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危機から脱したタリッサの町は、次の段階に向けて動きはじめていた。
役人たちが、手分けして討伐成功を触れてまわると、建物にかくれていた人々が、窓から顔をのぞかせる。
そして、おそるおそる扉をひらき、少しづつ外に足を踏み出した。
だが、外に出たからといって祭りが再開されるわけではない。
人々が最優先でおこなったのは、治療を受けられずにいた怪我人たちを施療院まで運ぶこと。次におこなったのは、めちゃめちゃになった路上や広場を片付けることだった。
屋台が横倒しになったり、散乱した商品が踏み荒らされていたりして、どこもひどい有様だったのだ。
片付けは露天商と住民、活動的な観光客たちの共同作業になった。
作業は順調だったが、皆の口をついて出たのが怒りと嘆き、魔物を呪う声ばかりだったのは無理もない。
手間暇かけて準備をし、誰もが待ち望んでいた祝祭が、最低の幕切れになってしまったのだから。
けれど、しばらくすると、そんな状況にも変化が生まれる。
きっかけとなったのは、やはり手伝いのために聖堂から出てきていた聖職者たちの言葉だ。
虹祭りのもととなった洪水伝説。その大洪水を生き延びて、町を復興させた祖先たちの苦労はいかばかりだっただろう──。
そんな呟きが、周囲の人々をはっとさせた。それは、知ってはいても伝説上に過ぎなかった災害が、実感を伴った瞬間でもあった。
洪水で町ごと押し流された時代があり、そこで生き延びた祖先たちが必死になって復興した、長きに渡る時代がある。
いま、この町が祝祭を催したり楽しんだりできるのは、その長い努力の賜物なのだ。
やがて、きれいになった町角のあちらこちらで、楽師たちが誰からともなく楽器を奏でたり、歌を歌ったりしはじめた。
聖堂に所属している楽団員もいれば、旅芸人たちもいる。
伝説ではなく、たしかに存在した過去の時代に捧げる音楽。祖先たちの苦労に思いを馳せる音楽だった。
その楽の音に、多くの人々がじっと耳を傾けた。
これも、虹祭りのひとつのかたちであったかもしれない。
かすかに聞こえていた音色が途切れたのを機に、エセル姫は立ち上がると、ひらいていた窓を閉じた。
ディークリートが火打石を器用に使い、テーブルに置かれた燭台のろうそくに明かりをともす。
きらめく銀の光ではなく、おだやかな橙色の小さな炎が、室内をあたたかく照らし出した。
ふたりがいるのは、昨夜も宿泊した貴族御用達の宿の一室だった。
建物自体は大きくないが、王族の急な来訪にも対応できるような、格式の高い宿だ。
警備もしっかりしているので、ディーはいまは護衛ではなく、姫君の友人としてここにいることを許されている。
壁際に置かれたベッドでは、精根尽き果てたラキスが、こんこんと眠り続けていた。
「……本当に目覚めるんでしょうかね」
ぴくりとも動かない昔馴染みをみつめながら、ディーが不安げに呟いた。
魔法剣を突き刺した張本人としては、さすがに気にかかるらしい。
「大丈夫よ」
エセルは請け合うと、テーブル席に腰をおろして相手にも椅子をすすめた。
「以前インキュバスから解放されたあとも、こんなふうだったの。でも目覚めてからは、どんどん元気になったわ」
「インキュバスのときも……」
「ええ。だから心配しないで」
ラキスの背中には、多数の爪痕や歯形が残っていたが、どれも乾いてすでに治りかけているようだった。
寝顔から深い疲労が見て取れるものの、呼吸は安定しているし熱もない。必ず元気に目覚めてくれるはずだ。
そう信じながら、エセルは希望を込めて、熟睡する彼をじっとみつめた。
それから視線をディーに戻し、深い感謝を恩人に伝えた。
「ディー、本当にありがとう。すべてあなたのおかげだわ」
姫君の熱い謝辞を受けると、ディークリートは居心地悪そうに身じろぎをした。
「いいえ。わたしこそ、姫様の目の前で乱暴な真似を……。驚かれましたよね、いきなり突き刺したりして」
「それはもう」
エセルがすばやく返事をすると、苦笑する。
「失敗したら、姫様に顔向けできないところでした」
「失敗すると思ったの?」
するとディーは、少し考えてから首を横に振った。
「ある意味、賭けでした。でも、ラキスなら賭けに勝つと思いましたよ」
「──ありがとう、ディー。何度言っても言い足りないわ」
エセルが繰り返すと、ディーは本気で困ったように藍色の瞳をそらした。
「いえ、もういいですから……。実を言うと今回の件は、自分が昔しでかしたことへの償いなんです。それにしては荒っぽかったですが、成功したからまあいいかなと」
エセルが小首をかしげると、ディーはさらに苦笑して続けた。
「昔、あいつを死なせかけたことがあるんですよ」
「え……誰が?」
「わたしが。殺意じゃなかった、とは思います。でも、いま考えると殺意と同じでしたね」
それからディーは、コルカムで起きた出来事をエセル姫に話しはじめた。
夏の日の留守番、井戸に落ちた六歳の子ども、大騒動とその顛末──。
エセルは、目を見張りながら聞き入った。
井戸の出来事は、以前ラキスからも聞いた覚えがある。けれど、もうひとりの少年の話は初耳だ。
思わず真剣になった彼女だが、話を聞き終えたときには笑い出さずにはいられなかった。
テーブルに登って本で殴るとは、なんというお行儀の悪さだろう。
それから思わず口にしたのは、こんな感想だった。
「あなたたちって、本当に兄弟みたいなのね」
以前、ドーミエにいるときも言った台詞だったが、ディーの反応も当時とそっくり同じだった。
「どこが兄弟なんです。全然ちがう」
「じゃあ、お友達ね。とても仲良しの」
「やめてください」
そう言って、彼はちらりとラキスのほうを見たが、その顔つきは本当に嫌そうだった。
「仲良くなんかないですよ。わたしはこいつを見てると苛々するんです。自分自身を大事にしないし、馬鹿みたいに思い詰めるし、損になることばっかりやってるし、なんでもっと要領よく生きられないのかと思うと腹が立って……。姫様、どうされました?」
「いえ……」
エセルは笑いをこらえるのに必死だった。
ラキスが目を覚ましたら、ぜひ同じことを言って反応を見てみたい。そんなことを考えてさらにおかしくなりながら、ベッドの彼に再び視線を向ける。
いまはとにかく、ゆっくり眠って休養をとってほしい。そして目を覚ましたら、元気な声を聞かせてほしい──。
心から、そう願っていた。
いつもありがとうございます。
再スタートです。よろしくお願いいたします。




