◆番外編◆ ~誰の<しゅわしゅわレモン>が一番おいしい?~
豊かな国ユールの地方都市ティーアでは人や獣人族がいっしょに暮している。獣人族は人と動物の両方の特性を持つ。二足歩行し、器用に前足を操ることができ、言葉も交わす。
大通りには馬車や荷車が通り、商品が並ぶ店や工房が連なる。そこから一本入った筋をさらに進んで角を曲がった先に錬金術師の工房がある。たどり着く前にパンや果物といった身近なものを売る日常使いする店がある。
一番賑やかな場所から少し離れているから、敷地は広く、裏手に畑を持つ。
そこは猫の錬金術師の工房だ。
工房の持ち主の猫族のにゃん太は茶トラ白だ。ぴんと先がとがった三角耳、鼻筋と腹や足が白い茶トラ柄だ。肉球や鼻の色がピンクなので「可愛い」と言われることはあっても格好良いと言われることはないのがやや不満である。
錬金術工房は露地沿いの正面玄関を入れば、客対応するためのカウンターと棚のある店となっている。下町育ちの狐族の子供たちが交代で店番をする。
いっしょうけんめい薬や魔道具の説明をする姿に、それらを目当てに訪れる客も増えた。
「ううん、やっぱりどうしようかなあ」
ひと通り説明を聞いた魔道具を前にして、人族の男性が迷う素振りを見せる。
「おじちゃん、今日も辞めておく?」
店番の狐族の片割れが言うとおり、昨日も来ていた。
「明日も来る? 俺、もっとうまく説明できるように、もういっぺん、狐七っちゃんに聞いておくよ!」
「狐九朗、そういうときは、「お客さんが買いたい気持ちになるように説明する」だよ」
客は本当は「どうしようかなあ」の後に「貰おうかな」を続けようとしていたのだ。でも、狐族のふたりのやり取りに財布を引っ込め、また明日来ると言って帰って行った。楽しみが伸びたと口元が緩んでいる。
店舗の奥には廊下を挟んで大きな部屋がある。錬金釜や台、炉、すり鉢やすり棒、ふるいなどといったさまざまな器具が置かれているので、広さは感じられない。
工房主のにゃん太は炉の前を陣取り、踏み台の上に乗って錬金釜の中身の様子を見ている。その左右の斜め後ろに弟子ふたりが陣取って師匠の説明を熱心に聞いている。工房で働く獣人の子供らの兄貴分である狐七と、蛇族の蛇朗である。
隣の炉ではカンガルー族の薬師カン七が薬作りをしている。
にゃん太とカン七から時折出る指示に、<パンジャ>に乗ったハムスター族のハム助が棚や中央に置かれた台を行ったり来たりする。
「お昼の準備、できました」
居住部に続く廊下につながる扉から顔を出した猫族のみい子がそう声をかける。
とたんに、にゃん太の耳がぴくりと動く。
みなが「はーい」と返事をして、作業を切り上げるために動き出す。
中央の台で素材の処理をしていたにゃん太の姉たま絵が顔を上げる。
「狐六、そっちの片づけはいいから、お昼を食べておいで。終わったら、狐胡と狐九朗と店番を代わってちょうだい」
すばやく周囲の状況を見て取ったたま絵は、にゃん太たちはまだ時間がかかりそうだと判断して促す。
「え、あ、う、うん」
洗い場で教わったとおりに、細いブラシを使って容器の隙間もていねいに洗っていた狐族の子供たちの中で一番小柄な子供がもの言いたげな様子を見せる。
「大丈夫よ。誰かもうひとり、いっしょに店番に入るから」
そう言い置いて、たま絵は畑仕事をする犬族のケン太に声を呼びに出て行った。
狐六は乾いた布で容器を拭いて、棚にしまうと食堂へ向かった。
「狐六、こっちへ座りな」
みい子の手伝いをしていた狐八太が、扉から顔をのぞかせ、様子を見ていた狐六を見つけて声をかける。
「う、うん」
おずおずと食堂に入る狐六に、狐八太はてきぱきと皿にスープを盛って、パンやサラダを皿に乗せる。みい子が厨房から薄切り肉を少しずつずらしてきれいに盛り付けた皿を移動配膳台で運んでくる。狐六が手伝おうかとまごついている間に、狐八太がさっと台から皿を取ってテーブルに配していく。
「さあ、狐六ちゃんも、いっしょに食べましょう」
「うん」
いつの間にか、狐八太も座っている。
「「「いただきます」」」
この錬金術師工房ではたくさんの獣人が働いているので、手が空いている者から食事をする。テーブルも席も、カトラリーも全員がいっぺんに食事を摂るには足りないのだ。
そのため、先に食べた者はすぐに洗って次の者のために席を譲らなければならない。しかし、狐六は食べるのが遅いせいで、どうかすると、後から食事を始めた者と食べ終わるのがいっしょになったりする。
狐族の子供たちは狐六の他、狐七、狐八太、狐胡、狐九朗と全部で五人いる。そして、蛇朗とパン屋で働くパンダ族のパン七を加えて七人の子供たちだ。この工房へ来る前は下町で狐族の獣人、狐吾郎とパンダ族の獣人、巨パンに面倒を見てもらっていた。
巨パンの子供がパン七だが、その他はみな血がつながっていない。
狐族の子供たちは狐吾郎に拾われたのだ。
狐吾郎は初めはそんなに多くの子供たちを拾う気も、養う気もなかった。初めに狐吾郎に拾われたのが狐六だ。親に捨てられて泣きながら下町を彷徨い、疲れて空腹で、路地の片隅に丸まっていたのに、狐吾郎がつまづいた。泣きすぎてもう涙は出ないと思っていたのに、狐吾郎を見上げたとたん、まなじりから転がり出た。声もない狐六に、狐吾郎は慌てた。いつもならそそくさとその場を去るだろうに、なぜかそのときは焦って助けなければと思った。
そうして、なんとか水を飲ませたり、食べ物を食べさせようとするも、衰弱しきった狐六はもはや口の中に押し込められた食べ物を噛む力もない。
あたふたする狐吾郎を見かねて手を貸したのが狐七だ。狐吾郎の住処のボロ屋から聞こえてくる「なんだよお、食べろよお」と困り果てる狐吾郎の声に、隙間から覗き込んで窮状を知り、口を挟んだ。ちなみに、顔が入るくらいの間がある隙間だったので、覗き込むというよりも、目に入ったと言うべきかもしれない。
「おじさん、固形物は食べられないんだよ。スープを飲ませてやろう」
素寒貧の狐吾郎はなんとかして金を工面して、ようやっと薄いスープを買い求めた。水と違うのは、味がついていて温かいというだけの代物だった。
それでも、狐六は飲んだ。徐々に、スープでふやかしたパンといった柔らかいものを摂取できるようになった。
そうして、ようやっとしゃべれるようになった狐六に「狐六」と名付けたのは狐吾郎だ。それまで、狐六は名前がなかった。
それに狐七が待ったをかけた。
「おじさん、でも、この子、女の子じゃない?」
女の子にその名前は、と言われてみれば、確かにそうだ。
しかし、狐六がいいと言ったのは当の本人だ。
「はじめてもらったものだもの」
今まで親からもらったものはないという。
大事そうに言う様子がいじらしく、狐吾郎は狐六の面倒を見ようと心に決めた。
「そんで、お前は?」
聞けば、狐七も親が蒸発したという。だが、見るからに聡明な彼ならば、下町でもひとりでやっていけそうだ。それでも、狐吾郎は彼に「狐七」と名付け、狐六といっしょに面倒を見ることにした。ひとりもふたりも同じだというのもある。しかし、狐六があまりに頼りなく、狐吾郎が稼ぎに行く間、面倒を見る者が必要だったのだ。
「じゃあ、お前は狐七だ」
「おじさん、もしかして、おじさんの名前が狐吾郎だから、この子と俺に狐六と狐七ってつけたの?」
「分かりやすくていいだろう?」
狐六の次に拾ったから狐七だ、と言うと、前者はくすぐったそうに、後者は複雑そうな笑みを浮かべた。
狐七は「自分とこの子」ではなく、「この子と自分」と言う子供だった。後々に何度考えても、狐六ごと狐七の面倒を見ようと決断したときほど、優れた選択をしたことはないと思えた。
その後、いつの間にか狐七の後ろをくっついていた狐八太———親からつけられた名前は嫌いだと言った。狐吾郎は詳細を聞かなかったが、兄貴分と慕う狐七は過去にどんなことがあったか聞いているかもしれない———、そしてさらにふたりいっしょに同族の子供を拾った。
名前はあるが、ほかの子供たちが狐吾郎から名づけられたと聞いて自分たちもとねだった。
「さすがに、今度の女の子は女の子らしい名前をつけてあげないと!」
そう言う狐七に何度もダメ出しをされながら、なんとかひねりだした狐胡は保護したときから、狐九朗を守ろうとしていた。毛を逆立てるようにして、狐九朗に近づこうとする大人に、歯をむき出しにして威嚇する。
だが、同じくらいの年頃の同族の子供たちとはすぐに打ち解けた。
「狐胡は狐九朗と姉弟なの?」
狐七が狐胡を洗ってやりながら、さりげなく怪我の有無を確かめつつそう訊ねると、するりと答える。
「ううん。わたしは親に売られそうになって逃げ出したんだ。狐九朗は親とはぐれて悪い大人につれていかれそうになっていたから、わたしが隙を見て連れ出してきた!」
「すごいなあ、狐胡」
先に洗われた狐九朗を拭きながら、狐六が言う。狐九朗は落ち着きがなくあちこちをふんふん鼻をうごめかして匂いをかぐものだから、同じくらいの大きさの狐六の手に余る。見かねて、斜に構えがちな狐八太が手を貸す。
ふたりがかりで世話を焼かれる狐九朗を、こちらも狐七の世話される狐胡が満足げに、楽し気に眺める。狐九朗が他の者から優しくされるのが嬉しいのだと狐七は悟ったが、口には出さない。
代わりに、これから暮らす心得を語った。
「良いか、みんな」
輪になってみなを見渡す狐七の言葉に、他の子供たちが傾注する。
「狐吾郎はそんなに大人物じゃない」
えっとばかりに狐の子供らは顔を見あわせる。
「困った子供を助けてやろうなんていう素晴らしい獣人じゃないからこそ、俺たちは狐吾郎を困らせちゃあ駄目なんだ」
そうじゃないと、すぐに見捨てられる。手に余るとなれば、放り出されるかもしれない。
ただ、考えなしで目先のことに捕らわれる下町の獣人特有の性質を持った狐吾郎だからこそ、可哀想な子供を拾った。そうして、みなが集まったのだ。
「だから、みんなで暮らすために、できることをしなくちゃならない」
そう言って、狐七は下町で親なし子が生き延びるための方策を話した。
「まずは自分の身を守ること」
これにはみなが一斉に頷いた。なにをおいてもまず真っ先にやらなければならないことだ。
「そして、食べ物を見つけること」
これも分かる。彼らはいつだってひもじさの中にある。
「うまいことを言って近づいて来る者を警戒するやり方も考えなくちゃならない」
「逃げればいいんじゃないの?」
「向こうもそれは最初から考えているさ。こっちが警戒しているのを隠さなくちゃならないんだ」
狐七はいろんなことを考えている。
クールぶっている狐八太も、狐七の言葉には耳を貸す。さらには彼の言によく従うようになった。それは誰も信じようとしなかった狐胡や、落ち着きのない狐九朗も同じだ。狐六は最初から狐七を頼りっぱなしだ。狐吾郎が狐七がいなければ、狐六は弱って死んでしまっていただろうと言っていたことも大きい。
そして、狐吾郎はパンダ族のおとなとつるんで仕事をするようになり、その子供の小パンダも仲間になった。ちょうどそのころ、狐族の子供たちは今の生活に慣れ始め、面倒見が良い狐七はそのときから少しずつ、小パンダと行動を共にするようになった。
一番小柄で、やることなすこと上手くいかない狐六は寂しくて仕方がなかった。拾われた当初は同じくらいの大きさだった狐九朗はどんどん成長していった。狐六はそれまでろくに食べ物をもらえなかったせいで、ちょっとずつしか成長しない。
「親からギャクタイされたからだよ。狐六のせいじゃない」
狐七はそう言って、なにかと言えばからかったり小突いたりする狐九朗をたしなめてくれた。狐七の言葉なら、狐九朗はよく聞く。狐九朗をかばって「なによ、狐六がトロいから悪いんじゃない」という狐胡も、狐七の前ではしおらしい。
狐九朗だけでも怖いのに、狐胡まで加わって責められるものだから、狐六は恐ろしくて仕方がない。それでも、ここを出て行こうなんてことは思い浮かびもしない。
そういう状況を狐七が察したのか、狐六のことを頼んでくれたものか、狐八太が助けてくれるようになった。とても意外だったが、そのくらい狐七のことを慕っているのだろう。狐七が小パンダと共に外に出て食べ物を探して来る間、狐七の代わりを務めようとしているのだ。
そうやって、狐六はなんとか生きてきた。
いろんなことがあって、孤児院に行って、またみんなでいっしょに暮らすことができた。そこへ蛇朗も加わった。それから、この錬金術師工房で働くことができた。
狐六も仕事をすることができた。ここでは獣人ばかりが働いているし、ヘマをしても大声で怒鳴られたり殴られたり蹴られることはない。
それどころか、温かい食事を摂ることができる。
「あれ、狐胡と狐九朗も来たのか。店番は?」
いっしょうけんめい咀嚼していた狐六は気づかなかったが、いつの間にか、狐胡と狐九朗も食堂にやって来ていた。狐八太はすばやくスープをよそう。サラダや肉の皿はすでに各椅子の前にセッティングされている。やって来た者たちは空いた席に座るのだ。
「カン七がやってくれるって。先に食べて来いって」
「だってさあ、もう、俺、お腹へりすぎて、力入らないんだもん」
「だからって、狐六の皿から取ろうとすんな。ちゃんとお前らの分もあるんだから」
ひょい、と食べかけの狐六のパンを皿から取った狐九朗がかぶりつく前に狐八太が取り返す。
「そうよ。お代わりもあるからね」
みい子が席に座ったふたりの前にパンが入った籠を近づける。とたんに、ふたりは同じスピードで片前足を伸ばしてパンを取る。今までなら、あればあるだけパンを取って籠を空にしていただろう。もしくは、人数分あるかどうか確認し、足りなければ誰と誰が半分ずつするかを、狐七が言い出すのを待った。今はそんなことを考える必要はない。
これがゼイタクというやつなのだろう。
ゆっくり食べても他から奪われないことに最近慣れ始めた狐六はそう思う。だからこそ、このところ、食べる量が増えた。時間をかけても構わないと言ってくれる。そうすれば、味わうことができ、味わうこと自体を楽しむことができる。今まではかきこむように食べていたから、ろくに噛むこともましてや味わうこともしなかった。
作ってくれたみい子やたま絵になにがどんな風に美味しかったかを言えば、喜んでもらえる。
「わあ、みい子さん、これ、とっても美味しいね!」
今のように、狐胡に先んじられることもあるから、いつもそうすることはできないが。
狐胡はみい子が任されている織物に興味がある様子だ。そのせいか、なにかあればみい子に話しかける。狐六も優しいみい子と喋りたかったが、狐胡にうるさそうにされるので、彼女がいる前では委縮して、あまりみい子に話しかけることができないでいた。
他に、カン七は男性だが柔らかい喋り方で、狐六はとても好きだが、ほかの子供たちもカン七はお気に入りだ。狐九朗など特にそうで、狐六がカン七と話していると割って入られることが多い。
狐六は寂しかった。忙しい狐七の代わりに他の者と接しようとするも、うまくいかない。
狐七は錬金術師になろうと励んでいるし、弟分たちがしっかり仕事ができるようにも気を配っている。これ以上、迷惑をかけられない。だから、別の頼りになる存在を欲した。親から得られない愛情を他の誰かからもらって心の隙間を埋めて精神を安定させようとした。
ケン太は弟がたくさんいる長兄だからか、ちょっぴり狐七と似ている。頼りになる。そして、爽やかで明るい。でも、畑仕事を選任していて、会う機会が少なく、あまり話す時間がない。狐七と蛇朗以外の子供たちは畑に行ってはいけないと言われているのだ。そこには世にも貴重な不思議植物アルルーンがいるからだ。あまりアルルーンのことに詳しくなったら、そのことを聞き出そうとする悪いやつらに目を付けられてはいけないからだと狐七が言っていた。
「そ、そんなの、狐七っちゃんは大丈夫なの?」
「狐七は俺が守るよ」
そう言うのは大蛇の蛇朗だ。
身体の大きさは力の強さに直結する。それに、蛇族だ。獣人と獣はまったく別の存在だが、やはり、種族的に恐怖が先立つ。けれど、蛇朗はとても良い獣人だった。それに、まだ子供なのだそうだ。愛玩獣人愛好家という悪いやつらに、狐七といっしょに捕まっていたことや、にゃん太の錬金術を手伝ったことから、友だちとなったのだという。狐七が信頼しているのだと聞けば、信じられる気がした。実際、付き合ってみると、気の好い獣人だった。
そして、その蛇朗もにゃん太の弟子となり、錬金術師になるために修行している。
「狐七っちゃんはなれるだろうけれど、蛇朗はどうなんだろうね?」
「なにが?」
スープを匙で掬う狐胡に、パンを頬張る狐九朗が首を傾げる。
「錬金術師だよ」
「大丈夫だろう。だって、狐七っちゃんといっしょににゃん太の手伝いをしたって言っていたし」
もっくもっくと下あごを大きく動かしながら咀嚼する狐九朗に代わって答えたのは狐八太だ。狐七の代理を務めるだけあって、それなりに子供らの中では発言権がある。だから、狐胡のにやにや笑いが薄れる。
「でもさあ、あの<しゅわしゅわレモン>さあ」
「それを言うなら、狐七っちゃんの作ったのも、にゃん太のと比べたら、」
ようやっと口の中のパンを飲み下したはずの狐九朗の言が不明瞭となる。大好きな狐七だ。その至らない点をあげつらうことは、軽々しくできない。
狐七と蛇朗は錬金術を習ってまずなにを作ろうとなったとき、<しゅわしゅわレモン>という飲み物を作りたいと言った。狐七は蛇朗に先んじて弟子入りしていたが、蛇朗もまた、弟子入りした後はまず<しゅわしゅわレモン>を作ることを目指した。
この<しゅわしゅわレモン>というのは、冷たくて甘酸っぱい飲み物だ。
にゃん太が作ると、喉にぱちぱちと爽やかに弾ける。いつも同じおいしさだ。それがすごいことなのだというのは、あの狐七が作った<しゅわしゅわレモン>がおいしさ加減がいつも違うからだ。ちなみに、あまり冷たくない。
「このあいだの狐七っちゃんの<しゅわしゅわレモン>さあ、喉にぱちぱちしすぎて痛かったもん」
狐胡が言うのに、反対意見は上がらない。みながそう感じたからだ。
「でも、でもさ、狐七っちゃんは弟子になったばかりだし」
「まあなあ」
狐八太が擁護するのに、狐九朗が言いながらパンの籠に片前足を伸ばす。
「狐七っちゃんはほんとうにすごいねえ」
ようやっと狐六も口を挟むことができる。なお、狐六の前の皿はまだ半分も減っていない。
「それに、蛇朗だよ! 蛇朗も作れるようになるなんてなあ」
いつもしっかりした兄貴分の狐七はいつかは作れるだろうと思っていたが、まさか、蛇朗までもできるとは思わなかった。
蛇朗の作った<しゅわしゅわレモン>はまったくもって冷たくない。酸っぱすぎたり妙なエグみがある。たまにとても美味しいときもある。
誰の<しゅわしゅわレモン>がいちばんおいしいかなんて、明白だ。でも、狐族の獣人の子供たちはどの者が作る<しゅわしゅわレモン>も好きだった。
可能性を示唆しているからだ。未来にはいくつも選択肢があり、開けているのだと、教えてくれているからだ。
「俺たちもいつかはなりたいものになれるかな」
「お前、なりたいものなんてあるの?」
狐九朗に狐八太が目を丸くする。
「まだ決まっていない!」
「ないのかよお」
「お前は決まっているのかよ?」
「ない!」
ふたりは顔を見あわせてにっかりと笑う。
現在はそれでも大丈夫と思えることができる。むやみやたらに不安に駆られたり、腹が空きすぎて痛む胃をさすったりしなくても良い毎日を送っているからだ。狐七のようになにか目標を持っていっしょうけんめいに励むことができるかもしれないという考えを持つことができるようになったからだ。
「ああでも、俺、狐吾郎父ちゃんみたいな建築現場で働きたい、かなあ」
「かなあって自分のことだろう?」
「まだ完全には決まっていないんだもん」
夢を持って語ることができるようになった。すごいことだ。今まではその日のすきっ腹を満たすことしか考えていなかった。あとはひとりも欠けることなくみんなでいっしょにいることだ。毎日、祈るような思いで、建物と建物の間に張った洗濯物を干すロープの上を歩くような気持ちでいた。上に立つのもやっとなのに、ちょっと体勢を崩したら、下に真っ逆さまに落ちる。そんな日々だった。
狐吾郎と巨パンが捕まって、孤児院に行くとなったとき、嫌だった。ばらばらの場所に連れていかれると思った。そうでなくても、孤児院では扱いは悪いだろう。
しかし、考えたほどにはひどい扱いは受けなかった。なにより、すぐにまたみんなで住めるようになった。狐吾郎も巨パンも働き始めた。それだけではない。なんと、狐七とパン七まで仕事を持ったのだ。みんな食べるためだけでなく、活き活きと暮らしていた。仕事とは嫌なことではなく、やりがいがあるのだと知った。
だから、少ししてから自分たちにも働かないかと狐七を通して話がきたとき、いちもにもなく飛びついた。
覚えることはたくさんあったけれど、狐七が働く工房だ。一緒に働くことができるなんてすごいことだ。そのうえ、工房のみんなはとてもやさしい。もちろん、仕事には厳しい。とくにたま絵だ。この獣人には逆らってはいけないと初見で本能が強く訴えかけてきた。
ちなみに、狐吾郎は狐七が作った<しゅわしゅわレモン>を飲んだとき、こっそり泣いていた。蛇朗が作ったときも泣いていた。狐九朗が見つけてからかおうとするのを、狐八太が口をふさぐ。狐胡が見て見ぬふりをしろとささやく。狐六が差し出した布で、顔をごしごしと拭いていた。
巨パンは飲んで大げさに驚いて褒めた。狐七のときも、蛇朗のときもだ。ふたりはどちらも誇らしげだった。案外、褒め上手で子供たちの性質を伸ばすのにひと役買っているのだ。
さて、そう遠くない未来に、狐胡はみい子に弟子入りし、機織り職人になる。めきめきと力をつけ、みい子が妊娠、出産、育児に忙しくなったときには頼もしい戦力となる。
「いつか、みい子さんのようなすばらしい織物を織ってみせるわ!」
撥水布は工房の人気アイテムとなっていたため、工房としても生産を中断させることにはならず、大いに助かった。
狐九朗は希望通りとはいかず、狐吾郎の建築現場を手伝うことは叶わないでいる。
「だって、この工房、忙しいんだもん。お客さんもひっきりなしに来るのに、店番も掃除も洗い物も、やることいっぱいだよ! 俺が抜けるわけにはいかないよ」
奇しくも、カン七と同じような悲鳴を挙げることとなる。
客と丁々発止とやり合うこともあれば、陳列する商品のどれをとっても分かりやすく説明する。ただ、耳の遠いご老人になんども繰り返し同じ説明をさせられたのには閉口していた。それを見た客の方が覚えてしまって後から来た客に説明していた、なんていうエピソードもある。
狐八太は、意外な特技を発揮した。
「狐七っちゃん、気持ちは分かるよ。でも、この魔道具は採算が取れないよ。もうちょっとコストカットできる素材とか手段を考えて」
後の錬金術師工房では、たま絵か狐八太の認可が下りないと、使えない素材がでてくる。高価であったり希少である素材を使って成果が出なければ、それは廃棄するに等しいからだ。もちろん、錬金術師や薬師側からすれば、研究の一環だという考えがあるため、交渉が必要となって来る。要はたま絵や狐八太を納得させることができる計画が必要なのである。無計画に無造作に希少なものを消費するな、というところだ。
「狐八太はたま絵姉ちゃんに似てきたなあ」
「ああ、工房以上に錬金術師組合や取引先に存在感を示しているよ」
「まあねえ、たま絵の代理を立派に勤められるんだもの。大したものよ」
後々には、方々でたま絵だけでなく、猫の錬金術師工房主補佐の補佐もまた恐れられているにまで至ったという。休みの日には、狐吾郎と巨パンの事業の経営にもアドバイスをしているという。
「なんで狐八太が! 俺が手伝いたかったのに!」
「適材適所だよ。ほら、狐九朗、お客さんが来ているぞ」
さて、万事に成長が遅く、さほど器用でもなく、特技もない狐六ではあるが、なぜか、ライオン族の族長シシ雄の息子、ライ牙に見初められた。ライ牙はその種族特有のハーレムをすでに持っている。偉大な父に比べてまだまだひよっこ、はっきり言えば、ちょっぴり残念な子、アホの子ではあるが、種族柄、生まれ持った身体能力を活かして冒険者として荒稼ぎし、しっかりハーレムの維持を行っている。
「はァ?! な、なんで、うちの狐六を! ふざけんな!」
ライオン族の族長の息子のハーレム要員に、と聞いた際、狐吾郎は驚き慌てふためいたのも当然のことだ。
なお、この顛末はまた別の話だ。先に結論を言えば、狐六はそれなりに幸せになる。
ハーレムを形成するライオン族の女性たちに構われて世話を焼かれ可愛がられ、嬉しそうである。ライオン族の女性たちが「あら、これ、狐六ちゃんに似合うわあ」と言えば、ライ牙はほいほい買い与える。その程度の出費では懐は痛まない。
その域に達するまでに紆余曲折あり、狐吾郎が心労を抱えながら奔走するのだが、それもまた、別の話である。
そして、狐七と蛇朗は猫の錬金術師の弟子として、立派な錬金術師になるために日夜励んでいる。
錬金術師便覧や錬金術素材一覧の第一ページにある文言通り、世界の神秘を解き明かすために。そこには続いて錬金術師の心得が記載されている。その心得に沿って、にゃん太は狐七や蛇朗を助けてくれた。だからこそ、弟子たちの心にはそれら心得が深く刻まれている。
キャラクターが立つと、
お話が終わった後の、あるいは過去のエピソードが浮かんできます。
ネタとしてあったものをメモしておいたのですが、
幸いにも、このお話が終わるのを惜しんでくださる方がおられましたので、
書いてみました。
おかげで、書き終わった後につけたキャラクターの名前が日の目を見ることができました。
なお、現代日本とは違うので、モラル意識が大分異なります。
ご了承ください。
この世界では弱い者は淘汰されます。
そのなかで、目ざといとは言い難い狐六に対して、
他の子供たちの当たりがきついように思われるかもしれません。
また、作中で「狐吾郎は大人物じゃない」と言っていますが、
わたしはそうは思いません。
現代モラルに合う生活をしていないかもしれませんが、
この物にあふれた世界でも、縁もゆかりもない五人もの子供を育てようなんて思う人はなかなかいないと思います。
さらにいえば、自分の生活もかつかつなのに、五人の子供たちを食べさせるのは無理です。
子どもたちが成長したらよりいっそう食料が必要になります。だから、犯罪に手を出した。
そうまでしても、食べさせたかった。
そう書くと素晴らしい獣人のようですが、中身はあんな風な頼りなさそうなところもあります。
ただ、完ぺきな獣人にはしませんでした。不完全な存在が必死になって頑張っている様を描写しました。
後書きまで長々となりましたが、
お付き合いいただきありがとうございました。