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小木海岸。
天然記念物、名勝に指定されている。玄武岩や粗面岩、海蝕崖が連続し、岩礁が多く、季節問わず日によって変化する景観は海岸線の長さ約八キロメートルになる。断崖絶壁とそそり立つ奇岩が創る南仙峡、それを構成する黒褐色の粗面岩、周辺を描く緑や海の青は訪れる者を魅了し、記憶に残る美しい景観を肴に酒を一杯、それだけで気持ち良く酔える。それだけではない、老松が生い茂る岩礁と赤色の太鼓橋で二杯三杯と酒が進み、矢島経島、奇岩•左八文字、自然の洞門琴浦洞窟、枕状溶岩台地の沢崎などなど、此れ程に気持ち良く酔わすか、と目を瞑ると浮かぶ美景に盃を傾けてしまう。そんな酒飲みを更に喜ばせる場所もある、船大工たちの拠点、宿根木の集落。現在では重要伝統的建造物群保存地区選定でもあり、小木海岸に訪れる者を美味い蕎麦と心から安らげる宿が出迎え、古きよき日本を教えてくれる街並みに疲れを忘れさせてくれる。酒飲みなら時間が許す限り盃を傾けていたいと思う土地だ。
※***
早朝、六時。小木海岸。
梓は右手に梅田家の家宝の朱槍を握り、赤色の太鼓橋から湖のように穏やかな小木海岸を見ていた。太鼓橋は矢島•経島を結ぶ赤色の橋になり、矢島•経島は海原と小木海岸を分けるようにある。小木海岸に佐渡島のオロチが封印されているため、矢島•経島が戦線の最終ラインになるのだが。
天候は快晴、風は無く、小木海岸はたらい舟を楽しむには絶好だと思わせる、が今の小木海岸はたらい舟を楽しめる波ではない。快晴、無風となれば十分にたらい舟を楽しめる天候なのだが、季節問わず日によって変化する小木海岸の景観が数分置きに目に見えて変わっているのだ。
「な、なに、これ? 海面が上がったり、下がったりを繰り返している」
梓は異常な風景に戸惑っていた。昨晩お濃にお酒を飲まされすぎた二日酔いから視界が歪んでいる、もしくはウコンのドリンクと数千円の栄養ドリンクをチャージした副作用だと疑いたい。見ているだけで酔ってくる景観に「うぇっ……」と吐き気が込み上げてくる。
梓がいる太鼓橋から小木海岸を見れば波は穏やかで海面が上がったり下がったりを繰り返しているように見えるが、梓の背後、矢島•経島を挟んで逆側の海原では小木海岸の海面が上がった分と下がった分だけ海岸沿いに強い波が打ち付けている。
空は快晴、凪を思わせる無風だが、海面は上下し波は時化の直前を思わせる。海で生計を立てている者なら、凪と時化が混雑した異常な状況に『海神の怒り』と思うかもしれないし、ロマンチストなら『人魚に出会える』と嘯くかもしれない。
しかし、今の異常は海神の怒りではなく座敷童の能力、出会えるのは人魚ではなく人智を超越した存在オロチ。そのため、小木海岸に繋がる道は八童三郎の指示を受けた人間が交通規制を敷き、矢島•経島を挟んで逆の海から陸にある海水浴場まで入場規制され、街一つが静まり返っている。観光客は? となるが朝六時では活動していないため、小木海岸や海水浴場や各所には関係者しか訪れていない。
お濃は小学生低学年の姿で梓を呆れながら見上げ、ふふんと偉そうに鼻を鳴らすと「あの程度でこの体たらくとは……うっ〜」頬っぺたをフグのようにプクと膨らますと太鼓橋の欄干に登り、小学生低学年の姿だからできる、大人の女性だと憚られる、名勝に指定されている小木海岸へ盛大に「ぼえぇぇぇぇぇええぇぇぇぇええええぇぇぇぇ」と能力なのか未知の力なのか大人の都合で規制した映像のようにキラキラと光るモザイクを吐く。
「お、お濃様……うっ! 〜〜〜……ゴクン!」梓は、大人の女性として喉元まで込み上げてきた貰いモザイクを外に出すのを阻止する。
そんな二人を見てはぁとため息を吐いたタヌキフードのトキは「梅川さん。先ほどの海面の変化についてですが……」と前置きするが、梓は盛大に吐き続けているお濃を見ないようにしながら鼻から老松の香りを吸い込み吸った分の空気を吐いていた。説明しても意味はないだろうと内心で思いながら「……三郎の能力です」と言った。
「すぅ〜……〜……ふぅ……三郎の能力なの?」盛大に吐き続けているお濃を見ないように振り向くと「聞いていたのですね」とトキに呆れながら言われたため、大人の女性としての威厳を見せるように襟を正し「聞いてるわよ」と言う。
「梅川さん。二日酔いになるまでお酒を飲んでいる時点で大人として不摂生なので、今更感しかありません」
「トキ君も大人になればわかるわよ。お付き合いって言葉が使われるのは男女の関係だけではないって」
はぁはぁと憔悴しているお濃を見ないようにしながら遠い目をする。
「そうですね。……」チラと視線を横に移して太鼓橋を渡ってくる一行を見る。「梅川さん。いち子が来ました」
トキの指した方向に振り向いた梓は、顔が隠れるぐらいの巨大なおにぎりを掲げているいち子を先頭に翔と達也と吉法師、そしていち子が持っている巨大おにぎりの実体を持っている理子を見る。
「あの子が、戦国最強の剣神、弥生の子孫……」
身体のラインがわかるピンクのライダースーツに遠目でもわかる十代とは思えない美人な顔立ち、そして「な、なにあの子……!」と困惑させる理子の歩き方は身体の芯に一切のブレはなく、素性を隠す気が無いと思わせる大袈裟な気配、言葉を変えると殺気を感じる。梓には理子が一歩進む度に斬られていく幻覚を見せられているようだった。もし、二日酔いでなければ、より精密な幻覚を見たに違いない。だが、翔と達也はそんな理子の歩き方や雰囲気に何も感じていない、むしろ観光に来ているような気楽な雰囲気があり、二人は平泉にいた時よりも仲良くなっていると思わせる。
「お、お濃様……」
「いち子の世話役とドラ息子が気づいていないところを見ると『私達だけ』に向けた剣気よ。いち子と信長の前で剣気を放つということは、二人はあの女子が弥生の子孫だと気づいているということよ。梓」
「はい……」
「あの女子に斬られたくなければ、世話役が弥生の子孫だと松田家当主に教わるまで、口にするな。私達だけに向けた剣気はそのための言よ」
「わ、わかりました」
梓は剣気を向けてくる理子に返答を含めた強い視線を向ける、が目を交差させた瞬間に更に濃い剣気を感じて瞳を泳がせる。「お、お濃様、こちらの意思を伝え、られません」
「槍を持っておる者に見られればそうなるかよ。何にしても情けない……」飄々と言うと、視線を移して理子を見る。その瞬間、ギンッと睨み一秒二秒と視線を交差させると「んだコラ、あっ? やんのかコラ、あっ?」と巻き舌気味に言う。
「お濃様、口に出てます」
「むっ? ……弥生と出会った時を思い出してしまったかよ。思わずぶん殴るところだったよ」
「そ、そうですか」剣神弥生との出会いは大喧嘩だったのだろうな、と予想していると、ふと先ほどまで息苦しくしていた理子の剣気が無くなっているのに気づく。「どうやらこちらの意思をわかってくれたようですね」
「私の方が強いと理解したのよ」
「…………そうですか」半信半疑になってしまう、が「梓、私を疑っているかよ?」というお濃の言葉に座敷童は気持ちがわかる事を失念していた事に気づき「す、少し、疑ってしまいました。申し訳ありません」
「かまわん。数年すればそのとおりになるかよ。……それにしても見事なものよ。弥生の心には粗さがあったが、あの者にあるのは眩しいぐらい芯の通った松田家といち子への想い。繋いで来た弥生の血を洗練してきたのがわかるよ。あの女子が梅田を潰すと言うなら、さもありなん、認めるしかないかよ」
「弥生の子孫、川崎理子はそこまでの人物なのですね」
梓は改めて理子へ視線を向けると、口元を微笑ました理子に会釈する。御三家の一家、梅田家の膝元にいる梅川家の自分は(武力だけでなく人間性も負けている)と自覚させられた。年上の自分が梅川家としてやってきた努力の小ささに悔しさが込み上げ(梅田家を御三家の末席にしているのは梅川の責任だ)と朱槍の柄を強く握る。
トキは朱槍を握る梓をタヌキフードの中から見ると口元を微笑ませる。お濃にその顔を見られてフードを深く被り直すと梓の横を通り抜けて、巨大おにぎりを掲げているいち子の前に行く。巨大おにぎり越しにいち子が足を止めるのを確認すると片膝を付け「この度はお足をお運びいただきありがとうございます。そして、神童様の世話役からオロチ討伐の義を預からせていただきありがとうございます。重ね重ね、神童様に御心労を与えてしまったのは三郎の意思ではなく、『私』の独断。神童様と三郎のご恩に甘えるばかりの若輩者だと罵ってください」と言い、深く頭を下げる。
いち子は巨大おにぎり越しに「くるしゅうない。よきにはからえ」と言うとトキの横を通り抜ける。
梓はいち子らしくない雰囲気に不安になった。何故なら、昨晩にいち子がしずかと巴から白天黒ノ米を没収した情報を座敷童管理省の緊急速報で得ているからだ。松田翔に『いち子の御立腹? パンパンに膨らんだ風船みたいにいつ破裂するかわからないけど、まぁ、大丈夫だよ』と軽く言ってはいたが、いち子の【御立腹】は叫んだだけでも飛行機を墜落飛行させたため、翔の言葉とはいえ大丈夫だとは思えなかった。梓は翔と達也の前に行くと「翔君、神童いち子は大丈夫ですか? 雰囲気というか、トキ君に対する対応も冷たい気がするのですが」
「いち子の機嫌なんて毎日毎時間……というか、アーサーが好き放題お菓子をあげるから家では毎分あんな感じ。そんなことより、俺に敬語はやめてほしいかな」
「御三家の一家、梅田家の膝元に居並ぶ一族の人間が松田家の跡取りに失礼があってはなりません。大人の立場からの敬語だと理解し、ご了承ください」
「達也、加納さんは普通に喋ってくれるのに、梓さんって堅いな」
「たぶん梓以外の加納さん含めて特務員は次男や三男だし梅田一族の跡取りではないから、御三家に対しての教育はしてないんじゃないかな。長男や長女は梓がマシに思えるぐらい堅いよ」
「マジかよ。達也が梅田家を継いだら廃止してくれ」
「それは無理。梅田一族の筆頭は梅川家だから、梅川家の主人が礼節から何から認めないと跡取りになれないみたいだからね。梓に変えてもらうしかないよ」
「梅田一族ややこしいな。……」チラと梓を見る。
「膝元に秩序がなければ不仲を生みます。個ではなく集団なので規律がなければ纏まりません。そのため、跡取りを縛る礼節であっても変えることはできません」
「堅いなぁ。まぁ、しかたないのか。それよりトキって誰?」
「?」疑問符を浮かべると(世話役なのに三郎の代弁者であるトキ君の事を知らない?)と思い「トキ君は三郎の……」と言いながら視線を移すが、先ほどまでいた所にタヌキフードはいない。そんな梓の耳に「天下布武、行くぞ」とトキの声音が届く。
「楽しもうぞ、毘沙門天」
小木海岸とは逆の海原側の欄干に両足を付けて沖を見るのは幼児姿の吉法師とタヌキフードのトキ。梓が疑問符を浮かべる中、二人は欄干を蹴り、常人離れした跳躍で飛ぶ。時化の前触れのような海面へ足を付けると同時に走り出し、進むごとに二人の体格は大人になり、服装も変わっていく。
吉法師は黒塗りの甲冑に表地が黒の陣羽織を羽織り、裏地の赤色と一緒に覗かせる黒塗りの柄を右手に握ると大刀を抜刀。その大刀を左手に持ち替え、右手を懐に入れると何かを握るような手を作りながら出して横に振ると大刀が現れる。
タヌキフードだったトキは目元だけ出した行人包に全身を隠した白一色の外套。海面を走ることで外套の裾は靡き、上半身は密着し体格を露わにする。
「と、トキ……君?」
梓は動揺する。欄干を蹴り、海面に足を付け、体格が変貌した時点で自分の目を疑い、トキは座敷童なのだと無理矢理理解させられた。更に吉法師と同じ大人の姿なのに体格は一回り細身、そして外套が密着する上半身には男にはない二つの膨らみ「お、女、だったの?」と困惑する。
その隣では、欄干を掴んだ達也が二人の走り姿に疑問符を浮かべながら「あの座敷童……八童レベルの吉法師と並んで走れる『立場』の座敷童ってこと?」と呟く。
達也の中では吉法師は一番身近な座敷童になる。そして吉法師の立場は大勢の座敷童を引き連れている大将であり、八童に引けを取らない座敷童だと信じている。物心付いた時には最強の座敷童は吉法師だと思い、いち子や他の八童の存在を知った時でも最強だと信じていた。だが、現実はいち子が最強だと証明する書物が多々あり、他の八童も吉法師と同等かそれ以上に強く、それぞれに人智を超えた武力がある事が記されていた。幼少期では一番強い者に憧れるのは当たり前にあるため、物心付いた時には居た吉法師という最強が最強ではなかったと知った時には茫然とした、が自失するまでには至らなかった。人間の歴史で最強なのは織田信長なのだ。偏見になっていても幼少期の達也の最強は織田信長、そして自分は『織田信長と友達』、今もその憧れを持ち続けている。
しかし、最強の織田信長と並んで戦場へ行く者がいる。達也が吉法師の闘う姿を見たのは東大寺でのオロチ戦がはじめてだったが、八童レベルの座敷童と一緒に闘えるのは八童か八童レベルの座敷童だけなのは知っている。最強と一緒に走る白い座敷童を達也は見たことがない。そもそも佐渡島には三郎しか座敷童はいないはず。俺の最強と並ぶ座敷童は誰だ、と思いながら横を向き「翔、あの白い座敷童は誰?」と翔に聞く。
「わからない」
翔は達也の憧れとは違う理由で動揺していた。座敷童には三郎しか座敷童はいない、八童レベルの座敷童と一緒に闘えるのは八童か八童レベルの座敷童だけ、この二点は達也と同じだが『織田信長と並べる元人間』は龍馬しかいないと思っていたからだ。翔がトキを元人間だと気づいたのは、トキがいち子へ挨拶した時に純粋な座敷童にはあるはずのない『神童様の世話役からオロチ討伐の義を預からせていただきありがとうございます』という翔に対しての非礼をまじえた人間のような挨拶があったからなのだが。元人間、それも吉法師と並んで闘える八童レベルの座敷童に「いち子、吉法師と一緒に行ったあの座敷童は誰だ?」とこの場で唯一知っているであろういち子に聞く。
いち子は巨大おにぎり越しに顔を覗かせて海面を走る二人を見ると「虎千代じゃ」と言う。
「虎千代? …………誰だ?」翔は疑問符を浮かべるが「「虎千代!」」と達也と梓は驚愕する。
「知っているのか?」
「翔、虎千代は上杉謙信の幼名だよ!」
「上杉謙信? ……? いやいや、あの座敷童は女だぞ」
「女?」達也はトキ改め虎千代を再度見ると「本当だ、女だ!」と困惑し、梓は「上杉謙信とは違う虎千代……」と考え込む。
理子は虎千代という名前に疑問符を浮かべている三人に「家柄が高位の武家なら女でも城主になれるわよ」と言って視線を集めると「でも、あの座敷童が織田信長みたいな元人間で上杉謙信だとしたら、影武者を立てたりして女である事を隠していたって事よね。タヌキのフードを被ったり今も目元だけ出した行人包を被って執拗に顔を隠しているって事は……女として、何か見せたくない秘密があるのかもしれないわね」重い空気を作るように言葉を並べると、三人は沈黙し暗い空気になったためコホンとわざとらしく咳払いし、沖を指差す。「オロチが来たわよ」
「オロチ……、……?」翔は吉法師と虎千代を視界に入れるが、二人の前に白オロチはいない。疑問符を浮かべていると、ふと視界の端に不自然な波の動きが見えたためソレが白オロチだと思い「さすがオロチだな。海を割るような水飛沫をあげながら向かってきてる」
「どこ見ているのよ、上よ」
「「「上?」」」と言いながら、翔と達也と梓は吉法師と虎千代を中心に置いていた視線を上に向け、更に大きな水飛沫の上、上空を見る。そして絶句する。
「いち子ちゃん。気合い入っている蛇には羽が生えているのね」
「うむ。絶滅危惧種じゃ」
「「「蛇じゃなぁぁぁぁぁぁい!」」」三人は絶叫する。
アステカ神話の文化神、または農耕神や風の神ともされた創造神ケツァルコアトルが第一印象として浮かぶ。しかし、全身から生える不揃いな突起と長く尖った骨格にある風を包む帆のような翼は禍々しく、神々しさある創造神よりも邪神ケツァルコアトルの方がイメージとして近い。近づいてくると禍々しさを生んでいる全容が鮮明にわかる。太い突起は風を掴みながら進行方向を定めるように動き、海面を逃げる目標物が右へ左へ動く度に小さな突起は開いたり閉じたりしてスピードを落とす役割を担いでいる。大きな旋回をする時は翼を支える長く尖った骨格を大袈裟に羽ばたかせるが、細かな動きは全身の突起で調整しているようだ。戦闘機のように無駄のない動きができるのは突起がエンジンブレーキの役割になり、長く尖った骨格にある翼が初動から大きな揚力を掴んでいるから、そして風の抵抗を無くすように翼を収納し加速できるのは全身が制御装置になっているからだとわかる。巨体ではあり得ない動きと加速は常識では語れない。だが、蛇や龍を原型にした異形の体型からあり得ない動きを可能にするのは白オロチの能力『風』があるからだ。
戦闘機のような繊細な動きと巨体からの破壊力、その戦闘力は想像するしかない。そして、その脅威を視覚から伝えるのは禍々しい身体だけではない。
蛇の面影は瞳の水晶しかなく、全身が真っ白なため神々しさはあるのだが、彫り深く厳つい顔面は創造神よりもやはり邪神というに相応しい。
そんな邪神ケツァルコアトル、白オロチの頭上に人影がある。背筋を柔らかく伸ばし横笛に両手を添える立ち姿は見目麗しく、奏でる音色は空中に青色や緑色の光りを作り、彼女の創る色のある空気は黄色の花柄の着物をより美しく見せていた。佐渡島危険指定座敷童、さと。その背中では抱っこ紐で支えられているかぼちゃが寝ている。
白オロチはさとの音色に操られるように目標物、海面を割る勢いに爆走している八太を追っている。
翔、達也、梓は白オロチの第三形態に驚愕していたが、かぼちゃを背負ったさとが白オロチの頭部にいるのを見てからは、海面を爆走している八太を可哀想になる気持ちが勝り、
「翔、八太って、漢だね」
「命がけで好きになるってのはあんな感じなんだろうな」
翔と達也にはさとが白オロチを操っているように見え、さとの八太に対しての仕打ち——八〇〇年以上続いていたかくれんぼで八太がズルをしたと思っているさとの八つ当たり——に涙が出ていた。
だが、八太の漢ぷりはさとからの愛(?)を受け入れるだけではない。
八太は視界の端に吉法師と虎千代を見つけると爆走している勢いそのままに振り返り、半円を描くように海面を滑りながら両拳を腰に添える。上空にいる白オロチを視界に捉えた瞬間、海面を蹴って急停止すると、同時に両拳を空間に放ちパンッと破裂音を鳴らす。その瞬間、八太の両拳から白オロチまでの間にある水飛沫が円錐を描くようにピタと止まり、円錐の外にある水飛沫がザァと海面に落ちた後、白オロチはビクッ!!!! と全身を硬直させる。
円錐の中の水飛沫一粒一粒が重なる事なく海面へ落ちて行くと、白オロチも全身を硬直させながら海面へ落ちていく。
「吉法師、虎千代、やれ!!!!」
「「おう!!」」
言葉と同時に海面を蹴った吉法師と虎千代は、海面へ落ちてくる白オロチに向かって跳躍し、不揃いな突起がある真っ白の胴体、尻尾部分に刀を刺す。更に、二人は刀を視点に白オロチの尻尾に乗ると、虎千代は不揃いに突起した部分を切り落としながら走り、その後を吉法師は突き刺した刀で鰻を捌くように胴体を斬って行く。
白オロチは痛覚からの叫びを伝えるように胴体をビクッビクッと震わせるが、悲鳴はない。そして、この水飛沫や白オロチの時間だけを止め、痛覚からの絶叫を伝えられない現象は八太の能力からのモノ。
白オロチの尻尾が海面に付くと、八太は「どらぁ!!」と両拳を尻尾に打ち込む。ピタと止まった白オロチの胴体を確認すると海面を蹴って尻尾に乗り、吉法師を追い抜く勢いに走る。吉法師を抜き、虎千代を抜き、不揃いな突起を飛び越え、拳で砕き、頭上にいるさとの元へ行く。横笛を吹く姿勢のままカチーンと固まっているさとはかろうじて動く目元で憎々しく八太を見るが、八太はかぼちゃごとさとを脇で抱えて「吉法師、虎千代、俺はここまでだ!!」と言いながら白オロチの頭部から飛び降りる。
「十分だ!」
吉法師は答え、虎千代は頷きで答える。
「さと、いち子の所に行くぞ」
八太はかぼちゃを背負ったさとを背中に乗せると太鼓橋へ向かう。
一晩中さととかぼちゃと白オロチに振り回されていた八太。本来なら第三形態の白オロチでも、今のように『誰の被害もなく逃げられる』。
物体や液体問わず見えないモノでも活動を止める八太の能力は、風や雷という属性としてわかりやすい能力ではない。あえて属性にするとしたら無属性なのだが、日本には『かなしばり』という言葉がある。
巴の雷やしずかの風から座敷童の能力は属性に分けられていると勘違いしそうだが、座敷童の能力はそのものの事象から表現されるモノ。例えば、火は水で消えるが水は火で蒸発する。ゲームやアニメのような設定上に属性の相性があるなら話は別だが、現実には相性は無く、質量の違いから現象は変わる。その現象を説明できない事象を属性で例えれば無属性になり、現実では八太の能力を例にすると、座敷童の能力を科学で立証できるなら『かなしばり』が現象としては近い。
身体に撃ち込めばより威力があり継続時間は増し、空間に叩き込めば威力や継続時間は減るが広範囲にある物体や見えない微生物や風に至るまで活動を止められる。ある意味では鉄壁で闘いの中では最強の盾になるのだが、止められるのは短時間。そして、八太がさとやかぼちゃを巻き込むように放てる事から、攻撃力は皆無。そのため、攻撃は他の座敷童に任せるしかない。
ヤンチャな八太には似合わない防御に特化した能力だが、八太は大悪童弁慶(八慶)の影に隠れていた泣き虫遮那(八太)、攻撃性がなく性格をそのまま反映させた能力になる。しかし、そんな八太でも八童レベルの座敷童なため、攻撃力特化の八慶や金時よりは見劣りするが一般の座敷童よりは強い。
余談だが、八太は音を能力にしているお濃に弟子入りし、空間に能力を伝えて広範囲のモノを止められるようになった。その結果、八太が防御に専念し、八慶が攻撃に専念すれば、八童第二席のしずかでも痛い目をみる。それは空中戦を得意とする白オロチに対しても同じになり、巴が八慶と家主さとがいる八太の本気を必要とした理由にもなる。
話を戻し、八太は海面を蹴り、太鼓橋へ向かって飛ぶと、欄干に足を乗せる。
「あぁぁぁぁぁぁぁ疲れた」
「八太、おつかれさま。これ、食べる?」
達也はスナック菓子を八太に向ける。
八太はチラとスナック菓子を見ると「んっ、貰う」と言いながら欄干から降り、達也からスナック菓子を受け取る。いつの間にか幼女になっていたさとを背中から下ろし、封を開けてバリバリと食べていると「遮那王、わらわにもよこすのじゃ」と言ってくるさとの口にも入れてやる。
「……食べた」
達也はキョトンとしながら二人を見ていた。達也の中では、いち子は餅以外の食べ物ならなんでも受け取ってくれるが、他の座敷童は自分からのお菓子は受け取ってくれないと思っていた。(成長したのかな?)と訝しんでいると、そんな気持ちを読み取られたのか「んっ? くそまずいぞ」と八太に言われ「遮那王、腹の足しにも、なんの足しにもならない菓子とははじめてじゃ」とさとに言われ、成長ではなく何でもいいから食べたかっただけなのだと教えられた。
翔は落ち込む達也の背中を叩くと「達也、座敷童はそんなもんだから落ち込むな。今回は受け取ってくれただけ進歩したって事だ」と励ます。
「スキンヘッド、おにぎり食べる?」
理子はリュックサックからおにぎりを出して八太に向ける。
八太はチラとおにぎりを見てから理子を見ると、おにぎりを取ろうとしたさとの手を抑え、理子に「……悪い」と前置きし「このおにぎりは俺の子供、やよ……いや、かぼちゃにあげてくれ」と言った。
「わかったわ。でも、まだあるから……」
「それなら、さとにあげてくれ。俺は、このお菓子だけでいい」
「……そう。食べてくれないのは残念ね」さとにおにぎりを向けると、さとは非実体のおにぎりを取り、食べる。
「…………いや、さとも美味い美味い言ってるし、かぼちゃもきっと喜ぶ。俺はいいんだ……それに、食べたら眠くなるし、寝ちまったら吉法師と虎千代に何かあったら助けられないだろ?」
「そういう事にしておくわ」
「そういうことにしといてくれ。……まぁ、アレだ、今度、機会があればだけど、修行してやる」
「『どっち』が強いかしら?」
「まだまだ足元にも及ばない」
「……そう。機会があれば修行してもらうわ」




