第三章 各々が座敷童にできること。
1
井上のばあさん宅、大部屋。
開いた襖から入ってきたのは携帯端末を片手に額から一滴の汗を流したアーサー。困惑を含む視線は龍馬に向けられる。
「りょ、龍馬君……」
「なんじゃ?」
「今、特務員梅田から連絡があったのだけど……北海道まで来る途中に伝言とか預かってない?」
「……、……達也から伝言……?」
考える素振りを見せると、
「……伝言、……、うおっ⁉︎」
「思い出してくれた?」
「いやいやいや! 忘れてないぜよ!」
「……たけ……」
「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
アーサーの発言をかき消すように大声を上げながら走り出した龍馬は、アーサーの手を取って大部屋を後にする。
梅田達也からの電話後に表情に困惑を見せたアーサー、そして挙動不振な龍馬に一同は疑問符を浮かべる。
俺は井上さんに視線を向ける。
「……なんだ今の? 梅田家になんかあったのか?」
「私は何も聞いてません。……、」
井上さんは視線を体格の良い特務員に向けると、
「伝言と言ってましたが……北海道に来る途中に誰かに会いましたか?」
「誰かと言われても……行く先々で座敷童や家主と龍馬さんは話してましたが……話の内容までは聞いてません」
「梅田さんは四国に向かい、皆さんは北海道に向かってましたので梅田さんからの伝言というワケではありません。そう考えると……」
井上さんが考える仕草を見せると、食事中は話を聞いてるだけで滅多に口を挟まない聞き役の井上のばあさんが、御膳台に箸を置く。
「竹田家からアーサーへの伝言を龍馬が預かり、連絡一つないから梅田の坊主に連絡しアーサーに繋げたんじゃろ」
洞察力が鋭い上に聞き役に徹しているから全体的な話の流れが正確にわかり、確信に近い答えを導き出す事ができる。
しかし、どんなに洞察力が鋭い井上のばあさんでも、今のアーサーと龍馬の少ない会話では竹田家や座敷童管理省と導き出すには難しい。いや、不可能だ。
だが、東大寺での話や座敷童管理省の今後や特務員の教育など、普段からアーサーや井上さんや俺から聞いてれば……井上のばあさんなら予想ができる。
まずは、アーサーが言葉や態度にも出してたとおり、傍目から見ても困惑してる……これはアーサーの性格を考えれば座敷童関係としか思えない。
そして、奈良県から北海道までの道中で、アーサーが困惑してしまう相手となれば、『たけ……』というワードで御三家の一家だと予想ができる。
洞察力の鋭い井上のばあさんにもなれば、後はそこから導き出した情報を補足していけば確信に行き着く。
だが……今の段階でソレに気づいてるのは俺を含めて誰もいなかった。
「アーサーが『たけ……』とか言ってたもんな。……東北になんかあったのか?」
「東北に何かがあれば、いの一番に松田家に連絡がくるじゃろ。アーサーへの伝言という事は座敷童管理省に用があるんじゃ」
「竹田が座敷童管理省に……、……」
「龍馬さんが慌ててました。ただ事ではないのでは?」
「龍馬が慌てておったのか?」
井上のばあさんは表情を固める。
座敷童管理省の大臣アーサーへの伝言、そして龍馬が慌てる。これに、竹田家というワードが加われば……
「うん。……、!」
「!」
俺と井上さんが、龍馬が慌てた理由に気づいたのは同時。だが、気づいた時には遅い。全てのワードが揃い、井上のばあさんは真実に行き着いた。すでに、普段のような微笑みは井上のばあさんにはない。
竹田家は災害時に井上のばあさんから多大な援助を受けている。
状況が状況とはいえ、井上のばあさんからの過剰な援助を竹田家は申し訳なく思ってしまい、一年過ぎても変わらない過剰な援助を中止するために、松田家に相談までしてきたのを俺は知ってる。
一方、井上さんは、災害時に『座敷童が困っておる』と祖母が言いいながら、私財で小豆を大量に仕入れて東北に送ったのを知っている。俺が松田家として聞いてた話よりも過剰だったのは、他にも『座敷童のために』という一言をキャッチフレーズにして、全会社の大半の従業員に業務として支援活動に参加させた事により、会社の運営がフリーズして多大な被害をもたらしのを井上さんから聞いた。
井上さんが東大寺のオロチ線を前に経営していると言ってた仮想通貨などの会社が、未成年では設立できる規模ではないため疑問になって聞いたのだが、どうやら井上のばあさんの会社を経営者として何軒か任されてるという事のようだ。所謂、経営者としての英才教育を受けている事になる。その話を聞いた時に、東北の震災が話題になり、井上家目線での被害を俺は知ったのだが……
すなわち、井上さんは経営者目線で、会社に大打撃を受けた過去を繰り返さないために、東北に祖母を行かせるわけにはいかない。
もちろん、俺も松田家として竹田家に頼まれた『井上のばあさんからの援助の停止』をしなければならない。
「竹田からはもう大丈夫じゃと聞いておったが…………」
「ばあさん。竹田家が大丈夫と言ってるなら大丈夫だ。座敷童の事じゃないんじゃないか?」
「座敷童の世界で生きる竹田家が座敷童管理省に連絡しといて、座敷童の事じゃないとはおかしな話じゃな」
(そのとぉぉぉぉぉぉぉぉぉり‼︎)
まったくのそのとおり。言い訳は浮かぶが墓穴にしかならないため、井上のばあさんに何も言えなくなった俺は斜向かいにいる井上さんに『頼んだ!』と含ませた視線を送る。
井上さんは額に一滴の汗を流しながら黒縁眼鏡を右手中指で押し上げ。
「……。おばあちゃん……きっと座敷童管理省で建てた分署の事だよ。座敷童のご飯の好みとか」
「龍馬が慌てる理由にはならないのぉ」
「そうだね……」
(龍馬さん……また詰めの甘い事を。いや、龍馬さんが私やアーサーさんに言ったとしても、私やアーサーさんの雰囲気からおばあちゃんが何かを感じる可能性が大いにある。そこに竹田家に会いに行くとか東北に行くとかになれば気づくし、嘘を言っても気づく。どちらにしても、伝言を預かった時点で龍馬さんや私達では八方塞がりだった。…………でも、龍馬さんが竹田家から伝言を預かった直後なら、完成した分署の見学とだけ言って、気づかれる前におばあちゃんから逃げる事は出来た。龍馬さんがいち早く連絡くれたらバレない可能性が多少だけどあった……)
井上さんは、井上のばあさんを東北に行かせられないと思っていながらも、ほとんど諦めていた。俺に向けてきた視線も諦めを現し『何を言っても後の祭り』と含ませているのがわかる。俺と井上さんはため息を吐きながら肩を落とした。
すると……気楽な声音が大部屋に響く。
『いやぁ、うっかりしてたぜよぉ』
気楽な口調で大部屋に入ってくる龍馬と額から一滴の汗を流すアーサーが続く。
井上のばあさんがアーサーを一瞥。更に、額に青筋を浮かべた杏奈の視線を追う。その位置には、井上のばあさんには見えないが龍馬がいる。
「龍馬、うっかりしていたようじゃな」
「そうじゃな。うっかりしていたぜよ」
龍馬は座敷童が見えない井上のばあさんに対して返答する。名前を呼ばれたから返答したと言った感じだ。
だが、ここで井上のばあさんが注視してるのは龍馬ではない、そもそも井上のばあさんは龍馬が見えない。それなら誰を注視しているか?
もちろん俺ではない。そして、額に青筋を浮かべる孫でもなく特務員二○人でもない。それでは誰を注視してるのかというと、人間は気まずい事があると身体が無意識に反応する……今のアーサーのように。
井上のばあさんは、龍馬の肩を叩こうとするアーサーの無意識な反応を一瞥。
たったそれだけのアーサーの仕草だが、予想に補足を加えた後では東北の座敷童と竹田家が不便している事を確信するには十分。そして災害から数年経って不便する事と言えば……
「家が無く、座敷童が不便しておるようじゃな」
「ななななな! そんか、そんな事はないぜよ!」
慌てる龍馬、だが、井上のばあさんには龍馬は見えない。もちろん声も聞こえない。しかし、井上のばあさんは龍馬が見えているように、声が聞こえているように、見えないはずの龍馬がいる方向に視線を向け、聞こえるはずのない言葉に返答する。
「竹田家から座敷童管理省に連絡する理由がそれ以外に無いとワシは思う」
((……す、スゲーな))……一同は生唾を飲み込む。
座敷童が見えなくても、井上のばあさんの頭の中では慌てる龍馬のビジョンがあると思わせ、その独り言は座敷童が見える側の一同から見ても会話をしているようだった。
龍馬は井上のばあさんからの視線に戸惑い、全てを見透かされてる気がして、井上さんと同じ事を言う。後の祭りだが、ベストな言い訳という事だ。
「座敷童の事じゃないぜよ! 分署で出すご飯の話ぜよ!」
龍馬がいくら強く言っても井上のばあさんには聞こえない。そんな不便さに歯噛みする。
井上のばあさんは歯噛みする龍馬を頭に浮かべたのか微笑みながらアーサーを見やる。
「アーサー。座敷童が不便しておるのか?」
「……分署で出すご飯の好みです」
アーサーには龍馬の通訳をする事しか出来ない。
先ほど、廊下に連れられた時に……『文枝殿にバレたら竹田が困る。何か聞かれてもワシに任せるんじゃ。ワシの言った事を真似するんじゃ。腹話術作戦じゃ』……と龍馬に言われた。
アーサーから見た周りの視線は諦めろと言っているが、龍馬の腹話術作戦は続く。
「ご飯の好みでは龍馬が慌てたりしないのぉ」
「ワシは慌てとらんぜよ!」
「……龍馬君は慌ててません」
「慌てとらんか。それではワシが東北に行っても差し支えは無いのぉ」
微笑みながらしずかの御膳台とジョンの御膳台に視界を向け、
「しずか。ジョン。東北に遊びに行くとするか」
「行くでありんす!」
『お供する』
間髪入れずしずかが応え、ジョンが続く。もちろん、井上のばあさんには聞こえてない。しかし……
「ワタキも行くんじゃ」
「いち子も行きたいようじゃ。みんなで行くとしよう」
「「…………」」……一同は絶句する。
座敷童が見えている。声が聞こえている。と思わせるほどの独り言。
見えなくても頭の中では井上さんが描いた座敷童の絵が有り、聞こえなくても頭の中では普段から聴いてる会話から予想して座敷童と会話ができる。
そんな井上のばあさんだからこそ、この場にいる全員の会話を聞いて予測し、井上さんやアーサーの反応を見て自分の考えに確信を得れる。そして、『ワシが行っても差し支えない』という一言、誘導尋問に似た会話術を見えない相手、龍馬に行使した。
井上さんはチラッと視線を動かし、大部屋を後にする井上のばあさんを見ると、ジョンの背中に乗ったしずかといち子が大部屋から出たのを確認する。ギギギギと油が切れたブリキ人形のようにゆっくりと龍馬に視線を向けると。
「龍馬さん。竹田家からはなんと?」
井上さんは首を傾げながら黒縁眼鏡を右手中指で押し上げる。その顔は無表情ではあるが威圧感を感じる。
「……分署で合おう、的な」
龍馬は、無表情からの威圧感に表情を引き攣らせる。
「龍馬さんが北海道に来たのは一週間前です。分署の建設が終わったのも一週間前です」
ふぅと一呼吸しながら黒縁眼鏡に影を作ると、言葉に棘を含ませ、
「竹田家は、いつ、合うと、言って、ました、か?」
「「…………」」……特務員は額に汗を溜めて二人の会話を見守るしかなく、アーサーは心配そうに龍馬を見る。
井上さんの背後には、二次元的なオーラが具現化したように毘沙門天が浮かんでる。比喩なのだが、それほどに無表情には威圧感がある。
毘沙門天の威圧感に龍馬はジリジリと摺り足で後ずさりながら。
「……ぶ、分署の建設が、終わったら行くと、言っておった」
「………………」
一秒……三秒……五秒と黒縁眼鏡の奥から感情の無い瞳で龍馬を見つめ、
「一週間前ですね」
「一週間前じゃな」
一週間、短くも長い日数を、無駄な時間として竹田家に与えた座敷童管理省。時間は有限と言われる中で、無駄な時間を与えるのは何よりも失礼。しかも、無駄な時間を与えた張本人はその一週間を……
「龍馬さんはその間何をしてました?」
「……、支笏湖で鱗を取っておった」
「没収です」
「「……………………………………………………………………」」
井上さんの間髪入れない返答に、大部屋は時間が止まったように静寂する。
五秒ほど経つと、龍馬の思考が『没収』の意味を理解する。
「なにぃ⁉︎」
「当たり前です」
間髪入れず返答すると、無表情の額に青筋を浮かべ、黒縁眼鏡を右手中指で押し上げながら言葉に抑揚をつけて、
「連絡の簡潔化で、一緒にいる特務員に、『分署の完成日に竹田家が来る』と、言えばいいだけなのを! 言わずに、呑気に、鱗取り。それも、殆どを特務員にやらせて、自分は観光気分で見てるだけ! それでも、特務員をちゃんと教育していただいたから、鱗の一枚は報酬として与えようと思ってましたが……全部没収です」
「一枚じゃと⁉︎」
「一枚です。今後、龍馬さんと吉法師さんには特務員の講師をしてもらい、報酬を鱗にする予定でした。異論は無いですね?」
「あるわい⁉︎」
「それでは竹田家の伝言を伝え忘れた事に対して、一六三二八八枚の鱗を罰金として払ってもらいます。罰則として今世紀中の特務員の講師をタダでやってもらいます」
「同じ事じゃろ⁉︎」
「反抗しなければ、特務員の教育をしていただいた結果を考慮して、今回は没収だけにします。そして、講師の報酬として次回から、一ヶ月一枚払います」
「ぐっ……なんちゅうあこぎな商売を……」
「北海道のオロチの鱗にはそれだけの価値がある。と吉法師さんは喜んで承諾してくれましたが?」
「! ……吉法師のヤツ……余計な事を……」
「龍馬さん。竹田家がおばあちゃんに気を使ったのにバレてしまいましたが……座敷童の龍馬さんが見えない側のおばあちゃんをどうやって説得しますか?」
「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
「交渉成立で構いませんね?」
「………………、はい」
((坂本龍馬が……負けた……))
井上さんに完全敗北した龍馬。
見る者が見れば姉に怒られる龍馬に見えるが……坂本龍馬がその智力や行動力を発揮したのは成人後。
幼少期は四六時中実母に甘え、少年期は気弱な性格が際立っていた。表の歴史では諸説あるが、寺子屋ではイジメられて抜刀騒ぎを起こし退塾されたとある。しかし、その真実は幼少期の坂本龍馬は気弱だったという以外は明らかではないし、誰に抜刀したかも一切残っていない。
だが、表の歴史では一切残ってないだけで、尺八を持った若武者との壮絶な喧嘩だったと、おかっぱ頭の座敷童をお世話する人間が当時の事を書物で残している。
その後、実母が亡くなり義母の教育の元に姉から武芸や学問を学び、その才覚が現れる。
その才を見込まれて土佐藩から江戸自費遊学が認められ、剣術修業のため千葉道場に行ったのが青年期。
そして、北辰一刀流長刀兵法目録がありながら、その薙刀術は『一度も人間相手には振られる事なく』幕末の動乱を駆け抜けた。
『その経験から気弱でなくなっただけ』で、見た目が精神年齢の座敷童龍馬では井上さんとの口論で『表面上』負けるのは当たり前である。
そもそも、伝言を預かってからの一週間、特務員に伝言を言えなかった決断力の無さは、精神年齢を言い訳にしても龍馬が悪い。
一つ言える事は、精神年齢から北海道のオロチの鱗に目が眩んでいたとしても、坂本龍馬こと座敷童龍馬は大義を見失わない。




