第30話 体育実習
一夜が開けて、僕は何故か地面と抱き合っていた。
「おい、早く起きろ」
頭上から静さんの声が聞こえて頭を上げると、そこには汚れ一つ着いていない白衣を着た静さんがいる。
静さんの股の先では他の四人も地面と抱き合っている。
今は何時だろうか。
昨日、明日は一日中体育だと言われて学校に来てみると教室の黒板にはでかでかとグラウンドで待つ、と書かれてあった。
新手の果たし状かと思ったが、実際に行ってみるとグラウンドの入口の壁に寄りかかっている静さんがいた。
そうして今の今まで皆投げ飛ばされていた。...主に背負い投げで。
「少しくらいこの白衣を汚してみせろ」
先程から一人一人静さんに向かっていくのだが、結果は惨敗。ただその中でも食いついて行けているとすれば、やはり同じ男子の白抜井さんだろうか。
その他の女子達も頑張ってはいる。
ちなみに自分は一番最初に投げられて、ちゃっかりサボっていたりもする。
多分そのせいで今僕の目の前にいると思うのだが...少しサボりすぎたようだ。
「ほら、さっさと立て。それとも何だ、叩き起こされたいか」
「ちょっとくらいは手加減をしてください」
「やっぱり、倒れたふりして休んでたな」
「そうだとして何かあります?」
「こうなる」
そう言って静さんは片手で襟を掴んで持ち上げる。
自分、50~60kgくらいはあるはずなのだが...人は見かけによらないとはこの事を言うのだろうか。
片手でこうやすやすと人一人を持ち上げられる人を僕は知らない。
「ほれ」
その掛け声とともに僕は地面へとまた転がされた。
ちなみに、マラやその他の主達はグラウンドから離れた建物の日陰でこちらを眺めている。
例えるなら幼稚園のおゆうぎ会みたいな感じだ。内容はとてもお遊戯とは言えないが。
「ようやっと受け身を取れるようになってきたな」
「それは...2時間以上も投げられたら出来るでしょう」
危険だからと珍しくメガネを外している天納さんが嫌味を言う。
彼女も自分と同じく土まみれだ。唇や頬にも土がついている。
一番最初にバテるかなと予想していたが、案外そうでもないらしい。
「先生、こういうのってマットを使ってやったりするんじゃないんですか」
大量の汗をかいて立っている白抜井さんがそう苦言を呈す。
今の二時間で彼が一番静さんに向かっていて、一番投げ飛ばされていた。
ただ今の状態を見るにまだまだ余力はありそうだ。
「お前達が今後相手するのはマットの上じゃない。硬いコンクリート、氷点下状態の水の上、もしかしたら雲の上、宇宙かも知れない。そんなところにマットはないんだ」
「だから慣れろ、慣れたらあとは応用だ」
なんだかとても大事なことを言われた気がする。
ただ...。
「今は漠然と考えている状態でいい。まだ実践じゃないからな」
周りに視線を向けると、全員が静さんの方を向いて心酔をしているようにその言葉を聞き入っている。
本当に素晴らしいと思う。自分のように細かいことが気にならないようで。
恐らく、天納さんあたりは自分と同じようなことを思っていそうではあるが。
「疑問なんですけど」
「なんだ」
「先生の言い分はわかりましたけど、何も知らない初心者相手にすることではないのではないかと」
僕がそう言うと静さんはフッと鼻で笑ってこう言ってきた。
「よし、紙雅。お前は後で私と一緒にグラウンド10周だ」
「その反応、図星じゃないですか」
「何だ、20週がいいのか?」
「遠慮しておきます」
ただでさえ朝から投げ飛ばされてヘトヘトだと言うのに、勘弁してもらいたいものだ。
余計なことを言わなければいいだけではあるのだが、まぁこんな性格だ。この歳まで直せるなら直していただろう。
結局、直せることはなく、この後にグラウンドを10周することが決まってしまったが。
その後も、地面にぶつかり肺から強制的に酸素を吐き出させられ、大体12時頃に一段落がついた。
途中から僕だけのあたりが強くなったのは気の所為だと思いたい。教師が指導に私念を入れるとは...余り考えたくはない。
「やはり雲珠未の弁当はうまいな」
どういうわけか本来は僕が食べるはずだったお弁当をマラが3分の1を平らげている。
「それ、僕の弁当なんですけど」
「腹が減ったからな」
「マラの分は別に作っくられていたでしょう」
「早弁というものを...お前はそういうのしたことなかったな」
「なんでマラがそんな事を知っているんですか」
「隣の席の高橋くんがやっていたからな」
一体誰なんだマラに早弁というものを教えた高橋くんというのは。
「お前の隣の席だったじゃないか」
「...本当に誰です?」
「人の名前を覚えるのが苦手なんですか?」
雲珠未さんが箸で弁当の卵焼きを掴みながら聞いてくる。
正直なところ、覚えるのが苦手というよりかは覚える気がないというのが正しい。
小中とあまり人とは関わらなかったからか、人への関心が人一倍ないのかのどちらかだとは思うが。
「多分ですけどね」
そう言いながら分量が減ったお弁当を取り返して、マラに文句を言われながらも口へと運ぶ。
適当にかけられているはずのごま塩が少しだけしょっぱく感じる。
そうしてお弁当を食べていると、一人離れたところでコンビニ弁当を食べている静さんが午後の予定を大きな声で伝えてきた。
ただ近づいて来ればいいだけだと思うのだが。
「午後は戦闘訓練を行うからな。動けるようにしておけよ」
「わかりましたー」
村雨さんが返答をすると、静さんはこちらに向けていた顔を再びコンビニ弁当へと向けた。
腹八分目程度にお弁当を食べて、というか八分目しかなかったが、午後に向けて少し体をほぐす。
どうやら体力測定の時のような事をやるらしい。ただし今回は5対1だ。
流石の静さん、というかどんな格闘技のプロ選手だったとしても複数戦は確実に負けると思うのだが...どうなんだろうか。
そう思いながら準備体操をしていると、不意に白抜井さんが話しかけてきた。
「紙雅くん、これから先生との戦闘訓練だけど何か作戦とかはあったりするのかい」
「何故僕に?別に何の作戦も立てていませんけど」
「だって、どうせなら勝ちたいじゃないか。それに朝からずっと投げられっぱなしだったからね」
「つまりはやり返したいと」
「そうだね。そういうことさ」
後頭部を恥ずかしそうに掻きながら爽やかな笑顔でそう言ってくる。彼のジャージの裾や膝に土が大量にへばりついていた。
本当に彼には人として何処か自分との違いを感じる。
きっと僕は彼のようにはなれない。なりたいと思うこともなろうとすることもないだろう。
何故かはわからないけど、これだけはハッキリと断言できる。
「そういうのは天納さん方が得意だと思いますよ」
「そうかな?俺はそうは思わないな」
「前の体育館での出来事はたまたまです」
「君がやる気ないのはわかった。自分でどうするか考えてみるよ」
「その考えに他の人を巻き込むのはいいですけど、僕は入れないでくださいね」
「わかった、善処するよ。君は中々に人らしいね」
そう言って、まだ雪が少し残っているグラウンドへと向かうために背を向けて去っていく。グラウンドには村雨さんや雲珠未さんが二人で話し合っている。
正直、彼が勝つためにどんな行動をするのか興味はあるが、まずはどれだけ疲れないかを考えながら行動するとしよう。
白抜井さんの後ろ姿を見て僕は、
「僕は正々堂々ダーティーな事をすることしか思いつかないんですよ」
そんな事を聞こえていないと知りながら、今はもう誰も何もない虚空に呟いた。
軽い準備運動を終えて、もしかしたらグラウンド倉庫が開いていないかと思い行ってみたが開いてはいなかった。
もし開いていたらそこにあるものをいくつか頂戴して投げつけるつもりだったのだが、残念だ。
「何をしているんですか。早く集まったらどうです」
扉にかけていた手を戻して声をした方に振り返る。
「楽をしようとしたんですけど、無理でした」
「貴方のことですからそんなことだと思いいましたよ」
運動をするからか、少し長い髪をゴムで止めている。エメラルドグリーンをくすめたような色は森に入れば保護色になりそうだ。
「早くしないと先生にまた周回を追加されますよ」
「それは勘弁を願いたいですね」
「ちなみに遅れたら私もだそうです」
グラウンドを10周だけでも辛いというのにさらに追加されるのは流石に避けたい。
グラウンドの入口を見ると、ちょうど静さんが入場をしたところだった。
遅れないためにもさっさと集合地点まで戻ろう。
そう思い、まだ肌寒い3月の気温対策のためにジャージのポケットに手を入れて早歩きで集合地点まで向かう。
その後を少し遅れて天納さんがついてきた。
そうして、全員が揃ったグラウンドで戦闘訓練が始まった。
僕たちは静さんを五角形の様な形で取り囲んでいる。主達は一日中待機だ。
午後が始まってから、誰も最初から突撃するなんていう馬鹿なことはせず、ジリジリと静さんとの丁度いい間合いを測っている。午前中の授業で相手が絶対な格上だということを身にしみて感じさせられたからだろう。
「来ないのか?なら、こちらから行くぞ」
安全な間合いを測るのに時間を掛けすぎてしまったと、そう気づいたときには遅かった。
雲珠未さんが瞬きをした瞬間に距離を詰めて、気づいたときには地面に負されていた。静さんの取っているポーズから背負い投げということはわかるが。
投げられた等の本人は何が起こったのかわからなかったんじゃないだろうか。
実際、5mぐらい距離があったと思うのだが、瞬きを一回するほどの時間で彼女の元へ移動した。
...少し早すぎやしないだろうか。
今の動きは生物種として可能でない気がする。
「速すぎですね」
隣からそんな呟きが聞こえてくる。
あのスピード、短距離なら公式大会でも賞を取れるんじゃないだろうか。
「これで一人目だ」
等の本人は授業で数学の問題を解くようにさも平然としながらそんな事を言っている。
果たして白抜井さんはこの人にどうやって勝つだろうか。
そもそも勝てるような力量差なのだろうか。
そんな事を考えていると、村雨さんがバックステップをする。
彼女が元いた場所には投げる構えを取っている静さんがいる。
投げられていない、ということは避けることが出来るということだろう。
そうして村雨さんは更に距離を取るように後ろへと大きく跳ねる。
「空中が一番無防備だぞ」
その声が聞こえた時、すでに後ろに跳んでいた村雨さんが地面に投げ伏せられていた。
「二人目」
背中に嫌な汗が流れる。ドロリとした熱っされて流体となった金属のような汗だ。
静さんは着実にこちらの隙を狙って近づいてくる。
次は距離的に自分だ。
この前のような感覚に陥ることができればなんとかなるかもしれないが。
いや、どうせならそれは白抜井さんの方がいいかもしれない。
形容しがたい概念は破局に対抗する力を白抜井さんに与えたと言っていた。
なら自分より白抜井さん方が...。
「何を考えているかは知らんが、考えすぎだ」
その言葉が聞こえたとの同時に自分の腹部から鈍い打撃音がなり、短い息が漏れた。




