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佐渡島、某ホテル。
座敷童管理省からの緊急メールが届いてから数分が経った今も、翔と達也は緊急を知らせる内容に端末を握りしめていた。緊急メールにはオロチを推測した曖昧な情報と一緒に【佐渡島班は現状報告をお願いします】という一文があり、今はまさに現状を考えているところなのだが。
「達也、現状報告って何を報告したらいいんだ?」
高校生の翔には社会人的な組織で行われている現状報告には慣れていない、もちろん『食事中』という高校生らしい簡単な返答はできるが、報告として意味がないのはわかっているし、杏奈が求めているのは推測になっているオロチの情報とこちら側がオロチと闘うために整えてある首尾というのは理解している。だが、現状、報告できるオロチの情報は無く、首尾も人間三人で闘うと決めた以外はノープラン、社会人的にも組織的にも杏奈に報告できる情報は無いとしか思えなかった。
一方、達也はすでに社会人、それも情報の梅田家、現状報告を頭の中で簡単に整理するのはお手の物。それが先方、杏奈の希望にかなう報告になるかは別だが、端末の画面に指を走らせると「現状報告は……」と前置きし「現在、特務員•松田翔•梅田達也、座敷童•いち子•吉法師。一般人•川崎理子は二つ岩大明神で八童三郎とは会えず、旅館に待機し食事中。オロチの情報は無し。八童三郎の行方は不明。明日、小木海岸で特務員梅川梓と合流予定。平泉の詳細な情報を求む……てところかな」とひととおりの現状をメール画面に打ち込み翔に確認を求める。
達也が言葉に出したとおり自分達には杏奈が求めるような詳細な情報は無いと翔は思い、達也の作った現状報告の内容に訝しむ。
「情報無しなのに現状報告するのか?」
「情報無しというのが情報になるんだよ」
「どういう事だ?」
疑問符を浮かべる翔だが、達也は(やっぱり翔は高校生だなぁ)と翔を松田家としてではなく高校生として見ている今は意外感を持つ事なく、情報無しが情報になる、という現状報告に含まれている内容の説明として「この現状報告からわかるのは、まず、三郎に会えていない現状から『白のオロチは俺達で対処しなければならない』事がわかるから、平泉班は増援を考えないとならなくなる。次に、明日に小木海岸で梓と合流、コレは梓との連絡を取れている事を知らせる意味もあるけど、オロチと闘う場所を小木海岸にする意味も込めている。そして平泉の詳細な情報、コレが一番大事になるんだけど、情報の共有からオロチが二首になった時や不明な事態に対応するための準備を相互でしたいという感じかな」と翔に説明し、端末のメール画面にある文章を一瞥の確認で終わらせて、そのまま送信ボタンを押す。
翔は自分の端末と達也を交互に見ると、
「俺もなんか送った方がいいよな?」
「諸々の事情でオロチとは翔と理子ちゃんと俺で闘うから、吉法師は闘わない事を教えた方がいいかな。たぶん、吉法師が闘わない分、平泉の魔獣戦は長引く事になるし、翔や理子ちゃんの力を疑っているわけじゃないけど、小木海岸を闘いの場に選んだ以上はオロチが二首になる可能性が格段に上がるからね」
「リスクを上げる現状報告か……」
翔は呟きながら重い気持ちで端末の画面を見る。すると、会話を聞いていた吉法師は咳払いを一つし、視線を集めると「リスクが上がっている現状報告なら御免こうむりたいが、自らリスクを上げる現状報告ほど『期待してしまう情報』はない。何故なら、発生しているリスクよりも、自らリスクを上げるという報告には事後に期待する何かがあると指揮者は判断しなければならないからだ。次代御三家として必要なリスクだと付け足しておけば、それだけでリスクに見合うリターンがあるのだと、今の杏奈なら理解する」吉法師なりに捉えた杏奈から現状報告の付け足しをアドバイスすると、酒瓶を取り、湯飲み茶碗に注ぐ。
翔は吉法師の言葉は主観的な部分が強いのを理解している。だが、その辺の説得力皆無の大人が言えば自分の客観的な意見を加えて答えを出すが、目の前に居るのは戦国の覇者織田信長、主観を事実と受け取るには十分な洞察力がある。その点から、吉法師のアドバイスには何か含んであると疑った翔は「今の井上さんなら?」と言葉の端を突くように聞く。
「データからの効率重視な考え方が杏奈の長所。短所はデータに無い事に対しての対応力が低い点。おそらく、今の平泉の状況を見ても、今の杏奈なら上手くやれる……がデータに無い事が起きれば良い経験になるだろう」
「吉法師。今の平泉だとデータに無い事が起きるって聞こえるぞ?」
嫌な予感とまではいかないが、杏奈の協調性の無さは懸念材料の一つなため、良い経験というのが良い事象からではないと受け止めるのが妥当。(現状報告は吉法師の話を聞いてからの方が良いな)と思い、端末をテーブルに置いて、ブリの刺身に添えられているツマを食べている吉法師に目礼で先を促した。
吉法師は湯飲み茶碗に口を付けて酒でツマを喉に流すと、順を追って話さないとならないが良いか? と翔に問い返し、あぁ、と返ってきたのを小さな頷きで答えると、
「おそらく、平泉では中尊寺と毛越寺の二手に分かれて魔獣と交戦している。ここで、中尊寺と毛越寺に限り、わかっていないとならない事がある」
「わかっていないとならない事?」
「中尊寺はいち子の封印、毛越寺は龍馬の封印、この二箇所の封印から魔獣は現れるわけだが、現れる魔獣の質は大違いなのをわかっていないとならない」
「魔獣の質……? オロチが第一第二第三になるたびに変貌したり、希少種がいたりとかか?」
「違う。それは第一から外に出た魔獣の成長に関した事。我が言ってるのは質、魔獣はオロチが第一で蘇れば第一の魔獣が蘇るのだ」
「第一の魔獣が蘇る? 言ってる事は同じじゃないか?」
「全然違うわよ」
理子は会話に割り込むと、吉法師の言葉に訝しむ翔と達也へ、
「第一で蘇るなら、第二や第三で蘇る魔獣もいるって事。そして織田信長が言いたいのは、第二や第三で現れる魔獣には第一から蘇る魔獣とは質、言葉を変えると力や知能が第一から蘇る魔獣に比べて高いって事よ」
「「マジか!?」」
翔と達也の驚きは理子と吉法師を呆れさせるには十分だった。何故なら、先祖代々座敷童と関わってきたなら当たり前にわかっていなければならない情報であり、理子のように吉法師の言葉から簡単に推測できる答えでもある。この二点から二人が松田家や梅田家の書庫にある書物を自分の好みから選んで読んでいるか、読んでも理解していないとしか受け取れない。
「うむ。理子の言うとおり」
吉法師は前置きすると、翔はいち子の日記かおもしろい書物以外は読んでいない、達也は流し読みして大筋や表面的な情報しか理解していないと頭の隅に置き、二人の陥欠した部分は今は棚置きし、わかりやすいように丁寧に伝える事にする。
「第一からの魔獣よりも第二や第三から蘇る魔獣の方が更に厄介、希少種も同じと考えてかまわない。そして我が問題視している一つ目の理由になるが、それは前回、オロチが蘇り封印した時から『決まっていた』問題になる」
「決まっていた問題?」
「「…………」」
吉法師と理子は素直に聞き返してくる翔と疑問符を浮かべている達也に訝しむ。前回、白オロチが蘇った時の惨状は知っていても、その中身、どうやって惨状は生まれてどうやって解決したかの『どうやって』がすっぽりと抜けているのだ。いわゆる、惨状はオロチと魔獣が原因だと、客観的な視点からしか理解していなく、それは二人が表面的な部分しか知らなかった事になる。
吉法師は二人への認識を変えなければならなくなった。何故なら、翔と達也は書物を読んでも理解していないという不勉強に加え、前回白オロチが蘇った事で生まれた惨状など、何か理由があって御三家当主が次代御三家に情報を伝えていないと考えた方が妥当になるからだ。予想は今までの三人の事情から簡単にできる——
翔に関しては、将来は松田家当主になりながら竹田家当主を兼任する事になっているため、当時や今の翔も含めて精神面が成長しきっていない状態だと『細かな情報』を知ればその重責にいち子のお世話がおろそかになる恐れがある。
達也に関しては、当時では梅田家としての自覚は無く、座敷童は好きでも『情報の重さ』に目を逸らしてしまう可能性が高い。
小夜に関しては、見た惨状以外の情報は当時も今も伝えるべきではないと判断するのが妥当。
御三家当主の判断としては間違えてはいないと吉法師は思う。三者三様に理由があり、三者三様に情報を封鎖する意味があるのだから。
吉法師は自分と同じく訝しんでいた理子を一つの疑いを込めながら見る。疑いを込めながらとは理子が弥生の子孫だと確信するためなのだが、理子の呆れを含む鼻息と座敷童だからわかる曇りの無い気持ちから、自分と同じ答え、もしくは追随する答えを出していると理解し(やはり我の疑いは正しく、そして達也を心配し深読みしていた懸念は正しくなかった)と微笑を浮かべた。安堵した。まだ予想の範囲だが、安堵するには十分すぎるほど理子の気持ちには曇りがなく(こんな心地良い安堵をくれる者は龍馬、いや、あやつ等以来か……)と過去を思い出していた。こほん、と理子からの先を促す咳払いが耳に届き、数秒の無言があったと気づくと、吉法師は翔と達也へ向き直り、
「前回オロチが蘇った時の中尊寺大池跡では、貫太がオロチと闘っている間、平泉の座敷童は第一から蘇る魔獣は相手にせず第二と第三から蘇る魔獣を大池跡から出さない事を徹底した。平泉に散らばりオロチの元へ向かう魔獣は、遅れて到着した金時や秋田の座敷童が制圧した……が、すでにオロチの元にいる魔獣は百千万と数える事もできなかった。我と龍馬で半分は天に還したが、あの時の状況では全てを天に還すよりも封印を最優先にするしかなかった。そのため、残りはオロチと共に毛越寺に封印した。従って、一つ目の問題視とは、毛越寺には第一から蘇る無数の魔獣、中尊寺には第二や第三から蘇る多数の魔獣になる」
吉法師は湯飲み茶碗に口を付けると、思い出した被害を呑み込むように酒を喉に流し込む。
部屋の空気は重くなり、ブリアイヌネギをオカズに混ぜご飯をがむしゃらに食べているいち子の咀嚼音とテレビからの【カケルとコイチの遭難物語/ヒグマとの二週間】の音声『コイチ。お腹空いてないか?』『うむ。そろそろ非常食を食べる頃じゃな』『俺達はヒグマから逃げているのを自覚してくれ』というコイチに振り回されるカケルの疲弊した声が響いている。そんな疲弊したカケルと同じく、翔と達也は平泉の状況を想像しただけで精神的に疲弊し、頭が重くなり、言葉を出せずにいた。
そんな重苦しい空気の中、理子は何事も気にする様子なく、軽い口調で「とりあえず、織田信長が期待してる杏奈って人が中尊寺と毛越寺から蘇る魔獣の質を理解していなくても、平泉や秋田の座敷童は理解しているのよね?」と理子なりにまとめた一つ目の問題視、その結論を吉法師に聞く。
「うむ。おそらくだが、元八童の巴が平泉に集まっている座敷童の陣立てをしているだろう」
「杏奈って人のデータに無い事でも座敷童は自分達でなんとかするのに、織田信長は『今の杏奈』って人に何を期待、というか……」いたずらな笑みを吉法師に向けると「この場合は心配になるわね」
「心配……か、うむ、確かに心配でもある。だが、中尊寺と毛越寺、この二つの戦場で、平泉にいる東北座敷童が魔獣とだけ交戦していれば問題ない」
わかるか? と付け足して理子に挑戦的な視線を向けると、理子はシラッと吉法師の視線を流して眉を軽く上げて肯定を伝えてきた。予想の範囲を確信し、理子が自分にだけ伝えてきたと受け取るには十分な返答、そして気持ち。吉法師は挑戦的な視線をいたずらな視線に変えて翔と達也を見ると、
「達也、翔。二つ戦場で東北座敷童が魔獣とだけ交戦していれば問題ない、この意味、わかるか?」
「魔獣とだけ……翔、わかる?」
「魔獣やオロチ以外との闘いを疑えという事なら、今の平泉なら八慶が八童に推薦された点から考えると、八慶を八童として認めない座敷童の反乱、縄張り争いだな」
翔は(協調性の無い井上さんでは健や彩乃がいても三つの戦場から生まれる齟齬には苦労するだろうな)と予想し、ため息を吐きながら吉法師に目礼で先を促す。
「うむ。戦場は中尊寺と毛越寺の二箇所だけではなく三箇所、おそらく金鶏山では八童八慶と金時の……」
チラと理子におかわりを要求しているいち子を見ると、言い出しにくそうに小声で「喧嘩……」と言い、
「もとい、縄張り争いをやっている。ここからは予想に予想を重ねるのだが、その金鶏山には八慶と八慶を慕う八童レベルの五人と金時が率いる秋田座敷童と反八慶派の東北座敷童約一〇〇〇人がいるだろう」
「八慶乙!!!!」
理子は実体のお椀にある混ぜご飯を盛り直しながらネット用語で八慶お疲れ様と大袈裟に言うと、いち子は「自演乙じゃな」と続ける。そんな自演乙の意味もわからずに口に出したいち子に「いち子。縄張り争いは自作自演ではなく、喧嘩仲間とは八童になる前に決着を付けたいと思っている二人の喧嘩だ」と翔は言い聞かせると、吉法師に向き直り、
「吉法師。いち子は八慶と金時の喧嘩、金鶏山の縄張り争いには怒っていないから心配するな」
「平泉には文枝殿がいると聞いているが?」
「そういえばそうだな。いち子、怒らなくていいのか?」
「ばあちゃんは相撲が好きじゃ」
「座敷童の世界にも金時が理事長をやってる相撲協会があったな。八慶と金時には時と場合を考えろと言いたいところだけど、いち子から見たらばあさんに相撲を見せている……て感じか?」
「うむ」
いち子は怒っていない。
【井上文枝がいる時は座敷童同士の喧嘩をしてはならない】
いち子が作った座敷童の世界の法律であり、喧嘩という曖昧な行為を禁止するモノなため、喧嘩かどうかの判断基準はいち子の匙加減になり、それはそのまま、いち子の気分次第で判断は変わるという恐ろしいモノになる。食事中で機嫌が良いからか、八慶と金時の喧嘩を相撲だと思っているからなのかはいち子にしかわからないが、とりあえず今は怒っていない。
吉法師は唯一心配していたいち子の激怒は無いと安堵すると、ふぅと息を吐く事で気持ちを整理し、脱線した話を元に戻すように「八慶が八童になる事を反対する座敷童は金鶏山に集まるため」と切り出すと「中尊寺と毛越寺では魔獣との数の差から苦戦を予想できる。が、今の杏奈から見れば、第二第三から蘇る魔獣を相手にする中尊寺大池跡では巴やその精鋭が交戦し、第一から蘇る魔獣を相手にする毛越寺大池が池も数では圧倒的に不利だが、八慶が縄張り争いを終わらせるのが早ければ早いほど問題無しと思うだろう」
「とりあえず今の話で杏奈って子がわかったわ」理子はいち子のお椀に混ぜご飯を山盛りにすると、御供えして両手を合わせる。自分の椅子に戻り吉法師に向き直ると「織田信長が心配しているのは、杏奈って人のデータに無い事、おそらく『今の杏奈』て人なら無理してる座敷童に気づかないから、そのまま疑問を持たずに闘わしていられるけど、もし、座敷童が無理しちゃってる事に杏奈って人が気づいたら……て時ね」性格悪いんじゃない? と内に秘め、先ほどの仕返しとばかりに挑戦的な視線を向けると「であるな」と挑戦的な視線を微笑と軽い肯定で返されたため「リスクを上げる現状報告ほど『期待してしまう情報』はない、とはよく言ったものね。織田信長は平泉が不利になる状況を楽しんでいるみたいよ?」と皮肉混じりに返した。
「戦では不利になる状況でどれだけの判断を下せるかで大将の質がわかる。杏奈が戦況に違和感を感じたなら十分な評価を与えてやれる、が誰かが戦況の異常を杏奈に教え、杏奈が最初から自分は負けていた事に気づけば……その後の判断を見たいものだな」
「織田信長。とりあえず、平泉は大丈夫なのね?」
「縄張り争いなど遊びの一つ。オロチが第三にでもなれば魔獣を優先する。それまでに何かしらの被害があるかもしれないが、人間側には翔の友人である健と彩乃という協力者がいるため、ある程度までなら心配無い。杏奈の挫折からの成長が……」
視線の先で悪巧みするような表情を理子が作っていたため言葉を止めて、そのまま動向を伺っていると、理子はテーブルにある翔の携帯情報端末を雑に取った。
「おい、おにぎり、何する気だ?」
翔は理子の行動を予想するまでもなくわかり、
「性格悪いぞ」
「性格悪いのはあんたよ。話を聞いてる限りだけど、杏奈って子は賢いだけの箱入り娘じゃない。そんな人が自分には理解できない経験をしたらどうなると思っているわけ?」
「井上さんなら乗り越え……」
「乗り越えた後よ。理解できない経験なんて人間生きていれば毎日するわ」
「毎日は言い過ぎだろ」
「あんたは軽く考えているけど、箱入り娘が乗り越えた先にあるのは、箱の外という自分の考えや経験が役に立たない挫折しかない世界よ」人の話を聞けよ、という翔の言葉を無視しながら「織田信長が心配している『挫折をしてからどうするか?』を私は問題視しているのよ。箱入り娘が箱から出たら到着口には挫折、そんな居場所しか無いのよ?」
「!」
翔の脳裏に協調性皆無な杏奈の希薄な表情が浮かび、あの希薄な表情にはどれだけの意味が隠されて(やっと見つけた自分の居場所でもある座敷童との生活に挫折しかなかったら……)と思い、奥歯を噛み締め、友人認定さえされていないかもしれない自分が言うには恥ずかしいと思いながら理子に、
「い、居場所なんていくらでもあるだろ! 俺が……俺といち子がいる」
「ヘタレ」
俺がいる、と言えないいち子頼みな翔の言葉を一蹴し、
「まぁ、客観的に見れば、わざわざあんたが作らなくてもあるわよ。それは、あんたを含めて他人が作った居場所を居心地良いと杏奈って人が思うかは別にしてね」
「そ、それは……!」
自分よりも杏奈を理解しているような理子の言葉に、同性だからわかる心情だと割り切るしかなく、男の自分では力不足だと自覚し、
「ど、どうしたらいいんだ?」
「自分で考えろ、と言いたいけど特別に教えてあげるわ」湯飲み茶碗を取って喉を潤すと「あんたと杏奈って人の関係はわからないけど、家族、友人、彼女どれかでも、本当に杏奈って人を大切に思うなら、データに無い事をあんたが口に出して行動で見せるよりも織田信長みたいに経験させるのが優しさよ。あんたはどうせ気を使って甘やかしていたんでしょ? あくまでも織田信長が平泉を予想している限りでだけど、あんたが甘やかしていた結果が今の杏奈って人を生み、そして今の答えが杏奈って子のためになっていなかったって事になるわ。従って……」
翔の内心を抉り、思いを切るように言葉を並べると、頭を下げていく翔の白髪を鷲掴みし「織田信長が平泉を予想している限りって言ったでしょ?」と翔の頭持ち上げ、携帯情報端末の画面を指で叩きながら電話帳にある井上杏奈をタッチしスピーカーボタンを押す。
「とりあえずメールなんてまどろっこしいのよ。まず平泉の現状を聞いて、あんたが……ヘタレには無理ね。今回は私がなんとかしてやるわ」
「なんとかできるのかよ」
「でき……もっしもーーーーーーーーーーし!」
呼び出し音が無くなった瞬間に頭の悪い挨拶をする。
翔はため息を漏らし、達也はいち子のおかわりに対応し、吉法師は手酌しながら場を観察する。
翔の携帯情報端末のスピーカーから『松田さんの携帯のはずですがどちら様ですか?』と希薄な表情のまま右手中指で眼鏡の位置を調整していそうな気難しさが伝わる抑揚のない声音が一同の耳に届く。
「あら、大人だと思ったら女の子じゃない。ヘタレ翔の彼女?」
『違います。おそらく佐渡島へ向かう道中に出会った川崎理子さんかと思いますが、こちらは冗談に付き合っている暇はありません。失礼します』
「ヘタレ翔がそっちを心配してるのよね〜」
『……心配、ですか』
「あら、通話を切らなかったのは、心当たりがあるってことよね〜。もしかして、もう、気づいちゃった? 自分の居場所は無いって」
「!」
翔は、はっきりと言葉に出す理子から携帯情報端末を取ろうとしたが、するりと躱される。
数秒の無言の後、携帯情報端末のスピーカーから、
『川崎理子さん。座敷童管理省へ入省しませんか?』
「それは、余裕がある、と受け取ってもいいのかしら? 一応、ヘタレ翔の代わりに私が杏奈ちゃんを慰めてあげようと思ったんだけど?」
『慰める……ですか。まったく、会った事もない人にまで……〜』
チッと舌打ちしたような音が鳴ると、『『お孫殿乙!』』と健と彩乃が杏奈を揶揄しているのが聞こえてくる。
「んっ? コレって」
「翔。向こうもスピーカーにしてるよ。もしかしたら座敷童とも繋げているんじゃないかな。後から伝えようと思っていたけど、杏奈ちゃんは座敷童もイヤホンマイクを使えるのをわかってたんだ」
翔の端末は実体の端末なので座敷童の声は聞こえない。だが、座敷童デジタル化計画の発案者の杏奈なら健や彩乃だけでなく座敷童にも非実体の端末を渡して、座敷童と人間で魔獣に対応しているとわかる。
座敷童デジタル化計画を反対していた翔だが、中尊寺•毛越寺•金鶏山にいる座敷童側の声から情報が人間側に入るのは強みになると思い、そこから生まれる対応から被害減少に繋げられる、と多少だが不安が薄らいで息を漏らす。しかし、そんな翔の内情を他所に杏奈から理子へ向けた言葉が投げられる。
『川崎理子さん。例えばの話をしますがよろしいですか?』
「いいわよ。織田信長の期待どおりに挫折した杏奈ちゃん」
『勘違いしているようですが、私は挫折などしていません。一応、そちらにも参考になる例え話になりますので、問題方式にしますから答えてください』
「問題方式……?」理子は杏奈の言葉に表情を変えない吉法師を見ると「まぁいいわ、どうぞ」と杏奈へ先を促す。
『もし、松田さんに彼女がいたとします』
杏奈はぶっと吹き出す翔の反応に気づく事なく、例え話を続ける。
『その彼女は平泉に旅行中の性格の悪い幼馴染なのか、他人の事情にズガズガと入ってくるお節介な女性なのかは第三者にはわかりません。しかし、松田さんに優先する彼女がいたとしたら、お節介な女性は性格の悪い幼馴染になんと今の現状を説明しますか?』
「とりあえず、翔と一緒にお風呂に入って隅から隅まで見て見られた関係になったのを、幼馴染と第三者の眼鏡をかけていそうな女の子に自慢してやるわ」
『翔、大人に……』
端末のスピーカーから友を失ったような健の寂しそうな声が届くと、翔は健の声よりも寂しそうな声で、
「健、大人にはなってないぞ」
『嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
健の絶叫が響く、が翔はそんな絶叫など俺の心には響かないと言うように、
「友よ、純真な高校生男子がムダ毛処理を見せられたらどうなると思う?」
「…………絶望するだろうな」
「あぁ。絶望し、妹か弟を両親に心願し、松田家跡取りルートを辞退するレベルだ」
「じ、自分で跡取りを作れなくなるまでの絶望を……。翔、俺が悪かった」
『お前ならわかってくれると信じていた、親友』
『翔、彩乃だ。彼女かもしれない性格の良すぎる幼馴染は赤飯を炊いてやりたいと思っていると思うのだが、米と紅生姜を一緒に炊けばいいのか?』
「彩乃。彼女になる事のない辛辣な性格を持ち合わせる幼馴染に会ったら言っといてくれ、お前は台所に一生立つな」
『わかった。とりあえず、こっちは私と健でなんとかなりそうだ。翔の心配というのがお孫殿の挫折だとしたら、私と健が爆笑した後に慰めてやってくれ。翔の遠足ガスコンロ事件よりは笑えなかったが、傑作だったぞ』
『私は適材適所を弁えて指揮を離れ、茅野さんと高田さんに現場を任せただけです。これから二人にはできない一手を作るところですから』
『『はいは〜い』』
「……」
今までの会話を聞いていた理子は口端に微笑を浮かべた吉法師を確認すると、
「杏奈ちゃん、答えはなにかしら?」
『今のが答えです。松田さんの彼女とは、いち子ちゃんも認める女性になりますので、松田さんを助けたいと心配はしても、松田さんに心配されるような女性では無いという事です』
「その女性とは幼馴染かしら? それとも第三者の眼鏡をかけていそうな女の子かしら?」
『松田さんに心配させない幼馴染やお節介な女性なら、第三者が心配しなくても、松田さんを支えられる、と言ったつもりでしたが?』
「あらあらあらあら、杏奈ちゃんはヘタレ翔を助けたいと思っていたわけですか〜〜〜〜? まったく翔は情けないわね〜〜〜〜〜〜!」
杏奈への安堵と理子への呆れから大きなため息を吐く翔の背中をバンバン叩いていると、端末のスピーカーから杏奈の声が続く。
『私は松田さんを心配していませんし、心配されるような挫折などしていません。そもそも、例えばの話をしていたはずです』
「そっちは大丈夫なのね?」
『大丈夫ではありません。というより、旅先でオロチを見ているにも関わらず、お節介で他人の事情に出しゃばれるなら、さっさとオロチを倒してもらえませんか? それだけの力が…………』
「どうしたのよ?」
『今、佐渡島にいる特務員からメールが入りました。……佐渡島班には最悪な状況になりました』
「どんな状況かしら?」
『吉法師さんと共に東北のオロチと闘う予定だった座敷童お濃さんが、佐渡島では特別危険指定座敷童という事で一切の行動を制限されるようです』
「だからなに?」
『オロチと闘うのが吉法師さんだけになりましたので、それだけオロチが……』
「織田信長も闘わないわよ」
『…………事の重大さを理解していますか?』
「事の重大さを理解した時に助けてくれる人間や座敷童がいなかったら、翔を助けたい杏奈ちゃんは諦めるわけ?」
『それはこちらから援軍が欲しいという事ですか? 魔獣ではやる気を失せている八童のしずかちゃんを助けに行かせますか? それとも、存在が災害級座敷童のさとちゃんと近畿では八慶君と一緒に八童代理を勤めていた八太君を行かせますか? 八太君とさとちゃんの子供のかぼちゃちゃんもいますよ』
「嫌味のつもりなら残念ね。とりあえず、増援は必要無いわ」
『……増援は必要無し、ですか。実体の端末で会話している時点であなたは人間だとわかります。人間がオロチを倒すなど夢物語だと思っていましたが、祖母が圧倒した話を聞きましたので、川崎理子さんもオロチを倒せる、と理解しても良いのですね?』
「あら、若い者が揃いも揃っているのに、オロチと祖母を闘わせるなんて祖母不幸じゃないかしら?」
『……なるほど。理解の範疇を超えた力は推測の域を出ない事だったので棚置きしていたのですが、人間の力を超越した力の裏には相応の負担があり、松田さんが独断専行した理由には座敷童の事では猪突猛進になる祖母への負担があったのですね』
理子はチラと吉法師を見ると(織田信長、どう?)と視線に含ませ、微笑した吉法師はソレを頷きで返した。
『杏奈ちゃん。織田信長が、期待以上だ、てさ』
『私は挫折もしてなければ、祖母不幸もしてません。そもそも、私は松田さんに騙されて妖刀になった薙刀に力を奪われ、自由に動く事ができずにいました。その松田さんも梅田さんに騙されて寝ていました。第一、何故、私達が平泉に来て間も無くオロチが……あぁっ!』
「どうしたの?」
『佐渡島は川崎理子さんに任せました。報告は特務員の加納さんと美代ちゃんが受けますので後は二人にお願いします。私は祖母不幸をした張本人を見つけましたので失礼します。—————』
一方的にスピーカー通話は終わると、理子は端末の画面にあるOFFボタンを押す。口元をニヤつかせて吉法師を見やると、
「織田信長の目も曇っていたわね」
「誰かが杏奈に自分の覚悟を見させたのだ。でなければ、健や彩乃もあそこまで気楽にはなれない」
「自分の覚悟を見させたってなんだ?」
「達也。命ある者を戦場で動かす立場の者は、その者達の死を背負う事になり、自分の采配で命が散るのだ。言葉や書物では表面的なモノしか学べないが、命にはその者の全てが詰まっている、他人が背負うには重い家族や恋人や友人の気持ちもな。その命の危機、重い気持ちに直面した時に気づくのが自分の覚悟なのだが、杏奈は自分の覚悟を……早急に健と彩乃に戦場を任したところを鑑みるに、我が今回学んでほしかった自分の覚悟の上、死の覚悟を性格の悪い座敷童が教授したのであろう」
「井上さんにそんなことを教えるのは八慶か巴……違うな、二人とも井上さんにはそこまで求めていない。思い当たる節があるとしたら、家主の孫だからって理由で、しずか……だな」
「うむ。しずからしくない、珍しい事もあるものだ。少しスパルタな気もするが、しずかから見て、乗り越えられるだけの想いか何かが杏奈にはあったという事だな。これで我の隠居も少しは早くなった」
「……吉法師、平泉は大丈夫だと思っていいんだな?」
「ふっ」
微笑すると、箸を取り、ワサビをブリの刺身に乗せてかすめる程度に醤油を付けると、そのまま口に入れる。厚みあるブリの食感を楽しむように二、三度咀嚼すると喉越しも求めて飲み込む、口の中の脂とツーンと鼻を通るワサビの刺激を中和するために酒をぐいっと飲み、ふぅと満足気にすると、
「信用や信頼の大小に比例し相手への心配や不安の密度は変化するのだが、自分や自分達を信用していない者に心配されても、闘っている者等にはありがた迷惑でしかない。目の前も見えぬ者が遠い平泉の地で起こっている戦を心配したところで何ができるかはわからぬが、杏奈や彩乃や健に心配させたいなら、心配していればよい」
返答としては辛辣だったが「だよな」と翔が平泉にある懸念に踏ん切りをつけるのには十分だった。
翔はふぅと気を取り直すように息を吐くと、理子を見て、感謝しないとな、と言葉にしようとするが、理子はそんな気をさらさら見せずに興味と酒瓶を吉法師に向けていた。
「織田信長。美味い酒になりそうね」
「うむ。我の心配は全て無くなった」




