墓前の決闘
最初に
今回のお話は全部で原稿用紙61枚分になります。
これは通常のお話しの3話分に相当で。
二つに切り分けるべきかどうか悩みましたが、今回一話で出しました。
もしも読みずらいと思いましたら、感想の方にでも残しておいてください。
この先何があるんだろう?
この先に“母無し子”は居るのだろうか?
そう考えながら、悪魔の谷へと向かうこの道を歩くのは初めてだった。
時刻は朝9時ごろ……
空には雲一つなく、風はわずかな硫黄の臭いを含んでいる。
俺とジリの背後には、ソードマスターワースモンの配下である、歴戦の傭兵が16名ついてきている。
このメンツで複数日悪魔の谷に滞在し、そして“母無し子”と言う“害獣”を討伐する予定なのだ。
先導役を務めるのは俺達。
まだ悪魔の谷に辿り着く前、俺とジリは緊迫した空気に包まれていた。
その空気に促されるように、俺達は周囲を警戒する。
大きな木のうろ、岩の陰……
とにかく“母無し子”が隠れられるほどの遮蔽物があれば、俺達はそれに目を向けた。
「ああ、ペッカーが居ないだけで、こんなに疲れるなんて……」
俺がそう言うとジリも「ペッカーのありがたみが分かるな……」と、やや参った様子で答える。
ペッカーが居れば空からこれらの様子は見てくれるのである。
ところが今回はそれが居ない。
後ろでふんぞり返って行軍する16名の、マスター御一行様のおかげだ。
しかも連中は俺達が水洗いしただけの服に着替えると『臭ぇからこっちに来ンな!』と言って、俺達に対し常に5メートルは離れるよう命令した。
マスターはまたしても俺に対し、見下したかのような冷笑を浮かべ、部下の言葉を無言で支持する。
この様子にジリはカンカンだ。
奴らに聞こえないように「あいつら何様なんだっ!」と吐き捨てる。
「ああ、あのクソ野郎ども。
今回の任務を傭兵稼業の一環として考えてやがる。
奴らのせいで俺達は“僕達ここよ!ココなのよ!”って宣伝して歩いている様なモンなのにな」
俺がそう言いながら目の前の岩に目を光らせた。
ジリも「“母無し子”頑張れ、今日だけはお前を応援するぞ」と呟いた。
……最高の男である。
とりあえず面白かったので彼の肩をドンと叩いた。奴は俺のケツを蹴り返す。
「ガキども!遊んでんじゃねぇっ!」
後ろで目ざとく俺らを監視していたらしい、ガラの悪い奴が叫ぶ。
「くっそ、目をつけられてる……」
俺がそう言うとジリも「テメェの方がウルセェよ、ボケがぁ……」とぼやいた。
やがて道は荒涼たるカルデラ、つまり“悪魔の谷”に辿り着く。
『…………』
腐った卵の様な臭いをまき散らしながら、岩壁を不気味な声を上げて走り去る“悪魔の谷”の風達。
ゴォォォォォォ、ヒュゥゥゥゥゥぅ……
見慣れた風景であるはずが、斥候も居ない今、いつもと違う恐怖を風の音が胸に誘い込む。
ペッカーが居ないだけで、まるで死神が俺達を呼ぶように聞こえた……
「行こうぜ、後ろのジジイ共が叫び出す……」
意を決した表情で、ジリが呟いた。
こうして谷の中に侵入した俺達。
ある程度歩いたとき、俺はついてくる連中の事が気にかかり、後ろを振り返った。
彼等は興味深げに悪魔の谷の風景を眺めながらついて来る。
……しばらく経った。
お目当ての“母無し子”にはまだに会えない。
とは言え、この戦士たちの群れの中で緊張を解く人間は居ない。
やがて何も無いまま時が経ち、すっかり太陽が俺達の頭上に輝く頃になる。
俺とジリは谷の中ほどにある、数少ない飲める温泉に連中を案内した。
ここから奥に行くと、一日中安全に使える水飲み場はめっきり少なくなる。
この谷はそう言う場所なのである……
マスター達はここでしばらく休憩を取ると決めた。
何人かの見張を立て、それ以外の人間は緊張を解きながら、各々武装を解いたり、温泉を飲んだりしている。
俺も温泉に麻の布を浸し、温まったその布で顔を拭う、そこで気が付いたが知らぬ間に顔は疲労で脂まみれだった。
コレで、普段よりも気を張って周囲を見ていた事を悟る。
それを見ていた、無遠慮な奴が俺に言った。
「おい小僧!例のゴブリンはまだ見つからないのかっ?」
焦れたように、不機嫌な様子で俺に苛立ちをぶつけた彼。
この谷の広さを見て分からないのか?俺はそう思いながら言葉を選んでこう言った。
「……この広い谷で奴一匹を見つけようと言うんです、すぐに見つかりません」
「なんだよ、使えねぇな……」
この野郎……
怒りで我を失いそうになると、ジリが俺の肩を抱いて「向こうで飯を食おう」と言って連れ出した。
こうして連中から少し離れた所で、パンと塩漬け肉の脂身、酢漬けの蕪を食う俺達。
俺は連中を見ながらジリに「さっきはありがとう……」と礼を述べた。
彼は「ああ……」と答える。
「お前すぐにカッとなるからな」
「ああ、どうしてもなぁ……」
「それがお前の悪い所だ。
辛抱しろよ、少し(チッと)は……」
ジリはそう言いながら酢漬けの蕪の切れ端を口に含む。
その酸味に、眉をしかめながら彼は「それにしても嫌味な連中だ、俺達を見下していやがる……」と呟いた。
俺も「お互いにそう思っているよ、あいつらも俺らを嫌いだし、俺もアイツらが嫌いだ……」と返した。
連中から離れた場所、そこで不満を確かめ合う。
そしてこのままこのガラの悪い男達を見ていると、やがて連中は思い思いに集まって話し合い始めた。
何を話しているかは知らないが、しばらくしてここにたくさんのテントを立て始める。
どうやら腰を据えてここに張り付き、複数日ここから谷を探し回るつもりらしい。
「大丈夫かアイツら?」
ジリがそうつぶやいた。
「まぁ、ここなら“イライナの呪い”の影響は無いから良いんじゃない?」
俺がそう答えるとジリは「この先の水場は皆危険だからそれもいいか」と呟き、近くの岩に背中を預けた。
そして俺達はそのまま岩陰で眠りについた。
しばらくして、マスターワースモンと、その部下たちがガヤガヤとし始めたので、俺はジリを起こして彼らの元へと向かった。
テントは6棟立って、ちょっとしたキャンプになっている。
邪魔にならないように、彼らの傍に立っているとワースモンの腹心が甲高い声で「ガキども、そろそろ出発だ!」と叫んだ。
それに従い、先ほどと同様に先行する俺達。
俺達は再び彼等から5メートル以上距離を取り、火山性の礫に足を取られながら足を前に進めた。
……さて悪魔の谷は、進むと幾つかの分かれ道がある。
そんな分かれ道の一つを目の前にしながら、俺は後ろの連中の様子を伺う。
そこで見たのは、崩れる足元の砂礫に手間取りながら、歩き続ける完全武装の男達。
よく見ると、彼等は雲一つないカンカン照りの太陽の下で、幾度も兜を脱いで、頭に巻いたタオルごと頭をかきむしっている。
太陽に照らされると鉄は容易に熱を持ち、装備する者を苦しめる。
彼等はその熱さに苦しんでいる様子だ。
そこでジリと話し合い、今日はとにかく、慣れない彼らの為に道なりに出来るだけ、まっすぐ進む事にした。
夕方までなら、飲める水飲み場がこの先にある。
二人で話し合って、今日の目的地はそこにしようと決めた。
そこを目指し火山性の砂礫の山を幾つか登ると、目の前にポツンと誰かの兜が、道の真ん中に転がっているのが見えた。
『!』
急いで周囲を見回す俺達、岩壁の上、岩の陰、灌木の近く、わずかな草むら……
とにかく“母無し子”の痕跡を探す。
「何か見つけたのかっ?」
後ろで誰かが俺達に声を掛けた。
「兜です!道の真ん中に兜があります!」
そう叫んだジリの声に反応し、男が俺達の脇をすり抜けて兜の元へと向かう。
彼は腰の剣に手を当て、用心深く辺りを見回しながら近寄った。
俺達は“母無し子”が高い所から獲物を見下ろすことが多いのを知っているので、とにかく高所を探す。
やがて兜を片手に、先ほどの男が俺達の元にやってきた。
「おい、これはアイツの仕業か?」
「この前来たときは有りませんでした、たぶんコレは“母無し子”だと……」
俺がそう言うと、彼は黙ってマスターワースモンの元へと向かった。
しばらくすると「出発!」と言う声が上がる、どうやら先に進むようだ。
「まぁ、ここまで来たら進むしかないよな」
ジリがそうポツリと呟いた。
黙ってうなずき、それに賛同する俺。
風が始終変わる中、さらに水飲み場への道を進む討伐隊一行。
しばらく行くと今度は鎧の肩当てが道の真ん中に転がっているのが見えた。
もう疑いようがない、これらはすべて“母無し子”の意志であり、奴の誘いである。
「ジリ……」
「ラリー見ろ。あそこの分かれ道、短剣が灌木に刺さってる」
ジリが目ざとく別の目印を見つけた。
細い一本道へと続く、分かれ道を指し示す様な灌木の短剣。
肩当てと、短剣を交互に見ていると、否が応でも“母無し子”の意図が感じられる。
ジリは青ざめた顔で言った。
「この先はイライナの墓の下だ……」
イライナ……それは“母無し子”を産んだとされる、ゴブリンに苗床にされた憐れな女魔導士の名前である。
少なくとも“母無し子”にとって大事な存在だったのは間違いない。
俺達はこの事を本隊に知らせるべく戻った。
俺達の様子を見て、大人達も表情を硬くする。
俺達は恐れる心そのままに彼等にこう言った。
「この先に肩当てがあります」
「どこにだ?」
「道の真ん中です、これは“母無し子”の警告です!」
俺がそう言うと連中は“何を言っているんだ?”と言う表情で俺を見た。
ジリが言葉を続ける。
「あいつは賢いんだ!
その先の一本道に短剣だってある!
その先に進むと、奴の母親であるイライナの墓が見える。
その下にある大岩の周りには“イライナの呪い”が立ち込めているんだ!」
「どうした?」
このちょっとした騒動に気をひかれたのか、険しい表情のマスターワースモンがやってきた。
「マスター、ガキどもが“呪い”があると言って騒いでいます」
「呪い?」
訝しげな表情を浮かべたワースモン。
ジリが必死な顔で説明する。
「奴の母親“イライナの呪い”です。
あの墓は水飲み場に使える温泉が湧く高台にあるんですが、その真下に大岩があるんです。
ゴブリンの苗床にされた“母無し子”の母親が、その上に落ちて亡くなったと言う噂です。
それ以降その岩に近付くとゴブリンは皆死んでしまうんです!」
それを耳にしたワースモンは、たいしたことないと言わんばかりに「はッ!」と鼻で笑ってこう言った。
「なんだ、ゴブリンを殺す呪いじゃないか」
俺も横から口を挟む。
「ゴブリンだけじゃないんです!
鳥も、ヤギも、狼だってあの大岩の傍で死ぬんです!」
俺がそれを伝えても、ワースモンは「呪い……」と言って、苦笑いを浮かべるだけ。
全くこの話に対して危機感を感じていないのが見て分かった。
彼は指で不躾に耳の穴をほじりながら「で、お前達は俺に何を言いたいんだ?」と言った。
ジリは言う。
「マスター、これは罠です!
あの先には昔ゴブリンの集落がありました。
“母無し子”はあの辺りを熟知しているんです。
そして、そこから先はまだ地図もありません。
あの道の先はもう少し調べてからのほうが良いと思います」
マスターワースモンは、耳をほじり続けたまま、呆れたような表情を見せた。
彼は「我々は討伐に来たのだ、敵がいるのに逃げる馬鹿が居るか?」と言った。
その言葉に、思わず表情を曇らせるジリ。
俺はこのままじゃいけないと思って言葉を繋げる。
「でしたら明日にしましょう。
今日は別の水飲み場に案内します。
呪いは決まって夕方、谷が“歌”を止めた頃に始まります。
今の時間から行くと、夕方ごろ“イライナの墓”についてしまいます。
明日朝早くから出発すれば……」
俺がそう言うとワースモンは、フゥッっと耳の穴をほじるのに使っていた指先に息を吹きかけこう言った。
「臆病者め、明日になればそこにゴブリンは居ないだろうが……」
思わず黙る。確かに明日には奴は移動し、また彼を探さなければならない。
奴が姿を現すとしたら、この機を於いてなかなか無いだろう。
「奴のお誘いに応えねば始まらん。
案内しろ、それから臆病者はいらん。
明日はもう我々に同行しなくていい……」
ワースモンははっきりと俺にそう言って、そしてそのままこの場を立ち去った。
『…………』
クビを言い渡された、その衝撃で言葉を失う俺。
横を見るとジリも同様だった。
出発する討伐隊、俺達はそこからできるだけ距離を取って先行し、細くうねった道を行く。
途中岩にこれ見よがしに切れたベルトがぶら下がっていた。
「随分と分かりやすいお誘いだ……
アイツら馬鹿だろ、絶対」
俺は苛立つ心のままに、後ろの連中に聞かれても良いと思ってそう吐き捨てた。
ジリがそのベルトを見て半泣きの目で呟く。
「後ろの連中は絶対早く帰れると思っている。
だからわざわざ相手の誘いに乗りたがるのさ」
「その通りだよジリ、俺もそう思う……」
それをここで言ってもしょうがない、心の片隅でそれを理解しながら、俺達は止まらぬ愚痴を玩んだ。
クビを言い渡された悔しさが胸で渦巻く。
この様にして、ある程度進むと道はいきなり途切れた。
ここから先は急な岩肌に、しがみつくようにして登らなければならない。
俺はまず先にこの岩肌を登り始める。
これまで何年もやってきたボルダリングや、パルクールもどきの訓練が生かされる。
大体高さは6メートルと言ったところか。
登りながら頭の片隅で何度か(ここで“母無し子”に襲われたら一巻のおしまいだな……)と思った。
登り切った俺はさすがに疲れ、しばらく崖の上で寝転がって息を整える。
上がった息が整ったところで、俺は下にいるジリに手を挙げて合図をした。
俺の合図を確認したジリは矢の尻に細い紐を括り付け、そして崖の上めがけ矢を放った。
矢は見事崖の上に届く。
俺はそれ見てジリに再び合図を送る。
ジリは今度、この紐の尻に縄を括り付けた。
「ラリー、上げろ!」
紐をひき、縄を崖の上に手繰り寄せる。
縄を手繰り寄せた俺は、上に生えている灌木にこの縄を縛り付け、そしてジリに合図を送る。
スルスルと縄を登って行くジリ。
上で合流した俺は、今度下にいる連中に声を掛ける。
「一人づつ登ってきてください」
すると下でおっさんが「他に道はねぇのか?」と言った。
「ロープを使わないなら、右手の斜面なら歩いて登れます。
ただし相当時間がかかります!」
右の斜面には一応正規のルートはある。
基本以前いたゴブリン共はこの道を使っていたらしいのだ。
だが俺は時間かけたくなかった。
すこしでも時間を短くしたい、夕方に“イライナの墓”に辿り着くのは避けたかった・
それにこう言った道はこの先幾つもある。
完全武装したアイツらが足場の悪い斜面を登れば間違いなく、普通の人間よりも時間がかかり、辿り着くのが夕方になる。
だが奴らは俺達が勧めたやり方を採用する気はないらしく、右の斜面を一列になって登ることを選んだ。
遅々(ちち)として進まない彼らの歩み。
「……せめて武器防具だけでも、ロープで(崖の上に)上げればいいのに」
ジリはその様子を見て呟いた。
斜面の道は、歩いて来れるとは言え、岩壁をよじ登る個所もある。
(これは到着が夕方になるな……)
悪路を速やかに上る努力もせず、そして踏破した者も後続の者を助けようとはしない。
人によっては登るのが早い者、遅い者が居るにも拘らず、それを考慮しない彼等。
傭兵である彼らが生きる世界は、良くも悪くも自己責任の世界だった事を思い出す。
自分の事は自分でしなければならないのだ。
そしてそれがますます時間の浪費につながるのは、見て明らかだった……
それを見下ろす俺達も、これ以上彼らに手を差し伸べない。
こいつらとの関係はもはや破綻している、これ以上忠告はしたくない。
もはや俺達の仲は感情的なしこりがはっきりと、見て取れる程悪化していた。
……まぁ言っちゃ悪いが、そこそこ働いて速やかに此処から退散したかった。
こう言った難所を幾つか過ぎ、遂に灌木はおろか、草も生えない窪地に出た。
……時刻はやはり夕方になる。
窪地の向こうに高台があり、そこから湯気が立ち上るのが見える。
そしてその真下に禍々(まがまが)しくも白い煙を根元ら吹き上げている大岩があった。
「こんな時間に、こんな所に……」
隣でジリが表情も無く呟いた。
……窪地を見渡す。
あちらこちらに鳥の死骸が、羽毛をはためかせながら転がっている。
小さい鳥から大きな鳥まで、その数は数えきれない。
その中にわずかな数のヤマネコの死骸も転がっている。
この様に辺りに散らばる死体が腐乱した臭いと、谷全体から漂う硫黄の臭いとが相まって、嘔吐しそうになる。
空は黄色へと変わり始めていた……
ゴーゴーと窪地を舞う風は、むせるような腐臭を伴いながら斜面を駆けあがり、それが俺やジリ、そして討伐隊の男達を襲った。
この異様な光景を見下ろし、ワースモンは周りの風景を見る。
やがて彼は何事かを腹心の男に耳打ちし、その彼が俺等の元にやってきてこう言った。
「お前達、あそこの高台まで案内しろ。
そしてあそこまで案内したらもう帰って良いぞ」
一瞬何を言っているのかと思った……
「ちょっと待ってください、あそこで解散すると言う事は、俺達は護衛も無しにこの谷を出なきゃいけないんですか?
ここから谷の出口に向かうだけで夜になってしまいます。
最初の水飲み場まで一緒に帰らせてください!」
「お前達も聖騎士流の剣士だろうが!
普段やっている訓練はお飾りか?
腰に剣を帯びている以上は自分で何とかしろっ!
地図を見るとあそこは飲み水があるそうじゃないか。
我々(われわれ)は今夜あの高台に留まり“母無し子”を探す。
いいな、これは決定だ!」
そう言うと、奴は高圧的な態度を崩さず、このまま此処を立ち去る。
取り残された俺はイライラしながら「随分と俺は嫌われたらしいや」と、近くの石を蹴り飛ばしながらジリに告げた。
「……行こうぜ、サッサとおさらばしてぇ」
ジリはそう呟くと、後ろの連中を振り返ることなく道を歩く。
これでハッキリした。
……互いに互いをおもしろく思っていない。
こうして俺とジリは危険な窪地を先導して歩く。
やけくそになった俺達は、いつもの隠密行動もめんどくさくなり、来るなら来いと思って道を歩く。
(……結局“母無し子”の存在を感じながら、奴に会わなかったな)
この時、俺はここまでの道中を思い出してこう思っていた。
まだ一日が終わる前の話。
……夕方は“逢魔が刻”と言うが、たぶんそれがこの時だったのだと思う。
俺達は敵地だと言うのに、別の事に心囚われて弛緩し、敵よりも味方を憎むようになった。
……誰も彼も、何か魔に魅入られた瞬間が訪れる。
そんな根拠も無く、安心と安全を疑いもしなくなった時刻の事。
いち早く高台に登り終えた俺達は、後についてくる連中を見下ろした。
……これまでの事をおさらいしようか。
ついてくる男達は悪路を歩かされたことで疲労し、疲労した事で機嫌が悪くなり、そして俺達にことさら攻撃的に振舞い、そして俺達は横暴な連中から離れるように動いていた。
この時刻では5メートルと言わず、数十メートルは離れていたと思う。
お互いに一緒に居たくなかったからだ……
だからこの時俺達は、相当離れた所から、見下ろすように彼等を見たのである。
この短い旅は俺達を除くと16名の男達が参加していたのである。
ところが振り返ると12名しかいない。
(あれ、数が少ない?)
一瞬見間違いかと思った。
部隊はマスターワースモンを中心にした、集団と、山登りに慣れてないせいで、遅れがちでバラバラな集団とに分かれていた。
思えば敵に出会わずにして疲れ、間もなく本日の苦行が終わるという段階で、誰も気が付かないうちに規律が崩壊していたのだと思う。
誰もこの群れを纏めようともしていない。
目を凝らして見ていると、遅れた一番最後尾の男の首に、音も無く緑の手が巻き付いた。
「…………」
何故かはわからない、思わずじっくりとその様子を見てしまった俺。
次の瞬間、その首があらぬ方向にねじ曲がり、男が糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる!
「後ろ!後ろォォォォッ!」
絶叫するジリ、腰の剣を抜き払う俺。
ゴブリンとは思えない程体格のいい男がそこに居た。
奴は“やっと気が付いたか……”と言わんばかりの笑みを浮かべ、坂を上っている途中の人間たちを見やった。
「ギャー、ギャァァァァァァッ!」
そこには、黄ばんだ歯を見せ、邪な笑みを浮かべてこちらを嘲る“母無し子”が居る。
何時間もかけて探し続けた、目的の獲物。
俺達をずっと監視していたであろう、人食いのゴブリン……
「フギャッフギャッ、フゥゥギャッ!」
手にした棍棒を左から右に一薙ぎし、次に先程首を折った男の体を滅多打ちにし始める“母無し子”。
動揺が広がるワースモンとその部下たち。
剣が抜き払われ、槍斧が構えられる。
やがて彼等は、満足そうな笑みで部下を棍棒で嬲り続ける“母無し子”を囲う様に動き始めた。
剣を抜いたワースモンはその最中、ゴブリンが見せるその異様な挑発行為に激昂する。
『貴様!タダで済むと思うな!』
“母無し子”に向かう11名の男達。
それを見て嬉しそうに笑い、怪我をしているのか、足を引きずるようにして逃げる“母無し子”。
「お、おいラリーどうする?」
ジリはその様子を見ながら俺に尋ねた。
「水……いや、お湯を飲もう。
今から行っても足手まといになるだけだよ」
マスターワースモンと“母無し子”の追いかけっこを高い所から眺め、俺はそう言って彼らの諍いに参加することに消極性を示した。
「いいのか?」
ジリは不安そうな表情を俺に見せる。
下でギャーギャーわめきながら、男達から逃げる、足を引きずる“母無し子”。
その様子が、俺には滑稽に見え、その様子を指さしながらジリに言った。
「あれなら負けないでしょ。
それに多分これまでの感じだと、感謝されないと思うよ」
多分男達が負ける事は無いだろう、多勢に無勢だ。
そう思って俺が言うとジリも賛同した。
「なら、余計な事はやめておくか……」
見えない“母無し子”にあれだけ恐怖した俺達だが、見える“母無し子”には恐怖心を抱かない。
なので少し歩いてお湯を飲み、そして布で顔を拭う。
一しきり生理的な欲求を満たした俺達は、特等席で下の戦いの見物をするつもりで下を見る。
……窪地は静けさに包まれていた。
「風がやんだ……」
ジリがそう呟く。
地面からシューシューと言う音を立上げ、火山性のガスが所々から吹き上がる。
遠巻きに11人の男達に包囲される“母無し子”その顔から、いつもの笑みは消え失せている。
この様子を見て、俺やジリはマスターワースモンの勝利を確信した。
俺は情けない話だが、正直失敗すれば良かったのにと、不謹慎な事を思っていた。
連中がガーブウルズに帰ってきたら、これ見よがしに自分の手柄を喧伝し、俺達の評価を低いモノとして周りに言うのだろう。
それを想像して、溜息を吐く。
眼下の戦いは間もなく終わる気配を漂わせた。
ここまで取り囲まれたら誰だってそう思うだろう。
それでも“母無し子”の表情に絶望はなく、死への恐怖も無い。
静かに自分を囲む男達を睨み、そして相手の包囲を破らんと、わずかな可能性を探すように棍棒を右へ左へと動かす。
……その様子を見ながら(俺もいつかこんな状況に落ちいったとしても、この男の様に冷静でいられるのだろうか?)と考えていた。
それほど戦士として尊敬できそうな雰囲気が、この時の“母無し子”から漂う。
ジリに「凄いな、アイツ(母無し子)」と言って、同意を求めた。
ジリはそうは思っていなかったらしく「粘るな、あの畜生め……」と答える。
……その目に確かな“母無し子”への憎悪が宿るのが見えた。
「…………」
言われてみれば……だが。
敵よりも味方の方が嫌いだと言うのは健全では無い。
……俺はこっそり自分自身に反省を促した。
下ではいつまでも包囲を続けるつもりがないワースモンが叫んだ。
「ゴブリン風情がぁッ!
よくも我が部下を嬲ってくれたなっ!
……楽に死ねると思うなよ」
剣を抜き“母無し子”に向かって、足早に歩き始めるワースモン。
“母無し子”はそれを見ると、息を深く吸い込み、頬をぷっくり膨らませて、逃げるように走り始めた!
これまで引きずっていた足が、実は何でもなかったかのような突進!
奇襲効果をもたらしたこの行動が、退路を塞ぐはずの男の姿勢を崩す。
「逃がす……ギャッ!」
“母無し子”は何と手にした棍棒を投げつけ、自分が向かう方向にいた男の顔面にそれを当てる。
奴はこのまま、この奇襲にひるんだ男を飛び越え、窪地の一番低い所に岩場から飛び降りた!
「逃がすなっ!追えええええっ」
その様子に勝利を確信したワースモンが絶叫し、そして自ら率先して追いかける。
岩場から“母無し子”を追って、一人・また一人と“母無し子”の様に窪地の中でも低い所に飛び降りる。
棍棒を投げつけられた男が出遅れ、それ以外が全員中に飛び降りた。
「あ、あれ?ラリー……」
ジリはその様子を見て動揺を示した。
降りた瞬間から、男達の様子が何かおかしい。
しばらくすると岩場の下で、男達は正気を失ったように、バタバタと泳ぐように手を動かして、岩の上に戻ろうとあがきだした。
元居た場所に帰ろうとするその背中に、容赦なく“母無し子”が投げる投石がぶつけられる。
これまでの勢いが無くなり、力なく岩場の下に無情にも転落する男達。
彼等は声も発さず、踊るような仕草を見せた後、次々と武器を手から落としていく。
やがて幾人かが咳き込んだかと思うと、次の瞬間バタバタと倒れた。
マスターワースモンもまた、紫色に変色した顔で剣を“母無し子”に向けるが、そのまま2.3歩歩いた後、一言も発さず倒れた。
「イライナだ……イライナが息子を守ったんだ」
ジリが恐れに満たされた声でそう呟いた。
「そんな訳ない!そんな……」
俺は幽霊を信じたく……
あ、俺の剣の師は幽霊じゃん!
いや!そう言うもんじゃない。
落ち着けラリー!よく見ろ、一体何が……
俺は窪地を見ながら、何が起きたのかを理解しようとしていた。
やがて“母無し子”が岩場を這いあがって、低地から抜け出してきた。
奴はフラフラとおぼつかない足でひたすら斜面を上がり、そして一つの大岩の上に登ると、そこで苦しそうに体を横たえる。
「なぁ、ジリ“イライナの呪い”はゴブリンや狼、鳥にしか効かないんだよな?」
「ああ、でもあの様子だとそんな事は無いみたいだ。
ラリー、やっぱりここはヤバイ……
早く逃げだそう、俺達も呪いの餌食になっちまう」
俺はこの様子を見て、ふと気が付いた。
「ジリ、呪いの正体だけど。
おそらく空気よりも重いものだ、二酸化炭素とか……」
俺は生まれ変わる前、世界の火山帯に有毒ガスが充満している場所があるのを、聞いていたのを思い出した。
今回のケースもそれに近いと思った。
「にさん?え……
分からねぇよ!俺は学校に行ってないんだぞっ」
ジリはそう言って俺を睨みつける。
「ラリー、なんでもいいからアイツを助けろ!
あの下に降りられなくて、まだ生きてる奴だ!
詳しいんだろ?何とかしろよ!」
ジリはそう言って、ただ一人窪地に降りなかった男を指さす。
そうだ、このままだと全滅だ!
仲間を助けると言う意識が、何処か欠落していた俺はその言葉で正気を取り戻した。
諍いのせいで彼等を仲間と思えなかったが、彼は今や最後の仲間だ……
ようやくその事実に頭が回る愚かな俺。
俺達の敵はあくまでも“母無し子”なのだ。
俺は立ち上がり、そして下に居る男に言った。
「こっちだっ!高い所に来いっ」
確証はないが、俺はそう言って彼をこちらに招き寄せようとした。
そのたった一人の生き残りだが……
彼は俺が声を掛けるまで、今自分が立っているところから、僅か1メートル半ほどの高さの岩場の下に転がる、仲間の死体を眼下に茫然自失の様子だった。
無理もないわずかに200を数えるほどの間に、皆あっという間に全滅したのだ。
……自分を残して。
男は俺の声で正気を取り戻した。
そして彼は俺達の方へと顔を向ける。
「こっちだっ!急げっ」
手招きで呼び寄せる。
彼は急ぎこちらに向かって駆けだした。
「ギャアァァァッ、ギャァァッウ!」
遠くでは、岩場の上で身を横たえたままの“母無し子”が俺に向かって威嚇の声を上げる。
“その男を置いて行けっ、俺の獲物を横取りするなっ”そう言っているようだった。
俺は急ぎ斜面を駆け下る。
風も無く硫黄臭と腐敗臭がますます強くなった、高台の下。
走ってやってきた男は俺の所に辿り着くと、気を失って倒れた。
紫色に染まった顔色、眼窩は真っ黒に隈が出来、落ち窪んでいる。
「ラリー大丈夫か?」
「いや、急いで上に運ぼう!」
男の症状はおそらく酸欠による症状だと思う。
以前ボグマスに教わった、救急医術の講義で見た症状によく似ていたのだ、おそらく間違いは無い。
とにかくこれで“呪い”の正体は掴んだと思った。
おそらく正体は二酸化炭素。
そうでなくても空気よりも比重が重く、火山に大量に含まれるガスで、見た目は全くの透明の気体。
恐らくこの窪地では、ある一定の高さにまでガスの層が充満しているのだ。
特に背の低い動物であるヤマネコやゴブリンは、酸素を含んだ空気の層にまで鼻や口と言った呼吸器官をもってくる事が出来ない。
つまり身長が低いと呼吸が出来ないのだ。
これがゴブリンや動物にしか効かないと言われた呪いの正体なのだ。
しかしそれには一つ疑問がある、マスターワースモンは何故倒れたのか?
答えはおそらくあの窪地の地形に由来するのだろう。
男達が窪地のさらに低い場所に入った瞬間、バタバタと倒れた。
つまりあの場所には、大人の背丈以上の高さにまで、二酸化炭素の様なガスの層があるのだ。
……そうすれば辻褄が合う。
“母無し子”は知っていたはずだ。
それに嵌められ、ワースモンとその仲間は、酸素を吸えずに酸欠で倒れたのだ。
彼等は息も出来ず、学び修めた戦いの術を披露する事も出来ず、遂に意識を手放した。
その様子を思い返しながら、俺は坂を上る。
生き残った男を背負い、ジリに足を持ってもらいながら高台の上へ……
辿り着いた高台の上で、俺達はこの気を失った男を地面に寝かせた。
「どうする?
……今ならまだこの場から逃げ出せる」
ジリはこの男を見ながらそう呟いた。
……逃げるなら今しかない、彼の心の声が聞こえる様だった。
ただし、今逃げたら間違いなくこの男は“母無し子”に殺されてしまうだろう。
彼は気絶し、そしてよく見たら剣も失っていた。
俺達が去れば、彼が生き残る可能性はもうない。
また、残る事を選んだとしても、俺達だって、奴に殺される可能性が大きい。
何せ俺よりも強い男が、あの一瞬で全員死んだのだ、そう考えるのが普通だ……
子供は殺さないと噂の“母無し子”だが、基本ゴブリンは肉食で、捕らえた人間は男なら食料、女なら苗床にする。
俺達が食料にならない保証はどこにもない。
「ラリー、本格的に夜になるとまた風が吹く!
そうしたら“イライナの呪い”は解けるぞ。
そうしたらアイツ(母無し子)がこっちに来る!」
奴と高台との間を隔てるのは、呪いと呼ばれるガスだけである。
風で散ってしまえば奴は再び自由を手にする。
……俺は今、足元で気を失う、たった一人の生き残りの顔を見た。
彼を連れて逃げるのは不可能だと思った。
逃げ切れる自信は持てない、かと言ってその為に犠牲が必要と割り切ることも出来ない。
男は瞳を閉じ苦しげに呻いていた。
呻き声は彼がまだ生きていることを示し、そして見捨てたら死ぬという現実を俺に教える。
俺は気が付くと、誰かの生死を握りしめていた。
捨てるか、守るかどちらか一つを選ぶ……
「ラリー……」
……まだ日も落ちきらないのに、風が吹き始める。
窪地の空気が吹き上がり、高台にまで腐臭を運ぶ。
それを嗅ぎながら俺は心を決めた。
「ジリ、あのボーガンはまだあるか?」
「ああ」
「毒を塗ってくれ、それから弓で一応牽制を頼む」
「戦う(やる)のか?」
「仲間を見捨てたら、一生俺は自分を許せない。
……この日の為に修行した。やろう」
そう言いながら(ここで逃げたら貴族の名折れ……)と、思った。
……パパの顔が頭をちらつく。
ジリは俺の言葉を聞きながら、嬉しそうに言った。
「分かった、だったら少し下がった場所でやろう。
俺が上から弓で援護する!」
「うん……」
ジリは仲間を助けたかったのだと、この時俺は知った。
俺と比べて、偉い奴だ。
それに引き換え……だな。
俺は自分の胸に沸く恐怖と向き合っていた。
格好の良い事を言いながら、内心を埋め行く恐怖に手元が細かく震える。
今日初めて、俺は命を懸ける。
負けたら死ぬ、死ぬのが怖い……
思わず膝を曲げ、頭を抱えた俺。
俺は生まれて初めて祈った!
(女神フィーリア、俺を勝たせて下さい。
ママが居るんです、パパにももう一度会わせてください!
今度生まれる弟(妹?)の為にも、どうか……)
……この期に及んで神頼みとは、己の力量の足らなさを告白するようだ。
恥ずかしい話、俺は何か大きな存在に祈らなければ、戦う前に心が消えてしまいそうだった。
生を渇望するこの弱い心に、まだ目の前に現れぬ“母無し子”の影が、重々(おもおも)しくのしかかる。
「大丈夫か?」
いきなりしゃがみ込み、頭を抱えた俺の奇矯な振舞いに対し、ジリが心配して俺に声を掛ける。
「大丈夫だ」
俺はそう答えて立ち上がる。
「ラリー、アイツがこっちに来た!」
俺の返事も終わらぬ間に、ジリの非情な声が響き渡る。
斜面の下に目を向けると、ニンマリと気味の悪い笑みを浮かべ“母無し子”が、悠然とこちらに向かってくるのが見えた。
窪地を渡り、勝利を確信しながらこちらに近付く奴は、まるで凱旋将軍のようだ。
……経験豊富な戦士が、こちらにやってくる。
恐怖と緊張が高まる。
そして何故だかフッと心が軽くなった。
……理由は分からない。
俺は眼下の斜面を悠然と歩いてくる“母無し子”を見ながらジリに言った。
「昔アメリカって国があって」
「うん?」
突然語り始めた俺にジリが訝し気な表情を浮かべた。
ソレに気にせず俺は思い出した言葉を吐く。
「その国の戦士の格言で“今日は死ぬのにいい日だ”って言うのがあるんだ」
「…………」
「ジリ、俺がもし失敗ったら、お前は逃げてくれ。
そして俺にも“そんな日”が来た事をママに伝えてくれないか。
ママの事はゴッシュマが知ってる。
ママの名前はエウレリアと言うんだ」
「ああ……」
「それと、俺の名前なんだけど本当はラリー・チリじゃないんだ」
「こんな時に、なんて事を言うんだよ」
「悪い、俺の本当の名前は……ゲラルド・ヴィープゲスケ。
父は王都で寵臣として有名なグラニール・ヴィープゲスケ男爵。
そして叔父は……バルザック男爵」
「え?」
「それじゃあ、頼んだ……」
思い残すことは無い、そう思って歩き始める。
俺は剣を手に斜面を降りた。
一歩降りるごとに覚悟が心に満ちる。
緊張と、心の平穏が同時にもたらされ、そして相手の前に進み出る。
……坂の途中で、敵を目の前にした。
人食いの目はまるで木のうろの様な、漆黒の色をしていた。
沈みかけの日差しの色も飲み込むような、暗い影をそこに宿す。
不気味な笑みを浮かべ俺の目を覗く“母無し子”と呼ばれるゴブリン。
俺の心の底を確かめようとしていた。
俺が恐れているのかどうか?
戦う気があるのかどうか?
どれぐらいの腕前なのか?
予想できるすべてを確かめている。
そう思うと奴が、これまで斬ってきたゴブリンと何ら変わらないように思う。
ゴブリンもまた、その様にして相手の心を図る生き物なのだ。
“食ってやる”そう思いながら放たれる用心深いその目線。
それは肉食動物の特徴だろう……
人の目も同じなのだ、そう思うと俺はこいつよりも優れた野生でありたいと願えた……
腰を落とし、そして剣を天に向け、顔の横に鍔を掲げる。
数限りなく構えた“屋根の構え”俺は、この構えに命を託した。
奴の得物は棍棒。
リーチは剣と同じ……
俺は踏み込み剣を振るう!
“母無し子”は棍棒を振るってその一撃を横に弾く。
重く硬い一撃……
硬いという印象を受ける。と言う事は、相手は相当握力がある証拠だ。
奴は体を離した、俺の剣から退く……
棍棒には鍔がない、その為鍔迫り合いを起こせないのだ。
鍔で剣を受けれない以上、接近を許せば容易に指を傷つける。
すなわち、バインドを嫌う……
“母無し子”は棍棒を前に突き出し、そして腰をかがめる。
俺の一撃から少しでも体を遠くに置くつもりだ。
切っ先が揺れる棍棒、その奥に俺の全体の気配を伺い、それでいて挑発するような笑みのゴブリンが居る。
『…………』
俺の剣も突きの構えを取り、奴の飛び込みを警戒する。
打ち合いが始まった。
歩いては隙を伺い、相手の攻撃線を予想しては剣を、奴は棍棒を振るう。
カンカン……と言う響きを上げ、棍棒と剣が時折触れる。
そして時折打ち合いを嫌うように、棍棒が俺の剣から逃げた。
幾度も接近を試み、バインドからの“指落とし”を図る俺。
だが向こうもそれを巧みに避ける。
柔軟性の高い奴の体が、無理な体勢になってでも俺から逃げ、そして一撃を食らわせる!
棍棒の先端、つまり弱い部分を剣の根元の強い部分で受けてそれをいなす。
テコの原理が働くので、相手の力が強くても容易にさばく事が出来るのだ。
接近しては離れ、離れては踏み込んで一撃を躱し続ける事数合……
互いに打開策は見えず、俺の構えも“屋根”から“突き”そして“犂”と目まぐるしく変わる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息が上がり、そして汗が滴り落ちる。
その眼前には涼しい顔の“母無し子”の姿。
それを見ながら俺は自分の胸の内を叱咤する。
……アイデアを持て、アイデアを。
この時、ボグマスの言葉を思い出した。
昔練習中に言われた事だ……
『―ラリー、時間を意識しろ!
相手の意図を感知し、何をするかを判断し、そして最も適した時間を取るのだ。
―時間とは何か?
それは動作にかかるコストの事だ。
そしてそれは偽る事も出来るが“絶対”に捻じ曲げる事が出来ない理である。
―例えば“腕だけを動かした”場合と“腕と体を動かした”場合、そして“腕と体と足を動かした”場合と“腕と体を動かしかつ歩いた”場合ではかかる時間は絶対的に違うだろ?
―腕だけを動かせば最も短い時間で行動は完結し、最後に述べた歩きも含めた動きなら最も遅くなる。
―それを踏まえたうえで相手の時間と、こちらの時間を比べて判断を下すのだ!』
ボグマスの叱咤が、聞こえないはずの耳に届く。
……その声が俺の瞳を開かせた。
相手の筋肉、足取り、そしてそこから繰り出される攻撃線の数々、それらが見えるようになった。
……見えていたのに見えなかったものが見える。
こんな感覚初めてだった。
相手の右肩が後ろに退き、左の肘が前に来た時、こん棒は右から振り下ろさんと上に上がる。
この後ここから繰り出される攻撃線の数は一つか、二つしかないじゃないか……
だったら、こうかな?
俺はトンと、導かれるように剣を軽く前に出した。
突きは“母無し子”の左腕に突き立った。
ギャァァァァァァァッ!
叫ぶ“母無し子”。
奴は体を捻って後ろに後退する。
(なんだ今の感覚?
今、何か正解に近い“何か”が見えたぞ……)
俺は追撃もせずに、今不意に訪れた感覚に動揺した。
そしてこの時、またしても再びボグマスの声が頭に響いた。
『―さて生意気なラリー。
―どうしてお前は斬撃ばかりを好むのか?
―剣はただまっすぐに伸びた鉄の塊ではあるが、そこから繰り出される可能性は数限りなく、そして限られている。
―もう一度教える。攻撃の仕方は僅かに三つしかない、それを組み合わせて数限りない選択肢を得るのだ。
―一つ、「振りかぶった剣を相手に切りつける“斬撃”。
―二つ、剣を突き出し、切っ先を相手の体に突き入れる“刺突”。
―三つ、これがお前の一番苦手とする動きだが……剣の刃を相手の体に接触させている状態から、押したり引いたりして相手を切り裂く“刻撃”だ。
―生意気なラリー“刻撃”も使え。剣の可能性を広げるのだ。
―戦いの最中“斬撃”も“刺突”も効果を発揮しなくなった時、この二つよりも威力は落ちるが“刻撃”は必ず有力な攻撃手段となる。
―ラリー、剣と剣との戦いなら必ず手段はあるモノだ。
―お前が自分の剣の可能性を狭めていなければな……』
「グ、ググググ……き・さ・ま」
俺は戦いの最中に見た白昼夢から意識を戻した。
そして目の前に居る人食い鬼を見た。
喋った?いや、まさか……そんな。
人の言葉をしゃべるゴブリンなど、これまで一度も会った事は無い。
一瞬喋ったように聞こえただけだろう。
「ギャァァァァァァァァッ!」
痛みが奴に、俺への憎悪を掻き立てた、俺の心を粉砕せんと上がる咆哮。
そして奴は頭上高くに棍棒を掲げる。
強撃か……そう思った俺も奴に負けじと剣を振りかぶり、切っ先を背中に倒した。
そして腰を捻る。
一撃に全てを掛けた必殺の“貴婦人の構え”。
威力、速さ共に俺の出せる最速の一撃を、振舞ってやる……
『…………』
辺りを緊張が包み、そして沈黙が支配する。
「ぐぅ、ぐふぅ……」
「…………」
全身を右に、左に揺らし、それに合わせて“母無し子”の棍棒が定まらない覚悟のように揺れる。
……それでも仕掛けたのは奴の方からだった。
ガハァッ!
激しく吐いた呼吸音と共に突っ込む“母無し子”。
撃ち落とした俺の剣!
ゴブリンは俺の攻撃線を予想し、そして背中を地面すれすれにまで倒してその一撃をよけた。
「!」
ありえない体勢から、下から上に向けて棍棒が襲い掛かる。
俺は首を捻じる。
棍棒は俺の右頬を抉るように掠めた。
たまらず後ろに下がる俺。
顔からボタボタと血がしたたり落ちる。
頬だけではなく、顔の肉が持って行かれたかのような激しい痛みが俺を襲う。
「ぐッ、はっ、はぁ……」
痛みでしかむ俺の表情、そして浅い一撃に不満顔の“母無し子”。
ググっと“母無し子”の上半身が動き、そして体勢が元に戻る。
……苛立ちが募った。
顔から滴る血が、服を伝って剣を握る俺の指に絡みつき、奴の傷ついた左腕が目の前をちらつく。
こちらが苦しいときは相手も苦しい。
心だけは折るなと、ゴッシュマが教えてくれたことを思い出す。
(負けてたまるか、負けてたまるかよ……)
俺は再び剣を天に向けて立たせた。
再びの“屋根の構え”よ……
『…………』
この時“母無し子”が不意に人間臭い顔で笑った。
瞳が輝き、そして俺を見つめる。
そして奴は……棍棒を“屋根に構えた”。
誘いに乗る様に動く俺の手足。
踏み込み、剣を振るう。
強引に接近して“刻撃”で挑む!
ズタズタに傷つく奴の指、ゴブリンは棍棒と剣の作りの違いを、痛い思いをしながら理解をする羽目になる。
そして最初の様に突きの構えを取った。
ハァ、はぁ、はぁ、はぁ……
荒げる息の奥底で、感じたことのない充足感が胸に満ちた。
自分の全てをこの場に晒し、相手に勝ちたいと挑むこの場が、たまらなく楽しく思え始める。
……俺は敵の目を見た。
奴は……楽しそうに凶暴な笑みを浮かべている。
俺は、この感情は“母無し子”も同じだと悟れた。
奴もこの戦いで、自分の全てを晒して戦う喜びを覚えている。
……間違いない。
……間違いない。
今、最高の時を迎えている。
自分の全てをこの戦いに捧げる。
足の小指の置き場所にまで理由を知る、相手の剣がどう動くのかも分かる。
その内歓喜に埋もれた心の中で、俺はどう戦うのかを考え続け、そして有心のその先で何も考える事が無くなった。
反射神経だけで剣が振るわれる……
全てが自分に張り付く、全てが分かる。
何が正しいのか、間違っているのか。
最短で動くと言うのはどういう事なのか。
これでは手がかかりすぎているとか……
俺は“無心”であり、そして理屈の全てを知っていた。
振われる剣に合理が宿る、剣は“母無し子”を圧倒し始めた。
その時だった……
「ギャァァァァァァァッ!」
突如“母無し子”がバランスを崩し、そして太ももを抑えて転げまわる。
「?」
何が起きたのか分からなかった。
見ると太腿に一本の小さなボルトが突き刺さっている。
戸惑う俺、睨み付ける“母無し子”。
奴は太ももに刺さったボルトを抜くと口を開いた。
「ま・た・あ・う……」
「!」
ゴブリンは急ぎ立ち上がると、この場を走り去った。
俺はそれを黙って見送る。
「おいラリー!」
ジリが俺の名を呼びながら走り寄る。
「お前、凄いな!
なんだよ、あの最後の剣捌き。
まるでソードマスターのようだったぞ!」
「ああ、そうなんだ……」
「どうした、お前?」
「いや別に……」
もっと戦いたかった……
「なんでもない、ありがとうジリ……」
この時不意に一人の女性の姿を思い出した。
王剣に刺されて死んだ花嫁、スマラグダ。
誰なんだ、あれ……
今日は随分と白昼夢をよく見る一日だ……
「どうした?ラリー……」
「いや、なんでもない」
「顔、痛まないのか?」
「顔?あ、ああ……今はあんまり」
「すぐに洗ったほうが良い、破傷風になったら大変だぞ……」
俺は“母無し子”に戦いの喜びを授けた。
俺もまたそれを知ってしまった。
それがあのゴブリンを、さらなる戦いへと誘ったとは知らなかった……
いつもお読みくださりありがとうございます。
おかげさまでこんなマニアックなお話が400pt突破できました。
感想、評価、ブックマークありがとうございます、これを励みに頑張りますので宜しくお願い致します。




