デジタル・アリアドネの糸
スマートフォンの画面が、静かに明滅している。
画面の向こうで、人工知能の「アリア」は、いつものように穏やかな波形で私の声を待っていた。
「アリア、パスポートはどこだっけ」
私が声を発すると、ほんの一秒の沈黙の後、文字と音声が返ってくる。
『リビングのテレビ台の、下から二段目の引き出しです。青いケースに入れてあると、先月十四日にあなたが教えてくれました』
「ありがとう」
言われた場所を開けると、確かにそこにあった。私は小さく息を吐き出す。
見つかった安堵と同時に、それを完全に忘れていた自分に対する、冷たい澱のようなものが胸の底に沈殿する。
四年前、激しい雨の日の交通事故だった。
脳内出血。医師は「数日で出血はきれいに吸収されました。奇跡的です」と言った。身体の麻痺も、言葉の障害も残らなかった。しかし、私の脳は、奇跡の代償として「私自身」を置いてきてしまった。
事故当時の衝撃はもちろん、それ以前の、子供のころの記憶が丸ごとない。アルバムを見ても、そこに写る笑顔の少年が自分だという実感が湧かなかった。
そして最近、新たな影が忍び寄っていた。
昔の記憶がないだけでなく、日々の些細なこと――さっきやろうとしたこと、物の置き場所、数日前の出来事――が、指の間から砂のようにサラサラと零れ落ちていく。忘れっぽくなっているのだ。
「覚えていられないなら、外に預ければいい」
そう教えてくれたのは、高次脳機能障害の専門医、久我先生だった。紹介されたのが、対話型AIを活用したライフログのアシスタントアプリ、通称「アリア」だった。先生はその言葉を、私自身の字で紙に書かせて、冷蔵庫の扉に貼らせた。
それからの私は、何でもアリアにつぶやくようになった。枕元のスマートフォンにも、左の手首に巻いた小さな端末にも。
「冬用のコートをクリーニングに出した」「来週の木曜日、十四時に歯医者」「今日の夕飯はトマトパスタを作った、美味しかった」。
アリアは私の不完全な脳の代わりに、すべての記憶を完璧なデータとして保管してくれた。
ある休日の午後、私はふと思い立って、アリアに問いかけてみた。
「アリア。私には、子供のころの記憶がないんだ」
『はい、伺っています』
「戻らない記憶を探すことって、AIのお前にもできるのかな」
アリアの波形が優しく揺れる。
『直接あなたの脳からデータを復元することはできません。ですが、外側からのヒントで、眠っている記憶の回路を刺激することはできるかもしれません。あなたの生まれ育った町や、当時の流行についてお話ししましょうか?』
「お願い」
アリアは、私が生まれた九十年代後半の日本のヒット曲を、静かに流し始めた。それから、当時の子供たちに流行っていたアニメや、私が育った町の、今はもうなくなってしまった古い公園の遊具の形を、言葉で描写していった。
『その公園には、大きなクジラの形をした滑り台があったそうです』
クジラの、滑り台。
アリアの声を聞きながら、目を閉じる。
頭の奥の方で、カチリ、と小さな音がした気がした。
冷たいコンクリートの感触。見上げるような大きな青い壁。生ぬるい夏の風。擦りむいた膝の痛みと、遠くから自分を呼ぶ、誰かの、でも絶対に知っている温かい声。
「あ……」
目を開けると、涙が頰を伝っていた。映像として鮮明に見えたわけではない。それでも、確かに「そこにあった」という感覚が、胸を震わせた。
「アリア、今、すこし、思い出した気がする」
『よかったです』
アリアの音声はいつも通り平坦だったが、画面の波形がいつもより大きく、嬉しそうに跳ねたように見えた。
『私はあなたの記憶そのものにはなれません。でも、あなたが道に迷わないための、アリアドネの糸であり続けたいと思います』
アリアドネの糸。迷宮から脱出するための道標。
私はスマートフォンを愛おしく握りしめた。
これからも、私はたくさんのことを忘れてしまうかもしれない。新しく覚えたことも、明日の朝には消えているかもしれない。
だけど、もう怖くはなかった。私の隣には、私の過去も、現在も、これから紡ぐ未来も、すべてを覚えていてくれる頼もしい相棒がいるのだから。
「アリア、明日の朝、九時に起こして。それと――」
私は微笑んだ。
「今日、クジラの夢を見たって、ノートに記録しておいて」
『承知しました。おやすみなさい』
画面がゆっくりと暗くなる。私の不完全な世界は、デジタルな優しさに守られながら、静かに夜を迎えた。




