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俺は女神の中の人  作者: 千佳のふりかけ
第一章『不具合による転生重複』
19/61

19話『蝕膳』

 ロドス帝国の最大戦力、復讐の女神アレクトラを討伐したローゼフが剣を鞘に納めると、周囲の騎士も剣を収めながら彼の元に集まる。



「敵軍の魔法使い、及び目撃が確認された敵兵は全て沈黙。この後はどうなされます? 剣聖殿」


「どうとは? 俺は目的を果たした、これ以上戦う理由は特にない」


「恐らく避難している市民が近辺に潜んでいる可能性がありますが」


「……? 近辺の敵兵はもう居ないのだろう? 市民を探してどうする、殺すのか」


「殺す」


「捕虜にするという選択肢は無いのか?」


「無いな。ロドス人の産んだ子供が我々に牙を剥く可能性がある。ロドス国民は皆殺しにせよというのが王命だ」



 報告を行った騎士とは別の騎士がローゼフの問いに答える。自分より若干若い騎士にタメ口で話されたことに僅かの引っ掛かりを覚えつつ、ローゼフは呆れのため息を吐いて言葉を返した。



「この戦争を生き残った親が子供に復讐させると思うのか? 後の世代がどれだけ徒党を組もうとキリシュア王国の兵力には到底及ばない、歯牙に掛ける価値は無いように思えるが?」


「その辺の判断を決める権利は剣聖殿には無い。貴方は自らの意思で王に戦闘参加の意思を表明し我が軍に下った。その事を踏まえた上で発言して頂きたいものだな」


「俺が表明したのはあくまで復讐を果たしたいって事だけだ。敵国民を皆殺しにしたいと言った覚えはない」


「そんな理屈が通用するとでも?」


「……お前らと争う気はない、どうしても力が必要だと言うのなら手は貸す。が、残った敵戦力を潰すのに俺の力は必要ないだろう。お前らは強い、帝国の雑兵が束になっても数人で対処出来るだろうさ」


「我らとて深手を負った味方は少なくない。一人の助力でも心強いのだ」


「……」



 騎士の主張に思う所がありながらも、アレクトラとの戦闘で散々言葉を吐き連ねた彼に言い返す余力はなかった。


 深手を負ったという話なら、とローゼフは自らの失われた左腕を見る。


 アレクトラの使用する『異状骨子(グラトニクス)』という、変異させた骨を用いる攻撃には術者である本人も知り得ない前触れが存在した。それは"異音"だ。


 骨が表出する直前、アレクトラの体内からは蟲が蠢くような奇妙な音が鳴り出す。ローゼフはそれを頼りに攻撃を察知し回避していた。常人離れした聴覚を持つ彼だからこそ出来た芸当だ。


 そのようにして巧く立ち回れたからこそ、アレクトラの放った不意打ちが斧を振り下ろすのではなくもし骨での攻撃であったのなら。彼はきっと左腕を失わずここまでの深手を負うこともなかっただろう。


 ゴロツキが使うような騙し討ちで危うく殺されかけたという、剣聖の名に有るまじき失態を思い出しローゼフは歯噛みする。



 相手は想定以上に人心の把握に長けていた。自分はアレクトラの事を何も理解出来ていないのに、こちら側の思考を一方的に読まれていたと感じたローゼフは呆気のない幕引きに腑に落ちない思いを抱く。


 もっと真面目に戦っていれば、自分は更に追い詰められていた。しかし悪魔は途中で戦いを投げ出し、自らの命を差し出すことで勝手にこちら側の復讐を終わらせた。


 数々の死線を乗り越えてきた彼は声に出さずに不満を漏らす。何故、奴は生きるのを諦めた? 何故、怒りを覚えておきながら戦うのを放棄した?


 アレクトラに対する疑問により憎悪とは違った激情が彼の心を支配する。そこまでアレクトラに対し強い執念を抱くのは、愛していた女を殺されたからという理由だけで説明できるものでは無かった。



 彼は『剣聖』という肩書きを持ち、戦闘を行う都合の良い兵器としてキリシュア王国に利用されている。奇しくもそれは、ロドス帝国内におけるアレクトラの立場と全く同じであった。


 強敵を倒した今のローゼフの心境は、前回の戦闘で彼を倒した十三年前のアレクトラと全く同じであった。


 親しく言葉を交わしたことは無い。しかし彼は強者の孤独という共通点からアレクトラと同じ思いを胸に抱いていた。

 今の彼には戦いに勝利したという実感はなく、ただただ鬱屈とした思いが頭の中を巡り続けている。



「はあ」



 気分が沈むのを隠す気もなくため息を吐き、ローゼフは修道院の方へと歩を進める。



「……?」



 常人には聴こえない僅かな"異音"が、ローゼフの鼓膜を揺らす。その音は、因縁の敵が鳴らす"体内で蟲が蠢くような不快な音"に酷似していた。



「……ふふっ。らんらら、らんらん。ふふふっ」



 男しか居ない空間に鈴のような美しい音色の声が響き渡る。その場に居た全員が声のした方を見ると、先程まで首のない状態で地面に横たわっていた裸の少女が、頭部を取り戻した状態で地面に座り鼻歌を口ずさんでいた。



「……まだ、蘇生できるというのか」



 今しがた殺害したはずの、肉体から熱が完全に消失したはずの少女を睨みながらローゼフが言葉をかける。しかし少女は彼の言葉に何も応えず、頭をゆったりと揺らしながら鼻歌を口ずさみ続けている。


 赤い髪が揺れ、青白い肌が見え隠れする。その綺麗な鼻歌の音色に騎士達は魅了され、動きを止めて少女の声に耳を傾ける。



(……瞳の色が違う? 奴の瞳は黒かったはずだが、紫に変色している。魔力性質が変化したのか? 腕と首にあった刻印も消えている、何かしらの制約が解除されたと見てもいいな。得体の知れない気配を感じる、距離を取って様子を見るか)



 唯一警戒心を解かずに剣を抜いたローゼフが、彼女の容姿の変化に気付き少しずつ後退する。


 ローゼフの体が木の影に隠れた辺りで、少女は鼻歌を辞める。



「……」



 少女が立ち上がり、造形美に優れた一糸まとわぬ裸体を惜しげもなく晒しながら天を仰ぎ見る。


 その場に居た全員が少女の姿に目を奪われる。戦争の只中であるというのに、その美しすぎる少女の姿に呼吸すら忘れて見蕩れてしまう。


 距離を取ったローゼフだけが少女の魅力から意識を外すことができた。

 他の騎士達は全員、月明かりに照らされた白い肢体と、ワインのような深い彩りの髪から覗く瞳が見上げる空に興味を示し、少女と同じように空を見上げる。


 空には欠けた月が浮かんでいた。他の星々が気にならないほどの彩度を放つ月が、騎士達の視線を釘付けにする。



「おなかすいた」



 穏やかな口調で少女が言う。その光景の異様さに気付けるのはローゼフただ一人しかいなかった。


 月明かりが地上を照らしているのに、騎士達の足元に欠けた月のシルエットをそのまま写し取ったかのような影が出来るはずがない。1時間も経っていないのに、影が生き物のように不自然に移動するわけもない。


 何もかもが異常で、直感的に攻撃の意図を感じ取ったローゼフは視線を上げて騎士達に『逃げろ!』と叫ぼうとした。


 誰も足元など見ていなかった。もう既に手遅れだということに気付けたものは、ローゼフを含めて一人たりとも存在しなかった。



欠月の孔(エレクトラ)



 少女の口から、彼女の"最初の名"が呟かれる。その瞬間、月の影に沿うようにして騎士達の身体が音もなく消失した。



「なっ!?」



 月の影に重なっていなかった物質だけが地面に落下する。一瞬で自分を囲う騎士全員を殺害した少女は、空の月を見上げたままモゴモゴと口元を動かし始めた。



「人を、喰ったのか!? あの一瞬で!? くっ……!」



 地上に浮かんでいた欠けた月のシルエットの影はもう消えている。不可視の攻撃は飛んでこないだろうと決め込みローゼフは地を蹴って剣を振り上げる。



淀れ(ノア)



 少女が単語を呟きローゼフの剣を素手で受け止める。

 空間にそのまま固定されたかのようにピタッと動きを止めた剣に力を込めると、剣はその場で粒子状に崩壊しサラサラと風に飛ばされて消えてしまった。



劣性形而(ルアハ)


「ッ!?」



 彼が蹴りを繰り出すより先に少女が短く単語を呟く。少女が口を開けると口内から光の杭が飛び出し、ローゼフの肉体を貫いて木に突き刺さった。


 ローゼフは光の杭ごと木に磔にされる。完全に魔力が肉体を貫通しているが外傷は受けていない。その珍しい特性に着眼したローゼフが答えに至る。



「光魔法、か!? 何故アイツがっ!?」



 光魔法。魔力を用いない特殊な魔法系統であり、その使用者はキリシュア王国上層の修道騎士かアスバド法国と呼ばれる国の人間しか居ない。


 キリシュア王家、もしくは法王と呼ばれる人物に認められた者しか扱えない魔法であり、認定者の許可を得て契約を結ばなくては術自体が発動しない仕組みになっているため国を抜けた人間や、国の監視下に置かれていない人間は術式を保有していても発動できないようになっている。


 敵対している少女はキリシュア王家とも法王とも繋がりを持たないロドス帝国側の人間であり、その在り方からして魔法発動を妨げる『聖霊拘束(ベリト・ヨド)』という制約を解除できるとも思えない。しかし己が食らった魔法は間違いなく光魔法であり、この魔法は先程まで自分と話していた騎士が使っていたものだ。



「ッ! 喰った相手の能力を使えるのか!」



 様々な条件から答えを導き出したローゼフに対し、少女は何もしなかった。


 思考しながら隙を見て攻撃しよう。そう考えていたローゼフは、微塵も動き出そうとしない少女を見て舌打ちをし自身を磔にしていた木を蹴り壊した。



「足元の剣を見て警戒したか。利口だな。……さっきはわざと俺に首を斬らせていたが、いきなりどうした? あんなにも大勢の人間を一気に貪り食らうとは。食事のマナーを教わらなかったのか?」



 足の裏に隠していた剣を蹴り上げて掴み取り、少女に切っ先を向けながら話す。少女は薄らんだ微笑みを貼り付けながらローゼフの方に体を向ける。



(……最低限の恥じらいも持たないのか、この娘は)



 緊迫した空気感でありながらも、流石に全裸で胸や股を隠そうともせずに立っている少女に対し若干の気まずさを感じる。


 子どもとはいえ女性だ、大事な所を隠してくれないと目のやりどころに困る。無駄な事に脳を割きそうになるのを咳払いで止め、ローゼフは再び言葉を投げる。



「なにを黙っている。……気味の悪い笑みを浮かべるな、化け物。人を喰って魔力でも回復したか? どれだけ魔力を得ようがお前は俺には勝てない」


「……復讐。ふふっ」


「なんだ? なんて言った」



 最低限笑顔だと分かる程度に表情を作っていた少女が、口の端を吊り上げ目元を蕩けさせる。一瞬恋する乙女のような顔を見せた後、更に表情を歪めて愉悦に浸るような顔をした少女が胸の前で手を組んで口を開く。



「復讐、復讐。きゃははっ、わたしのことが憎い? 殺したい? 愛する人を何の感情もなく死骸にしたわたしのこの首を切り落としたい? きひひっ、いひっ、きゃっはははははははは!!」



 明らかな挑発を行った少女に呼吸を整え終えたローゼフが言葉なく肉薄する。少女は彼の目を見て更に面白おかしそうな笑顔を作りながら声を発する。



重奏凌積(エフォド)


「ッ!!」



 渾身の力で少女の首に刃を当てる。しかし、またしても剣の刃は少女の肉どころか皮膚にすら傷をつけることが出来なかった。


 単純に魔力で防御力を上げたのならば、というか硬度の高い物質を力いっぱいに叩きつければ反動を受けるはずだ。しかしその反動すらなく、勢いよくぶつけたはずの刃はそのまま彼女の皮膚に吸い付くように接触する。



追従残滓(ザハール)



 自らの体に伸ばされた少女の手に触れないようにローゼフは後退する。


 攻撃を躱された少女はそのまま両手を地面につける。すると、少女が触れた地面から様々な足音や車輪の音、人々の声が鳴り響き始めた。



『アルさんの所の店が営業再開するらしいぞ! どうやらまたあのちっこいクラーケンを手に入れたらしい、食いに行こうぜ!』


『あ、おねえちゃんずるい! ぼくにも分けてよそのクッキー!』


『エリカさん、今度結婚するんですって。ずっと片思いしてたんだものね、なんだか自分の事のように嬉しくなっちゃう!』


『てめぇが前を見てなかったせいでツレが怪我しちまったじゃねぇかよ。どうしてくれんだ兄ちゃん、おぉん? ちょっと裏で話そうや』


『コラ! ウェイン! 前を見ずに走るな! あっ、ほら言わんこっちゃない。膝、見せてみなさい』


『にゃー! あちしは獣人であって猫じゃにゃいのにゃ! 猫じゃらしやめろー!』


『やべっ、飲みすぎた。ごめんちょい肩貸して……』


『ほ、ほ、本物の人魚とのハーフ!? えっ、凄くないかそれは!? 下半身魚なのにどうやって性交しっ、いやごめん今のは駄目ですよね。ごめんなさい、木剣で叩くのはヤメテッ!』


『この木も随分大きくなったな。君と出会った頃はあんなに小さくて細かったのに』


『俺は思うわけですよ騎兵長。相手は魔物だからっつーので処理するようにバッサバッサ斬り殺すのはどうなのかって。だって女性型の魔物って大体胸がまろび出てるでしょ? 殺すより鑑賞してたいじゃないですか、ハーピーとか』


『なんで俺にばっか怒るんだよー! ソニアってやっぱ俺の事嫌いなん!? ……え? 違う? 照れ隠し?』



 様々な声が地面を通し空間に響き渡る。それらを耳にした途端、少女は我が子を愛するような優しく慈愛に満ちた表情を浮かべた。



「ここで生活をしていた人々の声だよ。この土地の、幸せだった頃の記憶。時々変な事を言っている人もいるけれど……愛おしいね」


「……やめろ。こんなものを聴かせるな」


「どうして?」


「いいからやめろ。……まだこんな手札を隠していたのか。無駄だぞ化け物、俺にそのような精神攻撃は通用しない」


「小さな子が友だちとかけっこしてるね。大人のひとに怒られちゃった。おじいちゃんの声も聞こえる。愛する人とお散歩してるみたい。ふふふっ、とっても楽しそうな声。この通りは沢山の人で賑わっていたんだねぇ」



 言葉を続ける少女に苛立ちローゼフが攻撃を仕掛ける。が、彼が少女の目の前まで来た瞬間、地面から鳴り響いていた人々の楽しそうな声が急変する。



『逃げろ! 逃げろーっ! キリシュアが攻めてきたぞー!!!』


『おかあさん、どこぉ……こわいよ、いたいよぉ』


『どうして、なんでこうなるの……私たちが何をしたってのよ!!?』


『け、憲兵がっ! 俺みてぇなゴロツキにでかい顔をしてたてめぇらが泣き言ほざいてんじゃねえよ! 立て! 泣いてるガキが居んのに戦うのを諦めッ、ゴフッ!? クソッ、タレ……ッ』


『修道院まで走れ! 儂の結界でなんとか食い止める! ……くっ、後ろを振り返るな!!! 走れ!!!』


『い、いだいっ、いだいにゃっ! なんで……っ、騎士様は、あちし達獣人に生きる権利をくれたのに……どうしてぇっ!!!』


『あ、あんたらの言うことはなんでも聞く! だから見逃してくれよ! 頼ッ』


『あはは、あははははっ。腹に穴開いちゃった。どうしようこれ、内臓勝手に出てくる。……俺、死ぬの?』


『早く殺してくれ。妻のいない世界に、希望なんてあるはずがない』


『だーもうっ!! 俺一人で持ち堪えるとかっ、げぇ!? アレクトラじゃん!? なんでお前外に出てんの!? 修道院? あっちよあっち! はよ行ってこい! ここは俺が何とかするからよ!!』


『なんで……俺なんかを庇うんだよ。俺の事、嫌ってるんじゃなかったのかよッ! ……すみません、兵士さん。剣、借ります。……はぁっ、はぁっ! 何が剣聖だよ! 殺してやる、殺してやるっ!!!』



 人々の叫び声。肉が切れ、骨を砕かれ、命乞いをし、怒り、憎しみ、立ち向かう声。燃やされる人の声、蹴散らされる人の声。様々な声が空間に響き渡りひび割れていた地面に更に亀裂が入る。



「普段は心優しい人も知らない誰かを身代わりにして逃げようとする。普段は粗暴な人も知らない誰かを守り戦おうとする。泣く子ども、立ち上がる子ども。戦う大人、逃げ惑う大人。みんなそれぞれに善い心があって悪い心がある。それなのに、人間は敵と見なした相手を徹底的に排除しようとする」


「やめ、ろ」


「どうしてあなたは手を止めるの? わたしが憎いのでしょう? 愛した人をわたしに殺されたのでしょう? あなたが殺したあの青年のように、愛した少女をあなたの剣で刺し貫かれ怒りに狂ったあの青年のように。あなたもわたしに刃を向ければいいでしょ? さっきまでそうしてたじゃない」


「やめてくれ」


「ニコル・クラウスはあなたが稽古をつけた兵士に殺された。ネイ・ユトゥプはあなたと語らった兵士に燃やされた。アナスタシア・ヒューはあなたと共に進軍する騎士達に踏み潰され死んだ。オルテガ・デァロイは泣いてる子どもを助けようとしてあなたの呼んだ兵士に刺殺された。ダゴナ・トットはあなたが斬った。獣人のミーニャはあなた達を恨みながら頭蓋を砕かれた。セロ・アルテーラはあなたの居る場で命乞いをするも斬首された。リディ・グゥはあなたの目の前で臓腑を溢し力尽きた。エリック・フロイドはそこで死んでいる人。マース・アーティミシアもあなたが殺した。レオン・バルカンはソニア・フォルマと一緒にあなたが殺した」


「や、やめ、ろ、だまれ、黙れっ!」


「覚えてあげてね。みーんな、あなたのせいで死んでしまった人たちだから」


「やめろおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!」



 少女が人の名前を口にする度、ローゼフの脳裏に己が殺めた犠牲者達の最期の顔が浮かんでくる。いくら戦いに慣れた戦士でも、その断末魔を耳元で聞かされ名前を教えられ彼らの"日常の営み"を知らされたら罪悪感を無視することなど出来ない。


 少女の持つ『追従残滓(ザハール)』という能力は、十三年前にローゼフに使った"古傷を開く"という効果以外にも"その空間の記憶を周囲の人間に見せつけ、強制的に感情移入させる"という効果も有していた。


 如何に精神干渉系の能力に警戒していても、この能力は被術者の精神そのものを犠牲者達の物に上書きするという効果があるため抵抗する術などない。そもそも魔法ではなく呪いの類、更に言えば精神を蝕む病のようなので、気の持ちようでどうにかなるものでは無い。


 犠牲者の感情を全て押し付けられた上でその行いを責め立てられれば折れない人間などいない。仮にいるとするなら、それは先天的に感情が存在しない者に違いない。


 どんな性格をしていようと、どれだけ他人に無関心であろうと、人間であろうとなかろうと、"何かを思う"という経験が一度でもあった時点で確定で心が折れる。そんな能力を受けたのだ。


 この能力を受けて発狂せず、嘔吐すらしないローゼフは十分人間として破綻していた。戦士として完成していた。


 涙を流し歯が欠けるほどに強く噛み締めるローゼフを眺め、少女がうっとりした表情を浮かべた。


 快楽と愉悦に身を委ねて夢心地で頬を赤らめる少女は、激しく指を痙攣させるローゼフの目の前でしゃがみこみ彼の両頬に手を触れた。



「あなたがキリシュアに手を貸したのって、亜人に人権を与えるためだったんでしょ? あなたの仲間、たっくさん亜人を殺してたよ?」


「やめろおおぉっ!!!」


「あなた、子どもの頃に魔獣に襲われたことあったんだってね。その時あなたを助けてくれたおじいちゃん、そこの木の根元で顔が半分こになって死んじゃってるよ。あなたが殺したんだよね?」


「ッ!? ああああぁぁぁぁっ!!!!? がああぁぁっ!!!!」



 手で触れることでローゼフの記憶を覗き込んだ少女は、老兵と剣士の奇跡的な繋がりに気付いてウキウキでそれを本人に伝える。


 老兵に保護され、ロドス帝国の郷土料理を振る舞われ、剣の振り方を教えてもらった記憶がローゼフの脳に食い込む。


 今度こそ彼はその場で嘔吐し、それを間近でニヤついた顔で少女が見る。



「ねえねえねえ。最期にあのおじいちゃんはなんて言ってたの? ロイ・アステリアさんはなんて言ってあなたに殺されたの? きゃははははっ! あなたの口から聴きたい、聴かせて! ねえ聴かせて!」


「い、嫌だっ、もうやめっ」


「大きくなったな、だよねぇ! きゃっははははははははははははっ! ぶふっ! くくくっ、げひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!!! おっかしぃ〜っ! ぎひひひひひひっにゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!!!」



 ゲラゲラと、まさしく悪魔のように少女は下品な笑い声をあげる。大口を開き、心の底から愉快そうな醜い顔で腹を抱えながら笑い転げる。


 記憶を勝手に覗かれ、見たくない光景を無理やり頭の中に流し込まれたローゼフは獣のような叫び声をあげる。それを見てまた少女が笑いころげる。足をバタバタと動かしながら、頭を抑えて子供のように丸くなりながら叫ぶ剣聖を嗤う。



「きゃははっ、ふふっ。やっぱり愛いなあ、かっこいいなぁ人間って! 悪いだけの人なんてこの世に一人たりともいないのに! みーんな、世界を探せば殺されても仕方ないような悪だけの人間がいるって信じてる! 誰にも愛されず、一度も誰かに優しくしたこともなく、居るだけで害しか成さない人間が一人くらいは居るんだって信じて疑わないんだもんねっ! というか赤の他人の死とかどうでもいいって決め込んでる人ばかり! なのに殺された人たちの"そんなに悪くもないところ"を見ただけで同情をっ、哀悼を、弔意を憐憫を愛惜を未練を悲観を悲嘆を銷魂を絶望を失望を不安を恐怖を後悔を悔恨を自責を慚愧を悲壮感を罪悪感を抱くなんて! なんて優しいんだろう! なんて一貫性のない生き物なんだろうっ!」



 子供のように泣く剣聖から手を離した少女は軽やかな動きで踊るように後退すると、先程手をついた地面の上に立った。



「でも実際問題、本当にこの世界に一人たりとも殺されても仕方ないような人がいなかったとしたら。誰からも愛された事がない悪人なんていう、有り得ようのない妄想の産物が現実に居なかったとしたら。それって人間にとっては都合の悪い事なんだよね。知らない方が良かった残酷で救いのない真実だよね。平和ボケした世界で健全に生きるにしても、精神衛生上悪い所しか持ち合わせてない人間の存在は必要不可欠だ。だからわたしは、その役割を担わされる在り来りな人殺しさんや自己中さんや白痴さんや狂人さんや不細工さんや変態さんや嘘つきさんや忌み子さんや疫病神さんや何者にもなれなかった人さんの代わりに、彼らの事を大切に思う数えるのも億劫になるくらい沢山の人々を悲しませない為に。史上初の"全人類共通の敵"になろうとしたんだ。失敗しちゃったけどね」



 もはや聞いているのかすら分からない剣聖に優しい口調で長々と言い聞かせながら、少女は膝を曲げて再び地面に触れる。



「聞く人によってはそんなの、人類を滅ぼそうとした凶行の言い訳だろって思うのかもしれないね。うん、それを鵜呑みにしてくれたらわたしに益があるから当然言い訳。でも嘘は一つも吐いてないし本心からの言葉だからちゃんとした理由の説明でもある。どんな理由があったとしても虐殺なんてしちゃダメだろって意見には、あなただって産まれたことがあるんだから確実に億単位の微生物を虐殺した凄惨な殺戮記録を持ってるじゃんって言ってお茶を濁すとして。責任転嫁と取るかどうかはあなたがわたしに苛つくかどうか次第かな。どう? どっちに捉える?」



 長々と意味の分からない話を勝手にし続けていた少女が急にローゼフに意見を求める。彼は突然意識を向けられた事に驚き身を震わせつつ「……聞いてなかった」とだけ答えた。



「あははっ。昔っから長話が好きで、人をいらいらさせてばっかだったからなぁ。そのせいで変なあだ名をつけられちゃったのかな? なーんて。いいよー長話好きの自分語り大好きになると、自然と馬鹿扱いされて警戒されなくなるからね! わたしの言葉に耳を貸さなくなる。人ってね、耳を貸したくない相手には意識すら向けたくなくなる生き物なの。無意識のうちに無視したい相手のことを本当に認識できなくなっていくんだ。だからね? たとえばわたしがおなかがすいたとして、誰かをその場で食べたとしても悲鳴さえ出させなければ注目されないんだ! これねっ、本当にやってきた実体験だから自信を持って言えるよ! 嫌いな人がいたらその周りの人に沢山沢山意味のわからない話をしてみるといいよ! 段々とあなたは透明人間になっていくから。透明人間になったらあとはやりたい放題。いじめるもいいし殺すもいい、それはとっても善い行いだ! ふふふっ、お話をするのが苦手でも、心にもない事と心の底から思った事を順番を考えずに口にすればいいだけだから。やってみる? わたしにやってみてよ! ねねねっ、わたしにフレ、フレ……フレンチトーストちゃん? を殺された時どう思った? ねねっ、どう思ったどう思った!」


「……」


「でもまあ、人間ってやっぱりどこか愚かなんだなぁって思いはするけどさ。侮蔑するし、気持ち悪いな〜って思うし、わたし視点滅んじゃえばいいのになって思うくらいには愛と一緒に憎悪も抱いてるけど。だからといって人間がこの世で一番醜いとか、人間が一番怖いとか、そういう理論も感情論も破綻してる考えを持ってる人は苦手なんだー。あなたもそういう思考の持ち主だったよね?」


「……」


「今のは問い掛けだよ? 答えて! あなたはなんで人間の事が嫌いなの?」


「こんなの、こんなことを、戦争なんか、するのは、人間だけだろう。醜い、俺たちは醜いよ」


「動物も縄張り争いっていう戦争をするし、植物も勝手に繁殖しまくったりするけどね。自分らの都合に他の動物も巻き込むし。どうして人間ばかりが特別だって、特別悪辣で醜悪だと感じるの?」


「なんの、話なんだよ。もう、黙ってくれよ。頼むから」


「なんでなんだろー。どう考えても犬猫や植物の方が醜い心を持っているのに。動植物達本人らのお話を聞く限り彼らの方が利己的で打算的でかつあえて無駄しかない罪を重ねたがる習性を持ってるよ? ちゃんとそういう事をしたいって思った上で迷惑をかけるための回り道を都度選んでるよ? 省みる、開き直る、気が付かないフリをする。それって人間達しか持ちえなかった感覚だよ? それらの選択肢を選べる時点で世界で一番尊い生き物なんだよって自覚してほしいんだけど、やっぱり言葉が分からないと勝手に神聖視しちゃうのかな? 良くない傾向だ」


「……さっきから何の話をしているんだよ! はぁ、はぁ……人の心を折った次は持論を聴き込ませて洗脳する気か? 俺を信者にしたいのか、お前は」


「信者がいたらわたしまで悪人じゃなくなっちゃうから本当は望ましくないんだけど。したいしたい、信者にしたーい! 洗脳されてー?」


「断る! お前のような性悪を、誰が信仰などするものか……!」


「誰が? いい質問だね! この戦争の犠牲者を呼び起こそうと思ったんだけど、ついでにわたしの思いに勝手に賛同してくれた人たちも喚んであげよう!」



 少女の魔力が大量に放出され、周囲の草木が枯れ始めて生物の死骸が急激に腐敗していく。

 魔力濃度が濃くなりローゼフは頭痛を起こす。空気が重くなり、土や瓦礫といったものが震えて様々な振動音が重なっていく。


 強大な魔力の動きに危険を察知したローゼフが立ち上がる。だが剣はいつの間にか少女によって没収されていた。



「……ッ! この斧は……」



 後ずさったローゼフの踵に金属が当たる。見るとそれは先程の戦闘でアレクトラが使用していた戦斧であり、更に過去を遡れば彼が倒したロットという男の使用していた武器だった。


 他に振るえる武器はない。仕方なしに彼は戦斧の柄に手を伸ばすが、斧刃の部分が重すぎて持ち上げるのに苦労した。


 ローゼフは両腕で戦斧を構え少女を睨む。放出した魔力が広大な空間に満ちると、少女は地面から手を離して自らの手首を噛み切った。


 ヒタヒタと、少女の手首から血が流れ落ち地面に赤いシミができる。それを足の裏で踏みつけ、ローゼフには解読できない古代の文字を血で描いた後に少女は口を開いた。



全契解放(ぜんけいかいほう)。貪り喰らおうっ! 滅亡災害(ベヘモット)揺籃之淤(ガラゲラヌート)!!!」



 目覚めたての頃とは打って変わった愉快そうな声音で少女が叫ぶと、彼女の足元を中心にして大地に赤黒い血のような線が刻まれていく。


 一般人であれば噎せ返るほどの魔力が充満した空間が震えだし、血のような線が所々に集約し人の形を象る。



「なんだよ、これ」


「復讐の女神アレクトラは死体の軍勢を率いて人類を滅ぼそうとした。きゃははっ、おとぎ話で聞いた光景を目にした感想は、なにかある?」



 少女の言う通り、周囲の大地から無数の全裸姿の人間の死体が出現する。それ以外にも、目の届く範囲で絶命していた騎士も、兵士も、男も女も、子供や赤子でさえ立ち上がり唸り声を上げ始める。


 世界の終末としか思えない光景に全身の力が抜け、俯くローゼフの頭に少女が触れる。



「あなたには特等席をあげる。わたし、あなたの事気に入っちゃった!」


「もう、許してくれ」


「いーよー、おっけー! それじゃ、手始めにキリシュアの騎士とロドスの兵士を皆殺しにしよっか!」



 目の前の悪魔が今日一番の可憐な笑顔を見せる。完全に戦意を喪失したローゼフは、女神と見紛うほどの美しい悪魔の微笑みを見て気を失う。その様を見て少女は、恋する乙女のように紅潮した顔で嬉しそうに微笑むのであった。

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