入学式
王立学院。アステリア王国が誇る魔法教育の最高学府である。王城の西に隣接する学術区に位置している。
今日、講堂では新入生の入学式が行われていた。
新入生代表として、壇上にあがるのは、王太子ルベール・クラウス・セイリオス・アステリア。碧青の詰め襟の制服に身を包んだ金髪に真紅の瞳の青年は、王太子にふさわしく、堂々としつつも落ち着いたふるまいだ。
アレクシスは、新入生の列の後方から、その様子を窺っていた。
——一昨日、サーシャとして学院を尋ねたのは、学院長に挨拶をするためだった。
サーシャとアレクシスは同時に存在できない。必然的に、学院に主として通う方を選択する必要があった。もちろん、王子護衛任務が最優先だ。
だが、公爵令嬢としての立場上、サーシャも学院を卒業しないわけにはいかない。そこで、2週間に一度、特別講義と試験を受けることで、通常講義を免除されることとなった。一昨日の訪問は、表向きの経緯を学院長に直接説明し、取り計らいへの謝意を伝えるためだった。
「——以上、新入生代表の挨拶とさせていただきます」
ルベールが挨拶を終え、退壇する。
今日から、サーシャとアレクシスの二重生活が始まる。アレクシスは気を引き締めるように、両手を強く握りしめた。
「やあ、アレクシス。先日のミルザム伯爵邸での夜会以来だね」
「ルベール殿下。あの夜は、なんと申し上げたらいいか……御身がご無事で何よりでした」
「皆に心配を掛け、心苦しく思っているよ。こうして君と学院で再会できて嬉しく思う。……そうだ、弟を紹介しよう。サフィールだ」
「サフィール殿下。お会いできて光栄です。アレクシス・ルイ・アルディバインと申します」
「よろしく、アレクシス」
アレクシスと双子の王子は、入学式の式典を終えた後、早速衆目の面前で一芝居をうった。
学院で極秘裏に王子たちの護衛をするには、側にいても不自然でない関係——つまり、自然と仲良くなったふうを装うのがもっとも都合が良いからだ。
「兄上と手合わせの約束をしたと聞いた。俺も是非、混ぜてくれ」
サフィールは、さも兄が約束したかのように言う。実際のところ、ルベールと入れ替わってその場にいたのはサフィールである。
「はい。喜んで」
任務を最優先するアレクシスとしては、そう返答するほかない。
サフィールが唇の端をつり上げた。言質を取った、という顔である。
(勘弁して欲しい)
この王子は、もしかして、戦うことしか考えていないのだろうか。
そうではない記憶を反芻しそうになり、アレクシスは冷静な仮面の裏で必死にそれを抑え込んだ。
サフィールが、訝しそうに顔をのぞき込んでくる。
「アレクシス?」
「いえ。何でもありません」
アレクシスは淡々と返答した。
このくらいで動揺してはいけない。何せ、あの夜から、社交界は第二王子と公爵令嬢の噂で持ちきりなのだから。
王立学院の学生は、その大半を貴族の子女が占める。貴族が優先的に入学資格を得ているわけではないが、貴族と平民では、受けられる教育に格差があった。結果として、入学試験を通過できる者は貴族の子女が多く、平民はごく一握りだった。そうすると、何が起きるかというと——学院は、社交界の縮図となり、噂がそのまま学院内に流入する。
今も右後ろで女子学生たちが例の噂をおしゃべりしているのを、アレクシスは努めて冷静に聞き流した。噂の元凶であるサフィールも、素知らぬフリを決め込んでいる。
ほとぼりが冷めるまで、サーシャとしては顔を出さない方が良さそうだ。そう思ったとき、アレクシスは、所在なさげに立っている翠色の瞳の少女を視界の端に捉えた。
——あの子だ。
彼女は、周囲の学生から遠巻きにされていた。
エメローネ・アルティフィリア。
公爵令嬢や王子たちとは別の意味で話題になっている少女だ。
神殿からの推薦で、特別に入学を許されたと噂の、女神アルティナの巫女。
彼女は、きょろきょろ辺りを見回して、誰かを捜している様子だった。
幼気な仔兎を見ているようで、胸が締め付けられる。
だが、今の自分は、彼女に声を掛けることはできない。アレクシスが、視線を外そうとしたときだった。
「——君、誰かを探しているのかい? よければ、力になろう」
ルベールが、エメローネに歩み寄り、声をかけていた。
「それと、これは君が落としたものでは?」
小さな小袋を差し出され、エメローネがルベールを見上げた。翠色の大きな瞳を見開き、エメローネは空気を求めるように、口をぱくぱくさせた。
「あ、ぁ」
エメローネは、真っ赤になったあと、急激に真っ青になり——そのまま、倒れ込んだ。アレクシスは、咄嗟に身体強化を使い、彼女が地面にぶつかる寸前、その身体を抱き留めた。
ルベールは突然のことに狼狽しながら、アレクシスの腕の中の少女をのぞき込んだ。
「アレクシス、彼女は」
「見たところ、気を失っているようです」
「すぐに医務室へ!」
「御意」
アレクシスは、エメローネを抱き上げ、医務室へ向かった。
——エメローネは、どうして倒れたのだろう。
アレクシスは、医務室のベッドの脇で、意識を失ったエメローネを見つめていた。
医師によると、過度な緊張による一時的な失神ではないかということだった。だいぶ血色が戻ってきたものの、いくぶんまだ青白い。
ルベールは、自分のせいでエメローネが倒れたのではないかと、責任を感じている様子だった。エメローネの落とし物——刺繍の施された小さなサシェをアレクシスに預け、彼女を寮まで送り届けること、様子を報告することを頼んで、校舎へと戻っていった。
エメローネが、小さく身じろぎした。
「ぅ……ん……あれ……?」
翠の瞳がゆっくりと開かれ、それから、まばたきを繰り返す。
「気がつかれましたか」
アレクシスは、彼女を驚かさないよう、そっと声をかけた。
「私、どうして……」
次の瞬間、エメローネはがばっと跳ね起きた。
「わ、わわ私っ、あの人に失礼なことを……!」
倒れる直前のことを思い出したのか、エメローネは泡を食った様子だった。
「落ち着いてください。何があったか、話せますか」
「その……実は私、男の人が苦手で、さっきも驚いてしまって……」
男子禁制の神域育ちで、最近まで男性を見たことがなかったこと。あんなに近づいて、話しかけられたのは初めてだったこと。優しそうな人だと思ったのに、体が竦んでしまったこと。エメローネは訥々と語った。
「……私も男ですが」
「え……? あ、そうですよね。あれ……?」
エメローネはアレクシスを見つめ、不思議そうに首を傾げた。
「あの……ところで、あなたは……?」
「申し遅れました。アレクシスと申します」
「私、エメローネです。アレクシスさんは、どうしてここに?」
「あなたにこれをお渡しするためです。どうぞ」
アレクシスは、ルベールから預かったサシェをエメローネに差し出した。
エメローネはサシェを受け取って、大切そうに両手の平で包み込んだ。
「もしかして、あの優しそうな人が……?」
「はい」
この小動物のような少女に真実を伝えるのは心苦しかったが、ここで言うほかない。一呼吸おいてから、アレクシスは切り出した。
「……落ち着いて聞いてください。あの方は、ルベール王太子殿下です」
「おうたいし、でんか……王太子殿下!?」
エメローネは再び真っ青になった。
「大丈夫、ルベール殿下はお優しい方です。先ほどもあなたを気遣っておいででした。さあ、エメローネ嬢、深呼吸をしてください」
アレクシスは、言葉を尽くしてエメローネを宥めにかかった。
エメローネを寮まで送る頃には、夕方になっていた。
「アレクシスさん。わざわざ、ありがとうございました」
「あなたが無事に帰られたことは、ルベール殿下にお伝えさせていただきます」
「はい。ルベール殿下に、直接お礼を言えたらと思うんです。でも、まだ私には勇気がなくて」
視線を落とすエメローネに、アレクシスは優しく声をかけた。
「きっと殿下も待ってくださいますよ」
「私、がんばります。……あの、ひとつ聞いても良いですか?」
「何でしょう? 私にお答えできることであればいいのですが」
エメローネはわずかに躊躇ってから、口を開いた。
「サーシャという子を、知りませんか? きれいな銀髪、両目の色が違う女の子なんですが。入学式で見つからなくて」
やはり、あのとき彼女は、自分を探していたのだ。心に柔らかな暖かさが広がっていくような心地がした。
「ああ。あなたの言うサーシャは、おそらく——私の従姉妹です」




