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座敷童のいち子  作者: 有知春秋
【近畿編•東大寺に眠ふ愛】
13/105

2

 

 井上のばあさん宅、大部屋。

 ジョンの祭壇前、長方形のテーブルには質素だが栄養価の高い精進料理が並び、井上さんと俺はそれを食べている。

 席の並びは井上さんの正面に俺が座り、いち子としずかはジョンの祭壇とテーブルを正面にして御膳台を並べる。二人とも一生懸命食べている。

 その二人の配膳役として、井上のばあさんがしずかの隣、アーサーがいち子の隣にいる。

「はぁぁ……」

 俺は座敷童の食事に配膳役がいる光景に深いため息を漏らした。

 座敷童が見えるアーサーの指示で井上のばあさんは夢にまで見た『しずかのおかわり』に嬉しそうに対応している。

 座敷童は与えれば与えただけ無限に食べる。食事はタダでないし、食事を作るのも相応の負担がある。やはりアーサーは悪影響にしかならない。

「アーサー、帰れ」

「さっきから帰れ帰れって……」

「俺の生活範囲に入ってくるな。パワハラで訴えるぞ」

「ご挨拶ね……」

 視線をしずかの御膳台に向け、

「おばあちゃん。しずかちゃんがおかわりです」

「しずか。好きなだけ食べるんじゃぞ」

 井上のばあさんはアーサーの指示に従うようにしずかの御膳台から飯椀を取る。

 俺は井上のばあさんの負担を減らすために御膳台を一○段から二段に減らし、食材がある限り無限ループが続きそうな配膳行為を井上のばあさんやいち子やしずかからのブーイングをもらいながら避けてきた。その努力が、アーサーの来訪で着々と壊されている。悪徳訪問販売で財産がジワジワと削られていく心境と同じだ。

「アーサー、マジで帰れ」

「帰らないわ。私は仕事でここにいるんだから」

「仕事?」


『八重! 褌は無いのか!』


 食事中の大部屋に響く少年の声音。

 一同が視線を向けると、全裸になった目力の強い少年がズガズガと大部屋に入ってくる。その後ろを腰にバスタオルを巻く目を閉じた少年が続く。

 双子の少年は褐色な肌や頭から湯気を立て、風呂上がりを思わす。

「八慶! 八太!」

 俺は思わぬ来客に声を上げる。しかし、二人の急な来訪よりも、

「どうしたんだ! その傷は!」

 褐色な肌でもわかる青痣、刀で斬られ、弓矢がかすった切り傷もある。座敷童の世界にいる俺には、この二人が負傷する事態は異常事態にしか受け取れない。

 八慶は俺に会釈するとゆっくりと頭を上げ、駆け寄った俺の横を素通りして井上のばあさんの前に行く。

文枝(ふみえ)殿」

文枝とは井上のばあさんの名前。八慶は真っ直ぐに井上のばあさんを見上げ、

「緊急時とはいえ無断で屋敷の敷居をまたぎ、風呂を拝借した無礼、心よりお詫びします」

 八慶は深く頭を下げる。

 しかし、井上のばあさんは八慶の姿どころか声も聞こえない。

 八慶の事を井上のばあさんが見えていないのに気づいたアーサーは、八慶と八太を交互に見る。

「ま、ま、まさか、座敷童⁉︎」

 声に動揺が出る。いち子としずかに続く座敷童の登場に感動した動揺のようだ。

「八慶と申す。そして此奴は弟の八太。南蛮の美女よ、申し訳ないが文枝殿は座敷童が見えない側の人間、間を取り持ってはくれぬか?」

「南蛮の美女じゃないわ。アイルランドの淑女よ」

「アイルランド……?」

 右目だけ薄っすらと開いて三秒ほどアーサーを見みると、ゆっくり右目を閉じ、

「失礼した。アイルランドの淑女、家主殿との間を取り持ってはくれぬか?」

「座敷童の頼みなら何でも聞くわよ」

 アーサーは、向かい合う井上のばあさんと八慶を正面にして座ると、五指を揃えて八慶に向ける。

「おばあちゃん。ここに八慶君、隣に八太君がいます」

「八慶と八太はしずかの友達じゃな。……傷を負っておるのか?」

 井上のばあさんは俺が最初に発した言葉を気にかけていた。

 そんな井上のばあさんに対して八慶は来訪の礼儀を繰り返す。

「アイルランドの淑女。文枝殿に緊急時とはいえ無断で屋敷の敷居をまたぎ、風呂を拝借した無礼、心よりお詫びします。と伝えてくれぬか?」

「おばあちゃん。八慶君は、緊急時とはいえ無断で屋敷の敷居をまたぎ風呂を拝借した無礼、心よりお詫びします。って言ってます」

 アーサーが通訳すると、井上のばあさんは八慶の礼儀に対して。

「ここは座敷童のための家じゃ。好きな時に遊びに来たらいい」

 短く言葉をまとめ、気にかかる本題に移す。

「傷を負っておるのか?」

「…………」

 八慶は井上のばあさんに気を使うように口を閉じる。

 そんな八慶の気づかいを見たアーサーは視線を俺に向け、この場の対処を丸投げする。

「特務員松田、座敷童のケガって……」

 井上のばあさんに『ケガしてます』と直接言わなかったのは及第点をやれる。まぁ、二人のケガに声を挙げた俺が言える立場じゃないが……

「ばあさん。とりあえず、八慶と八太に飯を用意してくれ」

「そうじゃな。八慶に八太、少し待っておれ」

 井上のばあさんは大部屋を後にして、厨房に行った。

 俺はいち子の御膳台の前に移動し、八慶を正面にして座る。

「八慶、何があった?」

「特務員松田、今は話を聞くより傷の手当てよ」

「……、座敷童に人間の医療が使えると思ってるのか?」

「思ってないわよ。でも、このままにしておけないわ。それとも何もできないの?」

「座敷童の治癒は薬湯と薬草だ。ばあさんの家は温泉だから多少は効果はある。薬草はばあさんが薬膳料理を作るから大丈夫だ」

「そう……」

 アーサーには座敷童を手当てする知識はない。そもそも座敷童がケガをするなんて考えた事もない。座敷童がケガをするという現実が青天の霹靂なのだ。

 そんな現実が目の前に起こり、二人のケガが民間療法のような薬湯や薬膳料理で治るとは思えない。

 腑に落ちない気持ちを表情に残したままのアーサーだが、今は異常事態、そんな気持ちに付き合う暇はない。

「八慶。東大寺で何があった?」

「東大寺⁉︎ 今、東大寺って言った⁉︎」

「…………」

 アーサーの横槍に額に青筋が浮く、

「アーサー、帰れ。邪魔だ」

「何よ! 東大寺に一○○人の座敷童が押し掛けて、東大寺に住む座敷童を追い出したって聞いたから、松田家に協力要請に来たのよ⁉︎」

「本末転倒だろ……」

 はぁ、とため息が漏れる。座敷童を研究してる程度ではわからない座敷童事情だから仕方ないとはいえ、アーサーのような一方通行な人間には説明するのも面倒くさい。

「母さ……松田家当主が協力しないって言ったから俺の所に来たんだろ? 俺の答えも協力はしない、だ。これで用が済んだだろ、帰れ」

「なんで協力しないのよ、ケガしてるじゃない、可哀想だと思わないの?」

 アーサーの苛立ちは表情にも現れ、言葉が強くなる。

「可哀想って、……座敷童はマスコットじゃないぞ? それに協力って座敷童をバカにしてるのか?」

「どういう意味よ?」

「お前みたいな座敷童を勘違いした人間には説明するのも面倒くさい。帰れ」

 バシッと大部屋に響いたのは、アーサーが俺の頬に向けて放った平手打ちを俺が右手で掴んだ音。

「帰れと言われて帰ると思ってるわけ?」

「追い出した方が良さそうだな?」

 眼光鋭く睨むアーサーをため息混じりに見る。一触即発の空気が流れるが、その空気に割って入る者がいた。

「翔殿。アイルランドの淑女には悪気はない」

 八慶はゆっくりと立ち上がりアーサーと俺の腕を掴むと、

「アイルランドの淑女。人間の世界では人間が試行錯誤をして生きてくように、座敷童の世界も座敷童が試行錯誤をして生きていく。座敷童に人間の助けは必要ないのだ」

「座敷童管理省は座敷童を助けるために……」

「アーサー」

 聞くに堪えないアーサーの言葉に俺は言葉を重ね、座敷童管理省の意味の無さを簡潔に教える。

「お前は八慶と八太の傷を見て情が湧いたと思うが、東大寺を攻めた一○○人も座敷童だ。言ってる意味がわかるか?」

「…………」

 アーサーは口に出してわかっているとは言わないが、奥歯を噛み締めた表情からは口に出さなくても伝わる。

 だが、そんな意思表示は俺には関係無い。

「八慶と八太に座敷童管理省が協力するというのは本末転倒だろ。『座敷童管理省が松田家に協力要請するのも本末転倒だな』。そもそも人間が座敷童を管理できるなら遠い昔にしてる。人間でもあるだろ? 子供を管理してる親や教師が子供同士のケンカに気づかないで問題になるのと一緒だ。人間なら親同士が話し合い、教師が仲裁したりとできるが、座敷童にはその親や教師はいない」

「座敷童保護の会からの特務員梅田は座敷童の親であり教師だって……」

(こいつ、やっぱり気づかないな。それに……)

「呆れちまうの一言だ。梅田に言っておけ、綺麗な理想を語る前にやる事は無いのか? 吉法師に学ぶ事はないのか? ってな」

「その吉法師って座敷童が一○○人の座敷童を引き連れて東大寺に押し掛けたのよ」

「吉法師が東大寺を攻めた?」

 予想外だ。あり得ない。という否定の言葉だけが脳裏に浮かぶ。いや、今は否定するよりも吉法師が東大寺に押し掛けた理由を知る方が先だ。視線をアーサーから八慶に移し、

「八慶。ノラを蔑ろにしたのか?」

「東大寺は今も昔も変わらぬ」

「……、吉法師は押し掛けた理由を言ってたか?」

「吉法師は————」

 八慶が吉法師と交わした会話を簡潔に話てる間、八慶と八太のためにしずかが何処からか女性用ショーツを持ってきた。

 褌の代わりが見つからなくて井上のばあさんのショーツでも持ってきたのかと思った矢先、井上さんが女性用ショーツをしずかから取り上げ、そそくさと大部屋を後にした。

 ほどなくして、白い浴衣と裁縫道具を持ってきた井上さんは手慣れたように浴衣を解体し、即席で褌を作り上げ八慶と八太に御供えした。

 しずかが持ってきたのは井上さんのショーツだったんだな。うん。白でよかった。

 小イベントがありながらも八慶の話は脱線することなく終わり、俺は吉法師の意図を理解した。

「狙いが八慶だけではないって事は、東大寺に押し掛けた理由は『八慶と八太としずか』が原因だな」

「なんでしずかちゃんがそこに入るのよ?」

 アーサーから予想どおりの疑問投下。まぁ、物事には順序があるし『今回に限り、アーサーは利用ができる』と考え、アーサーの疑問投下に返答する。

「平安時代までしずかが近畿地方の八童だったんだ。しずかの事情で鎌倉時代から八慶が近畿地方を守る八童になった。とりあえずアーサー……帰らなくていいから話の腰を折るな」

 ムッとした顔を作ったアーサーを無視して、八慶に視線を移す。

「八慶、どうするんだ?」

「『八重』、どうするんだ?」

 八慶はしずかを見る。

「バカ八重! どうするんだ!」

 八太がしずかに言った瞬間、ガツッと額に扇が刺さる。刺さるというのは比喩でしかなく本当に刺さってはいない。

 八太は額に閉じた扇を立てたままバタンと後ろに倒れる。

「誰がバカでありんすか?」

「お前だバカ八重!」

 しずかはゆっくりと立ち上がり八太の横に行くと、帯刀してる短い白鞘巻きを抜刀し、八太の首元に刀身の刃を置く。

「誰がバカでありんすか?」

「お、俺で、ありんす」

「俺みたいな足手まといがいるから東大寺を取られました。と言うでありんす」

「なっ! 俺は、!」

 カチッと鍔が鳴る音が八太の耳に届き、首元をチラチラ見ながら、

「八重だって何も……」

「何も? 何もとはなんでありんすか?」

 しずかは容赦のない冷たい視線を八太に向けながらクッと手元に力を入れ、八太の首の皮一枚に紅い筋を入れる。

「俺が足手まといだから東大寺を取られたでありんすであります!」

 命の危機を感じた八太は間髪入れずしずかの言うとおりに復唱した。

 完全な上下関係がしずかと八太にはある。それはある種の恐怖で出来上がった関係かもしれない。

 アーサーは座敷童同士の可愛らしいケンカとしか見てないが、井上さんは心配そうにしずかと八太を見る。

「大丈夫ですか?」

「しずかと八太のケンカはいつもの事だから大丈夫。それよりも八慶?」

 視線を八慶に移し、最初の本題から逸れた話を元に戻す。

「どうするんだ? このまま吉法師に東大寺を明け渡すわけにもいかないだろ?」

「本来は八重が守るべき東大寺。私が出す答えでは無い」

「今は八慶が八童なんだ。しずかの事はいいから八慶はどうしたいんだ?」

 八慶はチラッとしずかにヘッドロックされた八太を見て、俺の方へ向き直る。

「……、腑に落ちない事がある」

「なんだ?」

「私と八太の傷は全て吉法師の引き連れた者等に付けられた」

「それはおかしいな」

「何がおかしいのよ?」

「アーサー、帰れ」

 アーサーの疑問は座敷童を知らない以前の問題になり、吉法師という名前を聞いても尚、違和感が生まれない時点で口を挟む資格がない。

「杏奈ちゃんとの対応の差に異議あり、なんだけど」

「お前は吉法師という名前を聞いて何も違和感がないのか? 違和感があったとして、その吉法師が二人にコレだけの傷を負わせて逃した事に違和感が生まれないのか?」


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