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薬術の魔女の宮廷医生活  作者: 月乃宮 夜見
宮廷医編

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20/38

18 『愛を贈る日』と菓子2


 宮廷の応接殿は、絹の垂れ幕が天井から優雅に垂れ下がり、金蒔絵の調度品が燭台の揺れる明かりに映えて輝く、豪奢で静謐な広間だった。普段は貴族たちの穏やかな談笑や楽器の音色が響き合い、王族の威光を象徴する場所である。しかし今、その荘厳な雰囲気は侍女達のすすり泣きと衛兵の慌ただしい足音によって完全に打ち砕かれていた。


 中央の絹の長椅子に横たわる第三王弟は顔色が青ざめ、額に冷や汗を浮かべていた。薄い唇からは浅く細い息が漏れ、時折かすかなうめき声が混じる。寝台の脇には金蒔絵の茶器が無造作に転がり、薄緑色の液体がこぼれて絨毯に小さな染みを作っていた。染みの周囲には微かな甘い香りが漂い、異様な空気を醸し出している。


 医務室から急いで駆けつけた薬術の魔女は第三王弟の傍に膝をつき、細い指でその脈を測った。


「ふーん、意識はあるけど反応が鈍いね。脈は弱いけど不規則じゃない。瞳孔は少し開いてる。嘔吐はした? 痙攣は?」


彼女は第三王弟の容態を軽く診察しながら、周囲へ声をかける。普段とは違い、その声には真剣みと緊張が滲んでいた。傍らで震える侍女が、涙を拭いながら声を絞り出す。


「吐いてはいませんが、手が少し震えて……。さっきまで苦しそうにうめいてました。急に倒れてしまって、私、どうしていいか分からなくて……」


彼女の声は途切れがちで、手が衣服の裾をぎゅっと握っていた。随分と緊張している様子だ。薬術の魔女は侍女に、安心させるように笑みを見せる。


「了解! 大丈夫だよ、すぐ分かるからね」


薬術の魔女は「薬草のリスト読んで!」と補佐官1に指示を飛ばし「茶器の中身を調べて!」と補佐官2にも指示した。文句も言わずに補佐官は手早く指示通りに動く。


「とりあえず、まずは解毒するよー。安全だからねー」


言いつつ、まず薬術の魔女は取り出した解毒薬を口に含んで飲み込んだ。


「むせないよう気を付けてねー」


薬術の魔女は第三王弟に声をかける。「無礼な」と言う囁き声は無視して、解毒薬を第三王弟の口元に充てた。そっと流し込むと、飲み込んだようだ。


「これでこの人の命は大丈夫。あとは医務室か安心できる部屋にでも運んで安静にさせといて。一日くらいは様子を見ておいてね」


薬術の魔女の声は弾むように響き、混乱した応接殿の空気を一瞬だけ和らげた。そこでようやく周囲の侍女や衛兵達は安堵した様子だ。


 補佐官1は、蘇蛇宮から持ってきた分厚い革表紙の書物を手に持つと、ページをめくり始めた。薬草の効果を指でなぞりながら、呟く。


「毒なら、鳥頭草とか狼茄子が候補ですかね。瞳孔が開くなら狼茄子もあり得ますけど、手の震えなら鳥頭草の方が近いですね。解毒していますのでもう大事には至らないと思いますけど、一応」


彼の声は柔らかく、どこか場違いなほど落ち着いている。一方、補佐官2は中身を零さないように茶器を手に取り、慎重に匂いを嗅いだ。


「ただの茶じゃないですね。微かに甘い匂いがする……蜂蜜か、あるいは何か混ぜ物か。成分を特定する必要がありますね。茶葉の香りがほとんど感じられないのも不自然でしょう」


薬術の魔女は第三王弟の口元に残るわずかな残渣に気づき、指先で軽く触れて匂いを嗅ぐ。


「このお茶、誰が淹れたの? 何か特別なものを入れた?」


侍女が震える手で涙を拭いながら答えた。


「私が淹れました。いつも通りの花茶です。ただ、今日は第二王弟殿下から贈られた蜂蜜を少し加えて……。第二王弟殿下が『弟に飲ませてやれ』と仰ったと、侍従が伝えてきたんです」


「蜂蜜? その蜂蜜、どこにある? 早く見せて!」


侍女が小さな陶器の壺を差し出すと、補佐官1が近づき、壺を手に取って蓋を開けた。


「うーん、甘いけど何か変な匂いがしますね。花の蜂蜜じゃない感じです。僕、前に鳥頭草の花の近くで採れた蜂蜜嗅いだことありますけど、こんな苦みありましたよ。あの時は市場のお爺さんに笑われたんですよね、『気をつけな』と」


彼は壺を薬術の魔女に渡しながら、過去の経験を穏やかに語った。補佐官2がその横に立ち、慎重に匂いを確認した。


「茶器に付着していたものと同じ匂いです。蜂蜜ですが……自然なものじゃないですね。彼の言った通り、鳥頭草の根に似た匂いがします」


「鳥頭草か。猛毒だね。どうやって混ぜたんだろう?」


薬術の魔女が首を傾げると、補佐官2が冷静に続けた。


「混ぜる、よりも。そもそも、所持するには知識が必要です。単なる侍女や衛兵では難しい。誰かが意図的に仕込んだと考えるべきでしょう。鳥頭草は扱いが難しい毒だ。素人が触れば自分も危険に晒されますし。詳しい分析が必要なら、蘇蛇宮に戻る必要があります。どうします?」


「うーん。とりあえずこの蜂蜜の壺と茶器の器、持って行って分析しよう。いいよね?」


周囲の侍女や衛兵に問うと「構いません」と言われたので、証拠品を調べることになった。参考人として、侍女も1人連れていくことにする。どうやらその侍女は第三王弟から信頼されているらしい。


×


 蘇蛇宮に戻ると、三人は蜂蜜の壺と茶器を作業台に並べた。


「まず、そもそもこの毒が何由来化を確かめなきゃだね。ほぼ確実だけど」


と言いつつ、薬術の魔女は成分を検出する魔道具を取り出す。それからそれの先を茶器の中に入れる。


「……うん。成分的に鳥頭草で合ってる。植物塩基の成分も強いから、影響した毒もこの植物塩基だろうね」


魔道具での検出結果をもとに、薬術の魔女は推測を呟く。


「鳥頭草は加熱しても毒性が残るよね。溶け方が普通と違うはず。巧克力(チョコ)作りの火加減で試してみようか」


薬術の魔女はペースト状の加加阿(カカオ)と蜂蜜を混ぜていた時の記憶を頼りに、蜂蜜を少量鍋に垂らした。その様子を見、補佐官1が言葉を零す。


「そうですね。植物塩基だから、熱で変色するかもです。僕、昔実験で似たようなことやりましたよ。鳥頭草は紫っぽくなるはずです」


それを補佐官2が鋭く補足した。


「変色だけでなく、匂いの変化も確認した方が良いですね。鳥頭草特有の苦みが強まる可能性がありますし、慎重に。火加減が強すぎると成分が壊れる可能性もありますからね」


加熱された蜂蜜は徐々に紫がかった色に変わり、甘い匂いの中に苦みが際立ってきた。鍋の縁から小さな泡が立ち、部屋に異様な香りが広がる。補佐官1が鍋を覗き込んで呟いた。


「やっぱり紫に変わりましたね。つまり、この蜂蜜には鳥頭草の植物塩基が入っていた証明になります。まあ、成分を調べた時点で確定でしたが。確認ですね。記しておきましょう」


懐から筆記用具を取り出し、補佐官1は記録を始めた。補佐官2が目を細め、考え込む。


「間違いなく、鳥頭草ですね。第二王弟が贈ったとすれば大問題ですが……彼がそんな単純な手を使うとは思えない。第二王弟は……もう少し慎重な方のはずなので。直接手を汚すとは考えにくいです」


「そうなんだ。第二王弟と第三王弟、仲悪いの?」


薬術の魔女が首を傾げると、記録が終わったらしい補佐官1が道具を直しながら宮廷の裏話を穏やかに語った。


「表向きは仲良いらしいですけど、第三王弟殿下は非常に優秀でしたからね。裏では火花散らしてたという噂があります。僕、宴会で二人が睨み合っていたの見たことありますよ。第二王弟殿下が杯を握り潰しそうなくらい怒ってました。第三王弟殿下は笑っていましたけど、目は全然笑ってなかったですね」


補佐官1の返答に、補佐官2が冷静に分析を加える。


「第二王弟殿下が関与しているなら、証拠を残さないはずです。蜂蜜を贈ったのは誰か別の可能性が高い。侍女は、第二王弟殿下から直接受け取ったのでしょうか?」


連れてきた侍女が首を振る。「いいえ。第二王弟殿下の侍従が持ってきたんです。昨日、調理場に置いておけと。『第三王弟殿下への贈り物だ』と言ってました」


「侍従ですか。その人に会いましょう。恐らく、何かしらは知っているはずです」


補佐官2が眉を寄せつつも、呟いた。


 衛兵が侍従を連れてきた。瘦せた男で、目を泳がせ、手を擦り合わせている。額に汗が滲み、薄い唇が震えていた。補佐官1が近づき、穏やかに質問した。


「すみません、この蜂蜜。あなたが持ってきたと聞いたのですが、貰い物ですか? 購入しました?」


「第二王弟の命で市場の商人から買っただけだ……」


「そうですか。では、蜂蜜を市場で購入した時はどんな感じでした? 壺の重さとか、匂いとか覚えてます?」


「重さも匂いも普通だったよ。俺は何も知らない。頼まれただけだよ」


彼の声は震え、視線が床に落ちた。補佐官2が鋭く問う。


「市場のどこで購入したんです? そして、誰から買いました? 詳細を言ってください。嘘をついても調べれば分かりますよ」


「南の市場だ。蜂蜜商の爺さんから……。それだけだよ! 俺はただ運んだだけだ!」


侍従の言葉を受け、補佐官2は補佐官1に視線を向けた。


「南の市場か……蜂蜜が手に入るか、調べてもらえます? ついでに鳥頭草も」


補佐官1が書物をめくり、「はい、蜂蜜と鳥頭草共にありますね。鳥頭草は薬草商が密かに扱っているようです。僕、前にそこの市場で薬草をいくつか買ったことありますよ。やっぱり、怪しい薬草扱ってたんですねー」


補佐官2が壺の底の刻印を確認し、「南」の文字を見つけた。


「安易に符合してはいけません。それに、侍従が自ら毒を混ぜたとは思えない。確か、彼には不在証明(アリバイ)があります。彼の指示を受けた、別の誰かの手が加わった可能性がありますよ」


×


 蘇蛇宮での分析を終え、三人は応接殿の傍の調理場へ向かった。石造りの調理場は、大きな釜が吊るされ、壁には乾燥した香草(ハーブ)の束が掛かっている。床には煤がこびりつき、隅には使い古された木箱が積まれていた。空気には油と香辛料(スパイス)の匂いが混じり、調理場の喧騒が今は静まり返っている。薬術の魔女が侍女に問う。


「蜂蜜を茶に混ぜる時、誰かそばにいた?」


「調理場の下働きの男が手伝ってくれました……。蜂蜜を壺から匙ですくって、私に渡してくれたんです。私が忙しくて手が離せなかったから、彼がやってくれたんです」


少しして、その下働きが衛兵に連れられてきた。無口で目つきの鋭い男だ。瘦せた体に煤けた服を纏い、手には微かに薬草のにおいが残っている。髪は乱れ、鋭い目が三人を睨みつけた。補佐官1が穏やかに笑う。


「あなた、薬草について分かりますよね。確か、資格を所持しているはずです。以前、彼が薬草を扱っている姿を見かけたことがありますので」


下働きは目を逸らし、無言を貫いた。補佐官2が冷静に言う。


「彼の経歴を調べましょう。薬草の知識があれば、犯行が可能でしょうし。手についたにおいも怪しい」


補佐官1が書類を見て、「昔、薬草商の息子だったようですよ。父親が死んで下働きに落ちた。南の市場で育ったみたいですね。父親が死ぬ前は、結構いい暮らししてたみたいですよ」


「ふーん。で、きみが何かしたの?」


薬術の魔女が問いかけると、下働きが初めて口を開いた。「何もしてねえよ。蜂蜜を渡しただけだ。俺は関係ない」


補佐官2が調理場から見つけた布袋を手に持つ。「これですかね。鳥頭草の根が入っています。匂いからあなたの関与が濃厚です。隠しても無駄ですよ。この袋、あなたの魔力の残滓が付いていますし」


下働きの目が一瞬鋭くなり、唇が震えた。「俺は……金が欲しかっただけだ。侍従が頼んできたんだ。『第三王弟を黙らせろ』って。俺はただ、言われた通りにやっただけだ」


侍従と下働きが白状した。侍従は第三王弟への嫉妬と第二王弟への忠誠から、下働きは金のために犯行に及んだ。侍従は第二王弟の寵愛を失い、第三王弟の台頭に焦りを感じていた。彼はかつて第二王弟の側近として栄華を誇ったが、第三王弟の台頭で地位が揺らいだのが気に入らなかったのだろう。


 一方、下働きは父親の死後、貧困に喘ぎ、薬草の知識を金に変える機会を待ち望んでいた。南の市場で鳥頭草を手に入れ、蜂蜜に混ぜたのは下働きだったが、計画の首謀者は侍従だ。第二王弟は関与しておらず、蜂蜜は彼の名を借りた偽装に過ぎなかった。そういうことらしい。


 蘇蛇宮に戻った薬術の魔女は、巧克力(チョコ)入りの鍋が乗った焜炉(こんろ)に再び火を起こす。途端に、部屋へ巧克力(チョコ)と香料の甘い香りが広がった。


「お薬巧克力(チョコ)、できたよ! ちょっと味見して!」


まだ温かく柔らかい巧克力(チョコ)を小さな皿に移し、補佐官達に差し出す。


 補佐官1が笑い、「うん、いい香りですね。僕、香料が多いのはあまり得意じゃないんですけど……これなら大丈夫そうです」と穏やかに言った。補佐官2が一口食べて呟く。「意外と悪くないですね。ですが、本当に配るんですか。これ」


「うん。だってこのまま伴侶(あの人)にやられっぱなしだと嫌だし。宮廷での関係構築とかは、自分で何とかしなきゃ」


薬術の魔女の決意に、補佐官達は「上手くいくと良いですねー」「まあ、無駄にはならないでしょう」と好きにさせることにしたようだ。


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