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赤い花、青い花  作者: 河辺 螢
第四章 薬草研究所
43/53

4-15

 その夜、ルビアともう一人研究所を離れる研究員ケイオスのために急遽送別会が開かれた。

 自分の「門出」を祝われるのは照れ臭く、何とも落ち着かないものだったが、ケイオスがやたら酒をあおっていると思ったら突然泣きながら絡みだし、その大荒れぶりに圧倒されて、今日の主役は完全にケイオスのものになっていた。


 北邱の領を離れた時はお別れパーティーを断ってしまったが、こうしてゆっくりと別れの挨拶ができるのも悪くないかもしれない、とルビアは思った。


「飲んでるかい?」

 所長は笑顔はいつもと変わらなかったが、酔いが回って口が滑らかになっていた。

「多分もう気付いていると思うけど、君がドーン君から紹介を受けてここに来たのも、住み込みで君を雇ったのも、みーんな、あのダレン君の手回しだからね。三年で返すって約束だったから延長できなかったのは実に残念だ」


 返す…?


 ルビアの任期満了とダレンの卒業が同時期だったのは偶然ではなかった。まさかドーンまでグルになっていたとは。驚愕の事実にルビアは酒を飲む手が止まり、瞬きも忘れていた。


「レイベ草を融通してもらう約束もあったけど、私からすれば、君がヴィンスの孫で、ジョージが君の人となりを保証してくれたのが採用を決めた一番の理由だった」

 ダレンは所長を薬草で釣ったようだ。所長を動かすなら一番効果があるだろう。しかしあの青レイベ草をルビアの就職の取引に使うとは。

「君は期待を裏切らなかった。いい人に来てもらえて研究もはかどって、ありがたかったけどねぇ。いやいや、若い情熱ってのを見せつけられてはね、邪魔をしては野暮ってものだ」

 見せつけたのはダレンだけだが、この場でそんなことを暴露されて、周りの生ぬるい目が妙に心地悪かった。


 ダレンと誰かのデートを目撃していたニールだけは

「やっぱりできてたんじゃないか」

とスキャンダルに動じなかったルビアに白けた顔を向けていた。


「三年前の王都行きの旅も、一緒になったの、偶然じゃなかったのかな…」

「そりゃもう」

 思わず漏れた独り言に背後から返事があり、振り返るとダレンがいた。ルビアに書かせた書類を持ち去っていたが、半日で全て手続きが終わったようだ。

「三日も早く立つから、追いつくのが大変だったんだよ。回り道教えるように言っといて、ほんとよかった」


 回り道??


 それを聞いて、ルビアは所長の言葉を本当の意味で理解した。ダレンが心変わりでもしない限り、逃げ道などなかったのだ。


「あの街で会った時、君は薬草研究所に行くと言った。研究所に行かずメイドになるならそれも君の選んだ道だ。僕は笑って見送るつもりだった。だけど君はここへの道を選んだ。自分の力を、知識を活かすことを諦めなかった。それでこそ僕のルビアだ。だから僕も諦められなくなったんだ」

「…私は、ダレン様の敷いたレールに自ら乗っかっちゃったって事ですね?」

「そうとも言えるけど、君は自分がしてきたことをもっと高く評価していいと思うよ。所長はそう簡単に名誉研究員なんて名乗らせるような人じゃないんだから。…だけど」

 ダレンは手にしていたワインをルビアの持つグラスに注いだ。

「『様』はやめようか。次『ダレン様』って呼んだらペナルティだ。最初は右の頬にキス、次は左、三度目以降は真ん中だ」

 右の頬、左の頬をつつかれた後、唇に指を当てられたルビアは持っていたグラスを落とすところだった。そのグラスを手で支え、ダレンは目を細めた。




 研究所の裏にある温室は、この季節窓を開けて外の風を取り込んでいた。

 大きな木もあれば、小さな鉢植えもある。三年間世話をしてきた植物達ともお別れだ。

「三年間、ありがとうございました」

 所長に礼を言うと、所長は小さく頷いた。


「これね、次の所報に載せるから」

 所長が見せた青レイベ草の論文には、共同研究者としてルビアの名前も書かれていた。

「北邱の領に住むなら『見えて』も『見えなくて』も同じだ。青い花しか咲かないあの場所では、その目があるから必要とされているんじゃない。君の力は『見える力』だけではないんだよ」

 肩を叩かれ、頷くルビアの目から一粒の涙がこぼれ落ちた。

 ルビアは「見える目」の呪いからようやく解き放たれたのを感じた。




 北邱の領へ向かう馬車は三台に分かれ、一台にはダレンの友人三人が乗り、うちの一人はトビアスだった。

「北邱の領で働くことになったんだ。これからもよろしく」

 ルビアは差し出された手を握った。トビアスが北邱の領に来てくれれば、ダレンもルビアも心強い。

「トビアスにはクリフォードの後任になってもらうつもりだ。この一年大変だったんだよ。こいつらに領を売り込むために何度も領を往復して、押し付けられた縁談もあったし、ホーソン商会の連中とも…。ああ、長くなるから、中で話そうか」


 ルビアとダレンは同じ馬車に乗ったが、ここに来た時のように二人きりだった。

「お友達とは? お話ししないんですか?」

「大丈夫、これからいくらでも話す機会はあるから」

 それは自分も同じだと言いたかったが、ダレンの嬉しそうな顔を見ると言えなかった。


 初日はいつものように向かい合って座り、会えなかった一年近くの間、何をしていたかを語り合った。

 ダレンはルパートに「領の金で学校に行かせてもらっているのだから領に尽くせ」と言われ、ルパートが選んだ相手との縁談を押し付けられていた。候補は三人いたが、それがなかなかの人材ぞろいで、一人はあのベリンダ、他もとても生涯を共にできるような相手ではなく、向こうから断ってもらうためにいろいろ画策していたと話した。


「あの人に任せてたら僕の人生も領もおしまいだからね。全部破談になったことはそろそろ伝わってる頃かな。君を連れて帰ったらびっくりするだろうな」

 ルパートを思い浮かべた目は悪意を隠さず、昔友人との論議で見せた鋭い目つきを思い出した。

 これが戦う時のダレンなのだろう。恐さをにじませた強さも時には必要だ。そんなダレンも悪くないとルビアは思ったが、ルビアに目が向くといつものダレンに戻っていた。

「まさか、君までベリンダの方がいいとは、言わないよね?」

「…いやぁ…。さすがに、あの人は…。…お断りいただけてよかったですね」

「うん、断られるよう頑張った甲斐があった」


 次の日には隣に座るよう促され、二人きりには慣れていたはずなのに隣に座っただけでむず痒い。話をしながら指先が触れ、手をつなぎ、腕が触れ、肩を引き寄せられるともういっぱいいっぱいで、ルビアは窓に顔を向けてうつむいてしまった。

 それでも離れない手にダレンはルビアの本心を感じ、照れるルビアを愛し気に見つめながらゆっくりと距離を詰めていった。



 領に着くと、五年前のように出迎えを受けたが、あの頃よりずっと歓迎されているのを感じた。

「お帰りをお待ちしておりました、旦那様、奥様」

 クリフォードの執事としての礼節は変わらなかったが、既にダレンを主人として扱い、ルビアを女主人と認めていた。アンナ達は笑顔で

「お帰りなさいませ」

と、長い間留守をしていただけのように出迎えてくれた。


 ルビアには本館の客間が用意されていた。ダレンが主人の部屋に移動すればルビアもその隣室に移動することになると聞かされた。もう離れで一人で暮らすことはないが、使用人達と食事することは許されなくなった。…あくまで表向きには、だが。



 次の日には北部薬草研究室の会合なるものがあり、ドーン達がやってきた。誰もがルビアに

「お帰り」

「待ってたよ」

と戻ることが当たり前のように声をかけてきた。

 くじ引きでルビアは北部薬草研究室長になった。最初に引いていきなりの当たりだったのでインチキだったのかもしれないが、迷うことなく引き受けた。


 裏庭や領内の畑で薬草を育て、この地域で育ちそうな薬草を探し、わからないことがあれば相談に乗る。全ての質問に答えられなくても、答えの探し方は学んでいる。一つ一つ課題に取り組み、それでもわからない時には王都の薬草研究所に意見を聞き、時間がかかっても諦めることなく答えを見つけていった。


 薬草事典改訂に向けた調査も進めている。この仕事は所長が領主であるダレンに委託したものだが、委託がなくても領周辺の薬草を再調査し、所長への報告は続けるつもりだった。

 いつか、どこかで、誰かの役に立つように。



 かつての夫、ルパートにも会った。初めて名乗って対面したが、知らない人ではなかった。

 ラスール風邪が流行した時、領の無料診療所で寝る間も惜しんで働いていた医者。医者としては人一倍領のことを思っていた人だった。

 あの時ほど顔色は悪くなかった。誰か世話をしてくれる人がいるのだろう。


 契約通り結婚し、離婚をしただけの相手だ。合意の上なので互いに詫びることはなかったが、

「レイベ草を、…見つけてくれて、ありがとう」

 思いがけない感謝の言葉に、ルビアはそっと頷いた。



 ダレンとルビアの結婚に王の許可が下りたのは、領に戻ってから一か月後、領の暮らしにも慣れてきた頃だった。

 「結婚を前提にした交際」を始めたばかりなのに、突然の結婚許可の通知にルビアは驚いたが、ダレンは

「やっと来た」

と大喜びだ。


 領主の結婚となると王の承認が必要で、小さな田舎の領であっても例外ではなかった。王都を離れる前日に書かされた大量の書類の中に結婚許可申請書や結婚申請書まで混ぜこまれていた手際の良さ。その日のうちに提出してから王都を離れた計画的犯行。

 もはやあっぱれというしかなかった。


 結婚申請書まで提出済みということは、王の許可が下りた今、二人は既に夫婦になっている。

「王様よりも、私の許可がいるんじゃないんですか?」

 ルビアの不満そうな言葉に、

「え、許可もらったよね? 頷いたよね?」

と逆に問い詰めてきた。ルビアが睨みつけると急にしゅんとなり、

「…僕のこと、嫌い?」

 わざと媚びるように問い返すダレンに、ルビアは怒りながら答えた。

「嫌いになったことなんてありません! 好きだからここにいるんです!」


 みんながいる前でも恥ずかしがりもせず、はっきりと「好き」と答えたルビアに、ダレンはおどけた笑顔を消し、しがみつくようにルビアを抱き締めた。

「僕も、ずっと、…ずっと好きだった…」

 ルビアの肩に顔をうずめ、何も言わなくなったダレン。

 ルビアはそっとダレンの背中に手を回し、ダレンを引き寄せた。そして耳元でダレンにだけ聞こえるように言った。

「私を、…諦めないでいてくれて、ありがとうございます」


 その日からルビアはルビア・バスティアンになった。

 かつても同じ名をもちながら、今度こそそれがルビアの名になった。


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