【16:炎上】
ちょうど同じタイミングで、下士官にも報告が行ったらしい。
「隊長殿! 前方に煙が!」
軍曹のひとりが叫ぶようにして報告しに来た。
「ああ、見えている。小休止終わり、総員、行軍隊形に戻って待機。――アーデライド!」
努めて平静を装いながらそう応じて、レフノールはアーデライドを呼んだ。いるよ、と手を挙げて答えた冒険者の女戦士に、こっちへ、と手招きをする。
傍らでは軍曹が、大声を張り上げて兵たちをそれぞれの持ち場に就かせている。
「どう見る?」
傍に寄ってきたアーデライドたち4人に、レフノールは低い声で尋ねた。
「狼煙じゃないよね。あれはもっと色がはっきりしてるから」
「量が多すぎるかと」
ヴェロニカとコンラートが、口々に己の見立てを述べた。
「そうすると、可能性があるのは山火事か砦の火事か」
「砦でしょ」
レフノールが挙げた可能性に、素っ気ない調子でアーデライドが応じた。だよな、とレフノールが頷く。その心中は荒れに荒れていた。もっとも無事を願う相手がそこにいるはずなのだ。手袋を外し、己の手に視線を落として、また手袋を嵌める。無意識で、そして無意味な行動だった。
「大尉さん」
あれ、とヴェロニカが改めて煙の方を差す。短い会話の間に、煙の色が変化していた。不自然なほどに赤い煙が、濃い灰色の煙に混じっている。軍で定められた「緊急」を意味する狼煙の色だった。
もはや疑う余地も議論の余地もない。砦で何か重大なことが起きている。
よぎる悪い想像を頭から追い出すように首を振り、レフノールは冒険者たちに指示を出した。
「アーデライド、ヴェロニカ、ふたりとも馬で先行してくれ。偵察を頼む。なにか情報を拾ったら、戻ってきて報せるように」
「了解」
「わかった」
短く応じたふたりに、行け、とレフノールが頷く。
「大尉さん」
「どうした?」
いつもならばすぐに馬へと駆けだすはずのヴェロニカが、その場に立ち止まったまま、レフノールに声をかけた。
「大丈夫。あのおっかない曹長さんもいるから、きっと」
「ああ、そう期待してる」
レフノールが頷いて応じる。こういうときのためにこそ、レフノールはリディアにベイラムを付けた。
想定外のことが起きたとき、重大な判断を下さなければならなくなったとき。情報と経験と己の知識によって、将校は必要な決断をする。そんなとき、豊富な実戦経験を持つ下士官が支えてくれたならば、いくらかでもリディアと、そして彼女の部下にとってよい決断をすることができるだろう、と期待して。
レフノールに頷き返して、ヴェロニカは立ち去った。
※ ※ ※ ※ ※
結果として、アーデライドとヴェロニカは、しばらくの間、足止めされることになった。
砦へと出発しようとしたまさにそのとき、伝令がやってきたからだった。伝令到来の報を聞いたレフノールは、まずその伝令に水を与えさせた。
下士官と、そして下士官待遇の冒険者たちを集め、一息入れた伝令に、話せ、と促す。
「砦はラーマゴルト軍多数による襲撃を受けつつあります。小隊長――メイオール中尉は、砦を放棄される方針です。エディルまで下がり、時間を稼ぐべき、と」
よくある小競り合いではなく、隣国による大規模侵攻。そうだとすれば、対応はほぼ事前に定められている。
「砦そのものについて、中尉は何か言っていたか?」
「退却時に焼く、と。糧食も、その他の備蓄も、全て」
「中尉が退却の方針を定めたのはいつだ?」
「敵が現れた、という報があってからほぼ時を置かずにご判断を。ここでは支えきれない、囲まれる前に退却しなければ、と」
「貴官はどのような命令を受けている?」
「エディルに現況と中尉のご判断を伝え、大隊本部と第4軍団へもこのことを伝達して援軍を求めるよう、と」
「北の砦には?」
「既に伝令を出されました」
エディルから部隊を送り込んでいる砦はふたつ。これから出向こうとしていた海岸沿いと、そしてやや北、陸側に少々入った場所にもうひとつ。砦で支えきれないような敵軍が現れたのならば、それをもう片方の砦に伝達する必要がある。そして、その伝令はもう出されている。
リディアはもう、打つべき手は打っている、ということだった。
「わかった」
レフノールは、そう言って頷いた。
「貴官は貴官に与えられた任務を続行しろ。小官は砦の部隊と合流して、ともに敵軍に対応する。エディルで我々のことを訊かれたら、そう伝えてくれ」
「はっ!」
伝令が踵を合わせて敬礼した。ゆるりとした動作でレフノールも答礼する。伝令はふたたび馬に跨り、そしてそのまま走り去った。レフノールは伝令を見送らなかった。その時間を惜しんででも、すべきことがある。
「友軍の小隊を、敵が追ってきている可能性がある」
リディアが砦の放棄を即断しなければならないほどの数の敵。それだけの数を動かして、国境の砦ひとつを押さえて終わり、ということなどあるはずがない。間違いなくその先――つまりはレフノールたちが後にしてきたエディルや、更にその先、大隊本部のあるパトノス、あるいは第4軍団が本拠とするエリムスが、目的とされている。
早々に撤退したのならば、小隊の兵力は温存できているはずだった。だが、敵の勢いもそのままに維持されている。砦を焼くことで妨害をできてはいるだろうが、それとていくばくかの時間を稼いでいるに過ぎない。
これからエディルに戻るまでの間にあるいくつかの橋を落とし、更に時間を稼ぐ。それが常道だ。まさか友軍が橋の向こうにいる間に橋を落とすわけにはいかないから、リディアたちの小隊との合流は必須。そこで敵に喰い付かれたならば、時間か兵力のどちらかを、あるいはその両方を、犠牲にせざるを得なくなる。
――だとすれば、俺は今、何をすべきだ?
答えはすぐに出た。第一に、正確な状況の把握。第二に、敵の追撃の足を鈍らせる手段を講じること。
「アーデライドとヴェロニカ、君たちはメイオール中尉の小隊と合流するまで前進。あちらの正確な状況を確認してきてくれ。万が一、小隊よりも先に敵軍を確認したならば、」
何に代えても避けたい状況。絶対に想像したくない状況を想定して、それでも言葉を続けるために、レフノールはひとつ息をつかなければならなかった。
「そのときは君たちの安全を最優先に。すぐに撤収してこい」
アーデライドはレフノールを見返して、だが、余計なことは一言も口にしなかった。了解、と軍隊流の敬礼をしたふたりが、一息で馬に乗り、そして駈けさせる。街道の石畳を叩く蹄の音を聞きながら、レフノールは下士官たちとコンラート、そしてリオンに向き直った。
「敵の足止めをする必要があるが、ここでは無理だ。だから、まずは移動する。少々下がるぞ」
下士官たちの反応はふたつに分かれた。平然としている者と、不安、あるいは不満そうな態度を見せる者。後者を、レフノールは責める気になれずにいる。責めるかわりに、気安い調子で下士官たちに声をかける。
「なんだ貴官ら、輜重として戦うのは初めてか? 安心してくれ、俺は3度目だ」
ほら、と外套の胸元を親指で指し、にやりと笑った。
「慣れてるんだよ。こういうのを貰える程度にはな」
そこに、銀剣勲章の略章がある。戦闘に参加して実際に戦い、軍功を挙げ、そして生き残った証。
それを見て、下士官たちも思い出した。目の前の、少々風采の上がらない兵站将校がどのような人物であるのか。
第2軍団から昇格して大隊長に据えられた中佐が、わざわざ引き抜いてきたほどの戦功の持ち主。輜重としてはあり得ないような戦歴の実戦経験者。自らも重傷を負いながら拠点を守ったことも、味方の損害を最小限に殿軍を務めたこともある。
年嵩の軍曹が敬礼した。場の全員がそれに倣う。
「よろしい」
頷いて、レフノールが答礼する。
「命令は伝えたとおりだ。まずは少々下がる。早速かかってくれ」
歴戦の社畜、修羅場に慣れがち。
だいたい「慣れてないと乗り切れないけどこんなことに慣れたくねえ」って思ってる。




