7 力無き者
トゥヴァリは真ん中の広場に来ていた。
ペルシュは、「もっと色々な場所を見に行って、もっとこの本に書き記そうよ!」と言ったので、今日は東の野菜畑へ行ってみるはずだった。
ペルシュが姿を見せないまま、広場には人が集まり始めていた。もう昼食の時間だった。
トゥヴァリも自分の広場へ帰ろうと思った。
「知ってるか?西の方で、子どもが死んだらしい。」
「子ども?子どもが死ぬわけないだろう。五十過ぎたら赤い精霊がやってくる。それが"死ぬ"という事なんだから。」
「そうだよなぁ。そういうものだよなぁ。」
トゥヴァリの心に小さな疑念が宿った。が、何も思わなかった事にして、トゥヴァリは帰った。
宮殿下の広場へくると、あまり好きではない顔がそこにあった。
「トゥヴァリ!」
彼が名前を呼んだので、トゥヴァリはとてもびっくりした。
「ようやく覚えたのか。お前は、レニスだっけ。わざわざここまで、俺をからかいに来たのか?ここには俺と同じような人がいっぱいいるから、言葉に気をつけろよ。」
「...っ!」
レニスは何も言わずに、歯を食いしばってトゥヴァリを睨みつけ、頬を殴った。
「お前のせいでペルシュは死んだんだろ!」
「は?」
「お前がペルシュをあちこち連れ回して...何かあったんだ!」
「...子どもが死ぬわけないだろ。」
尻もちをついたままトゥヴァリが言うと、レニスはその胸ぐらを掴んで、目にいっぱいに溜めた涙を、ポロポロとこぼした。
「死んだんだよ!昨夜、赤い精霊がやってきて、俺たちの見ている前で、死んで精霊と消えたんだ!爺ちゃんの時と同じだった!」
「ーーーー嘘だ。お前は俺が嫌いだからそんな嘘を言うんだろ。泣いたって、騙されないぞ。俺は、お前を、信じない!」
トゥヴァリは駆け出した。ペルシュがいるはずの、西南地区の広場に向かって走った。
ペルシュはそこで、テーブルについて、食事をしているはずだった。
大きな毛むくじゃらの動物がペルシュを叩き飛ばしたとき、精霊はすぐにペルシュを治しに来た。ペルシュが死ぬはずがない、とトゥヴァリは心の中で繰り返した。
「はぁ、はぁっ...!」
トゥヴァリは手を膝につけて、息を整えた。
西南地区の広場だ。
「トゥヴァリじゃないか、どうしたの?」と、ペルシュが言うはずだ。
「はー、はー...。」
唾を飲み込む。
顔を上げると、トゥヴァリに近づいて来る者は誰もいなかった。
みんな静かに食事をしていた。西南地区の人間は誰も喋らないのかと思うほど、静かだった。その場でペルシュを探したが、どこにも見当たらなかった。白くて黄色っぽい暖かい色の精霊が忙しく飛んでいるだけだった。
トゥヴァリの事を誰も気に留めなかった。
食事が済んでみんなが立ち上がる時まで、トゥヴァリはペルシュを探し続けていた。
同じ人たちの顔を何度も何度も繰り返し眺めていた。
トゥヴァリは宮殿へ走った。
中央通りを駆け抜けて、階段を駆け上がった。息が切れても休まなかった。汗が目に入って、喉が熱くなっても、そのまま走り続けた。
そして精霊王の像のところへ行って、両膝と両手のひらを地面につけた。
心臓はばくばくいって苦しかった。目が回って怖かった。何が起こっているかわからなかった。
それでもトゥヴァリは祈った。
(ペルシュ!ペルシュに会わせてくれ!死んだなんて嘘だっ...)
「うーん?トゥヴァリじゃないか。どうしたんだ、そんな格好で。」
「アイピレイス様!」
赤い帽子に赤い服、赤いとんがり靴のアイピレイスが肩を叩くと、トゥヴァリは抱きついた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をその立派な服に摺り寄せていることにも気がつかずに、嗚咽した。
「ペルシュが死んじゃった!俺のたった一人の友達が!生まれて初めて出来た友達なんだ!精霊王様に頼んでよ、ペルシュを生き返らせて...っ!」
「ペルシュが死んだ?」
アイピレイスはトゥヴァリの背中をさすりながら、眉をひそめた。
「あってはならない事だ!」
アイピレイスは憤った。
しかし、この泣き崩れている子どもを慰められる者が、自分しかいなかった。しばらくトゥヴァリが落ち着くまで、彼はずっとそうしていた。
泣き疲れて眠ったトゥヴァリを、アイピレイスはトゥヴァリの家に運んでいった。
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宮殿へ戻るなり、アイピレイスは大声を上げた。
「誰の仕業だ!」
ずかずかと、宮殿の中を歩いていく。
黄金の廊下の黄金の扉は、いつものように開かなかった。
黄金が価値を持たない世界で、それでも尚、黄金にとりつかれ、その部屋の中にある金銀財宝が出る事も、他が入る事も許さない。呪いのような魔法を願ったロングウェルという男は、生ける屍となって既に自我を持たない。
自分の部屋を曲がり過ぎ、小さな木の扉の前を通り過ぎる。
いつものように大イビキが聞こえていた。
マシュウはただただ怠惰でいることを願った。願わずとも何もする事がないこの世界で、彼はついに眠りこけたまま。
大理石の渡り廊下を進んで行く。
ハーヴァが透けた寝間着姿のまま、うろうろしていた。彼女の趣味は男漁りと世間話。子どもを産んだ後も精霊に任せて町に捨てるだけ。
「ア、アアイピレイス!?」
ハーヴァは慌てて服の前を合わせ、胸元を隠すようにした。
「奥まで来るなんて珍しいわ。」
「ペルシュという子どもが死んだ。何か知っているか。」
「ええ?私、何もしていないわ。ただ昨日その子は私の息子のトゥヴァリに怪我をさせたから、仕返ししても良かったかもって言っただけ...。」
「...そういうことか。」
アイピレイスはカツカツととんがり靴を響かせながら、奥へ進んだ。
白に金箔の、前に立った者に食らいついてくるような、狼犬の装飾が施された豪華絢爛な両扉の前でアイピレイスは止まった。
「この扉にこんな意地の悪い装飾をしたのはお前か?ルヨ。」
「そりゃあこの宮殿にある芸術品は全部が全部、僕の仕業だ。何か問題でも?」
「精霊王の玉座の間に犬とはね。」
そう言ってアイピレイスは扉を開けた。
「何故、貴様がここにいる?」
「お前は精霊王の決定に背くのか?」
肘掛椅子に座るナサニエルは、冷たい緑色の眼で不機嫌そうにアイピレイスを睨んだ。
「...その精霊王は何処にいる。」
アイピレイスも負けずに、青い瞳で見つめ返した。
「今は留守にしているようだが?」
くそ、と呟いて、アイピレイスは踵を返した。
精霊の統率は精霊王にしか出来ない。いくら玉座を奪った所で、ナサニエルにこの町をどうにかする力は宿らない。
精霊王は元老院の願いを叶えることを約束したが、人間社会の倫理が通用せず、善悪という概念を持たない。生物を繁栄させるという絶対条件の中でなら、どんな人物のどんな願いでも叶えてしまう。
ハーヴァの気まぐれな世間話の意思を汲んでペルシュの処分が決定したのだと、アイピレイスは理解した。
不死になっただけの、所詮人間にはどうする事も出来ない。アイピレイスは唇を噛んだ。