炎の中に消えぬ
地面から飛び上がったポル・ポトの腕だけがギリギリと万力のような力で俺の首を締め上げた。
嘘だろ?
腕だけでも動けるのか?
腕だけになっても、『不死』の天恵を維持して死の休載を与えるために活動を続けるのだとしたら?
だとしたら、何をすれば、この敵を倒せるんだ?
常識はずれの握力で喉が締め上げられ、呼吸がつまり意識が混濁していく。
同じように、反対側の腕がイザベラの喉を締め上げていて、イザベラは既に顔が紫色になって地面に倒れ込んでいる。
立っていられなくなって、地面に倒れ込む。
霞んだ視界で、地面に縫い止められたはずのポル・ポトの胴体がめりめりと日本刀に身体を引き裂かれながら起き上がった。
「ああ……死ぬかと思ったよ」
ずるずると不気味な音を立てながら、ポル・ポトの両腕から肉が盛り上がる。
「だが、死ぬわけにはいかない。君たちを救うまでは」
両腕と片足を切り落としたはずなのに、気がつけばポル・ポトは五体満足の肉体で平然と立っていた。
無から肉体を再生する能力。
信じがたいが、目の当たりにすれば認めるしかない。
ポル・ポトはそういうものなのだと。
『運命の道標』か、それに類する存在がそういう力を与えてしまったのだ。
「君たちには最大限の敬意を払おう。そして、救いを受け入れよ」
「まだ……負」
負けてない。
そう言おうとしても、身体が追いつかない。地面に倒れ込んだままで、必死で日本刀を握りしめることしかできない。
そうこうしている間にも、意識はどんどん霞んでいく。
どうか、俺たちが時間を稼いでいる間にケイトやハイパティアが逃げて仰せたことを祈る他ない。
俺が命がけで戦ったことが、どうか意味がありますように。
前の世界のように、意味がない死は嫌だ。
せめて、仲間の盾になって死にたい。
時代の礎となって死にたい。
それがダメなら、誇りを見せて死にたい。
それができたなら、たとえ死んだとしても意味があったと思える。
「ーーなんて馬鹿なことは考えていないでしょうね!」
俺の意識に、ケイトの声が割り込んだ。
「生きるのよ! 石にかじりついてでもね!」
バチッと火花の散る音がして、ポル・ポトの身体が炎上した。
「ハイパティア! イザベラのほうを助けてあげて! 私はノーリを見るから!」
ダメだ。
来てはいけない。
ケイトやハイパティアが来たら、ポル・ポトに殺されてしまう。
それでは俺が盾になった意味がない。
早く、逃げろ。
「……はッ」
急に呼吸が楽になった。
「大丈夫? ノーリ。立てる?」
ケイトが気遣わしげに俺の顔を覗き込んでいた。長い髪が顔にかかる。
「すまない」
そう言ったはずだったが、うまく声が出なかった。げほげほと激しく咳き込んで、再び息を吸い込む。
ケイトは俺に手を貸して起こしてくれた。
「ありがとう、ケイト」
「どういたしまして」
ケイトが微笑む。
どうやら、ケイトが俺の首を締め上げていたポル・ポトの腕をナイフで切り開いて無理矢理はがしてくれたらしい。
同じように、救出されたイザベラが向うで咳き込んでいる。
「ポル・ポトは……」
「今、そこで燃えてる」
見れば、ポル・ポトの胴体が激しく炎上している。何かを求めるようにもがいているが、すぐに立っていられなくなり地面に倒れ込んだ。それでも何か苦悶の声を上げているのが聞こえたが、それも声帯が焼き切れたのかやがては聞こえなくなる。
ケイトは脚でポル・ポトの腕を蹴飛ばしてその炎渦に放り込んだ。
「燃やしたのか……ポルポトを」
「そう。ごめんね、お待たせしちゃって」
片手で手刀を作り、ケイトは謝罪のジェスチュアをした。
「ありがとう。あなたとイザベラのお陰よ」
考えてみれば、単純過ぎるアンサーだったのかもしれない。
燃やし手しまえばいい。
ただの肉塊に成り果てて、無限に動き続けるポル・ポトも燃やしてしまえば動けない。魂や超能力の問題ではなく、炭化してしまえば動けないのだ。
「ちょっとした炎ならば、すぐに消化されちゃったんでしょうけどね」
「油をかけたのか?」
「ええ、そう。元々はカタパルトを使う際に潤滑剤として使えるかもっていうだけで、偶然ハイパティアが持っていたんだけどね」
人間は水分が多いので、ただ火を点けても表面を火傷するだけだが、油をかけてしまえば面白いようによく燃える。
話しながら、ケイトは周囲に飛び散ったポル・ポトの肉片をナイフで突き刺して、炎の中に片付けていく。
「ごめん。油をかけて、焼けばいいって判断して実行するのに時間がかかった。すぐに動けばこんなに危険を負わせることはなかった」
「いいよ。リスクを踏むのが俺の仕事だから」
当初のカタパルトによる遠隔攻撃で反撃を封じて拘束する、というプランが成功しなかったにも関わらず、とっさに新しい攻略法を見いだしたケイトとハイパティアには感謝こそすれ、怒るはずなどない。
「ともかく、勝ったんだな……」
失ったものは多く、得たものは少ない。
だが、勝ったのだ。
そう思うと、急に身体から力が抜けてきた。その場にへたりこみそうになるのを、なんとかこらえる。
「一応、燃え尽きた後の灰も穴を掘って埋めて、隔離したほうがいいでしょうね」
「ないとはいえないところが怖いな……」
吸血鬼のように灰から再生する可能性もゼロではない。
「ともかく、ノーリはよくやってくれたわ。私の無茶ぶりによく応えてくれたわね」
ポル・ポトのあれほど強大に見えた身体も、少しずつ小さく炭化していく。この調子ならば完全に燃え尽きるまで、そう長い時間監視しつづける必要はなさそうだ。
「なんだよ……急にどうした」
ポル・ポトの肉塊を集め終えたケイトはぱんぱんと手を払って、
「ん。別に何ってわけじゃないんだけどね」
ケイトは上目遣いに、俺の様子を伺うような仕草をしてみせた。
「私も頑張らなくちゃなって思ったというわけ。為政者として、ちょっと凄いところ見せようかなって」
「そりゃ……まあそうだな」
なんとなく照れくさくなって、曖昧に応える。
「期待しているよ、女王様」
「もちろんよ。任せといて。私、統治には自信があるの」
ケイトは髪を払って胸を張った。
「アスクレピオスの技術の協力を得られれば、安定政権を築くのにもそんなに時間はかからないと思うわ」
「期待してる。俺を寝ていても暮らせるようにしてくれよ」
「そうね。兵士がのんびりしているっていうのはいい国の証だわ。それを当座の目標にしようかな」
ふふふ、とケイトがやわらかい笑みを浮かべた。
「なぁーにを二人でイチャイチャしているんですか」
突然、ゾッとするほど冷たい声が上から聞こえた。
「僕ですよ、僕。全く、やりますねぇあなた方。本当に呆れますよ」
「貴様……」
俺が見上げた先に浮いていたのは。
少年のような華奢な肉体に、邪悪なほどに冷たい笑み。
「やあ。皆さん。見事にポル・ポトを倒しましたね。素晴らしい大番狂わせです。僕たちにとっても予想外でしたよ」
神の一族。
ゲームマスター。
そして、おそらくはこの一連の世界の黒幕の一柱。
『運命の道標』が、ふわりとその場に舞い降りた。




