門番
「ほらほら、頑張れ〜」
頭上から降り注ぐ、忌々しい声援。
銀の髪をなびかせ、手をひらひらと振る陽気な人物によるものだ。
坊さんが着る袈裟の様なものに、革靴というふざけた装いが、遠目でも際立つ。
あのいけ好かない男が待つ頂上を目指し、必死に足の上下運動を繰り返す。
……身体が、異常に重い。
それは、背に荷でも積んでいるのか、と錯覚するほど。
階段の中央には、申し訳程度の縄と釘で作られた簡易な手すりもどきがある。
耐久性に問題がありそうなこれを頼りに、やっとの思いでヨミトが待つ地点まで登り切った。
「やあやあ、ご苦労さま。随分のんびりしてたね」
「……嫌味を、言わないでくれ……手が出そうになる」
「あはは、素直なんだから。少し休憩する?」
言われずとも、そう答えるより先に、糸が切れた人形のようにその場へ倒れ込んでしまう。
肩で息をしながら抗議の視線を斜め上へ向けてみれば……ニコニコと軽快に体操なんかしてる男が一名。
――同じ場所を通ったはずなのに、おかしい。
こんな露骨に、疲労の差が現れるものだろうか?
階段自体さほど段数があったわけでも、急勾配だったわけでもない。
しかし、一段上がるごとに、体が鉛のように重くなっていき、ヨミトとも距離がどんどん開いた。
俺の体力が著しく落ちているだけならまだいい。
――まさか、何かしらカラクリがあるのでは。
ようやく視線に気づいたらしい。
こちらの意図を汲み取ったのか、或いはおちょくってるのか。
何故か目線を合わせた状態で俺の頭上に手を置き、左右へ動かし始める。
それはまるで、子供をあやすような仕草だった。
「いや、は?」
「ほら、褒めて欲しいんだろ?」
「どうしてそうなる」
反論しながら手を振り払えば、奴は少し寂しそうに目尻を下げた。
……本当に、何を考えてるか読めない男だ。
「おやおや、違うの? それじゃここまで登ったご褒美ってことでさ。後ろ見てごらんよ」
「急になんだ」
「なかなかの絶景だから、ね?」
「…………ぜっっったい、突き落とすなよ」
「しないしない」
案の定、前科があるとは思えないほど軽い口調。
一切信頼なんぞ置いてないので、ヨミトの両手首を無言で掴み、拘束の形をとった。
不気味なことに、嬉しそうな表情を浮かべてる事には触れず、ゆっくり慎重に振り返る。
「……これは、」
元から出ていた霧が更に濃くなったのか、本来あるはずの木々や海岸が、白く曖昧な世界に飲み込まれていた。
たった今、苦労して登ってきた階段すらも途中で途切れている。
絶景というには、何も見えないのが本音だ。
しかし別の表現をするならば。そう、まるで……
「雲の上にでも来たみたいだな」
「ははっ、それはロマンチックでいいね」
「浪漫?」
「うん、でも島に住んでいる大抵の者は、この景色を知らないんだ。立ち入り禁止区域だからね、基本的には」
「神域ってやつか」
「まあね。とは言っても漁を行える海岸も別にあるんだ。ここはあくまで『祭り』がある時のみ解放される、特別な出入り口さ」
「祭り?」
「それも今度説明するけど……おや? ソウヒじゃないか」
ヨミトが声をかけた方向に目をやる。
すると俺たちのすぐ側に、いつの間にか一人の少年が佇んでいた。
背は俺より少し低く、目より下を不思議な模様のついた黒い布で覆っている。
加えて、顔の左から垂れ下がる三つ編みが印象的だ。
静かさの似合うその子は何をするでもなく、俺たちを観察してる様だった。
それにソウヒと言う名……どこかで聞いたことがあるような。
――そうだ、あれは確か。
『も――っやっぱりここだった! ソウヒー、そっち行ったよ!』
喰い姫が撤退する時、トキノコが叫んでいた名だ。
「ヨミトさん……何をしておられるので? そちらの方は?」
凛とした声の中には、戸惑いにも似た間があった。
少年からすれば、知人が見ず知らずの奴に手首を鷲掴みにされてる、妙な光景を目の当たりにしているのだ。
うん、怪訝そうな表情をして然るべきだろう。
だから一刻も早く誤解を解きたい思いで、パッとヨミトの手を投げ捨てる。
「別に構わないのにー。彼はユメビシ、ご覧の通りすっかり仲良しな客人だよ。傘ザクラに通すからね」
「な、……お世話になります」
そう軽く会釈をすると、ほんの少しだけ空気が和らいだ様に感じた。
「……承知しました。姉さん達にも報告しておきます」
「うん、頼んだよ」
「ユメビシさんも、ゆっくりなさってください」
「……! ありがとうございます」
「それでは、お通り下さい」
彼はそう告げると一礼し、景色に溶けるように、どこかへ消えてしまった。
目を疑う俺をよそに、一つ大きな伸びをしたヨミトは立ち上がる。
「さて、許可も下りた事だし、そろそろ行くとしようか」
「許可?」
「ソウヒはね、ここらの門番なんだ。だから姿を現した。これでユメビシも気兼ねなく街へ入れるよ。いやぁ、さっきは大変だったね」
「……どれのことを指してるか分からない」
「今キミが必死に登ってきた石段は、ちょうど神域の末端でね。そういった場所はどうしても脆く、侵入経路に使われやすいから、門番に認知されてない部外者には負荷が掛かるようになってるんだ。けどこうして、ソウヒの許可を得たから負荷は解除されたはずさ」
半信半疑ながらも立ち上がると、羽が生えたと錯覚するくらい身体が軽い。
「本当だ……」
「ね? ほら、先へ進もう」
本当にカラクリがあった事も驚きだし、なんでもありだな……と気が遠のく感覚に鞭を打ち、再び歩き出したヨミトの背を追う。
進行方向の先には、朱色の鮮やかな鳥居が三つ。
また小道を挟んだ左右には、似たような薄暗い竹林が何処までも続いている。
「ところでユメビシさ、ソウヒにはえらく態度が違ったよね」
「は?」
「ほら! それだよ、それ!」
「いや、ここ最近出会ってすぐ襲われてばかりだったから。感動して」
「へぇー。なにそれ物騒だね」
「何故、自分は関係ないって面が出来るんだ?」
「知ってたかい? ソウヒはトキノコの弟なんだ」
――都合の悪いことは聞こえない体質なのだろうか。
「……ん? トキノコの弟?」
そう言われれば、と一つ思い当たる節があった。
ソウヒの三つ編みにも、トキノコの一つ結びにも、よく似た黄色く丸い飾りがついていたのだ。
「そうそう、あと彼女には双子の姉もいるよ。姉が一番おっかないから、気をつけることだね」
「……善処するよ」
雰囲気が全く異なる姉と弟ではあるが、二人とも割と常識人寄りだ。
そんな彼らの『おっかない』姉……まるで想像もつかないが、早々会うこともないだろう。




