青春の門を抜けて……
ごめんなさい。また今回も原稿用紙60枚を超えました。
3章を24話で収めたくて無理しています。次こそは20枚にしたいと思います。
気が付くと頬から流れる血が、服を真っ赤に染めている。
そして頬の痛みが、今になって一歩歩くたびにズキンと響いていた。
流れる量は少なくなったが、いまだに血はやむことなく流れ続く。
「(坂の)上に戻ったら傷を洗ったほうが良いな。
軟膏は持ってきたか?」
ジリが心配そうな顔で尋ねる。
俺は痛みに顔をしかめ「ああ……」とだけ答えた。
こうして沈みかけの太陽に見守られながら、坂道を上る俺達。
そんな中、過ぎ去った戦いが、いまだに俺に興奮と手ごたえを心に呼び覚ましていた。
あの時こう来たのだから本当はこうしたらよかったとか、はてまたはこういう切り口であの局面を打開すればよかったとか……
坂道を見ている筈が、瞳には道ではなく先程の戦いの記憶が映り込む。
……そしてこう思った(俺にも、あんな戦いができるのか)と。
俺は自分の中に眠る、知りもしなかった才能を発見した。
その確信が、俺の心を駆け巡る。
自分自身へ感じた初めての手ごたえ、その喜び。
もっと剣を振りたくて。
もっと戦いに身を投じていたい……
剣がさらに魅了する。
これまでやってきた事の意味を知る、今日この日の為にあった日々だったんだと……
覚えたての充実感と、それが急速に失われていく喪失感。
説明の難しい感情で頭がいっぱいになる。
色々な感情が湧き続けた。
……そして頭と違い、足は頂上目指して歩き続けた。
辿り着いた頂上には、湯気の立つ湖の様な、整備されてない温泉が在った。
俺は濁らないように気を付けながら、お湯を手で掬い、顔に掛ける。
お湯が掛かると傷は火が付いたように痛んだ。
「あーっはっはっ!ウケるっ、うひぃー」
隣ではそんな俺の様子に、大爆笑の……
マジでアイツぶん殴ってやろうか!
「何がおかしいんだお前っ!」
「だって恐る恐るお湯を汲んで、嫁入り前の娘みたいな手つきでさぁ。
頬にソフトに(お湯を)ピチャってつけたら。
次の瞬間顔が“むっひぃ”って言いそうなんだぞ!
面白いから!笑わないのは無理だからっ!」
「お、俺はわざとやってるわけじゃないだぞ!」
「“ないだぞ”って、どこの方言だよ!」
「うるさい、言い間違えたんだっ!」
「噛み噛みじゃねぇか、とにかく落ち着け。
そして傷を洗って……
そうそう、そんでもって……
ほらこの顔だよ!スケッチしてやるからちょっと待ってろ!」
ノリよく奴に合わせて傷を洗って、そして殊更大げさに“むっひぃ”な顔をして見せたらアイツは大喜びである。
ジリは「ラリー、これは持ちネタで行けるぞ!」と言い出した。
「マジで?じゃあ今度コレをバームス親分に見せてくるかぁ……」
そう言って楽しむ俺達。
……とは言え、傷を洗うのに苦痛なのと、洗わなければならないのは変わらないわけで。
動物が傷を癒すために温泉に入るくらいだから大丈夫だろう、と。半ば強引に自分を納得させながら傷口を綺麗にした。
……むっひぃ。
この様にふざけながら傷の手当てを終えた後、俺達はあのただ一人生き残った男の元へと向かった。
いつの間にか彼は目覚めていたらしく、上半身を起こして、茫然とした様子で周りを見渡している。
そんな彼にジリが「大丈夫か?」と声を掛けた。
彼は「ああ……」と言った後、感謝の言葉も忘れた様子で俺達の顔をのんびりと見上げる。
あまりにもぼんやりしているので(大丈夫かな?)と思った。
しかし我が事を思い出すと、ゴッシュマにレスリングで首を締め落とされた時、自分もこんな感じだったと思いだした。
気絶から甦るとみんなこういう表情をするのだろう。
「あれ、そう言えばマスター……マスターは何処だ?」
やがて正気に戻った彼が、言葉らしい言葉を吐いた。
『…………』
それを聞く俺とジリの表情が固まる。
俺達はそれとなしに互いに顔を見合わせた。
やがて俺は「もうすぐ暗くなるから、今のウチに見に来て……」と言って、彼を下の窪地にまで連れて行く事にした。
下は、砂埃をまとい、白い帯の様な姿の風が、荒れ狂ったように吹いていた。
乾いた鳥の死骸がコロコロと転がる中、窪地の奥底ではマスターワースモンとその部下たちの死体が、傷一つない綺麗な状態で転がっている。
……まるで眠っているようだった。
生き残った彼はその様子を見た瞬間、恐れも警戒心も無くしたようで、この死体が溜まっている場所に飛び降り、そして仲間に触れる。
力も無く、ゆすられるままの仲間たち。
見ている俺は、目の前の者が死体であると言う実感すら湧かなかった。
……傷一つ無い体。
何事も無かったかのように彼等は起きだしそうだった。
……だが誰も起きない。
『…………』
沈黙が広がり、俺達が見守る中で。
彼はワースモンの手から握りしめられた剣を取ると、さらにその腰に下がる鞘を取り上げ、そして俺達の元まで戻ってきた。
彼は戻ってくるなり、悲しげな顔でこう言った。
「……助けてくれたんだね?」
「ええ……」
俺がそう言うと、彼は俺に「ありがとう」と初めて感謝の言葉を述べた。
「あのゴブリンは何処へ?」
彼は悔しそうな声でそう尋ねた。
それを聞いた横のジリが「こいつ(ラリー)が追い返したぜ」と答えた。
「そうか……子供に助けられるとはな。
狡猾な奴だった、もっと警戒していればこんな事にはならなかった……」
言葉の端端に“子供でも追い払えた奴だった”と言う感情が見え隠れした。
面白くはなかった。
だが、次の瞬間(まぁ実際そうだったんだろうな)と思った。なので、納得して俺は黙る。
ただし、それを聞いたジリは、機嫌を悪くしたようで少し彼を睨み付けた。
「君達はこれからどうする?」
ジリの目線に気付いたのか……彼はそう言って俺達に意見を求めた。
俺達は『街に戻ります』と声を揃えて言った。
“母無し子”の太腿に刺さったボルトの毒は、おそらくしばらくの間、奴から行動の自由を奪うはずである。
それを見越して追跡する事も考えたが、何らかの形で奴が毒物に対して耐性、ないし解毒術を持っていた場合、逆に奴の襲撃を恐れる事になる。
そしてこれからの時間は夕闇が辺りを包み、視界だって悪い。
これだけの被害が出た後だ、俺達は一刻も早い帰還を果たしたかった。
……ママが心配すると言うのもある。
抜け出したことをバレたくはなかった。
ただ、今から帰還しても遅くなるため、ソレは避けられそうもないが……
生き残った彼は、俺達の答えを聞くと「ここから安全に出られるのか?」と尋ねた。
16名いた男がたった一人、残りは子供二人になったのだ。
来た時と違い、帰還路は戦力的に大きく見劣りしているのだから当然である。
彼はこの状況下での“母無し子”の襲撃を恐れている。
そこで先程奴の太腿に打ち込んだボルトの話をすると、彼もまた俺達と一緒に帰還する事に同意した。
毒が効果を及ぼしている内に、彼もまた逃げ出そうと言うのだ。
こうして俺達は来た道を戻る事になった。
……そして遂に日が暮れる。
来た時とは違い、残してきたロープを伝って降りたので帰りは非常に速く、また月が明るく道を照らしたので、苦労も無く最初のキャンプにまで帰れた。
ここまで来れば一安心である。
俺は安心感から気が抜けたのか、ここにきて右頬の傷が再びうずきだした。
なのでここの温泉で傷口を洗いながら、持ってきた軟膏を頬の傷に塗った。
またしても“むっひぃ”である。
ここで初めて気が付いたのだが、触れるとすさまじい痛みはもちろんの事、肉の一部がゲッソリ削がれている事に気が付く。
ほんの少し棍棒の先が掠めただけでこれだ。
武器と呼ばれるモノの、一撃の威力に改めて驚く。
まともに喰らっていたら頭蓋骨は間違いなく割られていただろう。
あんな無理な体勢からの下からの振り上げでこの威力、奴の力が規格外だと思い知らされた。
俺が再び傷の手当てをしている間、残った二人はテントの中身を物色していた。
やがてその中から大事な荷物を回収した彼が、そんな俺達を促して早々(そうそう)にこの場を立ち去ろうと言い出した。
なので俺達は急ぎこの“悪魔の谷”を抜け、そしてガーブウルズに向かう。
道中俺達は互いに初めて自己紹介をした。
俺は自分をラリー・チリと名乗り、そしてジリに胡散臭い目で見られる。
そして、たった一人生き残った彼は、自分の名前をガストン・カルバンと名乗った。
彼はツイていない人生を歩んだらしく、仲間の死を見つめたのはこれが4回目だそうだ。
『俺は疫病神に守られているのだ』と、自嘲気味に語った彼の言葉がどこか悲しかった。
◇◇◇◇
こうして……休憩もそこそこに、街に辿り着いたのは、真夜中を回る頃である。
俺はこんなに遅くに帰った為、傷の事より(ママにどう言い訳しよう?)とそればかりを考えていた。
だけども考えがまとまらない、眠たかった。
疲れで足が鉛のように重い。
そして足も背中も痛い……
こうして辿り着いたガーブウルズの門。
夜、この街の門は固く閉ざされている。
通常この状況では街に入ることはできない。
そこで、門番の兵士にお願いして、ゴッシュマを呼んでもらう事にした。
門番に取り次いで貰っている最中、俺は不安で胸をいっぱいにしながらジリに言った。
「ジリ、もしかしたらしばらくお前の所に来れないかもしれない……」
「なんで?」
「ママに黙って家から抜け出して、ゴブリン狩りしていたんだけどさぁ……」
「はいッ?言ってないのお前!」
「うん……」
「うわぁ、お前さぁ……」
ジリが何かこの先を言おうとしていた時だった、門の横にある小さな潜り戸が開き中からゴッシュマが現れた。
ようやく帰れるとホッとした俺。
そしてそんなゴッシュマに続いてママが現れ……
うげっ!
「マ、お母様……」
俺が何かを言い終えないうちに、ママは俺の頬をピシャリ!と平手打ちした。
「…………」
親に打たれたのは初めての経験だった。
あまりの衝撃に思わず3歩後ろに下がる。
ママは俺の顔を鬼の形相で見たかと思うと、次の瞬間血まみれの俺の頬を見て、悔しそうに顔をゆがませ、そして泣きだすと、何も言わずに潜り戸をくぐって街の中に入っていった。
その様子を堪らない罪悪感と共に見送った俺。
顎が下がり、胸が締め付けられた。
(俺はなんてことをしてしまったんだ)
そう思って俯く俺、絶え間なく涙が頬からあふれて顎から滴り落ちていった。
「ゲラルド様……」
ゴッシュマがそう言って、俺に声を掛けた。
「やめてください、あなたは私の師です。
ラリーでお願いします……」
ゴッシュマはそれを聞くと深い溜息を一つ吐き、そして空を見上げると潤む目でこう言った。
「先に言ってくれれば、もっとまともな対応をした……」
「強くなりたかったんだ。
こちらこそすまない、だけど教えてくれたモノが役に立った。
“母無し子”を追い返せたんだ……」
ゴッシュマは確認するようにジリを見ると、彼は戸惑った後に、俺をかばい立てするように言った。
「ラリーは一歩も引かずにアイツとやり合っていたんだ。
本当に強かったよ……」
ゴッシュマはそれを聞くと「そうか」と言って頷いた。
「確かにラリーには天分がある。
だけどもお前はバルザック家の一員だ。
しかも先々代アルローザン・バルザック様の血をひく唯一の男の孫なんだ。
しかもエウレリア様は嫡出子……
お前にもし何かあったらどうするんだ?」
どうするとは何だ?と思った。
「先生、自分はバルザック家ではなく、ヴィープゲスケ家の人間です。
お爺様には会った事も無いですし“何かあったら?”と言われても良く分からないのです……」
それを聞くゴッシュマは「すぐに分かる、お前の運命だ……」と答えた。
「それよりもお嬢……エウレリア様に謝れ、分かったな!」
「はい、かしこまりました」
「よし、それよりも。剣……続けるのか?」
ゴッシュマはそう言って、不安そうな目で俺の瞳の奥を覗き込んだ。
「ラリー、出来る事なら……」
俺はゴッシュマの次の言葉を遮って言った。
「ゴッシュマ、俺はソードマスターになれるでしょうか?
あなたから見て……」
次の瞬間ゴッシュマは大きく目を見開いた。
次にあっけにとられた表情を見せて「ソードマスターを目指しているのか?」と尋ねた。
「はい、自分の道はコレだと思ってます……」
腰に下げた剣を見ながらそう答えた俺。
ゴッシュマはそれを聞くと厳しい表情でこう言った。
「あのレスリングの腕じゃあ、まだまだだな」
「はぁ……」
思わず溜息で答える俺。
それを見下ろすゴッシュマは何故かニヤリと笑い「まぁ可能性は誰にでもある、だがな俺だってマスターにはなれなかった、お前さんにはまだ早い」と言って俺の肩を叩いた。
「マスターになるんだな?」
「ええ」
「ようし……」
そう言うと彼は俺とジリ、そしてガストン・カルバンを、潜り戸から街の中に入れた。
そこで俺とジリ、そしてガストン・カルバンは分かれた。
ゴッシュマは俺を連れ立ってバルザック家の屋敷を目指して歩き、そしてその道中で言った。
「ラリー、今晩親族会議がご当主様の家で開かれる。
お前にも出席する義務がある。
あまりエウレリア様を心配かけさせるなよ」
「はい……」
その後は、重い沈黙に包まれたまま、俺は男爵邸に辿り着いた。
ゴッシュマはそのまま、会場まで案内してくれると言う。
と、言うのも彼は、俺の叔母のマルキアナさんに信頼された元騎士で、その縁で今回叔母さんの傍に身辺警護として立つ予定らしい。
……で、ウチのラリーが何処にも居ないというママの話を聞き「ラリーって、あの生意気なラリーですか?」と言う話になって発覚したらしい。
おぅふ、よりにもよってこんな時にかよ……
こうして俺は水洗いしただけの臭い服装に身を包み、そして血塗れになって屋敷に帰って来ることになった。
屋敷に入るなり、叔母さんが不安そうな顔で俺を出迎えてくれた。
「すみません、マルキアナ様今回……」
「いいから早く来て!」
俺はすべてを言い終わらないうちに、彼女に腕を取られ、そして屋敷の中に連れていかれた。
「バームスに全ては聞きました。
随分と危険な事をしていたみたいね……」
……ああ、あの男は全てをゲロしましたか。
俺は表情をこわばらせたまま、黙って彼女に手をひかれるままに、どこかへと向かう。
辿り着いた先では、怒りも露に、どこかをまっすぐ見て決して俺と目を合わせようとしないママが居た。
……どうしよう?
そして他には身分が高そうな、知らない壮年男性幾人かが、部下を従えて立っていた。
彼等は入ってくるなり俺の服を凝視して、次にあっけにとられた表情を見せる。
……着替えてくればよかったと、後悔した。
もちろん着替える暇なんか無かったが……
「おにいちゃーん!」
俺を呼ぶ声がしたのでそっちを見ると、眠そうに眼をゴシゴシしながら従妹のフィリアちゃんが小さな手を俺に振っていた。
可愛いなぁ、もう……俺も手を振って応える。
「それでは、継承権がある嫡出子が全員揃ったのでこれから親族会議を始めます。
椅子の方に皆様お座りください」
司会を務める男爵家の家臣がそう言って、皆を目の前のテーブルと椅子に誘導した。
それに腰を掛ける一同。
その背後にそれぞれの護衛が立っている。
因みにママの後ろには拉致されたままここに居残った、元御者のワナウが立っている。
俺は叔母のマルキアナ様の隣に座った。
司会は全員が席に着いたのを確認してやおらに語りだす。
「今回の会議は、ライオ・フレル・ダブリャン様からの発議で開かれます。
それではライオ様……」
司会がそう促すと、シブい初老の男性の男が口を開いた。
「今回私が会議をお願いしたいと思ったのは、我等バルザック男爵家の今後の話です。
本来なら、本家バルザック家は王国の将軍として務めを果たさなければなりません。
ところが3年前よりご当主であられるガルボルム様がお倒れになり、軍務につけなくなりました。
ただ先のマウリア半島統一戦争においての功績により、陛下が出仕停止を認めて頂けたので、陛下の傍に侍ることなく、今現在も将軍のまま、ガーブウルズに滞在する事が出来ております。
ところが、先月私が掴んだ情報によるとこれまでの長い平和がどうやら破られそうです。
エルワンダル地方に於いて続いていた、ダナバンド王国とヴァンツェル・オストフィリアとの戦争が、ダナバンド王国の勝利で終わったからです。
我がアルバルヴェ王国としては、最も望まない結果に終わったと言っても、過言ではありません。
エルワンダルは豊かな土地で、ダナバンドはわが国に対して挑発を繰り返す国です。
そのような国がますます豊かに、そして盛強になるにあたり、陛下は軍の刷新を考慮中との情報が入っております。
実際にダナバンドに亡命している旧ガルベル王国に仕えていた幾人かが、旧領にて反乱を企んだ形跡があると、王宮で噂が立っています。
この様な王都の変化を鑑み、もはや一刻の猶予も無く。
急ぎ次期当主を正式に立て、王の元に将軍として出仕させなければ、我が男爵家は将軍の地位を追われるでしょう。
今回の会議はその是非を問う物であり、皆様のお考えをお聞かせ下さい。
以上私からの発議を終えます」
そう言って口をつぐんだライオ・フレル。
様子を窺うように、目線で他の人間の顔色舐めるように見まわす。
他の出席者は誰も口をつぐみ、その先を言うのを恐れているようだった。
視線は誰が言うとも無く、叔母のマルキアナの元へと集まっていく。
その視線に表情をこわばらせる、繊細な彼女……
その様子を見ていた俺の脳裏に不意に消えた、叔父さんの時を止めていた魔導士の存在が浮かぶ。
そしてその事によって利益を得る人が居たとしたら、この顔ぶれの中に居るのでは?と考えた。
ニヤニヤと叔母の目が届かない所で笑う男の姿。
部屋の豪華な調度品をもの欲しそうな目で見るその従者。
(どうだ何も言い返せまい?)
そう言いたげなライオ・フレルの横に座る名前の知らない、若い男の得意げな顔……
並ぶ人たちの表情には、叔母への同情とか、思いやりと言ったものはない。
幾人かが様子見を決め込んでいただけだ。
その目線に耐える叔母は不安を目に湛え、ママは負けてたまるかとばかりに傲慢に見返す。
……様子を見て俺は思った。
(ああイケナイ、これは悪い事が起きる前触れだ)
そう思った俺は口を開く事にした。
「あの、すみません……」
俺が発言するとは誰も思っていなかったのだろう、全員がびっくりしたような顔で俺を見た。
目線は俺の顔を、そして俺の血塗れの異常な装いを見る。
俺はその目に臆すまいと目に力を込めながら言った。
「発言をしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ……お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
司会役の男がそう言った。
「ありがとうございます。
この様な身なりで失礼いたします。
自分はグラニール・ヴィープゲスケ元男爵の子で、ゲラルド・ヴィープゲスケです。
実は今日一日、マスターワースモンに従って“母無し子”の討伐に参加しておりました。
その際相手に不覚を取り、この様な汚れた姿となり申し訳ございません」
俺がそう言うとライオ・フレルは、首をかしげてこう言った。
「何故、バルザック家の人間が討伐に参加した?」
その言葉に、誰よりもママが反応して、この部屋に来て初めて俺を射抜くような鋭い目で見る。
俺はその目線を恐れながら「……武者修行の機会を失いたくなかったので」と嘘をついた。
“お金の為です”とは、流石に言えない
「まぁ、流石はアルローザン・バルザック様直系の男……」
すると叔母さんが妙に感心して大きく頷く。
空気を読まない彼女の反応はありがたく。
それを聞いたママの目が、すこし柔らかくなった。
……またぶん殴られるかと思っておびえていたから助かるよ。
俺がどこか天然な気配のある叔母さんに心の奥底で感謝していると、少し顔を赤らめたライオ・フレルが俺を小馬鹿にしたようにこう言った。
「バルザック家の人間は将軍となる血筋だ、他の騎士同様に武者修行をするなど、必要な事ではない!」
うん?どういう事だ……ボグマスの話と違うんだけど。
ボグマスからは聖騎士流の宗家として、マスターと呼ばれる、強い剣士が代々のバルザック家当主だと聞いていた俺は首をかしげて言った。
「えっと。ライオ様でしたか?
あなた様にお尋ねしたいのですが……
お父様と親しくして頂いていたホーク元帥閣下も、それはそれは逞しい方でした。
現在将軍である叔父のガルボルム様もソードマスターとして、王国でも特別お強い方と聞いています。
あの人達よりも劣る弱い男なんか、陛下は必要無いんじゃないですか?」
俺が素直に思った事を言った瞬間出席した親族の顔がそれぞれ劇的に変わる。
ママとマルキアナ様は目をクワッと見開いて俺を見たかと思うと、堪えきれないように笑いだし。
ゴッシュマも目を見開いたかと思うと、微かに頷いて、不思議な笑みを口元に浮かべた。
ライオ・フレルとその横に居る若い男は、おれを凄い形相で睨み付け。
それ以外の子供以外の人間は、苦笑いを浮かべて机に視線を落とした。
司会は口元に微かな笑みを浮かべた。
ライオ・フレルは俺を睨みつけながら、激しい口調で言った。
「子供に何が分かる!陛下の気持ちを察するなど不敬も甚だしいわ!」
この言い草に俺もカチンときて、言った。
「陛下は我が家にお越しくださり、俺も……私もお会いしたことがあります!
そこまで言うならライオ・フレル様は陛下にお会いした事があるんでしょうねッ?」
「そ、お会いしたことは無いが……」
「だったらなぜあなたは陛下の事が分かるのですか?
自分は王子殿下とも親しくしてましたし、あなたよりもよっぽど陛下の事を知ってます!
陛下は偽物の弱い男は好みません!
間違いなくです!」
俺はそう言ってライオ・フレルを睨みつけた、一歩も引かねぇぞ……と思って。
この様子を見て他の出席者がママに「エウレリア、今の話は本当か?」と尋ねた。
ママは、自尊心をくすぐられたようで胸を張って「ええ、全てこの子の言う通りです」と答えた。
「王子殿下とは?」
「第二王子のフィラン殿下です、殿下も息子と一緒に聖騎士流を学んでおりまして、共にボグマス・イフリタスの門下です。
一緒に朝練に行ったり、後色々悪さをしたりと、褒められた事ばかりはしていないようでしたが、殿下には特別目をかけて頂いてました」
ママがそう言うと、会議の空気の流れが何も始まらない内から変わっていった。
「では、陛下の性格から言って、せめて剣士免状の持ち主ではないと出仕は難しいのではないか?」
誰かがそう言うと、ママやマルキアナ様は“我が意を得たり”と言った表情で「ええ、それは間違いなくそうでしょう……」と答えた。
「だが、バルザック家で剣の天分がある者は居るのか?」
誰かがそう言うと、ライオ・フレルの横で俺を睨んでいた男が思い出したかのように言った。
「そう言えば、ガストン……ガストン・カルバンはどうなった?」
彼は俺の目を見ながらそう言った。
他の出席者が「ワタレル様、ガストンとは?」と尋ねる。
ワタレルと呼ばれた男は「ハギタル・カルバンの息子、ガストンがワースモンと行動を共にしていたのだ」と答えた。
ハギタル・カルバンと言う名前が出た瞬間、ざわつく周囲の大人達。
その理由は分からなかったが俺は先程分かれた、ただ一人の生き残りである彼の顔を思い浮かべながら尋ね返した。
「初めまして、ゲラルドです。
ガストンさんとはお知り合いですか?」
「ああ、私はワタレルだ。
そんな事よりもガストンは……マスターワースモンはどうなった?」
俺は息を飲みながら「マスターは死にました、ガストンさんは生きています……」と答えた。
『そんな馬鹿なっ!』
全員の目が見開かれ、そして俺を見つめる。
俺はできる限り、今日の経緯を丁寧に答える事にした。
始まった時の様子や。
あえて敵の用意した罠や手掛かりを予想しながら、誘いに乗る様に向かって言った事。
そして、全滅した時の経緯を……
ガストン・カルバンを連れてつい先程街に帰還したことまで話し終えた後。
彼等は一様に首を振るって溜息を吐いた。
「……あってはならない事が起きた」
特にワタレルはそう言って肩を落とす。
「もしかしたらガストンが剣士達の仇を取るのでは?と思ったのだ。
そうしたらハギタル殿も浮かばれると思った」
ワタレルがそう呟く。
その声を聴き、叔母さんは凄い顔でワタレルを睨み、そのワタレルの横でライオ・フレルが、彼の横顔を見ながら呆れたように溜息を吐いてこう言った。
「その事は今の話と関係があるまい。
ソレよりもソードマスターが倒れたと言うのが問題だ、他の剣士達への影響も大きかろう。
それに、私個人マスターとは仲良くさせて頂いた。
ワースモンを倒したと言うそのゴブリン……“母無し子”だったか?
ソードマスターがゴブリン如きに不覚を取ると言うなど、あってはならない事だ……
もしも仇も取らずに放置しておけば、聖騎士流の権威は地の底にまで沈みかねん。
私は今回、私財の中から奴の首に10000サルトの拠出を約束しようと思う。
それが、私にできるワースモン・コルファレンへの手向けだ……
マスターワースモンは生き方が器用ではなかった。
だが、若い頃はその実力は王国随一とみなされていた。
それがまさかこんな事で命を失うとは……」
ライオ・フレルもそう言って目を閉じる。
その横でワタレルも追いかけるように目を閉じた。
恐らく二人は特にマスターと仲が良かったのだろう。
やがて事情を知る親族が、ワタレルに「何故ワタレル様はこの事をご存じなのですか?」と尋ねた。
ワタレルは言う「私の姉のたった一人の忘れ形見ですから、私が後見しておりました」と。
「ガルボルム様はそれをご存じで?」
「ええ、そこはお許しを戴いております。
ご当主様も罪なき少年の命までは奪おうとはお考えではなかったので」
それを聞いて、一様に皆頷く。
それから、誰もガストンの話をしなくなった。
まるで腫れ物に触るかのように……
やがてライオ・フレルがくぐもった声で俺を睨みながら言った。
「申し訳ないが……
ゴブリンと戦って、一人お前だけが戦って帰ってきたなんて信じられぬ。
嘘を吐いてはいないだろうな?」
不意に口を開いたかと思うと、奴はあろう事か俺の事を嘘つきだと言った。
一瞬で頭が沸騰し、叫びだしそうな俺を遮るようにゴッシュマが言った。
「いや、ラリーなら当然です!」
『…………』
全員が黙り、そしてゴッシュマの顔を見る。
やがてライオ・フレルが「控えろゴッシュマ!貴様に発言権はない」と叱責する。
ところが今度は叔母が「私が許します!ゴッシュマ、存分に語りなさい」と促した。
ゴッシュマは俺を力強い目で睨むと、次に他の親族を見ながらこう言った。
「いま“狼の家”に通う10歳以下の子供の中で、9歳のラリーは、3本の指に数えられるほどの強さです。
まぁまだレスリングも、盾の使い方もなっちゃいませんが、剣術だけなら間違いなく立派なモンです。
俺や“狼の家”は来年コイツを“白銀の騎士”にします」
白銀の騎士……
その単語が出た事で、全員の目に衝撃が走る。
ゴッシュマの言葉で俺を見る目が変わり、胡乱な者を見る目から、純粋な興味を俺に差し向け始めた。
そして俺自身の胸にも衝撃が走る。
白銀の騎士……
なりたいとは思っていたけど、なれると思って居なかったモノの名前が出て驚く。
だがその驚きは俺だけではなく、周りの人も驚いたようで「ゴッシュマ詳しい話を聞きたい、それと子供はゲラルド君も含めて一度外に出さないか?」と誰かが言った。
「もしも“白銀の騎士”になればガルボルム様以来じゃないか……
この子にはそれだけの天分があると言うのか?」
ガヤガヤと盛り上がり始める会議。
ママはそんな中「ラリー……」と言って、次にフィリアちゃんを指さした。
見るともう従妹のフィリアちゃんは、眠たいのか舟を漕いでいる。
俺は彼女の席に近付くと叔母さんに「マルキアナ様、フィリアちゃんをベッドに連れて行ってもいいですか?」と尋ねた。
会議の冒頭の時よりも、元気な表情を見せる叔母さんは「ラリー、じゃあお願いね」と言ってフィリアちゃんを床に降ろした。
こうして俺はフィリアちゃんの手を引きながら、廊下に出ていった。
明かりの中から闇の中に押されるように出て行く俺達。
夏の終わりの冷たい空気が、暗い闇色の風となって頬を撫でた。
「うー、うー、ウー……」
そんな俺の足元で眼をゴシゴシと、機嫌も悪そうにこする、むずがるフィリアちゃん。
俺はその手を取りながら「じゃあ、フィリアちゃん、俺がお部屋まで連れて行くね」と言った。
フィリアちゃんは無言でうなずくと、次に泣きそうな顔で「パパにお休みを言いたい……」と答える。
そこで俺は寝落ちしそうなフィリアちゃんに案内されて、屋敷の中を歩く。
やがてまるで実家(ヴィープゲスケ邸)の様な、魔法の濃い気配が漂う立派な一室の前に出た。
フィリアちゃんはその扉を慣れた様子で叩き、中に居る魔導士に開けてもらうと俺を連れて部屋に入る。
……部屋の中は暗く、一人の魔導士が床に描いた幾つもの線の先にある石板に魔法を籠めているのが見えた。
そしてその線のもう一方には、赤やら青、紫色に文字を輝かせる、複雑な魔法陣がベッドを囲うように描かれていた。
そのベッドの先には丸くて淡い光に包まれた一人の男が眠っている……
「お兄ちゃん、パパの顔が見たい」
フィリアちゃんは抱っこして高い所から、叔父さんの顔を見たいらしく、可愛い声でそう言った。
そこで俺はフィリアちゃんを抱っこし、そして眠る叔父さんに近付いた。
『…………』
その顔を見た時、俺は言葉を失った。
俺に毎朝剣を教えてくれた、幽霊がそこに居たからだ……
「お、叔父さん……」
俺が思わずそう呟いた。
フィリアちゃんはそんな俺の腕の中で「パパぁ、お休みなしゃい」と可愛く言った。
やがて知らず知らずのうちに、フィリアちゃんを床に降ろした俺。
フィリアちゃんはそんな俺の手を引いて、この部屋を出て行った。
茫然とした俺は、彼女の望むまま、外の闇へと連れ出される。
そしてフィリアちゃんはそのまま、俺の手を引きながら自分の部屋へと向かう。
部屋に帰り、ベッドに入るなり寝息を立てて眠り始めたフィリアちゃん。
その様子を見ながら、俺もまたようやく人心地ついた。
そして、その寝息を立て始めた彼女の傍らで、俺は激動の一日を振り返る。
とても疲れた……
そして眠い、なのに頭が冴えて眠れない。
椅子に座る俺は、中途半端に目を開けていた。
目を閉じてもなかなか眠りに落ちない。
興奮して眠れないのだ……やがてこの部屋の扉をカリカリと引っ掻く音が聞こえた。
直感的に(ポンテスだ!)と思った俺は扉に向かい、扉を開けた。
そして足元に目を向けると、お疲れ気味の彼が俺の様子を見て、驚いたように声を掛ける。
「どうしたニャ、血塗れニャ……」
まぁそれはそうだよな、普通に驚くはずだ。
俺は思わず苦笑いを浮かべながら言った。
「ああ、大変だったよ。
ソレよりもどうした?」
ネコはベッドで眠るフィリアちゃんの事をちらりと見ると、小声で「外に行こうニャ」と俺に告げた。
俺は「分かった……」と、それに同意する。
こうして俺達はすぐ傍の中庭に移動した。
晩夏の庭は、月の下でも判るほど、色味も鮮やかな赤い葉が庭のあちらこちらで茂る。
その間を縫うように奥へと向かう俺達。
そして辿り着いた四阿で、俺はポンテスに今日起きた事を話した。
するとポンテスは頷き、そして悲しそうにたった一言こう言った。
「そうニャか……」
……意外な反応である。
人の不幸は蜜の味だと思っていそうなコイツの殊勝な反応が、なぜかとっても居心地悪い。
なので俺はからかうようにポンテスに言った。
「うん?最近らしくないなぁ……
いつもの様に、お前は分かってないニャ―とか、また失敗ニャーとか言えよ」
「……ママにゃん泣いてたニャ」
ああ、そういう事ですかぁ……
「う……そう」
「ニャーは皆が家族ニャ。
皆が幸せになってほしいニャ、悲しいのは嫌いニャ……」
それを言われると正直辛い。
だけど俺はこの試練が自分の人生に必要なんだと確信していた。
今日の経験がきっと俺を強くさせたと確信したし、何よりその事に対して手ごたえもある。
そこで俺はネコに自分の考えに同意してほしくて、強い気持ちを込めてこう力説する。
「ポンテス、俺は剣士として身を立てたいんだ。
痛いの辛いのは覚悟の上なんだ、分かってくれよ」
ポンテスは「はぁ」と溜息を吐くとこう言った。
「ニャーも昔はそう言って別の世界からこの世界にやってきたニャ。
強くなりたかったし、楽しくやりたかったニャ。
その内皆を悲しませるようなこともしたし、聖地で暴れてもいたニャ」
「ふーん」
「驚かないニャ?」
「喋る猫が家に来たんだ、きっと何かある奴だとは思っていたさ。
お前が家に来たと聞いた時から、実はたまに夢を見るんだ。
そこで俺は聖地の剣士で、そこでお前達と会話しているんだ。
何を話しているのか、何も覚えて無いけど……」
「ならお前は昔ニャーと一緒に聖地に居たかもしれないニャ……」
「俺は生まれてからこの国から出た事無いぞ?」
「人も精霊も生まれ変わるニャ、つまりお前が生まれ変わる前の別の人間だった事があるかもしれないと言うお話しニャ」
「転生かな?」
その単語を口にした時、下の根っこが痺れるような感じがした。
言うべきではない事を言った気がする……
ポンテスはそんな俺を横目で見ると、一瞬目を細め、次に冷めた笑みを一つ浮かべるとこう語りだした。
「ニャーの事を話すニャ。
悪い事ばかりをしていたニャーは、昔主神サリワルディーヌに敗北したニャ。
もしかしたらそのころお前と戦った事があるかもしれないニャね……
でも、それは別にいい話ニャ。
ニャーの話に戻るとニャ……
ニャーは一つの剣に力を閉じ込められ、力の殆どを吸い取られたニャ。
ニャー達の力を封じ込めた剣の事を“聖剣”と人は呼ぶニャ。
そしてそれは当時悪さをしてやられた、他6つの別の世界から訪問者も同様ニャ。
それが聖剣7友と呼ばれる召喚獣ニャ。
ペッカー先生以外の皆がどこに居るかは知らニャいけど、いつか運命が揃ったらきっと会うニャ」
「そう言うモンなのか?」
「そう言うモンにゃ……」
「……ふーん」
苦労してるんだな、コイツ。
「……こんな事話したのはお前で5人目ニャ」
「そうか、ありがとう。
昔悪かったなんて、言いづらい話だよな。
ありがとう打ち明けてくれて……
俺も言わなければいけないことがある、実は俺も昔悪かったんだぜ!」
「ニャー、はっはっはっ!
知ってるニャ!
騎士学校の件は今でも忘れられないニャ!」
「アハハ、いつもお前らと一緒に居たしな。
なぁポンテス、俺もお前やペッカーは家族だと思ってるぞ」
「嬉しい話ニャ……ふ、ふふふふ。
そうだ……ソレよりも聞いてほしい事があるニャ」
「なんだ?」
そう言うとネコはことさら真面目な顔でこう言った。
「……心して聞いて欲しいニャ。
お前の叔父さん、このままだと殺されるニャ!」
「どういう事だ?」
「魔導士に今、帰還命令が出ているニャ……
このままだと時止めの魔法は維持されないニャ」
「なんでッ!」
叔父は俺の剣の師の一人である、そんな彼が不意に命をもがれると聞いて俺はポンテスに叫んだ。
ポンテスは俺の声に驚きながらも、首を振って答えた。
「分からないニャ、誰か魔導士に影響力がある人がそう決めたみたいニャ」
俺はそれを聞いて考えた、そしてこう結論付ける。
何故なのかをポンテスに聞いてもしょうがない。
だけど今確信したことがある。
もう時間がない……
まごついている暇はない、今決断しないと間に合わない。
そこで瞬時に俺は心を決めてポンテスに打ち明けた。
「分かった……
ポンテス、俺は決めたぞ、夜明け前に俺は旅立つ」
「どこへニャ?」
「パパに会って来る、そしてエリクサーを回収してくる……」
「ニャッ!だけどお前……」
「ポンテス、お前は残ってママと叔父さんを守れ」
「……だけど」
「迷うなポンテス!
ここまで来て決断できなければ一生後悔するぞっ。
後の事はどうとでもなる、ただしそれは叔父さんが生きていればの話だ!
それにお前分かっていたんだろ、あの幽霊が叔父さんだって……」
「もちろんニャ、あの幽霊はお前に良くしてくれたニャ……
だから……
いや、分かったニャ、ママとおじさんはニャーが守るニャ!」
「ありがとう……それでエリクサーは何処にある?」
「納屋の中ニャ、右奥の柱の下に埋めてあるニャ。
赤い小さな薬入れの箱の中ニャ」
「分かった……」
俺はそう言うと今すぐ旅立ちの支度を始めるべく、立ち上がった。
「じゃあポンテス、頼んだぞ」
ポンテスは俺の言葉を聞くと、走って俺の家の方へと向かった。
そして俺は、この場を離れママの元に向かった。
帰宅の許可を得る為である……
中庭を抜け、廊下を早歩きで踏破する俺。
やがて親族会議が開かれている部屋に戻る。
中に入ると大人たちが揃って俺の顔を見た。
彼らがあまりにも熱心にまじまじと見るので居心地の悪さを覚える。
やがてライオ・フレルが俺に声を掛けた。
「やぁゲラルド、先程は悪かったね」
「いえ、別に。ソレよりもお母様……」
「ゲラルド君、我々で話し合ったのだけどもどうだろうか……
君はこれからバルザック家に養子に入らないか?先々代の当主ドイド様の養子としてだ……」
「はい?」
「もちろんすぐと言う事ではない、もし君が剣士免状を持つほどの腕前になれたらと言う事だ。
それまでの間、繋ぎとして私が、マルキアナ様をお支えしようと思うのだがどうだね?」
話の流れも知らず、俺は彼の顔を見る。
そして次に悲嘆にくれた叔母さんやママの顔を見た。
次にうちのネコの言葉が頭をよぎる。
《魔導士に今帰還命令が出ているニャ!
このままだと時止めの魔法は維持されないニャ》
そこで俺は気が付いた。
(そうかこいつら、叔父さんが死ぬと思いその後叔母さん達にむしゃぶりついて権益を保持するつもりか……)
そして次にこういう疑念が頭を占めた。
(こいつが、叔父さんから魔導士を引き剥がそうとしているんじゃないのか?)
もちろんソレは疑惑に過ぎない。
だがそれによって彼が望みを叶えるのだろうと言う事は予想が付いた。
もっともらしい言い草で叔母さんを手中に収め、彼は一体何をしたい?
それに傍から見てライオ・フレルと叔母さん、そしてウチのママはどうも仲が良くない。
……そう言う人間が親切に叔母さんを後見するだろうか?
する筈がない、そう言う間柄の人間に、善意を期待するのは愚かな人がやる事だ。
叔母さんを貪るつもりだと思う方がこの場合は自然に思える。
恐らく彼は俺を次期当主の有力候補にする事で、ママや叔母さんの承諾を得ようというアイデアを思い付いたのだろう。
だからこういう提案を俺にしているのだ。
ママや叔母さんは色々言い含められて、それにいったん妥協して同意してしまったんじゃなかろうか?
……その結果が先程の悲嘆にくれた二人の表情だとしたら、点と点が線で繋がる。
(仕える主の死までも使って、自ら肥え太ろうというのかよ……)
彼の真意は分からず、今俺が考えたことは俺の頭の中だけの真実かもしれないが、俺はそんな思いでいっぱいになる。
俺はカッとなり、目の前のライオとかいう、良く分からない男を睨みつけながら言った。
「剣士として恥ずかしくないのですか?」
「何?」
彼は俺の言葉に眉をしかめる。
「叔父はまだ生きています、どうしたら体が良くなるのか話してあるのですか?
その為に俺に与えられる仕事があるなら喜んでやります、どうですか?
その話はしているんですか?」
「……ふう、我々がこれまで何もしていないとでもいうのかね?
残念だ、子供にはなにも分からないようだ」
「子供とか大人は関係がありません。
ですが今ので分かりました、誰もそんな話はしていないんですね?
だとしたら結構です、後は自分がやります」
俺が一方的にそう捲し上げると、ライオ・フレルは俺を凄い形相で睨み、そして叱りつけた。
「いったい貴様に何が出来ると言うのだ!」
俺はフンと彼を鼻で笑いながら言った。
「逆に何が出来ないんでしょうかね?」
その傲慢な様子は彼の形相を一変させ、まるで赤鬼の様に仕立て上げる。
彼は叫ぶように言い放った!
「なんだと……貴様にとってもいい話を聞かせてやったのに!」
俺にとってのいい話?
上等じゃねぇか、俺が剣の師を踏み台にして、何でもやる男だと思われていたとは思わなかったぜ。
俺をテメェと一緒にするんじゃねぇよ……
「だとしたらライオ・フレル。
恩着せがましいあんたに一言言ってやる。
このゲラルド・ヴィープゲスケ。
男爵になる時は叔父の不幸ではなく、自分の剣でなってやる……」
勢いに任せて吐いた言葉だった。
そしてこの言葉を聞いた全員の目が俺に向かい、そしてあっけにとられた表情を浮かべる。
俺はそんな彼らを尻目にこの部屋を出ていった。
もう自分がするべき事は分かっている。
俺は朝を待たずに出て行く決意を決めた。
廊下を出てしばらく行くと後ろから「ラリー!」と、誰かが俺の名を呼ぶのが聞こえた。
「ゴッシュマ……」
俺が振り返るとそこには目を真っ赤に泣きはらした、大男がそこに居た。
ゴッシュマは俺の体を抱くと言葉も無く「うっ、ううぅっ、うう……」と泣きじゃくる。
「ど、どうしたんですか?」
「ご当主様をそこまで……
そこまで想って……う、うう」
俺は彼に抱かれるまま、彼の慟哭を聞いていた。
その声に、彼がガルボルム男爵に抱いた、忠誠と愛が籠る。
なぜかその声を聴いていると、不思議と熱い思いに胸が満たされた。
やがてゴッシュマは「ラリー、俺に出来る事があれば何でも言ってくれ、俺も手伝いたい」と言った。
「ありがとう、だとしたらまた“狼の家”で俺を鍛えて下さい……」
「それだけでいいのか?」
「ええ、しばらくママをお願いします……」
そう言って俺はゴッシュマから体を離し、そして家路についた。
やがて俺は家に帰り、そしてランプの明かりを頼りに着替えと路銀、そして身分を証明する物とナイフ、愛用のソーイングセットをカバンに詰めそして俺自身も着替える。
もちろん剣も腰にぶら下げた。
そしておれはママとジリ宛に手紙を書く。
手短に《パパに会って助けて貰ってきます、心配しないでください》とだけ記して……
「げぇ―げ(待てよ)」
ここで不意に、夜は絶対に寝てるペッカーが止まり木の上から声を掛けた。
「ペッカー、悪いな起こしたか?」
「ぐぅわ、げー(気にするなよ、それより俺も行くぜ)」
「いや、悪いだろ?」
「げぇー、げぇーげぇげっ!(今日は寝れない日だ、それに俺は役に立つぞ!)」
「いいのか?」
「げぇ、げーぐぅぅわ(ポンテスから聞いた、俺が働く時が来たようだな)」
そう言うと、ペッカーが珍しく愛嬌たっぷりにウィンクして見せた。
その様子に頼もしさとおかしさがこみ上げてくる。
「……わかった、よろしく頼む」
俺は思わずそう言って助力を頼んだ。
彼はそれを聞くと羽ばたき、そして俺の肩にとまる。
彼はこの体勢のまま、俺の旅に同行するつもりなのだ。
俺はママへの手紙に《ペッカーも一緒に行く》と一行付け足し、そしていつもの抜け穴から屋敷の外に出た。
月は傾き、一番暗い夜明け前の時刻。
いつもならランニングを始める頃、こうして俺は夜風に吹かれて旅立った。
肩で揺れる鳥の羽毛が、気持ちよく頬をくすぐる。
そんな相棒が肩に乗る重みが、俺を無言で励した。
……旅立つ前にジリの家に立ち寄る。
朝一の馬車に乗って、小麦街道を南下しようとしているのだが、俺の不在を手紙で伝えてやりたい。
そこでジリの家の扉の隙間に手紙を差し込もうと思ったのだ。
いつもの様に彼の家に向かう最短ルートの小さな門に向かう。
驚いたのは相変わらず此処の門番は、居眠りをしているという事実である。
昼間寝て居るのだから夜は起きているのだと思っていたからビックリだ。
……何と言う堂々とした給料泥棒ぶり、妙な所で感心してしまった。
このように相変わらず居眠りしている門番を見ていると、ここから帰ればママにビンタされずに済んだのにと、どうしても考えてしまう。
……ゴッシュマを呼んだのは失敗だった、今度からはこの門から帰ろう。
やがて俺は外に出るために、門番のすぐ傍の街壁をよじ登って、街の外へと出た。
そして通いなれた街の外の山道を登る。
月は悪魔の谷で見たあの明るさを保ち、俺の足元を照らす。
こうして月光に助けられ、俺はジリの家に辿り着いた。
誰もいない筈だと思っていた俺は驚く事になる。
なんとまだ朝も明けきらないのに、ラーナちゃんが家の外に置かれている、木の切り株に腰を掛けていたのだ。
「おーい、ラーナちゃーん……」
俺は遠くから手を振って彼女に俺の存在をアピールしながら近づく。
彼女は俺の姿を見ると、相変わらず可愛い顔に朗らかな笑みを浮かべてこう言った。
「あら、ラリー。随分と早いじゃない。
もしかして夜逃げ?」
「え、なんで分かったの?」
「背中がすごい荷物だから……
それにママに怒られたんでしょ?」
「あいつそこまで喋ったんだ……
まぁ、そういう事にしておいてよ」
「ヤダ本当?嘘ぉ……」
「まぁ家出みたいなもんさ。
ああ、そうだっラーナちゃん。ジリにこれを渡して。
ラブレターだって」
「ヤダ男同士で気持ち悪い……」
「冗談だよ、冗談。
ソレよりもいいの?こんな夜遅くに外出て」
「うん、眠れないから……
私ね、冬は別の所に行くかもしれないんだ。
……知ってた?」
「うん、ジリから聞いた」
「そう私ね、もしかしたら冬を越せないかもしれない……
空気が冷えると咳が止まらないの。
今さっきもそう、眠れないの……」
「家の中に入ったら?」
「いや、狭くて嫌なの。
暗くて息が詰まりそう……
お兄ちゃんは家の中に居ろってうるさいけどね……
ねぇラリー聞いていい?
学校ってどういう所?」
「どうしたの……学校に行きたいの?」
「うん、皆に病気を伝染すかもしれないからダメだって、お医者様は言うの。
私同じ年の友達がいないから……
体が普通だったら私学校行けるのにね。
……お兄ちゃんは良くなるって言うけど」
ラーナちゃんは話をポンポンと飛ばしながら、思いつくままに話す。
それをしばらく聞きながら相槌を打っていると、ラーナちゃんは不意にこう言った。
「ラリー、キスして……」
「え、なんで?」
「だめ?」
「いや、ダメじゃないけど……どうしたの?」
ラーナちゃんは俯くと頭を振って「もういい……」と言って家の中に入ろうとした。
「ちょ、ちょいちょっと!」
俺は思わず変な声を上げながらラーナちゃんの腕を取る。
「ど、どうしたの?
ちゃんとお話ししてよ……」
俺がそう言うとラーナちゃんは俺の間近で俺の顔を見上げながら泣き始め、そしてクシャクシャの顔でこう言った。
「ラリー、私まだ恋もした事が無い。
死にたくないよぉ……」
聞いた瞬間俺は衝撃を受けた。
思わず緩む手、それを振りほどいて立ち去るラーナ。
やがてラーナは手紙を持ったまま逃げる様に、家の中に消え、俺はそれを見送った。
やがて俺は無言でジリの家の前でしばらく佇み、そしてこの場を後にした。
俺はこの日、明け方に出発する乗合馬車に乗って小麦街道を南下した。
目指すは王都セルティナ。
俺は馬車の中で眠りにつき、そして揺られながらガーブウルズを後にした。
誤字報告ありがとうございました、なんとシステムが勝手に修正してくれると言う事で修正依頼を上げてます。
いつも見て下さりありがとうございます、更新が長くなって申し訳ございません、3週間分書いておりました、たった一話ではございますが……今度こそちょうどいい長さにしたいと思います。
いつも評価、ブックマーク、ご感想ありがとうございます。それが励みになって今日までやって来れました。これからも宜しくお願い致します。