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セレニアの国の物語  作者: さなか
オルミスの三人(ルワレー)
54/320

29 上陸

 甲板に連れてこられたエッカーナは、未だ足元に染み込んだまま残る血溜まりの跡から目を背けた。

 三日前にライザス・チルキアが絶命した痕跡だった。エッカーナの脳裏にその光景がまざまざと浮かび上がる。

 帆柱にはオーネットとワイロフ、生き残った八人ばかりの乗組員がロープで縛り付けられている。オーネットがこちらに向かって身動きする度に他の人間の締め付けが強くなり呻き声が漏れた。


 ライザスを殺したのは機関室の、体格の良い三人だった。腕っ節に自信があったのだろう、三人は共謀してグィオから解放されたライザスをいきなり殺した。

 その三人を海に落としたのはアキリ・ケワイスとワイロフ・トメイの二人掛かりだった。いくら体格が良くても、さすがに王女付きの護衛には勝てなかった。

 もし乗組員の全員が一度に襲ってきたならば、アキリとワイロフを捕らえるのは容易かったろう。しかし彼らは、誰を信じて良いのかわからなかった。他にも北の人間は紛れ込んでいると言われていたからだった。

 一対二では倒せない、反抗を持ちかけたのが敵であればその場で殺されてしまう、多くの者は言う通りに従った。


 それでも戦いを挑んだ船乗りたちが殺されたり、何人かは潜んでいた北の人間を殺す事に成功したと言った。エッカーナとオーネットはグィオ・フレザックに護られていたので無事だった。


 そうして乗組員が数を減らして行き、長く先の見えない航海に体力と精神をすり減らした頃、船の碇は下りて全員が甲板に集められた。


 憔悴しきった者達に男は言った。


「オルミスの勇敢な国民たちよ。殺し合い、誠にご苦労だった。」


 グィオ・フレザックはそう声を張り上げて、常にすぐ側にいたエッカーナの後手を捕り首にナイフを突きつけた。


「特にアキリ、君は素晴らしい働きだった。さすがに俺一人で船乗り全員を相手には出来ないからね。疲れているところ悪いが、もうひと頑張りしてもらいたい。」


 アキリとナバルが命じられ、彼らは帆柱に括り付けられた。


 それを言われた時のアキリの顔を見てようやく、エッカーナは全てが理解できたのだった。そして、城内に北の手が及んでいた事を憂いていた自分自身に強い怒りが湧いた。

 エッカーナが人質に取られていたから、二人はグィオに脅されていたのだ。

 エッカーナが彼らを信じていれば、もっと早くに真の敵がグィオだと気づけたのではないか。


 どう後悔しても戻らない血痕の上を歩かされながら、エッカーナの頬に一筋涙が流れた。





 小舟に乗せられたのはアキリとナバルとエッカーナだった。アキリは縛られている。ナバルは大人しくしていた。何かすればエッカーナを危険に晒すだけだとわかっていた。


「どうだ、この小舟はまるであの島に吸い寄せられているようだ。必ずあの島にいる。間違いない。」


 そう言ってグィオはオールを漕ぐ手を止めた。小舟は波に乗って、どんどん前に進んで行く。


「あの島は何だ。」


 毅然とした態度でエッカーナは言った。グィオは笑って、


「俺の仲間がいる島だ。」


 と言った。エッカーナが眉をしかめるのを見て嬉しそうにしている。恐ろしい男だとエッカーナは思った。

 小舟が浅瀬の岩に挟まって動かなくなるとグィオは舟を降り、腰まで海に浸かって陸の近くまで押して行った。

 アキリの縄を解きナバルとともに船から降ろし、


「ドラギエルとカラットを呼ぶんだ。大声で、助けに来たと叫んでやりな。」


「...あいつらが?生きているのか?」


「俺の仲間に殺されてなければ、生きているかもしれないな。」


「じゃあ、仲間って...。」


「さあ、早く行くんだ。早く終わらせて皆んなで帰りたいと思わないか?」


 グィオは小舟に残されたままのエッカーナを見やる。アキリとナバルは顔を強張らせたまま、岩場を上って行った。





「ドラギエール!」


「カラット!いるなら返事しろ!」


 当てもなく懸命に叫ぶ二人の声を聞きながら、エッカーナはグィオを睨みつけた。


「仲間仲間と言っているのはヘイス・カフェトーの事か。」


「察しが良いと誉めるには簡単すぎる問題だなぁ。そうとも、カフェトーの小僧とはここで落ち合う手筈になっているのさ。」


「...嘘だ。」


「さて、どうかな?」


 アキリとナバルがいくら叫んでも二人の姿はどこにも無い。

 アキリが戻って来て言った。


「彼らが来た小舟も無い。精霊の生贄になったはずだ...。」


 やつれた顔をして声も枯れていた。その様子を見てグィオは眉を上げて残念そうに言う。


「君たちは何も感じないのか。この島が呼んでいたのは俺だけか。もし全てが思い通りに行くのだとしたら、こんなに気持ちの良い事は無いな。」


 そして、


「なら探すのは人間じゃ無いなあ。もう君たちは用済みだ。

 ナバル!戻って来るんだ!」


 と言って、走って来たナバルに向かっていきなりナイフを握った手を振り上げた。


「待て!」


 その声でグィオはぴたりと動きを止める。

 エッカーナが振り向くと、すぐ近くの岩陰から姿を現したのはヘイス・カフェトーだった。

 既に懐かしさを覚えるその姿を見て、驚きもしない自分がヘイスが死んだとは全く思っていなかった事をエッカーナは知った。


「やめろ、ファルトーソー。」


 グィオは満面の笑みをヘイスに向け、


「カフェトー、無事で良かった。遅れてすまない、船を動かすのに少々手間取ってしまった。」


 と笑った。


「...もう来ないかと思っていたところだ。」


 ふん、といつもの調子でヘイスは言った。

 一瞬エッカーナと目が合ったが、いつもの淡白な表情を変えぬまま自然に視線を外された。

 心臓がひび割れたかとエッカーナは思った。咄嗟に頭の中では自分が何の根拠があってヘイス・カフェトーを信用していたかの記憶を手繰っていた。どこにも見つからない、引きずり出されるのは少女の浮ついた気持ちしかそこには無かった。

 エッカーナは自分を恥じた。そうしたところでもう何の取り返しもつかなかった。


「そう機嫌を悪くしないでくれよ。君、一人なのか?あの二人は。」


「...あの嵐で行方知れずだ。きっと精霊に喰われたんだろうな。」


 ナバルがぐっと拳を握った。もしヘイスが敵の仲間だったとしても、カラットとドラギエルがいれば味方になると思っていた。力が無くても五対ニだったら勝てるのでは無いかと淡い期待をしていた、悔しさの行き場が無かった。


「そうか。ところでこの島はどうだ。君の顔色を見ると、随分過ごしやすいようじゃないか。森の中にでも何かあるのかな?」


「...それよりあれだろ、ファルトーソー。俺が乗って来た小舟は壊れて沈んだ。あの辺りに沈んでいるんだが、重い物だから一人では回収出来なくてな。」


 とヘイスは岩場の浅瀬の辺りを指差した。


「そうか、海に、ね...。じゃあ、アキリとナバルに探してきてもらうか。あの二つ岩のある辺り、かな?」


「...ああ。あの辺は深くなっている。注意して探せよ。」


 グィオに促され、ナバルとアキリはヘイスを睨みつけながら、岩場の先へ行った。

 グィオとヘイスはしばらく二人の様子を見ていた。



「さて...この麗しき船長夫人だが、もう人質も必要の無い事だし殺してしまおうか。」


 グィオは笑ってエッカーナの首に手をかける。エッカーナは首の潰されるままに上を向き、もうその時かと目を閉じた。


「...そこまで君が気に入っていると言うなら、連れて帰っても構わないよ。北に。」


 と、グィオは突然エッカーナから手を離したのでエッカーナは砂浜に倒れ込み、咳き込んだ。霞む視界にぼんやりとヘイスの姿が見える。


「この方は一体誰なんだい?付き人まで連れて、随分要人なんだろうな。」


「...知らない。...が、王族の関係者だろうな。」


「そうか。生かす価値はあると。」


 意識を失ったエッカーナを跨ぎ、腕に刺さったナイフを抜きながらグィオはヘイスに向かって歩いてくる。


「...まったく、オルミス人を好むとは君は父親に似たんだな。他人の物を盗るところも。

 捕らえたオルミス人の女にレゼナンドが執着していたのは誰もが知るところだ。腹違いの兄三人を差し置いて四男にあれを奪らせようとしたのも愛情故にかな?」


「俺の事はいい。お前は誰だ?」


 ナイフを投げたのは失敗だったとヘイスは思った。グィオは錆びたナイフを握り直すと、自分の血で赤く濡れた切っ先をヘイスに向ける。


「ファルトーソーの末席さ。幼少からオルミスに潜り込んでいる。」


 体格差は大きかった。ヘイスは動かず、胸に向かって振られたナイフを避け、手首を蹴り上げる。ナイフは手から離れたがグィオ自ら捨てたような感覚だった。

 すかさず襲い来る蹴りをかわしたが、肩を取られねじ伏せられてしまった。


「あれもこれもと欲張ると上手くはいかない。おとなしく'狼王の剣'を差し出せば引き換えにあの女を離してやっただろうに。人質の価値が無いのならもう殺してしまうまでだ。

 俺の経験からの忠告さ。...俺もあの船を欲しがりさえしなければ小舟でとっくに北へ帰れていたんだよなあ。」


 そう言ってグィオは砂に顔を擦り付けるヘイスの首を膝で踏みつけた。

 ヘイスは何度か咳き込み、もがく手を震わせたがやがて動かなくなった。


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