9.マントイフェル大使
16名の“脱帝者”のニュースは一時、テラフォードのメディアを賑わせたがそれも1日、2日のことですぐに人々の記憶から消えた。脱帝者について報じるニュースの中で、首都フリートランドに駐在する銀河帝国大使館から政府に対し脱帝者の送還を求める申し入れがあったことも小さく報じられた。しかし過去の脱帝事件の際にも同大使館は同様の申し入れをしており、いずれの場合もそれは形式的なものにすぎず、双方がそれ以上の行動もとらないまま有耶無耶になってしまうのが常であった。
そんな訳で、テラフォード共和国政府首相官邸の執務室で銀河帝国大使ヘルマン・フォン・マントイフェルと向き合ったアンナ・ハーコート首相は困惑していた。2週間前、難民を乗せた船がフリートランドに到着してから数日後に行われた難民送還の申し入れは大使館公使によるもので、外務大臣が対応している。過去の例でいえば、それで双方手打ちになるはずであった。しかるに、首相自身も難民のことなどほとんど忘れかけていた今になって、今度は大使が自ら押しかけてきたのである。しかも外務大臣ではなく、首相に直接面会を要求するなど異例のことだ。
マントイフェル大使とは数年前の着任以来、政府主催のパーティーや他の社交行事で何度も会っているが、温厚というかどちらかというと壮年の身でありながらあまりやる気のない印象しかもっていない。銀河帝国の中枢から遠く離れた星での駐在任務など、帝国政治の中では閑職に過ぎないのだろう。今、恐ろしい剣幕でまくし立てているのはあのマントイフェルと同一人物なのだろうか?
「かの難民等と申している者どもは、あろうことか同じ村の何の罪もない帝国臣民を虐殺しただけでなく、陛下の赤子である兵士達まで死傷させた重罪人どもなのですぞ。ナージュ村の虐殺事件、として帝国内に大きな社会不安を与えておる。その犯人どもを匿う、ということの意味をよもや首相閣下がご存じないわけはありますまい」
「はて、それはどういう意味でしょう?」
ハーコートはわざとぼんやりした目を相手に向け、考える時間を稼ごうとする。
マントイフェルの顔の朱が一層増した。
「まさか、閣下はサン・リミノの和約をお忘れではあるまい!帝国とこの、この・・・」
「共和国ですか?」
「そう、帝国と共和国が互いに相手の体制に害を及ぼす行動をとらない、とした神聖なる約束じゃ。貴国の行動はこの精神に反しておるのは自明であろう!」
そんな大げさな、とハーコートは言いかけて相手の怒りの炎に油をそそぎかねないその言葉を飲み込んだ。大使の態度には、所詮テラフォードを「属国」とみなす帝国貴族の本音が現れ始めている。帝国の連中はテラフォードに赴任でもしない限り、この国のことを「辺境の未開国」などと呼んでいることは常識である。
(しかし・・・)ハーコートは思案する。こんなふうに2週間で急に態度が強硬に変わったのは何故だろう、と考えて最近NIAから上がってきた報告書の内容を思い出した。帝国で人事異動が行われ新進気鋭のオクシタン領主オーギュスト・ド・オーベルニュ伯爵が外務卿に任じられたという内容だった。
(なるほど)ハーコートは合点がいったような気がした。(新しい上司、意欲満々の外務卿の本拠地で起きた事件、大使閣下の出世欲を点火させるには十分な材料というわけか)
「大使のおっしゃることは承知しました」
政府内で検討ししかるべく対処します、というハーコートに対しマントイフェルは傲然と胸を反らして言い放った。
「4日、いや3日以内に送還を約束いただきたい。賢明なご判断をいただけると信じておりますが、」
そこでマントイフェルは首相の目を見据え、
「万が一、我が方の要求が受け入れられない場合は、如何なる結果を招こうが甘んじて受け入れることですな」
会談は終わった。




