“バウッ、バウッ!”と言いながら、ウロウロと俺の部屋を飛んだり跳ねたり、壁をぶち抜いたり……
もう嫌っ!わたし堪えられない!
俺は「はぁぁぁぁん!」と悲しげな声を上げながら、まともな方の姉貴の部屋に飛び込んだ!
「お姉様!あのクソ女共に決闘を……アレ?」
俺の大好きなエリアーナお姉様の部屋は、空っぽだった……
……居ない、なんで?
ソレよりも、空き部屋があるのに、あのクソ女共はどうして偽ポンテスを、俺の部屋に放し飼いにしやがるんだ……
まぁ、アイツらに言っても無駄だから、尋ねるつもりもないけどさ。
俺はとにかく明らかにもう俺の部屋ではない、俺の部屋を後にし、外に出る事にした。
9か月は長い。
その昔、美しかった離れの家を、ぼろぼろのスプラッターハウスに変えるには十分すぎる程に……
それが分かっただけでも来た甲斐はあったのだろう。
……ある訳ねぇな。
離れの前の空き地で、何も考えたくなくてボーっとしているとハラルドがやってきた。
「お坊ちゃま、大旦那様がお仕事から帰ってきました。
どうぞ執務室へ……」
「え、ああ。分かった」
ああそうだ、俺はパパに会いたくて、はるばるここまで帰ってきたんだ。
目的を思い出して急ぎ本宅に向かう俺。
……会う前から、敵の精神攻撃を食らった気がする。目的をすっかり忘れてたよ。
おどろおどろしいあの家を離れ、おれは美しくも貴族的な家の中を歩いてパパの元へと向かう。
そして執務室の扉を叩いた。
「失礼します、ゲラルドです」
「入りなさい」
パパの声を聞いた時、たまらない懐かしさに襲われた。
穏やかな人なんだけど、俺はパパに怒られるのが怖くていつも緊張していたなぁ。
不意にそんな事を思い出しながら、俺はこの執務室の扉を開ける。
「ゲラルド……随分大きくなったなぁ」
俺を見たパパは驚き、そして次に親しみの籠った笑みを浮かべて、俺に近付き抱きしめた。
「ただいま戻りました、お父様……」
俺も抱きしめ返す。
やがてパパは体を離し「こっちに来て話そう」と言って、俺を一組のテーブルと椅子に案内し、着席するよう促した。
向き合って座る俺達。
「ガーブウルズはどうだ?ゲラルド……」
「パパ……あ、すみません。
皆に良くして貰っています。
ただ、あそこは……
お父様、あそこは人を戦士に変える為だけに存在しています!
僕はこっちで修業できないでしょうか?」
「辛いのか?」
「辛いです!辛いを超えて俺はあそこに適応してしまいそうです……
あのままあそこに居れば、僕は野獣になってしまいます!」
俺はここでゴブリン狩りの話をし、そしてゴッシュマが俺を“白銀の騎士”にしようとしていると言う話をした。
「白銀の騎士にすると、狼の家の連中が言ったのか?」
「そうです、素質があると」
「そうか……お前には才能があったのか」
「でもあそこには娯楽も何もないんです。
出来れば王都で優しくも、立派な騎士になりたいと思います」
パパはその話を聞くとスゥーっと目を細めて「ラリー、王は優秀な家臣を求めているのだよ……」と呟いた。
意味も分からず、首をかしげる俺。
パパはそんな俺の様子に「まだ、分からないか……」と溜息交じりで呟いて、こう話を続けた。
「連中は素質のない者に剣を教えたりはしない、それにガーブの軍は、我が王国軍の精鋭中の精鋭だ。
王都の軍よりもずっと王に頼られている。
……まぁこの話は良いか。
だがゲラルドよく聞きなさい。
もはや私とバルザック家は関係がない。
残念だがな……」
「え?どうしてですか……」
パパは静かに怒りを湛えた目でテーブルの上に目線を落とすと、静かに言った。
「お前の母親は許し難い事をした。
あの後私は世間のいい笑い者だ。
人の目があれだけ集まる中で、私をああも侮辱した人間は初めてだ……
お前を私の断りも無く連れて実家に帰り、そして使用人と一緒に駆け落ちした!
それだけではない、私の様子を見てエリアーナが勝手に家を出ていった……」
ママが“駆け落ちした”と言う話に、俺は思わず息を飲んだ。
……パパが誤解していると気づいたからだ。
それに加え、優しい俺のたった一人の姉貴(ロクデナシ3姉妹は敵だから)が家を出たと彼は言った。
話を聞いて、俺は思わず「えっ!」と呟く。
パパはその後、怒りに震えながらその話しを続けた。
「エリアーナの行く先は、ファレンの元だ。
その後ファレン・アイルツが王太子殿下と共に我が家にやってきて、結婚を認めてほしいと言ってきた。
認めてもらえるまでエリアーナには手を出さないと誓うとか言ってなっ!
……信じられるか?
もはや娘は乙女では無かろう、周りの貴族もそれを見て益々(ますます)私を噂話のネタにするだろう。
それに王太子は何も言わないが、一緒に我が家にやってきたのだ。
殿下の気持ちを察すれば、断れる訳も無い。
殿下は幼馴じみである、ファレンの恋を叶えてやりたいのだ。
……これで私の婿は騎士になった。
爵位のある貴族との良縁だって、望めたモノを……愚かな娘だ」
そう言うとパパは目に涙を溜め、鼻をすすりながら言った。
「すべてエウレリア……お前の母親が出て言った事がきっかけなのだ。
アレが出て行かなけれ……
もはやあの女を私は妻だと認めない!」
そう言うなり彼は、堪え切れなくなって机を“バンっ!”と強く叩いた。
生れて始めてパパが怒りに震える姿を、見た俺は思わず言葉をつぐんで黙り込む。
肩の上のペッカーも同様だ。
パパのそのギラつく目に、見た事が無いほどの殺意が籠る。
そのただならぬ様子に怖気づきながら、俺は尋ねた。
「駆け落ちってなんです?
ママは誰も男を近づけさせていませんよ?」
「嘘をつくな!
自分の母親をかばっているのは分かる……
だがな、お前達は使用人と一緒に暮らし、まるで家族のように暮らしているんだろ?」
一瞬、この男は何を言っているのか?と思った。
そして次の瞬間、俺はパパに弁解した。
「パパ、それは誤解です!
ワナウはあの雪深いガーブで男手として雇われているんです。
月給だって5000サルトも毎月払っているんです!」
「……信じられぬ。
第一我慢できるのか?」
「パパ、何を言っているんですか?」
何を“我慢”できると聞いているのか、分からず俺は彼の顔を見た。
「……ふぅ」
躊躇うように溜息を吐いた父の姿を見て、俺は彼が言っている我慢とは“性欲”の事だと気が付いた。
怒りを覚えた俺は、パパに食らいつく!
「パパはママの貞節を信じてないんですか?
信じていないんですか!」
俺はパパがママの貞節を疑っていると知って、俺は激怒して立ち上がった。
「ママはずっと綺麗なままだ!
アイツ(ワナウ)がママに近付く事なんかある物か!
俺はお兄様の名前を借りてまで、お母様の収入を助けた!
アイツを雇うため、王都の二倍の給料を要求したアイツの為に……
ゴブリン狩りをしてまで、家族がいつか一つになる時の為に頑張ってきた!
それなのに、どうしてお父様は信じなかったんだ!」
「うるさい……」
「黙らないよパパ、どうしてパパは……」
「うるさいっ!黙れゲラルド」
パパは遂に耐えきれないとばかりに叫んだ。
パパが叫ぶ姿を初めて見た俺はショックを受けて立ちすくむ……
パパは目元に手を当て、静かに机に顔を伏せると、しばらく黙った。
「…………」
俺と彼の間に、沈黙が流れる。
お互いに冷静になれる時間が必要だった……
俺はしばらくした後、自分が謝るべきだと気が付いた。
父親に楯突くなんて、どうかしている……
「お父様、申し訳ございません……」
パパは、低い声で「ああ……」と言って、そして黙った。
俺はいたたまれなくなり、そして言った。
「パパはこの話をどこで聞いたんですか?」
「お前の手紙と、噂話でだ……」
「お父様、最後にママの消息を聞いたのはいつです?」
「お前の手紙が届いてからは聞いてない……
もういいだろうゲラルド、お前は私の息子だ、お前の面倒はきちんと見るから……」
そうじゃない、そうじゃないよ……パパ。
俺はそう言う事が出来ず首を振るって言った。
「……お父様、ガーブウルズに帰ります」
「……そうか」
帰ると言った俺に、パパはまるで拒絶するような声でそう答えた。
きっと俺もまた、彼を拒絶したような印象を与えたのだろう。
……それが分かると辛かった。
だけど吐いた唾を飲み込む方法はない、言葉はも口から放たれた。
俺は椅子から立ち上がりながら言った。
「パパ、もうすぐ僕に弟か、妹が出来るんです」
「…………」
「パパの子供です、間違いなく……」
パパは俺の言葉に反応を示すことなく、机に肘を置き、目元を手で覆ったまま身じろぎ一つしなかった。
「…………」
俺は何と言ったら良いかも、そしてどう思って良いのかもわからなくなり、この執務室を後にした。
「う、ううっ……ううっ」
部屋を出た瞬間、俺は悔しさがこみ上げてきた。
そして早歩きでこの場から立ち去りながら、人目をはばからず泣いた。
……生まれて初めてだった。
「うわぁあぁぁ、ああ……うわぁぁぁっ!」
悲しさで心は塗りつぶされ、周囲の目線は気にならず、みっともなく、そして見苦しく泣き叫んだ。
悲しかった、悔しかった……
見ていた景色の煌めきは、俺にとっては優しいものではなかったと知った。
俺にはあのガーブの雪しか、野獣の様なあの人達にしか残されていなかったのだ。
家族はもう終わっていた、俺だけが終わってないと思っていたのだ。
……ママが、パパに連絡を取っていない理由も初めて理解できた。
ママはパパに対して復讐するために、わざわざ二倍の給料を払ってまで、ワナウを雇ったのだ。
こう言う噂が流れるように期待してだ。
望み通りパパを苦しめた俺のママ。
……愚かにして、誇り高い人が俺の母親だと知った。
俺はもうこの家に用はなく、そして滞在する事も出来ない……
涙をこらえ、腰の剣を握りしめ、肩に乗るペッカーの沈黙に支えられ。俺はこの家の門を潜って外に出る。
……もうここに来ることは無いのだろう。
振り返って立派な屋敷の門を見ながら、俺はそう思った。
そして俺は宛ても無く道を歩き続ける。
◇◇◇◇
「あ、おいしい……」
お腹が空いた俺は、魔導大学の傍の飯屋で食事をとった。
……せめて皆に会いたかった。
うろついていたら誰かに会えるかな?と期待したのである。
……直接会いに行けばいいのに、実家で心がへし折れていた俺は、情けない事にここで中途半端な事をしている。
とは言え食事の味は素晴らしかった。
ショウガの味が効いて、とっても美味しい肉料理である。
あんな事があった後でも食欲があると言うのだから、俺の性格も中々図々(ずうずう)しい。
とは言え残り俺がこの街でやるべき事なんて、考えてみたけど何も無い。
後は、急いで回収した薬をもって、ガーブウルズに帰るだけである。
そこで、どうせならしっかり飯を食って帰ろうと思ったのだ。
「どうだい学生さん、ウチの料理は?」
俺があまりにも美味しそうな顔でご飯を食べていたからだろう、お店の主が俺を学生と勘違いして声を掛けた。
俺は勘違いを正すことも無く「凄く美味しいです、ショウガの味が効いて……」と答えた。
店主はカウンター越しに「がははは、そうだろ?」と言って、良い笑顔で微笑んだ。
「最近南の海の向こうから、新鮮なショウガがやって来るんだ。
ウチの王様がかなり頭の良い人だからね、マルティ―ル同盟と一緒に貿易会社を立ち上げたのさ。
シルト(大公)の野郎も、一枚噛んでいるそうだ。
おかげで南国の物産が、最近だと簡単に手に入る。
干したショウガも外国に売れるって言うんだし、しかも美味しくて体にも良い。
ショウガ様々(さまさま)だよ、ウチの妻もあれくらい役に立ってくれれば良いんだけどな」
「へぇ」
「ショウガが嫌いなのは医者だけさ」
そう言って店主は洗い物に取り掛かる。
会話の内容は俺の好奇心を刺激した。
ほんの少し王都を離れただけで、世間はめまぐるしく変化している。
このショウガの味がそうだろう。
王国は貿易を強化し、その果実をさっそく王都の人間は口にしている。
流石に都会は流行に敏感なんだなと、感心した俺。
……やはりガーブ地方と違うと、実感せざるを得なかった。
田舎、大嫌い……
シティボーイに改めて成りたくなった俺は、食事代を払ってこの店を出て行き、次に堂々(どうどう)と魔導大学付属の剣術学校の門を潜る事にした。
……留学制度があるかどうかを知りたくてね。
家には帰れないけど、留学生としてなら別に、ねぇ……
食事も終え、店主にチップも弾んだ俺は、そそくさとこの店を後にする。
飯屋から少し歩いた所にソレは在る。
王立魔導大学付属、剣術学校。
カン、カン、カーン。
門をくぐる前から、「イケイケぇっ!」とか「逃げんなっ!」と言う威勢の良い声が響き渡る。
その声に合わせる様に、木剣同士が衝突し、乾いた音を立てる。
ああ、懐かしき剣術学校独特の音。
随分と音が増えて賑やかになったんだなぁ。
そう思って中に入ると、なんと俺が最後に見た時よりも倍ぐらいの人数が剣を振るっているではないか。
「ひぇ、前は6人しか居なかったのに……」
初めの頃よりも、随分と様変わりした物である。
中の様子をもっと間近で見たかった俺は、剣を合わせる皆の傍に近寄る。
結構みんなレベルが高い、中でも一番奥に居る剣士は剣の振りも早く、そして技術的にも相当高度だ。
その妙技に思わず見とれている俺。
彼は瞬く間に相手を刺突すると、相手に礼をした後、兜を脱いで俺に手を振った。
あ、殿下だ!
俺も手を振り返し、そして急いで彼の元に駆け寄る。
「ラリー!いつ帰ってきたんだよ?」
彼は再会するなりそう言って俺に抱き着いた、俺も抱擁を返す。
「殿下お久しぶりです!
たった今帰ってきました」
殿下は前よりも顎がシャープになり、元々美形の顔立ちだったが、それに精悍さが加わった顔をしていた。
「大きいね、ラリーまるで大人みたいだよ」
背丈の違いは明らかになり、俺は彼よりも頭一つ以上大きくなってしまっていた。
殿下はそんな俺に心配そうな顔を一つ浮かべるとこう尋ねた。
「話は聞いているよ、大変だったね。
剣はまだ続けているの?」
「もちろんです、今は“狼の家”の剣士ゴッシュマを師にして励んでます」
「フーン……もうボグマスじゃないんだ」
一瞬だけ、殿下は俺を睨むような目を向けたが、次にニコリと笑って、イリアンやシドを呼んでくるように、後輩に命じた。
「ここで待ってて、リアを呼んでくるから」
そう言うと、彼はイフリアネを呼んでくると言ってどこかに向かう。
リアとはイフリアネの愛称である。
そうかそうか、愛称で呼びあう仲にお成り遊ばしましたかぁ。
うん、良いね。上手くいっているみたいで。
彼の変わらぬイフリアネへの気持に思わずほっこりしながら、俺は次々現れる知り合いと抱き合って再会を喜んでいた。
やがてその中から一人のアホが現れる。
「ヘイ!ラリーっ」
「おおっ、リジェス!」
クラリアーナの親戚で最高のアホが現れた。
先輩を決して敬わないこいつ、いきなり現れるなり俺の脇腹をえぐって来る。
俺もコイツの脇腹を拳でえぐった。
「いってぇなラリー!
お前後で覚えておけよ」
「うるせぇ、お前後輩だろ!」
とは言え嬉しい物で、彼を抱擁して再会を喜ぶ。
『ラリー!』
今度は別の二人の声が響き渡る、俺は急ぎそちらに目を向けると、そこにはシドやイリアンの姿があった。
嬉しくなった俺は駆けだし、彼等の元に寄ると、そのまま彼等に抱き着く。
「久しぶりだな、イリアン、シド!」
俺がそう言うとイリアンが「お前はでかくなったなぁ」と言った。
「ラリー、変わらず元気そうだね」
シドが嬉しそうにそう話しかけ、俺も嬉しくなって「シドは?可愛い子見つけたかい」と尋ねた。
するとシドは目を丸くしてキョロキョロと辺りを見渡し始める。
その様子をからかうように、近寄ってきたリジェスが言った。
「シドは今、クラリアーナ様とお付き合いしているんですよ!」
ニャンですと?
シドはいつも冷静な彼らしからず、顔を赤くしながら「まぁ、いいじゃん」と言って顔をそむけた。
「おいおい、ちょっとシドさん……
詳しくお話聞きましょうかぁ」
俺は嬉しくなって、仲間のコイバナを掘り出そうとした。
その時である。
「ねぇフィラン、アホのラリーが帰ってきたの?」
アホって……そう思って振り返ると、なんかそこだけキラキラしたオーラを振りまきながら、イフリアネが粗末な練習着を着てこちらに近寄ってきていた。
「イフリアネ、久しぶり!」
思わず抱きしめようと近寄ると「近寄るな馬鹿!」とリジェスが……
おう、そうだったな……
俺とリジェスのその様子を見て、イフリアネはケラケラと笑い「ラリー大きくなったね、もうオジさんだぁ」と言った。
なんでだよ!
俺が憮然としているとそこへ、騒ぎを聞きつけたボグマスが現れた。
遠くからでも分かるその存在感ある姿に、俺は思わず遠くから頭を下げ、次に彼の元に近寄った。
「マスターお久しぶりです!」
「ラリー、大きくなったなぁ。
見違えたぞ、お前ガーブウルズに行ったんだってな?」
「そうなんです“狼の家”に今います」
「そうか、あそこはきついし名門の道場だからな。
それにしても、お前が礼儀正しくなるなんて……」
「え、どういう事?」
「初めて会った時、こいつは生意気だと思ったが……今はだいぶ成長したんだなぁ」
アレ?俺ってそう言う子供だったっけ。
そう思っているとボグマスはパンパンと手を叩きながら「ほらお前達、練習に戻れ」と言ってみんなを散らせた。
「それじゃあラリー、そこのベンチで話をしようか。
これまで何をしてきたのか、教えてくれないか?」
「ええ、喜んで。
実は自分も聞きたいことがあるんです」
「分かった、それじゃあゆっくり聞こうか」
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