第参章 〝青天の霹靂〟②
陽人と政臣は駅前のイタリアン料理を出すファミレスに入った。ランチタイムのためか、店内は混雑している。二人はとりあえずドリンクバーを注文、陽人はアイスティー、政臣はコーヒーを持ってくる。政臣はコーヒーに砂糖を三つも入れた。意外に甘党らしい。
すこし離れた席には、リャナンシーの姿もあった。深陰たちはショッピングモールをぶらついていると言っていた。
「こういうところに来ることはあまりなくてね。というのも、僕は人ごみというやつが嫌いなんです。世俗の電波というやつは僕のフィーリングを悉く乱そうとする。君も知っているでしょう? 同調圧力というやつです。日本人は生涯をかけて他人とおなじであるということに血道をあげる人種だから、僕のような人間は流れに逆らって歩くだけでもとても疲れる。家でゴロゴロ寝ているニート諸兄の気持ちも分かるというものです。そうは思いませんか」
「政臣君」
「失敬! 話があるんだったね。で、なんだい?」
「単刀直入に訊くんだけど」
「そうしてくれ。僕は無駄話が嫌いだから」
いつもわけのわからない演説をかましている男の言葉とは思えなかった。数秒前の自分を思い出せと思った陽人だが、それは思うだけにする。
いったいなにから訊くべきか……考えあぐねる陽人だが、意を決して口を開く。
「深陰と婚約者って言ったけど、それはその……だれが決めたの?」
「僕だよ」
あまりにあっさり言われたので、聞き逃すところだった。
「き、君が?」
「そう。僕がプロポーズしたんだ」
「な、なんて……?」
「僕たちの馴れ初めを訊くためにここに来たのかい?」
政臣がからかうような口調で言った。彼はコーヒーを一口すすると、にやりと笑って続ける。
「ところで、深陰さんに君がどういう人か訊いたら〝変態〟って言ってたよ。さっき弥生さんにも言われてたけど、君変態なの?」
大きなお世話だ、と思った陽人は、なにも言わずに政臣を見る。すると彼は肩をすくめ、
「〝この世界を守るために、僕と結婚してくれないか〟。こう言ったんだ」
またなんでもないことのように言う。しかし、陽人はわけが分からない。
「ど、どういう……」
「そのままの意味だよ。この世界はね、いま崩壊の危機にあるんだ。それを止められる可能性を、深陰さんは持っているんだ」
余計わけが分からなくなってしまった。世界が崩壊の危機にあるだって? いきなりスケールが大きすぎるし、意味が分からない。それに、それを止められる可能性を深陰が持っている? いったい、どういう……。
「君は、『始祖』についてどこまで知っている?」
政臣はテーブルの上に両肘をついて手を組み合わせ、いままでとは打って変わった低い声で言った。態度からも砕けた様子は消え、目はまっすぐに陽人を見据えている。
「えっと、大昔から存在してる『求血鬼』で、自分の血を人間に与えて、『求血鬼』にさせることができる……とか」
「ほかはどうです?」
「あとは見た目ぐらいかな……いま確認されてる『始祖』は今回のを合わせて五回目で、金髪に赤い目をしていることくらい」
「そのとおり。先日見た『求血鬼』も、その見た目に見事一致していたよね。じゃあもう一つ、『始祖』が確認されてきた時期は、じつは共通点があるんだ。知っているかい?」
「いいや」
「だろうね。『始祖』に関することはすべて機密扱いだから。知っているのはごく限られた人間だ。『純血十家』の当主でさえ、知らない人もいるみたいだから、君が恥じる必要はない」
「そんなことここで話していいのか?」
「なに、構やしません。所詮は能無しじいさんたちが崇め奉っている腐ったイワシの頭。いずれは周囲を腐敗させる腐ったリンゴに過ぎない」
「演説はいいよ。無駄話は嫌いなんだろ?」
「そうだね。じゃあ、教えてあげよう、単刀直入に」
政臣は肩をすくめていう。しかし、そのつぎに彼が発した言葉で、陽人はふたたび硬直することになる。
「世界崩壊の元凶はね、君たちが通っている献血師學校にあるんだよ」
また、あまりにもあっさりと、言った。この男は、重大なことを天気の話でもするかのように言うので、危うく聞き逃しそうだ。
「あの學校……正確にはあの空間なんだけど……大きな半月があるだろう? 真っ赤なやつ。あれはね、太古に封印された、強大な力を持つ『求血鬼』の姿なのさ」
政臣はやはりなんでもないことのように言う。性格が反映されているのか、それとも本当にどうでもいいと思っているのか、いまいち図れない。
「千年前。強大な『求血鬼』が出現した。その力はあまりに強大で、『献血師』たちは成す術なく、赤子のように蹂躙された。討伐することは不可能だと結論付けた当時の『献血師』たちは、〝討伐〟ではなく、〝封印〟することにしたんだ。
君も五行院陽陰という人物は知っているだろう? 『献血師』の祖と言われている人だ。彼は『献血師』の中でもとりわけ大きな力を持っていたわけだが、それでもその『求血鬼』を斃すことはかなわなかった。だから彼は、莫大な霊力を使ってあの空間を作り出し、そこに『求血鬼』を封印した。その際、彼を含めた多くの『献血師』たちが命を落とした、と言われてる。ここまでは君も知っているよね? 君も『純血十家』の当主だし、このくらいあの學校でも習うでしょう? なにせ、無辜の民を守るために『献血師』が犠牲になってるわけだから、美談が好きな連中が話さないはずがない。彼らに限らなくても、人間っていうのは美談が好きな生き物だからね」
などと、余計な一言を付け加えるところはじつに政臣らしい。
『総本山』の歴史が古いとされる理由の一つは、保管されている一番古い資料の『ヰ記』がおよそ千年前に記されたものだからだ。続く資料が『閭記』『刄記』『邇記』『甫記』ということから分かるように、資料の名前は〝いろはにほへと〟になぞらえ付けられている。政臣が言ったことは、一番古い『ヰ記』に記されているものだ。
「問題はこのつぎだ。せっかくした封印だが、長い月日を経て解けかかってしまった。討伐できないからと苦肉の策で封印したが、それさえ完璧な状態ではできなかった。封印が解けかかったのは一度や二度ではない。数百年周期で、封印は解けかかっている。そしてその度に、『始祖』は出現した。最後に解けかかったのが、五年前。これは覚えているはずだ。君のお父上も犠牲となったあの大災厄だよ。僕の父も犠牲となったんだけど、これはかなり厳しく情報が統制される。そして事の真相は、数名の『総本山』幹部しか知らない。
この犠牲者はね、封印が解けかかるたびに出ているんだよ」
「なんだって……?」
陽人は驚きに目を見開いた。
しかし、政臣はそこで一度言葉を切った。コーヒーを一口飲み、一休みとでも言いたげに息を吐く。
陽人の脳内には、まるで稲妻のように五年前の出来事がフラッシュバックする。
突然の訃報。近親者たちを集めて行われた〝英霊〟たちの葬儀は、つつましく、まるで人目から遠ざけられたように、『総本山』にて行われた。
粗末な祭壇の上に置かれた四つの棺桶。しかし、その中には遺骨など入っていない。すべて空だ。だから、父の死を実感することはできなかった。母は表面上はいつも通りにふるまっていたが、内心かなりのショックを受けていることが分かった。
深陰もまた、涙こそ見せなかったが、終始うつむいていた。あのときの表情は、いまも忘れられない。
あのとき、自分は誓ったのだ。もう深陰に、あんな顔はさせない。そのためにも、いまよりももっと、だれよりも強くなってみせると。
いまでもはっきりと覚えている。だからこれも覚えている。あのとき、あの場に、政臣の姿はなかった。父親が死んだにもかかわらず、彼の姿も、母親の姿もなかった。
「僕はね、あのときある選抜隊にいたんだよ。封印が解けかかったことにより、例によって『始祖』が出現したとの情報が入った。その対『始祖』のための選抜隊に僕は選ばれた。だから葬式には行けなかったんだ。ちなみに、母は僕が五歳のときに病気で死んでいる」
政臣が陽人の疑問を見透かしたように言った。
『総本山』は『始祖』が出現し、その信憑性が高いと判断した場合、選抜隊を組んで出現地点に送る。先日行方不明となったのは、選抜隊に選ばれた『献血師』の二人だった。
「そうだったんだ……その……」
「なに、構やしません」
彼は自嘲気味に肩をすくめてみせる。
「話を戻そうか。ここからが、最初に言ったトップシークレットだ。封印は不完全だ。いずれ解けてしまう。だから、解けそうになるたび、封印をし直さなきゃならない。しかし、それには莫大な霊力が必要となる。生命の源である〝霊力〟を干からびるほど消費しなくちゃならない。だから、『総本山』は封印が解けそうになるたびに、人柱……生贄を用意することにした。莫大な霊力を持つ『献血師』たち……『純血十家』の当主たちをね。つまり、僕たちの父親が死ぬことは、確定事項だったわけさ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
思わずイスを蹴って立ち上がった陽人だが、
「落ち着いて」
妙に落ち着き払った政臣の声に制され、二の句を継ぐことができなかった。
「それはだめだよ。怒りは人を理性から遠ざける。もっとも愚かな行為だ」
政臣はまっすぐに陽人を見る。不思議と、それで落ち着いて、ゆっくりと座りなおす。
「そうして多大な犠牲を払って封印は成功した。つぎに封印が解けかかるのは、過去のことから考えて、少なくとも二百年の猶予があるはずだった。が、つい一週間まえ、封印が解けかかっていることが発覚した。半月から微量の霊力が放出されていることが分かったんだ。それは日に日に多くなっていっている。半月の中で『求血鬼』が鼓動しているんだ。だから、また〝生贄〟が必要になった」
たしかに、政臣の言うとおり〝半月〟から微量の霊力が漏れる気配がしていた。弥生や司、深陰とともに比屋定に報告したが、彼女は「気のせいでしょう」と一蹴した……。
あれは、やはり気のせいではなかったのだ。
だが、これでなぜ『始祖』が比屋定と入れ替わり献血師學校に潜入したかが分かった。彼女の狙いは、あの紅く巨大な〝半月〟だったのだ。
おそらく、『始祖』が出現したのは〝半月〟から霊力が漏れ出した一週間前。ということは、あの時の比屋定は、すでに『始祖』だったということか。
政臣はまたそこで言葉を切った。だが、陽人は彼がなにを言おうとしているのか理解できた。できてしまった。
「そして今回、〝生贄〟に選ばれたのが、僕と、そして深陰さんってわけだ」
「‼」
果たして予想は的中したが、いざ言われると驚きのあまり言葉を発することができない。
「君と、深陰が……」
「そう。それともう二人、『純血十家』の当主がね」
そう言って、一口コーヒーをすする。
「君、質問はそれだけかい?」
政臣が言った。生贄となる当人が平然としていて、関係のない陽人が愕然としている。これは逆ではないだろうか。
しかし、この奇妙な状況が、陽人に質問させる余裕を与えてくれた。
「政臣君、君最初に言ったよね。『この世界を守るために、僕と結婚してくれ』。深陰にそう言ったって」
「うん」
「これは、どういうことなんだ?」
「蘆屋家が『献血師』の中で『巫女』の役割を担っているのは知ってるよね? だから、蘆屋家の当主は女性に限定される。『巫女』は人間に憑いた『求血鬼』を祓うのが仕事だが、極まれに、その力が極めて強い『巫女』が生まれることがある。どんな『求血鬼』でも、祈祷し、神楽を舞えば、たちまち浄化させる。深陰さんもそれができる『巫女』なのさ。彼女の霊力の高さは君も知っているだろう? 彼女たちのことを『巫』と呼ぶらしいんだけど、過去の資料を読み漁ったら、一件ヒットした。『甫記』に記されてたんだけど、いまからおよそ六百年前。当時封印が解けかかった際、犠牲になったのは蘆屋家当主と、もう一つの『純血十家』当主。この二人だった。どうしてだと思う?」
訊いておいて、政臣は返答を待つ気はないようだった。せき込んだように続ける。
「祓ったんだよ。半月から漏れ出す、強大な霊力の鼓動をね」
「祓った?」
「そう。祓ったんだ。〝毒を以て毒を制す〟ってやつさ。でもそれをするには、一つクリアしなくちゃならないことがある。いかに『巫』の力をもってしても、単体の力じゃ封印しなおすなんてことはできない。だから、二つの霊力を交わらせる必要がある。『献血師』同士の婚姻じゃ、式の際に両家の霊力を一つにする儀式が行われるからね。まあ、霊力っていうのはそれぞれの家系が古から培ってきた、言わば既得権益みたいなものだから、普通は行われないものなんだけど、前例があると、こういうときに便利だ」
「ちょっと待ってくれ」
もう何度目か分からない待ったを陽人はかけた。
「君は、深陰のことが好きなのか?」
「いえ、べつに」
と、またあまりにあっさり言ったので、陽人の思考は完全に停止してしまった。
「おや、陽人君。どうしました?」
などと言いながら、当の本人は陽人の顔のまえで手をひらひらふっている。
「ああ、ごめん。なんか聞き間違えたみたいだ。君は深陰のことは好きなんだよね?」
「いや、だから特に好きではありません。深陰さんも僕のことを好いてるわけじゃない」
……。
…………。
また陽人の世界は停止した。混乱しすぎてどうにかなってしまいそうだった。
「最初に言っただろう。僕たちはね、世界を救うために一緒になるんだ」
「ちょっと」
「待ちますよ。もともと、僕は君を急かしちゃいない」
「……深陰は、納得してるのか? 今回のこと」
「してる。僕のプロポーズも快く受けてくれたから」
こういう言いかたは、またストーカーっぽいと弥生に言われるかもしれないが、本当に深陰は快諾したのだろうか。政臣の言う〝快く〟というのは、どうも信用ができない。でも、これで納得がいった。深陰の様子がおかしかった理由はこれだ。彼女はいま、自分の命を犠牲にして、世界を救おうとしているのだ。
「そうか。よく分かったよ」
「? なにがです?」
政臣がいぶかしげに眉をひそめた。
「政臣君、僕は君に決闘を申し込む」
「ほう」
さも驚いたように目を見張り、
「しかし、なぜ?」
「深陰を殺させないためだ。『総本山』の取り決めでは、『献血師』が決めたことは、その『献血師』と決闘して、取り消させないといけない。君も知ってるよね?」
「だから僕と決闘を。なるほどね。そんな野蛮な前時代的ルールを持ち出してまで、深陰さんを救いたいと。でも、無駄だよ。それじゃ問題は解決しない。僕が結婚を撤回したところで、結局再封印のために『純血十家』の当主は犠牲になる。それも、いまより多くの人数が。深陰さんを含めたね。君はそれでもいいっていうのか?」
「いいわけない。でも政臣君、君が言ってるのはただのトロッコ問題だよ。人数の問題じゃない。深陰も、ほかのみんなも助かるべきだ。もちろん政臣君、君も」
「トロッコ問題ね! あれは五人か一人、どちらか一方が死ぬこと以外の答えはない。この問題にしてもおなじことだ。どちらも助けたいというのは、問題の前提も、現実も、なにも見えていない愚者の考えだよ」
「政臣君、君の言っていることは、正しいのかもしれない……でも、いま君がやろうとしていることは、分岐器を変えるなんてものじゃない。橋の上から自分と深陰を突き落として、他の人を守ろうとしてる。それはだめだよ。ルール違反だ」
「今度はルール違反ときたか。君の言葉に従うなら、この場合緊急避難が認められると思うけれど、まあいい。いずれにしても、ここで君と思考実験を行うつもりはないよ。君がなにを言おうと、僕の考えは変わらないし、決闘を受けるつもりもない。どうしてもというのであれば、その場に僕を引きずり出してみたまえ」
すこしきつい口調で、挑戦的に言った。政臣はしばらく陽人を見ていたが、やがて口調を和らげてこう続けた。
「陽人君、すこし冷静になるべきだ。君はいま頭に血が上っているんだよ。それに、いまの君じゃ僕には勝てない。だって、今回の犠牲者リストに、君の名前は入っていなかったもの」
君は霊力が低いから、とはあえて言わなかった。情けではなく、言うまでもないことだからだと陽人は感じた。
「君は……」
陽人は探りながら言った。
「君こそ、それでもいいのか? 君も、死ぬんだろう……?」
「もちろん」
政臣は即答した。
「どうして……」
どうしてそんなことが言えるのか。言うだけではなく、実行に移すことができるのか。陽人には分らなかった。
「僕はね陽人君、自分のことを好きになりたいんだよ」
政臣はゆっくりと、噛み締めるように言った。
「君は自分が嫌いなのか?」
「そりゃそうさ」
当然だ、とでもいうふうに政臣は言う。
「だって、僕はまだ、自分がしたいことをなにも成してないからね。それができれば、僕はきっと僕を好きになれる。せっかく自分に生まれたんだもの。どうせなら好いていないと」
冗談めかした口調で言って、ひょいと肩をすくめてみせる。
「質問は以上かな? だったら、僕は失礼するよ。あまり深陰さんを待たせるわけにもいかない」
言うや否や、政臣はコーヒーを飲み干すと立ち上がった。
「待ってくれ!」
陽人は慌てて立ち上がり、政臣をこの場に留めようとするが、二の句を継ぐことができない。話の内容が劇的過ぎた、というのもあるかもしれない。だが、深陰が命の危機にあるというのに、自分はなにもすることができないというのか?
陽人の様子を見て、政臣は短くため息をついた。
「陽人君、君が深陰さんを大切に思っていることは、とてもよく分かった。だから訊くんだけど、君は、仮に僕が婚約するのが深陰さんでなく、弥生さんだったとしても、いまとおなじことを言うかな? 深陰さんだから、そう言っているだけなんじゃないのか?」
政臣が挑戦的な視線をむけた。
陽人はそれを真っ向からうける。一度目を伏せ、気持ちを落ち着かせる。どれだけ動揺していても、この気持ちは変わらない。
「いや」
陽人は答えた。
「林道さんだって、僕の大切な友人だ。それとおなじだ。僕は深陰を失いたくない。僕だけじゃない。林道さんも、十六夜さんも、皆悲しむ」
「じゃあ教えてあげよう。今回の生贄リストには、弥生さんの名前も入っているんだ。僕を止めたら、君は大切な人を二人失うことになる。司さんも、より悲しむだろうね。それでもいいのかい?」
「よくないよ。だから、僕はみんなを助けたいんだ。それに、それは君にも言えることだよ。政臣君、君がいなくなって、悲しむ人はいないのか?」
政臣はほんの一瞬だけ目を見張ったように見えた。しかし、すぐにいつもの自信に満ちた表情に戻る。
「……じゃあね陽人君。また學校で」
と政臣が踵を返した。陽人はなんとかして政臣を止めることはできないかと必死に考えた。だから、気づかなかったのだ。近くの席に座ったサラリーマンたちが、店内に流れていた『献血師』募集の放送を聞き、「またか」だとか「こんな放送だれも聞いてないだろ」ということを言っているのを。
「いや、まったくおっしゃる通りです!」
ついさっきまで陽人の目のまえにいた政臣が、いきなりそんなことを言ったので、陽人は心臓が飛び出るくらいにびっくりした。そんなことにはお構いなしに、政臣は続ける。
「そもそも『献血師』だとか『求血鬼』だとか、そんなおとぎ話の登場人物を公にすること自体が間違っているんです。そんなことをしたところで、いたずらに混乱を招くだけだ。事実、公表された当初から受け入れられたわけではないですからね。詐欺師だとか、バケモノ集団だとか、好き勝手な言われ方をしたものです。だが、結果を出したとたんに彼らは手のひら返しをした。まあ、世間とは常にそんなものです。それはべつにいい。
しかし、防衛省と手を組んだ。これは大きな過ちであります。行政機関と手を組んで、それがいったいなんになるというのだろう! 政府公認の組織となることで、国民への認知と信頼を高める? バカ言っちゃいけない! そんなものは単なるまやかしだ! 実際には、『総本山』は『求血鬼』の存在が公になればいままで以上に依頼が殺到し、上層部の人間の懐は増え、なにかと理由をつけて防衛省の機密費を引っ張りだそうなんて目論見がある。加えて、『求血鬼』という危険な存在を倒せる唯一の集団という名は、自分たちの地位を強固なものとする。彼らの胸の内に、そんな思いがあったことは否めない!
防衛省側としては強大な力を持つ集団を〝監視〟しておこうとでも思ったのでしょう。『総本山』という〝正義の集団〟を内部部局に置くことで、自分たちの名をあげるつもりだったに違いない。事実、防衛〝庁〟が防衛〝省〟に格上げとなったのは、『献血師』効果と言われているくらいですからね!
まったくバカげた話だ。彼らはいつだって、嘘っぱちの道徳論を振り回し、そのくせ自分の承認欲求を満たすことしか考えちゃいない! いったいどんな環境が彼らをそこまで堕落させたのか、はなはだ疑問でありますな!
だれもかれもが目先の利益のみを求めて行動している。そんなことだから、彼らはいつまで経っても四角い部屋を丸く掃くことしかできないのだ。
『総本山』はもうダメだ。あの組織は腐敗しきっている。連中は金と既得権益のことしか考えちゃいない。周りにイエスマンのみを置き、自分以外の人間はすべて敵。くだらない権力を振り回して自分を大きく見せることばかりしている。そんな連中ばかりが上にのさばっているのが『総本山』の現状であります。彼らが問題に対してしていることといえば、常に解決ではなく防風処理でしかない。だから『献血師』は、幹部は足りているのに肝心の兵隊が足りないという笑うに笑えない事態に陥っている」
サラリーマンたちは息をひそめて政臣を見ている。うち一人はスマートフォンに手が伸びていた。頭のおかしい少年と判断し、救急車でも呼ぼうとしているのか、いや、警察かもしれない。にもかかわらず、政臣は続ける。
「それだけではない。われわれ『献血師』は警察諸兄のごとく、県を跨げば情報は共有されない。都道府県は十に区分され、月末に何体『求血鬼』を討伐したかを『総本山』に報告する。それに応じて、各『純血十家』の評価が決まる。ま、ありていに言えば予算ですな。資本主義は分かりやすくていい。まったく、コロンボ氏じゃないが、『献血師』というのも因果な商売だ」
「か、政臣君……」
おっかなびっくりといった様子で、陽人は声をかける。が、政臣は意にかえさない。
「以前、一般の企業に採用された人間の中から一時的に『献血師』として『総本山』に招くという案が持ち上がったことがあった。これもまったくもってバカげている! こんなものは単なる徴兵だ。そんな赤紙を送りつけたところで破り捨てられるのが関の山。せいぜい資源ごみにしかなりません。これでよく〝歴史ある『献血師』の総本部〟などと胸が晴れたものだ。厚顔無恥もここまで極まると頭が下がりますな! だが、こんなことはいつもでも続くはずがない。こんな張りぼてはいずれ崩れ落ちる。改革だ! いまこそ改革が必要です! だから僕はこの命をとして彼らに伝えたい! そんなイワシの頭は一刻もはやく生ごみに捨てるべきだとね! これこそ改革……いや、革命であります!」
「政臣君……」
「皆さん! 僕は近いうちに革命を起こします! その雄姿、とくとご照覧あれ!」
バッと手を大きく開き、胸を張って宣言する。サラリーマンたちは怯えた顔で彼を見ており、店内の温度も比喩でなく下がっている。これはいよいよまずい、とにかくこの狂人を黙らせなければ、と思い声を張って言う。
「政臣君!」
今度は陽人に注目が集まる。
「おや、陽人君。どうしました?」
キョトンと、不思議そうに訊いてくるのだこの男は。陽人はもはや息をすることさえかなわない。
「はい、そこまで」
だれもが動けずにいた中で、政臣の頭を小突いた人物がいた。すこし離れた場所に座っていた銀髪美女……リャナンシーだ。
「さあ、出るわよ。山背くんもはやく。ここは政臣が持つから」
「え、誘ったのは僕だし、ここは僕が……」
「いや、いいんです。ここは僕が出しましょう」
「いや、でも……」
「さあ、まいりましょう!」
結局押し切られてしまう。政臣はさっさと会計にむかった。
「ちょ……」
陽人は逃げ出すようにファミレスを出た。弱冠一名、なぜかリャナンシーに手を引っ張られながら威風堂々としている少年がいたが。店を出るとき、「ごきげんよう皆さん!」などと言っている。この少年には、冷ややかな視線が分からないのだろうか。
「常人の肝が冷えるようなことはするなっていつも言ってるでしょ?」
一刻もはやくファミレスから遠ざかろうといった様子でリャナンシーが言った。
「そんなことはしていない。僕はただ、彼らの主張が正しいということを言いたかったんだ」
「じゃあ、そう言えばいいじゃないか……」
思わず、ポツリと漏らしてしまった。その瞬間、まずいと思い反射的に口をふさぐ陽人だが、
「それじゃ僕の言いたいことの本質は伝わらない。せっかく物事を考えることのできる脳みそがあって、それを伝えるための口と言葉があるんだ。使わないともったいないじゃないか」
政臣が足を止め、振りかえって言う。陽人はクラスメイトの顔をまじまじと見た。驚いたことに、彼はこれを本気で言っているらしい。
いや、政臣の主張は分からないでもない。腐敗している、という言い方はともかく、『総本山』の組織としての在り方については、『献血師』の間でも議論が絶えない。
だが、だからこそ、
「それなら、もっと相手のことを考えて話したほうがいいんじゃないか? あれじゃ、君の話なんて、だれも聞いてくれないよ」
「べつに構わないとも。僕はべつにだれかと分かりあいたいなんて思わない。彼らは彼らの主張をした。だから僕は僕の主張をした。それだけの話だ」
「いや、それは違うよ。あんなのただの言葉の暴力じゃないか。君が一方的に暴力をふるっていただけだ」
「ふん、言葉の暴力ね!」
政臣は軽蔑したように鼻を鳴らした。
「なんとも抽象的な言葉だ。すべてのイメージを相手側に丸投げしている。君だって相手のことを考えていないようだ」
「そんなことない。じゃあ、もっと具体的に言うけど、自分の意見を言ったなら相手の意見も聞いて、そこから……」
「ああ、いい、いい。結構です。まったく、君はじつに模範的な日本人だ。美徳と考える人もいるだろうが、はっきり言ってそれは弱点だよ。事なかれ主義もいいが、行き過ぎるとそれは害悪でしかない」
政臣はうっとうしそうに手をふって、無理やり陽人の言葉を遮った。
「それでも、話をするんだから、分かり合えるなら分かり合ったほうがいい。そのほうがお互いのためだよ。そのために会話をするんだ。あんな感じじゃなくて、もっとフレンドリーに」
「そんなの徒労にしかならないよ。だって彼らは自分の考えが間違っているなんて夢にも思わない。だから人の話を聞こうともしないんだ。いまの君みたいにね。まあ、好きにしたまえ。それは君の勝手だ。でも僕はごめんだね。しかしフレンドリー? それはなんです? まさか『今日はいい天気ですね』だとか、『その服とてもお似合いです』だとか、『お仕事はなにを』だとか、散々横道にそれてから本題に入れってことかい? 日が暮れてしまうよ」
「でも」
「そうやって自分の考えを押しつけようとしたところで、話し合いは平行線にしかならない。陽人君、僕たちは合わないんだよ」
まあ、合わないというのは事実かもしれないが……陽人は内心納得した。
學校が政臣の入学に難色を示した理由……彼の思想や言動は、なるほど『総本山』が作りたがっている兵隊たちによからぬ影響を与えかねない。彼らは、それを危惧したのだろう。
しかし、これはどうしたものか。陽人は助けを求めるようにリャナンシーを見た。
彼女はやれやれといった様子で肩をすくめ、
「政臣、今日はもう帰りなさい。ちゃんと深陰さんを送っていくのよ。あと、ちゃんと謝罪するように。埋め合わせの約束も……」
「分かってるよ。君、僕はもう子供じゃないんだ」
すこしムッとした口調で言う政臣。これは珍しいものを見たかもしれない。
「じゃあ陽人君、今度こそ失礼。また學校でね!」
言いたいことだけ言うと、背をむけてさっさと歩きだしてしまった。
「ごめんなさいね」
政臣の背中が見えなくなってから、リャナンシーが言った。
「べつに悪気があって言ってるわけじゃないの。それは分かってあげて」
「それは、はい……分かりますけど……」
陽人は先日からのことを思い返す。政臣と出会ってからまだ三日ほどしかたっていないが、それでも我の強い、いや、強すぎる男だということはよく分かる。いったい、どんな環境が彼の人格を形作ったのか、陽人は気になった。
「あの子はね、孤独な子なのよ」
リャナンシーが陽人の胸の内を見透かしたように言った。
「あの子は昔から、周りに天才天才って持ち上げられて、実際その通りだった。小学生のときには、大人でも政臣に勝てる人は、おなじ『純血十家』の当主くらいだったの。でも……強すぎたのね。そのうち、みんな怖がってあの子に近寄らなくなった。
政臣が五歳の時、母親が病死した。よく懐いてたから、ショックだったみたいだわ。でも、まだ五歳なのに、起こったことを怖いくらいに理解してた。なのに人前じゃ涙一つ見せなかったの。だから余計に気味悪がられてた。本当は誰よりも情に深い、やさしい子なのよ、政臣は」
リャナンシーは一度言葉を切る。その目は、陽人を見ていない。当時のことに思いを馳せているかのようだった。
「私が政臣と〝契約〟したのは、あの子が十歳の時、それ以来、私が母親の代わりをしているの。こう言うと、『君じゃ母の代わりにはならない』って言うんだけどね」
からかうように笑って、でも、と今度は一転して低い声でこう言った。
「政臣はね、やると言ったら必ずやる子よ。いままでも、有言実行を貫き通してきた。だから、蘆屋のお嬢さんのことは、もう諦めなさい」
「それは……警告ですか?」
「どうかしらね。ねえ、どうして私が〝顕現〟しているか分かる?」
『四鬼神』は普段は『妖叨』としての姿でこの世に存在しており、本来の姿に戻ることを〝顕現〟という。〝顕現〟するときは、『献血師』から霊力を吸うときのみに限られる。ムラマサのように、霊力が高すぎて長時間『妖叨』のままでいられないという例外もあるが、リャナンシーもその類なのか? たしかに、リャナンシーは強大な力を持つ『四鬼神』として知られているが……。
質問の意図が分からず、陽人は怪訝な顔になる。
しかし、これは返答を求めての言葉ではないようだった。リャナンシーは続ける。
「あの子はね。霊力が強すぎるの。だから、頻繁に〝顕現〟して霊力を多く吸わなきゃいけない。じゃなきゃ、制御できないくらいに力が膨れ上がる。そのくらい、あの子の能力は高いの。昨日の夜、政臣がはやく帰りたがったのは、私に霊力を吸わせるためよ」
「そんなこと、一言も……」
「当然よ。人に弱みを見せるほど殊勝じゃないもの」
リャナンシーはポツリと言い、
「あなたじゃ政臣には勝てない。ま、それ以前に決闘自体受けないでしょうけど。あなただって、それは分かってるでしょ?」
「そうですね……」
陽人はうつむきがちにそう言って、しかしつぎの瞬間にはリャナンシーをまっすぐに見据えた。
「でも、このまま引き下がるわけにはいきません」
「……そう」
リャナンシーはちょっと目を伏せたが、特段残念でもなさそうだった。
「じゃあ、仕方ないわね。話せてよかったわ。また会いましょう、山背くん」
「待ってください」
歩き出したリャナンシーの背中に、陽人が疑問を投げかけた。
「あなたは納得してるんですか? このままじゃ、政臣君も死んでしまうんですよ? それでもいいんですか?」
すぐに答えは返らなかった。十秒近くたってから、ようやくリャナンシーは振りかえる。
「いいもなにもないわ。私はあの子と契約してる『四鬼神』だもの。血を貰ってる以上、力は貸さないとね」
それだけ言って、軽く手をふると、ふたたび背をむける。そうして一度も振り返ることなく、陽人の視界から消えた。
しかし、陽人はリャナンシーの言葉を信じることはできなかった。リャナンシーにとって、政臣は子供と似た存在に違いない。その政臣が死ぬことを選択して、たとえ尊重しようとしても、ほかに道があるならそれを選ぶはずだ。
自分勝手な思い込みかもしれないが、陽人は確信に近い感情を持っていた。さっき振りかえったときのリャナンシーは、五年前、父親が死んだ際、『献血師』を続けると言った陽人に母がむけた目とおなじだった。尊重したいが、できることならやめてほしい。彼女の目はそう訴えていた。
そしてそれは、陽人もおなじだ。深陰が死ぬなんて、そんなことは絶対に嫌だ。なんとしても、阻止しなければ。
たとえ、だれを敵に回すことになったとしても。




