第七話:莫大な売掛金
貴族の馬車が去ったあと、しばらく誰も口を開かなかった。
残っていたのは、静けさではない。
“余韻”だった。
石鹸の泡。
橋の軋み。
治癒の結果。
すべてが現実だったことを、誰もが理解していた。
やがて、商人が息を吐く。
「……やべぇな」
珍しく、軽さのない声だった。
「本当に売れた」
それは“金の話”ではなかった。
“世界が動いた”という実感だった。
その数日後。
ハーラン商会の帳簿は、異常な速度で埋まっていった。
「……あり得ない」
会計係が震えた声を出す。
「これ、全部売掛金か?」
石鹸。
医療用アルコール。
橋の施工契約。
どれも単体で国家規模の価値を持つものばかりだ。
そして――それが同時に動いている。
「貴族領だけじゃねぇぞ」
商人が笑う。
「周辺都市も噛んできてる」
「戦場もだ」
その言葉に、空気が少し変わる。
シルヴェストが帳簿を見ながら静かに言う。
「軍が正式に採用した」
“軍”という単語で、場の温度が一段下がる。
商売の域ではない。
国家の領域に触れた瞬間だった。
やがて、帳簿の最終行が埋まる。
会計係が喉を鳴らす。
「……利益総額」
「国家予算の一部に匹敵します」
一瞬、誰も反応できなかった。
商人が吹き出す。
「は?」
「はは……やりすぎだろ」
だが、その笑いは長く続かない。
現実の重さが、じわじわと追い越してくる。
その時だった。
シルヴェストが静かに言う。
「分配を決める」
空気が変わる。
軽さが完全に消える。
帳簿の前に三人が並ぶ。
シルヴェストが一枚の紙を置く。
「条件は少年の提案通りでいいな」
商人が肩をすくめる。
「異論ねぇよ」
少年も頷く。
「はい」
短い沈黙。
そして、シルヴェストが淡々と告げる。
「利益配分は以下とする」
「カイン・ハーラン。四割」
商人が鼻で笑う。
「妥当だな」
「シルヴェスト・ハーラン。四割」
「問題ない」
そして――
「ライル。二割」
一瞬、空気が止まる。
普通なら“奴隷”に分配など存在しない。
だがここでは違う。
少年は静かに言う。
「今回の取引は商会の名声と信用によって成立したものですので、報酬は2割で十分です。」
商人が笑う。
「二割でも十分バグってる金額だ、それ」
シルヴェストは否定しない。
ただ一言だけ落とす。
「この二割は“報酬”ではない」
視線が少年に向く。
「権利だ」
沈黙。
少年は理解していた。
(これは所有ではない)
(参加だ)
商人が机を叩く。
「よし決まり」
「で、問題はここからだろ」
シルヴェストが頷く。
「資金が過剰すぎる」
静かに帳簿を閉じる。
「この規模は、もう一商会の領域ではない」
少年が小さく言う。
「国家規模ですね」
商人が笑う。
「言うようになったな」
だがその笑いの奥には、確かな熱がある。
“まだ上がある”と知ってしまった者の熱だ。
そしてシルヴェストが結論を出す。
「次は流通ではない」
一拍。
「制度だ」
空気が変わる。
商人がニヤリと笑う。
「ついにそこまで来たか」
だがその目は楽しんでいる。
少年は静かに息を吐く。




