↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
10/10

第10話 名前を縫えるコート

第10話 名前を縫えるコート


マレナは銀色のコートと分配書を、食卓の上へ並べた。夕食の豆スープは鍋の中で温まり、刻んだ玉葱と少量の燻製肉の匂いが台所へ広がっている。窓辺の青い矢車菊は、開けた窓から入る風に揺れていた。ルカは豆の筋を取る手を止め、なくしたコートによく似た銀色の布を見つめていた。


「月喰い獣を倒したとき、宝箱から出たの。鑑定してもらい、私の報酬から金貨二枚を引いて受け取ったわ。こちらがギルドの分配書よ」


「前のコートも、同じように宝箱から出たと言っていたよね。でも、本当はお店から盗んだんでしょう?」


「そうよ。前にも話したとおり、あのコートは私が服飾店から盗んだ物だった。冒険の報酬だと嘘をついて、あなたへ渡したの」


ルカは分配書へ目を落とした。紙には、月織りの糸と子ども用コートの鑑定額が書かれている。その下には、ガレス、ティナ、エリオ、マレナの署名が並んでいた。マレナの文字だけ少し右へ傾いていたが、金額はすべて同じだった。


「どうして前のコートを盗んだの? 僕が寒いって言ったから? 古い上着を自分で縫ったから?」


「あなたが悪かったからではないわ。私は、欲しい物を盗んで手に入れることに慣れていた。あなたを喜ばせたいという気持ちを、自分への言い訳に使ったの」


「僕が喜んだから、お母さんはまた盗んだの?」


「いいえ。あなたが大切に着る姿を見て、自分が何を渡したのか分からなくなった。コートをなくしたとき、衛兵へ一緒に届けを出すこともできなかった。それで、もう人から盗まないと決めたの」


ルカは食卓の端へ置かれた新しいコートに、まだ手を伸ばさなかった。月織りのカシミヤは灯りを受け、銀色から淡い青へ色を変えている。襟元には雪の結晶が刺繍され、左右のポケットには銀糸の縁取りがあった。前のコートとは袖口の模様が違うが、六歳のルカには同じ物に見えるほどよく似ていた。


「今度は盗んでいないって、信じていいの? お母さんは、また僕に嘘をつかない?」


マレナは、すぐに信じてほしいという言葉を飲み込んだ。マジックバッグから月喰い獣の討伐証明書、素材の鑑定書、報酬の受領書を取り出す。帰還した人数や使用した魔石まで記録された依頼報告書も、ルカの前へ置いた。紙の端にはティナがこぼした蜂蜜の染みが残っていた。


「今度のコートは、本当にあなたの物よ。けれど、今すぐ私を信じなくてもいい。信じられないなら、信じられるまで待つわ」


「これを着ないと言ったら、怒る?」


「怒らない。売れば、あなたの冬用の上着を何着か買える。受け取らずにギルドへ預けることもできる。どうするかは、あなたが決めていい」


「今日は決めなくてもいい?」


「もちろんよ。先に夕食を食べましょう。スープが煮詰まって、また塩辛くなります」


マレナはコートを椅子の背へ掛け、鍋の火を弱くした。豆スープを二つの器へ分けると、燻製肉が片方へ三切れ、もう片方へ一切れ入った。ルカは三切れの器を受け取ったが、肉を一つマレナの器へ移した。二人は分配書を食卓の端へ寄せ、黒パンをスープへ浸して食べた。


その夜、コートは椅子の背へ掛けたままだった。ルカは寝台へ入ってからも何度か振り返ったが、触ろうとはしなかった。マレナは急かさず、報酬帳へ月喰い獣の依頼を書き込んだ。ルカが描いた六本脚の炎獣の隣へ、今度は大きな四本脚の獣を描くための空白を残した。


翌朝、マレナが大麦の粥を温めていると、ルカは椅子の前に立った。寝癖のついた髪のまま、銀色のコートへ右腕だけを通す。袖が長すぎて、手は指先まで隠れた。ルカは反対の腕も通し、胸元の留め具を自分で閉めた。


「これを着てもいい。でも、なくすかもしれない。僕、前にも大切にすると言ってなくしたから」


「物は、どれほど大切にしてもなくすことがあるわ。今度は一緒に捜せる。見つからなければ、衛兵へ届けも出せる」


「僕の名前を縫ってくれる? 拾った人が、僕に返せるように」


マレナは裁縫箱を出した。中には黒、白、赤の糸と、錆びかけた針が三本入っている。銀色の糸はなかったため、ルカは一番目立つ赤い糸を選んだ。マレナはコートの内側を広げ、襟の下へ小さな文字を縫い始めた。


最初の一針は曲がり、二針目は糸が絡まった。マレナは結び目をほどき、もう一度やり直した。ルカは隣の椅子へ座り、母親の指が動くたびに自分の名前を一文字ずつ読んだ。最後の糸を結ぶと、銀色の裏地に赤い文字で「ルカ・エーデル」と残った。


「僕の名前だ。これを見せれば、僕の物だって分かる?」


「分かるわ。分配書も、討伐証明書もある。誰に聞かれても、あなたの物だと答えられる」


「お母さんが冒険して、仲間と分けて、僕のためにもらったんだよね?」


「そうよ。今度は、それが本当の話よ」


マレナはルカを保育所へ送り、そのままミラの働く洗濯場へ向かった。今月分の銀貨三枚を手渡し、返済帳へ受領の署名をもらう。洗濯場では春物の毛布が干され、石鹸と濡れた羊毛の匂いが漂っていた。ミラは新しいコートのことを尋ねず、返済額と残金だけを確認した。


「あと金貨五枚と銀貨七枚です。来月も同じ日に持ってきてください。遅れるなら、前日までに知らせてください」


「分かりました。来月も冒険の報酬から銀貨三枚を払います。余分に稼げた場合は、追加で返してもよいですか?」


「構いません。でも、息子さんの食費まで削らないでください。返済が遅れるより、子どもに食べさせないほうが困ります」


ミラはマレナを許したとは言わなかった。マレナも許しを求めず、返済帳をマジックバッグへしまった。洗濯場の隅では、白いマーガレットが古い桶に植えられていた。葉には石鹸の泡が少しついていたが、花は五輪とも開いていた。


それから数か月後、マレナは冒険者ギルドの銀札級へ昇格した。過去の盗みへの監督処分は続いていたが、罠解除と救助任務の成績が認められ、新人盗賊の実技指導を任された。最初の授業の日、マレナは灰色の革鎧を着て、訓練場へ六種類の罠を並べた。教官のオルドは焼き芋を食べながら、少し離れた場所で見守っていた。


「最初に言っておきます。人の物を盗む方法は教えません。財布の紐を切る技術も、屋敷へ忍び込む方法も、この訓練場では必要ありません」


「でも、盗賊なら盗むのが仕事でしょう? 人から盗めなければ、金持ちにはなれませんよ」


「モンスターから素材を奪取できます。罠を解除すれば、仲間を怪我から守れます。敵の行動を遅らせ、味方の行動間隔を短くし、全員を帰還させることもできます」


新人たちは、顔を見合わせた。派手な剣技や攻撃魔法を期待していた者は、罠の部品を見て肩を落とした。マレナは気にせず、一番簡単な毒針の仕組みを説明した。文字だけでは分からない者のために、全員へ一度ずつ罠を分解させた。


「盗賊の仕事は、宝箱を一番に開けることではありません。仲間が踏む前に、罠を見つけることです。宝を持ち帰っても、一人欠けていれば成功とは呼びません」


授業の最後には、集団帰還魔法の練習をした。最初の組は座標を間違え、ギルドの正面ではなく厨房へ転送された。料理人の焼いていた林檎菓子を一皿落とし、全員で床を掃除することになった。マレナは洗濯場へ出た自分よりはましだと言ったが、オルドはどちらも不合格だと笑った。


夕方、マレナが貸家へ戻ると、銀色のコートが玄関の床へ脱ぎ捨てられていた。裾には泥がつき、片方の袖は裏返っている。以前なら、なくした日のことを思い出し、すぐに声を荒らげていただろう。マレナは一度息を吐き、コートを拾って泥を払った。


台所では、ルカが木の実を数えていた。保育所の帰りに拾い、窓辺の鉢へ飾るつもりらしい。鍋には蕪と豆のスープが温まり、卓上には少し焦げた黒パンが二切れ置かれていた。ルカは母親の手にあるコートを見て、肩をすくめた。


「ごめんなさい。外で遊んだら暑くなって、玄関で急いで脱いだの。明日からちゃんと椅子へ掛ける」


「自分で泥を落として、襟の形を整えておきなさい。なくしたら一緒に捜す。でも、これはあなたの物だと、今度は誰にでも言えるから」


「名前もついているよ。今日、友達に見せたんだ。赤い糸だから、すぐに見つけられた」


ルカは布を持ってきて、自分でコートの泥を拭いた。汚れはすぐには落ちず、銀色の裾へ薄い茶色が残った。マレナは手を出さず、夕食の器を食卓へ並べた。ルカは拭き終えたコートを椅子の背へ掛けてから、自分の席へ座った。


食後、二人はその日の報酬を数えた。ミラへの返済分、家賃、食費、薬代を帳面へ記録し、残った銅貨を小さな瓶へ入れた。ルカは母親の曲がった文字の横へ、罠にかかった新人盗賊の絵を描いた。新人の足を六本描いてしまったため、以前の炎獣と親子ということにした。


窓辺では白いマーガレットが咲き、洗った靴下が夜風に揺れていた。マレナは怪盗ではなくなったが、盗賊であることはやめなかった。かつて人の物を奪った手で罠を外し、モンスターから希少な品を獲得し、帰れなくなった者を地上へ連れ帰っている。銀色のコートの内側には、赤い糸で縫ったルカの名前が、誰に見られてもよい形で残っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。