『不死』の天恵
「我は永遠なり。無限なり」
うわごとのように繰り返すポル・ポトに、日本刀を叩き付ける。筋繊維がむき出しになった腕が、それを受け止める。ぶちぶちと筋肉が千切れるが、ダメだ。致命傷にはほど遠い。
「どういうこと!? あれでどうして生きていられるっていうの!?」
ずっと背後で、ハイパティアが動揺の悲鳴を上げているのが聞こえた。
確かに、彼女にはわからないだろう。
オズワルドと相対した俺にしかわからないのかもしれない。
いくらポル・ポトが前世で邪悪をなしたといっても、ぐずぐずの肉塊になっても動き続けるなんてことがあるはずがない。
生物学的に間違っている。
ならば、超常の力が働いていると考えるのが道理。
おそらく、『オズワルドが異様に幸運だった』のと同じようにして、『ポル・ポトは絶命しても戦い続ける』と考えるべきだろう。
絶命しても戦い続けるというのは正確ではないか?
もっとシンプルに『死なない』というのが正解か。
言ってみれば、『不死』の天恵。
「救いを受け入れよ……」
「うるせえな! お前こそ死を受け入れろ!」
どろどろの肉塊になっても、ポル・ポトの動きは衰えない。気を抜けば、即死の緊張は続いたままだ。
だが、ここで俺が撤退するわけにはいかない。
俺がここでポル・ポトを引きつけておかないと、後ろの仲間が狙われる。俺ほど闘い慣れていない仲間がポル・ポトに狙われれば被害は拡大する一方で、ならば俺が少しでも時間を稼ぐのが望ましい。
暴風雨のような乱打を紙一重で回避しながら、俺は思考を巡らせる。
おそらく、ポル・ポト本人はここまで醜悪なクリーチャーに成り果てる可能性は考えていなかっただろう。
比喩でなく文字通りの意味で、『死んでも世界を救う』という思想を持っていたのだと考えられる。
そう、文字通りの意味で『死んでも』救いを得ようというのがポル・ポトなのだ。
死んでも相手を殺して、死の救いを与える。
となれば、どうしたらポル・ポトを止めることができようか。
不幸中の幸いがあるとすれば、すっかりポル・ポト親衛隊が姿を消していることだ。仮に彼らが銃撃などで援護してきたら事態は最悪だった。恐らく、既に逃げを打っているのだろう。彼らとしても、こんな姿に成り果てた主人をあがめるのは本意ではあるまい。
1対1なら、なんとか凌げる。
ポル・ポトの姿は俺と戦っているうちにみるみる崩れて、今や鮮血にまみれた魔人のようだ。さきほどまでの姿の面影は、ほとんど服装からしか読み取れない。
状況から言えば、俺がポル・ポトの攻撃を避け続けて押し込んでいるとも言えるが、実際には逆だ。ポル・ポトの攻撃がクリーンヒットしたら即死なのはもちろんだし、隙を与えたら投石で後衛の仲間が殺されるので回避に徹することもできない。
行き着くところはじり貧だ。
「現世は生き地獄。ルドウィジアは煉獄。ならばその先にあるのは救いである。受け入れよ。運命を」
ぬるりとポル・ポトの腕が予想外に伸びる。筋繊維が崩れているせいで、可動域が広がっているのだ、と気づいた時は手遅れだった。まともに拳が腹部をとらえて、メリッと腹部の臓器が潰れる嫌な感触があった。
「危ないっ」
臓器が潰れる寸前で、飛んできたイザベラが俺を掴んで無理矢理引きはがした。
「無事だった?」
「致命傷は免れた」
実際のところはわからない。もしかしたら、俺が気づいていないところで臓器が致命的な損傷を負っているかもしれない。
しかし、まだ立っていられる。まだ戦える。
それだけは事実だ。
「後ろは? ケイトやハイパティア? アスクレピオスの連中はどうなっている?」
ポル・ポトの様子を慎重に伺いながらイザベラに聞いた。
イザベラが助けに来たことで、自分の全身が汗でびっしょりと濡れていることに気づいた。手の中で、剣がぬめって取り落としてしまいそうだ。今まではそんなことに気づく余裕すらなかったのだ。
「まだ、もう少し時間がかかる」
「わかった」
俺は額の汗を拭う。
「すまん、イザベラ。もう時間を稼ぐのも俺一人じゃ持ちそうにない。力を貸してくれ」
「もちろん。ノーリを独りになんてしないよ」
イザベラはナイフを両手に構えて、思案する表情を見せる。
「投げナイフは危ないよね。投げ返されるリスクがある。チェーンも、絡めちゃうと逆にこっちが引きずられるしノーリの攻撃でも効かない以上、あたしの腕力がまともに通るはずがない……」
うーん、と考え込んでから、イザベラは両手にナイフを握ってつっかけた。
「合わせて! ノーリ!」
「ああ!」
微妙にタイミングをずらして、二人で攻撃を仕掛ける。
イザベラは華麗な身のこなしで、ポル・ポトの反撃から身を交わし、ナイフを叩き込む。
さらに俺が反対側から攻撃を仕掛けることで、ポル・ポトの反撃を封じる。
よし、いける。
ようやく光明が見えてきた。
「イザベラ! できるだけポル・ポトを細かく刻め!」
「ええ! 任せて!」
俺の意図をすぐに察して、イザベラはポル・ポトの攻撃を羽毛のようにかわしながら右腕の手首を切り落とした。
びっと音を立てて飛んだ手が地面に転がって、動かなくなる。
いくら死ななくても、肉体が無から再生するわけではあるまい。
今戦っているポル・ポトの肉体も、投石でバラバラになった身体が集合したものだ。
ならば戦えないサイズまで切り刻めばいい。
一人ではできなかったが、二人でなら。
「まずは腕からだな!」
腕さえ切り落とせば、攻撃手段はかなり限られてくる。振るった一撃が、ポル・ポトの左腕の肘から先を切り落とした。再び癒着されないように、切り落とした腕は遠くに蹴り飛ばした。
勝てる!
勝てるぞ!
「次はこっち!」
めちゃくちゃに振り回す腕をかいくぐって、イザベラのナイフが上下からポル・ポトの肩を挟みこんで分断した。
「次は足!」
斜めから切り落とした刀が、ポル・ポトの足首を飛ばした。バランスがとれなくなり、胴から倒れ込む。
これ以上暴れないように、その上から刀を突き刺して虫のように地面に縫い止めた。
「これで俺たちの勝ちだ!」
今度こそ勝った。
そう思った瞬間、視界の隅からポル・ポトの腕が飛んで来て、俺の首を締め上げた。