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場所は岩手県花巻市。
わんこ蕎麦屋に来たのは杏奈と小夜と巴と八慶、平泉から花巻までの運転手に加納。そして、昨夜加納に小豆飯おにぎりを渡されて笑顔を向けていた姉妹の座敷童がいる。
店内での席割りはテーブルを囲うように冂の字になる。左側に、壁を背中に小夜と杏奈、その向かえに衝立を背中に巴と八慶、真ん中に姉座敷童を隣にして加納が座り、胡座をかく加納の足の中に妹座敷童がちょこんと座る。姉妹の座敷童は加納に懐いているように見える。
わんこ蕎麦屋に来る前、座敷童管理省東北支署にいる百を越える座敷童が「ばば様が行くなら行く」と言いだした。大勢の座敷童を来店させて大量の注文をするわけにいかず、最終的に文枝が昼食に蕎麦を打つ事で留守番になった。その中で、加納が花巻までの運転手をかって出ると、妹の座敷童が加納の腕に抱きつき人形のようにへばり付き、今に至る。姉の座敷童は妹が行くなら、といった感じだ。
杏奈は、加納の大柄な体格と厳つい顔立ちから座敷童管理省の特務員の中で、一番、座敷童に懐かれないと思っていた。他にも理由はあるのだが。
「加納さんは厳つい顔なのに懐いてますね」
「厳つ……!」
コンプレックスに抉りこんでくる杏奈に動揺しつつ、無自覚な杏奈に大人な対応をする。
「いや、懐いてくれてるのかな……懐いてくれてるなら嬉しいんですけど」
「二人の名前はなんと言うんですか?」
「それが秘密だと……」
「秘密、ですか」
懐いてないのかな、と杏奈は疑問符を浮かべると、斜向かいから。
「姉が美菜、妹が美代だ」
「「⁉︎」」
姉妹が秘密にしていた名前をあっさり暴露する八慶に非実体のおしぼりを投げる姉妹、美菜と美代。飛んでくるおしぼりを八慶は右手で鮮やかに取り、
「美菜、美代。加納殿は不器用な人間なのだ。困らせるな」
「イィィ!」
妹座敷童、美代は顔を顰める。
「加納殿。その、美菜と美代は、常駐型なのだが……」
途切れ途切れに言葉を繋げる八慶の表情は加納や杏奈にもわかるぐらい、その内容と姉妹の境遇が理解できるほどだった。
そんな重い空気が流れる中、
「二人は人間側で言うところの災害孤児だ」
あっさりと姉妹の境遇を言ったのは巴。
重い空気の中、巴を訝しむ空気が加納や杏奈から伝わる。
言いにくい事を発言するのは巴らしいとは思うが、その踏み込む範囲をわきまえているのが巴だと思う。加納や杏奈が思う限り、災害孤児という言葉は姉妹の境遇から踏み込む範囲を越えている。巴らしくない。姉妹の気持ちに反映したものとは思えなかった。
巴は訝しむ二人に、
「家主は生きている。二人は家主の負担にならないため、貫太のグループに入り、平泉を放浪していた」
「そうですか……」
「生きていたのか」
ホッと安堵する杏奈と加納。しかし。
家主は生きている、この言葉を聞くと人間は安堵するが、座敷童が聞くと『二人は家主の負担にならないため』という言葉が姉妹に対して不便に思ってしまう。何故なら……
人間と座敷童の受け取り方の違いになり、人間は寿命があるため生死が重要視されるが、座敷童には寿命が無いため『寿命のある家主がいるのに一緒にいられない現状』が不便に思ってしまう。もちろん、人間とは着眼点が違っても家主の生死に感情は動く。だが、いつかは来る人間の寿命、家主との別れを覚悟している座敷童から見ると、生きているとわかった時点で、家主と一緒にいられないのが不便だと思ってしまう。
巴は今、八慶なら姉妹の事情を知っても大丈夫だと判断し、人間から見れば空気を読まない発言のように切り出す事で加納と杏奈に姉妹の境遇を伝えたのだ。もし、八慶以外に姉妹の境遇を知らない座敷童がいたとしたら、それが八慶の弟の八太だったとしても、巴は口に出していない。八慶の気を使うような言葉に対しても咳払いして、誤魔化すように促していただろう。
加納は巴の言葉を座敷童のように受け取める事はできない。杏奈も座敷童のデータがなく、知らない事に対しては危機感なく無知なため、加納と同じだ。たとえ座敷童のデータが揃っていたとしても、座敷童の気持ちは寿命ある人間に理解するのは難しいだろう。
人間らしく巴の言葉を受け取った杏奈は、そのまま思った事を言う。
「災害孤児という言葉は適切ではありませんね。この場では準常駐型としましょう」
巴の発言の一部を訂正し、黒縁眼鏡を右手中指で押し上げると、姉妹へ視線をやり、
「簡潔に聞きますが、お二人は加納さんを家主にするという事ですか?」
「しないよ」
美代は加納に頭を撫でられながらあっさり言うと、
「加納もお仕事頑張らないとね」
「そうだな。座敷童管理省はこれからだから頑張らないとな」
「たしか、加納さんの常勤希望は東北支署でしたね」
常勤希望とは、東大寺のオロチ戦の後に杏奈が作成したメールアンケートにある項目。達也以外の特務員はアンケートの項目に答えている。
「はい。アンケートにも書きましたけど、会社を辞めて座敷童管理省に入省したのは東北の震災がきっかけです。……」
苦笑いしながら坊主頭を指先で掻き、
「同情とか哀れみみたいな感傷ではないし、被災地のために何かしたいという崇高な意志でもない。あくまでも私情。だから、その、東北支署で常勤するための適正がないなら、特務員をクビにしてアルバイトでもいいから雇ってください」
「感傷でも意思でもない、私情ですか」
杏奈は私情という言葉が自分と重なり、
「私も、私情で学校に通っていません。必要性を感じていなかったからです。ですが、加納さんの場合、会社を退職してまで入省した座敷童管理省をクビにされても東北に残りたいとは、感傷や意思以前に個人的な理由を優先した子供じみた発言であり、アルバイトでもいいとは社会人にあるまじき決断です。私と違って協調性がありリーダーしっぷもあるのに、加納さんの不器用は組織の人間として適正がないと判断されます」
「リーダーしっぷというより、特務員の中で年長なだけです。中身は参謀が言うとおり不器用なだけ。組織の答えにガキくさい私情で逆らう人間です」
苦笑いを作り、うつむくと、美代の頭を撫でる。そんな重い空気を作る加納に、横から声が届く。
「加納殿。杏奈殿がどういう基準で適正を判断するかはわからないが、加納殿のガキくさい私情は感傷や意志に負けない力がある。私は、加納殿の語らぬ私情に、ガキくさいと恥じるような曇りはないと思う」
八慶はいつもどおり目を閉じているが、表情は男として恥じるべきではないと真剣になっている。
「うむ。感傷は時間がくれば消え、意志はそれ以上の意志を目の当たりにすれば崩れる。私情こそ脆く儚く自分勝手に語れる戯言だが、初志貫徹の初志には私情の在り方が有り、貫徹は他人からではわからぬが、加納氏の私情の向き先に貫くべきモノがあるのだと思う。社会人として体裁の良い言葉を並べるよりも、私情という戯言をぬかす方が心意気を感じる」
巴も八慶と同じく真剣な表情になる。
「八慶、巴……」
加納は二人の言葉に感動するが、言葉の意味を勘違いしているというように杏奈は無自覚に抉りに行く。
「加納さん。二人は良い言葉を並べていますが、加納さんを褒めているのではなく、生き方が不器用すぎると言ってるだけです」
「なに!? そ、そうなのか……?」
肯定するように頷く八慶と巴を見て、ため息を吐く。
「私も人のことは言えませんが、若輩ながらアーサーさんの参謀として座敷童管理省のアドバイザーをやらしてもらってます。決定権はありませんが人事の発言力もあるため、基準材料の一つとしてアンケートを作ったりもしました。その私が作ったアンケートは、おばあちゃんの会社で使われているのを基準にしてます。人生を左右する人事なので、社会人ではない私には説得力がありませんから、おばあちゃんに手伝ってもらってます。そのアンケートの結果、加納さんは『東北支署で常勤するには適正無し』と言っときます」
「直球ですね! もう少しオブラートに包むものですよ! それに文枝さん仕込みのアンケートなら付け入る隙も無いじゃないですか!」
「やはり、私だけの判断だと付け入る隙があるようですね。おばあちゃんに手伝ってもらってよかったです」
「い、いや、そういう訳では……」
思わず出た本音を突いてくる杏奈の視線から目を逸らす。
杏奈は黒縁眼鏡を右手中指で押し上げると、ふぅと息を吐いて本題に戻す。
「適性がない希望者に対して、希望を与える言葉や回りくどい言い回しは仕事の低迷を生みます。早く切り替えさせるために、はっきり言うのも適性がない希望者のためです」
「文枝さんが……いや、参謀が作ったアンケートで適性無いなら、仕方ないか」
「ちなみに、加納さんや松田さんや巴さんから協調性がないと言われたので、先日、私もアンケートをやってみました。結果は、私も適正無しでしたので人の事は言えません」
「あの、参謀に協調性が無いと言ってるのは翔君や巴で、俺は言ってませんが?」
「ですが、」
加納の言葉を無視し、先を続ける。
「私は加納さんが不器用なのがわかります。アンケート結果を見て、この人は不器用だなと思いましたし、最近では座敷童への対応も不器用な点が多々見られます。どこの地域よりも被災地である東北は順応性を求められますから、協調性が無い私や不器用な加納さんみたいな人間は東北にむいてません」
「さ、参謀の協調性と比べるほど、不器用かな……?」
「…………」
「すみません」
威圧をのせてジッと見てくる杏奈に素直に謝る。
「どれだけ不器用なのか気づかないのが不器用な証拠です。私は協調性がない事に気づきましたから加納さんよりマシです」
「いや、ムキにならなくていいですよ。それでは、アルバイトで雇ってくれますか?」
「なにを世迷言を。座敷童管理省は飼い殺しができる組織ですよ。適性がないだけで辞めるなんて言う人を飼い殺しできる組織なんです。加納さんみたいに不器用な人や、一つの事がダメなら次に次にとか言うニート気質な人を合法的に飼い殺しにできるのです。それに、アルバイトで東北支署に常勤し二四時間座敷童に対応されたら、年収が特務員で雇っているより増えます。常勤希望はあくまでも特務員からの希望なので、加納さんは東北支署での飼い殺しを希望した、と私は判断し、アーサーさんを説得しておきます」
「俺は東北支署で働けるってことですか?」
「加納さんが一緒に説得していただけると助かります」
「そ、そうか。わかった。わかりました。一緒に説得しましょう」
加納が東北支署で常勤する事が仮決定すると、店員さんが全員分のわんこ蕎麦セットを持ってきた。わんこ蕎麦の大食いに挑戦しないため店員さんは控えていない。
しかし、気持ちは挑戦者な小夜は、終始静観し話を聞いていた小夜は、食事に誘われた嬉しさを内心に封じ込めていた小夜は、ここぞとばかりに良いところを見せようとする。
「道産子に負けね! んば! 花巻さんに南部者の生き様ば! 見せるでがんす!」
わんこ蕎麦をむさぼりながら南部者の生き様を見せる。指先が残像になるほど箸を動かし、お椀からカカカカと音を立てている。早い。早い……が、お椀の中の蕎麦は減らない。いくら一杯が少量のわんこ蕎麦とはいえ、小夜の小さな口では咀嚼と飲み込むのに時間を使う。箸をめっちゃ早く動かしているだけだ。
無駄に一生懸命な小夜を見た杏奈は、
「巴さん。小夜さんは道産子……松田さんに対して対抗心があるのですか?」
「翔に対してではない」
巴は加納の頭の上、壁にぶら下がる額縁を指差す。
杏奈は額縁を見ると、
「松田さんですね。このお二人は?」
額縁には、松田翔とロングヘアの少女に挟まれたバンダナの少年が四六七杯のわんこ蕎麦を食べた記録を記念した写真が飾ってあった。
「茅野健と高田彩乃だ。見たとおり翔の友人であり、最高二◯杯しか食えない小夜が対抗心を燃やしているのは、四六七杯を食べた健の方だ」
「茅野健さんと高田彩乃さん、ですか。前に座敷童が見える友人がいると言ってましたが」
「この二人だ。そして……」
「巴。自己紹介を考えていた私の時間を返せ」
巴と八慶の背後にある衝立からの声音に、小夜以外視線を上げる。
杏奈が視線をやる衝立の上には、顔だけ覗かせるロングヘアの少女。壁の写真に翔と一緒に写っている高田彩乃。杏奈の視界からは見えないが、彩乃の背後では、茅野健がわんこ蕎麦の大食いに挑戦している。エプロンをした店員さん二人が、掃除機のように飲み込む早食いにてんやわんやとしている。
杏奈は突然現れた彩乃にきょとんとしながら、
「松田さんのご友人が、何故、岩手県に……?」
彩乃の登場に不意を突かれながらも判断を間違えないで『何故、岩手県に……』と質問できたのはデータしか武器がない杏奈ならではだろう。松田翔が帰った後の岩手県に友人の彩乃がいるのは不自然極まりないのだから。
そんな杏奈の視線を逸らすように、巴に視線を向けた彩乃は何かを含めるように目力を強め、
「松田のママさんに依頼されて、翔の代わりに、平泉の様子を見に来た」
「松田の依頼だと?」
彩乃の視線、言葉に目元をピクッと動かす。
巴は、彩乃と健の気配を感じた時点で何かがある事はわかっていた。それは、自分が八童としての力をどれだけ失い、八慶が東北の八童になる確認だと安易に考えていた。だが、松田のママからの依頼という言葉には【松田家の御依頼】という含みも感じる。東北の現状に重大さが感じられ、竹田家や小夜に関わる事だと飛躍して考えてしまう。
「ママさん、からの依頼だ」
彩乃は『ママさん』と強調し松田家の御依頼ではないと含ませる。
「そうか」
松田家の御依頼ではない。と理解する。しかし、翔のいない現状で彩乃と健が岩手県にいるのは『何かがあった』と確信するには十分。言葉を繋げようとしたが、彩乃の視線は杏奈へと向けられていた。その理由は『この場では話せない』という彩乃からの拒否だと理解して静観することにする。それは八慶も。
彩乃は、『この場では話せない』事から会話を遠ざけるため、世間会話を始める。
「おばあちゃんの孫。私の後ろで大食いしてる健も私も、おばあちゃんにはお世話になっている。翔からも話は聞いているため、仲良くしてくれ」
「はい。……」
衝立を掴んで移動する彩乃を目で追い、大食いする健で目を止める。
「よっ」
健は箸を上げて挨拶すると、わんこ蕎麦を飲み込んでいく。お椀はテーブルの半分を埋めている。
杏奈は黒縁眼鏡を右手中指で押し上げると、彩乃と健どちらでも答えられるような疑問を投下する。
「松田さんとは同じ高校だと聞いてましたが、松田さんのお母さんからの依頼というのは、学生の本分よりも優先するのですか?」
「座敷童管理省の都合は、学生の本分を優先するのか?」
彩乃は杏奈の疑問に疑問を返す。
世間会話以外はするつもり無い、という彩乃なりの言葉だったが、巴と似た無表情からの言葉では、協調性のない杏奈には責め立てられているように感じる。申し訳ありません、と視線を逸らす杏奈の予想外な反応に、
(なんか怖がらせてしまった)
と内心で罪悪感を持ちながら、
「学業を優先するため、単位の都合上、いち子の気分で早退しないとならない翔は学校に行き、単位に余裕がある私と健が翔の代わりに後始末に来た」
一秒、二秒と杏奈からの返答を待つが、いくら待てども協調性のない杏奈からの返答はない。
そもそも、松田家の都合は杏奈には関係ない。彩乃の醸し出す巴と似た雰囲気は、深く聞くのもおこがましいと思わせる。結果、杏奈は自己完結して重い空気を出してしまう。彩乃は友好的に会話しているつもりでも、端から見れば、おとなしい女子を冷たい女子が雑に扱う光景だ。
健は、そんな二人の成り立たない会話に、割り込む。
「ばあさんの孫。彩乃は怒ってないからな。表情は巴みたいに無愛想だけど、中身は『翔みたいにひねくれていない』。つか、彩乃。俺等は翔からばあさんの孫の話は聞いてるから『わかっている前提に会話ができる』けど、ばあさんの孫は翔から俺等の話を聞いてないんじゃねえか。翔の性格から座敷童が見える友人がいる、程度だと思うぞ。だとしたら、言葉が足りないだろ」
「健。翔は翔の考えがあって座敷童管理省の都合で動いている。私達はあくまでも翔のやり残した後始末に来ただけだ。そして、私は言葉が足りないとわかったから、単位の都合と説明した」
「それが足りないって言ってるんだ。ばあさんの孫は、後始末がなんなのかを聞きたいんだ。まったく……翔も彩乃も自分を前提に話すから、相手に誤解される」
「おばあちゃんの孫」
彩乃は杏奈へ視線を戻しながら、
「翔の次にバカな健が的はずれな事を言ってる。……ん? まさか本当に、後始末がなんなのかを知りたいのか?」
「はい。差し支えなければ後始末の内容を教えていただけますか?」
「無理だ」
「!」
「おい、彩乃! コントをやってるんじゃねぇんだぞ。ますます会話しにくいヤツになってんじゃねぇか。おい、ばあさんの孫、落ち込むな! 彩乃はご想像にお任せします的な感じで言ってるんだ」
落ち込む杏奈。心外だと健を睨む彩乃。初対面ではお互いの相性が悪すぎて会話が成り立たないと判断し、わんこ蕎麦のお椀に蓋を乗せて大食いの終了を店員に伝える。
「ばあさんの孫。彩乃の代わりに俺が……」
「おばあちゃんの孫。後始末を話す前に言っておきたい事がある」
彩乃は健の言葉に被せると、
「松田家を竹田や梅田と一緒にしない方がいい。竹田なら巴を通して、梅田ならお濃や吉法師を通して、人間視点で後始末ができる。だが、いち子のみを世話し続ける松田家は、人間視点でも座敷童視点でもなく、いち子視点で後始末をしなくてはならない。いち子が歩いた道を見直すのが、松田家の後始末なのだ」
「いち子ちゃんが歩いた道、ですか。それは、ここが花巻という事から……」
一拍置いてから、
「岩手県に来たばかりのお二人では、後始末の内容以前に、今の段階では何も後始末をしていないから教えられない、ということですね」
杏奈は彩乃の足りない言葉を補足する。
もちろん、彩乃は『岩手県に来た本当の理由は言ってない』。そして、情報が欲しいのは杏奈よりも彩乃や健。特に、翔が岩手県に滞在していた間、何があったのか、を正確に知りたい。
彩乃は、杏奈から翔の情報を引き出す作業を始める。
「そういうことだ。後始末が終われば松田家に報告する。内容が気になるなら、後日、翔に聞け」
「わかりました。やはり、オロチが蘇った後は、松田家も御三家として動いていたのですね」
「一首のオロチが蘇った程度で松田家は動かない。そんなのは竹田や梅田がやる」
杏奈からの情報は彩乃と健の予想どおり、オロチの蘇り。気楽にわんこ蕎麦を食べているため、オロチは無事に封印した事になる。それなら何故、翔はいない? と考えていると。
「さとちゃんが金鶏山の外にいた事は松田家には関係ありませんから、平泉の地下にいち子ちゃんの迷宮がある事ですかね?」
(さとが外にいた?)
(いち子の迷宮?)
彩乃と健は表情には出さないが、内心で疑問符が浮く情報だった。
「いち子の迷宮を私や健がどうにかできる訳ないだろ。手遅れだ」
彩乃は真っ当な答えを言う。
「松田さんも手遅れだと言ってました」
「松田家の跡取りなら諦めないで欲しいな」
ポーカーフェイスを作りながら、彩乃は内心で、
(さとに関したら天災級の事件。現代まで日本が無事だったのが不思議になる。いや、『金の雌雄は約束を守る』にかくれんぼの勝敗で子供の名前を決めるとか書いていたな。現代まで静かに隠れていたのか……? 天災級の座敷童が、そこまでかぼちゃという名前に執着しているということなのか? それよりも、現状、翔が行方不明になる情報としてはどれも薄い。迷宮で遭難している可能性も低くないが……もっと深い情報が必要だが、聞けないな)
杏奈が提示した情報から、彩乃や健が質問するのは不信感を与える。それは、杏奈が話している情報は翔も知っている情報になり、彩乃と健がその情報を翔から聞いていないと二人が岩手県にいる辻褄が合わない。そんな事を悩んでいると。
「松田さんがいる間に起きた出来事は今話した事だけです。オロチはおばあちゃんが倒した後に、八慶君と龍馬さんが中尊寺の大池跡地に封印し……」
(おばあちゃんが倒した!!!!)
(だから翔はばあさんに嘘を言って行方不明になっているのか!)
彩乃と健は内心で驚愕し、ポーカーフェイスを崩さないように努める。
二人の内心に気づかない杏奈は言葉を繋げていた。
「さとちゃんの事は八太君が松田さんに言われて監視してます。いち子ちゃんの迷宮は手遅れだと諦めてました。後始末なら、松田さんはすでにしていると思いますが?」
(んっ? どういう事だ。おばあちゃんの孫は自分の祖母がオロチを倒した事、どうやって倒したか、その方法に何の疑問も持たないのか? それにしても……)
(ばあさんの孫……無知すぎるだろ。俺と彩乃は後始末しに来てる訳じゃねぇけど、翔に何かあってもばあさんにこれ以上の負担は与えられない。それにしても……)
((あのバカはなんで私(俺)に連絡してこないんだ!!))
彩乃と健は、行動を起こせばその歩数分だけ問題がせき積みされていくのが松田翔であり、大問題にしてくれるのがいち子だと理解している。それでも、現松田家当主と一緒に行動していた自分達の親よりはマシだと解釈している。だが、真剣になればなるほど、真面目になればなるほど、難題ルートへ前進していく幼馴染、白髪バカに切意したい気持ちが湧く。
しかし、焦燥感が噴き出す源泉のように湧いていても、彩乃と健は翔とは違って本筋を見外さない。
杏奈の情報からでは、翔が文枝に隠している理由はわかっても、翔が行方不明になっている理由はわからない。彩乃としては天災級座敷童さとを甘く見ている事に突っ込みたいが、この場で説明したところで難題ルートへ闊歩しているであろう翔やいち子に何か変動があるわけでもない。杏奈にこれ以上の情報は無いだろうと判断し、いち子を中心にした会話をする。
「後始末は翔が済ませてあると思うのが、人間視点ということだ。先ほども言ったが、一首のオロチが蘇った程度で松田家は動かない。もちろんいち子もだ。いち子視点は、人間視点すべて眼中に無い」
「いち子ちゃん視点、ですか。……、」
一拍考えると、もしかして、と呟き、
「北海道に帰ってから、東北の食材を満足に食べられなかった事に気づいて、御立腹したのですか?」
「ご名答。お土産を買って回るのが、私達が岩手県へ来た理由、後始末だ」
「大変ですね。私達は食事が終わり次第平泉に戻りますが、車に乗って行きますか?」
「迷惑でなければお願いしたい」
「平泉のお土産を買った後も、こちらの特務員加納を運転手として使ってください。美菜ちゃんと美代ちゃんもご一緒になりますが」
「それは助かる。それに美菜と美代の同行とは光栄だ。加納さん。よろしくお願いします」
「よろしく」
加納は一言の後、視線を彩乃から杏奈に移す。松田家の後処理がどんなものなのかを調べてきてください、という眼鏡クイッからの無言のプレッシャーを受け止め、視線で了解を伝える。
杏奈の中では、彩乃が言った後始末に違和感があるのだ。正確には、座敷童の事になると、翔に騙されたり誤魔化されたりしているため、疑っているだけなのだが。何よりも疑いを深くするのは……
お土産を買って回る、だけならネットや通販でも買える。
いち子が販売店限定のお菓子を所望していたとしても、東北にいる特務員や自分に連絡すれば解決すると杏奈は思っている。
(安易なのか、嘘を言ってるとしたら浅はかなのか。私が座敷童の事にうといから、この程度で誤魔化せると思われているのかな。それに、茅野さんが話そうとした時に高田さんが割り込んだのは、高田さんは茅野さんからだと『隠している後始末の情報』が漏れると疑ったから、だと思う。高田さんは会話していても言葉に重みを感じないし、表情からの感情もよくわからない。出会った時の巴さんみたいな怖さがあるから隙を突けない)
わざわざ二人が岩手県に来るからには、後始末の中に何か深い理由がある、と杏奈は思っている。その深い理由を聞きたかったのが本音だった。しかし、巴と彩乃が重なり、会話の中に隙があってもソレが罠と勘ぐり、彩乃と健のデータも少ない事から、自分ペースに会話を進められなかった。
一方、彩乃も。
(なんで平泉にいるはずの巴や八慶がわんこ蕎麦屋に来るんだ。予定外すぎる。私達が岩手県にいる事で、巴と八慶には『翔が平泉にいる間に何かがあった』とバレた。翔の都合では、座敷童側や人間側に自分の行動を知られたくないと思っているが、二人にバレた時点で座敷童側に露見してしまった)
わんこ蕎麦を注文する健を横目に、席に戻ってわんこ蕎麦を食べ始めると、
(人間側は……おばあちゃんの孫だから警戒していたが、私達がここにいるのに翔に何かがあった事に気づいてない。翔を信用しているから危機感が無いだけなのか? それとも、本気で翔が北海道に帰った後に私達が後始末に来たと思っているのか? 翔の都合としては、人間側はコレでいいのかもしれない。私達がおばあちゃんの孫に出会った時点で翔の都合が全壊すると思っていたから、警戒した分、期待外れな部分はあるが。とりあえず翔の都合のリミットは、私達が岩手県にいる事をおばあちゃんに知られた時。孫が帰った時になる。健が大食いで粘っても……翔の都合は二時間程度で全壊する。巴と八慶が時間を延ばしてくれたらいいが……。そもそも、健が前回の記録を越えるために大食いチャレンジするとか言わなかったら出会うことはなかった)
健に対して舌打ちしつつ、
(すぎた事は仕方ない。私達は『翔に何があったのかを見つけ』、おばあちゃんよりも早く行動しないとならない。こういう時、おばあちゃんなら何をする……翔の行方不明の理由をどう考える……おばあちゃんなら……おばあちゃんなら……)
彩乃と健の中では、わんこ蕎麦屋に巴と八慶が入店してきた時点で自分達の存在が露見し、翔の都合を前提に行動する予定が半壊した。それは、空気を読んだ巴と八慶が、彩乃と杏奈の会話に口を挟まなかったため、半壊ですんだだけなのだが。
巴と八慶は、『何かがあった』事を彩乃と健が隠しているとわかり、杏奈に、正確には座敷童管理省を巻き込まないようにした語らぬ事情は重大だと危機感を持った。松田家の御依頼ではないが『松田のママさんと彩乃と健の都合』に同意するには十分。予想どおり不必要だったが、杏奈との会話で彩乃や健の分が悪くなった時は、助け船を出すつもりでいた。
しかし、その都合も、杏奈が座敷童管理省東北支署に帰り、文枝に彩乃と健が岩手県にいる事を話せば、勘の鋭い文枝が行動を起こしてしまう事で全壊する。
時間は無い。
健が大食いチャレンジで時間を稼いでも、問題に対して費やせる時間は微々たるもの。
しかし、彩乃と健はただでは転ばない。
杏奈を警戒していた分、深い情報を聞けなかっただけで、得たのは少ない情報と杏奈の危機感の無さ。文枝の孫という事で警戒していた分、杏奈の弱点がわかった。
(この部分から、巴と八慶を使い、杏奈を文枝から遠ざけられる方法もあるな。つか、さっき五◯◯杯食ったばっかだから制限時間使ってゆっくり食うしかできないな……んっ?)
健は不穏な気配を杏奈のいる方向から感じとり、そこへと視線を向ける。すると、杏奈の隣にいる黒ドレスの少女が、わんこ蕎麦を食べながら反抗心むき出しに睨んできていた。
「チビ小夜。あんまムリすんな」
「負けねぇぞ!」
「顔見知りだったのですか?」
「チビ小夜のママちゃんが翔のママさんの妹だって聞いてるだろ? 災害前は、連休になるとママちゃんはチビ小夜を連れて里帰りしてたんだ。俺達とは顔見知りっていうか幼馴染みたいなもんだな」
「それよりも、おばあちゃんの孫。翔と同じく、井上さんと呼ばしてもらっていいか?」
「はい。高田さんと茅野さん、でよろしいですか?」
「かまわない。……ところで小夜。健は五◯◯杯という新記録を出した。後で写真を撮るぞ」
「んば! わも五◯◯だ! 南部者の見せ所だ!」
「どうせなら五◯一杯で記録保持者になれ」
「……」
杏奈はチラッと正面を見る。巴は横に首を振ったため、わんこ蕎麦の大食いに注文を変えるのを止めた。




