兄妹・兄弟(きょうだい)
―あれから7日後
夜明け前、雪の中を走る……
ガーブウルズに来てからの新しい習慣だ。
夜明け前、空が紺色に色褪せた頃に、雪はひらひらと舞う。そして静かに周囲の音を奪った。
俺以外の音がしない、静かな薄明りの世界。
俺はその中を急いで走り回る。
太陽が顔を覗かせると、いつもあの剣士の幽霊が出る。
彼が来る前に決められた距離を走り終えたかった。
口にまいたマフラーがそんな俺の焦燥を表すように、機関車のような息を上げ続ける。
寒いガーブウルズでもろに外気を吸い込むと肺が痛くなる。慣れてくれば別かもしれんが、今はそうだ。
口元を覆うマフラーは、吸い込む外気の気温を調整する為に巻いている。
しばらく経ち、走り終えた俺は家の前に辿り着き、長剣を構えて太陽が顔を出すのを待った。
ゴブリンとの初戦を制した俺は、あれから色々思う事があり子供用の剣を持たないことにした。
と言うのも俺は体も大きいし、それにやはり長い剣の方が相手を倒すうえで有利だと思えたからだ。
盾を構えている時はその限りではないが、やはりこん棒の届かない場所から、鋭い一撃を加えた方が……何というか、安心できる気がする。
何より俺の身の安全も保障されやすい。
この様に、俺は剣に効率を求め始めた。
最近師であるボグマスの言葉をよく思い出す、すなわち“合理”理の力……
本当は彼に会って、今の自分にふさわしい助言を求めたいのだが、それが叶わない代わりとして思い出すのだろう。
今はセルティナに居る時よりも、なんと言うか……感覚の深い所で剣を見れるようになった気がする。
思い上がりかもしれないが、歩き方一つ、何気ない剣の構え一つ、振り下ろす剣の軌道然り、これらすべてに偉大なる先人達の苦闘の跡が今なら見える。
振り下ろした剣をそのまま下段の構えに移行させ、そこから出せる剣の軌道の数、姿勢。
それだけじゃない。
例えば見えないところでは足の小指の置き方一つでも剣は変わる。
足の小指を開けば膝は柔らかくなるし、ネコ足のように丸くすれば膝は固くなり、踏ん張ることができるようになる。
ただ剣を持つ手だけが剣術なのではない、全身余すことなく使ってこそ、殺し合いを制し、自分こそがより優れた野生である証明を立てる事が出来る。
上から振り降ろす剣にはその理が、そして振り上げる剣にはその理がある。
ボグマスはそんな凄い事を教えてくれていたのだと、ようやく分かった。
その行動の全てに理由があり、それらは理に基づいて動いていく。
そしてそれを深める、長剣に特有の対照と言う独特の概念。
……対照を説明すると。
力の概念を説明する時に使う“剛い”と“柔い”
剣の構えを大別する“上段”と“下段”
足捌きや、フェイントなどを表す“真実の時間”と“偽りの時間”と言ったものである。
剣は深い、なんと果てしないのか……
今振った一振り、今踏み込んだ一歩にだって、こんなに最善の選択をする必要があったじゃないか!
感覚で振るっていたけど、もっと頭を使えばもっと強くなれる!
何千回と剣を振るごとに、今俺は新しい発見をする。
剣を学ぶと言う事に、深く強い動機付けが出来た事で、見えないことが見える。
それに、最近実戦を重ねるごとに恐れの様に、ある一つの考えが脳髄を上下するのだ。
それは……今自分を進化させないといつかゴブリンに不覚を取るかもしれないと言う恐怖だ。
連中の目に宿る“お前を食ってやる!”と言う確かな殺意は、いつか俺を凌駕して俺を殺そうとする奴らの真実の輝きである。
……その日、もし奴らに不覚を取ったら、俺は奴らの晩飯になる。
俺に敗北して命乞いをする際に見せる、奴らの絶望に満ちた表情に対しては、確かな命の鼓動を感じる。
……そしてその時は、奴らの死体は銀貨となって、俺達の晩飯を彩る。
俺は、アイツらに食われたくなかった。
だから逆に餌食にしている。
だが、俺を食おうとするゴブリンは悪い事をしているわけではない。
俺とゴブリンとの間に善悪は無い、野生がぶつかり、より優れた野生が勝者の権利を得る。
俺達は勝利の権利として、敗者を夕飯にしているだけなんだ。
変な話だが、そう思う事で俺はゴブリン殺しを正当化していた。
優れた野生であり続けたいと思う。
……少なくとも、ここガーブウルズでは。
それに、そんな戦いの最中、容赦なく敗者の命をもぐ時、俺は確かに生きた気持がして、充実を覚えていた。
それは初めての実戦の日からだ。
沸騰した脳みそが、俺に歓喜に満ちた充足を与え続けた。
腕に覚えのあるゴブリンが出た時、その我流で出来上がった野生の妙技に、笑いが止まらない思いを味わう。愉快だった。
そしてそいつの首を刎ねた時、俺は……もっと剣が上手くなりたいと、激烈に願った!
強烈に、激しく、狂おしい程に!俺はもっと強くなりたい、とッ!
……時間が来て太陽が昇る。
晴れた空、散らばる雲、舞い降りる晴れ雪。
その幻想の中で一人、半透明の男が姿を現した。
「よろしくお願いいたします……」
俺は頭を下げ、礼を払うと彼は半透明の剣を構えた。
今日こそ一本を取る!
俺は剣を屋根に構えて彼ににじり寄った。
◇◇◇◇
「なんニャなんニャ……お前また負けたのかニャ」
やっぱり今日も勝てず、不貞腐れて縫物に熱中していると、暇そうなうちのクソ猫が、俺をからかいに来た。
「うるさいなぁ……あのおっさんはどこの誰だか知らんが相当強いんだよ!」
「だけども幽霊ニャ、幽霊に負けるなんて、まだまだだニャ」
クッソ、このネコ偉そうに……
「俺をからかいに来たなら、さっさとアッチに行け!」
「そんな事言うニャよ……暇ニャ」
「ああ、そうですか」
「ところで最近お前は何処に行くニャ?
なんか血の匂いがする時があるニャ」
「うん、まぁいい所だよ」
「連れてって欲しいニャ!」
「へぇえ珍しい、相当暇なんだな……」
「ニャ……ところで今作っているのはなんニャ?」
「これか?これは皮手袋だ。
最近同い年の友達に剣を教えているんだけど、そいつが皮手袋を持ってないんだ。
手袋も嵌めずに(剣の)素振りしていると掌の皮がむけてしまうから、作ってやってるんだ」
「ふーん、相変わらず無駄に器用ニャ」
「無駄は余計だろ……あ、そうだ。
実はお前とペッカーにも作ってやったんだ」
俺は目の前に置いてあった“誰でもできるハンドメイド30アイテム”と言う本を閉じながら、ポンテスの前に小さな服を取り出した。
「これはなんニャ?」
「かっこよくない?俺が皮で作ったネコ用のライダースーツだ!」
アメリカンなバイクによく似合う、悪が好みそうなデザインだぜ!
「ニャ?なんか見た事が無い姿の服……
て、いうかネコ用?」
「ああ、こっそり牛一頭分の皮を盗んできたとき。
これだけあれば作れると思ったんだ。
ちゃんとトイレはできるように、その部分だけは穴が開いているぞ!
見ろよ、このデザイン。俺は剣だけではなく手芸の才能もあったんだぜ。
まさか“誰でもできるハンドメイド30アイテム”を見ながら作っただけで、これほどできるとは……自分の才能が恐ろしい」
「あ、ああ。うん……
お前どの方向に向かっているニャ?」
「分からん、だけどここだとなんでも出来なきゃ、生きていけないんだ……
それはそうと、ペッカー、こっち来てくれ」
俺は部屋の高い所に留まっているペッカーを呼んだ。
すると彼はパタパタと翼を鳴らしながら猫の背中に舞い降りる。
「ぐわぁ?(なんだ?)」
「じゃーん、お前用のライダースーツだ!
と言っても腹巻と、マフラーだけどな。
これでお前達も今日から外に遊びに出かけられるぞ!」
「へ?」「ぐぁ?」
◇◇◇◇
「なんか、変な気がするニャ……」
「ぐわ(そう、そう)」
猫のポンテスは雪の上でライダースーツと、靴を履いて歩き。
ペッカーは俺の肩の上で、同じくライダー腹巻とマフラーで、直立不動の姿勢のまま風に耐える。
……俺が夜なべして作った新衣装がお気に召さないらしい。
「でも動けるし、ペッカーも飛べるんだろ?問題ないじゃないか。
それに寒くないだろ?」
「まぁ、想像以上に温かいニャ……」
「げ―(確かに)」
中綿までちゃんと考えて作ったんだから当たり前である。
それなのに飛びづらいだの、木に登れないだのクレームばかりを言いやがって。
こいつらはこれまでの様に、俺の外套の中に包まれて外に行きたいのだ。
だけども正直重いから嫌なのだ、この俺は!
だから苦労して作ってやったと言うのにこいつらときたら……
「ところで小僧、今日は何処に行くニャ?」
「お前たちが最近気にしている、俺の行く先だよ。
実はちょっと相談したいことがあるんだ」
「ニャ?」「ぐわ?」
「お前達も無駄に色んな事を知ってるだろ?
だから一つ協力して欲しいんだ」
『…………』
◇◇◇◇
こうしてネザラスのぼろい丸太小屋に辿り着くと、さっそく彼の妹ちゃんのテンションが上がった。
「うわぁぁぁ、ネコちゃん可愛い!
鳥さんも可愛いっ!」
ゴブリン狩りの相棒、ネザラスの妹のグラーナちゃんは、目をキラキラ輝かせながら。
ウチの汚い雄ネコ共を抱きしめた。
「ムッフーン、もっと褒めても良いニャァン」
早速図に乗るウチのクソ猫、なので早速言ってやった。
「ああラーナ(グラーナの愛称)ちゃん、その猫浮気モンだから。
汚いからあまり触らないほうが良いよ」
「小僧!お前後で覚えとけニャ!」
「げーっげっげっ!げーっげっげっ(笑い)」
ついこの前、浮気がばれた猫はペッカーに〆られ、軒先に凍った牛乳と一緒に吊るされたばかりである。
早朝ランニングしていると、猫が軒先で悲鳴を上げていて、この時ばかりは心底驚いた。
「ネコさん、浮気しちゃダメ、メッ!」
「はーい、ニャァン❤」
……随分と余裕じゃねぇか、クソ猫。
「しゃべれる猫なんて羨ましい……
ラリーはもしかして良い所の子なの?」
「そうよ、俺は何と男爵様の息子なのだ!」
どう。凄くない?
すると傍で聞いていたネザラスが「嘘つけ、バーカ」と、一言……なんでやっ!
「あはは、ラリー面白い!」
「え、そんな……」
「当たり前だ、チリ家なんて男爵家聞いた事もない!」
そんな、オラ嘘つく前から嘘つきですか?
「いや、それはいろいろ理由があって……」
「だいたい男爵様と言えば、バルザック家の様に大きな屋敷に住んでいるだろ。
こんなぼろ屋に来るわけないだろうがっ!」
いや、それは偏見だと思うんですが……
「げ―げー、ぐわぁぐわぁ(信じられないものは真実であっても、信じられることは無いから諦めろ)」
ぺ、ペッカー……たまにお前深いよな。
「ああ、そうか、すまんな……」
とりあえず空気を呼んでそうつぶやくと、ネザラスが一言「まぁいいさ。とにかく珍しいものを持っているのは間違いないんだし。剣の腕も本当に強いしな」と言った。
……褒められているけど、あれ?何故か、かばわれてないっすか。
俺がこうして釈然としない思いを抱いて佇んでいると、ネコの魔法がゆっくり柔らかい黒の気配を漂わせながら、ラーナちゃんの体を包み込んだ。
猫の目が銀色にポワーっと光り、そしてしばらく時間を経った後綺麗に消え去る。
「げぇ?(どう?)」
「ニャははは、お兄ちゃんが頑張ったせいで、少しずつ良くなっているニャ」
「え、何のこと?」
「ニャー、気にしないで良いニャ。
小僧、それはそうとちょっと付き合ってほしいニャ。
お前の作った服はどうも採寸が甘くて、脇の下に違和感があるニャ」
「それなら、家に帰ってから直してやるよ」
「今やってほしいニャ」
俺は「エーッ」と、言って断ろうとしたら、ネコは微笑みながら笑わない目で「今すぐ頼むニャ」と言った。
何かあるな?とピンときた俺は「しょうがないなぁ、悪いネザラス。剣の修業はまた明日な」と言ってこの家を辞した。
外に出て滑りやすい山道を下りながら、俺はポンテスに尋ねた。
「どうだった?病気の診断……」
猫は足もとでチロッと俺を見上げると、暗い声で呟くように答えた。
「だめニャ、肺の病気ニャ。
しかも不治の病の結核ニャ……」
「治らないのか?」
「魔法も効かないニャ、それにどんなに高い薬を飲ませても効き目がないニャ」
「そんな……何とかならないのか?
だってお前ら何百年も生きたんだろ?
凄い召喚獣のアルタームだって、昔言っていたじゃないか!」
「あれ、そんな事言ったかニャ?」
「確か、いつ言ったか覚えてないけど……」
羊の日じゃなかったかな?たしか……
ネコは“ふぅ”と一つ大きなため息を吐いてこう言った。
「確かにニャーは昔アルタームと言ったニャ。
だから方法があるのは知っているニャが……」
「だったらそれを教えてくれよ!
なぁ、あんな小さくてかわいい子が苦しんでいるのを見るのは耐えられないよ……
なぁ、頼む。俺達は兄弟みたいなもんだろ?」
そう言ってポンテスとペッカーの目を見ると、彼等は彼等で目を見合わせ、次に「はぁ……」と溜息を吐いた。
俺の肩でペッカーが言った。
「げーげーげー、ぐわぁぐっぐっわぁ(いくつか方法はあるけど、一番確実なのはエリクサーだけだな)」
「エリクサー?あの有名な……」
俺がそう言うとポンテスが驚いたように言った。
「知ってるのかニャ?」
「名前だけ……」
俺がそう答えるとポンテスが語りだした。
「エリクサーは、神薬ニャ。
作れるのは薬の神ジスパニオに認められた薬師だけが出来るニャ。
レシピ通りの材料を揃えて、神の加護がないと作れないのが特徴ニャね
20年に一度、満月の夜。
世界のどこかに現れる、忘却の洞窟に入り試練を乗り越えた後に、神の前に跪き“富も力も名誉もいらない、大いなる知恵が欲しい”と願い出たモノだけがエリクサーの調合師、エリクシールになれるニャ」
「か、カッコいい設定だな……」
「ニャ、カッコいいってどういう事ニャ?」
なんだろ、久しぶりにファイナルファ……う、頭が。
「どうしたニャ?」
「いや、なんでもない。続けたまえ……」
「お前、大丈夫かニャ?」
将来、俺も冒険の旅に出てもいいかもしれないと不意に思った。
まぁそれは良いとして、今はとにかくラーナちゃんである。
「そのエリクシールってどこに居るんだ?」
「実は6年前に死んだニャ」
「え?」
「昔のニャーの飼い主ニャ……」
ええっ、なんとっ!
「昔ニャーとペッカー先生は聖地に居たニャ。
そこで聖剣を守護する7匹の召喚獣、聖剣7友の一柱として活躍していたニャ。
トコロが何故か聖剣に選ばれた聖剣士が7歳にしてとんでもクソガキで、ニャー達は我慢できずに逃げ出したニャ。
で、普通のネコのふりをして街に紛れこんでいたら、薬の行商をしているおっさんに飼われたニャ。
それがエリクシールニャ。
なんでも夢でジスパニオに『この街角で出会ったはち割れのネコを飼いなさい』と、ざっくりした神託を受けたらしく、まぁそれで」
なるほど、知り合いから紹介されたと言う事か……ビジネスも宗教もそこは変わらんのだなぁ。
「だけど爺さんは言っていたニャ『人は生まれて死ぬのが定めなのだから、その様な力に溺れてしまうものはもう二度と作らん』って」
「へぇ、結構深そうな爺さんだな」
「どうニャろ?残されたものがどれだけ悲しいかも分からニャい薄情者ニャ。
だってニャーは悲しかったニャ。
ニャーがかわいいと言うニャら、自分の薬を自分で飲むべきだったニャ。
そうしたら……クソ小僧と会わなかったニャ」
「え、お前ここで俺をディスるの?」
「冗談ニャけどね、少しニャ」
「いや、少しじゃニャイ……あ、伝染った」
「にゃははははは!
ニャーは最初お前が嫌いだったニャが、今は好きニャ!
安心しろニャッ!」
「ああ、うんありがとう……」
なんだろう、温かいような、温かくニャイような……
「小僧、どうしてもエリクサーが欲しいニャか?」
「ああ……」
「しょうがないニャぁ……
だったら王都の実家の、一番大きな木の下にニャーが隠したニャ。
もしも帰る事があったらそれをくれてやるニャ!」
おお、ネコが立ち止まり2本足で立ち、ふんぞり返って俺に嬉しい事を告げた。
「げぇーげぇ(いいのか、形見だろ?)」
ペッカーがそう言うと、明鏡止水の表情で猫が言った。
「いいニャ、薬は誰かを治すためにあるニャ。
爺さんも本望ニャろ……きっとそう言うニャ」
俺達はそう言って帰宅の道を歩く。
過去のない生き物なんてない。
俺達はいろいろな過去を踏みしめ、そして今日は雪道とそこから来る出来事を踏みしめながら歩いている。
何故かこうして出会いながらだ。
猫もペッカーも、そして俺も誰かのために生きる事に何故か満足を覚えた。
それは自分のために生きる事とイコールであると思う。
少なくとも俺にとってはラーナちゃんとネザラスの家族の為にすることはそうだった。
もしかしてネコとペッカーは俺の為にそうしているのかもしれない、ソレに気が付くと、俺は心から彼等に感謝した。
……王都に帰る理由も出来たしな。
ガーブウルズは、まだ雪に閉ざされる、とりあえず……春まで俺は懸命に生きる事にしたよ。
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