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いち子の上級誘惑魔法【おかわりポーズ】に鼻血を出しながら卒倒したアーサーの事は放っておいて、座敷童いち子の食事がどのようになっているか説明したいと思う。
人間と同じ食事風景で栄養補給目的なら説明は必要ないけど、座敷童の食事は『お腹が空いたから食べる』という部分が人間と同じなだけで、ソレ以外は根本から違う。
現在、左手に『飯椀』を持ち【おかわりポーズ】をするいち子の手前にはテーブルがあり、その上には御膳台がある。
四角形の御膳台の上には、右奥の平椀に煮物、左奥のつぼ椀になます、中央の高月にナスの漬け物、左前の汁椀にはまぐりのお吸い物、そして『右前の飯椀には小豆飯が山盛りにある』。
お座敷での御膳料理や生後一○○日のお食い初めに用意する御膳料理をイメージしてほしい。簡単に言えば時代劇で見る食事だ。
この時点で、すでに座敷童の食事風景が人間と違うというのがわかるだろうか?
どこの家庭でも一人の人間に対して『飯椀』を二つ用意する事は無いと思う。
しかし、いち子の左手には空の飯椀があり、手前の御膳台には山盛りになった飯椀がある。
一般的には一人に対して飯椀は一つ。いち子は食いしん坊だから飯椀が二つあるんだと言えばそれまでだが、それでも小豆飯が山盛りになった飯椀が御膳台にあるならおかわりポーズは必要ない。そのまま御膳台にある飯椀を食べればいいのだから。
座敷童の知識が無い人が見ると疑問符が浮かぶ食事風景だが、ここで摩訶不思議な現象が起こる。
《いち子は御膳台にある小豆飯が山盛りになった飯椀に、左手に持つ空の飯椀を重ねる》
本来なら、物と物を二重三重にしていくのが【重ねる】の使い方だが、この場では【実体と非実体を重ねる】という表現として使わしてもらう。
いち子の前には実体の御膳料理が《御供物》としてある。その《御供物》を現実には食べてなく、魂や心という非実体のモノを食べているのだ。
簡単な例をあげると、肉体と幽体が分離した幽体離脱から元に戻る時に肉体と幽体を【重ねる】というイメージがあると思う。それをそのまま当てはめてほしい。
いち子が非実体の飯椀と実体の飯椀を重ねたように、いち子の可愛さに卒倒し幽体離脱中だったアーサーは肉体に幽体を重ね、鼻血を出しながら復活する。
アーサーは顔の横で両手を合わせると目元口元を緩め、母性が溢れた気持ち悪い表情になる。
「まってましたぁ」
御膳台に左手を伸ばして小豆飯が山盛りになった飯椀を取ると、そのまま頬に飯椀を付け、
「いっちゃん。好きなだけ食べてねぇ」
(……気持ち悪い)
俺は口に出したい気持ちを抑える。
私情を言ってたら話が進まないため、アーサーの気持ち悪さは見なかった事にする。
座敷童の食事風景は理解したと思うため、次は『御供物』としてある実体の食事を如何するのかを説明したいと思う。
アーサーの手前、テーブルの上には空になったオヒツと小豆飯が入ったオヒツがある。他にも空になった鍋と食事が入った鍋が置いてある。食事の入ってない器と入ってる器があるということだ。
アーサーは右手で空オヒツからしゃもじを取ると、小豆飯が山盛りになった飯椀から小豆飯を空オヒツに移し、小豆飯が入ったオヒツから新しい小豆飯をしゃもじで掬い取り飯椀に盛っていく。
側から見れば無駄で勿体無い事をしているが、魂や心を召し上がったいち子から見ると飯椀の中は空なのだ。
空オヒツに移した小豆飯は《アーサーが美味しくいただきます》と信用回復魔法【テロップ】だけ流してほしい。
アーサーは、小豆飯を山盛りにしながら形を整えるようにポンポンとしゃもじで優しく叩くと「完成」と言いながら溢れんばかりの母性をいち子に向ける。
「はい、小豆飯」
語尾にハートを付けながら御膳台に飯椀を置く。
ここだけ見れば普通の食事風景だが、座敷童に出す食事は御供物になるため、忘れてはいけない所作がある。もちろんアーサーには最初に言ってある。
アーサーは両手を合わせて一礼すると一言。
「いっちゃん。まだまだいっぱいあるからね」
考え方は神社の神様に奉納する時と同じだ。欲張った『お願い事』をするのではなく『気持ち』を伝える。その気持ちが調味料になり、小豆飯が美味しくなる。
「アーサー! 感謝じゃ!」
いち子は山盛りの小豆飯を見て……いや、アーサーの気持ち(調味料)で美味しくなった小豆飯を見て、アーサーにくっきり二重のキラキラした可愛い瞳を向ける。
「ぶばぁぁぁぁ…………」
いち子が無意識に発動する初級誘惑魔法【感謝の瞳】に、鼻血を出しながら卒倒したアーサー。
座敷童を求めてアイルランドと日本を何度も往復し、変人扱い色物扱いされながら座敷童研究を続け、高度専門職ビザを取得して独立するつもりが、座敷童大臣に任命された残念な女アーサー•横山•ペンドラコ。おそらく、いち子から【感謝の瞳】を向けられた時、努力と苦労が実った瞬間だったに違いない。
もしもこの先、アーサーに座敷童の御利益があって最良の男性と出会ったとしても、座敷童と結婚という分かれ道ができたら迷わず座敷童を選ぶだろう……と俺は思う。
だが、座敷童はただの可愛い幼児ではない。知識が無ければ小さな勘違いから大きな間違いを生むし、それが家の衰退になり人生を踏み外す事にもなる。座敷童は盛衰を司る家の守護霊でもあるのだから。(座敷童を『霊』というのは間違いなのだが、その話はまたの機会にする)
座敷童研究家とはいえアーサーの知らない座敷童の生態は数多くある。その一つが……
「与えたら無限に食うんだから甘やかすな」
座敷童は食事を与えたら与えた分だけ食べ続ける。それは、御供物の質や量に満足してないという理由ではなく、座敷童には食事で得る栄養補給が無いからだ。それはそのまま食事からの身体的な成長が無いという事に繋がる。
先に述べたように、座敷童は気持ちを食べている。気持ちとは、一粒の米から始まり料理一品一品に入った食材を作った人々の気持ちまで含まれる。
わかりやすく人間を例えにすると、『ありがとう』と気持ちのこもった感謝の言葉を言われても、気持ちとは形の無いモノなので腹は膨らまない。気持ちを食べている座敷童が食事から満腹感を得れないのも同じという事だ。いち子が瞳をキラキラとしていたように嬉しくなるだけだな。
そして、甘やかすな、と言ったとおり、好きなだけご飯を与えてしまうとアーサーを『ご飯のくれる人』だと認識して、この人ならご飯をくれるのに、となる。
これが厄介で、人間の子供がお年玉や小遣いをくれる祖父母に向ける甘えが座敷童にもそのまま出るのだ。
簡単に言うと、祖父母は一日二日だけ孫のワガママの相手をしていればいいが、親は別だ。一日二日のワガママが甘えになり当たり前になった子供を元の生活水準に戻すのに苦労する。かなり苦労する。
アーサーはその苦労を知らない。知らないから母性溢れた表情からねっとりした殺意ある表情を俺に向ける。
「文句でもあるの?」
「アーサーが甘やかす事で帰ってからおかわりおかわりとワガママになるんだ。それに、食材はタダじゃないだろ。食わせ続けた結果、いち子で給料を使い果たしても責任は取れないぞ」
座敷童は与えた分だけ無限に食べ続けるため、アーサーのように座敷童に対して財布の紐と頭の回路が緩いと生活苦になる。座敷童のワガママにはある程度の譲歩はしても財布事情はキチンとしないとならないという事だ。
後々にアーサーにふりかかるであろう被害を未然に防ぐつもりで言ったつもりだが、俺はまたしても残念な女を見誤っていた。そう、緩いのはアーサーの財布ではなかった。
「座敷童管理省の経費だから給料じゃないわよ」
あっさりと不明瞭なお金の動きを匂わしたアーサー大臣。
アーサーは背広の裏ポケットに手を入れ、宛名や但し書きが無く【¥四三二○○ー】とだけ記載された領収書を出す。ニュースを賑わせる政治家決定だ。
「宛名や但し書きの無い領収書なんて政治家になった気分だわ」
「公的機関の大半は書いてもらわないだろ」
「あら、よく知ってるわね」
「公的機関は税金が使われてるのに領収書に金額しか記載されてないから何に税金を使ったかわからないと問題になってるだろ。特に政治家がな」
「何よその怪しい人を見る目は? 私を汚職する政治家と一緒にしてるわけ?」
「それよりも、四○○○○円分の食費はいち子の三ヶ月分なんだが?」
「三ヶ月じゃないわ。一食分よ」
「それを不明瞭な金というんだ」
「座敷童に使う明確なお金よ」
(……自覚無しだな)
アーサーを変人扱いしていた連中の気持ちが理解できた。
あくまでも俺の予想だが、この残念な女は座敷童グッズが店頭に並んでいれば全種類買い漁り、座敷童座敷童詐欺にも迷い無く引っかかる。
座敷童の事になると盲目になり、いち子のために用意した食事に使われた税金が国民目線では不明瞭な金になるとは思ってないのだ。
座敷童管理省は国民の目の届かない組織なため、このままではアーサーの私利私欲を満たすために税金が使われてしまう。
「座敷童管理省が使う経費は税金だろ。不明瞭な金だと叩かれるぞ」
「日本の税金は座敷童のためにあるのよ」
「言い切りやがった」
悪びれることなく堂々と「税金は座敷童のために」と吐き出す時点で、俺や周りが何を言おうとアーサーは不明瞭な金だと思う事はない。いや、堂々としすぎてる……もしかしたら不明瞭な金だと自覚して「座敷童のために」と言ってる可能性が高い。残念な女らしい威風堂々とした変人だ。
俺は一つの推測をしてみた。
座敷童を愛し、崇拝の域を越えたアーサー•横山•ペンドラコが、座敷童のノラ化問題を知った時や大臣に任命された時に何を思っただろうか?
『私の座敷童研究をバカにしてきただけでなく、座敷童文化や風習を衰退させ、私の座敷童をいじめてきた日本人……許すまじ』
……と復讐を誓ったのではないだろうか……
先程、俺が生まれた時からいち子がいると言っただけで冗長を極めたアーサーなら容易に想像ができる。
アーサーは座敷童を蔑ろにしてきた日本人に復讐するために税金を食い荒らす。
早々に手を打たなくては、新税法案座敷童税を国会に提出し兼ねない。
「座敷童管理省の予算がどれだけあるか分からないが……んっ?」
ふと視界に入ったのは、いち子の前にある御膳台と食器。今の今まで気にしてなかったが、アーサーの変人ぷりを目の当たりにしては嫌な予感しかない。
「この御膳セット、これも経費か?」
「それは自腹よ」
「そうか」
湧き出ていた嫌な予感は安堵に変わり『座敷童には贅沢は必要無いから経費の使い方を考えろ』と改めて助言しようとした、がアーサーは語を繋げていた。
「石川県の輪島市で座敷童を探してた時に、いつか座敷童に出会ったらあげようと思って十年前から作ってもらってたのよ」
「石川県輪島市……? ……輪島⁉︎」
テレビで見た特集を思い出す。
石川県輪島市の職人達によって作られる輪島塗。その食器類は一○○以上の製造工程で作られ、漆塗りの最高峰と誉れ高い超高級品。その金額はお猪口一つ何千円、茶碗一つ何万円、物により何十万何百万という日本文化を代表した芸術品。
「確認するが……石川県輪島市と言えば、小さい器でも何万もする高級品の輪島塗だよな?」
「完全オーダーメイドよ」
正解というように軽く言うと、そのまま御膳セットの説明をする。
「御膳台には花鳥風月と描き、飯椀は桜に幕、汁椀は桐に鳳凰、高月は芒に月、平椀は柳に小野道風、つぼ椀は松に鶴。その全ての色彩が純金手描蒔絵。御膳台を風神雷神か風林火山にしようか迷ったけど、職人が食器に花札の五光を入れるなら御膳台は花鳥風月しかないって言うから、アーサーオリジナル【花鳥風月•五光】にしたわ」
「したわ。じゃないだろ。なんぼした?」
「二○○○万よ。緊急時のために持たされてた親のカードがなかったら、払えなかったわ」
「軽く言うな。家が建つ値段だろ」
「出世払いって言葉は子供の武器よ。使える内に使っておきなさい」
「…………」
金額の桁がわからなかった、というジョークを期待したが、この女は金額の桁を理解し高級品だとわかって買っている。
ペンドラコ家の財政事情はわからないが、アーサーの金銭感覚は座敷童が関わった時点で皆無、このままでは日本の国税と生産する小豆が座敷童の腹の中に収まりかねない。
現実を教えるのは心苦しい。しかし、国税を正しく使わせるためにはアーサーの知らない真実を教えなければならない。いや、この残念な女には教えるべきだ。
「ノラ座敷童と違って、いち子のような【常駐型】座敷童は一緒にお風呂に入ってくれないし、遊んでもくれないぞ」
簡単には、というのは内に秘めて現実を突き付けたが、ダメージは無かったようだ。
アーサーはピクッと眉間に皺を寄せ、舌打ち混じりに言い返す。
「何それ? 遠まわしの自慢? それとも私の知らない事を俺は知ってるんだぜアピール? 座敷童研究家の私に座敷童を語るなら、日本人らしく黒髪になってから言ってもらえる? あんたなんか黒髪社会の日本にいるから目立つだけで、ユーロ圏に行ったら普通よ。せめてアレね、醤油顔だ珍しい〜、って言われるぐらいよ。それに……」
座敷童研究家として知らない新情報には喜びたいが、個人的に報われない情報なため八つ当たりを続ける。
「私があんたを特務員にしたのは、いっちゃんと一緒にお風呂に入るためよ。今日からあなたといっちゃんは私の家に住みなさい」
「常駐型の座敷童が簡単に住む家を変えるわけないだろ。そもそも、アーサーはいち子と風呂に入れない」
「あんたが一緒にいたら入れるわ」
「おま…………」
お前バカだろ? と口から出そうになったのを無理矢理止めて、
「青少年育成条例って知ってるか?」
「行政機関の権力者が条例ぐらいで引き下がると思ってるわけ?」
「総理大臣に合わせろ。税金を食い荒らし、条例を踏み潰す変人を大臣に任命した責任を追求したい」