41.長い長い一日2
パン七は孤児院の正門の方をじっと注視しながら、昔のことを思い出していた。そのとき、パン七はまだ小パンダと呼ばれていた。その小パンダに、物心ついたときからずっといっしょにいる狐七が言った。
「いいか、小パンダ、パンダ族は特に子供のころは危ないんだ」
「どうして?」
狐七はとても物知りだ。そして、賢い。
「パンダ族は成獣になると大きくなるだろう?」
「うん、お父ちゃん、大きいよ!」
いつもお酒ばかり飲んでいるし、困ったことばかりする父だ。それでも、パン七は父が嫌いかどうかなんて考えたことはなかった。父は父だ。パン七とどうやってもつながりがある。
「だろう? パンダ族はめずらしい。でも、大きくなったらちょっとふてぶてしいんだ。でも、子供の時分はとても可愛いから狙われやすい」
「えっ、俺、狙われるの?!」
パン七は狐七の言うことを疑ったことはない。狐七はいつだって正しい。そして、パン七のためにならないことは言わない。少なくとも、パン七はそう思い込んでいた。そして、狐七はそのことを良く知っていた。
「うん。だから、気を付けような」
「分かった!」
事あるごとに狐七からそう言い含められていたパン七はふだんのおっちょこちょいさからは考えられないほど、身の危険には慎重になった。狐七も、もし、誰かにつかまって連れて行かれたら、自分たちでは助けられないと言っていた。助けようとはする。でも、駄目なのだ。だから、すばしっこく逃げなければならないとも。
パン七は言いつけをきちんと守った。その日、だれか知らない獣人が呼んでいると言われた際に、門に向かわず、真っ先に狐七に相談した。
狐七と、パン七に用がある獣人とのやり取りも見ていた。こういうとき、決して出てきてはいけないと約束させられていた。隠れていて、助けを呼べと。
小パンダのときだったならば、そうはしなかっただろう。なぜなら、狐七も言っていたとおり、もし、誰かにつかまって連れて行かれたら、助けられないからだ。でも、今は違う。パン七の名前をもらったころから、他の者たちを頼ったら、なんとかなるかもしれないという気持ちになっていた。それは、希望と呼ばれる類のものだった。
へんてこりんな錬金術師工房の獣人たちと出会い、持つようになったものだ。なにより、その錬金術師工房の猫の錬金術師は狐七を助けようとしていっしょに連れて行かれた。工房にいる他の獣人たちなら、パン七が考えつかない方法で助けようとしてくれるのではないか。
パン七はいっしょうけんめい、獣人たちの様子をうかがい、しっかりと特徴を覚えた。そして、孤児院の職員にせがんで、冒険者ギルドへ連れて行ってもらった。以前、にゃん太やカン七たちに会いたくなって錬金術師工房へ行きたいと言ったら、渋られたのだ。大口寄付者に妙なことを口走られ、寄付金が減額されたら困ると言う大人の事情があった。そんなことは知らないパン七はまず、冒険者ギルドへ行き、そこで目を盗んで飛びだし、工房へ向かおうと考えた。ひとりで行動してはいけないという狐七の言いつけを守りつつ、孤児院から離れたところからなら、単独で工房へ向かっても良かろう、となかなかな計画を立てた。
パン七はのんびり歩く職員を急かして冒険者ギルドへたどり着いた。受付に助けを求めるが、当然のことながら、依頼料を払えないのなら、と断られる。
分かっていても、気持ちは落ち込んだ。
「それより、誘拐があったのなら、警邏に話すべきでは?」
受付がそう言うのももっともだが、パン七が話すのを驚きながら聞いていた孤児院の職員がずいと前へ出た。
「いや、このパンダ族の子供はその、親がね、」
窃盗犯パンダ族の子供の言葉には信ぴょう性がないという。
「そ、そんなことないよ! 本当だよ!」
パン七は必死に言い募った。狐七は兄弟のように育った友だちであり、にゃん太のことはとても好きだった。
「にゃん太さんの名前を出せば我々が動くと思っているんですよ。本当に、悪賢い」
冒険者ギルド内でもめ事があるのは日常茶飯事だ。みな、見るともなしに見聞きして、受け流す。このときもそうだった。
しかし、ひとりの猛獣人族が進み出た。
パンダ族の子供を意地悪くあしらうのを、ライオン族の冒険者シシ姫が止める。
「ちょっと、あんた、黙っていな。なあ、パンダ族の子供、にゃん太がなんだって?」
「お姉ちゃん、にゃん太を知っているの?」
「まあね」
「あのね!」
嘘に決まっている、耳を貸す必要はないと言い募る孤児院の職員を視線で黙らせたシシ姫はパン七から事情を聞き出した。
「話は分かった。心配するな」
パン七にそう言って、シシ姫は素早く身を翻した。にゃん太は猛獣人族とも親しく付き合っている。各長に伝えることにする。そちらから、にゃん太の父にい也に話が行くだろうと考えた。
そうするうち、瞬く間に「にゃん太が誘拐された」という情報がティーア市の獣人間を駆け巡った。
一方、孤児院の職員は受付に愚痴まがいの挨拶をして、早々に冒険者ギルドを出たパン七の後を追う。
「まったく、こんなでたらめを言って。すみませんね、時間を取らせてしまって」
孤児院の職員は冒険者ギルドを出たとたん、途方に暮れる。のんびり扉を潜ったら、そこにはパン七の姿はなかったのだ。パン七は当初の計画通り、一目散に錬金術師工房を目指し、駆け込んだ。
「大変だよ! 大変!」
「あら、パン七さん、いらっしゃい」
柔らかい声音で迎えてくれたみい子に、パン七はへたりこみそうになる。安堵の涙をこらえて、これからしっかりと事情を話さなくては、と緩みそうになる気を引き締めた。
突然、駆けこんできたパン七の剣幕に驚いた錬金術師工房の面々は、喉が乾かないか腹が空かないかと尋ねる。
「そ、それより、大変なんだよ」
そう言っていっしょうけんめい訴える話に耳を傾けていたたま絵とハム助、カン七は互いの顔を見あわせた。三人は打ち合せすることなくすかさず動いた。カン七は残ってパン七の世話を焼き、たま絵は畑へケン太を呼びに、ハム助は店へみい子を呼びに走る。
そうして、みなで情報共有をして、改めてパン七に質問をして情報を引き出す。
「よく頑張ったわね。偉いわあ」
おっとりしたカン七の褒め言葉の優しい声音に、パン七はようやく安堵することができた。
「お、俺、狐七っちゃんに言われていたんだ。パンダ族の子供は危ないから、って」
「そうなの。さすがは狐七ちゃんよねえ。よく考えてあるわあ」
「う、うん。俺、俺、」
張り詰めていた糸が切れたかのように、パン七は泣き出した。カン七が抱き締めながら、小さな背中をさする。
たま絵は素早く動き、ケン太に手伝わせて食事の準備をする。
「なんにせよ、腹ごしらえは必要だわ」
「さすがはたま絵姉ちゃん、腹が据わっているなあ」
みい子は店を早じまいし、それをハム助も手伝う。
手早く作った食事は簡単なものだったが、それでも温かく、なによりパン七は安心して食べることができた。こういうとき、狐七は食べ物を与えられているかなどという考えに捉えられて食いっぱぐれるようなことがあってはならない。腹が減って動けない狐七を背負って逃げられるくらいに元気でいなければならないのだ。
頼りにする兄貴分が連れ去られ、それを助けようと奮闘し、安心したところへ満腹になったパン七は当然の仕儀で眠り込んだ。
工房の獣人たちはその間に意見をかわす。
にゃん太が狐七と共に連れていかれたと聞いた際、総毛立つ気持ちになった。けれど、目の前にいるパン七を不安にさせないために、なにげない態度で振舞った。それが、気持ちを落ち着かせることにつながった。
「薄汚れた獣人ということは下町の者ね」
「そして、パンダ族の子供を探していた」
口火を切るたま絵にハム助が続ける。
「パン七さんが聞いていた会話からすると、彼のことを認識していたのではなさそうですね」
「ああ。狐七もそこのところが分かっていてわざわざ前の名前を出して確認している。本当に賢いな」
みい子が気づいたことに、ケン太も引っかかっていた。
しばらく沈黙が下りた。
黙っていても仕方がないので、カン七がみなが思っていることを口にする。
「下町の獣人が実行犯で、可愛い獣人の子供を攫って行ったということは、バックにいるのはにい也さんが追っていた連中かしら」
愛玩獣人愛好家。
まさか、彼らが好む年齢から大きく隔たったころになって、にゃん太が連れて行かれることになるとは。
にい也ですら、おいそれと手が出せず、着々と準備を重ねていた相手だ。
たま絵が強く前足を握り合せる。ケン太がたま絵自身の爪で傷つかないように、そっと自身の前足でほぐすように柔らかく握り合わせる。
「ああん、にい也さんの怒りが怖いわあ」
カン七がおどけたように言い、ハム助とみい子がこわばった顔でなんとか笑おうとする。
「父さんに知らせるのは当然として、その他にも保険が必要だわ。錬金術師組合を動かしましょう」
「それが妥当ですね。それと、薬師組合も動かしましょう」
たま絵とハム助が考え出した案はこうだ。
錬金術師組合と薬師組合、ひいては彼らが味方につけている有力者を引っ張り込むために、「アルルーンを目につけた者たちがにゃん太を誘拐した」態を装う。なぜなら、「獣人たちが愛玩獣人愛好家に連れ去られた」と言っても警邏の動きは鈍いからだ。
「父さんでさえ、慎重になっていたのだもの」
「方々に鼻薬を利かせているでしょうから」
だから、にゃん太が連れて行かれたのを逆手に取る。それだけでも、錬金術師組合が動くかもしれない。
「ここはより味方を増やすために、手堅くいきましょう」
だから、「アルルーンを目につけた者たちがにゃん太を誘拐した」ことにするのだ。
この主張は、たま絵が錬金術師組合に駆け込み訴えかけることによって、動かすことに成功した。また、たま絵はこの後、薬師組合にも行くことを示唆し、錬金術師組合が漫然と座しているなら、他の組合が既得権益をかっさらうことを暗に示して見せた。錬金術師組合はことアルルーンのことについては、薬師組合と二人三脚でやって来たが、出し抜かれるのは痛い。
たま絵たちは知らないことながら、錬金術師組合はアルルーンの希少性を十分に理解していたので、薬師組合と協力して以前から上手く立ち回り、ティーア市のみならず、ユール国中枢の有力者を味方につけていた。アルルーンを生育できるのは生半のことではないということを何度となく言っているのに、「自分たちは別だ」「他の誰かができるのだから、大丈夫だろう」という希望的観測を持つ者はどんな時代にだっている。欲が判断を狂わせる。自分たちの見たいようにしか見ないのだ。
一方、さすがに狐七が連れ去られてそう安穏と眠っていられなかったパン七はじきに目を覚ました。そして、孤児院へ帰ることを拒否した。冒険者ギルドで事情を話した際の態度に不信感を抱いていたのだ。
「それに、あそこへ帰っても、狐七っちゃんはいないんだもの」
しょんぼりするパン七の背を、カン七が撫でる。
「ひどいことを言うなあ」
「その点も錬金術師組合を通して大口寄付者として物申しておきましょう」
ケン太が憤り、ハム助が提案する。
「じゃあ、お父さんに会いに行きましょうか」
パン七の父の巨パンはにゃん太たちの陳情があったことも手伝って、労役をこなすことで罪を償うことになっている。
最終的にパン七を孤児院へ戻すことになったとしても、父親に会わせてやれば気持ちが持ち直すだろうとカン七が言う。
そこで、ケン太とカン七が送って行き、帰りにケン太が孤児院へ向かい、パン七を預かっている旨を話すことにした。
「アタシは帰りにリス緒ちゃんから情報をもらってくるわあ」
「後片付けは任せて下さい」
「みなさん、お気をつけて」
残ったハム助とみい子がみなを送り出す。
彼らは主体性を持って動いた。いつだってにゃん太は独善的に決めつけることなく、意見を求め、いっしょにやろうとしてきた。それが功を奏した。なにをどうするか、自身で考え動くことができた。いままでもにゃん太と共にそうしてきたのだから。
工房に侵入者があった際、こちらは被害に遭ったのだからというたま絵の主張によって、狐吾郎と巨パンが労役をする場所を警邏たちから聞き出していた。
「本当に、あの子は抜かりないわねえ」
「さすがはにい也さんの娘だよな」
そんな風に言いながら、カン七とケン太は代わる代わるパン七を背負いながら先を急ぐ。パン七を送り届けた後もすべきことがたくさんある。
罪人が行う労役と言えば、重労働か汚れる労働と相場が決まっている。
巨パンはパンダ族の怪力を活かして、公共施設の修繕作業に当たっていた。意外なことに、狐吾郎もいた。
「お父ちゃん! お父ちゃんだ!」
カン七の背中から顔を出していたパン七がぴょいと飛び降りると、駆けていく。
「ありゃあ、小パンダじゃないか! どうしてこんなところに!」
カン七が現場監督を上手く丸め込む間、ケン太が手早く事情を説明する。狐七が連れ去られたと聞いて巨パンと狐吾郎の顔色がさっと変わる。
「大丈夫だ。にゃん太がついているからな。俺たちも救出に動く。それまで、パン七をよくよく見ていてくれ」
元々は、パン七に目を付けていたのだ。ふたたび狙おうとすることは十分に考えられる。
パン七をきつく抱きしめながら、巨パンが神妙な顔つきで頷く。
「お父ちゃん、苦しいよう」
そんな風に言いながらも、久々に会った父に嬉しそうにする。
「小パンダ、しばらく、お父ちゃんといっしょにいような」
「本当?!」
「ええ、本当よ。今、現場監督に話をつけてきたわ。パン七ちゃんはしばらくお父さんの仕事を見物していること。離れちゃ駄目よ」
目を丸くするパン七に説明したのはカン七だ。現場監督への説得は上手くいったのだ。
「分かった!」
顔を輝かせたパン七はカン七に抱き着いた。
良かった。あの猫の錬金術師工房を頼って正解だった。パン七はこのときはじめて、仲間ではない獣人を心から頼りにし、その信頼に応えてもらうことができた。
にゃん太が目指したのはこの領域だった。当の本人がいないところで、伝えたかった父にい也がいないところで、それが実現したのだった。
「パン七、俺たちはにゃん太と狐七を助けるために動く。お前は無事でいなくちゃならないぞ。狐七が戻って来たときに迎えてやる役目があるからな」
「うん! カン七、ケン太、ありがとう」
カン七の胸から顔を上げたパン七を、ケン太が撫でる。
巨パンは自分の子供が他の獣人たちにとても懐いていることに、毛並みよろしく目を白黒させた。
狐吾郎は、パン七と似て非なる境地に至っていた。彼は猜疑的だった。だから、盗みに入った先で捕縛され、処刑されることを覚悟した。ところが、しばらく拘留された後、労役をすることで罪を償うことに代えられた。拍子抜けする。生きていれば、いろんなことを知る。
たとえば、盗みに入った先の工房の者たちが陳情したからこそ、刑罰が軽減されたこと。たとえば、あのしっかりした狐七やその狐七に薫陶を受ける小パンダが懐いていること。たとえば、狐七を助けるためにいろんな獣人が動いていること。
狐吾郎は今ようやく、心の底から自身の行いを悔いていた。
これもまた、にゃん太が目指した境地だ。にゃん太は仲間たちと共に、目指すことを実現させていた。
「いいこと? 警邏も鼻薬を効かされているわ。決して、パン七から目を離さないでね?」
カン七の言葉に、巨パンと狐吾郎はしっかり頷いた。
狐吾郎はケン太とカン七を見送った後、監督に体調不良を訴えた。渋る監督に、巨パンが自分が狐吾郎の分まで働くと申し出た。狐吾郎はいつもあれこれ考えている。自分はそれを助けるだけでいいと思っていた。だから、特に説明を受けることなく、今もそうした。
そうして、狐吾郎は下町に走った。猫の錬金術師工房の獣人たちが動くと言っていた。彼らはいっしょに連れ去られたという狐七のことも見捨てはしないだろう。だからといって、狐吾郎がただ漫然としていていいわけではない。なにより、居ても立っても居られない心地になっていたのだ。
勝手知ったる古巣に、なんだか懐かしい気持ちになる。そこで、もめている獣人たちを見かける。羊族の獣人が数人に囲まれている。急いでいるので通り過ぎようとしたが、聞こえてきた言葉に足を止めた。
「獣人の誘拐なんて、しょっちゅうあるぜ」
「それよりよお、俺たち、腹が減っているんだ。ちょっとばかり恵んでくれないか?」
「なあ、あんた、誘拐ってどんなことだ?」
狐吾郎はとっさに割って入った。常ならば、もっと話をよく聞いて慎重に行動しただろう。しかし、今は時が惜しい。
「なんだあ?」
「今、俺たちが話しているんだよ。すっこんでいな!」
カモから巻き上げようとしているのに水を差されて憤る。けれど、振り向いた獣人たちは差し水をされたように沸騰していたのが鎮まる。
「あれ、あんた、最近、見かけないと思ったら、」
幸い、顔見知りの獣人たちだった。
「おう、ちょっとヘマやっちまってよ」
狐吾郎はばつが悪そうに笑ってみせた。
「なんだ、だらしがねえな!」
下町で暮らす仲間意識がある者たちは、失敗や下手を打った相手に鷹揚だ。
「ところで、俺はこの兄さんと話があるんだ」
「まあ、そういうことなら譲ってやるよ」
狐吾郎は羊族の獣人から話を聞き出そうとした。双方ともに相手の出方を探っていたが、ふたりとも気が急いていたことから、とっかかりを見出してどんどん話は進んだ。契機は「にゃん太」である。
羊族の獣人は羊彦と名乗った。
「弟が誘拐されたかもしれないんです」
とにかく、なにか手がかりがないかと、以前、悪ぶっていた者たちを訪ねてきたのだという。
「ああ、あれか。獣人たちが獣人を誘拐しているって噂」
「何か知っているんですか?!」
「いや、実は俺もその誘拐犯の手がかりを探りに来たんだ」
話を小出しにするうち、最近ティーア市で有名になった猫の錬金術師のことに触れた。共通項が見つかって情報のやり取りは加速度的に進む。双方が探り合っていたのが、目的が同じだと分かったのだ。
「にゃ、にゃん太さんが連れて行かれた?!」
「どうも、あんたの弟とやらも同じやつに捕まっている可能性が高いな」
ふたりは顔を見合わせた。