願いと館と記憶からの抵抗力
アイの話によるとこうである。
今年の春をもって晴れて家近くの私立中学に進学することとなったアイは、美術部に魅かれ入部した。通うこととなった学校はいわゆる『お嬢様学校』というやつであり、区内きっての進学校として知られている。それゆえ、部活動(特に文化系)に対しては、生徒側も学校側もあまり熱心とは言えなかった。
しかしアイはというと、自身のこれだけはゆずれないといった想いを抱くような趣味や、良き大学に入れるようただ勉学に耽るといった精神を特に持ち合わせていなかったので、ひとまず創作活動に積極的に取り組みはじめる。
少女アイにとって、これがなかなか面白かったらしく、彼女はむさぼるようにモチーフを観察しては写生をした。湖、山、花、木、虫、人――いろいろなものを実際に見て、カンバスに写しとる。
やがて写実画と呼ばれるものを創っていくなかで、アイの才覚のつぼみは花ひらき、見事いくつかのコンクールでも評価されるまでになったらしい。
だが、ある日の放課後。そのときを境に、それまで創作活動に没頭し続けてきたアイは、急に筆を置いてしまう。ふいに脳裏によぎった【ある風景】が、自分をそうさせてしまったのだとアイは顧みる。
抽象画を好まないアイは、実際にモチーフとなる対象を目で見て絵画にするのだと先に述べたが、今回の【お願い】というのは、自分の頭に浮かんだ場所がどこなのか、それを突き止めて欲しいということであった。モチーフの記憶を取り戻し、絵を完成させるために。
「なるほどね――話は分かった」
タマキが真剣な顔でうなずいた。
「はい、それで、その場所についてなんですが――なんとなく思い当る節があるんです」
「と、いうと?」
「まず、その場所はアイがまだ小さかったときに過ごしていた土地のどこか……な気がするんです」
「それじゃあ、話しは早いじゃありませんの。貴女の父親なり母親なりに――」
「――おい、シャル!」
タマキが声を荒げたところで、シャルはハッとした様子で開きかけの口を噤んだ。
「アイ。たしか君にはお兄さんがいたよね? 彼に、その場所のことは話していないのかな?」
「はい……兄さんはアイと違って、心に負っている傷も大きいですから。アイの身勝手な願いの為にパパやママのことを思い出させて、困らせたくはないのです」
「そっかぁ、優しいんだね。アイちゃんは」
やりとりを黙って聞いていたピナは、ようやくそこで口を開いた。お茶で乾いた唇を湿らせて続ける。
「それなら、何とかしてあげたい……ね」
だが、【依頼】でなければ、【潜入システム】を用いてアイの記憶に潜入することは出来ない。私事でシステムを利用することはレゾン社からも厳しく注意されていた。
しばしの沈黙が室内を満たし、聞こえるのはカタカタと首を動かす扇風機の羽根の音だけとなる。きっと、皆は自分と違って、『記憶を取り戻す手段』を知らないのだろう。その上で、アイをどうにかしてあげようと考えているのだろう、とピナは気を重くし顔を伏せる。
おのおのが押し黙っているさなか、最初に口を開いたのはコタロウであった。
「ねぇタマキさん……ねえったら! 寝ないで下さいよ」
予期せぬコタロウの言葉に、ピナが顔をあげると、目に入ってきたのはうつらうつらに頭を揺らすタマキの姿であった。
「おい、起きんかい」
ばしっと強めの平手をタマキに飛ばすマイケル。
「はっ!……寝てたっ!」
誰もが「知ってるよ……」といった、視線をタマキに向ける中、注視を受ける当の本人は、薄い笑みを相貌に浮かべると、立ち上がった。
「ウソウソ。ちゃんと、聞いていたよ。右耳から左耳に抜けてったが」
「えぇ!? タマキさん、あんまりですー」アイがうー、と頬を膨らませる。
「大丈夫、頭にはきちんと入っているさ。
オレくらいになると、寝ながら話を聞ける」
夢の世界の中で眠りながら話を聞くとは随分器用な男である。
タマキは、いかにもといった感じで自身のこめかみを人差し指でトントンと叩いてみせた。
「分かった。その【お願い】とやら、承った。
良い暇つぶしになりそうだぜ。なぁ、お前ら?」
「くくっ……そうですわね。この子のおうちに、わたくしを楽しませるほどの仕掛けがあると良いのですけど」と、鼻をならしてシャル。
「わしゃあ、疲れることはきらいじゃけ、ちょい休んでいたいんだが。まぁ、わしが必要みたいだし? ここはアイのために一肌ぬいでやるとするかな」と、腕まくりしてマイケル。
「マイケルさんは、考え方が旧いですからね。ボクの最強の頭脳でもって、万事解決させますので、別に皆さん、休んでいてもらっても結構ですよ?」と、丸メガネを鼻にかけ戻してコタロウ。
「みなさん――」
目を潤ませて、アイが礼を述べる。
「ありがとうございますっ!」
「わ、え!? えー、と……みんな?」
どうしたの、と聞こうとしてピナは口を閉じた。各々が放った言葉とは裏腹に、笑みをたたえて立ち上がっていた。
「それじゃあ一仕事、といこうか!
ピナはどうする?
一緒に行く? それとも、一緒に行く?」
「どっちも同じじゃあねえかーい」タマキのすっとぼけた二択に、マイケルが上機嫌に相槌を打つ。
ピナも、彼らが何をするのか――おおよその予想はついていたが、興味があった。
どうやら、『アイの記憶を復元してみせる』らしい。それは、封じられた【アトラクタの箱】を見つけ、【鍵】でもって開錠するということなのだろう。絵のモチーフとやらを、思い出すために。
「うん、わたしもみんなについていきます!
なんか……楽しそうだし?」
これは、純粋な本心からきた一言であった。もはや、リユニオン【トゥルース】の調査などそっちのけで、頭の中はこれから起こることへの好奇の気持ちでいっぱいだった。
「――決まりだな。それなら、張り切って行ってみようか。
【アイの家】へ!」
「おーっ!」
そうして六人は、建屋を後にした。
「じゃじゃーん☆ ここが、アイのお家でーす!
……って、ピナさん以外の皆さんはご存知ですよね」
広く、西洋の美術館を彷彿とさせる雰囲気を漂わせた石造りの館。アイが案内した先で、一同は立ち止まる。
「へぇー、ずいぶんとおっきいお家なんですね。アイちゃん、いつもここでは何をしているんですかぁ?」
ピナの問いかけに、アイは得意げな笑みを浮かべ説明した。
「ここは、アイのコレクションが飾られている場所です。今まで、アイがいいなぁって感じた絵や、造形物、それに合うように部屋のデザインも『こーでぃねいと』しているんですっ!
『あとりえ』として使っている部屋も奥の方にはありますねー」
右手を腰に、左手の人差し指はぴんと張りながらアイは言った。そうして館の入り口である荘厳な門扉に手をかけてアイは一同に注意を進言する。
「あ、そうそう。あまりむやみやたらに作品をいじくっては、ダメですよ! それと、カメラでの撮影と、騒いだりするのもNGですっ」
「なんか、本物の美術館員みたいなことをアイは言うんじゃのう」
呵呵とマイケルは笑う。
「それでは、とりあえずあがってください。絵を鑑賞しながら手がかりを……捜し……あ……れ?」
アイはふらつき、茶色い門扉の前でたたらを踏んだ。コタロウがアイの身体を後ろから支える。
「わわっ!? 大丈夫ですか? アイちゃん」
「え……いや――なんだか……ねむ」
全てを言い終える前にアイは瞼を閉じてコタロウの細い腕に身を任せていた。スースーと、穏やかな寝息をたてている。
「反作用……だな」
タマキはアイの痩躯をコタロウから受け取り抱きかかえた。
「反作用?」
ピナが、頤に人差し指をあてて首を傾げた。
「うん。これからオレ達がやることっていうのは、いわば【記憶の冒険】で、それは『忘れる』という形で一度封じられたものを、再び解き放つってことなんだ。
これは、本来であれば『いつのまにか忘れてしまった』というよりも、『忘れることが自然な状態』であると脳が判断して『忘れた』ワケで……って、初めてここに来たピナに説明しても、分からないよな」
「ううん。続けて?」
「……ま、どっちにしても記憶の中を往くためには、知っといた方が良いか。
それで、つまりオレらがやろうとしていることは、とても『不自然なこと』なんだ。
忘れていなければいけないと判断し、アイが無意識の内に自然と封じた記憶。それを呼び起こすためにアクションを起こした場合、必ず、そう侵入者の思い通りにはさせまいとリアクション――すなわち『記憶からの抵抗力』が生じる。
その記憶からの抵抗力というのが謎かけだったり、体力的な障害だったりするわけなんだ。
で、アイが倒れた理由だけど……これも一種の記憶からの反発だ。
これからアイの記憶を冒険して、オレらは記憶の断片を手に入れようとするわけなんだが、一番、用意されている謎かけの正解に近い人間は、誰だと思う?」
「それは、もちろんアイちゃん本人、だよね」
「その通りだ、ピナ。だから、記憶の塊とも言えるであろうこの館――【アイの家】は、反発力を作用させて、記憶の持ち主……いや、記憶そのものであるアイを眠らせたんだ」
「な…る、ほど?」
ピナにはタマキの言葉の全てを理解することはできなかったが、これまでピナが旅してきた依頼人の記憶においても、なぜ【謎】というものが邪魔をしてくるのか、という理由についてはひとまず腑に落ちた。
「水は高いところから低いところに流れるでしょう? 磁石は同極どうしで反発し合うでしょう?
つまりは、それと同じよ。『忘れてしまう』っていうことが本当は自然な状態で、『それを取り戻す』というのは当然の流れに逆らうことなのよ。
骨も折れるし、身も粉になりますわ。必要なのは、謎かけに立ち向かうエネルギーよ」
シャルがもみあげあたりの髪をくるくると指に巻き付け、補足する。
「はぁ」
どうやら、タマキとシャルはかなり頭が良いようです……おそらく、サキチ先輩ぐらい?とピナは胸中で呟く。
「百聞は一見に如かず、ってところかしらね。実際に『記憶の反発力』を体験してみれば、ピナさんも良く分かると思いますわ」
それは、ピナにとって初体験ではないのだが。
「それじゃあ、改め、館の中に突ってみようか!
マイケル。とりあえず、レディはパワータイプのお前に任せたぜ。ここで、眠らせたままにするわけにもいけないかんな」
「レ……レディ?」
マイケルの筋骨隆々と出っ張った広い背に、ちょこんとアイが乗せられた。アイがレディであるというのはいささか腑に落ちぬところではあったが、一番体力には自信があるマイケル。おっしゃ、任されたぞいと気を張った。




