【11:任地にて】
エリムスに滞在したのは10日ほど。初日に軍団司令部と領主のところへ顔を出し、翌日からはギルドを回った。実際のところ、レフノールは、1日に2か所のギルドを回るつもりでいた。少々話が長引いたとしても、午前1か所、午後1か所くらいは挨拶に出向き、協力を依頼することができるだろう、と。
初日、おそらくは最も重要と思われる鍛冶師のギルドに出向いた時点で、目論見は崩れた。話があらかた済んだところで、まあ少々早いが昼食でも、と誘われ、酒と料理を振る舞われ、王都の話を聞かれ、気が付けば夜になっていた。
用意したという宿と相手をするという若い女性を必死で固辞し、軍団の宿舎に戻ったのは、夜もずいぶんと遅くなってからだった。
翌日から、レフノールは方針を改めた。ギルドへ出向くのは午後。飲み食いは付き合いとして受けるが、その先はなんとしても断るべき絶対防衛線。あらかじめそのように決めてしまうと、少しは心の余裕を持ったやり取りができるようになった。
とはいえ、そのようにしていても、避けえなかった被害はある。
10日ばかりの滞在の最中、ひたすら飲み食いをしていたレフノールの腹回りは、エリムスに到着したときよりも一回り大きくなってしまっている。エリムスを発つその日、穴ひとつ分だけ止める位置がずれたベルトを見下ろして、レフノールはうなだれたのだった。
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いささか重くなったような気のする身体で、レフノールはエリムスを発った。とは言え、以前の生活に立ち帰れば、身体も徐々に元へと戻ってゆく。大隊本部を置く予定になっているパトノスに着く頃には、以前のとおりとまではいかずとも、元に戻りつつあることを実感できる程度にはなっていた。
部隊の新たな根拠地となる兵営は、パトノスの市壁の近くにあった。その中には兵たちが使う兵舎のほか、大隊本部と将校たちの宿舎が整備されている。第4軍団の分遣隊が駐留していたというその兵営そのものは、真新しいものではない。むしろ古びたものではあるが、それだけに落ち着いた佇まいがある。
営舎の中にある調度の大半は、新たに調えることになっている。おそらくこれから職人が入り、什器を据え付け、あるいは建具を整えてゆくことになるのだろう。
レフノールは当面、わずかに残されている調度を使って生活することになる。もっとも、宿舎には寝に帰るだけだ。執務室にしても、本格的に使うためには資料も書類も足りていないから、できることは限られてくる。そのような生活であるから、少々の古さは気にならない。レフノール自身にしてからが、そういったことを気にしない性質でもあった。
レフノールの今の仕事はつまるところ、混成大隊が滞りなく活動を始めるための準備、ということに尽きる。無論その主たる部分は、王都でこなしてきた仕事のように、物品の調達や人材の手配だ。だが、細々したところに目を向けるならば、調整すべきことはそれらだけではない。
領主との関係を維持し、必要ならば協力ができる体制を整えておかなければならない。
軍を裏で支える職工たちとの関係も、良好な形で保たなければならない。これは概ね、成功していると言ってよい――ギルドとの関係は大枠で良好だ。腹回りという犠牲はあったにしても。
その他にも、顔を繋いでおくべき先はある。部隊が駐留するということは、そこにその人数分の生活ができる、ということでもある。その生活は、兵営の中だけで完結するものではない。起居は兵営で行われ、訓練や食事の大半もその中で為される。それでも、非番や休暇となれば街に出る者は少なくないし、なにがしかの形で神殿に世話になる者も出ることになるだろう。
神殿にはリオンがあらかじめ出向いてくれているはずではあったが、レフノールは自身でも足を運んだ。ラーゼンの小さなそれよりも随分と大きな神殿で、幾人かの神官が仕えている。神殿を取り仕切る司祭に面会して挨拶し、世話になる旨を告げると、壮年の男性司祭は笑顔で頷いた。
「お話は伺っております。この街や近在の信徒たちが平らかに過ごすことができるのも、領主様や軍の皆様のお力あってこそ」
リオンはうまく話を通してくれたようだ、と安堵しながら、レフノールは、よろしく頼みます、と頭を下げた。
「無論です。お困りのことがあれば、遠慮なくご相談ください」
とはいえ、療兵は兵営にいるのだから、ラーゼンと違って施療院の世話になるような見込みもない。信心深い兵たちが折を見て訪れ、あるいは兵営に神官を差し向けて講話をしてもらい、死者が出たならば葬儀を仕切ってもらう、というような付き合いになるのだろう。
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神殿との付き合い方はそのような形になるが、より俗な形での街との関係もある。
レフノールは日替わりのようにいくつかの酒場に出向き、そこでいくらか飲み食いをして、店の主人と話をした。少々の心付けを渡し、もうしばらくしたら兵営に新たな部隊の兵たちが入ってくる、ということを伝え、世話になるからそのときはよろしくと言い、何か問題を起こす者があれば兵営まで連絡してほしい、と頼んだ。
歓楽街の店でも、レフノールがしたのは似たようなことだ。ただし、これも譲れない線として、断ったことはある。
「試して行かれますか?」
「悪いな、俺にはもう相手がいるんだ」
いくつかの店で同じように断りの言葉を述べながら、レフノールは思った。
――役得を受け取ろうとしない変わり者、と思われているのかもしれない。
リディア「…………」(疑いの目)




