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俺の騎士道!  作者: 多摩川
少年剣士誕生編
41/147

初恋よ……

明後日がパーティだと言うある日。


俺は学校が終わった後、マスターボグマスの代わりにマスターストリアムから剣を教えてもらうために、俺はママ実家である、バルザック家の王都の邸を訪れた。

一緒に兄貴も挨拶に来てくれ、彼はそのままこの屋敷の管理をしているという、バルザック一族に名を連ねる人の元へと向かう。

このため、兄貴と別れた俺は、そのまま応接室らしきところで待たされ、そこからこの家の事を観察していた。


ここから見える、バルザック家とヴィープゲスケ家。

同じ男爵家なのに随分と雰囲気が違う。

比べると、ウチは“雑”だ。

領地もないので領地管理の仕事なんてないし、新興貴族と言う事もあって累代の家臣なんて居ないので、ウチの屋敷で働く人は皆ヴィープゲスケの人間を特別視なんてしない。

つまりはただの雇い主だ。

こういう言い方がふさわしいかは分からないが、雇う側も雇われる側もフランクな関係も含んでいる気がする。

ところがバルザック家は、時折北の方言をしゃべる人もいて、王都(セルティナ)っぽくない感じの雰囲気の人が多いのも目に付くし、何より下の人が上の人に対して、此処までするのか?と言う位礼儀を払うのだ。

そしてみんな揃って寡黙である。

だからきっちり、しっかりした人の群れと言う印象が自分の中に付いた。

加えて、歩く人歩く人、人を何人か殺してそうな物騒な匂いがする人ばかり。

あの優しいママの実家とは思えない、なんか“武骨!”を造詣にしたらこんな感じと言わんばかりのバルザック邸の姿。

俺は徐々に、将軍の家として名高いこの家の様子に飲みこまれていった……


「やぁ、ラリー。来たんだね」


そうして言葉もなく行きかう人の様子を眺めていると、その人いきれの中からソードマスターのストリアムが現れ俺に声を掛けた。

目当ての人間が来てくれたので、俺は座っていたソファーから跳ね起き、頭を下げる。


「あ、マスター。今日はご厄介になります」

「いやいやこちらこそ、所でさっきお兄さん……あ、いや男爵から聞いたんだけど。

明日、明後日はこちらに来れないって?」

「あ、はい。どうしても家の行事が外せなくて」

「ああ、まぁしょうがないよね……

まぁ、分かった。じゃぁ今日しかないからこっち来て」

「はいよろしくお願いいたします!」


マスターストリアムはそのまま黙って俺を連れて、屋敷の外に出る。

しばらく歩くと屋外の練習場らしき場所に辿り着く。

そしてそこには木人と木剣、そして鉄の剣が壁に立てかけてあり、その傍に3人のおっさんが立っていた。

マスターストリアムが片手をあげながら親し気に近付くと、おっさんたちはその見た目と違い、明らかに年が下のマスターストリアムに頭を下げて敬意を表した。


……その様子にびっくりする俺。

ソードマスターがどれほど偉いのかを、まざまざと見せつけられた。

マスターストリアムは、俺をこのおっさんに砕けた口調で紹介した。


「ああ、この子がラリー君ね、エウレリア様の息子さんだから。

でもまだ修行中の身だから、ラリー君もこの人たちの言う事をよく聞くように」


そして次に少し狡そうな笑みを一つ浮かべると“ふ、ふふ……”と含み笑いを浮かべて言った。


「このおじさんたちの言う事聞かないと、ソードマスターになれないから、ずっとへたっぴになっても知らないからね。

じゃぁよろしくね」


そう言っていきなりここから立ち去ろうとする、ソードマスターに思わず俺が「えっ!あの……」と声を掛けると彼は足を泊めずに「俺忙しいから、じゃあね」と言った立ち去った。


(え、あなたが教えてくれるんじゃないの?)


そう思って戸惑う俺に、おっさんが命令した。


「おい、小僧!さっさとこっちに来いっ

修行の時間がもったいないだろうが!」

「ハイッ!今行きます」


とにかく縦社会の剣士の世界、上の人からそう言われた以上は、戸惑う事も早々に切り上げて、おれは彼らの元に向かう。

そしてしばらく木剣を振るっていたが、あっという間にダメ出しの嵐が吹き荒れる


「ダメダメ!全然だめっ!

筋肉が足りないよお前!」

「は、ハイっ!」


まず初めに彼らをがっかりさせたのは、俺の体つきの事だった。

決して同世代と比べて貧弱ではない俺だが、彼等にとっては満足が行く状態ではないらしい。

力が強いと言われて自信があっただけに、俺は戸惑うが……彼らの話ではこうだ。


「お前は剣を切り上げるのに必要な筋肉が無さすぎる!」


事実かどうかを知らない俺は、黙って彼らの様子を窺うしかなかった。

……まぁ、経験豊富な彼らがそう言うならそうなんだろうけど。

今気が付いたけど俺はこのおっさんたちの名前すら聞く間もなく、いきなり訓練に突っ込まれていた。

おっさんたちはそんなことを気にする気もないらしく、おっかない声で言った。


「剣は重いだろ?

だから上から下だと、剣の重さで上から下に引っ張られるから、簡単に力を乗せられる。

切り上げるんだったら、その逆だからもっと力をつけろ!」

「鍛えるのが足りてねぇ!

おまえはいったい誰に学んだんだ!」


マスターだよ!と。マスター未満のおっさんたちに言ってやりたかったが、そこはグッと我慢して「すみません……」と言うしかなかった。

バルザック家は聖騎士流の剣術の宗家、その宗家に仕える人から彼の悪口が広まれば、ボグマスに何か起きるかもしれない。

まぁ愚痴を言ってもしょうがない、黙って彼らが口にする理に耳を傾ける。

やがておっさん達は鉄の剣を俺に渡してこう言った。


「お前これを振れ、すぐにバテると思うけど……」


こうして俺は木剣よりもはるかに薄刃で、そして重たい鉄の剣を渡される。


「上から下、下から上に振っていけ!

その時上腕の“下の”筋肉に意識を集中させろ!」

「ハイッ!」


下から上に剣を振り上げると、普段使い慣れて無い、上腕内側の筋肉が瞬く間に悲鳴を上げた。

歯を食いしばって振り上げていくと、おっさんの要求がどんどんレベルを上げていく。


「当たった瞬間剣刃を振るわすな!」

「まっすぐ当てろまっすぐ!

そうしないと剣が鎧にあたった瞬間、刃が割れちまうだろうが!」

「は、ハイっ!」


慣れない重み、慣れない鉄の感触、そして筋肉の悲鳴……

それらが俺を苦しめる中、俺は彼らが言う事に、確かな理を感じて必死に剣をふるう。

柄を握る手に力を籠め、ひたすらに剣を震わせないように振り続ける。

それをおっさんたちが厳しい目で見つめ続けた。


それから時間が経ち、手から握力がなくなった。

腕も筋肉がパンパンに膨れる。

それでも歯を食いしばって振り続けるとおっさんの一人から「辞めっ!」と言う声がかかり、俺は剣を鞘に戻して直立不動の構えを取った。


「次は明々後日(しあさって)だ、自分でも必ず今日やってきたことは繰り返しておけよ。

サボっていたら直ぐに分かるからな!」

「ハイッ、ありがとうございました!」


明々後日って何?と思いながら素直に礼を言う俺。

そして彼等は満足したように頷き、この場を後にした。

俺はそのまま水飲み場に直行である、近くで噴水がちょろちょろと吹き上がっていたので、その噴水で豆が破れて血まみれの掌を洗って、軟膏をつける。

水に掌が触れた瞬間、痛みで目が覚めそうだ。


そしてここから周囲を見回す俺。

目に飛び込むのは歩く人歩く人、知らない人間プラス、男も女もなんか男臭い人ばかりな風景。

黄色と黒で彩られる、夕方の武骨な匂い。

この厳しさがみなぎるこの風景を見ていると、たった一日で不意に里心が付いた。

ああ、魔導大学の分校に帰りたい。

練習はハードだし、つらい事もあるけど、少なくともルシェルにイフリアネ……どの子にも華があった。

まだ来て2日目だけど女を捨てた女と、狂暴そうな男の群れから帰りたい。

そう考えて俺は首を振るった。


(いかんいかん、俺はソードマスターに成るのだ、成って立派な騎士家を立ち上げないと兄貴の下で働かないといけない。

それでもいいけど、やっぱり独立して稼ぐためにも強くならないと……)


そう思って俺は今日学んだことを、剣を握らず、その場で反復し始めた。

剣を握らなければ掌も傷まないし、何とかできそうである。

俺は静かに今学んだ剣の形をなぞり続ける。


◇◇◇◇


さて翌日になった。


この日は明日に備えてルシェルの家に挨拶に行く日である。

昨日と打って変わって、華やかなに一日だ!

おめかしして、ドキドキして、そして相当頑張って可愛くしたポンテスの絵と、やはり怖かったので店を回って選んだ可愛い猫のぬいぐるみを携え、俺は馬車で彼女の家へと向かう。


正直今回は頑張った、あの鬼婆共のせいで制作日を削ってしまったアホな俺は、改めてスケッチすれば良かった物を、そうしなかったのが(あだ)となり、不眠不休で画業にいそしむことになってしまったのだ。

こうして終わらせる為に色々と、想像上のウチのエロ猫要素を加えて、何とか間に合わせたポンテスの絵は、かなり丸い雰囲気の柔らかくてかわいい、それはファンタジックなものに仕上がった。


……で、コレを見て、俺は思った“こいつは誰だ?”と。


キャンバスの中の、プリティキュートな天使のような可愛さの、はち割れのネコを見て俺は違和感を隠せない。

とはいえ書いているときは一生懸命だったし、これを否定されるのはつらいなぁと思いながら、油絵を見る。

やっぱり自分で描いたのは失敗だったかもしれぬ……

……本命はぬいぐるみだよなぁ、やっぱし。


ガタゴトガタゴト、と揺れる馬車の中、どうしてもこの自作の絵の評価が気になってしょうがない俺は、喜ばれるのか戸惑われるのか分からず、勝手に不安にさいなまされる。

そうこうしているうちに、俺はルシェルの家へとたどり着いた。

ルシェルの家は王都にある大公家の敷地にある、立派なお屋敷だった。

ていうか今知ったんだけど、貴族街の6分の1は大公家の敷地だったんだ。

さすが王国内にある別の国である。


その敷地内に、大公に従う諸侯の屋敷が並んでいる。

アルバルヴェ王国の諸侯である、他の伯爵家とは違って、若干小振りに作られたと言われているが、なかなかどうして立派な屋敷が立ち並ぶのだ。

俺はルシェルの家の門番の人に通され、鉄の門の向こう側の屋敷に辿り着く。

そして、中で働く執事の方の出迎えを受けて、馬車から降り、そして家の中に通された。


「うわぁ……」


中に入ると、イリアンやシド、そして王宮とは違う別の美意識が家の中一杯に詰まっていた。

水色と白、そして緑が多い。

南の海に面し、広い領地をもつシルト大公領は、かつては豪傑バルザックにも出てくるシルト大公国が起源で、王国の結婚政策の結果、アルバルヴェの覇権の元、大公となって今に至る、家と言うか国であるである。

そのため彼等は先祖伝来の風習や習慣を今でも色濃く継承している。

軍事力によって征服されたわけではないので、自分たちのアイデンティティーを否定されたことがないのが理由だろう。

屋敷全体が海をモチーフにした内装で統一されている。


「ラリー!」


玄関の所で見事な内装に目を奪われていると、ルシェルが俺を呼ぶのでそちらを見た。

すると、可愛いドレスを着たルシェルがそこに居た。

いつも剣士らしい、汚れてもいいような服に身を包んでいるところしか見た事が無かったので、とっても新鮮だ。

顔を赤くして俺を出迎えた彼女に、俺は手にした絵と、ぬいぐるみを渡す。


「お誕生おめでとう」

「ありがとう、わぁ……嬉しい」


可愛いなぁ……初めて会った時、彼女とこんな感じになるだなんて想像もしていなかったけど、なんかいいなぁ。


「2つともラリーが作ったの?」

「へっ?いやいや、絵だけ……」


するとルシェルは俺の絵をまじまじと見て「ラリーは絵がうまいんだね……」と呟いた。

何故かそれを聞くと良心が痛む。

ごめんね、偽ポンテス3号で、コイツこんな天使な奴じゃ本当は無いんだ、実は……

俺は浮気者のエロ猫の為に何故か、胸をもやもやさせながら彼女に連れられて、彼女の父であるキンボワス伯爵に挨拶に向かう。

キンボワス伯爵は非常に若い男だった。


「初めまして、ゲラルド・ヴィープゲスケと申します」

「ああ、よろしく。フリード・キンボワスだ、さぁどうぞこちらへ……」


俺は彼に促されるまま、彼の真向かいの席に座る。

ルシェルが「お父様、先ほどラリーからプレゼントしていただきました」と言って、嬉しそうに俺の絵とぬいぐるみを見せた。


「へぇ、これは可愛い絵だ。まだ出来上がったばかりかな?」

「あ、はい。朝ようやく描き上げました」

「描いた?自分でかね」

「はい、自分で描きました」

「この猫は、有名な喋る猫かね?」

「そうです」

「フーム、こんなに可愛らしい猫が喋るのだから、きっと君も鼻高々だろうね……」


ぐおっ、罪の意識が!

昨日俺は色を塗る段になって『ダメだ可愛く描けない、こうなったら此処の毛の量を増やして、目も大きくして、口元も可愛く変えて……』と、あからさまな改造を施したのだ。

こうしてできたのがどこにもいない想像上のネコである、偽ポンテス3号である。

キンボワス伯爵は「もしよかったら今度連れてきてくれたまえ、可愛い猫とお喋りを楽しみたいんだ」と言った。

俺は目をそらしながら「そうですね、いつか……」と言って言葉を濁した。


……ウソがばれるから逢わせられません、絶対に。


「そう言えば、実は大公様より聞いたのだが、王家でもまた喋る子猫を最近飼い始めたそうだが、それはこの猫の知り合いかな?」

「え、ああ。どうやら息子のようです」

「ほう、では他にも喋る猫が居るのかな?」

「いや、いないみたいです」


それを聞くと伯爵はがっかりした顔で「そうか分かった」と言った。

 伯爵はその後どうやら忙しいらしく、すぐにこの屋敷から出ていき、俺は代わりに礼儀作法を教えてくれる、なんちゃら夫人の元でいろいろと教えてもらった。

どうやら飲み込みが良かったようで、すぐに開放してもらった俺は、そのままルシェルに招かれて彼女の部屋に入った。

絵は早速目立つところに飾ってもらえたようで、部屋に入るなりキラキラ目のウチのエロ猫が小首を傾げて俺を出迎える。


……なんだろ、やっぱりモヤモヤする。


「ラリーありがとね、絵とっても素敵」

「あ、うん……喜んでくれて何より」


罪悪感が、再び罪悪感が胸に迫る。

俺がそう思って一人胸の内で悶えていると、ルシェルが真っ赤な顔でこう言った。


「ラリーは凄いよね、剣も上手くなったし。

絵だってこんなにうまく描けるし」

「へ?いやそんなことは無いよ。

ポンテスは、こんな感じだったかなぁ……みたいに思って書いたんだ」

「凄いそっくりだよ!良く描けてるっ」

「そ、そう?ありがとう、エヘヘヘ……」


人生でこんなにも俺を褒めてくれた人はいない、初めての経験である。

だから嬉しくなって浮かれていると、ドレスのルシェルが、一瞬下を向き、そして意を決したように俺に顔を向けると、明るい調子で「なんで私が好きなの?」と笑顔で尋ねた。

思わず顔がかぁーッと赤くなる。

そこで何と無しにこう言った。


「可愛くて、スラーッとしてて、凛々しいからかな……」

「…………」


俺のそんな回答を聞くと、ルシェルはそのままベッドの腰かけると、うフフフと笑いながら足をバタバタさせる。

俺はふとそんな彼女の様子を見ながら、秘められた願望を口にすることにした。


「あの、ルシェル……」

「ルーシーで良いよ、ウフフ」


お、おお!俺ランクアップしたっ。


「あ、うん。ルーシー。一つお願いがあるんだけど」

「なに?」


俺はそのままごくりと唾をのむと、勇気を振り絞って言った。


「男性用のズボンと、男性用のシャツ。

あとヒールのついた靴を履いて見せてくれない?」

「はい?」

「きっと似合うと思うんだよ!」


俺はそう言いながら、なんかすごい変態チックなお願いをしている気がしてしょうがなかった。

ルシェルを見ていると、俺はいつも思うのだ、絶対似合うに違いない……と。

言い出しておいてアレだけど。

俺の顔が真っ赤になる、ルシェルは少し考えて「乗馬用のズボンとシャツで良い?」と言った。


「もちろんです!」


やったー、俺はなんかとんでもないお願いを成功させてしまったようだぞっ!

やがて彼女は部屋の外に行き、そしてしばらくしてルシェルは部屋に帰ってきた。

コツコツと硬いヒールの音を小気味よく鳴らし、入って来るなりポーズを決めたルシェルが微笑みながら俺に尋ねた。


「どう、似合う?」

「…………」


最高である、なんだろう……

フランスのバスティーユ要塞の前で「アンドレーッ」と叫んでいそうな女がそこに居る。

凛々しい、もう凄く凛々しい!

ヒールを履いたことで足もスラッとして見え、元々よかったスタイルが、核兵器並みの魅力に早変わりした。

そこで俺は「す、好きです、ルーシー……」と呟き、彼女が「もうやだぁっ!」と言いながら俺の肩をパシンと叩いた。


「私の事がそんなに好きなの?」

「う、うん……」


ヒールを履いたことで元々俺より背が高かった彼女は、まるで大人のような身長になる。

それがとってもまぶしく見える。

だのに彼女は俺がせっかく告白をしたのに、それには何も答えず、他の皆、つまり王子様やイリアンが今どんな挨拶をしているのかを、想像して俺に語り掛けた。

いつの間にか、お互いにベッドに並んで腰かけ、互いの学校の話、そして剣術学校の話で盛り上がる。

不思議と恋の話はしなかった、だけど俺は今すぐチューしたかったし、彼女を抱きしめたかった。

そこで西日が差し込むころ、ルシェルの目の奥を見つめ、そして不意に会話が途切れた時、意を決して顔を近づける。


「だめだめっ!危ない、危ないっ!」


そう言って俺は彼女に突き飛ばされた。

ベッドにポフッと沈められた俺は、そこからルシェルの様子を見ると、嫌がる様子もなく、ニマニマと笑う彼女の横顔を見つめる。


「……うふふ」


ルシェルはそう含み笑いを浮かべる。

そして次の瞬間俺に傍の枕やぬいぐるみを投げつけ、そして俺もそれを面白半分に投げ返した。

二人でじゃれ合う夕方、俺はきっと上手く行くよね?と自分の心に念を押しながらこの幸せな時間を、幼い女の子特有の乳臭い香りに包まれて過ごした。




その後すぐにルシェルの家を辞去した俺は、馬車に乗って家に帰ったはずだがあまり良く覚えていなかった。

そして自宅に帰ってぼんやり暖炉の前に座り、燃える薪ストーブの炎を見ていると、なぜかママから声を掛けられた。


「ラリー、大丈夫?」

「へ?何が……」

「帰ってから、ずーっと暖炉の前にいるけど……」

「え、今何時?」

「もうあなたが寝る時間よ」


そんな馬鹿な!だって俺今さっき帰ってきたばかり……

おわっ、屋敷の中まっくらやんけ!

俺はこの時初めて自分が我を忘れるほど、昼間過ごした全ての時間に心を奪われていることに気が付いた。

時間も忘れて薪ストーブを見つめ続けたのが、その証拠だろう。

自分がおかしくなったと自覚する。


……つまりはそういう事だ。


俺は恋の魔力に憑りつかれてしまい、時間の概念を無くすほどに初恋の君に夢中になったのだろうか?

そして明日の事で頭がいっぱいになる、明日は彼女を迎えて大学の開校記念パーティに参加するのだ。

俺はルシェルに会うのが楽しみで怖くて、どうしたらいいのか分からなくなる。

好きだと言ってくれなかったけど、俺のことどう思っているのかな?

もうそんなことしか考えられなくなっていた。

だからかもしれないが、ふと100円ショップ以外はぼったくり!と言う大名言を残したケチ……いや偉大なイタリア人聖マルコの言葉を必死になって思い出そうとしていた。

何といっても200人の女の子と付き合ったという男である、きっと彼の言葉に上手く行かせるヒントがあるはずなのである。


俺の記憶の中の聖マルコは……片言でしゃべれば良いと言った。

だから……それは嘘だと、気が付いた。

さすがに無理がある……


そうこうしている内に意識は薄れ、そして夢の中に落ちた俺。

……朝はすぐに訪れるはずだった。


◇◇◇◇


ゲラルドが幸せな気持ちで浮かれていた時、パパさんこと、グラニール・ヴィープゲスケは明日の準備に追われ、大学に泊まり込んで働いていた。

明日のスピーチ原稿の確認、式典の飾りつけの確認。

心配性の彼は幾度となく確認を繰り返す。


コンコン……

彼が居る理事長室の扉を誰かがノックする。


「男爵様、夜遅くまでご苦労様です」

「ああ、エリコか」

「うふふ、いよいよ明日ですね」

「ああ、これからがきっと本番だ」


パパさんがそう言うと、彼女は手に持ったコーヒーをそっとパパさんの手の前に置き、そしてそのまま自分の手をパパの手の上に重ねた。

思わず息をのむパパさん、エリコはパパに優しく微笑みかけ、熱の帯びた視線を送りながら「きっと男爵ならうまくやれますよ……」と囁いた。

エリコの手はパパの手の甲をやさしく撫でまわし、そして不意に「キャ!申し訳ございません、私ったらつい癖で」と言ってこの場から離れた。


「申し訳ございません男爵様、失礼します」

「あ、ああ。気にしてないよ、お休み……」


こうして扉を閉めて出て行ったエリコの様子を思い浮かべるパパさんは、嬉しそうに笑ってコーヒーを飲み始めた。


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