第二章 ジョンが繋いだ出会い
1
「いち子。小豆飯を食った後は何するんだ?」
「今日は、玄関チャイムの音を無くして、電話の受話器を外すんじゃ」
「いい仕事っぷりになりそうだな」
「うむ」
今日のいち子の仕事(御利益)は、悪徳訪問販売や特殊詐欺から井上のばあさんを守る。という事になりそうだ。
その程度の御利益? と疑問符が浮かぶと思うが、それは大きな勘違い。
座敷童が見えない側の井上のばあさんが、幼少期から毎日欠かさず小豆飯を御供えしてコツコツと増えた御利益は今ではとんでもない化学変化を起こしている。
住宅地を抜けた山の麓、そこに現れたのは高さ四メートルの城門、左右に視線を向けると三メートルの白壁が連なる。
敷地内は、発芽してない桜の木と広い池の庭園。毎年見事な桜を咲かせて花鳥風月を創り出す。
門から続く石畳の道と規則正しく並ぶ灯籠は、外観が神社の本堂のような純日本家屋の平屋屋敷まで続く。
井上のばあさんが幼少期から積み上げた御利益の結晶、そして御利益に甘んじることなく努力を重ねた結果で生まれた小豆飯御殿だ。
いち子が毎日通うだけでコレだけの御利益があるのか……と思うのは尚早。いち子は松田家に住む常駐型座敷童なため、井上のばあさんが得れるいち子からの御利益はたまたまの産物による詐欺被害の防止や『無くした物が見つかった程度』の御利益だ。それでも、井上のばあさんなら同じ結果を作り上げたと思うが……
井上のばあさんがコツコツと貯めた御利益の大半は、常駐型座敷童【しずか】といういち子の友達からの御利益だ。
いつもはしずかが城門の屋根から出迎えてくれるが、二週間前に『小豆飯に合うたこ焼きを探してくるでありんす』という言葉を残して大阪に行った。
常駐型座敷童なのに旅行? 放浪型座敷童じゃないのか? と疑問符が浮かびそうだが、しずかは『必ず』井上のばあさん宅に戻ってくる。
この『必ず』という習性が座敷童を常駐型•放浪型に分けている。
家を拠点に遊び回るのが常駐型。
地域を拠点に遊び回るのが放浪型。
自分の行動範囲、所謂、縄張りにしていた家や地域に御供物がなくなり、放浪した末に縄張りに戻らなくなった座敷童がノラ座敷童になる。
因みに、祭壇や仏壇に御供えしてる和菓子や煎餅やフルーツなども座敷童はつまみ食いする。
つまみ食いと言えば言葉が悪くて神様仏様ご先祖様が『コラッ』と座敷童を叱るんじゃないか? と思われるかもしれないが、先にも説明したとおり座敷童は家に立ち寄るだけでも御利益がある。そんな御利益を家に与えてくれる座敷童を、神様仏様ご先祖様は可愛い子供にお菓子をあげる感覚でつまみ食いを許している。
ノラ座敷童が増えているという事は、座敷童文化や風習の衰退だけではなく、ご先祖様への感謝や神仏への信仰も減ってきているという事だ。
……と簡単に説明させてもらう。
*******************
いち子は小豆飯を楽しみにしながら、トコトコと音が鳴りそうな歩幅で敷地内に入って行く。
「今日はにぎやかじゃな」
「……、いち子、ちょっと待て」
「?」
門の左右には、家紋丸に揚羽蝶が記された提灯、遠目に見える玄関前にも同じ提灯がある。
毎日いち子が遊んでた庭では、喪服を着た夫婦らしき男女と涙を流した少女がいる。
いち子は今か今かと小豆飯を楽しみにしてるが、俺は「この時がきたか……」と井上のばあさんの葬儀だと思い、いち子を抱き上げる。
「なんじゃ?」
「いち子、井上のばあさんはあの世に行った」
「……、……小豆飯は?」
「黒飯だな。もしかしたらいち子の分が無いかもしれない」
親が座敷童を信仰しても子供がまったく興味ないのは座敷童が見えない側の人間では当たり前にある。そうなると常駐型座敷童はその家から出て行くしかなくなる。
余談になるが、座敷童が好物なのは玄米または米•餅米を小豆とブレンドして炊いただけの小豆飯。祝い事や特別な日は小豆を使った赤飯を所望する。
小豆飯と黒飯は小豆か大豆の違いなのだが、いち子問わず座敷童は黒飯になると食べたがらない。
「……黒飯は嫌いじゃ」
いち子の発言は、井上のばあさんの死よりも小豆飯という発言だが、その表情は涙を浮かべて口を尖らせている。
幾年も生きる座敷童とはいえ人の死は辛く悲しい。それも毎日通うほどの付き合いなら、座敷童と人間が持つ気持ちに差はない。
いち子は急な訃報に言葉が浮かばないだけだ。
俺の知る知識では、常住型座敷童はお世話になった人間が亡くなると、忌明けまでは喪に伏して小豆飯を我慢する。そして、四九日に参列した人の後に付いて行き、新たな家を探す。
いち子は小豆飯がおあずけになった事にワガママを言わず、泣きたい気持ちで大きな瞳を潤ませ、口を尖らせながら我慢していた。すると、ピクッと身体を反応させて警戒するように俺の背後を見る。
『あ、あの……』
風鈴の音を思わす弱々しい声音が俺の背後、いち子が向いてる方向から届く。
俺は九○度振り向き、いち子に向けていた視線を声のした方向に向ける。そこには先ほど庭で泣いていた少女がいた。
(見覚えがあるぞ……井上のばあさんに見せられた写真に写っていた孫だ。可愛いとは思ってたけど実物は……どストライクだ)
色素の薄い髪のショートボブ、黒縁眼鏡越しから覗かせた気弱な垂れ目、化粧いらずの童顔と乙女職人が角度を微調整したような撫肩、その華奢な体躯が生む気の弱そうな雰囲気は一粒一粒大事に育てられた糖度の濃いイチゴを思わせる。保護欲を誘う可愛いさだ。
そんな彼女を『ラグビーのスクラムを組んで守ってあげたい』と思春期男子問わず漢なら思ってしまうだろう。
「祖母のお知り合いの方ですか?」
「……、はい、いつもお世話になってました。あの、線香をあげさせてもらってもいいですか?」
「はい、それでは中へ」
「…………」
(……、いち子を抱いた姿は変な人に見られてるだろうな)
座敷童が見えない側の人間が今の俺を見れば『何かを持っているパントマイム』と変わらない。
変人に見られてしまうのは見える側の宿命と割り切ってるけど、ただでさえ目立つ白髪にパントマイム……俺も一応思春期男子、可愛い女の子の前だと恥ずかしさが出てしまう。
案内されるがまま通い慣れた玄関に入り、靴を脱いで広い廊下を歩いて行く。
「⁉︎」
目を疑う光景が写り、思わず声が出る。
「ばあさん!」
「ばあちゃんじゃ!」
廊下の奥には、白髪を団子にして後頭部で纏めた古き良き時代のおばあちゃん像そのままの井上のばあさんがいる。
孫にも遺伝している小柄で華奢な体躯は、年を感じさせないしっかりとした足取りで歩き。
健康体そこにありと言わんばかりに、しずかといち子の御膳台を重ねて持ち、奥座敷(しずかの部屋)へ向かっていた。
いち子は俺の腕から飛び降り、井上のばあさんの元へ走って行く。俺はいち子の後を追った。
「ばあちゃぁぁぁぁぁぁん」
「ばあさん!」
幽体か? と頭をよぎったが、井上のばあさんは喪服を着てる。幽体なら白装束……いや、それ以前に、俺は座敷童だから見えるだけで霊能力者ではない。霊能力に目覚めたか? と頭の中では錯綜する。
「翔坊、血相変えてどうしたんじゃ?」
振り向いたその表情は、優しさ溢れた菩薩を思わせる微笑み顔。
「ばあさん……生きてる、よな?」
恐る恐る聞く。
「?」
井上のばあさんは首を横に傾げ、疑問符を浮かべる。
「ばあさんの葬儀じゃ……、!」
(うおっ、俺は霊能者じゃないんだから生きてるって事だろ!)
勘違いとはいえ失礼な発言をしていた事に気づく。
「昨晩ジョンが死んでしまったんじゃ」
井上のばあさんは失礼な発言を否定することなく、現状だけを言うと、
「ワシが病気したり死ぬような事あれば、主治医から翔坊に連絡が行くようにしてあるじゃろ」
「ジョン……? ジョンが死んだ?」
ジョンとは、井上のばあさん宅で飼っていた『息子』の土佐犬。
たしか……土佐犬好きが悪化した井上のばあさんの息子は大学卒業を機に土佐犬のオーナーになる夢をかなえるため、高知県に移住したと聞いてる。
ここからは余談になるが……
結婚した年に家を建てた井上のばあさんの息子だが、規制が厳しくなった土佐犬を飼うには条件が足りなく、土佐犬を育てる前提の所得も一般サラリーマンでは一軒家のローンや車のローンで手一杯。土佐犬を飼うとなれば生活苦が目に見え、妊娠していた奥さんの大反対もあり断念するしかなかった。
しかし、ジョンの潤んだ瞳に情が湧いた息子は奥さんの大反対を押し切り、井上のばあさんに懇願……いや、出世払いで返すから土地を買ってくれ、と言い出したらしい。
だが、息子には鬼のように厳しい井上のばあさんは「子供を育てる環境を親として作り、自分で土佐犬を飼える環境を作ってから飼え」と正当で論破。奥さんが井上のばあさんに連絡していたのは言うまでもない。
八方塞がりになった息子は強行手段を取り、ジョンのオーナーや保健所•自治体の人と井上のばあさん宅に訪れ、土佐犬が飼える環境かを査定。連れてきたジョンを庭で走らせマーキングさせる。
井上のばあさんの論破を跳ね除け『自分が土地を買うまでここで飼う』という強行手段を取った。
呆れ果てた井上のばあさんと奥さんは、ジョンの食費や保険や病気時の治療費などを自分の小遣いから払うという条件で妥協するしかなかった。何よりも、ジョンが井上のばあさんに懐いたのが、鬼のように厳しい部分を曲げさせた決め手になったらしい。
しかし、土佐犬を飼うための金銭的な負担は自宅で飼ってなくても息子の小遣いだけで補えるモノではない。
その被害は、日々の生活には支障が無い程度だが、家族での旅行や娯楽に出せる金銭はなく北海道への里帰りもできない状態だった。それはそのままジョンに会えないという事になる。
息子には鬼のように厳しい井上のばあさんだが、奥さんと孫には菩薩のように優しいため息子には内緒で小遣いを送っていた。その小遣いを旅費にして、年に一回ジョンに会いに来ていたようだ。
話を戻し、ジョンとの付き合いなら息子や孫よりも俺の方が濃密と断言できる。
母親に連れられて○歳から井上のばあさんの家に通う俺はジョンと一緒に成長してきたと言っても過言ではない。
庭の池で溺れた時……救助してくれた。
いち子と山で遭難した時……警察犬や自衛隊を差し置いて見つけてくれた。
小学校の校庭に熊が現れた時……俺や友人が襲われそうになったのを救ってくれた。
語れば尽くせないジョンの武勇伝、熊を倒した事で土佐犬オーナーが殺到しハーレムを作ったジョン……
思い出に浸りたいけど、今は亡くなったと思っていた井上のばあさんが生きてた事に安堵し。在ろう事かその安堵が無意識に口に出てしまった。
「よかった、……!」
ジョンが亡くなっているのだからよかった事など一つも無い。言ってから失礼な発言だと気づいて、顔を引き攣らせる。
「いや、わ、悪い……、ばあさんの葬式かと思ってたから……」
井上のばあさんの葬儀だと思ってた事も失礼な発言なのだが、そこまで気を向ける余裕は今の俺には無かった。
そんな俺に対して井上のばあさんは気にするなと言うように微笑む。
晩年の老いたジョンを見ていたため心の準備はしてたけど……いざジョンが亡くなると別だな。心の準備なんて目の前の死には無意味だ。悲しいし、胸に穴が空いたように寂しい。
いち子も俺と気持ちは同じなんだろうな。井上のばあさんの背中に甘えたようにおぶさって、鼻水を垂らしてる。
そんな暗い雰囲気を出した俺といち子の耳に気弱な声が届く。
「おばあちゃん? こちらは……」
井上のばあさんを呼ぶのは黒縁眼鏡の孫。
「いつも座敷童とワシを結んでくれとる翔坊じゃ」
「座敷童……?」
孫は黒縁眼鏡のフレームを右手親指と人差し指で摘む。
俺から客観的に見てだが、眼鏡の奥の気弱な垂れ目は疑いよりも戸惑いの色が濃い気がする。
(座敷童が見えない側の反応としては良心的だな)
と俺は思った。座敷童が見えない側の人間なら『座敷童とワシを結ぶ』と言われたら、祖母を騙す霊媒師か詐欺師と疑う。
それほど、見えない側と見える側には距離があるのだ。大概は、可哀想な人間を見るような表情をしたり、人をバカにしたような見下した表情を向けてくる。
井上のばあさんの孫は、癒し系に相応しい心の持ち主だと俺は思えた。
「失礼しました。ばあさん……いや、お祖母さんにいつもお世話になってる、松田翔です」
慣れない敬語を使って一礼、ゆっくりと頭を上げると、一礼した俺に対して孫は額から一滴の汗を流していた。
(顔には出さなくても、白髪ヤンキーの霊媒師や詐欺師と思ってたら固まって当たり前か……)
と思いつつ苦笑する事しかできなかった。
俺の苦笑と孫の対応に見かねた井上のばあさんは、叱るように言う。
「これ、杏奈。ちゃんと挨拶せんか」
言葉は叱っていても表情は微笑んだままなのは、本気で叱ったわけではなく会話をしやすいように気を使ったといった感じだ。
「い、井上杏奈です。挨拶が遅れて申し訳ありません……」
気弱な口調と視線を泳がせた自己紹介は、華奢な体躯が更に小さく見える。
(……ど、どストライクだ……)
気弱な口調と華奢な体躯でオドオドした井上さんは可愛いすぎる。猟奇的な表現になるが、記憶の箪笥に収納しておきたいし、ゲームのようにセーブができるならメモリーカードに保存してるところだ。……いや、そんな事を考えてる場合じゃない。気まずい雰囲気が出る予感がしたため、間髪入れず会話を作る。
「気にしないで。ばあさんから聞いてた年は同い年だから、敬語もやめない?」
「はい……でも、私は敬語で……」
「高知県の方言が出るから?」
「はい、おばあちゃんは方言が聞き取れなかったので」
「俺の見た目から敬語を使わないならいいよ。よく不良だと勘違いされて同級生にまで敬語を使われるんだ」
「見た目?」
頭に疑問符を浮かべる。
(この反応は新しいな……)
白髪頭を見れば誰でも素行の悪さを疑う。しかし、井上さんはその目立つ白髪には視線を向けず、疑問符を浮かべている。
「白髪と目付きの悪さが不良に見えるみたいだ」
「……、苦労されたのですね」
(この子は……)
俺の一五年間の人生は、白髪頭と目つきの悪さから素行を疑われる事が多く、普段から人の目を気にしてる。それは同時に、人を観察する事にもなり自然と身についた洞察力は同年代の連中よりも鋭いと自負してる。
井上さんの雰囲気から察するに、俺の白髪は生まれ付きや染めてあるモノとは捉えず『苦労して白髪になった』又は『未知なる恐怖で白髪になった』と思っていそうだ。
(ばあさんの孫は……取り扱い注意の天然かもしれない)
井上さんへの対応に錯綜した時間は二秒。
俺がお笑い芸人志望なら間髪入れない切り返しをできるが、初対面で突っ込みができるほど道産子は図々しくなれない。
会話が切れたその二秒という短い時間に、井上さんはチラッとではなく井上のばあさんに視線を合わせていた。
視線を逸らすまでなら話慣れない相手だから仕方ない。となるが視線を逸らしたままだと、会話を井上のばあさんに振りたいという意思表示になる。
あくまでも俺の洞察力からの判断なので心理学や会話術とは関係ないが、今回は俺の洞察力が正解だったようだ。
井上さんは会話を変える意思を口から出していた。
「お、おばあちゃん……重くないの?」
動揺した口調で言う。
俺の洞察力では、井上さんの動揺は御膳台に対して現れ、「重くないの?」とは御膳台のことを言ってる。
しかし、朝•昼•一五時•晩の座敷童しずかの食事を奥座敷に運び、一五時にはいち子の分も含めて御膳台二段を御供えするのが井上のばあさんの日課。『自分で御供えしないと寿命が縮む』とまで言っていた。
御膳台は軽い物じゃないし孫から見たら心配なんだろうな……。断られるシーンが鮮明に浮かんでるけど、井上さんが心配してるなら仕方がない。
「ばあさん、御膳台は俺が持つ」
御膳台に手を伸ばす。
「ワシの役目じゃ。年寄りの楽しみを取るでない」
御膳台を明後日の方向に向ける。
「孫が心配してんだ、今日ぐらい甘えとけ」
「何を言うか、前は御膳台十段を重ねて運んでたんじゃ。ワシの楽しみをこれ以上取るでない」
「…………」
御膳台十段を重ねて運ぶ姿にスーパーばあさんだと思っていた幼少期を思い出す。
しかし、そんなスーパーばあさんに喜ぶのは小学校低学年まで。高学年の頃には負担を減らすために手伝いを率先し、数年かけてやっと御膳台を二段まで減らした。井上のばあさんの性格から、これ以上手伝おうとすれば十段に戻りかねない。
(ばあさんを持ち上げれば孫が心配し、孫を持ち上げれば今後のばあさんに負担がかかる……どう対処したらいんだ)
表情には出さないが、内心では難題に苦悶する……が俺の苦悶は勘違いが生んだだけの、ただの妄想だった。
井上さんの視界は井上のばあさんの方向に向いてるが、視線は御膳台には向いてない。
「御膳じゃなくて、その子……重くないの?」
黒縁眼鏡の奥、垂れ目はいち子を捉えている。
「…………」
「…………」
俺と井上のばあさんは額から一滴の汗を流す。
再度確認しても、井上さんは井上のばあさんの背中におぶさったいち子を見ている。
「三歳ぐらいの……妹さんですか?」
「イモじゃないんじゃ、いち子なんじゃ!」
いち子は妹をイモと勘違いして怒り、ここが定位置だと言わんばかりに喪服の帯を縛った部分にコアラのように捕まる。
「い、いち子、ちゃん」
あからさまな動揺が表情にでる。
(会話まで成立してるから……疑いようもないな。ばあさんの孫は見える側の人間だ)
「見えてたんだ……今までそんな素振りがなかったから気づかなかった」
「門のところで目が合って……警戒されたので……」
「ばあさんの葬儀かと思って泣きそうだっただけだ」
「杏奈、いち子が見えるのか?」
井上のばあさんは、自分の身内それも孫が見える側の人間であることに動揺する。
「おばあちゃんの背中に乗ってるよ……重くないの?」
「翔坊、乗っておるのか?」
「乗ってる」
「そうか、そうか、乗っておるか」
嬉しそうに微笑む井上のばあさん。
俺は井上さんに視線を向ける。
「座敷童が見える側の人間じゃないと重さは分からないんだ」
「見える側の、人間ですか?」
井上さんから見たいち子……いや、座敷童が見える側の人間から見た座敷童は、その場に実在する普通の人間にしか見えない。
そんな井上さんの耳に届くのは嘘をつかない祖母からの現実と、おねだり。
「杏奈。ワシにはいち子が見えない。翔坊の絵は下手くそじゃから、杏奈が可愛く描いてくれんか?」
「おいおい、上手いって喜んでたのは誰だ」
「ワシが見たいのはそのままのいち子としずかじゃ。個性的な上手さは必要ない」
「下手くそと言った後に個性的と言っても、上手さという言葉に説得力ないぞ」
「……。杏奈、描いてくれるか?」
特技【別件】発動。この技は、ボケたふりをして話を逸らすという本人の都合で無限に使い分けれる恐ろしい技だ。この技が発動したら俺の言葉なんか耳に届かない。
「うん、後で描いてあげる」
井上さんはいち子に恐る恐る指を伸ばし、ほんのりピンク色のプニプニほっぺを突く。
「普通の人間にしか思えませんが?」
ほっぺたの肌触りや体温を指先から感じ取る。
「見える側の人間だと、座敷童は普通の人間と変わらないんだ」