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止まない雷や風を『◯◯の怒り』と比喩する事がままある。大きな地震を地の怒り、山の噴火を山の怒りなど比喩を出せば切りがないほどに『◯◯の怒り』は地震や台風が多い日本では定着している。しかし、定着している日本の中でも、座敷童の世界では雷や風などの自然現象は能力として使っているため『◯◯の怒り』の◯◯の中には『巴の怒り』や『しずかの怒り』または『八童の恩恵』と言われている。人間が使う比喩は人間が能力を使えないから生まれるだけで、座敷童のように雷や風を能力として使える者がいれば架空のモノを比喩として使う事はないのだ。
だが『◯◯の怒り』には必ずと言っていいほど前兆という現象があり、風なら強風から台風、雷なら雨雲から雷雲、地震なら動物が避難行動をするなど何かしらある。それらを観測機で予想できるまでに人間の科学も進歩しているのだから感嘆してしまう。もちろん例外はある。しずかが扇子を振って風を生むように、巴が刀から放電するように、無から有を生む突発的な場合は本人の動向からでしかわからないし、科学では立証できない座敷童の能力だと理解するしかない。
何を言いたいのかというと、座敷童はしずかや巴の怒りだとわかる現象なら、二人のわがままから発生した現象もしくは二人を怒らせた人間や座敷童の自業自得だと解釈しているという事だ。そして、人間が『◯◯の怒り』と比喩する事象や無から有を生む突発的な怒りであっても、人間のように比喩する事はない。
しかし、前述は全て、好きなお菓子が無いだけで飛行機を墜落飛行させた座敷童がいるため『キレどころが不明な座敷童は除いて』と付け加えなければならないが。
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場所は中尊寺大池跡。
落雷は空を飛ぶ魔獣を、地上にいる魔獣はときおり光る紫電に、黒い湯気へと変えられ天に還る。
オロチの鱗を無駄遣いし、仲間に頼ることせず、今の自分に酔うように、魔獣を圧倒している。言葉にすればただそれだけの事。
魔獣を圧倒して解決するなら何も問題は無い。そう思うのが妥当だろう。だが、戦場では一人の独断専行で一〇人が死に、小隊なら全滅すると言われている。相手を圧倒できる力があったとしても個ではなく集団、戦場にいるからには独断専行は愚の骨頂なのだ。どんな大義や有志があったとしても、褒められたものではない。だが、独断専行の愚行さを理解している者でさえ、判断を鈍らせる戦功なのだから、圧倒、という言葉には魅力があり言霊があると思ってしまう。しかし、一人で万の敵を倒したとしても、集団の場で個の力を認めてしまえば、次の戦場では万の味方を失うきっかけになる。
まさにその独断専行を巴はやっている。
巴はイヤホンマイクから聞こえる内容に応答し助言したりはするものの、それは魔獣を圧倒している合間に座敷童デジタル化計画の利便性を確かめ、先ほど雷を落とされた座敷童がいたように自分の能力で端末を逆探知し座敷童一人一人の位置を確かめているだけなのだ。たとえ戦闘の中止を命令されたとしても、機械が停止ボタンを押さないと二四時間作動したままのように、燃料切れや誤作動するぐらいのナニかがないかぎり、今の巴は止まらない。
そんな巴を合気道の道着を着た少年、貫太は苦虫を噛み潰したような表情で見ていた。
貫太が中尊寺大池跡に着いたのは今、三〇秒も経っていない。そして、三〇秒前に魔獣を圧倒する巴を見て最初に出た言葉は「入り込める隙が無い」だった。
八童時代を彷彿とさせる能力の乱用、神使を天に還すという業を他の座敷童に背負わせないとする執着、東北座敷童はそんな巴に甘えていると認めるしかなく、自分が今、動けない時点で、東北座敷童を語る資格は無いと言われて当然だと自覚させられた。
「これが八童の覚悟か」
オロチや八岐大蛇に対して後先を考えながら闘うのは後々の被害の拡大を意味するため、相手が魔獣のみでも被害の拡大があるかもしれないなら後先を考えずに闘う。それが頂点に立つ八童の責任であり、負けられない、負けてはならない八童の業なのだ。貫太は八童としての力を失っても闘い方を変えない巴に、八童の生き様を見せられ、その強い意思に圧倒された。
「八童としての力を失っても尚、八童としての意思は健在……違う!」貫太は首を左右に振り、自分の頰を両手でバチンと叩くと(違うだろ! 本来は今の巴と肩を並べて闘うのが勇猛果敢と言われた東北座敷童だ!! 巴が竹田家に常駐する前は、俺達、東北座敷童が巴のようにオロチと闘い、魔獣を天に還していた!!! それでこそ勇猛果敢、それでこそ東北座敷童だろ!!!!)ギリッと奥歯を噛み締め、巴の姿を目に焼き付けるように見やると「しずかの言うとおり、東北座敷童は巴に甘えている」としずかを否定していた自分に、東北座敷童を見ているようで見えていなかった自分に、怒りが込み上げる。
甘ったれている、頑張っているんだ、甘ったれている、頑張っているんだ、甘ったれている、頑張っているんだ、脳裏で繰り返されるゆるい考えに「甘ったれているんだよ!」と喝を入れた。
縄張り争いなどただの喧嘩、命を賭けるものではない。オロチや八岐大蛇、魔獣との闘いこそ命がけ。数年前にオロチが蘇った時に『時間稼ぎ』しかできなかった貫太と近畿の八童八重の代行をしていた八慶の違いは、負けられない、負けてはならない業を背負っているか否かになり、その答えは、時間稼ぎをして巴が帰ってくるのを待っていた時点で、たとえ個々の実力では拮抗し、人徳があったとしても、貫太に八童の資格は無い。
貫太は自分の甘さ、不甲斐なさ、大義を背負う意思の小ささにふつふつと怒りが込み上げ、
「入り込める隙がない、だと?」
握り込む拳はゆっくりと大きくなり、
「東北座敷童は頑張っている、だと?」
合気道の道着が赤くなり、
「縄張り争い? オロチがいないから遊んでいるだけだろ!」
ギリギリと奥歯を鳴らし、喜怒哀楽の怒を表すような禍々した赤い湯気が全身を包む。
「八岐大蛇にしないのが東北座敷童の勤めだろうが!!!!」
ドンッと放たれた貫太の気合いは魔獣の動きを止める。尻尾のある魔獣は尻尾を腹に隠し、尻尾のない魔獣は腰を下げ、巴にさえ向かっていた魔獣が全て、貫太の怒りに怯えた。
いつもは温厚な表情の貫太だが、坊主頭から顔面に作る深いシワと吊り上げる赤い瞳に憤怒をみなぎらせ、その怒りの形相は仁王を思わせる。
貫太は巴の元へと歩を進める。入り込める隙が無いと言っていた先ほどまでの甘さは無い。一歩、二歩、三歩、怯えた魔獣をゲンコツで黒い湯気に変え、および腰で向かってくる魔獣を殴り、蹴り、一切の情を一撃に込め、魔獣を天に還していく。
「巴。俺が八童になりたいと言ったら、笑うか?」
「…………ふっ」微笑すると、巴は和傘の柄に黒刀を納めながら「私がまだ放浪していた時、竹田家に常駐する前、オロチがいる平泉を守っていたのは誰だった?」
「美菜、美代……俺や東北座敷童も、と言いたいが、俺達は今の今まで巴に甘えていたように、美菜と美代にも甘えていたのかもしれない」
「甘え、か。たしかに八岐大蛇を知らぬ者達は甘えているのかもしれない。だが、八童とはオロチから仲間を守る者であり、オロチを八岐大蛇にしない者。甘えていると言われようとも、貫太は仲間を守っている。仲良しこよしと言われようとも、東北座敷童は仲間を守っている」
「守っている?」守られているだろ、と奥歯を鳴らし「むず痒くなるぐらいの助け合いをするから東北座敷童は勇猛果敢になれる」なのに、今は甘えているだけなんだ、と悔しがるように加えると「俺達は、巴の後ろではなく、横に並んで闘うことを忘れていた」
「私が生んだ甘え、という事だ。しずかの戯言は貫太への激励、私へのくさす、だったようだな」
「もう、闘うな」
「そうはいかない。私は竹田家……いや、小夜の心に答えないとならない」
「巴が小夜に答えると言うなら、俺は、東北座敷童は後ろでも横でもなく、全員で前に出て、小夜に応える!」
言いながら魔獣へと突進。魔獣の首根っこを掴むと思いっきり振りかぶり、中尊寺の駐車場方向へとぶん投げ、振り向きざまに地面から外に出てきそうな魔獣の腕を掴み同じ方向へ投げ、更に、更に、更に、次々と魔獣を駐車場方向へとぶん投げる。
「巴、八童がオロチから仲間を守るなら、東北座敷童は全員が八童! 全員で八童だ! お前を守らせてもらうぞ!!」
貫太はイヤホンマイクに手を添えると、
「中尊寺方面に控えている東北座敷童! 甘ったれてねぇで!」
地面を勢いよく踏み、ドンッと空気を揺らすと、
「闘えや!!!!」
『『『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』』』
東北座敷童は貫太の気合いに呼応する。
友達に頼られ、仲間に頼られ、地域の座敷童に頼られ、その頼られた気持ちに答えるのが八童。そして座敷童は気持ちを力に変える。数多くの気持ちに応え、その気持ちの大きさに見合う力がある座敷童だからこそ、八童が能力として使う『恩恵』は強力になる。そして気持ちに相乗したモノになるため、便利なモノだが便利にしないとならないモノとなる。
【小さな幸せを大きな幸せにするのは小さな幸せを貰えた本人】
恩恵があるから強くなる。たしかに強くなるが、その強さは恩恵を与えられた者の気持ちや今までの努力で上下し、ゲームやアニメのような強化魔法を掛けられてその場だけ強くなるという便利なモノではないのだ。
そして貫太が東北座敷童に与えた気合いは本人に自覚なく『恩恵』という形になり、八童の恩恵と言うには微力でただの呼応でしかない。だが、貫太に八童の意思が芽生えた瞬間であり、微力でなんの足しにもならない恩恵であっても大きな力に変えようとしない薄情な者は東北座敷童にはいない。
ヒュゥゥゥと焼夷弾が投下されたような風切音が大池跡に響き「姉様、八慶より貫太オススメで〜す」とおちゃらけた声音が続く。空から現れたのは、中尊寺の駐車場で待機していた巴四天王かよこ。竹箒で飛んできた彼女は、そのまま月の輪熊の魔獣へ突進、焼夷弾の炸裂を思わせる攻撃に魔獣は黒い湯気に変わり、天に還る。更に、砂煙と黒い湯気の中、かよこは竹箒を華麗に回し、バッと風を切りながら穂体を他の魔獣に向けると、物理法則を無視するように穂体を一気に伸ばし、数体の魔獣を剣山のようになった穂体に刺す。「こんなもんよ」とふふんと鼻息を出すと巴と貫太のいる方向へ振り向き、決め顔を作ると「貫太。……うわっ、こわっ! どうしたのその顔!」貫太の怒りの形相に驚愕する。
かよこの登場で貫太のシリアスムードが薄れていく中、更に続くのは、
『貫太、検討剤。五秒後到着。検討剤。マサカリを投げたから躱してくれたら助かる、検討』
イヤホンマイクからさなの声が届いた瞬間、ビビュンと風切り音を鳴らしたマサカリが大池跡を蹂躙するように飛び回り魔獣を次々と両断、黒い湯気へと変えて天に還していく。更に、草むらを割る風が通り抜けると、その風は飛び回るマサカリの元へ向かって行き、高回転したマサカリをピタと止める。マサカリを片手にふぅと息を吐いたのは、巴四天王さな。
「かよこより出遅れた。検討剤。でも、…………誰?」
さなは怒りの形相をした貫太を見て疑問符を浮かべると、かよこは慌てながらさなの元へ行き、
「さな、貫太だよ。ヤバイよ。マジギレしてるよ」
かよこは内緒話するようにさなへ言うと、さなは貫太を再度一瞥し、声を小さくして、
「検討剤。ここは私とかよこで検討剤。みきは毛越寺に行った検討剤。ナナは……」
「まさか寝てるの?」
「まさかの検討剤」
「……か、貫太……」よそよそしく貫太を見ると「こわっ! マジで怖いって!!」
「かよこ。魔獣、増えてきた。……貫太、こわっ!」
「…………〜」
貫太ははぁとため息を吐くと坊主頭に作っていたシワをなくし、温厚な表情に戻すと「巴。毛越寺と同じ包囲網を作る。もう、能力は……〜」和傘を空に向けた巴を見て額に汗を溜めると、チラッチラッとかよことさなを見る。二人は目を泳がせ、これから巴がやるであろう行為に怯え始める。
「貫太、かよこ、さな。私……いや、八童の闘っている場に来ると、こういう事になる」
「「「…………〜」」」
三人が見上げる厚い雲の中では無数の稲光りが蠢き、大池跡を昼間のように照し始める。どれだけの質量を含んだ落雷が起こるのかは、八童巴の闘ってきた姿を見てきた三人には予想するまでもなく、
「貫太やばい! 貫太やばいって! 貫太が悪いんだよ!」
「巴待て! まだ心の準備が!」
「逃げるの無理。検討剤」
貫太に責任を押し付けるかよこ、巴を止めようと試みる貫太、諦めるさな、そんな三人に悪どく口端を吊り上げた笑顔を向けた巴は、
「貫太、覚えておけ。八童は常に心の準備をしている。まずはスプライトからだ!」
厚い雲が光源になり、平泉を真っ白に照らした瞬間、大質量で大量の落雷が中尊寺大池跡を襲う。
巴はスプライトと口にしたが、現在、厚い雲が発光した現象は見る者が見れば、ベネズエラのマラカイボ湖に繋がるカタトゥンボの河口上空でのみ見られる【カタトゥンボの雷】だと思わせる。マラカイボの灯台とも呼ばれ、その大質量、大量の落雷は世界最大規模とされている。
その【カタトゥンボの雷】と類似した雷が、岩手県平泉の中尊寺大池跡の上空で発生。ドドンと轟音を鳴らし、大量の落雷を雨のように降らす。
ズドドドドドドドドドバチィンバチバチィドドドドドドドドガァァンズガァン————
「ぎぁあああ————」鼓膜の限界を越えた音量にかよこの号泣は消え、網膜を焼き付けるような光量に「検討剤」とさなはサングラスを装備し、故意的に貫太をしつこく狙った落雷に「シャレになってないぞ!」と絶叫。いくら【カタトゥンボの雷】でも自然現象なら一瞬か数度続くだけだが、オロチの鱗を使い切る勢いで放ち続ける酔狂な座敷童が起こしている現象なため、巴の酔いが冷めるか鱗が底を尽きるかまで続くこと間違いなし。
宇宙から地上を撮影する観測機から携帯情報端末に至るまでシャッターチャンスがあり、テレビ画面には緊急速報が流れ、数分後には情報規制されていない場所から撮られた画像が流れるだろう。そして明日の朝刊の一面や見開きは【平泉にカタトゥンボの雷】に確定だ。
永遠に続きそうな大質量、大量の落雷に、大池跡、中尊寺近辺に居る誰もが八童巴は健在だと思った、その時、轟音響き渡る中「なっ!?」と悲鳴にも似た巴の声が被害者三人の耳に届く。次の瞬間、ピタッ……と大量の落雷は無くなり、厚い雲の中で蠢いていた稲光りも無くなる。
貫太は合気道の道着が焼け焦げているだけで無事なのを確認し、火事になっていないか周囲を確認すると、焦げたマサカリと竹箒を視界に入れ「かよこ、さな、大丈夫……ではないな」と二人に気を使う視線を向けつつプッと吹き出す。
「頭髪の危機、検討剤」
「アフロだよ。これだから姉様の近くで闘いたくないんだよ」
さなとかよこは落雷の直撃は避けたものの、残電や静電気で頭髪は見事なアフロになっていた。
貫太は二人の頭髪、悲劇からの喜劇に込み上げてくる笑いを無理矢理抑えると、ふぅと大きく息を吐いて巴へ向き直る。
「巴、もうちょっと闘い方を考えてくれないと……」
言葉が尻すぼみになる貫太の視界では、表情を青くした巴が和傘の柄を握る左手をカタカタと震わせ、柄の下あたりの空間を右手でニギニギし、只事ではないと思うには十分だった。
「姉様、どうしました?」
「心なしか和傘の柄が短い。検討」
「と、巴。は、白天黒ノ米が、無くなっているんじゃないのか?」
「「なっ!!!!」」貫太の言葉にかよことさなが驚愕すると『『『『緊急事態だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』』』』と東北支署の大広間とイヤホンマイクに座敷童の絶叫が響き渡る。
『貫太。美代だけど、その情報マジ!?』
杏奈に変わって指揮する事になった美代の絶叫ぎみな声音が貫太の耳に届く。
「な、無い、白天黒ノ米が無くなっている!」
『巴はなんて言ってる!?』
美代は巴の指示を期待するが、貫太が見た巴は顔面蒼白にしてカチンと固まり「いち子にバレたいち子にバレたいち子にバレた」と思い当たる節に怯えていた。貫太は美代が期待するような対応は巴には無理だと即判断し「なんか色々複雑な感じだ!」と返答した。
『それ見たことか!!!!』美代と貫太の会話に割り込む声音はしずか、馬鹿にするような口調で『いち子が怒ったでありんす怒ったでありんす! 東北座敷童が遊んでいるからでありんす! バァカバァカバァカ!』と繰り返す、が……。
『し、しずか……』
『なんでありんすか! 今は忙しいでありんす! 巴も八慶も金時も貫太も怒られるでありんす! 美代も怒られればいいでありんす』
『うん、たぶん私は怒られないかな。とりあえず、しずかは自分の腰を見てみて』
『まったく、なんでありんすか。……むっ? あれ? …………ぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
『うん、怒られるのはしずかと巴だね。ゴホン』と喉を鳴らすと『緊急事態! しずかが持っていた白天黒ノ米もいち子に没収された! いち子の激怒はしずかと巴が原因と予想! 中尊寺と毛越寺にいる東北座敷童には怒ってないから安心して魔獣を天に還せ!』
『『『お、お、オーバー!』』』
『貫太。しずかと巴がいち子を怒らせた原因の究明と言い訳を考えないとならないから、巴を東北支署に連れてきて』
「り、了解。巴……」
貫太は巴に視線を向ける、が先ほどまでいた場所に巴はいない。ふと下に視線を向けると、地面にカタカタと震えた和傘が落ちていた。
「ま、まさか……」
回り込んで行くと、和傘は回り込んだ方向へ不自然に動く。一周回ったところで貫太は和傘の先をガッと掴み、持ち上げる。和傘には不自然な重みがあった。額を伝う一滴の汗はその正体を瞳に写した瞬間に大量の汗に変わり、予想していた自業自得に込み上げてくる笑いを堪える。
「と、巴。ひ、久々の子供バージョン、だな」
「…………〜」
気まずそうにした顔を隠すように背けた幼女巴は、ポニーテールの特徴だけを残し、隙のない姿勢を生んでいた体型は三頭身になり、殺気を含んでいた瞳はちょっと気の強いクリクリしたつり目になっていた。海兵に憧れる幼女がセーラー服を着ている、そんなほのぼのした風貌だ。
幼女巴の愛らしさを記録に残す絶好のチャンスに、かよことさなは懐から工事現場で使うようなクラゲ型の照明機を出し、端末のカメラ機能で幼女巴を連写する。
貫太は後から怒られる二人はそのままにして、顔を背ける巴をこちらに向かせるために掴んでいる和傘を半回転させる。
「竹田家の足りないお世話を白天黒ノ米……いち子からの借り物で誤魔化していたんだな」
「ち、違う」
「それならなんで子供のままになっている?」
「…………」
「今の竹田家……いや、小夜のお世話だと白天黒ノ米がないとまともに闘えないって事だ。子供のままでも闘えない事はないだろうけど、今はおとなしくしていろ」
「大丈夫だ。魔獣にはちょうどいいハンデだ」
「…………」貫太は呆れながら巴を肩に担ぐと「たしかに小夜を相手にしてるみたいで、ちょうどいいハンデだ。東北支署に行くぞ」と歩を進める。
「離せ!」
「東北支署に行ったら離す。かよこ、さな……」幼女巴の画像を待ち受け画面にしている二人の方へ向くと「これ以上は大池跡で八童レベルの力を使うのは控えた方がいい。他の連中も来たし、二人は力を抑えてサポートに専念してくれ」
「わかった」
「検討剤」
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場所は座敷童管理省東北支署。
「なななななななななななななんでわっちの白天黒ノ米まで無くなっているでありんすか!」
しずかは懐に手を入れては歴史的に貴重な刀や鎧や古本やマニアが喜びそうなコーラの瓶や蓋や【あんな】と書かれたお風呂に浮かせるヒヨコを投げ出し、大広間を散らかしていた。
美代はため息を一つ吐くと【あんな】と書かれたお風呂に浮かせるヒヨコを拾い、しずかの頭に乗せる。
「白天黒ノ米はしずかや巴のじゃなくていち子のだから、いくら探しても無いよ。二人が悪い事したから、いち子は没収したんだよ。心当たりあるしょ?」
「無いでありんす!」
「何日か前にしずかと巴は喧嘩したよね?」と言うと「喧嘩?」と疑問符を浮かべるしずかにため息を漏らし「しずかが巴のお菓子を盗んで喧嘩になったの忘れたの?」
「アレは喧嘩ではないでありんす!」
「しずかと巴が喧嘩じゃないって思っていても、いち子が喧嘩だと思ったら喧嘩だよ」
「なんで喧嘩したのをいち子はわかったでありんすか!」
「やっぱり喧嘩って自覚してたんだね」
「そんなことよりどうするでありんすか!?」
「言っとくけど私には関係ないからね。しずかと巴が悪いんだから、二人でいち子を納得させる言い訳を考えなよ」
「美代は冷たいでありんす! 美菜ならちゃんと考えてくれるでありんす!」
「はいはい、そうですね」
「美菜はどこに行ったでありんすか!」
「八太を呼びにアーサーが入院してる病院に行ったよ。……そういえば帰ってくるの遅いかな」
「二人とも、ちょっといいか?」
二人の会話を聞いていた加納は、いち子が機嫌悪くなっただけで飛行機が誤作動し墜落しそうになったのを経験している。そのため、深刻な表情になっている美代や動揺しているしずか、端末越しの貫太の言葉や巴の状態などから、緊急事態だと判断するのが妥当だと思っている。だが、いち子が怒っているというのは白天黒ノ米が没収されたという事から生まれた予想であり、確信がない。深読みかもしれない、とは思うが、杏奈から指揮権を継承したからこそ予想に予想を重ねた誤報を発信すれば混乱を生みかねないと考えなければならない。いくら自分に懐いてくれている美代の予想とはいえ予想の内は情報を安易に真に受けるわけにはいかないのだ。従って、全座敷童にある種の恐怖から秩序を与えている存在、それがいち子だと再認識するまでにとどめて、美代としずかの会話に割り込んだ。そして、今の時代、今の座敷童管理省なら、今のいち子を把握する方法があるため「翔君に連絡取れるからいち子が怒っている原因を聞ける」と二人に進言する。
「携帯便利!」と美代が言うと「聞くでありんす!」としずかは続き「今すぐ聞くでありんす! わっちに身に覚えはないと言いつつ聞くでありんす!」と言いながら頭に乗っているヒヨコを巨大化させる。
「わ、わかった」しずかはまだ余裕がありそうだな、とヒヨコを巨大化させて笑いを取りにきたと思いつつ「しずかと巴には身に覚えが無いと言えばいいんだな」と確認する。
「早く聞くでありんす!」
加納が思っているほどしずかに余裕は無い。お風呂場でヒヨコを大きくして杏奈を驚かせる練習をしていたから癖になっているだけで、笑いを取りに行ったつもりはなく、しずかの無意識から生まれた喜劇、加納が見てきたしずかの行いから生まれた誤解だ。
加納はしずかの言葉に(手遅れな気はするが)と思いながら自分の携帯情報端末をテーブルから取る。画面を何度かタッチして電話帳から翔の番号を表示させると、スピーカーボタンを押す。
呼び出し音が大広間に響くと、テーブルに並べてある端末からの雑音がなくなる。おそらく、いち子の現状を聞くために端末を所持している座敷童は聞き耳を立てているのだろう。数回の呼び出し音の後『加納さん。何かあった?』と食事中で口をモゴモゴさせた翔が応答した。
余裕ある翔の声音にしずかと加納は安堵する。もしいち子が怒っていれば翔は食事する余裕は無いし、電話に出る余裕なんてあるわけないからだ。
加納は乾いた喉に唾を流し込むと、巨大化したヒヨコを頭に乗せながらジリジリと近づいてくるしずかに頷き、
「し、翔君。しずかと巴は身に覚えは無いみたいなのだが、いち子は怒っていたりするかな?」
『いち子なら飯を食い終わっておにぎりとDVDを見て……んっ? ……なっ!?』
ガタンッと音が鳴ると『お、お、おにぎり! なんでお前が白天黒ノ米を持っているんだ!?』と慌てる翔の声が大広間に響く。
しずかは大量の汗を額に浮かべながらゴクリと喉を鳴らして次の言葉を待っていると『いち子ちゃんが宝物を見せてくれてるのよ』と理子のお気楽な返答にふぅと息を吐き「白天黒ノ米を自慢したかっただけでありんすか」と安堵を表情に出し、畳にドカリと座ると扇子で顔を仰ぐ。
いち子は怒っていないと加納としずかは思った。そんな安易な考え方をした二人に美代は「このまま終わるなら没収なんてしないよ」とフラグを投げる。
「そ、そうだな」と加納は気を引き締め、しずかは額に汗を浮かべながらも「美代は考えすぎでありんす」と余裕を見せる事で、美代が投げたフラグをしっかりと立たせてしまった。
『いち子! 平泉では魔獣と闘っている最中なんだぞ! ————なに? ワタキの目は節穴じゃ? なにを言って……』
「そ、そうでありんす。いち子は喧嘩したのを知っているはずはないでありんす」
『翔、平泉でブルージェットが発生したって記事の下にオロチが生んだっぽい家畜被害の記事があったよね?』
『あったな』
『あの記事はいち子に教えてもらったんだよね』
「ぶっ!!」しずかは達也の言葉に吹き出す。
『ブルージェットは雷雲から上に伸びる上向きの雷だから、平泉の地上からブルージェットなんて何の冗談かなって思っていたけど……巴なら地上から空にブルージェットを放てるよね?』
『という事は、ここに二本の白天黒ノ米があるから、空を逃げ回るしずかに巴はブルージェットを放ったって事か?』
「ううう梅田のバカ息子、余計な事を言うなでありんす!」
『そうだね。巴と喧嘩するのはしずかぐらいだし』
「わ、わわわわっちではないでありんす!」加納の胸ぐらに掴みかかると「いち子、わっちではないでありんす! 美代でありんす!」
「なんで私? てゆうか、人間の携帯には座敷童の言葉は届かないんだし、諦めなよ」
「加納! どうにかするでありんす!」
「し、翔君、し、しずかと、と、巴は……」
加納は何とかしてしずかの言葉を伝えようとするが、死にものぐるいのしずかに揺さぶられて言葉が途切れ途切れになる。そんな二人の言葉はいち子に届くことなく、
『しずかと巴は文枝さんがいるのに喧嘩しちゃったんだね』
『それは没収だけじゃ済まないな。いち子、そうなのか? ————加納さん、いち子はワタキの目は節穴じゃしか言わないけど、節穴じゃないって事だと思うんだ。巴としずかは喧嘩したの?』
「じでないでありんずぅぅぅぅ!」しずかは涙と鼻水でぐしゃぐしゃにした変顔、泣き顔を加納に向ける。
「ぶっ!」と加納は吹き出すと、胸ぐらを掴んでいるしずかにゴンと頭突きされ「笑い事じゃないでありんす!」と言いながら笑わそうとしているとしか思えない変顔を見せられながら「し、してないかな」と言った。
『加納さん、何で疑問形?』
「い、いや、文枝さんも、楽しんでいたから、喧嘩ではないと、思う」
『いち子、ばあさんは楽しんでいたみたいだぞ? ————加納さん、やっぱりワタキの目は節穴じゃしか言わない。喧嘩確定だ』
「もっと頑張るでありんす!! 加納、翔に言うでありんす!!」
「し、翔君、二人は喧嘩ではなく……」
『翔、あんたさ、もっと視野を広くして見なさいよ』
理子の声音に加納は言葉を止め、しずかは変顔をピタと止めると「誰だかわからないでありんすが、頑張るでありんす!!」と届かない声援を送る。
『何を広く見るんだ?』
『巴としずかって座敷童が喧嘩したかもしれないけど』という期待外れな言葉にしずかは「ぶっ!」と吹き出すと、理子は更に『没収なら今でなくてもできるんだから、戦闘中に二人から刀を没収した事に何か理由があって、それは二人を抜きにして他の座敷童だけで戦い抜けって事なんじゃないの?』と続いた。
理子の言葉に、なるほど、と頷いた美代は「しずかは最初から闘ってないけどね」と言い、加納は「し、翔君、しずかは……」と美代の言葉を伝えようとするが「加納、余計な事は言わないでいいでありんす!!」としずかに頭突きされる。
『なるほど、そういうことか。加納さん、とりあえず巴は八童を引退してるししずかは東北の座敷童じゃないから、魔獣ぐらい東北座敷童だけでやれって事かもしれない。まぁ、でも、それを言ったら佐渡島に向かっている白オロチも東北座敷童がなんとかしないとならないんだけど……その辺はいいよ。たぶん、巴としずかは後からいち子に怒られるし、もちろん東北座敷童も————』
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場所は金鶏山頂上。
八慶と金時は全身から赤い湯気を出しながら、一発入魂、ノーガードで交互に殴り合っている。その周りでも、貴一と金時の付き人が赤い湯気を出しながら殴り合い、木の上から歓声を挙げる座敷童もいる。
そんな金鶏山の頂上、死闘と言える殴り合いの中、交互に殴り合うスタイルを辞退するように、八慶は金時の拳を躱す。
「金時待った!!!!」二、三歩下がると左掌を金時に向ける。
金時は八慶の行為に態勢を崩し、踊る足を踏ん張る事で無理矢理止めると「死闘の途中に待ったとは腑抜けたか!!」と拳を振り上げる。
「違う! 我々、いや、全、東北座敷童の危機だ!!」
「?」金時はピタと振り上げた拳を止める。
八慶と金時の喧嘩中断に合わせて貴一と金時の付き人も殴り合いを止め、木の上で観戦していた座敷童も八慶へ視線を向ける。
「ちょっと待っていろ」
喧嘩中断に静まり返る中、八慶は懐から携帯情報端末を出すと、画面にあるスピーカーボタンを押す。翔の声が金鶏山の頂上に響き渡る。
『なるほど、そういうことか。加納さん、とりあえず巴は八童を引退してるししずかは東北の座敷童じゃないから、魔獣ぐらい東北座敷童だけでやれって事かもしれない。まぁ、でも、それを言ったら佐渡島に向かっている白オロチも東北座敷童がなんとかしないとならないんだけど……その辺はいいよ。たぶん、巴としずかは後からいち子に怒られるし、もちろん東北座敷童も遊びすぎていると怒られる。そもそも、いち子は、八慶と金時はばあさんを心配させないため、守るついでに相撲をしていると思っている。けど、他の座敷童は別だぞ、もし他の座敷童まで喧嘩をしていたら、魔獣が蘇っているのにナニをしているんだ? てなる』
ザワッと金鶏山の頂上に冷たい風が通り抜けると、貴一と金時の付き人と観戦していた座敷童はぶるっと身体を震わせ、それぞれ自分達の大将を見る。だが、自分達の大将は額から大量の汗を流し、先ほどまでの勇姿は無く、見るからに余裕がなかった。
「は、八慶、ど、ど、どういう事だ?」
「うむ。座敷童も携帯を使えるようになったのだ」
「そんなことを聞いてるのではない! この喧嘩はいち子公認ではないのか!?」
「私と金時は文枝殿へ見せるための相撲なら公認のようだ」
八慶の言葉は金時や周囲にいる座敷童が求めている答えではないし、遠回しに言っていたとしても求めている答えには行き着かないと思わせる。一同が求めているのは、今の喧嘩がいち子に公認されているか否か、言い訳を並べている八慶に金時は「は、八慶、話をワザと噛み合わせていないだろ!」と詰め寄る。
「し、知らん!」
「それにおかしいぞ! いち子も文枝様と一緒に平泉へ来ていると聞いたが、翔の話ではいち子は今の状況をわかっていないではないか!」
「いち子なら白のオロチを追って佐渡島へ行った!」
「なな、何を言ってるんだ、巴としずかは何をしとるんだ!?」
「二人は喧嘩したのがいち子にバレてしまい、白天黒ノ米を没収された」
「文枝様がいるのに喧嘩したのか!? それに、いち子にオロチを追わせるとは、お前らは何をやっとるんだ!」
「色々とやっていたのだが、食い違いが重なり、今に至る! とりあえず、現状は、巴としずかは白天黒ノ米を没収され、戦線離脱し、いち子に怒られるのが確定している! 私と金時は文枝殿に見せるための相撲なら公認されてはいるが、現状は文枝殿は見ていなく、やっている事は相撲ではなく喧嘩、いち子にバレたら怒られる。そして、東北座敷童の大半が金鶏山に集まっているのは論外、いち子にバレたら……魔獣が蘇っているのに何をしているんだ? と怒られる。おそらく激怒だな。金時、どうする?」
八慶は腕を組んで金時を見やると、金時ははぁぁぁぁと大きなため息を吐き「どうするもなにも……やっと決着を付けられると思っていたのに!」と言いながら、先ほど躱された分の拳を八慶に頰に叩き込む。
八慶はその場で踏み止まり拳を作ってやり返そうとするが、今は喧嘩どころではない、と理性が働き、ぐっと堪える。
「金時、決着なら、小夜が一人前になり、巴が八童に返り咲いたら付けられる」
「また先延ばしか……いや! 巴が八童に返り咲いたら、八慶はまたどっかに行くだろ!?」
「なきにしろあらず、だな」
『八慶、金時、美代だけど、ちょっといいかな?』
端末から二人の会話に割り込む美代の声が届くと「「なんだ?」」と八慶と金時は応えた。
『文枝様の前なら、二人は魔獣を無視して相撲をしてもいいって事だから、とりあえずになるけど、いち子が巴としずかを叱るために平泉に戻ってくるまでなら、文枝様に立会人になってもらう形で決着は付けられると思うよ。いち子にバレたら怒られるけど』
美代の言葉に、なるほど、と納得する二人は視線を合わせると、
「金時、どうする?」
「文枝様が立会人なら異論は無い。いや、光栄この上ない!」
『てゆうか、金鶏山にいる連中を中尊寺と毛越寺に行かせないと激怒確定だよ。いつどこでバレるかわからないんだし、約一〇〇〇人が今の状況で遊んでいるなんて、これから八童になる八慶も大派閥を率いている金時も激怒の対象になるよ』
「八慶、行くぞ!」
「うむ!」
いち子が怒っているぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!
八慶と金時と美代の会話を聞いていた貴一の絶叫が暗闇の金鶏山に響くと、周囲から同じ台詞の絶叫が続く。暗闇に薄っすらとある多数の赤い湯気は次々と絶叫を挙げ、金鶏山に絶叫を響かせながら、散り散りばらばらに下山して行く。向かう先は中尊寺と毛越寺。
そして八慶と金時は……。
「八慶、携帯とは便利ではないか」
「うむ。事態を知らずに長々と金鶏山にいたら……八童どころでは無くなっていた」
「それでも俺は八慶を八童に推すぞ!」バンッと八慶の背中を叩くと、噎せ返りながら見上げてくる八慶の肩に腕を回し「なんだ? そんな意外そうな顔して」
「金時は私を八童だと認めていたのか?」
「当たり前だろ」
「……当たり前、か」
「おう、当たり前だ」




