彼女が受けた三つの告白が、俺に与えたもの
すんません、予約投稿ミスりました。改稿しますので、ちょっとお待ちください。
23:30分、大まかに改稿しました。
「それじゃ、ちょっと行ってくるわね」
「「行ってらっしゃーい」」
姉と俺は小さく手を振って、町内会の集金に出ていく母を見送った。途中で話好きのおばさんに捕まるだろうから、しばらく帰ってこないだろう。
「よし、今のうちにこの前の続きを見るわよ」
姉が鼻息も荒く、力こぶを作るまねをした。
「へいへい」
俺は気のないような返事をしたけど、本当はすごく気になってる。
好きな相手から、好きだ付き合ってくださいの告白で終わってたんだから、きっとハッピーエンド。好き同士で付き合ったに決まっている。
俺が気になっているのは、「あなた」が誰なのかってとこ。
椅子に上ってお菓子の缶をとり、姉と二人で古びたノートを覗きこんだ。
パラパラとめくっていく。
「ほら、やっぱり好き同士で付き合ってヒューヒューだ」
「うーん、あれ、日記終わっちゃってる」
「なんだ、つまんねーの」
姉と俺は他に箱とか缶とかがないかと棚を見てみたけど、それらしきものはなかった。
「もういいや。終わり、終わり」
どうでもよくなった俺は、姉を残してさっさとリビングを出る。
部屋でゲームでもしてよう。って、あれ?
父の書斎のドアが開いてる。
机の上に本が一冊置いてあって、その本の間に何かが挟まっていた。
****
「好きです。付き合って下さい」
一度目の告白は、瞬殺で完敗だった。
「ごめんなさい」
返事は速攻で返ってきた。断りの返事が。
渾身の一球を投げたと思ったら、あっという間にさよなら場外ホームラン。俺は負け投手になった。
彼女は二重の目を見開いている。もともと大きな目がさらに強調された。彼女の瞳の中に、情けなく眉を垂らした俺の姿が映っている。
そんな彼女を見ながら、俺はたった一言だけでからからになってしまった口の中を湿らそうとあがいていた。
せめて何か言ってから立ち去ろうと思った。思ったが。
……無理だ。
結局何も言えないままに、俺はすごすごと彼女に背を向けた。
馬鹿か俺は。
後になって俺は頭を抱えた。
そもそも渾身の一球ってなんだよ。
なんであの一球が決まったら試合に勝てる気分になってるんだよ。
まだ始まってもなかったじゃないか。
同じ中学校というだけで、俺は彼女と会話なんてしたことがない。
学年だって俺がひとつ上。部活だって俺は野球部で、彼女は文芸部だ。特に接点なんてない。だけど俺は彼女のことを知っていた。彼女が男子の間でそれなりに有名だったからだ。
真っすぐで綺麗な黒髪、いつも伏し目がちな大きい目、小さな唇。彼女は守ってやりたくなるような美人だ。
当然もてる。彼氏の一人くらいすぐに出来そうだ。だが、そうはいかなかった。
彼女はとても物静かで大人しい。用事があって話しかけても会話は続かず、廊下を歩いているときもずっと下ばかり見ていて、目も合わせてくれない。
同じクラスの男子も、学校行事でたまたま関わったラッキーなやつらも、取りつく島もなさそうな彼女の態度からことごとく勝手に玉砕しているという。
告白までこぎつけたやつはいないみたいだ。少なくとも俺は聞いたことがない。
俺はやってやる! と意気込んで告白したものの、あの様だった。
ひとつ上の俺は、彼女よりも早く高校生になった。
彼女とまったく接することのなくなった日々。このまま過ぎて行って、あの時の苦い告白だって、いつかゆるゆると薄れて、いい思い出になってしまうんだろう。
そんな風に思っていたのに、高校二年の春。同じ電車に彼女がいた。
いつも通りにダッシュで滑り込んだ俺は、既に座っている彼女を見かけた途端、猛スピードで出来るだけ離れた席に向かった。すみやかに着席して座席の陰に身を縮める。
なんで。なんでいる?
あの制服、確か○○女子学院のだ。清楚な感じがすごく似合ってる。かわいい。じゃなくて、一駅前んとこにある女子高だ。
つまり毎朝同じ電車ってことじゃないか。
どうしよう。
声をかけるべきか。
どの面下げてだよ。振られたんだぞ、お前。
知らないふりか。
毎朝顔を合わせるのに出来るのかよ。
悩んで、悩んで、悩み続けること一年以上。
俺の存在は全く彼女に気付かれなかった。
彼女は相変わらず、周りを全く見ない。彼女の目は電車の扉から床へと流れ、一番近くの空席を見つけてしまえばそれで終わり。すとんと腰を下ろし、本を広げて一人の世界だ。
最初の頃こそびくびくとしていた俺だが、だんだんと複雑な気分になってきた。こそこそと彼女の視界に入らないようにするのをやめ、堂々と目の前を通ってみても全く気付かれない。
これは見てない、気付いていないのではなく無視されているだけなのでは?
いや、彼女の中では俺の存在そのものを、きれいさっぱり消去されてしまっているのだろうか。それはちょっと悲しくないか?
一方、毎日のように彼女の姿を目にすることで、俺の中にあった気持ちがまたくすぶり始めた。
やっぱり彼女は可愛い。
あの唇に笑いかけられたら。
声が聞けたら。
あの白い細い手が俺の手を握ってくれたら。
気付いて欲しい。でも、気付いて欲しくない。
ずっと見ていたいのに、見ていると苦しい。
毎朝が楽しみなのに、毎朝が憂鬱でもある。
正反対の気持ちが俺の心をギリギリと締め、右に左に引っ張る。その力は日に日に強くなっていく。ふらふらと揺れて、ぐわんぐわんと脳みそが攪拌される。酔いそうだ。
こんな風に悶々と悩んでるなんて俺らしくない。男ならスパッと話しかけろ。
待て待て、お前勢いで告白して、粉々にされたじゃないか。
まずは会話だ。
そうだ。
今度はもっとゆっくりといこう。まず会話して、俺のことを知ってもらってそれからだ。
でも、何を話すんだ? 用事も何もないぞ。
俺が知っている彼女の情報。
可愛い。身長は俺の肩くらい。うん、理想だ。事実だが、何の役にも立たない。他、他のいい情報。
彼女は毎日のように本を読んでいる。そうだ、あれだ。
放課後、俺は本屋に突撃した。彼女が見ていた本はカバーがしてあってどんなものか分からない。だから、本屋が大々的にお勧めしている本を買ってみた。
自慢じゃないが、俺は読むなら漫画だ。だけど。
この日手に取った本は、割と見やすかったのと、俺の好みのハラハラドキドキ展開で読めた。
それから毎日一冊なんてのは無理だが、毎日数ページずつ読み進めた。
十数冊読んだ俺は、ついに彼女へ声をかけることにした。
「あの」
おずおずと話しかけると、彼女が広げたばかりの本から目を離した。
「久しぶり。君も同じ電車なんだ」
口から心臓が飛び出しそうだ。ばくばくと肋骨に響き、肺まで圧迫している。
驚いたんだろう。彼女がまばたきを繰り返した。
駄目だ。上目遣いに見られるとか、ご褒美すぎる。
ああ、まつ毛が長い。くそ。いい匂いがする。
「本が好きなんだね」
目の前の彼女が眩しいのと、緊張からどうにかなりそうだ。
俺はぐるぐると回る妙な考えをどっかにやろうと、頬の肉を動かした。
ちゃんと笑えたよな、多分。
彼女が本で顔を隠してしまった。
まずい。不気味な笑顔になってしまったのかもしれない。
気味悪がられて、嫌われたかも。
「ごめんね、驚かせるつもりはなかったんだけど。俺も本が好きだから」
こんなはずじゃなかったのにと、心底困って情けない顔になった。
声だけは普段通りのものが出たが、握った拳がどうしようもなく震えた。かっこ悪い。
何が本が好きだから、だよ。嘘つき。
必死で読んだ数冊しか知らないくせに。
やっぱり声なんてかけるんじゃなかった。そっと見ているだけにしておけば良かった。
「……きです」
すごく小さな声が、電車の音の隙間を縫って届いた。
「え?」
うまく聞き取れなかった俺は、間抜けな声で聞き返す。
「好きです!」
俺の口が馬鹿みたいに開いた。
すっ好き? 好きってあれか? まさか、まさか。
かーっと血が上ってくる。顔が熱い。
本で顔半分を隠したままの彼女の首が、ゆっくりと斜めに傾いた。はっと元の位置に戻る。
「あ、ほっ、本のことですっ。本が好きなんだねって言ったから……」
開いた本の下から、もごもごと彼女の声がする。
「あ、ああ。そう……そうだよね。俺、自分の聞いたことを忘れてた」
あ、ヤバい。違った。
うわ、恥ずかしい。そうだよな。そりゃそうだ。
俺は口元を覆って窓の外を見た。
今のは違う。違うんだから、静まれ、俺の心臓。戻れ、俺の血液。
「ふふっ」
あ、笑われた。本が彼女の膝に移動する。ずっと立ちはだかっていた透明な壁が取っ払われた。そんな気がした。
「ここ、いいかな」
向かいの席を指さすと、頷いてくれた。心底ほっとして座席に腰かける。どちらかというと、砕けた腰の落ちた先が座席だったって感じだ。
それから俺たちは本の話をした。俺の知らない本の話もいっぱいあったけど、必死で心の中にメモした。
帰ってから慌ててネットを検索して情報を仕入れたり本を購入したり。気が付くと俺は本当の本好きになっていた。
俺と彼女は、毎日電車の中で一緒の席に座った。一駅違うから、毎朝先に乗っている彼女を見つけ、先に降りていく彼女を見送る。
幸せだった。
永遠に続いて欲しいと思った。
でもそうはいかなかった。
忘れそうになっていたが、彼女は可愛くてモテるんだ。本人には全く自覚はなさそうだけど。
彼女が受けた二度目の告白は、俺をガンと殴りつけた。
いつものように一駅先に降りる彼女を見送った。ホームに降りていく彼女の後姿。ここまではいつもと同じ。違うのはここからだった。
ホームへ先に立っている野郎がいた。
俺はその事実に、慌てて腰を浮かす。誰だ、あいつ。
立ち上がって乗降口へ向かったら、目の前でプシューと扉が閉まった。
「あの。君が好きなんです。付き合ってください」
野郎の声が、閉まる直前の扉の隙間をすり抜けて俺の耳に突き刺さった。
ふざけんな、この野郎。
そんな置き土産、いらねぇよ。
俺の心と、彼女とあの野郎を置き去りにして、ゆっくりと電車が動き出す。
扉を蹴ってやりたい衝動にかられたが、そんなことをしても仕方がない。
それよりも。
俺は窓に張り付くようにして、ホームを見た。
彼女とあの野郎がぽつんと立っている。二人きりで何やら話をしている。
その姿がどんどん小さくなっていく。見えなくなっていく。
「ちくしょう……」
腹が立った。野郎にもだけど、俺自身にだ。
確かにゆっくりやろうと思った。
彼女に俺のことを知ってもらって。
俺も彼女のことを知って。
毎日しゃべって十分に知り合えたはずだ。そろそろリベンジの時だった。なのに俺はそんなもの頭から消し去っていて、ただ彼女といられる毎日が嬉しくて仕方がなかった。
俺はのろのろと席に戻って体をシートに預けた。その日の授業は上の空で、俺は友人だけでなく先生にまで心配されてしまった。
彼女はなんて答えたんだろう。あの野郎は振られたんだろうか。それとも。
なんで早くもう一度告白しなかったんだ。
あんなやつ振られてしまえ。
何考えてんだよ、情けねえ。
後悔。嫉妬。自己嫌悪。
汚い三つがぐるぐる回って、おどろおどろしいマーブルを作る。
俺はゆっくりと決意を固めた。
****
思わず俺はニヤニヤした。
一度くしゃくしゃに丸めてから、もう一度開いてしわを伸ばしたみたいな紙きれ。紙きれを埋めているのは、みみずがのたくったみたいな字。父さんの字だ。
なんだ。こっぱずかしい黒歴史は母さんだけじゃなかったんだ。ふーん。あの父さんが。
しょーがない。内緒にしておいてやろう。
俺は男だからな。秘密は墓場まで持って行ってやるぜ。
だから最後まで読んじまおう。
****
三度目の告白は、でたらめだった。
「え?」
電車の扉が開いた途端に、門番みたいに乗降口で立っていた俺を見て、彼女が固まった。
「そこで止まったら邪魔になるよ」
彼女の唇が動く前に、細い腕を捕まえる。
眉間にしわが寄ってしまいそうなのを、なんとか堪えてるけど、怖い顔になっているのかもしれない。
彼女の目が泳いでいた。
いつもの席まで引っ張っていって座った。掴んでいた手を放す。
口を開きかけたら、彼女の手が勢いよく伸びてきた。柔らかい手に塞がれる。
「むぐっ」
なんでだ? 俺は混乱して目を激しく動かした。
この行動は完全に予想外だった。どうして俺は口を塞がれたんだ。
まさか。俺の告白なんて聞きたくないのか。そんなに嫌われてたとか。
「あの、わたし」
彼女の固い声に、俺の体も強張る。また振られるのか。
これからごめんなさいって言われるんだろ? 分かってるよ、だから早く引導を渡してくれ。
「わたし、あなたのことが」
あれ、てっきりごめんなさいだと思ったのに。あなたのことが嫌いだと? こっちの方がショックかもしれない。
「あなたのことが好……」
ん? す? 待てよ、なんかおかしい。
待てよ、待て、待て。俺の方が告白するんだから。
反射的に彼女の手首を掴んだ。力に任せて彼女の手を口から離す。拍子抜けするくらいにあっけなく自由になった口を動かした。
「君のことが好きだ! 付き合ってください」
彼女の大きな目が潤んだ。うるうると光って綺麗だ。吸い込まれてしまって離せなくなって。じっと見ていると、透明な液体が盛り上がってきた。俺の手の下にある柔らかい唇も震えている。
ヤバい。泣く。泣かせた。
頭の中は軽いパニックだ。慌てて手をひっこめる。
「わたしは、あなたのことが好きです!」
彼女のこんな大声、初めて聞いた。
俺は驚いて目を丸くして、それから笑った。
そりゃ、笑う。笑うさ。叶うなら大声で叫び返したいくらいだ。
でもやめる。彼女の大声が乗客の気を引きまくっていた。好奇の視線が俺と彼女に突き刺さっている。俺は別にいいけど、彼女は頬を赤らめて小さくなった。俺は自分も恥ずかしいふりをして、彼女に身を寄せて一緒に小さくなる。
どさくさに紛れて彼女の手を握ったけど、嫌がられるどころか手を握り返してくれた。
これが俺を翻弄しまくった、彼女が受けた三つの告白だ。