傘ザクラへようこそ
いつしか商店街は終わりを告げ、人気の少ない通りに差し掛かった。
通りのど真ん中には、迂回を勧めるように、立派な松が聳え立ち道を塞いでいる。
しかしヨミトは慣れた具合で松と塀の間を通り抜け、さらに奥へ進んで行く。
すぐ右手側には、商店街に立ち並んでいた店構えと、また違う系統に異彩を放つ一軒の建物。
『商店ドグラ』。木製の看板にそう彫られていた。
煉瓦造りの赤茶色の壁と、夕日に反射する花柄のステンドグラスが、ここだけ異国情緒漂う店構えにしている。
そこを通り過ぎると、正面は行き止まりなのだが、左手側には隠されたように、人一人しか通れない幅の階段が上に伸びていた。
それは三階建てらしきドグラの屋根と同じ高さで途切れ、先には緩やかな登り坂が続く。
道なりに真っ直ぐ進むと、玄関口に大きく『傘』と書かれた暖簾が目印の、民家が現れた。
中から漏れ出す光は、すっかり薄暗くなった周辺に輪郭を与えている。
「ここが傘ザクラさ。良い隠れ家だろう」
商店街の喧騒から外れた辺鄙な場所に建っているおかげで、居心地の良い静けさに包まれる。
しかし建物は勿論、その周辺にも手が行き届いており、雑草ひとつ生えていない。
誰かの手により、こまめに管理されているのが伺えた。
「そうだな。……ところで、俺は何をすればいいんだ?」
「うーん、待機」
「え、待機?」
「別に監禁が目的じゃないけど、くれぐれも大人しくね」
「そんな、いつまで」
「準備があるからね。そのうち迎えに来るからさ〜」
そう告げ、ヨミトはづかづかと中へ入ってしまう。
暖簾の隙間からは、控えめな灯り揺らめく、広い玄関が見えた。
「おーい、誰かいるかい? ほらユメビシも、早くおいで。大丈夫。ここは一番安全だから」
『……いらっしゃい』
敷居を跨いだ瞬間、すぐ真上から、深みのある落ち着いた声音でそう囁かれた。
女性の声だったが、見上げても当然ながら誰もいない。
――ん?
そんな俺の様子を見かねたヨミトが補足を入れる。
「彼女、恥ずかしがり屋だからね。きっと、そのうち姿を見せてくれるさ」
「そうなのか? ありがとう、お邪魔します」
具体的にどこを見ればいいか分からないので、ひとまず適当な上空に向かって挨拶する。
『……わぁ……ヨミト……この子、とっても、良い子だわ……』
消え入るような声と入れ替わりに、正面の階段から、ドッドッドと慌ただしく駆け下りる音が響く。
――足元から順に姿を現したのは、白い割烹着……が大変よく似合う、青年だった。
「はいはい、お待たせー。早かったねヨミトさん。もしかして彼が噂の?」
「そそ、だから面倒見てやって。あとね彼、現代の生活に慣れてないから。大きな赤子か、若い老人が来たと思ってくれたまえ」
「そなの? りょーかい」
「それじゃ良い子にしてるんだよユメビシ。無茶はしないこと」
それじゃ、と。
呆気に取られる俺を放置し、ヨミトは音も無く、外の闇に溶けて見えなくなった。
「とりあえず、上がりなよユメビシ。俺はアリマ。短い間かもだけど、よろしくな」
「は、はい。お世話になります……アリマさん」
「くすぐったいから『さん』なんていいよ。歳同じくらいだろ? あんまり気負わなくていいからな」
片手が差し出され、握手を求められていると分かっていても、他人に手を触らせるのは抵抗があった。
しかし俺が戸惑っているのを察したのか、アリマは嫌な顔せずその手を引っ込めてくれた。
「……すみません」
「いんや? ……あのな、それより」
彼は急に声を潜めながら、正面の廊下の先を指差した。
視線を追うと、二つめの扉の影から、何かが揺れている。
……差し詰め、頭隠して尻隠さずならぬ、頭隠して髪の毛隠さずか。
一つに結えた髪の毛が、途中についた飾りの重さで振り子の様に、ゆらゆら見え隠れしているのだ。
その臙脂色の髪と、丸い飾りには見覚えがある。
「トキノコ……だよな?」
名を口にすると、トキノコはひょっこり顔を出した。
……鬼の様な形相で、俺を睨みつけながら。
「トキちゃん、ユメビシ来たよー。こっちおいで」
大層ご立腹らしい彼女は、無言でアリマの後ろに駆け寄り、彼を盾代わりにすっぽりと隠れてしまった。
束の間、気まずい沈黙が流れる。
(この状況は一体……?)
(トキちゃんさ、ずっと心配してたんだよ。ユメビシのこと)
困惑する俺に、アリマがそっと耳打ちする。
――そうか。あの崖で別れたきりだったのだ。
お互いの安否は、ヨミトづてに知らされていた……筈だよな?
しかし落下時に垣間見た、彼女の悲痛な叫びと表情が脳裏に蘇る。
「トキノコ、その……心配かけてすまなかったよ。怪我はなかったか?」
恐る恐る尋ねると、短く、息を吸い込む音がした。
「……私、怒ってるんだから!」
やっと顔を上げた彼女は、瞳と声を振るわせ、そう訴えた。
「このお馬鹿っ! 結果的に上手くいったけど、あんなやり方……好きじゃない」
「ごめんな」
「無茶なことを続けると、癖になるんだから。その末路に傷つくのは、ユメビシだけじゃないこと……忘れないで」
「肝に銘じるよ。……だから泣かないでくれ」
片膝をつき、彼女と視線を合わせる。
トキノコの目元を濡らす雫を拭えば、私の方がお姉さんなのに! と文句を言いながらも笑顔を見せてくれた。
アリマはといえば、先ほどから菩薩のような、慈愛に満ちた表情で見守ってくれている。
「……もうお説教は終わり! 例の子ね、気絶しちゃったけど生きてるよ」
「え、気絶?」
「起きたらその元気な姿を見せてあげて。安心すると思うから」
「そうそう、その子も今ここにいるんだよ。客室で寝かせて……」
――ガッシャン!!
――きゃっ!
何かが割れる音に続き、短い悲鳴。
それが玄関の左手側に伸びる、廊下の先から聞こえた。




