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ペットの火葬場までが片道一時間以上の道のりなのは北海道ならではなのか? という疑問は置いといて、道中は自然豊かな国有林に囲まれた一本道だった。
そんな事情から、ジョンの火葬が終わって井上のばあさん宅に帰宅した時には、夕方の一七時になっていた。
玄関に入ると井上のばあさんは俺に【空 ジョン】と筆字で書かれた白木位牌を向ける。
「翔坊。ワシは晩食の準備をするからジョンを祭壇に持って行っとくれ」
「わかった」
白木位牌を受け取る。
位牌をジョンと呼ぶのは年寄りらしい一面だな。と思っていると井上のばあさんは生活スペース(廊下を左)に行った。
俺はジョンの遺影と位牌を持ち、井上さんは骨壷を持ち、鼻歌を鳴らすいち子の背中を見ながらジョンの祭壇がある大部屋(廊下を右)に向かった。
そのまま大部屋に入り、ジョンの祭壇を視界におさめると……
「あ、ありん、す」
四つん這いになりながら酷く落ち込むド派手な幼女がいた。
腰まであるストレートの黒髪は重力に従うように乱れ、ぱつんと切り揃えた前髪と横髪を一束分切り揃えた姫カットは毛先を畳に付ける。顔は見えない。
そして、この幼女をド派手と描写できる服装が赤一色の直垂、腰には赤鞘巻きの短い刀を帯刀、そして、立烏帽子と赤和紙の小さな扇が畳に転がる。立烏帽子以外は見事に赤一色だ。
服装は白拍子のそれと同じだが、この幼女に限り赤拍子と言葉を作ってもいいかもしれない。
いち子とは見た目も雰囲気も違うが、堂々と不法侵入するのは座敷童しかいない。
「あの子がしずかちゃんですか?」
不法侵入もさることながら、昨日に座敷童を知った井上さんでも見た目から座敷童だと確信できる。そもそも、直垂を着た子供と限定すれば一般人に限り現代ではすでに絶滅してる。
小袖にちゃんちゃんこという座敷童の概念は狂わされたが、真っ赤な幼女を座敷童として認めるには十分。井上さんは念のために確認しただけのようだ。
「しずかだ。まずいな、真っ赤になってる」
「真っ赤な着物を着てるだけではないのですか?」
「座敷童は感情が不安定になると赤くなるんだ。とりあえず機嫌を……」
細かい説明は後にして、しずかの機嫌を取るために抱き上げようと手を伸ばすと、俺としずかの間にいち子が割り込んだ。
「しずか。どうしたんじゃ?」
いち子なりに慰めようとして、落ち込むしずかの背中を撫でる。
「い、いち子。ばあちゃんが、死んだで、ありんす」
しずかは顔を上げない。大泣き寸前を思わせるように声だけ震わせる。
「ば、ばあちゃんが、死んだ、じゃと……」
わなわなと戸惑い始めたいち子。
(んっ? どうしたんだ? なんで戸惑う?)
俺はいち子の反応に疑問符が浮かぶ。
「不覚にも、死に目に、立ち会え、なかったで、ありんす」
途切れ途切れに言葉を繋ぐしずか。畳にはポタポタと涙が落ちる。
(ばあさんは生きてるぞ。死んでないぞ。いち子、早く言っ…………)
「た、大変じゃ……大変じゃ、大変じゃ大変じゃ大変じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
(おい! いち子は三○秒前までばあさんと一緒にいただろ! なんで驚愕する!)
「家無しでありんす〜〜〜〜」
「ワタキの家に来るんじゃ!」
いち子の反応が昨日と違うのは落ち込むしずかを励ますためだと思うが「ばあちゃんは生きてる」と言えばいいだけだ。慰めるなら逆効果にしかならないだろ。
いち子に呆れても仕方ないと割り切り、俺は話を進める。
「いち子、さっきまでばあさんと一緒にいただろ」
「むむ⁉︎ ……ワタキとしたことが‼︎」
目を見開き両手両足を広げて驚愕する。
(……マジか)
どうやら井上のばあさんが本当に死んだと思っていたようだ。いち子の世話役として、三○秒で人の死を勘違いできる思考回路を知りたい。
「しずか、ばあさんの葬儀じゃなくジョンの葬儀だ。ばあさんはまだ生きてる」
「あ、ありんす? ……生きてるでありんすか⁉︎」
頭を上げたしずかの顔は真っ赤になり、鼻水と涙をダラダラと流していた。しかし、その顔立ちは絶世の美女を約束されたほどの気品があり、いち子が泥遊びが似合う田舎娘なら、しずかは甘いお香の香りがするお姫様だ。
「ばあさんは厨房で晩飯作っ……」
「ありんす!」
最後まで聞かず、しずかは厨房へと走って行く。いち子はそれを追った。
二人が大部屋を後にしたのを見送った俺は井上さんに視線を向け。
「井上さん。心霊現象でないのわかった?」
「いえ、まだなんとも」
「意外と疑り深いんだな」
意外にも井上さんから返ってきた言葉は否定だった。いち子が特別な存在ではなく、しずかを見れば座敷童の存在を肯定すると単純に思っていたのは間違いだったようだ。
その否定は、俺の考えが最初から思い込みだった事を井上さん独自の洞察力から知ることになる。
井上さんは黒縁眼鏡のフレームを右手中指で押し上げると、普段の気弱で途切れ途切れな口調ではなく、淡々と話し出す。
「昨日のお話から、座敷童が幽霊ではないことは理解してます。私が疑問なのは、座敷童そのものよりも見える側と見えない側の違いが明確ではない事です」
「明確でない、か……」
井上さんは昨日に座敷童を知り、話を聞いた時点で分析し、見える側と見えない側に視点を置いてた。井上さんなりの考え方と口数が少ない事から俺は誤解をしていたようだ。でも……
(なんか雰囲気が変わった気がする)
文学少女が得意分野ではキリッと表情を変え、キラーンと眼鏡を輝かせて本領を発揮するイメージが当てはまると思う。
俺が最初に井上さんを文学少女だと思ったイメージは間違いではないが、今の雰囲気は文学少女のソレを越えて底知れぬ怖さを感じる。アーサーとは違う冗長がありそうな……そんなイヤな予感が。
文学少女の生態といえば、普段は影に潜めている知識量から導き出す独自の世界観。更に、話出せば長く納得するまで追求するストイック。それだけではない、スキルの高い文学少女にもなれば、膨大な知識量からサスペンス映画では五分で犯人を見つけ、推理小説では起承転結の起で犯人を見つけて承転を飛ばし結を読んで「やっぱり」という作家泣かせの推理力がある。
普通の会話なら雰囲気に呑まれてしまうが、座敷童の説明をする上では井上さんの洞察力は大助かりだ。余計な説明をしないですむからな。まぁ、今の段階ではだけど。
「そこまで理解してるなら心霊現象でないって事がわかると思うけど?」
井上さんの洞察力から答えは出していると思い、確認のために聞く。
「座敷童が見える側の人間が『本来の霊能者』なのでは? という疑いが生まれます」
「なるほど、本来の霊能者というなら霊感とは別だけど『日照り続きで困っていた民のために座敷童に頼んで雨を降らした人物がいる』、見方によっては霊を使役する霊能者になるな」
平安時代、とある白拍子が雨乞いをして雨を降らした、という逸話がある。その白拍子が座敷童なのは言うまでもなく、座敷童にお願いした家主は見方によっては霊能者になる。見える側の人間が本来の霊能者だと勘違いするには十分だ。
「それと、感情が不安定になると服が赤くなる、というのは見える側だから確認できます。服の色が変わるのは心霊現象ではないのですか?」
「あぁ……それは、座敷童の食べる物や着る物は人間側からの気持ちだからだよ」
「その説明だと理解できない部分があります。人間側の気持ちが座敷童の感情の変化で変色するのは何故ですか?」
「そういう事か……えぇっと、気持ちには喜怒哀楽があるだろ? 普段の座敷童は喜怒哀楽の『喜』と『楽』ですごしてるから人間側から貰った物を喜んで楽しんで食べて着ている。気持ちをそのまま……そのままの色で受け入れてるって事だ。『怒』と『哀』で真っ赤になるんだけど、先日話た餅みたいに自分の拘りとは違うモノだったり気持ちのない食べ物や着物だと怒り、自分の生活に支障がでる哀しい事が起きると真っ赤になる」
「喜怒哀楽で変色するのはわかりました。……やはり心霊現象としか思えません」
「違う違う。あぁ……と、説明の仕方が悪かった。井上さんの考え方は人間側の考え方だ」
井上さんが人間側から判断して誤解している事に気づいた俺は、心霊現象の誤解から解く事にする。
「そもそも心霊現象は人間側から見た感想だ。わからない事に畏怖を感じるから心霊現象、写真に変なのが写ったから心霊現象、それは全て科学的に説明できるだろ? 心霊現象は人間側が生むただの現象の一つだ。座敷童の変色は考え方が根本から違う」
「根本から?」
「本来、気持ちには色が無い、座敷童は無色の気持ちに色を付けて食べて着てるんだ。……気持ちをいただく座敷童の能力って言った方がわかりやすいかな」
「能力、ですか……科学では解明不可という事ですね」
井上さんは納得していない。だが、座敷童から見れば人間側で不思議に思う部分がある。例えば『電波』、目に見えないモノで繋がって会話ができるというのは、座敷童には理解ができない。科学で解明不可なモノを納得できない井上さんと同じで、電波のような目に見えないモノを人間は『電波だから』と納得するが座敷童には理解ができない。
見えてしまうから同じ人間だと誤解してしまうが、座敷童は人間ではなく座敷童、人間の常識が通用しない部分が多々あるという事だ。その一つが座敷童の変色という事だ。
「座敷童は喜怒哀楽で変色する、それは道路の信号と同じ警告って事だ。井上さんが疑問になってるのは、座敷童から見たらなんで青で進んで赤で止まれなんだ? て言ってるのと同じなんだ」
「座敷童には座敷童の常識があるという事ですね。……いち子ちゃんがおばあちゃんを死んだと思って変色しないのは、喜怒哀楽の『哀』にならなかったとなるので、常駐型座敷童はお世話になってる家の人が不幸にならないと変色しないという事に……」
「それは違う。常駐型や放浪型問わずノラも変色する理由は同じ。いち子が変色しないのは…………なんでだ?」
「哀しくないのでは?」
「いや、かなり哀しんでた…………なんでだ。餅や嫌いなモノでは変色するくせに……」
「いち子ちゃんは『怒』で変色するけど『哀』では変色しないという事でしょうか?」
「…………わからない。母親なら知ってると思うけど」
「……松田さんは座敷童の全てを知ってるわけではないのですね?」
「俺はいち子の世話役なだけだからわからない事はたくさんある。松田家にある書物や普段のいち子から、いち子が何が好きで、何を嫌いになり、何をしたいのかを学んで、一人前のいち子の家主になるために日々学んでる。わからない事はたくさんあるよ」
「何を嫌いになり、ですか……その時々を記した書物ではわからない事ですね。……親子間みたいな感じですか?」
「そうだね。昨日好きだったモノが翌日には嫌いになる子供と同じで、書物では学べない事も多々あるからおもしろいよ」
「おもしろい、ですか……なるほど」
井上さんは口元に手を置くと3秒ほど考える素振りを見せる。チラッと俺と視線を合わせて怪訝な表情になると、聞きにくい事なのか目を逸らす。
「どうしたの? 俺にわかることなら教えれるから、なんでも聞いていいよ」
表面上では余裕を見せてるが、内心ではいっぱいいっぱいだ。井上さんは洞察力があって理解するのも早いが、理解させれるための例え話を考えるのは苦労する。井上さんのような膨大な知識を詰め込んでも容量を余す脳みそとは違い、俺の脳みそは例え話を考えただけで疲労してる……すでに限界だ。できれば優しい質問にしてほしい……
「はい、それでは……昨日のお話だと松田さんや御両親など先祖代々座敷童が見えて、私の祖母は見えていないのに私は見えています。この事実から、見える側の人間は遺伝で決まるモノではなく、何か他に理由があり、先天性後天性両方に見える可能性がある。となります」
確認を取るように黒縁眼鏡の奥の垂れ目で俺を見る。
「そうだね……」
脳みそが疲労を訴え、危険信号を鳴らしている。脳みそは危険信号を鳴らさないので比喩なのだが……井上さんは俺の続く言葉を待っている。何に引っかかっているかを聞き出すしかないようだ。
だが、文学少女に対しての的を絞った質問は、膨大な知識量から導き出した疑問を返される危険性がある。そうなれば、俺の脳みそは自動的に強制進行魔法【割愛】を発動させてしまう。
俺の脳みそは疲労のピークを迎えた事で、もう一つの魔法を導き出す。……いや、特技【けむり玉】の準備をする。
「大昔では大半の人が見えたみたいだからな」
この言葉から疑問を問われたら松田家の書庫にある書物で学んでもらえばいい。特技【けむり玉】という名の、逃げ道の確保だ。
俺は座敷童管理省を無断欠勤して言い訳を常に考えてる。逃げる事に全力疾走する俺は主人公ルートを脱線する事さえ厭わない。そもそも、俺の中での主人公は食って寝て遊んでるだけのいち子だ。けむり玉で文字通り煙に巻いてやる。
そんな悪巧みを考えていたが……天罰と言わんばかりに井上さんは明確な言葉を用意していた。
「その大半の人が共有した視覚現象ですが、座敷童が見えるという視覚情報が一般的な心霊現象でなく、『心』で『霊体』を捉える現象を心霊現象と仮定します。その仮定だと、祖母が座敷童を見えないのは『私達には見える心があって祖母には見える心が無い』となります。座敷童を信仰する気持とは関係なく『見るために必要な心が備わってない』という推論ができます」
井上さんは起承転結の『起•結』を読み上げ、今は『承•転』を読んでいる段階。
それはそのまま、否定を入れる隙間がない期待以上の推論だ。だが……
(まずいぞ……このままだと井上さんに教えれない『松田家秘伝』にまで話が進む。例え話を作るには難しい質問だ。とりあえず、井上さんの言葉を補足するしかないな)
特技【けむり玉】が裏目に出たため、補足をする。
「なるほど、話を纏めると、座敷童は信じてるけど見える事が心霊現象という事か。間違ってはいない。まぁ、信じてるって事だな。よかったよかった」
座敷童に関したら俺の方が知識は上だが、これ以上、井上さんの口舌を味わえば凡人の脳みそが沸騰して強制進行魔法【割愛】が発動する。従って、よかったよかったと会話の完結を促して逃げる。……が、井上さんは止まらなかった。
「祖母は嘘をつきません。最初から座敷童の存在は信じてます。見える側と見えない側という不明確な分割が、心で霊体を捉える心霊現象としか思えないだけです」
「なるほど……、頭の良い人特有の理屈や理論での解釈で答えを出せないから、心霊現象と言ってた、だな」
見えるから見える。見えないから見えない。ではダメなのか? と言いたいが、言ったら一○倍になって返ってきそうだから言わない。いや、言わなくても結果は同じだったようだ。
「頭が良い、悪いというのは知識が大小なだけです。それに、知識があっても実践しなければ一流のスポーツ選手のような功績は得れません。スポーツを理屈や理論で理解してても一流のスポーツ選手のように実践しなければ、ただ知識を語るだけの評論家にすぎません。実践し導き出した答えが本当の答えです。理屈や理論で解釈したところで実践しなければ知識の持ち腐れという事です。現代ではその知識を文章にして小説家、マネージメント、評論家や解説者など数多くの職業はありますが、そういう方が評価されるのは実績を残した方だけです。実践しなければ実績は得れません」
黒縁眼鏡を右手中指で押し上げて一旦話を切ると、
「座敷童は現代にはない知識になります。未知です。私の三年間……いえ、解明するまで費やす価値があります」
(アーサーが座敷童マニアなら井上さんは知識マニアだな)
気弱な見た目の文学少女、その裏の顔は知識という肉を欲する肉食系女子だった。最初に井上さんを取り扱い危険な天然と予想したが、違う意味で取り扱い危険な天然だった。
アーサーのような私情が座敷童に片寄っていれば適当に話を合わせて機嫌を取ればいいが、知識に飢えた井上さんには適当は通用しない。
何も言えなくなった俺の完全敗北なのは言うまでもない。いや、言えることがなくなったと言った方が正しいな。今後のために……




