三つの貴婦人(前)
俺はどこか色の欠けた風景の中、花嫁を連れて歩いていた。
俺は今日行われる悲しい出来事を知っていて、それで彼女をその場に連れて行かねばならなかった。
……ひどく悲しかった。
すすり泣く俺は、露払いとして彼女を先導して歩いていて、背中の彼女の顔を見る事が出来ない。
……申し訳なかったのだ。
俺が歩く道は焦げるほどの強い日差しが、常に降り注ぐ街路で、白く輝く石畳がやけにきれいに見えた。
背後の彼女を連れてどれほど歩いただろう?時間も距離も分からないが結構な距離を歩く。
そして気が付くと周りにたくさんの老若男女が集まり、背後の彼女に頭を下げた。
……まるで信仰の対象のように、手を合わせながらだ。
目的の祭壇にたどり着くと、彼女は俺に言った。
「ご苦労、お前の忠誠は忘れない」
「……今から逃げましょう、命を懸けて道を開き……」
「するな、王剣はこの世にあってはならない。私が剣をこの世から隠すのは役目だ」
「う、うう。許してください。
告白します……お慕い申しておりました」
「…………」
俺が泣きながら数年間誰にも言えなかった秘密を告白すると。彼女は黙って微笑み、そして頷くと「ありがとう……」と呟いて祭壇に向かった。
祭壇には何時の間にか神官が現れ、そして彼女を手招きする。
静かに、緊張を背中に走らせながら、彼女はその仕草に従う。
やがて神官の前に立つ彼女、純白の花嫁衣裳が風ではためく。
抜けるほどに白い肌、緑色の宝石のような目、その輝きが花嫁衣裳の奥からも透ける。
美しく、輝くような新婦。
……強い意志を秘め、神官を睨みながらもどこか儚い表情。
それがますます悲しい、そして何故か思った。
(本当に神官はあの恐ろしい所業に手を染めるのか?
そんなことは起きず、ただ結婚式が行われるだけなのではないか?)
頭の中ではこの後何が行われるのかを知っているのに、その様な事を考えた俺。
……結婚式は慶事である、今日もその雰囲気に満たされているじゃないか。
そんな固定概念と、場の空気に俺は邪魔され、自分でも判る位に頭の中が曇る……
不意に悲しみが心から抜け落ちた。
彼女の隣には……新郎の代わりに抜身の剣がある。
黄金色の剣、下品な印象はない、清らかな白い光をまとう金色の両刃の剣。
神官の前に立つ彼女はその剣を見下ろすと、一つ溜息を吐いてこう言った。
「速やかに頼む、もう思い残すことは無い……」
神官は頷くと新郎の立つ場所に、そっと立て掛けてある剣を手に取り、彼女に告げた。
「許せスマラグダ、主神サリワルディーヌが望んで居る。
サリワルディーヌを裏切ったラドバルムスを倒すには、フィーリアを倒すことができるこの剣を隠すしかないのだ……」
「……話は知っておる、どうせ他に選択肢はないのだろう?
だったら速やかに行うが良い、それからサリワルディーヌに言っておけ。
……お前を許す、事は無いとな」
それを聞いた神官は何も言わず手に黄金色の剣を手に取り、そして深く腰だめに持つと、剣を女の腹に突き立てた!
誰も迷いが無かった……
一瞬、俺は何も考えられなくなり、多くの死をこの手で作ってきたにもかかわらず、それが現実とは思えなくなる。
……何故か悪い夢だと思った。
「あ、ああ……」
貫かれた彼女はその花嫁衣裳の奥から、俺と目を合わせた。
そして何かを言おうと口を開きかける。
しかしこの身を貫く激しい痛みで痙攣し、何もしゃべる事が出来ない。
そして……わずかに手を俺に差し伸べた。
俺は夢中で駆け寄り、手を取ろうとする。
……手は俺の前で力なく落ち、そして彼女宇は口から血を流しながら、この場に崩れ落ちた。
「ああ、ああ、ああああああああっ!」
俺は叫んだっ、心臓に痛みが走った!
涙が目からあふれた、頭を抱えてただ慟哭した。
悲しくて叫んだ、そんな俺を一匹の鳥が冷ややかに見てこう言った。
「そんなに悲しいなら、どうしてあの女を騙くらかしてでも、アイツを連れて逃げねぇ?
お前は馬鹿だ、あの男の共犯者なんだぞ。
いまさら後悔してるのか?
失ったあの女の為に泣いたらお前の罪は消えて無くなっちまうんか?
お前さんは、明日雨が降るというのに傘を用意しなかった愚か者と変わりがねぇよ。
時計の針を戻して、今度こそあの女を連れて逃げるんだな。
……できる出来ないの話じゃねぇ、それを目指さなきゃ、お前さんずっとあいつらの片割れだぜ?」
俺は声のした方角を見て言った。
「バッカス、できるのか?
それが俺にできるのか?」
「やり方は知らねぇ……」
鳥はそう言うと空に飛び立った、情けない俺を見捨てて、大空に。
鳥は二度と現れなかった、殺された彼女はいつの間にか消えうせた。
俺は時計の針を戻す方法を探して歩き始めた。
◇◇◇◇
俺は夢を見ていた、なんという夢を見たのだ……そう思って顔を上げると目の前に、昔一度見た女がそこに居た。
黒い髪のひどくグラマラスな美人さんである、青森県出身の知り合いに似た、目鼻がきりっとした顔だった。
彼女は俺に微笑みかけるとこう言った。
「久しぶりかしら?
それともたまに夢で逢う?」
「あれ、どこかで会った……」
「ええ、あなたを別の世界に連れて行きました……覚えていますか?」
「ああ、自分が何者だったのかを思い出したところです。
時間を戻したい、戻す方法があれば……」
そう言えばこの女は誰だったか?
思い出すこともできず、ぼんやりと寝起きのどこか陶酔した頭で考えながら、俺は馬鹿みたいに素直に答えた。
……そんな俺に目の前の彼女が言う。
「戻すことはできません、ですがいいお知らせです。
彼女は生きてます、間もなく封印がほどける……ですが誰も信じてはいません、この世界を、その怒りで満たしていく事でしょう」
「あのお方が怒るのはもっともです。
私もあの方の手助けをしたい、こんな世界は腐っている……
一度すべてを粉々にして、今救われない者も救われるのならば……
私は破壊神と呼ばれるものも、この世に必要な存在であるように思えてきたところです。
ごくわずかな者の為、あれほど多くの理不尽なる死が積み重なるのであるならば……
世界は全く新しいものに創造しなおさなければ……」
「……恐ろしい男。
でも、あなたが怒るのはもっともでしょう。
ですがあなたの真の怒りは、憎しみや悲しみからきている。
でも、怒りをなくす方法を私は知っている。
いいですか?
スマラグダを自分の物にしなさい」
「?」
「聞こえなかったのですか?
あなたはどうやらあの女と会うのが運命のようです、会えば情も湧くでしょう。
あの女と共に暮らしなさい、そして二人とも私への恨みを忘れるのです……」
今の一言で、俺はこの女が何者であるのかを思い出す。
呪われた戦女神、愛を玩弄する黄泉の国の女神……
仕えていた姫を殺し、我が祖国を滅亡へと追いやった呪わしき邪神。
憎んでも憎み切れない、我が全ての仇!
「フィーリアっ!貴様っ、貴様よくも私の前に姿を現したなっ!」
フィロリア全土で崇められる、邪神がそこに居る!
フィーリアは怒りをあらわにした俺に、無表情な顔を見せ、平静を装う様な冷静な声で答えた。
「大事な用があるのです、無ければ私もあなたの前に現れませぬ……」
「よくも私を騙したなっ!」
「なんの話です?
全てを私は正直にお話ししました。
王剣が隠れた後、私を害するものは無くなりました」
「なにっ?」
「サリワルディーヌも私を我が物とし、願いをかなえました。
その後彼は別の世界に旅立ちましたが、私を咎める事もしません。
ラドバルムスを除いては、皆納得している筈です」
「ふざけるな、貴様が余計な野心を抱かなければ、私は姫を失わずに済んだ!
お前は聖地を我が物とするべく、お前を傷つける事が出来る王剣をこの世界から隠したのだ!」
「お待ちなさい。
話を聞くのです、騎士アキュラ。それとも矢島さん?
……話を聞いて下さい。
ラドバルムスは罪を犯しました。
彼は主神サリワルディーヌを排除し、自分が聖地の主になろうとしたのです。
罪深い彼がサリワルディーヌや、私から咎められるのは当然だと思いませんか?」
「そのために、あれだけ人を殺す必要があったというのかっ!」
「そうです、そうでなければ彼を止められなかった……
私もそれをやりたくはなかった。
だけれども聖剣に対抗できる剣が存在すれば、勝利は遠のき、結果もっと多くの人が死んだことでしょう。
あれが一番マシなやり方だったのです」
「その結果聖地の主は貴様になった!
皆お前に騙された!
野心ある貴様の悪意に皆騙されたのだ!」
「私にそのつもりはありません、ただ結果的にそうなっただけです」
「ふざけるなフィーリア、姫を返せ、祖国を返せ!
私から奪った全てを今返せっ!」
「……あなたの言いたい事は分かりました。
その望みは半分は叶い、そして半分は叶わないでしょう。
……フォーザック王国は滅びました。
あなたが仕えてきた王国です、今あるのは聖フォーザック王国で名前が良く似た別の国。
それを戻すことはできません、残念ですが……」
「…………」
俺は沈黙し、代わりに奥歯を噛み締める。
そんな俺の様子を注意深く観察しながら、フィーリアは言葉を続けた。
「そしてもう半分……スマラグダ姫は間もなく復活します。
喜びなさい、もう彼女は姫ではありません。
あなたが望めば、彼女はあなたの物に……」
「何を言う!姫は私の……」
「騎士アキュラ……
あなたが彼女を我が物としても誰が咎めるというのです、あなたはそんな滅んだ国に義理立てをしてもしょうがないでしょ?」
「その様な事が許されるものか!」
俺がそう言うと、女神フィーリアの顔が憎悪で歪んだ。
そして上から俺を隠していた傲慢な瞳で見降ろし、怒気の孕んだ声で呟く。
「ふん、なんと頭の悪い男……
何を言うかと思えば……下らぬ。
義理立ては美しいが、度が過ぎれば滑稽を通り越してただただ不愉快!
頑迷なあなたにハッキリ申しておきます。
あの国はラドバルムスに下った、そしてあの女の封印を解き、ラドバルムスに王剣を差し出そうとした。
私が私を守るために聖戦を望んだとして、それがいったい何の罪だというのだ!」
「やっと本性を露わにしたな、フィーリア。
無実の者をあれほど殺した貴様を、私は決して許しはしない!」
「……名高き騎士のアキュラ・リンドス。
頑固で滑稽な、実に下らぬことに囚われ続ける情けない男よ。
もう一度言う、スマラグダを手に入れ、それで満足をなさい。
失ったものはもう戻ってこないのです。
だけど……償う事はできる。
また後悔するのですか?
転生はこれで2度目なのですよ……」
「?」
「やれ、覚えがないようですね……
あなたは一度目は傷つき、疲れ果てて逃げだすように、そして二度目は退屈から逃げ出すように転生をした。
……海があなたを引きずり込んだのではない、あなたは顎で使われる生活から逃げ出したくて、海に向かったのですよ。
まだ知らないふりをするのですか?
……お前は、逃げてばかりいたのです。
さぁ、私に復讐するのを諦めなさい」
「な、な……」
「運命が……お前を運命が導くでしょう。
その時お前が何を選ぶのか、私はそれが楽しみです。
ごきげんよう、王剣士アキュラよ……」
◇◇◇◇
パッカーン
兜の上から誰かに殴られ、俺は響き渡る金属音で目が覚めた。
「起きろ!こんな時に眠る奴があるかっ」
「うわぁっ!」
目が覚めると俺は土埃と観客の声で満たされた練兵場の、ベンチに居た。
「はれ?女神さまは……」
俺は目の前に居る、額に青筋を浮かせたボグマスと、ニヤニヤと笑う友人達ばかりなのにびっくりして思わず呟いた。
ボグマスは、ゆっくりと、抑制の利いた声でこう言った。
「お前……これから決勝なのに」
次の瞬間練兵場全体に響く声でボグマスが絶叫する。
「どれだけ大物なんだ貴様ぁぁぁっ!」
ガン!と鳴り響く鉄拳の音。
鼻頭から響く激痛。
こんな風に殴られながら、自分が今どこに居るのかを思い出した。
……今俺は、参加した剣術大会の決勝戦に臨もうとしているのだ。
アルバルヴェ王国新年の剣術大会、8歳の部門の最終戦。
間もなく俺は呼び出され、そして決勝の舞台に上がる事になる。
全国の少年剣士が集まるのは10歳の部からなので、自分は王都の少年剣士と戦う。
例年派手な大人の部門と比較して非常に地味なカテゴリーになるのだが。
今年に限っては、注目が全くないかと言うとそうでもなく、逆に非常に注目を集めていた。
理由は大きく二つある……
実は貴族の子弟が、ガチで騎士階級出身の子弟と優勝を争うのは、実に20年ぶりで。
ましてやもし優勝となれば24年前の、俺が会った事が無い叔父さん以来なのだという。
もう一つの理由だが、俺達ボグマス門下生は、王党派貴族の超名門貴族の子弟が席を並べている。
まぁそう言う事もあって、パパやそのお友達、そしてシルト大公家の貴族を総動員して、伯爵達は観客席の半分を埋め尽くしたのだ。
そしてもう半分の観客席は、騎士たちが占有する席である。
こちらも貴族たちにも負けじと大盛況だ。
……まぁ、これにも理由があって。
6歳の時に起きたあの未解決事件。
あれがいまだに尾を引いているのだ。
俺は“最上級生白塗り路上晒し事件”以来、事あるごとに騎士の子弟と対決してきた。
……目をつけられたのだ。
そこでウチの親分であるフィラン王子にこの事を相談すると、彼はむしろノリノリで「それなら僕達も集団を結成し、彼らと戦おう!」と言い出した。
……昔から比べると、だいぶ過激な性格に育ったもんである。
こうして貴族街を縄張りにして、子供達、と言うか自分たちの遊び場を守る“チリ少年剣士団”が結成された。
こうしてこの2年間は、騎士の子弟と、貴族の子供達との間で諍いが絶えない日々となった。
もともと貴族と騎士は仲が悪い、それに拍車をかけて争う俺達。
特に連中は頑固で、幾ら俺が犯人ではないと言っても俺を蛇みたいにつけ狙う!
……あ、ちなみに真犯人は俺だ。
そしてあれから1年半、舞台は整い今日もあの事件以来続く因縁の対決の、新しい一ページが開かれる。
俺が決勝の舞台に姿を現すと、一斉に観客席に居る、貴族の子供たちから歓声が上がった。
「ラリー!あの生意気な騎士共なんかぶっ殺せぇっ」
「貴族街の誇りを見せつけるんだぁっ!」
オッケー皆、実力であの偉そうな体育会系の脳筋をブチのめしてくるよ。
散々絡んできやがる、あの腐れ騎士(子供)共め……
さて話を少し脱線させて説明しよう。
騎士と貴族がなぜ仲が悪いのか?
答えは簡単で、自分が仕えている貴族以外は全部商売敵だからだ。
例えば貴族Aに仕える騎士が居る、一緒に戦争に行って貴族Bが活躍して、自分の主である貴族Aが活躍できなかったらどうだろう。
……当然業績が悪いよね。貴族A。
王様だって報酬をあまり払わないよね。
王と貴族の関係とは、フランチャイズとその下に居るフランチャイジー各社と関係がそっくりなのだ。
コンビニに置き換えてもらった方が分かりやすいと思うが、自分のコンビニの傍に同じブランドのコンビニが出来たらそいつは……仲間じゃなくて敵だよね、売り上げ落ちるし。
……お客さん、奪い合うよね?
貴族にとっては客が王様ただ一人だというだけの事で、別に大まかな構図は変わらないのだ。
故に騎士は自分が仕えている貴族以外の貴族は、基本何かあったら邪魔する存在である。
もちろん個人的にリスペクトされる男力のある貴族もいるが、無い奴も多い。
ホーク将軍のようにすべての男から、敬われる人間はむしろ例外と言える。
騎士たちにとって他家の貴族とは……
俗な言い方をすると、自分にとっては得な相手ではないという事だ。
親しみを持てという方が無理な話である。
とはいえ、騎士はスポットで他の貴族にやとわれて戦争に参加することも多い。
いわば副業だが、これは王国の法律で認められた騎士の権利でもある。
とはいえ自分の主家をないがしろにすることを咎める法律もあるので、実際にはケースバイケースではある。
まぁこういう慣習法があるので騎士は何かというと他家の戦争に参加して、足りない生活費を稼いでくることが決して珍しくはないのだ。
そして、それを可能にしているのが騎士たちの間で広がる“横のつながり”である。
騎士は西の市街地、通称騎士街に住んでいるものが多い。
家も近所なので、騎士家同士で婚姻を結んでいる場合も多く、仕える家を横断しての付き合いが盛んだ。
何故なら仕える貴族家が他の貴族家と水利権や領土紛争を起こした際、急遽戦士を募集することがある。
争いごとが起きた場合……もちろん人は多い方が有利だから、自分の所で雇用している人以上に集めたいと貴族様は思う。
そんな時、貴族様から騎士たちに『お前の知り合いで戦える人間はいないのか?』と尋ねる事がある。
こんな時モノを言うのが“横のつながり”である。
その日、もし他家の戦士の誰とも接点がなかったら、その騎士は人集め、無理だよね?
ボスの期待に応えられないよね?
だから互いに何かあったら、スポットで働くよ!と約束をしあうのだ。
騎士Aはボスの為に人が集まってハッピー、騎士Bは副業でまとまったお金が手に入るのでハッピーと言う訳だ。
こうして騎士たちはその日の為に『俺とお前の中だろ?任せろ!』と言ってくれる親戚や友人を増やす。
だから騎士は騎士同士、貴族家を横断して同じ階層内で助け合う。
まぁこういうのが騎士の世界である。
……ボグマスめ、2年前にこんなバックボーンがあるのによくも俺達をあんなクソ学校に放り込んでくれたぜ。
連中がボグマス達の姿が見えなくなった瞬間に、俺達をなんで目の敵にしたのか、その訳を知ったのはついこの前だぞ……
アイツらのほとんどが、王党派じゃなくて、もっと小さな貴族へ仕える騎士たちばかりだったじゃないか!
俺等の事を大事にしないのは当然だよ!
王党派と全く関係がない連中ばかりなんだもの。
まぁ、いい。今はとにかく目の前に敵をやっつける事に専念しよう……