27.窃盗犯5
市場に行った翌日、みい子が呼びに来たものだから、にゃん太は子供たちが来たのかと妙な緊張を感じた。
店に回ってみると、人族の警邏が物珍しそうに店内を見渡している。
「先だってあった放火についての調査で、協力をしてもらいたい」
にゃん太は少し考えて、みい子にみなを呼び集めてもらう。作業場に通さなかったのは、治療を必要としている者ではないからだ。
にゃん太を含め六人もの獣人がやって来たので、流石の警邏も及び腰になる。
「みなさん、お揃いで」
「アタシ、その放火からもらい火した店の持ち主だったのよ」
「おや、それは、ご愁傷さまです」
この警邏は礼儀正しい者であるようだ。まずもって、公的捜査権を持つ者はそんなお愛想は口にしない。特に獣人に対しては。
「それで、アタシたちにどんな協力を?」
行きがかり上、カン七が質問する。
警邏が話したのはカン七がもたらした情報とほぼ同じだった。いわく、放火犯が獣人である可能性があるということ、それで獣人冒険者に調査依頼を出したということを話した。
「ところがですね、こういうのには慣れた獣人冒険者たちも今回ばかりは振るわない。どうやら、臭いを消されているようでしてね」
「もしかして、<吸臭石>を使っているの?」
「まだはっきり分かってはいません。でも、足取りが途切れてしまって捜査が難航しているのは確かです」
にゃん太たちは顔を見あわせる。<パンジャ>のような高価な魔道具ならともかく、<吸臭石>はそれなりに値が張るとはいえ、消耗品である。<パンジャ>のように番号を登録して所有者が判明することはないと説明すると、警邏はあからさまに落胆を見せた。
「そうですか。購入者で不審な者はいませんでしたか? 大量に購入した者がいるとか、あるいは頻繁にやって来る者がいるとか」
それでも、はいそうですかと帰ることはせず、踏み込んで訊ねる。
「いいえ、いません」
店に立つことが多いみい子が答える。にゃん太はこっそり心の中で心当たりを思い浮かべる。父にい也である。だが、それは<吸臭石>に限ったことではなく、それこそ、にゃん太とたま絵の様子を確認しにやって来るのだ。
「なにか分かったら連絡ください」
警邏が帰って行った後、にゃん太はその場にしゃがみ込んだ。
つい昨日、<吸臭石>は素晴らしいものなのだと実感したばかりだ。それがもたらすものは良いものだと噛みしめた。そんなものを、みなで作り出すことができたのだと嬉しかった。
なのに。
「どうしたのよ、にゃん太」
「俺が発明した魔道具が犯罪に使われるなんて」
象族のように神聖視されるのも困りものだが、悪用されるなどとは。
<吸臭石>は臭いに悩まされる獣人のために作った。にゃん太としては薬のいやな臭いをなんとかしようとした。それが思いもかけず、他の臭い問題でも活躍した。思惑外のことである。そして、その収益を困窮する獣人たちのために使おうとした。誰かのために、という気持ちが原動力となった。
でも、その<吸臭石>が犯罪に使われた。良いことばかりではないのだ。
自分の気持ちがないがしろにされた気がする。けれど、そういうものなのだ。こうだと思い定めても、思惑から外れる。知性あるからこそ、みなが自分のために動く。
「あら、なんでもそうよ。ナイフは料理をするのに使われるけれど、殺傷するのにも用いられるわ」
「そうですよ。なんでも、運用する者によって良くも悪くもなります」
「そうよ。にゃん太ちゃん、こんなことで落ち込んでいちゃ、駄目よ」
たま絵に続き、ハム助、カン七に励まされ、にゃん太はなんとか立ちあがる。ひとりでなら、悪い様にしか考えられなかっただろう。でも、<吸臭石>にいろんな使い方があるように、様々な考え方があるのだ。みなが言うとおり、全部の事象をコントロールできると考える方が思い上がりというものだ。
「それにしても、<吸臭石>のような高価なものを使うものでしょうか? <吸臭石>を用意してまで放火をする必要があったのでしょうか」
「そうだよなあ。カン七さんの話じゃあ、お隣さんは恨まれるような感じじゃなかったらしいし」
みい子が片前足をほほに当て、ケン太が両前脚を組む。
「ええ、今までもめ事も起こったことはなかったわ」
「いきなり用意周到に準備して火を放つなんておかしいですね」
カン七の言葉に、ハム助が飛躍しすぎだと言う。なんでも、物事には順序がある。
「俺、ちょっと獣人族の知り合いにその冒険者たちのことを聞いてみるよ」
「じゃあ、わたしは父さんに聞いてみようかしら」
残った者たちに店や畑を任せてにゃん太とたま絵は出かけた。
にゃん太はフェレ人やヒョウ華、虎太郎、トラ平といった顔見知りを訪ねて行くことにした。彼らは冒険者であるから、まず冒険者ギルドへ向かう。
その道すがら、フェレ人に会うことができた。
「フェレ人さん、ちょうど良かった」
「にゃん太さん、どうかしたんですか?」
にゃん太はフェレ人に警邏から依頼を受けた冒険者のことをついて知らないかと尋ねた。
「噂では聞いたことがありますが、詳しくは知らないです」
「そうか」
「お役に立てずにすみません」
フェレ人がしおたれるのに、にゃん太が慌てる。
「フェレ人さんが謝ることじゃないよ。それより、<パンジャ>の調子はどう?」
「正直なところ、まだ完全に乗りこなせてはいないと思いますから、もっと使いこなせるようになりたいです」
市で見せた軽業を思い出す。あんなに素晴らしい技を見せても、まだまだだと言う。
フェレ人は<パンジャ>を得てからは、移動が苦にならなくなり、遠出の依頼を受けるようになったと嬉しそうに話す。
これから受けた依頼をこなしにいくのだというフェレ人と別れて、にゃん太は冒険者ギルドの扉を潜った。
運の良いことに、そこでヒョウ華を見つけた。
「ヒョウ華おばちゃん!」
気が急いていたにゃん太はうっかり離れた場所から声を掛けてしまう。当然、声を張ることになる。
とたんに、その場は騒然となる。
「お前、この猫! ヒョウ華様に対して、なんてことを!」
「言うに事欠いて、おば———、なんて呼び方だ!」
「謝れ!」
特に、猛獣人族の冒険者たちが気色ばんだ。
一方、ヒョウ華の周囲にいた猛獣人族たちは彼女の怒りを想像して震え上がる。
「す、すみません、よく言っておきますので!」
「ごめんなさい!」
一斉に頭を下げた猛獣人族は、お前も謝れ、と言いながらにゃん太の頭を無理やり下げさせようとした。それを止めたのは当のヒョウ華だ。
「良いんだよ。にゃん太はそれで」
言いながら、ヒョウ華はにゃん太の頭を撫でる。困ったのはにゃん太だ。大勢の者の視線が集中する中での振る舞いにへの字口がひん曲がる。
「おばちゃん、俺、もう子供じゃないよ」
「ヒョウ次兄さんがよくこうしていたのを思い出してねえ」
ヒョウ華が目を細める。頭を撫でていた片前足は、にゃん太の肩や背中に移動している。
「こないだ会ったって話したら自分も会いたかったって悔しそうにしていたからさ」
ヒョウ華の声に笑いがにじむ。代わりにヒョウ華が撫でておこうというのだろうか。
「今の豹族の長は冒険者をしているんだっけ」
「そうだよ。前長であるヒョウ次兄さんならばよくよく承知しているだろうと、長の代理を任せて冒険者稼業に精を出しているのさ」
ちなみに、現長はヒョウ次の息子である。
ヒョウ華の言を受けて、にゃん太は小首をかしげる。
「それって、引退したって言えるの?」
「だろう? 忙しいまんまだって、こぼしていたよ」
にやりと笑う。これは面白がっているな、とにゃん太はこっそり心の中で思う。
ヒョウ次の苦労がしのばれ、<ハツラツ・ハーブクッキー>を渡しておいた。そういうものを常に持ち歩いているからこそ、ケン太に女子みたいだと言われるのだが、にゃん太からしてみれば、こうやって機会を捉えて渡せるのだから、それでいいのだ。
「元気になるクッキーなんだけれど、ヒョウ次おじちゃんにはもっとこう、安らぐ気分になれるものの方が良かったかな」
「にゃん太がくれるのならなんでも喜びそうだけれど、今度はそういったものを持って行っておあげよ」
「うん、そうする」
ヒョウ華があまりにもいつもの通りだから、つい話し込んでしまったにゃん太は本題を思い出す。
「俺さ、ちょっと聞きたいことがあるんだけれど」
警邏から依頼を受けた獣人族の冒険者を探していると話すと、ヒョウ華は「知らないねえ」と言いながら、他の獣人族に視線をやる。
それまでのやり取りから、ヒョウ華だけでなく、前長であるヒョウ次とも親しくしていることが分かった猛獣人族がにゃん太の問いにしゃちほこばって答える。
にゃん太は調査依頼を受けた冒険者を紹介してもらった。犬族や虎族、ライオン族などで構成されたパーティを組んでいる。早速、追跡調査はどんな風だったかを尋ねる。
間に入ってくれた獣人冒険者がヒョウ華の名前を出したせいか、ていねいに答えてくれた。
「うちのパーティにこいつがいるから、俺たちに話が回って来たんだ」
リーダの虎族が犬族の冒険者を指し示す。
「他のメンバーも身軽で、塀の上や屋根に移動されても後を追えるからな」
リーダーに頷きながら犬族の冒険者も付け加える。
「火事があったところにはきつい臭いが残っていた」
犬族の冒険者が言うのに、それで警邏も臭いを辿ろうと思ったのだろうと合点がいく。
「どんな臭いだったんだ?」
「なんか、食べ物が腐ったような、埃っぽいような、それでいて泥にまみれているようなぐちゃぐちゃな感じ。それが体臭に染みついているんだって分かった。汗の臭いと入り混じっていたから」
だから、追跡は容易だと思ったのだという。
「でも、途中で突然途切れたんだ」
それは実に唐突なことだったという。
「うちにも警邏が来たよ。<吸臭石>が使われたんじゃないかって」
にゃん太はそういうことだったのかと合点がいく。
「そうなんだ。俺たちもあの<吸臭石>が使わたんじゃないかって警邏に言ったんだよ」
「でも、なんで、<吸臭石>が使われていたら、あんたのところへ警邏が行くんだ?」
虎族の冒険者に続けて、ライオン族の冒険者が不思議そうな顔つきになる。
「うちの工房が<吸臭石>を作ったんだ」
「ええっ?! あれを?」
犬族の冒険者が勢いよくにゃん太の両前足を取る。そして、掴んだまま、興奮にまかせて上下に振る。
「すげえな! 俺たちは中堅になったかどうかってところだから、そうそう簡単には使えないけれど、<吸臭石>をひとつだけ持っているんだよ。なんていうか、お守り代わりっていうかさ。必要なとき、使えるんだって思うと、すごく安心するんだ」
<吸臭石>はなんどか使える。激しい戦闘の最中、傷を負い、薬を塗ってすぐに戦わなければならない際、嗅覚が麻痺することがないのだと思うだけでも心が安らぐという。
「良かった。うん。作って良かったよ。俺も嗅覚が鋭い獣人が薬の臭いで難儀しているって聞いたから作り出したんだ」
にゃん太の考えた通り、役に立っているという。けれど。そんな風に思って作った<吸臭石>が犯罪使われた。
「本当に、助かるよ!」
「ああ、よくぞ発明してくれた!」
虎族の冒険者もライオン族の冒険者も喜んでいる。
「あの、<吸臭石>なんだけれど、なんどか使ったら臭いを吸わなくなるんだ。それで、きつい臭いだったら、すぐに使えなくなる」
獣人冒険者パーティははっと息を呑み、互いの顔を見あわせる。
「ということは、その周辺のどこかからまた臭いを辿ることができるかもしれないな」
「臭いがふたたび漂い出して、残っているかもしれない」
口々に話すうち、彼らの表情は次第に明るくなっていく。
「一度途切れた臭いでも、嗅ぎ分けられるか?」
「任せておけ!」
犬族の冒険者が胸を張る。
火事があったのはもう何日も前のことだ。犬族はすごいんだなあ、と思いながら、にゃん太は話を聞かせてもらった礼にフレーバー木の実を渡した。
「おお、これも今、冒険者の中で人気なんだよ!」
引き合わせてくれた獣人冒険者にも渡すと喜んだ。
「うまい!」
「辛っ」
さっそく食べている冒険者たちのうち、ライオン族の前足の指に切り傷があるのを見つけて、にゃん太は持っていた【きらきらキランソウ】で作った軟膏をぬってやる。
「おお、すっとする」
軟膏を塗った前足を目の前にかざしてみて具合が良くなったと顔をほころばせる。
「お前、よく怪我するからなあ」
「こないだは草負けしていたよな」
「冒険者ならよくあることだろう」
他のパーティメンバーにからかわれたライオン族の冒険者がふんと鼻をならす。
「じゃあ、これ、あげるよ。切り傷にも草負けしたときにも使えるから」
「え、あ、ありがとう」
可愛い部類の猫族の錬金術師に、手際よく手当てをされたライオン族の冒険者はきゅんとなる。
にゃん太は狙った相手ではない者に、「これはこの薬を塗ると良いですよ(キラァン)(キランソウだけに)」を二度も成功させた。
そのひと幕を眺めながらフレーバー木の実を食べていた獣人冒険者がふと気づいて咀嚼をやめる。
「なあ、これってもしかして、たま絵さんの手作り?」
口の中にまだ残っているせいか、言葉は不明瞭だが意味は分かるので、にゃん太は是と答える。
「うん、姉ちゃんもいっしょに作っているよ」
「やっぱり! 猫の錬金術師って、たま絵さんの弟だって聞いたことがあるからさ!」
「た、たま絵さんの!」
「おおお!」
ほかの冒険者たちもぼりぼりやっていたのを止めて、フレーバー木の実を両前足で捧げ持つ。
「取っておこう」
いそいそと仕舞おうとするのを止める。
「いや、姉ちゃんも美味しく食べてくれた方が喜ぶよ。湿気る前に食べて」
「あ、そうだ、たま絵さんの弟ってことは、シシ姫が言っていた———」
ライオン族の冒険者がなにかを言い差したが、聞きたくないと強く思ったにゃん太は、礼を述べて慌てて立ち去った。
「さらっと薬を塗って痛みを取ってくれるんだから、シシ姫もそりゃあ、惚れるわな。可愛い形とのギャップがあるから余計にだ」
「なになに、なんのこと?」
駆け去って行く猫族の後姿を見送りつつ、ライオン族の冒険者がひとり言ちるのに、犬族の冒険者が興味をそそられて尋ねる。だがそれも、虎族の冒険者の問いにうやむやになる。
「なあ、それよりさ、たま絵さんの弟ってことは、にい也さんの———?」
「あっ!」
ようやくにゃん太の家族に考えが及んだ獣人たちは顔を見あわせる。
「お、俺たち、なにも失礼なことをしていないよな」
「だ、大丈夫大丈夫」
「だよな?!」