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8/8

音痴×絶対音感

 今朝は収穫がない。

 どこを見ても、既知の関係性ばかりだった。


 通学路は、いつもより解析しやすい。


 ……少なくとも、“異常値”は見当たらない。


 強いて挙げるなら――


 和泉アキラと田中ノブヒロ、そして松田アヤ。

 三人で歩いている。

 構造としては、やや歪。


 観測対象としては、興味深い。

 和泉アキラは田中ノブヒロの半歩後ろにいる。

 距離は近いのに、視線だけが少しだけ遅れている。


(……反応遅延)


 田中ノブヒロの発言に対して、0.2秒ほど遅れて頬が赤くなる。

 身体情報と感情出力の同期が取れていない。


(処理系が追いついていない? それとも意図的な制御?)


 たまに混ざる一人称の揺れ。

 「私」と「オレ」の切り替えが、文脈と一致していない。


(自己定義が安定していない)


 横を歩く松田アヤは、二人を見ている。

 その視線は、外部干渉というより補助装置に近い。


 関係の補正役。

 そう分類できる。


(……媒介構造)


 カナデは歩きながら、その三人の相互距離を無意識にスキャンする。

 特に異常はない。


 ただ、少しだけ――

 情報密度が高い。


 次に視界に入ったのは、横山ミカと世良ユタカ先輩。

 世良ユタカは有名なコスプレイヤー。

 それ自体は既知データ。


 だが横山ミカの位置取りが不自然だった。

 常に“半歩ずれている”。

 同じ速度で歩いているのに、決して正面に並ばない。


(回避か、それとも観測角度の固定?)


 ルイの声がどこかで笑っている気がする。


 横山ミカは、世良ユタカを見上げているというより――

 “角度を測っている”ように見える。


(観測しているのは、どちら?)


 カナデはそこで一度だけ思考を止めた。

 断定できないノイズが混ざる。


-----------


 ……今朝は、まだ“未知”がない。


 そう結論づけようとして。

 視界の端に、わずかな違和感が残った。


 今朝は、収穫がないはずだった。


 既知データの繰り返し。

 観測モデルから逸脱する要素は存在しない――そのはずだった。


 通学路の最後の曲がり角。


 そこで、ノイズが発生する。


 まず音が先に来た。


 音階として成立していない。

 リズムも不安定。

 だが、連続性だけは保たれている。


(……非線形音響)


 カナデは歩調を一瞬だけ緩める。

 視線を上げる。


 深見レント。


 ギターを持っている。

 だが演奏ではない。

 調弦でもない。

 ただ「鳴らしている」という状態。


 その隣に、島村エイミ。

 彼女は歩いているというより、音の中に“滞在している”。

 カナデの視界に入った瞬間、異常が確定する。


(……分類不能)


 エイミはレントの音を見ている。

 正確には、“聴いている”のではない。


 音に対して、視線が固定されている。

 その瞳の動きは、観測対象を追跡する研究者のそれに近い。


(音に対する定位……?)


 レントの音程は崩れている。

 しかし崩壊していない。


 連続しているが、規則性がない。

 それなのに、エイミの足取りは一定だ。


 乱れない。

 むしろ同期している。


(……同調現象?)


 カナデは立ち止まる。


 通常ならここで分類できる。


 - 音楽性の欠如

 - 趣味的関係

 - 依存関係


 だがどれも一致しない。


 エイミが一歩だけ近づく。

 レントはそれに気づかない。


 気づいていないのに、音だけは変わる。


 わずかに。

 しかし確実に。


(……入力が変わっていないのに、出力が変化している)


 その瞬間。


 エイミの瞳がわずかに揺れる。

 カナデの脳内で、分類ラベルが一度すべて消える。


(……再構築不能)


 レントの音が一瞬だけ途切れた。

 その“空白”の中で、エイミは小さく息を吐く。


 安堵に近い反応。

 だが理由が不明。


 カナデは理解する。

 これはカップルではない。

 依存でも、共鳴でもない。


(観測系が一致していない)


 片方は「音を出している」

 片方は「音を見ている」


 そしてそのどちらも、同じ現象を共有していない。

 カナデは静かに結論を置く。


「……未定義」


 そしてもう一行。


(これ、後でルイが喜ぶタイプのやつね)


--------------------


 朝の教室は、いつも通りうるさかった。


 窓際では誰かがプリントを回し、

 後ろでは椅子が引きずられ、

 カーテンだけが静かに揺れている。


 その“通常運転”の中で――

 カナデだけが、少しだけ遅れていた。


「ねえカナデ!聞いた聞いた!?」

 ドアを開ける音と同時に、天堂ユウナが突っ込んでくる。

「朝から情報過多はやめなさい」

「無理無理!あれ見たでしょ!?通学路のやつ!」

「……見たわね」

 短く返す。


 その瞬間、後ろの席からルイがスマホを伏せる。

「例の“未分類ペア”な」

「未分類って言わないで頂戴」

「いや分類できてねえじゃん」

 即答。


 カズマがぼんやり窓の外を見ながら言う。

「音のやつだろ?なんか、聞いてるだけで頭おかしくなりそうだった」

「正常反応よ」

「褒めてないよなそれ」


 アズサが少しだけ真面目な顔をする。

「エイミさんの方、ずっと動かなかったよね」

「動いてはいたわ」

「え?」

「音に合わせて」


 一瞬、空気が止まる。


「……なにそれ怖いんだけど」

 ユウナが机に突っ伏す。

「え、待ってそれってさ、踊ってるとかじゃなくて?」

「違うわ。定位していた」

「どこに?」

「音に」


「はい出たカナデ語」

 ルイが笑う。

「それ、もう“恋”じゃなくて“現象”じゃん」

「現象で何が悪いのよ」


 そのとき、アズサがぽつりと言う。

「でもさ……あれ、ちょっと綺麗だったよね」


 一瞬、誰も返さない。


「は?」

 ルイが珍しく素で聞き返す。

「なんかさ」

 アズサは少しだけ言葉を探す。

「ずれてるのに、ちゃんと一緒にいたっていうか」


 ユウナがゆっくり顔を上げる。

「それさ……エモじゃん?」


「違うわ」

 カナデは即答する。

「同期も整合も取れていない。ただの非標準構造よ」


「でもさ」

 ルイがニヤっとする。


「それ言い換えたらさ」


「“相性いい”ってやつじゃね?」


 沈黙。


 カナデは一瞬だけ、言葉を止める。


 そして。


「……定義上は、未検証」


 窓の外で、風が揺れる。

 その揺れ方だけが、少しだけ規則的だった。


---------------------


 教室は、いつもより少しだけ騒がしかった。


「で、結局さ」

 ルイが髪を指で巻きながら言う。

「相性いいってことでよくね?」


「雑すぎるわよ、それ」

 ユウナが即座に突っ込む。


「でもさー、もうそうとしか言えなくない?」

 カズマも肩をすくめる。


「説明はつくと思うけど、今の段階で結論を固定するのは早いわ」

 カナデは静かに否定する。


「現象はまだ分類途中よ。情報が足りない」


「いや十分だろ」

 ルイが笑う。

「恋愛ってだいたいノリだって」


「それは解析放棄よ」


 カナデの声は冷たい。


「現時点では、どの仮説も確定条件を満たしていない」


 沈黙が落ちる。


 風がカーテンを揺らした。


「……じゃあさ」


 ユウナが言いかけて、やめる。


 誰も次の言葉を持っていない。


 そのときだった。


 ガラッ。


「話は全部聞かせてもらったわ」


 教室の空気が一瞬で変わる。


 九条ネネ。


 その後ろに、渡辺ライキと榎本ナナコが立っていた。


「……何しに来たのよ」

 カナデが眉をひそめる。


「観測よ」

 ネネは即答する。


「あなたたち、まだ“定義”にこだわっている」


「もう十分でしょう」


「え、ちょっと待て」

 ルイが身を乗り出す。

「なんで全員揃ってんの?」


「たまたまよ」

 ライキが適当に言う。

「外で呼ばれた」


「……呼ばれた?」

 カズマが眉を上げる。


「そういうことにしておいて」

 ナナコはそれだけ言って、視線を落とした。


 それ以上説明しない。


 カナデの思考が、一瞬だけ止まる。

(揃っている)

(偶然ではない)

(でも目的は共有されていない)


「……何のつもり?」


 ネネは、カナデを見ないまま言う。

「情報はもう揃っている」


「あなたがそれを“恋”と呼ぶかどうかの問題だけよ」


 沈黙。


 ルイが小さく笑う。

「いや、それもう答え出てね?」


 カナデは答えない。


 答えられないのではない。


 どの階層の言葉で返すべきか、選べない。


 窓の外で、風が止まる。


 教室の空気だけが、妙に静止したままだった。


---------------------


 教室の空気はまだ、どこか整理されていなかった。


 ネネは既に興味を失ったように窓の方を見ている。

 ライキは椅子にだらしなく座り、ナナコは何も言わず立っている。


 カナデだけが、ノートを開いていた。


「一応、整理するわ」

 誰に向けたでもない声。


 ペンが走る音だけが、小さく響く。


 ――渡辺ライキの証言

  『レントの歌は普通に下手』

  『音合わせもズレてる』

  『変な音だと思う』


 カナデは一度、ペンを止める。


(“下手”という評価は、基準依存)

(比較対象が存在している)

(つまり、音楽的規範は共有されている)


 再び書く。


 音程基準は一般水準に準拠

 逸脱は観測可能レベル


 ――榎本ナナコの証言

  『エイミは絶対音感だけではない』

  『それ以上の感覚がある』


 カナデの手が止まる。


(“以上”)

(定義不能領域)

(比較対象なし)


「てかさー、絶対音感なのにあの音痴許せるのか?」

 ルイが笑い混じりに言う。


「ルイ、さすがに失礼だよ」

 ユウナが軽くたしなめるが、空気は緩いままだ。


 カナデは一瞬だけ視線を上げる。

「……許す、という概念は関係ないわ」


「は?」

「音の評価と、認知の選好は別軸よ」

 ペンがノートに戻る。


(エイミ:音の“正確性”ではなく“構造差異”に反応?)

(ライキ:逸脱音=単純な誤りとして認識)

(ナナコ:その上位互換の感覚を示唆)


 指先が止まる。


(同一現象を、別の軸で見ている)


「いやでもさ」

 ルイが肩をすくめる。

「結局“好きだから許せる”って話じゃね?」


 一瞬、空気が揺れる。


 カナデは即座に否定する。

「それは雑すぎる変換よ」

「でも一番わかりやすいじゃん」


 沈黙。


 ユウナが小さく呟く。

「……でも、もしそうならさ」

「何?」

「音がどうとかじゃなくて、その人の“ズレ方”が好きってことになるよね」


 カナデのペンが、ほんのわずかに止まる。

(ズレ方)


 その単語だけが、ノートの中で浮く。


(“許容”ではない)

(“選好”でもない)

(“構造依存”)


 しかしどれも違う。


 カナデは小さく息を吐く。

「……まだ整理が必要ね」


 窓の外で風が揺れる。


 ノートの上、ペンを持つ手が、重くなった気がした。


--------------------------------


 ネネは、机の縁に軽く指を置いたまま言った。


「ねえカナデ。エンクリプトされた情報を入力されたら、どうする?」

 唐突な問い。


 しかしカナデの反応は早い。

「復号するに決まっているでしょう?」


 即答。

 当然のように。


 ネネは、そこで初めてカナデを見る。

「そういうことよ」


 空気が止まる。


 カナデの眉がわずかに動く。

「……何が?」


 ネネは説明しない。

 ただ、視線だけを外す。

「あなたが今やっていること、全部それ」


 沈黙。


(復号)

(入力されたものに対し、意味構造を再構築する行為)

(ただし——鍵が提示されていない)


 カナデの思考が、一段ずつ遅くなる。


(鍵なしの復号?)

(それは不可能のはず)


「前提が違うわ」

 カナデは即座に否定する。

「復号には鍵が必要よ」


 ネネは「鍵」という単語に僅かに反応を見せる。

 神宮寺ツカサから奪われた、ラボの鍵を想起したのかも知れない。


 しかし目を瞬かせ、小さく肩をすくめる。

「そうね」


「でも、結果は出ているでしょう?」


 カナデの指先が止まる。


(結果)

(整合)

(検証可能な一致)


 確かに、ある。

 しかし同時に理解してしまう。


(過程がない)

(説明がない)

(再現できない)


 それでも成立している。

 ネネはそれ以上何も言わない。


 ただ、立ち上がる。


「そういうことよ」

 そして去る。


 残されたカナデだけが、ノートを見つめる。


(復号できているのではない)

(そもそも“鍵”という概念が前提ではない)


 その仮説に至った瞬間、別の違和感が浮かぶ。


(ならば、エイミやレントの現象も——)


 カナデは一度、息を止める。


(“理解している”のではなく)

(“既に一致している状態を観測しているだけ”)


 その可能性に触れた瞬間、

 ノートの上の線が、少しだけ歪んだ。


(惑わされている)


 ノートを睨む。


("エイミ:絶対音感の上位互換の感覚")


 思考を深める。


(たとえば)


 ペンが走る。


("共感覚")


 音を色として知覚する感覚異常。

 それ自体は、説明できる。


 だが。


(それだけでは、“選択”が説明できない)


 世界の音すべてに色があるなら、

 なぜ深見レントだけが特別になる?


 カナデは思考を止める。


 その時。


「そういえば」

 ナナコが、小さく呟いた。

「前にエイミ、“あなたの音も灰色なのね”って言ってた」


 一瞬。


 カナデのペン先が止まる。


(……“も”?)


 灰色。

 つまり、既存世界。


 正しい音。

 整った旋律。

 一般的評価。


 そのすべてが、

 彼女には既に“刺激として機能していない”。


(刺激欠損)


 だから、

 レントの逸脱音だけが、初めて閾値を超えた。


 だが。


 そこで再び、ネネの言葉が浮かぶ。


『エンクリプトされた情報を入力されたら、どうする?』


(復号)


 では、

 鍵はどこで共有された?


 会話?

 経験?

 理解?

 違う。


 深見レントは、

 自分の音が特別だとすら認識していない。


 それでも、

 島村エイミだけが受信した。


 なら。


「鍵は、交換されたのではなく」


「最初から一致していた?」


 カナデはそこで、

 ようやくノートから視線を上げる。


 窓の外。

 風で木々が揺れている。


「……つまり」

 カナデは、ノートの上に視線を落としたまま、小さく呟く。


 ペン先が止まる。


「これは“恋”というより――」


 一瞬だけ、言葉を選ぶ間。


「……現象としての同期に近いのかもしれないわね」


 教室が静かになる。


 ユウナが最初に瞬きをした。

「それ、恋って言わないの?」


「定義が違うわ」

 カナデは即答する。

「感情の共有ではなく、認識構造の一致よ」


「はいはい、カナデ語」

 ルイが笑う。


 だが、アズサだけは黙っていた。


「……でもさ」

 静かな声。


「カナデ、もう分かってるんでしょう?」


「……そうね」

 視線が、ほんの少しだけ揺れ、

 ノートに落ちる。


「納得はいっていないけれど」


 その言い方は、

 否定というより、保留に近かった。


 窓の外で風が吹く。

 ノートの端が、わずかに揺れた。


「だから、これはあくまで仮説よ」

 カナデはペンを持ち直す。


「まだ説明できない部分が多い。

 でも――」


 そこで一度だけ言葉を切る。

「もし最初から、“鍵”が一致していたのだとしたら」


 誰も口を挟まない。


 カナデは静かに視線を上げた。

「話は、全部繋がるのよ」


 そう前置きして。

 カナデの描くストーリーが、ゆっくりと展開された――


---------------------


 駅前は、いつも騒がしい。


 バスが止まる音。

 信号機の電子音。

 笑い声。

 靴音。

 遠くで流れる宣伝用のBGM。


 島村エイミは、人混みの中を歩きながら、小さく眉を寄せた。


 彼女には、音が“色”で見える。


 ブレーキ音は鈍い鉄色。

 雑踏は濁った黄土色。

 コンビニの入店音は、安っぽい蛍光グリーン。


 世界はいつも、汚れていた。


「……最悪」


 吐き捨てるように呟く。


 そのときだった。


「――♪」


 不意に、一つの音が耳に触れた。


 エイミは足を止める。


 駅前広場の隅。

 ベンチの横。


 一人の男子生徒が、ギターを抱えて歌っていた。


 下手だった。


 致命的なくらい。


 音程はズレる。

 リズムも甘い。

 サビでは声がひっくり返りかけている。


 絶対音感を持つエイミなら、本来三秒で逃げ出すレベルだ。


 なのに。


「……え?」


 視界の奥で、色が弾けた。


 赤。

 青。

 金色。

 水に落ちたインクみたいに、空気へ滲んでいく。


 ありえない。


 こんな色、見たことがなかった。


 正確な演奏は、綺麗に整列する。

 だから退屈だ。


 けれど、彼の音は違った。


 崩れている。

 不安定だ。

 なのに、そのズレ方だけが異様に鮮やかだった。

 夕方の西日すら、その色に負けて見える。


 歌い終えた男子生徒は、気まずそうに頭を掻いた。


「やっぱ今の、ちょっと外してたかな……」


 通行人が苦笑しながら通り過ぎていく。

 本人も、自覚はあるらしい。


 エイミは気づけば歩き出していた。

 一直線に。


「ちょっと」

「え?」


 男子生徒が振り返る。


 穏やかそうな顔だった。

 同じ制服。

 たしか、深見レント。


「あんた、自分がどれだけ音痴か分かってる?」

 レントは固まった。


「あ……はい。まあ、一応……」

「一応じゃないわ。壊滅的」

「そこまで!?」

 思わず、といった感じでレントが笑う。


 その瞬間。


 山吹色が、ふわりと揺れた。


 エイミは言葉を失う。


 笑っただけ。

 ただそれだけで、色が変わる。


「……何なの、あんた」

「え?」

「理論はめちゃくちゃ。ピッチも終わってる。なのに……」


 視線が逸らせない。


 耳障りなはずなのに、

 もっと聴きたいと思ってしまう。


 そんな音、初めてだった。


「……島村さん?」

 レントが少し困ったように首を傾げる。


 エイミは腕を組んだ。

 考える。

 そして、結論を出すみたいに言った。


「決めた」

「はい?」

「あんた、しばらく私の前で歌いなさい」

「……え?」

「研究する」

「け、研究!?」

 レントは本気で困惑していた。


 けれどエイミは構わない。

 世界はずっと灰色だった。


 正しい音も。

 完成された演奏も。

 全部。


 なのに。


 この音だけが、世界に色を付ける。


「勘違いしないで」エイミは視線を逸らす。

「あんたの歌は、最悪よ」

「えぇ……」

「でも」


「今まで聞いた中で、一番マシ」

 そう言って歩き出す。

 レントはしばらく呆然としていたが、

「……それ、褒めてる?」


 後ろから聞こえた声に、

 エイミは答えなかった。


 ただ、

 夕暮れの街に残る虹色だけが、

 まだ消えずに揺れていた。


------------------------


「――というわけよ」カナデはそう締めくくった。

 しかし、ノートは開いたまま。


「……それって、つまり」ユウナが呟く。

「運命なんじゃね?」ルイが続けた。


 沈黙。


 カナデのペン先が止まる。

「……その単語は、精度が低すぎるわ」


 即答。

 ——のはずだった。


「でも?」アズサが静かに聞く。


 カナデは少しだけ視線を落とす。

「……説明不能な現象の同期を、昔から人はそう呼ぶのでしょうね」


 風が吹く。


 ノートの端が、わずかに揺れた。


「もうそれって、“同期”とか言ってる時点で、もう検算されてるだろ」


 カズマは肩をすくめるように言った。


 カナデの視線が、一瞬だけ止まる。

「……検算?」


「そう。結論出てんのに、言葉だけ変えて安心してるやつ」

 軽い調子なのに、妙に核心を突く。


 沈黙。


 カナデは反射的に否定しかける。


 だが。


(……置換)


 頭の中で、自分の使った単語が並ぶ。


 同期。

 一致。

 受信。

 鍵。


 どれも、現象を説明するための語彙。


 しかし。


(説明対象は、同じ?)


 思考がそこで一瞬だけ止まる。


 ユウナが吹き出す。


「うわ、止まった」

「珍しいな」

 ルイが笑う。


「……止まってないわ」


 即答。

 だが、半拍だけ遅い。

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