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第14話 鬼子坂の桜

昔から、切ってはいけない木というものがある。


神社の御神木だったり、古い屋敷の庭木だったり、


ただの大きな木のこともある。


理由は様々だが、どの町にも一つくらいはそういう話が残っている。


誰が言い出したのか分からないのに、


いつの間にか皆が知っている。


触るな。


切るな。


動かすな。


そう言われてきた場所には、だいたい理由がある。


この町にもあった。


鬼子坂の桜。


町の北側の丘の上に立つ、大きなエドヒガンの桜だ。


この場所は小高い丘になっており、


道も地形に沿って急な坂になっていた。


この坂を、昔から鬼子坂と呼んでいたという。


県道改修工事で切り通しが作られ、


坂はまっすぐで平らな道になる予定だった。


恒一は子供のころ、その木の下で遊んだことがある。


春になると山の上にぽつんと咲き、


遠くからでもよく見えた。


ただ近所の大人たちは言っていた。


あの木は切るな。


祟りがある。


恒一はその言葉を何となく覚えていた。


ある日の午後。


接骨院の扉が勢いよく開いた。


「先生!」


入ってきたのは作業着姿の男だった。


三十代くらいだろう。


顔に泥がついている。


「どうしました」


男は腕を押さえていた。


「仕事でやったんです」


恒一は腕を見た。


打撲だ。


骨は大丈夫そうだ。


「工事ですか」


「ええ」


男は椅子に座りながら言った。


「道路拡張工事の」


恒一はうなずいた。


最近、町の北側で道路を広げる工事が始まっている。


山を削り、道をまっすぐにする計画だ。


便利にはなるが、昔からあるものは消えていく。


「丘の上のあたりです」


男は苦笑した。


「変な木があるんですよ」


恒一の手が止まった。


「桜ですか」


男は驚いた。


「知ってるんですか」


「鬼子坂の桜」


男は笑った。


「そう、それ」


肩をすくめた。


「地元の人がうるさいんですよ」


「切るな、祟りだって」


恒一は黙って腕を整えた。


「それで?」


男は声を落とした。


「昨日、作業員がケガしたんです」


「どんな?」


「木を切ろうとして」


男は苦笑した。


「チェーンソーが跳ねた」


恒一は腕を軽く叩いた。


「今日は?」


「今日も俺です」


男はため息をついた。


「枝落としてたら落ちた」


恒一は固定を終えた。


「今日は休んでください」


男は立ち上がった。


「現場戻ります」


恒一は少し考えた。


「その桜、まだ切ってませんよね」


「まだです」


「行きましょう」


男は驚いた。


「え?」


「見ておきたい」


二人は丘へ向かった。


工事現場は静かだった。


夕方で作業は終わっている。


そこに立っていた。


鬼子坂の桜。


幹は太く、両手を回しても届かない。


表面は深く割れ、長い年月を刻んでいる。


ただ立っているだけなのに、


そこに誰かがいるような気配があった。


恒一は車を降りた。


その瞬間。


空気が重くなる。


そして見えた。


桜の下に人影。


着物姿の女。


長い髪。


じっと木を見上げている。


恒一は小さく言った。


「やっぱりいる」


男が震えた。


「いますか」


「ええ」


「祟りですか」


恒一は首を振った。


「違います」


女の影は木に触れている。


優しく。


子供を撫でるように。


「守ってる」


風が吹いた。


桜の枝が揺れた。


葉が一枚落ちた。


女は振り向いた。


顔は穏やかだった。


怒ってはいない。


ただ悲しそうだった。


ここを離れたくない顔だった。


そして恒一を見る。


声は聞こえない。


だが意味は分かった。


――この木は残して。


恒一は言った。


「この木、残したほうがいい」


男は苦笑した。


「無理ですよ。道路なんで」


恒一は桜を見た。


何百年も生きている木だ。


「少し曲げられませんか」


男は考えた。


「……相談してみます」


そのとき。


桜の枝が大きく揺れた。


風ではない。


木が息をしたようだった。


三日後。


工事計画が変わった。


道路は桜を避ける形になった。


男が接骨院に来た。


「先生」


「はい」


「桜、残りました」


恒一はうなずいた。


「よかった」


男は笑った。


「ケガも止まりました」


恒一は窓の外を見た。


丘の上に桜が見える。


その下に女の影が立っていた。


静かに頭を下げた。


 

その夜。


恒一は夢を見た。


おかっぱ頭の少女。


少女は桜の下に立っている。


枝に触れている。


少女が言った。


――ここは守るところ。


目を覚ました。


朝焼けだった。


恒一はつぶやいた。


「……そうか」


この町には守る場所もある。


ただの土地ではない。


誰かが守ってきた場所。


切ってはいけない木。


動かしてはいけない石。


触れてはいけない土地。


迷信かもしれない。


だが長く残っているものには理由がある。


恒一には、それが時々見えてしまう。


ただ、それだけのことだった。


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