祭りの後と、天使のまどろみ
「……998、999、1000……っ! はぁぁ、素晴らしい輝きですわ……!」
特級学園祭が幕を閉じた翌日の、放課後。
私の自室である寮の部屋では、リゼが床に山積みにされた金貨を前に、恍惚とした表情で頬ずりをしていた。
「リゼ。埃が舞うから、金貨の上で寝転がるのはやめてちょうだい。……それに、数えるのはノヴァに任せれば一瞬で終わるじゃない」
「マスター。……リゼ様は現在、物理的な金銭との接触によるドーパミン分泌を優先しているため、当機の演算サポートを拒否しています」
私はふかふかのベッドに寝転がりながら、呆れたようにため息をついた。
ノヴァは私の枕元で、金貨ではなく学園祭の来客データとマナの波長記録を静かに整理してくれている。窓際では、シラヌイが買ってきた高級な茶菓子をつまみながら、満足そうに煙管を吹かしていた。
「まぁよいではないか、シャルル。これでお主の当面の安眠グッズと、妾たちの食費は一生分稼げたようなものじゃ。……お主の『絶対階位』サマサマじゃな」
「……私はただ、面倒な客を追い払って寝ていただけよ」
学園祭は大成功だった。あの後もいくつか小さなトラブルはあったらしいが、私が目を開けるまでもなく、ノヴァとリゼとシラヌイがすべて「物理的かつ合法的に」処理してしまったらしい。
平和な日常。私がいちばん望んでいた、静かで怠惰な生活がようやく手に入った……はずだった。
「……シャルルぅ」
私の背中側に潜り込んでいたシエルが、もそもそと身をよじり、私の腰のあたりにギュッと抱きついてきた。
「……シエル? どうしたの。さっきからずっとくっついてるけど」
「んー……。なんだか、身体が重いの。シャルルの体温が、いちばん落ち着く……」
私は少しだけ眉をひそめた。
シエルは今日、朝からずっとこんな調子だ。いつもなら「アタシの羽、綺麗でしょ!」と部屋中を飛び回っているはずなのに、今日は羽を力なく畳んで、私のそばから離れようとしない。
風邪でも引いたのかと思ったが、天族(天使)という高位の精神生命体が、ただの物理的な病気に罹るはずがない。
「……マスター。シエル様のバイタルサインをスキャンしました。肉体的な損傷や呪いの類はゼロですが……体内の『天族のマナ』の波長が、通常よりもわずかに乱れています」
ノヴァの瞳が淡い青色に明滅し、静かに報告する。
「マナの乱れ? 学園祭ではしゃぎすぎた反動じゃないの?」
私が尋ねると、金貨と戯れていたリゼも立ち上がり、魔導タブレットを覗き込んだ。
「……いえ、ただの疲労とは少し違いますわね。シエルさんの中にあるマナが、何かを探しているような……あるいは、どこか遠くの『見えない力』に微かに共鳴しているような、不思議な揺らぎ方ですわ」
「遠くの力……?」
私が首を傾げた時だった。
背中にしがみついていたシエルの力がふっと抜け、彼女はスヤスヤと静かな寝息を立て始めた。
どうやら、本当に限界まで眠かったらしい。
私は寝返りを打ち、シエルの無防備な寝顔を見つめた。
純白の羽に包まれた彼女は、本当に無垢で、どこか儚げだ。
「……ん、ぅ……」
不意に、眠っているシエルが微かに唇を動かした。
寝言だろうか。私は彼女の口元に、そっと耳を近づける。
『……泣かないで……。アタシが、ずっと……そばに、いるから……』
「……え?」
その言葉を聞いた瞬間。
私の脳裏に、ノイズ混じりの古い映像のようなものがフラッシュバックした。
――果てしなく暗く、冷たい場所。
――永遠に続くかと思われる孤独の中で、ひざを抱える『誰か』。
――その『誰か』の前に、ふわりと舞い降りた、温かくて眩しい『白い光』。
『泣かないで。私が、ずっとそばにいるから』
「っ……!」
私は思わず胸元を強く押さえ、小さく息を呑んだ。
心臓が、早鐘のように嫌な音を立てている。
(……何、今の。誰の記憶?)
私自身の記憶なのだろうか。それとも、シエルの記憶が夢を通して流れ込んできたのか。
分からない。分からないけれど、その『白い光』の温もりと、言葉の響きは……気が狂いそうなほど懐かしくて、そして、ひどく悲しかった。
「……シャルル? どうしたんじゃ、ひどい顔色じゃぞ」
シラヌイが煙管を置き、怪訝そうな顔で私を覗き込む。
「……なんでもないわ。ちょっと、立ちくらみがしただけ」
私は無理やり平静を装い、シエルにブランケットを掛け直した。
ただの寝言だ。ただの、奇妙な夢の共有。
そう思いたかったけれど、シエルの寝顔を見ていると、どうしても胸の奥のざわめきが収まらない。
シエルは、ただの天使じゃないのかもしれない。
あの大天狗の戦いの後から、彼女と私の間に繋がった『見えない線』は、日を追うごとに少しずつ、でも確実に太く、深くなっている気がした。
「……ノヴァ。しばらく、シエルのバイタルを常時モニタリングしておいて。何か異常があったら、すぐに私に知らせるのよ」
「了解、マスター。対象(シエル様)の保護プロトコルを最優先に設定します」
私はシエルの柔らかい金糸の髪をそっと撫でながら、窓の外――夕焼けに染まる空を見上げた。
平和な学園祭は終わった。
私の望む怠惰な日常の裏側で、何かが静かに、けれど確実に壊れ始めている。
そんな予感を抱えたまま、私はもう一度、シエルの隣でゆっくりと目を閉じた。




