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第二十話

 半径十mに及ぶ電撃包囲網から辛くも逃げ延びた俺たちは、問答無用の攻撃を行ったエルハルトの一挙手一投足に注意を払っていた。

 肉魔法だけでも厄介だというのに、攻撃を無効化するローブと、チート能力てんこ盛りの勇者の兜まであるだんなんて、目の前の兜男はまるで歩く災害だ。


 唯一の救いは馬鹿であることか。

 しかし『馬鹿とハサミは使いよう』という言葉もあるように、相手が馬鹿だからといって警戒を緩める訳にはいかない。

 相手には即死級の攻撃力があり、攻撃を無効化する防御力もあるのに、こちらの陣営には何一つ無いのだから。


 チート能力を持つ異世界人と戦う羽目になった物語の住人というのは、こんな気持ちだったのかもしれない。

「ふざけんなよ、冗談じゃねぇよ!」という気持ちで一杯だ。

 蹂躙する方は爽快感があるのかもしれないが、やられる方はたまったものではないな。


 それでもなんとかしなければ殺されてしまうのである。

 なにしろ相手は名指しで俺の命を狙っているのだ。

 捕まれば国王に殺されて、逃げても抵抗しても殺しにくるというのでは戦う以外に道がないではないか。


 ああしかし、『なんとかしなければ』という言葉の響きは何と頼りないのだろう。

 数の差をものともしない強者を相手に、勝つ算段もないままに戦う羽目になった雑魚の心境とは、これほどまでに心細いものだったのか。


 逃げられない、防げない、攻撃が通らないという三拍子に早くも心が折れそうである。

 どうして俺はこんな所で、雑魚の気持ちを味わっているのか。



「心を折るな! 強くあれ! 弟はあれでも人間だ! ならば必ず勝機はある!」



 挫けそうになった俺たちの戦意は、バルガス王子の一声でなんとか持ちこたえることができた。

 さすがは王族である。こういった時にどういう類の言葉をかければ気持ちを繋ぎ止められるのか、ちゃんと教育されているらしい。


 というかそもそも、バルガス王子は皇国の第一軍を率いていたのだったか。

 恐らく彼は普段から、自らの軍を差配しているのだろう。


 だから俺たちのような烏合の衆であっても、鶴の一声でまとめることが出来るのだ。

 特に国に絶望し、皇国の侵攻を今か今かと待ち望んでいた者たちにとっては、バルガス王子の一声はあまりにも効果的であった。


「聞いたかお前たち! バルガス王子殿下に我ら歓迎軍の真価を見せる時が来たぞ!」

「この絶望的な状況下で一歩も引かずに味方を鼓舞するとは。流石は音に聞こえた皇国の第一王位継承者」

「おおお……これぞまさしく真の王族。目の前の現実から目を背け、醜く肥え太るだけだった我が国の王族とどうしてこれ程までに違うのか……」


 歓迎軍の連中は何故か涙を流しながらバルガス王子を褒め称えている。


 いや、そんなに感動する話だったか今の?

 確かに気持ちは奮い立ったけれど、涙を流すほどではないと思うのだが……。


 どうも俺と彼らとではテンションの上昇度に差があるようだ。

 いやまぁ、感想は人それぞれなのだから、とやかく言う筋合いはないのだが。


 彼らは再び獲物を構え、エルハルトに相対するために扇状に展開した。

 密集隊形ではまとめて薙ぎ払われると考えたのだろう。敵の狙いを散らすのは戦いの基本だ。

 もちろん俺は戦えないので、フロンと共にバルガス王子の後ろへと下がっている。

 ヘタレと言われても仕方ない。安全第一だ。

 そもそも俺は肉魔法を防ぐための小動物すら持っていないのだから、戦力にすらならないのである。


「ガガガ……無駄ダ。同ジコトヲマタスルダケノ話デシカナイ。貴様タチデハ俺様ニハ勝テン。大人シク肉屋ト実験体二十六号ヲ渡セ」

「渡したら見逃してくれるとでも言うのか?」

「俺様ガ陛下カラ受ケタ指令ハ二人ノ連行ノミ。貴様タチヲ殺害シロトイウ命令ハ受ケテイナイ」

「なるほどな。だが断る!」

「ナニィィィーー!!」

「ここで二人を差し出しても、お前が新たな命令を受けてきたら結局私たちは戦うことになるだろう。こんなところで貴重な戦力を失うわけにはいかんのだ!」

「フザケルナァァ! 肉屋ト犬コロガ戦力二ナルトデモ思ッテイルノカァ!」

「なっているだろうが! 肉屋殿の指示は常に的確であるし、フロンは私をこの場へと導き、王国の内情を正確に伝えてくれたのだ。戦闘力こそないが二人の優秀さは疑うべくもない。よって私には二人を切り捨てるような真似はできんのだ!」

「ソノ選択ヲ後悔スルガ良イ、兄貴! イヤ裏切リ者ノ父殺シメェェー! 「あべしっ!」」



 エルハルトは瞬時に腕を上げ、上級肉魔法「あべしっ!」をバルガス王子に向けて放った。

 その次の瞬間に起きた出来事は先程の焼き直しだ。

 王子は腰に吊るしたトカゲを掲げると同時に、足元に転がっていた石を蹴り上げ、即席のバリケードとして使用する。


 先程との違いは、その即席バリケードが通用するか否かでしかない。

 所詮は蹴り上げただけの石なのだ。上手い具合に魔法に当たらなければ、相手の魔法を無効化することなどできはしないのである。


 石の横を通過した必殺の魔法は、そのままバルガス王子へと向かっていく。

 それを見たバルガス王子は、掲げていたトカゲを迫り来る肉魔法に投げつけた。


 次の瞬間、魔法が着弾したトカゲは急速にその身体を縮めていき、あっという間に絶命してしまったのだ。

 口から大量の血を吐き出したトカゲの死体は、そのまま地面へと落下する。

 これが上級肉魔法「あべしっ!」の威力。

 筋肉を収縮させることで対象を殺す必殺の魔法か。


 なるほど、俺が見たアニメでは膨張した筋肉が吹き飛んで死亡するシーンが印象的だったが、逆の現象であっても死からは逃れられないようである。


 瞬時に骨と皮にされてしまったトカゲの死体は恐ろしいものだった。

 血抜きをして天日干しにされたような痛ましい姿だ。

 筋肉を魔法によって強制的に収縮させられると、こんな骨と皮だけの死体にされてしまうらしい。絶対にごめんである。


 あの大量の吐血は、筋肉の強制圧迫にともなう現象なのだろう。

 あれはやばい。喰らったらアウトだ。


 実際に見ると聞くとでは大違いである。

 肉魔法に付けられた名前を聞いて吹き出しかけている場合ではない。

 どれだけふざけた名前であっても、それは間違いなく必殺の威力を持っているのだから。


「ひでぶっ!」を使って爆散した偽神官と、「あべしっ!」を喰らって骨と皮だけになったトカゲ。

 どちらが良いかと言えば、どちらもごめんだ。

 こんな一撃必殺を誇る魔法の使い手と戦うなんてどうかしている。

 もっともその相手に名指しで狙われているのだから、戦いはどうしたって避けられないのだが。


「あたたたたたた!」

「ほぉあたああああ!」

「あべしっ!」「ひでぶっ!」「あべしっ!」「ひでぶっ!」


 エルハルトの攻撃に上級肉魔法が混ざり始めた。

 下級と中級の連打に混ぜる形で、四方八方に必殺の一撃が撒き散らされる。


「がはぁ!」「ごはぁ!」

「うおおおぉぉ! 負けるかぁ!」


 グレン率いる歓迎軍は善戦したと言っても良いだろう。

 エルハルトの猛攻を前に、彼らは早々に単独では対処できないと気が付いた。

 彼らは瞬時に近くの仲間と連携を組み、瓦礫を盾にエルハルトの猛攻を凌ぎ始めたのだ。


 中でも突出していたのはグレンであった。

 彼は何と雨あられと降り注ぐ肉魔法の猛攻を捌き切り、エルハルトに肉薄して一撃を加えることに成功したのである。


 だが、それでも相手の方が上手であった。

 骨を折られて血反吐を吐き、用意していた小動物を全て使い切ってようやく喰らわせたグレンの一撃は、エルハルトの体を覆う国宝のローブによって無効化されてしまったのである。


 情け容赦なく襲い来る肉魔法の嵐の前に、一人また一人と歓迎軍は膝を屈していく。

 エルハルトの狙いがあまりにも正確すぎたために、ほとんど攻撃を躱せなかったことが主な原因だ。


 恐らく勇者の兜の能力の一つ、〈必中〉が発動しているのだろう。

 しかも途中から歓迎軍の動きが目に見えて鈍り始めた。〈遅延の邪眼〉の効果も発動していると考えて間違いない。


 マジで本当に勘弁してくれ。

 同じ意味なのに二度言っちゃったよ。

 どうしろっていうんだこんなチートを相手に!


 しかもこれだけの魔法をばら撒いているにも関わらず、エルハルトの攻撃は全く止まる気配がないのだ。

 バルガス王子が歯ぎしりしながら「これが〈魔力増大〉と〈魔力効率向上〉の効果か」と言っていたことを考えても、この猛攻が普段のエルハルトの実力以上であることは間違いなさそうである。


 人よりも多くの魔力があり、しかも効率良く魔力を扱えるというのは魔法を使える主人公の定番能力ではあるが、その力を持っているのは俺たちの敵であり、俺の持つ奇跡は三択ロースただ一つだけ。


 なんだよこの能力格差!

 もっとフェアに行くべきだろう。負ける未来しか見えないんだけど。

 バランス悪すぎだろう、ゲームじゃないんだけどさ!


 結局エルハルトの言葉通り、歓迎軍は排除され、立っているのは俺とフロンとバルガス王子の三人だけとなってしまった。

 歓迎軍の連中が殺されていないのはエルハルトの情けなのか、それとも命令を受けていないが故なのか。

 誰一人として死体になっていないのは精神衛生上大変よろしい光景なのだが、待ち受けている未来を思うと陰鬱な気分しか覚えないのは辛いところだ。



「ガガガ……結局俺様ノ言葉通リ、コイツラハ役二立タナカッタナ」

「くっ! エルハルトォ!」

「睨ンダトコロデ俺様ヲ倒スコトハデキナイ。勇者ノ剣ヲ手ニシテイタナラ勝機ノ一ツモアッタダロウガナ」

「あんな呪い付きの武器を扱えるものか! この私を見くびるなよ!」

「ソノ選択ヲ後悔スルガ良イ! 貴様タチハ揃ッテ俺様ノ前二平伏スノダ!」

「あたぁ!」「ほあたぁ!」「あべしいいぃ!」



 言うが早いか、高速で動いたエルハルトの手の平から、大量の肉魔法がバルガス王子に向けて殺到した。

 バルガス王子は足元の瓦礫を蹴り上げ、腰に吊るした小動物を次々と投げつけることで、エルハルトの猛攻を凌いでいく。

 そして遂には持っていた剣をエルハルトへ向けて投擲してしまった。

 それは寸分違わずエルハルトの体を直撃したのだが、当たり前のようにローブによって無効化され、血の一滴も浴びることなく虚しく地面へと落下する。


 気が付けばバルガス王子の腰には一匹も小動物が残っていなかった。

 この短時間の内に全て使い切ってしまったようである。


 盾となる小動物がいなければ、肉魔法使いとは戦えない。

 必殺の一撃を防ぐ手立てがないままに戦うのは自殺と変わりがないからだ。


「分かった。私は大人しく殺されよう。そのかわり、肉屋殿とフロンはどうか見逃してもらいたい。二人が生きていたところで、あの国王にとってはどうということもあるまい?」


 それは牢屋の中で暗殺者に殺されそうになった時に聞いたセリフと良く似たものであった。

 この王子様はこんな時であっても、ブレることなく俺なんかを助けようとしてくれるというのか。

 俺は昨日この世界に来たばかりで、フロンに至っては牢屋で会ってからまだ半日も経っていないというのに。


 この人の心の内を知りたいと思ってしまった。

 きっとこの人は強く清らかな心の持ち主なのだろう。俺なんかとは違って。


 思えば昨日この世界にやって来てからバルガス王子には世話になりっぱなしだ。

 牢屋の中ではとばっちりで殺されかけていると思ったりもしたものだが、今思えばあれもまた俺の殺害が第一目標で、俺のとばっちりで王子が殺されかけていたのかもしれない。


 それからも常にこの人は俺の命を助けてくれたのだ。

 だから俺はこの人が死ぬのは見過ごせない。

 エルハルトが情け容赦なく手を掲げて「あべしっ!」と叫んだその瞬間、俺は足元に転がっていた瓦礫を手に王子の前へと飛び出していた。


「カイト!?」「肉屋殿!?」


 二人の焦った声が聞こえる。

 俺自身も馬鹿な真似をしていると自覚しているつもりだ。

 しかしこうでもしなければバルガス王子は殺されていただろう。

 どっちみち王子が倒されてしまっては俺とフロンでは抵抗することもできないのだ。早いか遅いかの違いでしかない。


 俺は手に持った瓦礫を投げることはせず、直接肉魔法の軌道に掲げ、肉魔法「あべしっ!」の無効化に成功した。

 瓦礫を投げたり蹴ったりするから攻撃がすり抜けるのだ。

 こうして直接手に持って掲げれば、相手の攻撃を防ぐことなどわりかし簡単なのである。


 そんな素人考えなど、この世界の住人たちならばとうに考え済みだと、俺も頭の片隅では理解していた。


「あたたたたたた!」

「ほぉあたああああ!」

「あべしいいぃ!」

「ひでぶううぅ!」


 エルハルトは一切情け容赦なく、肉魔法を雨あられと俺に向けてばら撒いてきた。

 それはどう見てもこの瓦礫一つでは対処のできない量である。


 戦闘は火力とは良く言ったものだ。

 多少防がれたところで、量を繰り出せば押し通せると考えたらしい。


 実際その考えは当たっているのだ。

 奴が使っているのは肉摩法。体のどこに当たっても相手を殺すことが出来る必殺攻撃なのだから。


 両手で持ち上げた瓦礫でカバーできる範囲などごく限られている。

 放たれた肉魔法は俺の素人防御など容易にすり抜けてしまうだろう。

 その中には当然のことながら必殺の上級肉魔法も混じっており、当たった瞬間に俺は即死だ。


 せめてもの抵抗として、俺はエルハルトに持っていた瓦礫を投げつけた。

 エルハルトは避ける素振りすら見せない。

 瓦礫が当たったところで、国宝のローブを着ているエルハルトがダメージを受けることはないからだ。


 そして投げつけた瓦礫の軌道上にあった魔法は消え去ったが、他の魔法は俺に向かって殺到してくる。


〈三択です!〉

 その時、俺の脳裏にいつもの声が響き渡った。

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